5 夜に叫ぶ

 そうして何日か共に過ごした、ある日のこと。

 ふと、ベロウは夜中に目を覚ました。まどろみながら、タバコでも吸おうかと手をのばす。が、顔を上げた弾みに、床に寝ているはずのリータの姿が無いことに気づいて跳ね起きた。


「!?」


 一気に目が覚めてしまった。キョロキョロと探すも、王子の姿は見当たらない。いびきをかいて寝ているババアはいるのだが。

 となると、便所に行ったか、一人で出て行ったか……。


「クソッ」


 面倒なことである。この付近には共用の便所しか無く、そうでなくても夜は危険極まりないというのに。催した時は窓からやれと、あれほど言ったじゃねぇか。

 三階の自分の部屋から、外階段に出る。十年前まで宿屋だったこの三階建ての建物は、住民らの魔改造によりあちこちの家と梯子や階段で繋がっている。初めて来た者なら、まるで立体迷路を歩いている感覚に陥るかもしれない。

 錆びた手すりに掴まって身を乗り出し、耳を澄ませる。すると、誰かがすすり泣いているような声が聞こえた。

 ――上か。


「おどれクソガキャーッ!」

「ぎゃーっ!!」


 屋上に躍り出ると、うずくまっていたリータがビクッと肩を震わせた。月の光の中で振り返ったその顔は、泣き腫らしているにも関わらずゾッとするような美しさをたたえている。

 が、流石に数日も顔を突き合わせてりゃ慣れるものだ。ベロウはズカズカ歩み寄ると、リータの首根っこを掴んで持ち上げた。


「一人で出歩くなっつったろバカ! しかも夜! 死にてぇのかアホ助!」

「うえ……す、すいません、師匠……」


 大人しくぷらんとぶら下がり、えぐえぐと泣いている。流石にそうされると少し決まりが悪くて、そろそろと床に下ろしてやった。


「……で? 何メソメソ泣いてやがんだよ。あれか? ホームシック?」

「……え、ええと」


 どもるリータの隣に、自分もドカリと座ってやる。少年は驚いたようだが、チンピラとて耳はついているのだ。傾聴する姿勢を見せたとしても、何ら驚かれる謂れはない。


「……いえ。ホームシック、とは違うと思います」

「あ、そう?」

「はい。……僕はどうしていいかわからなくて、ここで悩んでいました」


 強引なベロウに、ぽつりぽつりとリータは言葉を吐き出し始めた。


「……師匠。僕は、今でも死んだ父と母を尊敬しています」

「おう」

「優しくて、気高くて……人としても王としても、二人はあるべき理想の姿だと思っています」

「そりゃ結構だ」

「……そんな父母が、生前よく僕に言っていたんです。決して、人を憎んではならないと。その人にはその人の事情があるのだから、自分の都合で憎むのはお門違いだと」

「……」

「何より、憎むということは胃の腑を焼くように苦しいものだと、そう教えられました。……そして、もし自分が憎まれる側になったとしたら、それを受け止め、そこでその人の苦しみを終わりにせねばならないと」


 これに、ベロウはつまらなそうに鼻を鳴らして返事をした。……いかにも、お育ちのいいお坊ちゃんとお姫様の考えそうなことである。その理屈がまかり通るってんなら、逆恨みでも何でも恨んだもん勝ちになるじゃねぇか。

 あーヤダヤダ、人間死んだら終わりよ? それまでよ?

 そんなベロウの胸中が滲んでいたのだろうか。リータは両手で自分の服の裾を掴むと、言葉を続けた。


「……あの日、ミツミル国の城で父と母を殺したのは、我が国の軍大臣でした」


 絞り出した声に、ベロウはうなずく。

 ……薄々、そんな事だろうなと思っていたのである。そして次に彼が何を言うのかも、ベロウには察しがついていた。


「軍大臣は父と母を部屋の隅に追い詰め、自分がいかに普段から王族を恨みに思っていたかを捲し立てました。その言い分を最後まで聞いた父と母は、あっさりと自分の首を差し出して……」

「殺されたってわけか」

「……はい」

「……多分だけどよぉ。その大臣さんってなぁ、小せぇ話を存分に膨らませて、くっちゃべってたんじゃね?」

「……! は、はい、その通りです! 中には言いがかりに近いものもあって……! ど、どうして分かるんですか!?」

「分かるよぉー。そいつ悪い奴の匂いがするもんー」


 ……恐らく、まともに戦っていれば五分五分か、こいつの父の方が優位だったのだろう。だからこそ、軍大臣とやらは彼らの“弱点”をついたのである。

 ああ、アホらしい。やっぱり正直者がバカを見てんじゃねぇか。

 面白くなさそうに舌打ちをするベロウに、リータは取り繕うように付け加えた。


「けれど師匠。そのお陰で、僕は助かったんですよ」

「そのお陰?」

「はい。父と母がヴェイジルの言い分を聞いていた時間があったからこそ、僕はクリスティアと逃げることができたんです。……あの時間稼ぎが無かったら、僕も奴に捕らえられ殺されていたと思います」

「……ふーん」


 ま、そこまで聞いても、オレ様は美談と思わないけどね。

 父親と母親は、息子が逃げたのを確認したなら反撃だってできたはずなのだ。それが大人しく殺されたというのなら、やはり彼らは信念に殺されたのだと思う。


「……でも師匠。今になって僕は、どうしようもない気持ちになってるんです」


 鼻水をすする音がする。リータは膝を抱え、ボロボロと涙を零していた。


「ヴェイジルを許すことはできない。でも、奴を憎むことは父母を裏切ることになる。……それはダメだ。父と母が僕に残してくれた言葉を、僕が踏みにじるわけにはいかない。……父様と母様が最後まで守った王としての信念を、僕は捨てたくない」

「……」

「師匠……。僕は、どうすればいいんでしょう……」


 せっかくの美形を歪めて、リータは泣きじゃくっている。ベロウは、しばらく黙ってリータの泣き声を聞いていた。

 生暖かい夜風が頬をくすぐる。どこか遠くで、酔っ払い共が喧嘩をしていた。

 今のリータは、昔居候していた黒髪の少年の姿をベロウに連想させた。そういやアイツも、憎しみに凝り固まった目をしていたな。

 ――ああ、馬鹿らしいな、馬鹿らしい。こだわりも信念も、自分が生きるのに邪魔ならとっとと捨てちまえばいいのだ。沈む石にしがみついて溺れ死ぬなんて、馬鹿か阿呆のすることだと思う。


「……そうさなぁ」


 リータの髪をぐしゃりと撫でる。

 ……そんでも、そうだよな。そう割り切るには、ちぃとばかしお前もアイツも、年が足りなかったんだよな。


「……お前がどうしても譲りたくねぇってんなら、ヴェイジルとやらを憎むべきじゃねぇだろうよ」

「……」

「でも困ってるってことは、お前の気は収まってねぇんだろ?」


 よいせと立ち上がる。そんでもって、リータの腕を引いて立たせてやった。


「そこを何とかしなきゃ、お前は助からねぇ。だったら答えは一つよ」

「一つ?」

「おう」


 ベロウはサングラスを取った。そして、この上なくキメた顔つきで言い放つ。


「――リータ。お前はもう、べらぼうに怒って怒って、怒りまくるしかねぇ」

「…………?」


 リータは、コトンと首を傾げた。

 嘘、やめてよ。せっかくオレ様バッチリキメたのに。


「え、わかんねぇ? 怒るのよ? 怒るの。ビッグアングリー。アンダスタン? オーケー?」

「え、えっと。それって憎むのとどう違うんですか?」

「そりゃもー、大違いだろ! そうさなぁ、例えるなら、憎むってのはもうずーっと心に残って塊になってこびりついてるヤツのことだろ? そんなら怒りってのは、ブワッと湧き出してくる泥のことだ。それを洗い流さねぇでこねくり回してるに、凝り固まってこびりついて憎しみになる。分かった?」

「……わ、分かったような、分からないような」

「つまりね、リータ。お前は、父ちゃんと母ちゃんを殺されてすんげぇ怒ってんだって」


 ちょっと自分でも何言ってるのか分からなくなってきた。だがまあ、こういうものは勢いである。ベロウはよく回る舌を躍らせた。


「でも、お前は憎んじゃダメだって思い込んで怒りまで押さえつけてる。それが一番ヤベェんだ。不当に無視された怒りは消えねぇんだよ。せめて自分自身が怒ってるって分かっといてやらねぇと、思わぬ時に泥が噴き出す」

「僕は……怒ってる……?」

「そうだ! その証拠を見せてやる。オレ様に続いて叫んでみろ」


 そう言うと、ベロウは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。訳もわからず目をパチクリさせるリータを残し、二秒、息を止めたあと。


「ヴェイジルの、ウンコたれーーーーー!!!!」


 夜の街に向かって、大声で叫んだ。


「え……! え!?」

「ほら、お前も叫べ! 早くしねぇと血の気の多い連中が集まってくるぞ!」


 ほれほれと急かすベロウに、リータは戸惑っている。当然である。時間帯も時間帯であるし、人の悪口を大声で叫んだこととて無かったのだ。


「え? えっと……何を言えば?」

「だから言ってんだろ!? ヴェイジルの、ウンコたれーーーーー!!!!」

「う、うん? えと、えと」

「ヴェイジルのっ!! ウンコたれーーーーー!!!!」

「う、うんこ、たれー……?」

「そうだ! もいっちょいくぞ!」


 半ばヤケになっていたのかもしれない。ベロウ達は、夜に向かって怒鳴り続けた。


「ヴェイジルのォ、バァァァァカ!!」

「ヴェ、ヴェイジルの、バァァカ!!」

「クソ野郎! ど外道! 人間の恥!!」

「く、クソ野郎! ど外道! 人間の、恥!!」

「父ちゃんと母ちゃんを殺しやがって!!」

「こ、ころ、ころしっ、やがって!!」

「めちゃくちゃ怖かったし、めちゃくちゃムカついたし、めちゃくちゃ怒ってるからマジで一生許さねぇからなぁぁっ!!」

「め、め、めちゃくちゃ……っ! ぼ、僕は、怖かった……! ぐすっ、ゆ、許さない……! 僕は、お、お、怒ってる……!!」

「絶対五回ぐらいぶん殴ってから適切な手続き踏んで、そんで牢屋にぶち込んでやるぜぇぇぇっ!!」

「な、な、殴って……! 僕は……王になって……! お、お前を……牢屋にぶち込んでやる……!!」

「最後にも一つ! せーの、バァァァァカ!!!!」

「ば、ば、バァァァァカ!!!!」


 大粒の涙はぼろぼろと溢れて、鼻水はダラダラと流れて。リータは、赤子のようにわぁわぁと泣いていた。

 まるで胸の内に渦巻いていたどす黒い霧が、形になって外に溶け出してきたかのように。

 これしきで晴れるものではない。これしきで終わるものではない。

 けれど。


「ヒヒヒッ、多少スッキリしたろ」


 ――リータは、そう言って笑う派手なシャツのチンピラに、陽の光のような温度を感じていたのである。


「うぐっ、じ、じじょう……っ!」

「うん」


 辺りから怒声が轟いている。何ならこっちへ向かって来ている。そりゃそうだ、なんたって深夜に大声を出していたのだから。

 早速トンズラしようとするベロウに抱えられたリータは、つっかえながらも頭を下げた。


「ぼぐ、ぜっだい……王になりまず……!!」

「おう、ガンバレ」


 この気の抜けたベロウの返事にすら、今のリータは頷くことしかできなかったのである。

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