3 顔

「そういや、オレ様がお前を王子って呼んでちゃダメだよな」


 ある日の朝。スープに口をつけながら、ふとベロウが言った。


「ご近所にゃ、オメェさんは遠い親戚から預かったガキんちょって話で通してんだ。だから王子なんて呼んでた日にゃー、怪しまれちまう」

「そう、ですか?」

「おう。だからこれからはリータって呼ぶけど、悪く思うなよ」

「! は、はい! 望む所です!」

「何その返事」


 王子――リータは、興奮したり慌てたりすると妙な言葉遣いをする癖があるらしい。何それ。

 しかし気にせずスープをすすっていると、ババアが割り込んできた。


「むむむむ!? ならん、ならんぞ! 王子は王子であり、平民たるおぬしにはそこを弁えてもらわねばならん! 故にベロウ殿よ、そのような無礼は決して許されるものではないぞよ!」

「いいじゃん、オレ様リータの師匠ですし」

「しししししし師匠!?」

「はい! リータ=ミツミルスはベロウさんの弟子になりました!」

「おーいリータ、そうじゃねぇだろ? 朝飯作ってもらったババアに言うことは?」

「あ、そうでした! クリスティア、今日のスープも美味しかったよ!」

「ほほほほほー!? ま、まさかこんなスープでお褒めの言葉をいただけると!?」

「こら、リータ。わざわざ作ってもらったんだ、ちゃんとお礼まで言わなきゃいけねぇだろが。王子って身分は高ぇんだろうが、感謝の気持ちは忘れちゃいけねぇ」

「すいません、師匠!」

「ベロウ殿ぉーーー!? おおおお王子にせせせせ説教などと!!」

「クリスティア、ありがとう!」

「うううううむむむむむ、勿体無きお言葉、身に余るほどの幸せ、ばばはほんと嬉しいぞよ……!」

「おう、師匠のオレ様からもお礼を言わせていただくぜ! あんがとよ、ババア!」

「おぬしはもう少し感謝と尊敬の念を持て!」


 しかし共に暮らすのは良いのだが、ここで困るのはリータの処遇である。流石に一日中ずっと、クリスティアと共に家に閉じ込めておくのは怪しまれてしまう。とはいえ、ブラブラと外を出歩かせるのも危険であり。

 よってベロウは、リータも金稼ぎに連れて行くのが最善と判断した。だが連れて歩くにはこの美形、あまりにも注目を集めてしまう。

 そこでベロウは考えた。


「リータ。お前、変装ができるようになれ」

「変装、ですか?」


 粗末な化粧道具と服を用意し、ベロウはリータにそう言った。ポカンとする王子に、サングラスの男は深く頷く。


「そう、変装だ。オレ様は師匠としてできるだけお前を守ってやるが、四六時中見てやるのは無理だからな。お前の綺麗な顔を晒して百人の人攫いに目をつけられようもんなら、たまったもんじゃねぇ。自衛できるようになれ」

「そんな、僕は決して人攫いに狙われるような美男では……」

「勘違いすんな、オレ様はお前を褒め称えたい訳じゃねぇんだ。見たまんまのことを言ってるだけだ。自分の特徴を謙遜するな、認めろ。傲れと言っているんじゃない、理解しろと言ってるんだ。自分の顔がどういう人間を引きつけ、どう作用するかをな」

「は、はい! ……僕の顔が、どう作用するか……」

「そうだ。悪い奴は、まず相手を過剰に褒める事で取り入ろうとしてくるからな。だから自分をちゃんと理解しときゃ、こういうチンケな手に引っかからなくて済むんだ」

「……! 分かりました、師匠!」

「よーし。そんじゃ、お前にゃまず人ゴミに紛れる奴になってもらう!」


 しかしどうすればいいか分からなかったのか、王子は可愛らしく小首を傾げた。それにベロウはニッと笑うと、サングラスを外して自分の髪を手で乱し、手元の化粧品で顔に細工をする。

 その数秒後、そこには無精髭の浮浪者の顔が出来上がっていた。


「え!? す、すごい!」

「ふっふーん、ざっとこんなもんよ。でもこれだって所詮は慣れだ。リータ、お前にゃ毎日これをしてもらわにゃならねぇ」

「え、ええ……! 僕にできますかね……!?」

「やらなきゃしょうがねぇだろ。そうさなぁ……お前はギャンブル狂いの父ちゃんと売春婦の母ちゃんとの間に生まれた次男坊だ。殆ど家に帰ってこない親に代わり、父親の違う幼い弟を育てるためにオメェさんは靴磨きの仕事をしている」


 リータの顔に化粧を施してやりながら、ベロウは彼の負う“設定”を述べていく。


「毎日毎日うつむいて貴族の靴を磨いて、得られるのはほんの僅かな金。それも運が悪けりゃ、帰り道にチンピラに全部巻き上げられちまう。……いつか家族も惨めさも丸ごと捨てて、こんな所から逃げ出してやる。毎日そう考えて生きるクソガキだ」

「……それってもしかして、師匠の……」

「オレ様の話じゃねぇよ。ただ、フーボ国にはそういうガキがごまんといるってだけだ」


 だがそう語るベロウの目は、暗く澱んでいた。


「だからこそ、そういうガキの一人になりゃお前は空気になれる。背景に溶け込めるってわけよ」

「なる、ほど……」

「で、今日のオメェは、たまたまオレ様の荷物持ちとして道端で雇われたガキだ」


 窓ガラスを見るようにベロウに指示され、リータは自分の姿を確認する為にそちらに行く。そして、息を呑んだ。

 目の前のガラスからこちらを覗いていたのは、そばかすの目立つ腫れぼったい顔をした少年だった。


「わぁぁー! すごいですね、師匠! 別人みたいです!」

「コラ、そのウブな反応もやめろよ。もっとどんよりさせるんだ。おろしたての靴で犬のウンコ踏んだ気持ちを保て」

「変装って大変ですね」

「見た目だけじゃねぇ。纏う空気も変えなきゃ変装にならねぇからな」


 ほうほうと素直に感心するリータに、ベロウは着古したコートをはおる。リータには、一層ボロな上着を投げて寄越した。


「そういえば、師匠はどんなお仕事をしてるんですか?」

「んー? そうねぇ」


 目まで隠れる帽子をかぶり、ベロウはニタリとする。


「……今日は、古美術商とか?」

「今日は?」


 またも首を傾げるリータに、ベロウはケッケッケとそれはそれは悪い笑い声を立てたのであった。

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