2 小屋

 だがすぐに、ネグラだけはヒダマリによって救出された。


「助かったよ、ネグラ君。さぁ逃げようぜ」

「に、逃げるってどこへ……」

「この先に小屋があるんだ。とりあえずそこに隠れよう」


 雪に反射した光を受け、艶やかな栗色の髪が揺れる。眩しさに目を細め、ネグラは自分の頭に積もった雪を払い落とした。


「……そりゃ確かに小屋はあったけどさ、それよかまっすぐヨロ城に向かったらどうだよ」

「小屋に寄らずにってことか?」

「うん。……い、今そこには魔王様もいるし、僕が頼めば……多分何とかしてくれると思う」

「は、魔王様? なんで魔国の王がヨロ国にいるんだ」


 驚いた顔をするヒダマリに、「そういや捕らえられていたから状況を知らないんだったな」とネグラは思い直す。しかしそれを伝えようとした所、ぐらりとヒダマリの体が傾いた。


「ど、どうしたの」

「……ッいや……少し……怪我をしていたのを、忘れていた……」


 押さえた腹部から血が滲む。……深い怪我かどうかは分からないが、ヒダマリの表情からしてかなり辛いもののようだ。


「な、なんで……! お前、いつそんな怪我を!?」

「いつだっけ……。あ、そうだ、ノマンから逃げる時。皆が懸命に俺を逃がしてくれたが……結局、見つかって」

「もっと早く言えよ! 普通に全力疾走してたろ、さっき!」

「クソッ、思い出したら痛んできた……!」

「バカなの!?」


 バカなのかもしれない。

 だが放っておくのも気が引けて、ネグラはしゃがみこんだヒダマリの腕を持ち上げた。そのまま自分の肩に回し、支えてやる。


「君……」

「かっ、勘違いすんなよ! “一口食べたモロモロドリは骨まで”って言うしな! その小屋までは連れてってやるけど、そこで解散するから! 絶対だから!」

「いや……せっかくだし城まで頼む」

「いきなり図々しいな! 僕にそんな体力があるかよ!」

「そんなことないだろ……。君は竜族の魔物なんだから」

「……」


 その一言に、ネグラは眉間に皺を寄せた。


「……やめろよ。僕はそう言われるのが、一番嫌いなんだ」


 吐き捨てて、一歩足を踏み出す。雪を踏む音が、なんだか耳障りだった。


「僕は落ちこぼれなんだ。飛ぶのも戦うのもできなくて、日がな一日引きこもって人間の道具を分解して遊んでるだけの弱虫だ。……それなのに竜族だからって勝手に決めつけられて、期待されて……挙げ句の果てに、勝手にがっかりされる。ほとほと迷惑してんだ……ずっと」

「……」


 相手が妙な奴だからというのをいい事に、ネグラは一気に言ってのける。

 実際、彼のような非力な者は竜族ヒト型においてとても珍しかった。故にネグラは、故郷の仲間や家族からですら爪弾きにされていたのである。

 加えて、人間の作るものに強く惹かれていた事も大きかったのかもしれない。竜族は原始的で誇り高い種族であり、他種族、特に人の作る道具は力無き者の“逃げ”として忌み嫌っていたからだ。

 そうして仲間であるはずの竜族に虐げられ逃げた先で、とうとう違法魔物売買人の手にかかり――。


 忌まわしい記憶を、ネグラは唇を噛んで終わらせる。ボサボサの頭を振って、また足を踏み出した。


「……ごめん。強く言い過ぎた」

「……いや、そんなことは」

「とにかく、僕もノマンに恨みがあることを思い出したよ。ヒダマリを助けることがノマンの痛手になるんなら、それなりの場所には連れて行ってやる」

「そうか。助かる」


 そう言うと、ヒダマリは遠慮なく肩に体重を預けてきた。流石にそれはやり過ぎだろと文句を言ってやろうとするも、気を失ってぐったりとしたヒダマリの姿に言葉を飲み込む。


「……」


 ――コイツ、このまま死ぬのかな。

 小屋に向けて足を進めながら、ネグラはそんな事を思った。










 薄暗い小屋の中。ネグラは、部屋の真ん中に転がした人間がもぞりと動いたのを察知した。


「……ここは」


 ゆっくりとヒダマリの目が開く。彼の右手が持ち上がり、何やら辺りを探るように動く。

 眼鏡を取って彼の手に握らせてやると、ヒダマリは少し微笑んで顔にかけた。


「助かった。これが無いと殆ど見えないんだ」

「不便だな」

「そうでもない。何故なら眼鏡さえかければ俺は無敵だからだ」

「その理屈はよく分かんねぇけど……」

「で、ここはどこだ?」

「……お前の言ってた例の小屋だよ。今の所追手は来てないから安心していい」

「……君が連れてきてくれたのか」

「他に誰がいるよ」

「今何時だ?」

「知らない。でも、もう夜は更けた」


 簡易な窓越しに見た空は、すっかり闇に染まっていた。

 ヒダマリの怪我は思ったよりずっと深かった。まっすぐヨロ城に向かっていたら、それこそ出血多量で死んでいただろうほどに。

 ……これを忘れるとか、マジでどんな神経してんだろう。いや、皮肉じゃなく、もっとこう痛覚的な意味で。


「……不思議だ」

「何が?」


 眼鏡をかけたヒダマリは、自分の服をめくってじっくりと手当てされた傷を見ていた。


「俺は結構深い怪我を負っていたはずだ。それなのに、今思ったほどの痛みは残っていない」

「あー……えーと」

「見た所君が対処してくれたようだ。止血以外に何かしてくれたのか?」

「うーん……」


 無意識に自分のツノに触れる。それから、ため息と共に言った。


「……竜族のツノを削ってペースト状にすれば、強力な傷薬になるって知ってる?」

「ああ、竜の妙薬って呼ばれて……ってえぇぇ!?」

「ご、ごめん。魔物の、しかも僕のツノだなんて、嫌だったろうだけどさ。その、死ぬよりはいいかと思って」

「死ぬとかどうとかじゃないだろ! 何してくれてんだ君!」


 くりくりとした目を細め、ヒダマリは歯軋りせんばかりの形相になる。思わぬ怒りを買ったと思いギュッと目を閉じるネグラだったが、ヒダマリはガシリと両肩を掴んできた。


「君はその三本のツノがどんだけ貴重な物か分かってんのか! しかも竜族のツノっつったら二度と再生しない代物だぞ! なんっでそんな大事なものを俺の傷ごときに使ったんだ!!」

「……え?」


 恐る恐る目を開ける。目の前にいたヒダマリの顔は、さっきと同じままだった。


「え、じゃない! ネグラ君は自分の価値に気づいていない! もっと自分の体を大切にすべきだ!」

「いや、お前僕の体めちゃくちゃ実験に使おうとしてたじゃん……」

「俺はいいんだ! 偉いから!」


 良かねぇよ。何様なんだよ。

 しかし呆れるネグラをよそに、ヒダマリは本気で悔しがっている。


「クソッ、もったいねぇ……! 俺の傷がこれぐらいってことは、恐らく使われたツノの量は……! あああチクショウそれだけあったら空間移動装置の更なる小型化も望めたじゃ余った分で成分を調べてアレに活用したりコレに活用したりできたのに……!」

「……。安静にしてろよ。傷開くだろ」

「これが黙っていられるか! あーもうこうなったら仕方ねぇ、俺の傷から妙薬を抉り出して」

「静かにしないとまたツノ削って塗り込むぞ」

「寝ます」


 ネグラの言葉にバタンとヒダマリが倒れた。自分にしては、結構機転のきいたことを言えたらしい。


「……なぁ、ネグラ君」

「何?」


 せめてその辺の藁でもかけてやろうと手を伸ばした時、ぽつりとヒダマリが口を開いた。


「……色々不満はあるけど、その……」

「うん」

「……助けてくれたことには、うん……感謝は、してるからな」

「え? ああ……いや、えーと、それほどでも」


 慣れぬ礼に、最後の最後で言葉選びを間違えた気がする。けれどそれを気にした風も無く、やがてヒダマリから穏やかな寝息が聞こえてきたのだった。

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