2 師匠

 とりあえず、暮らしていくとなれば住まいを整えねばならない。しかし、フーボ国にまともな空き家などあろうはずもなく。

 よって、ベロウは王子とそのばあや・クリスティアを自宅に招いていた。


「わぁー、すごいですね! ベロウさんは馬も飼われているんですか!」

「いや馬小屋じゃねぇわ。立派なオレ様んちだわ」

「ぬ、ここがおぬしの住まいなのか!? むむむ、よもやこんな不衛生な所に王子を住まわせるわけにはいかん! 疾く掃除せよ!」

「ええー……勝手に住み着くのお前らの方じゃん。じゃあお前らが掃除すんのが筋だろ」

「むむっ、それも一理ある」

「だろ? そんじゃそういうことで、オレ様は一眠りキメて……」

「では王子! 今よりクリスティアが、この掃き溜めを辛うじて住める程度のボロ小屋に生まれ変わらせてみせましょう! まずこの不埒で淫らな雑誌から捨てて……」

「ババアーーッ! 分かった、オレ様もやってやるから! だから何か捨てる時は絶対オレ様の許可を得てからにして! ね!?」

「この怪しげでバインボインの令嬢が描かれたチラシも捨てねば!」

「ババアーーーーーーッ!!」


 やはり、一悶着があったベロウ宅である。だが実はフーボ国においては、彼のように個人の住まいを持っている方が珍しかったりする。こと治安の悪いスラム街中心部では、ぼったくりの家賃を複数人で分けて住んだり、そもそも住まいを持たずに“流れ”として生きる者も多かった。

 ……まあ、ベロウの家が狭く汚いことには変わりないのだが。それでも一通りの掃除が済めば、何とか三人が暮らしていける広さにはなった。


 ところで、暮らしていくとなると何かと入り用なのが金である。だがフーボ国では、質屋で金目のものを見せた所で、足元を見られ安価で買い叩かれてしまうのが常だ。

 というわけで。


「へいへいへいへい、質屋のハスビスちゃんよぉー。前にこのボクちゃんが持ってきた“金の反り返り魚”、たったこれっぽっちの値段で買ったってマジー?」

「な……ベロウ!? なんでオメェがここに!?」

「オレ様ねー、このボクちゃんとちょっと色々あって今面倒見てんの。つまりオレ様が保護者ね。んでさー、面倒見るとなったらお金いるじゃん。でもこのボクちゃんときたら、さっぱり一文無しって言うからさー。だから『金目のもの無いのー?』って聞いたら、ハスビスちゃんの名前が出てきてねー」

「は……ははは、そりゃ弱ったな。でもあれに関しちゃもう済んだ取引。そうだろ? 終わったものにアレコレ口出しをされちゃあ、こちらとしても商売あがったりなわけだ」

「あれれー? そういやオメェこの間酒の席で『オショック様がお忍びで質屋に来た時、相場の五分の一で宝石を換金してやった』って言ってたらしいけどアレは一体どういう」

「わわわわわ! バカやめろ! チクショウ、誰が漏らして……わ、分かった! 差分は払うから、絶対その話は貴族共に言うなよ!!」

「差分? 口止め料分は?」

「は、払うよ! 払うから!」

「うへへっ、どーもどーも」


 カウンターにじゃらじゃらと積まれる金に、ベロウはニヤリと口角を上げる。

 ――フーボ国は、汚職貴族達により支配された国であった。しかしどいつもこいつも体面だけは清廉たる貴族を装おうとするので、こういった噂が出回れば「貶めし者」として即刻処刑されてしまうのである。

 貴族と平民には壁より大きな差がある。貴族にとって平民とは、金を吸い上げるだけの栄養袋に過ぎない。

 しかしその栄養袋は栄養袋で、毒を持った虫ばかりが蠢いている。不用意に手を突っ込んでこねくり回せば、二度と生きて太陽を拝むことはできない。

 貴族は平民を殺し、平民は貴族を殺す。貴族同士、平民同士もまた然り。少しでも選択を誤ればプツンと切れてしまいそうなか細い糸の上に、ベロウ達の生活は成り立っていた。


「……昔々は農業の盛んな国でさぁ、貴族は平民を守り、平民は貴族を支えていたような美しい関係だったらしいけどよ」


 金貨を指で弾いて空に打上げながら、ベロウはリータに言う。


「今じゃこの有様よ。ま、こっちの方がオレ様の性には合ってる気もするけどな」

「確かに、先程のベロウさんの舌戦は素晴らしいものでしたからね! あんなにポンポンと言葉が出てくるなんて、本当に驚きました!」

「え、そう?」


 慣れない褒め言葉に嬉しくなって、思わず王子を見下ろす。両手を握り拳にした美しい少年は、キラキラとした羨望の眼差しをこちらに向けていた。


「はい! とてもかっこよかったです! まるでミツミル国に伝わる戦士物語の一つ、『テミュニベル戦記』に出てくる商人・ショテイルスのような弁術でした!」

「ヘッヘッヘ、そんな大袈裟なもんじゃねぇ……いや誰だよショテイルス」

「商人ショテイルスとは、お得意の弁舌で幾度となく騎士ゼップライの危機を助けたと言われている男です! そして最後には、ゼップライが王を守っているその間に、彼は民衆を勇気づけて動かし、力を合わせて悪い大臣から国を取り戻すのです!」

「へえー」


 そんなお伽話など、ベロウは聞いたことがなかった。やはり国が変われば文化も変わるのである。そういや、ミツミル国って戦士の国だったな。


「……慈愛に満ちて、頭が良くて。本当に、ベロウさんは物語に出てくるようなお方です」

「へへっ、よせやい」

「いえ、本当のことですから。……そして僕も、賢く強く、慈愛に満ちた王にならねばならない」


 いつの間にやら王子の足が止まっている。ベロウは不思議に思い、振り返った。

 王子は歯を食いしばって、今にも泣きそうな顔をしていた。


「……僕が、国を取り戻さねば」

「……」


 そういえば、まだベロウはミツミル国に何が起こったのかを詳しく聞いていなかった。聞く必要も無いと思っていたのである。

 所詮、一時的に宿を貸すだけの関係でしかない。後できっちり金さえもらえるなら、ベロウは全く深入りするつもりは無かったのだ。

 だからベロウは、王子の元へ行くと、大袈裟にため息をつきながら金色の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。


「な、何するんですか!?」

「ボクちゃん、そういう怖い顔もできんのねーと思ってさ。その顔で質屋に行っときゃあ、舐められる事も無かったのに」

「舐められ……?」

「知ってる? 顔ってとっても大事な部分なのよ。人間が人間に会ってまず見る場所だ、重要じゃねぇわけがない。特にオメェはすんげぇ美形だから、尚更だ」

「……僕、美形ですか」

「自覚無かったのかよ」


 気が抜けたようにパチパチとまばたきする王子に、膝を曲げて目線を合わせてやる。そうして、軽くデコピンをした。


「一つ忠告しといてやる。お前がどういう事をやりたいんだか知らねぇけど、人の上に立つなら“顔”を作れるようになっとけよ。強い王様になりてぇんだろ? 言っとくが、オレ様の知ってるクソ貴族はみんな顔を作れる奴らばっかりだ。その程度の奴に飲まれたくねぇのなら、まず顔で鎧を作れなきゃ話にならねぇ」

「……!」

「素材はいいんだ。精進しろ」


 分かったなら帰るぞー、と歩き出す。だが、すぐに王子に腕を掴んで引き止められて、腰が音を立てた。


「何すんだよ!」

「ベロウさん……いや、ベロウ様……師匠!」

「師匠ォ!?」


 思いきり目をひん剥いて聞き返す。しかし聞き間違いではなかったらしい。


「はい! 貴方の言われたことは、まさしく商人ショテイルスがかつて幼き王に進言したものと同じです! まさか、『テミュニベル戦記』を知らない方から同じ言葉を聞ける日が来るなんて……!」

「いや知らねぇけど……! そ、それがなんでオレ様が師匠になるんだよ!?」

「貴方はやはり素晴らしい方です! 故に僕は立派な王となる為、この国にいる間は貴方に師事し、そのお考えを吸収したく思います!」

「ええー」


 面倒くせぇー。

 ただでさえババアの介護とガキのお守りが面倒くせぇのに、弟子とか面倒くせぇー。

 加えてそんな誰とも知らない架空の商人と並べられるのも、また迷惑である。ここはきっぱりはっきりと断って――。


「お願いします! 弟子にしてくださるなら、僕が王に戻ったその時に一番高価な財宝を師匠にお渡しします!」

「引き受けたァッ!!!!」


 ダメだった。やっぱり金の魔力には抗えなかったよ。

 そんなわけで、顔が良くて隣国の王子である弟子ができたのである。

 埃っぽくてゴミだらけの道を、真っ赤な夕日が照らしている。長い影を踏んでご機嫌な王子の隣で、ベロウは呟いた。


「……ほんと、お前といいアイツといい、変なガキにゃ縁があるなぁ」

「何かおっしゃいました?」

「別に」


 ふとよぎった黒髪の少年の冷静な眼差しを、ベロウは胸の奥に押し込む。髪をバリバリと掻いて、男は一つ大欠伸をした。

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