4 翼
ヒダマリには息を止めておくよう指示し、小屋の床下を通って外に出る。こうすると小屋の裏手に回れるのだ。
「いたぞ! 奴らだ!!」
まあ追手が潜んでいないわけねぇんだけどな!
しかし、その兵士らも例外無くドロステンにはまりもがいていたので、ネグラは気にせず近くの枝に飛び乗った。
「クソッ! 木の上に行ったぞ!」
「魔法で撃ち落とせ!」
「え、魔法!? しまった、だとしたら避ける術が……!」
「ふふふ、ここは俺に任せろ、ネグラ君」
何やら自信たっぷりなヒダマリの声が聞こえたかと思うと、突然体に大きな衝撃を受ける。振り返ると、兵士の一人が目を回して雪に埋もれていた。
「……え、何? お前今度は何使ったの?」
「バリアハール……受けた魔法を跳ね返す魔道具だ」
「何それカッケェ」
「ただし魔法の属性に合わせないと一切効果が無くてな。今回選んだバリアハールがたまたま対火属性魔法だったのが、功を奏した」
「そうだったの!? よくそんなフワッフワな根拠で『俺に任せろ』って言えたな!?」
「問題無い。俺はプラショの神を信仰している」
「だから何だよ!!」
ヨロ国民の信仰するプラショ神は、数多の腕の中から選んだ一本で人を救うため、“選択の神”と呼ばれているのである。
まあそれはどうでもいい。ネグラは肩に担いだヒダマリを気にしつつ、えっちらおっちら不器用に枝から枝へと跳び移っていった。
「……しかしネグラ君。君はやはり、竜族とは思えないほど鈍重だな」
「し、しかたないだろ! 走って逃げてたら足跡残るんだから! ぼ、僕が速く走れるなら良かったけど、遅いし……」
「んんん、気に病むことはないぞ! この俺が保証してもいいが、君は人間に負けるとも劣らないほどの知識を持っている! 無事に俺が研究所に戻ったら、君を登用すると約束しようじゃないか!」
「それ絶対実験体としてだろ! つーか喋んじゃねぇよ! 見つかるだろ!」
「む」
いよいよヒダマリを振り落としてやろうかと思ったが、案外素直に黙り込んだので我慢することにした。けれど普段全然体を動かさない己の怠慢が祟り、段々と足が重くなっていく。
「――ッ!」
その時、ネグラの横腹に鋭い痛みが走り、がくりと体が傾いた。
目を落とす。真っ黒な血が、自分の腹部から滴っていた。
「ネグラ君?」
「……」
どうやら矢に射られたらしい。……そうだよな、人間って頭いいもん。遠くにいる奴を足止めするのに、弓を持ってきていないはずがないよな。
ネグラの額に汗が滲む。ああ、傷を見てしまうんじゃなかった。焼けつくような違和感に理由がつけば、なお痛むのは道理じゃないか。
「ネグラ君」
「……ッ」
「どうした」
「……別に、何も」
だが、そうだ。別に何も問題はない。この程度、竜族であれば大したことはないのだ。ネグラは歯を食いしばって痛みに耐え、体勢を立て直した。
何故なら、こっちはまだ生きている。
ならば打つ手は残っているのだから。
「……ヒダマリ、ちょっと汚れるけどごめんね」
「いや、何する気だよ。それよりお前、その血……!」
「採取しようとすんなよ」
「クソッ!」
まさか若干その気だったのか。ふざけんなよお前。やっぱ捨てて行こうかな。
まあ、後でいいか。
ネグラはヒダマリを自分の肩から下ろし、胸の前で抱え直す。そして、枝から飛び降りた。
「ネグラ君、何を……!」
「ここからは本当に黙ってろよ。舌噛むから」
最後の注意を促して、目を閉じる。そして深呼吸をして、背中に意識を集めた。
兵士たちが叫ぶ声が近づいてくる。魔法か何かが自分の耳をや肩を、足を掠めていく。
「ネグラ君!」
「……ッ!」
しかし、耐えきった。
ネグラの背から、勢いよく奇妙に折れ曲がった空色の翼が広がった。
「これは、竜の翼……! しかしこの形は……!?」
眼鏡の奥にあるヒダマリの目が、驚愕に見開かれる。
――僕の翼は、生まれつきの奇形だった。見た目も醜ければ、他の仲間のように空を飛べるようなものですらない。そのことで随分嫌な目にも遭ったし、自分自身これを無いものとして扱ってきた。
けれど。
「行くよ、ヒダマリ」
――羽ばたかせ、それを動力に速く走ることぐらいは可能だ。
ネグラはなりふり構わず、不細工な羽と貧弱な足を動かして、その場から逃走した。
そうしてノマン兵が彼らの姿を完全に見失った頃。ネグラは、力尽きて雪の中に倒れ込んでいた。
「ネグラ君!」
「……ヒダマリ」
もう、一歩も動けない。指一本動かす力も、みっともない背中の翼をしまう気力も無い。
「……」
だがヒダマリがヤスリと小型の容器を取り出したのを見たので、最後の力を振り絞って翼だけはしまった。
「やめろよ。削ろうとすんなよ」
「珍しい色と形状だったので、つい」
「……削られたら、それなりに痛いんだから。やるなら僕が死んでからにしてよ」
投げやりに言う。てっきり無神経なコイツなら「じゃあ死ぬのを待つわ」と喜ぶかと思ったのに、奴は少し悲しそうな顔をしてうつむいた。
「……君が生きていないと、意味が無い」
「……どういう意味」
「竜の翼やツノは、勿論不活性状態でも大変な価値はある。けれど活性状態のこれらはまた違った効能があると知られていてな。だが竜族は気高い性質の為、これらサンプルが採取されることはほぼ無いと言っていい。だから生きていて、かつ実験体に志願してくれる君をここで死なせるのは大変に惜しいんだ」
「待て待て待て。誰がいつそんな物騒なもんに志願したよ」
「俺は君と共に生き、君の死を見つめ、君が死んだ後もその一片まで無駄にせず使い尽くしたい所存」
「怖あああああ! やめろよ! お前が言うと冗談に聞こえないんだけど!」
「冗談……?」
「あ、ごめん。この件深追いしたらヤバそうだわ。忘れて。あと竜族ってそれなりに長命だから、お前が僕を看取るのは無理だと思うけど」
「分かった。健康に気を遣わなきゃな」
「だからそれぐらいじゃ……いや、お前ならそれぐらいで竜族の寿命超えそうだな……。そんな気がしてきた……」
だが、こうしてやいのやいの言い合っているうちに、なんだか元気になってきたネグラである。何とかよろよろと起き上がると、頭を振った。
「……そろそろ行くか」
「行くって、どこに」
「もう少し歩いた先に洞窟がある。そこで一晩過ごせると思う」
「ふぅん」
「多分ここまで引き離しておけば、敵は今日中には追いつけない。一晩休めばまた僕も動けると思うし、そうしたら一気に城まで行こう」
足をズルズルと引きずって歩く。
……もっと真っ当な竜に生まれていれば。せめてちゃんと飛べる翼を持っていれば。自分はコイツを抱えてどこにだって逃げられたんだろうな、とネグラは思う。
一つ不思議だったのは、ヒダマリがそういう点を全く責めない所だった。
「……多分君は、結構大きな秘密を俺に教えてくれたんだよな」
「いきなり何?」
自分に肩を貸してくれながら、ヒダマリがぽつりと呟く。
「いや、俺も自分の正体を明かそうと思って」
「……」
正体? え、マッドサイエンティストじゃないの?
そう尋ねると、ヒダマリは苦々しく笑った。
「実は俺、ヨロ国の第一王子なんだ」
「へ、王子……」
「とはいっても、魔法科学の研究をしたいからっつって権利放り出して飛び出したクソ息子なんだけどさ。一応、君には言っておこうと思って」
「……」
彼の言葉に、ネグラは水色の目をパチパチとさせる。そして、恐る恐る口を開いた。
「お前……自分の家の場所忘れたからって、流石にその嘘はねぇよ」
「嘘じゃねぇわ」
何事も日頃の行いなのである。
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