18 交換条件
兵士の一人が、雄叫びを上げてピィに向かう。その手には身の丈ほどもあろうかという大剣。
だがピィの頭をかち割らんと振り下ろされたそれは、呆気なく素手ではたき落とされた。
「は!?」
「この程度か」
わっとピィが大声を出す。声は風の塊となり、重装の兵士を壁に叩きつけた。
しかし攻撃の手は緩まない。ピィはマリリンを追っていた残りの兵士に向かって右腕を払うと、後方に吹き飛ばした。
間髪入れず呪文を唱え、ヨロ王を囲む兵士らの足元からワラワラと蛇のような黒い影を出現させる。それは戸惑う彼らの体に巻きつくと、全員床に引き倒した。
「――闇の眷属召喚か」
そしてそれは、ヴェイジルとて例外ではない。
「強力だが、莫大な魔力で補わんとすぐに取って食われてしまう。それをここまで操るとは、やはり魔王だな」
漆黒の影に巻きつかれた体を見下ろし、ヴェイジルはため息をついた。
「……ピィさんって……あんなに強かったんですね……」
一方こちらは、カーテンの影から始終を見ていたクレイスである。冷や汗を流し呟く彼に、隣にいるルイモンドは涼しい顔をして答えた。
「そりゃあ魔王ですから。この程度の兵を蹴散らすことぐらい造作もありませんよ」
「そ、そうですか……」
「ふふ、お嫁さんにする気は失せました?」
「いえ、全然」
聞こえた激しめの舌打ちに、当然素知らぬ顔のクレイスであった。
「さあ観念しろ、ヴェイジルとやら!」
そしてピィは、床に転がるヴェイジルに向かって怒鳴り声を上げる。
「貴様では我輩に敵わん! さあ、ヨロを狙った目的やノマンとの関係や情報を洗いざらい吐け! 吾輩に首がもがれる前にな!」
「……いやはや、正直こんなにも早く形勢をひっくり返されるとは想定外だったよ。流石は魔王様だ」
「おべんちゃらは要求していない。聞かれたことにだけ答えろ!」
「しかし何だかなぁ。如何せん甘い、甘過ぎる。何せ誰一人としてうちの部下を殺していないではないか。まったく、長きに渡る泰平のぬるま湯に浸かれば、魔王とて腑抜けに変わってしまうのかね」
「……何?」
ヴェイジルの挑発的な一言に、ピィは眉をひそめる。
立派な口髭の下で、男の血の色の薄い唇がニヤリと歪んだ。
「残念だ。至極残念だよ。俺は残虐非道と名高い魔王に会えるかもと聞いて胸を踊らせてここまで来たんだ。まあ表向きの目的は王もしくは娘の奪取だったが……。ともあれ、こうなれば仕方ない」
「だから、さっきからお前は何を言って……」
「ヨロ王。お前、何故俺がノマンに寝返ったか聞きたがっていたな」
ヴェイジルの三白眼がヨロ王に向けられる。痛みに真っ青な顔をしかめた王は、それでもかろうじて頷いた。
「その答えを教えてやろう。まあ、見ているがいい」
次の瞬間、激しい破裂音と共にヴェイジルの体が弾け飛んだ。
そうとしか思えなかったのだ。ピィの魔法はまだ効力を失っていなかったし、他のミツミル兵も動いた様子は無かったのである。
だが、ピィだけはすぐに何が起こったか気づいた。
「まずい!」
しかし遅かった。
もぬけの殻になった黒い影の先で、真っ赤な血が滴る音がする。続くのは、くぐもった声と液体が吐き落ちる音。
ヨロ王の体は、ヴェイジルの剣に貫かれていた。
「ヨロ……王……!」
「……ッ」
血が、滴る。真っ赤な液体が、床に広がっていく。ヨロ王の手足は、人形のように垂れ下がっている。
「貴様……貴様!!」
真っ白な頭のまま、ピィはヴェイジルを止めようと踏み込んだ。けれどあまりの動揺に魔法が解けたのだろう。自由になったミツミル兵が幾人も行手を阻んできた。
「どけ! どかんと殺すぞ!」
腰に差した剣に手を置く。だが、それを抜く前にミツミル兵の体が崩れ落ちた。
痙攣しながら、信じられないといった顔で振り返ろうとした兵士の視線の先にいたのは――。
「は」
他でもない、薄ら笑いを浮かべたヴェイジルだった。
「な、なんで味方を……!?」
しかしヴェイジルはピィの疑問に答えない。開いた瞳孔で、彼は躊躇いなく右隣の兵士を刺殺する。
「やめろ! 何をしてるんだ!」
ミツミル兵が散り散りになって逃げようとしている。それを追い、剣を振り、最小限の動きでヴェイジルは部下を仕留めていた。
「やめろと言ってるだろ!」
たまりかねたピィは割って入り、剣でヴェイジルの剣を防ぎ止めた。……ミツミル兵を助ける義理なんて無い。彼らはノマン側についた敵だ。そんな事ぐらい百も承知だったが、どうしてもピィにはこの蛮行を見過ごすことができなかったのである。
「味方を殺して何になる!? 何故こんな無意味なことをするんだ!!」
「無意味なものか。これは俺の目的の一つなんだよ」
「敵味方見境なく殺すことがか!?」
「そうさ」
剣が弾かれる。その隙にヴェイジルは自身に迫っていた部下の腹を裂き、血飛沫を全身に浴びた。唖然とするピィの前でヴェイジルは剣にこびりついた血を払い、引きつったように笑う。
「俺はこういう人間なのだ。こういう人間なのだよ。人を殺すことが俺の癒しにて享楽、かつ唯一絶対の救済。まさに殺戮こそ、俺の祈りなのだ」
「……は……? お前、何訳のわからないことを……?」
「お前には分からんだろうなぁ。一週間血を見ないと頭が割れそうに痛むこの身など。手足が凍ったように痺れ、吐き気を患うこの身など。引きずり出されたハラワタを見れば頬ずりし、倒れ伏した魔物の脳を踏みつけざるを得ない呪われたこの身をだ」
返り血にまみれたヴェイジルは、不気味な笑みを浮かべていた。だがその顔は泣いているようにも見えて、彼女はいよいよ理解に苦しんでいた。
「お前……何か妙だぞ……!」
「妙だと? 妙なものか。お前は虫を殺したことは無いのか? あの小さい、羽のついた生き物をだ。見つけて、追いかけて、潰す。そうして笑う赤子をどうして責めることができる? ……俺はそれがすこーし激しいだけなんだ。人を殺せば頭痛がおさまる。魔物を斬れば痺れが取れる。罪人のハラワタが引っ張り出されたのを見れば胸がスッと気持ちよくなるんだ。――俺はそういう人間なんだよ。人を殺さないと、まともに生きることすら叶わないんだ」
「バカな!」
「そしてノマンはそれを知った上で俺を登用した。――殺せば良い。家族も、民も、部下も、敵兵も、魔物も、全て殺してしまえば良いと」
笑いを引っ込めたヴェイジルが、己が殺した兵の死体を踏みつけてピィに歩み寄る。
「なぁ、人を無差別に殺す事を肯定する王がいるか? それを許す王がいるか?」
ヴェイジルは血塗れの指でピィの顎を持ち上げると、にたりと笑った。
「――いたんだよ。だから俺ァ、奴の下についたんだ」
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