19 決着
――生かしておけない。生かしてはならない。
殆ど本能的な恐怖にピィは剣を振り上げ、ヴェイジルの首をへし折ろうとする。けれど一瞬早く、ピィは何者かによって左に引き寄せられた。
バランスを崩した視点から、ピィはようやく自分の死角からヴェイジルの短剣が迫っていたと知る。だがそれは今や、自分を庇ったクレイスに迫っていた。
「避けろ、クレイス!」
思わず叫び、馬鹿力でクレイスを引き倒す。彼が顔に巻いたストールは切り裂かれたものの、ギリギリの所で剣をかわすことができた。
だが、その露わになった顔を見たヴェイジルは目を見開いた。
「なっ……お前は……!」
「ッ!」
次の瞬間、クレイスの姿が消えた。――いや違う。恐ろしい速さでヴェイジルの後ろへと回ったのだ。
クレイスは短剣の刃先をヴェイジルの首に押し当てる。そして、ピィには聞こえぬほどの早口で彼に囁いた。
「引いてください、ヴェイジル軍大臣。これ以上この方を狙うなら、あなたとはいえ見逃せない」
「……やはりそうか。お前はノマンの……」
「口を慎んだ方がよろしいかと。……俺は彼と違って、あなたに寛大ではない」
「……」
ヴェイジルは鼻で笑い、両手を上げる。それと同時に、バリュマの呼んだ応援が部屋に到着した。
「魔王様、今日はここでしまいのようだな」
兵に囲まれてもなお余裕を崩さないヴェイジルを、ピィは険しい顔で睨む。剣を握り直し、構えた。
「しまいなものか。……貴様はここで打ち倒す。貴様が踏みにじった者と、同じ末路を辿らせてやる!」
「同じバケモノ同士じゃないか。仲良くしてほしいものだがな」
「……吾輩はバケモノじゃない。故に貴様とは相容れん」
「頑ななことだな。まあいい」
ヴェイジルの体が僅かに浮き上がる。それが空間転移魔法の前兆だとピィはすぐ察した。
「待て! 逃がすか!」
「そう焦らんでも、お前さんがノマンと敵対し続けるならまた会う日も来るだろうさ。それに……」
最後に、ヴェイジルは恍惚とピィに片微笑(かたほえ)んだ。
「――俺も、魔王様のハラワタを見てみたいよ」
そして男は音もなくかき消えた。残されたのは、怒りに震えるピィと両手を空にしたクレイス。
「……クソッ、逃げられた! おいお前、なんであのまま奴を殺さなかった!?」
「殺しておけば良かった……!」
「何て!?」
ほどけたストールの間から、怨念に満ちた声が漏れる。
「なーにが『魔王様のハラワタを見てみたい』だ……! 次に会ったらそっちのハラワタを引きずり出してくれる……!」
「ちょっ……!? え!? 落ち着け、落ち着け! な!?」
「ハラワタを引きずり出しそれで縄跳びをした後千切りにして廃棄してくれる……!!」
「なんでお前の方が怒ってるんだ! 落ち着け!」
珍しく怒りを表に出すクレイスに驚き、つい宥めてしまったピィである。
しかし、そのやり取りは悲痛な悲鳴に途切れさせられた。
「お父様っ! お父様ーっ!!」
マリリンが父の体にすがりつき、泣き喚いていた。その隣では、どう対処していいか分からないらしいルイモンドが彼女の背を撫でさすっている。……恐らく、あの後すぐにマリリンを庇い、これ以上ヨロ王に攻撃が向かないよう守っていたのだろう。
応援に駆けつけたヨロ兵達の先頭には、バリュマが蒼白な顔で立っていた。部屋の中の惨劇に、あらかたの事情を察したのである。
「……マリリン王女。残念ながら、ヨロ王はもう……」
「いや! いやですわ! 違います、これは、何かの間違いで……!!」
ルイモンドの言葉に、マリリンは何度も首を横に振る。
ヨロ王は、既にこと切れていた。血の気の消えた顔と、投げ出された四肢。そして何より彼の体から流れ出た大量の血が、雄弁にその事実を物語っている。
しかしその血をドレスにや染み込ませてなお、マリリンは現実を受け入れられないようだった。
「マリリン」
その姿が、父を失った自分の後ろ姿と重なった。
ピィはマリリンの元へと歩むと、片膝をつく。
「ヨロ王の体を見せてくれ」
「ピィちゃん……! 嫌! 嫌よ!!」
「マリリン」
ピィは、静かにマリリンに問いかけた。
「……なぁ。もう一度、父に会いたいか?」
「……え?」
「それがどんな姿であってもいいか? ……たとえ人外のものとなっても、マリリンはまた父と言葉を交わしたいか?」
「……ピィちゃん、あなたは何を……」
言いかけて、ピィの表情を見たマリリンが息を呑む。それでピィが何をするのか察した彼女は、ゆっくりと頷いた。
「……うん、分かった。じゃあ、やってみるよ」
できるだけ優しく、言ったつもりだった。笑ってやったつもりだった。でも実際、自分がどんな顔をしていたのかはわからない。
ピィは、ヨロ王の腹の傷に手を当てた。
「ピィさん、何をするんですか」
「……あまり、褒められたことではないのは確かだろうな」
クレイスの問いに、ピィは淡々と答えた。
「――ヨロ王を、我が同胞にするのだ」
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