6 佇む影

 まだ朝日も昇らぬような薄闇の中、ネグラはヒダマリに起こされた。


「行こう、ネグラ君」

「ん……なんだよ、ヒダマリ。まだ夜じゃん」

「追手が来たんだ。多分、あと数分でここに来る」


 その一言に飛び起きる。と同時に走った全身の痛みに、顔をしかめた。まだ、昨日の怪我が治っていないのだ。


「大丈夫か」


 光の少ない洞窟に、ヒダマリの明るい髪色が浮かび上がっている。僕は、首を横に振った。


「大丈夫だよ。……それより、どうして追手が来てるって分かったんだ。また何か仕掛けてた?」

「ああ。とはいってもドロステンは使っちまったからな。代わりにピーピー丸を」

「ピーピー丸」

「踏んだらピーピー鳴る魔道具」

「あ、もしかしてさっきから聞こえてるこのめちゃくちゃうるさいやつ?」


 洞窟の外から、やたらけたたましい鳥の鳴き声のようなものが聞こえているのだ。多分あれのことだろうな。本当にうるさい。


「むしろ無い方が良かったんじゃない? 僕らの位置バラしてるようなもんじゃん」

「いずれにしてもなぎ倒された草や木、君の血を辿られてこの場所は知られたよ。時間の問題なら早い方がいい」

「それもそうか」


 納得して、重たい体を引きずり洞窟の外に出る。……空を見上げれば、薄雲がかかっていた月がぼんやりとしていた。空気は冷たく、吐く息は白い。昨日自分が潰した草木には、薄い雪が積もっていた。

 そしてヒダマリの言う通り、まだそこに人の気配は無かった。


「ん」


 ヒダマリが自分に向けて無遠慮に両腕を突き出す。運べということだろう。どこまでも図々しいやつだ。


「できれば竜型の完全体で頼む。見てみたい」

「やだよ。アレすごくエネルギー使うもん」

「本来の姿はあっちだろ? なら消耗するのは人型の方じゃないのか」

「そうでもないよ。うーん……何て言ったらいいのかな。適材適所? 違うか。とにかく、人型が取れる魔物は基本人型でいる方が楽なんだよ」

「それは興味深い」


 もう少し聞きたそうなヒダマリだったが、今はそれどころではない。僕は深呼吸をすると、また昨日のように翼を出そうと背中に意識を集中させた。


「……ッ」


 全身に激痛が走る。……竜の妙薬を使うことができれば良いのだけど、あれは同じ竜族には効果が無いのだ。


「いっ……!」


 バサリと水色の翼が空を覆う。けれど、どこか引っかかったように突っ張って、上手く広がりきらなかった。


「い、たたたたたた……!」

「おいネグラ君。無理はするなよ」

「いや、無理はしてないけど……。ほら来て、ヒダマリ。今日も運ぶから」

「君がそんな状態で出発できるわけないだろ。メンテナンスが先だ」

「メンテナンスって、そんなの別にいい……うわっ」


 乱暴に翼を引っ掴まれ、ネグラの体が傾く。彼の必死の制止も虚しく、ヒダマリは淡々と検分し始めた。


「んー……ここか? やたら折れ曲がってて、妙に節が多いけど。あ、この辺もコブになってるな」

「それは元から。喧嘩売ってんのか」

「いや基本形しか知らないから分かんねぇんだよ、すまん。……あー、ここ、とか?」

「ぐっ……!」

「ああ、はいはい。ここね。……折れてるな。普通なら固定しておくべきだが……」

「……」

「おいおい、穴も空いてるじゃねぇか。あ、こっちも! ……クソッ、逃げる時に敵にやられたか。ネグラ君、なんで言わなかったんだ!」

「……言ったところで、痛いのは変わんないし。洞窟で翼広げるわけにいかないし。治療できるわけじゃないし」

「それでも、君は言うべきだった」


 何故かヒダマリは怒っているようだった。怒りの理由が分からずまごつくネグラの前で、ヒダマリはぐりぐりと雪の塊を踏みつける。


「トラブルの発生は隠してはならない。何故なら結局隠しきれずに火種となり、そこから火が上がる可能性が高いからだ。不測の事態という言葉があるが、その中の大半は事前に生じたトラブルを把握さえしていれら予測あるいは回避できたものだ。良点と呼ばれようが悪点と呼ばれようが、結局それらは事態を構成する要素の一つでしかない。ならば一つでも多くかき集め、未来に向けて備えるべきだと俺は思う」

「はぁ……」

「何かあったらすぐ言えってことだ。これからはな」

「……ごめん」


 とくとくと言い聞かせられ、ネグラは頭を下げた。だがその時、にわかに左斜め後ろから殺気を感じ取る。


「ヒダマリ!」

「ッ!?」


 咄嗟にヒダマリを抱きかかえ、そちらに背を向ける。鈍い衝撃が背中を抉り、翼の一部を焼いた。


「ネグラ君!」

「……う、ぐ……! いや、大した、ことは……!」

「馬鹿野郎、なんで俺を庇った! 奴らは俺を殺せない! だから俺を守る必要なんて無かったのに……!」

「……あー、そっか。うわー、僕ほんとバカ……!」


 ご指摘通りの自分のバカさ加減にほとほと呆れ、膝をつく。耳障りな人間の声が近づいてきていた。


「魔物を仕留めたか!?」

「いや……まだ動いている!」

「一斉に攻撃しろ! そして奴を捕らえ記憶錠を取り戻すんだ!」


 記憶錠……? そういやコイツと初めて会った時にも、そんなことを言われてたな。

 けれどそれは後回しだ。今はこっちをなんとかしなくちゃいけない。

 ネグラは、腕に力を込めてヒダマリを持ち上げた。


「……逃げるよ、ヒダマリ」

「……ああ、分かった。どの方向に行く?」

「ここから北北西に向けてまっすぐ行けば、僕が確認する予定の空間転移装置がある。そこにルイモンド様の……僕の上司の使い魔である赤い鳥がいるんだ。彼を通せば、魔物軍の応援が呼べる」

「そうか。なら君の目が潰れたら、俺が指示を出そう」

「頼むよ」


 多分ヒダマリは、その記憶錠とやらを守らねばならないのだろう。彼が本当にこの国の王子だとしたら、ノマンに捕われた残りの研究者らが彼一人を逃した理由にも納得がいく。記憶錠はきっと、これからヨロ国にとって必要となるものなのだ。

 ならば、何が何でも守り通さねばならない。

 ネグラは、激痛に歯を食いしばりながら傷だらけの翼を広げた。










 逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。

 雪に足を取られ、草木を薙ぎ倒し、枝で額を切り、流れた血で目が塞がっても。ネグラは胸に抱えたヒダマリの指示で、ただひた走った。


「……見えた。あの赤い鳥が、君の言う上司の使い魔だろう」

「……」

「そうか、今の君は目が潰れているんだったな。なら一度近くまで行って……ん、いや、止まれネグラ君」


 その言葉にネグラは急ブレーキをかける。立っていられず前に崩れそうになる体をヒダマリに支えられ、何とか拳で目を拭った。


「誰かいる。……兵士じゃなさそうだが」


 その通りだった。ぼやけた視界に、赤色の小さな点とその下に佇む一つの影が映っている。だがそれが少しずつ何か判別できるようになるにつれ、ネグラは冷え切った手足に血が通っていくのを感じた。

 ネグラは、その人間を知っていた。忘れるはずがない、忘れられるはずがなかった。


「――恩人さん」


 それはあの時、魔物売買人の馬車で自分達を助けてくれた人。

 そして突然魔王城に現れ、我々魔物軍の仲間となると宣言した人。

 ――クレイス=マチェックが、悠然とそこに立っていた。

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