第4章 オレ様と王子と時々ババア

1 フーボ国にて

 ――本当に、ただの気まぐれだったのだ。

 派手なシャツにサングラス。齢三十になるその男・ベロウは、イカサマで闇カジノからせしめた金を浅いポケットに突っ込んで、いかに愉快に過ごそうかと浮き足立っていた。

 サングラス越しの世界は薄暗い。だが、どうせ外した所で何一つ明るいモンは見えやしないのだ。それよりも、今日をどう楽しく生き延びるかの方がこの男にとっては重要であった。


「……」


 そんな彼がふと目をやった道端に、薄汚い老婆と年の頃十位の子供がいたのは果たして偶然だったのだろうか。彼女らはうずくまって身を寄せ合い、どこで拾ったのかもしれない穴の開いた帽子を裏返しにして小銭入れにしていた。

 物乞いである。

 とはいえ、このフーボ国においてそんな光景は珍しいものではない。立派だったらしい王が突然死して、数十年。腐敗しきった貴族による統治のお陰で、豊かだったフーボ国はあっという間に荒みきっていた。

 まあそれも自分が生まれる前の話である。今目の前に広がる風景しか知らないベロウは、そんな豊かな時代があったことすら想像できないでいた。


「……ふっふん」


 で、話を戻して二人の物乞いである。みすぼらしい彼女らの姿を前に、ベロウは唇をひん曲げた。

 いやー、子供とババアか。働くのにも難儀しそうな組み合わせである。ご愁傷様。絶賛金持ち中のオレ様には関係ねぇ二人だぜ。

 ……ん? 今オレ様が金貨を握った理由?

 いやホラ、今のオレ様だいぶご機嫌なわけですし? 金には余裕があるわけですし? いや別に自分も小さい頃は母ちゃんも父ちゃんもいなくて近所の婆ちゃんにこっそり食い物もらってたなーとか、この年頃の子供はよく食うよなとか思ったとかそういうのは一切関係無くてね?

 ベロウの長い足は、フラフラとその二人に寄っていく。そして、握り込んでいた一枚の金貨を、帽子の中に落とした。

 次の瞬間。


「なんと見上げたお方じゃあーっ!!」

「うわあああああ!?」


 ババアが、立ち上がった。

 それだけではない。こいつぁヤベェと咄嗟に逃げ出したベロウを、彼女は猛スピードで追いかけてきたのである。

 とはいえ、足の速さには自信のある男だ。訳の分からない状況に一つ舌打ちすると、ベロウは長い手足を大きく伸ばして狭い小道に入り、老婆を振り切ろうとした。

 だが。


「ドンパラスチョラトス!!」

「ぎゃあーっ!?」


 謎の魔法により、足を絡めとられてすっ転んでしまった。何このババア。本当にババアか?

 目を白黒させ地べたに這いつくばるベロウに、ゆっくりと老婆は迫ってくる。

 そして彼の前に来るなり、金貨を掲げてドドンと仁王立ちした。


「政治も治安も人の心も荒れきったこの国に来て早一ヶ月……! これほどの施しをくれたのは、おぬしが初めてじゃ!」


 偉そうなババアである。だが、「この国に来て」という点から考えるに、フーボ国の奴じゃないのだろう。

 まあなんでもいい。ベロウは老婆を睨みつけた。


「ンだよ、ババア。金ならさっきやったろ! それかまだオレ様から絞り取ろうって魂胆か!」

「そんな低劣なことなどせぬわい! あたしゃおぬしの慈悲深さを見込んで、一つ使命を与えてやろうとしておるのじゃ!」

「え、使命? いきなり何よ?」

「使命と言えば使命じゃ! ええい、まどろっこしい奴め! おぬし、このお方の顔を見ても同じことが言えるのか!」


 そう言って老婆が肩を抱いて前に押し出してきたのは、例の子供である。

 ――それは、まるで人形のように酷く美しい少年だった。金色の髪はこんな薄暗い路地においても輝いており、深い紫色の目は長い睫毛の下で瞬いている。服の裾から覗いた細く白い手足は、触れれば壊れてしまいそうだった。

 儚げで、危うくて、高貴。彼のまとう美麗に、思わずベロウはまじまじと見入っていた。

 ……だが、どこをどう見ても使命とやらのヒントは見つからなかった。


「……え、えーと……あれです? もしかして、オレ様の遠い親戚とか」

「カァーッ!? おぬし、このお方を知らんと申すか! 何たる無知! 何たる愚昧! あまつさえこのお方と血が繋がっているなどと何たる傲慢!」

「このババアすげぇ難しい言葉で悪口言ってくる」

「聞いて驚け! このお方はなぁ、ミツミル国の正統なる次期王、リータ=ミツミルス王子じゃ!」


 老婆の声が狭い路地に響く。唖然としつつベロウが少年を見ると、彼もうんうんと首を縦に振って肯定していた。

 ……え? マジで王子なの? 言われてみりゃそんな風に見えねぇこともないけど……。


「……そ、その……そんなお偉い人が、なんでこんなとこに?」

「それはもう深い事情があって……ムッ!?」


 突然、老婆はバッと身を翻す。そして手をかざすと、早口で呪文を唱えた。

 路地の向こうで男共の悲鳴が上がる。それに呆気にとられるベロウと少年の手を掴み、老婆は走り出した。


「逃げるぞ! 追手やもしれぬ!」

「おおおお追手!? なんだよ、お前らまさか本当にミツミル国の……!」

「逃がすな! あの高く売れそうなガキだけは絶対に拐え!」

「お、親分! あれがミツミル国の王子ってマジですか!?」

「ああ、さっきあのババアがでけぇ声で叫んでたからな!」

「ババアーッ!! アレただのフーボ国名物人攫いじゃねぇか! つーかババアのせいじゃねぇかババアーッ!!」

「人のせいにするな、若者! 未来にだけ目を向けろい!」

「うるせぇーっ!!」


 だが、こうして老婆と逃げている自分の立場では、立ち止まった所で腹いせに追手に殺されるだけだろう。驚くなかれ、フーボ国はマジでこんな治安なのだ。よって、不本意ながらもベロウは老婆と共に走るしかなかった。

 追手は少しずつ増えてくる。一方、少年はあまり体力が無いのか早くも足をもつれさせ始めた。


「……よく聞け、若いの」

「何!?」

「このままでは、全員奴らに捕まってしまう。そこで提案だ」

「提案……」

「……あたしが囮になる。その隙に、おぬしは王子と逃げるが良い」

「……」


 急な申し出に、ベロウは背の低い老婆に目をやる。彼女は、深く頷いた。


「王子を頼むぞ!」

「え!? オレ様まだ何も言って……!」

「テヤァーッ!」


 老婆は踵を返し、跳躍する。その姿に、初めて王子が声を上げた。


「クリスティア!」

「めっちゃ可愛い名前だな、ババア!!」

「行けっ! チンピラ!!」

「チンピラって……クソッ!」


 クリスティアの代わりに王子の腕を掴み、走り出す。まどろっこしくて担ぎ上げ、また足を前に出す。

 背後で爆発音が聞こえた。それが、最後だった。










「いたか!?」

「確かにこっちの方に逃げてきたんだが……!」

「おい、そこの乞食! 派手なシャツのグラサン野郎と綺麗な顔したガキをみなかったか!? 隠すとタダじゃおかねぇぞ!?」

「ヒッ……! そ、そいつらでしたら、そこの角を曲がっていきやしたが……」

「聞いたか!? オラ行くぞ!」


 男たちが走り去っていく。彼らが十分に離れたのを確認し、ボロ衣をまとった乞食は「はぁぁー」と深いため息をついた。


「もう助かったぜ、王子さんよぉ」

「あ、ありがとうございます……」


 服の裾から、ぴょこんとリータが顔を出す。多少汚れていようとも、目の覚めるようなその美しさに変わりはない。


「でも、すごいですね。彼ら全くあなただと気づきませんでしたよ」

「そりゃまー、オレ様こういうの生業にしてますし?」

「生業に?」

「それよかお前、これからどうすんのよ。王子ってんなら国に帰らなきゃなんねぇんだろ?」

「……そうなのですが」


 リータはうつむいたまま、か細い声で返した。


「……今はまだ、帰れなくて」

「つっても母ちゃんも父ちゃんも心配してるだろ」

「……父も母も、もう殺されましたから。僕の、目の前で」

「げ、マジで?」


 サングラスをかけながら尋ね聞くも、こくこくと頷かれて終わる。このことについては、あまり話したくないようだ。


「……ばあやであるクリスティアに連れ出されて、どうにか僕だけは助かりました。けれど、王子である身である以上、いずれ国に帰らねばならない。……だからその日まで、生き延びる必要があるんです」

「生き延びるったって……この国ヤベェとこだぞ? 女子供でも明日には土の養分になってるような場所だ」

「ええ。だからクリスティアと僕は、あなたのような勇敢で自愛に満ちた、土地勘のある人を探していたんです」


 リータの深い紫色の目がまっすぐこちらを向く。細い体がぺこんと折れた。


「どうかお願いします! 来たるべきその日まで、僕をあなたの下に置いてくださいませんか!」

「え、ええー!?」

「うむ! このクリスティアからもお願いさせていただく! 何卒!!」

「ギャアアアッ!!? ババア!? ババアナンデ!!?」


 生きていたらしい。やめてよ、何も言わずに服の裾に入るの。質量のある幽霊かと思ったじゃん。

 それはともかく、王子を匿う件だけども。

 ……えー……明らかに面倒事じゃん。厄介事じゃん。それにコイツ、さっき親殺されたって言ってたよね? じゃあその親殺した奴らにオレ様も狙われるかもじゃん。ヤダヤダ、そんなのとっとと断って――。


「この使命を受けてくれるのなら、一生食うに困らぬ財をそなたにやろう!!」

「引き受けたァッ!!!!」


 ダメだった。やっぱり金の魔力には抗えなかったよ。

 しかし、まあいい。うまくいけば莫大な金が手に入るし、いよいよヤバそうだったら適当にごまかして逃げてしまえばいいのだ。

 いつものことである。舌先三寸で言いくるめて、美味しい所だけ掻っ攫う。今回とて、それは同じこと。


 ――この『百枚舌のベロウ』様の手にかかれば、全て容易いことなのだ。

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