16 三つの視点
ルイモンドに乗ったピィとクレイスは、南国境へと到着した。
喉から血が吹き出さんばかりに声を荒げるガルモデの奮闘が多少功を奏したのか、魔物軍の三分の一はノマン兵の元へと向かっている。しかし残りは、未だ勝ち目の無い戦いをゴーレムに挑んでいた。
絵に描いたような混乱と狂乱である。ピィは、ギュッと唇を引き結んだ。
「……読み違えていました」
ピィの後ろで、クレイスが呟く。
「俺は、もっとスムーズに隊列を動かせると思ったのです。しかし実際はそうではなかった」
ドロドロとした魔物がぐちゃりとゴーレムに潰され、雪と同化する。ニャンニャン医療隊が急いで駆けつけ、雪ごと運んでいった。
「“自分が動けなくなるまで撤退をせず、攻撃を続ける”。その特性を知っていれば、俺はこのような作戦変更など提案しなかった」
「おや、いきなり何を言い出したかと思えば。……自惚れもほどほどになさい。この私が新参に策を任せるわけがないでしょう」
ルイモンドの言葉に、ピィは深く頷く。
……そうだ。ルイモンドはこの事態を予期していたからこそ、自分を連れてきたのだ。
「ですが、この状態でとても声が届くとは……!」
「いいから耳を塞いでいなさい。……よし、この辺りでいいでしょう。ピィ、お願いします」
もう一度頷き、足を縮こまらせる。そしてピィは、ルイモンドの真っ白な背の上でゆっくりと立ち上がった。
「……」
バランスを取り、目を閉じる。それから深く大きく息を吸った。
魔法の効能だろうか、通る冷気に喉がひりひりと痛んだ。
ぐっと息を止める。
腹に空気を押し込む。
青い炎が薄く体にまとわりついていく。
「……また、あの火が」
クレイスの呟きを無視し、ピィは目を開いた。
「――全魔物軍、直ちに氷岩の先の人間を殲滅させよ!!!!」
瞬間、眼下の魔物達はピタリと動きを止めた。
その次に轟いたのは、山を震わさんばかりの恐ろしき咆哮。魔物兵達はあれほど執心していたゴーレムの脇をくぐり抜け、こぞって氷岩の先にいる人間を目指し始めた。
ガルモデもそれに続きながら、ルイモンドが飛ぶ空を見上げる。ニィと口角を上げ、ピィに向かって親指を立ててみせた。
「……まさか……!」
呆然としたクレイスから声が漏れる。珍しい反応にピィはなんとなく誇らしくなって、ふふんと胸を張った。
「吾輩は魔王なのだ。これぐらいできなくてどうする」
「いや……それでも、これは……!」
「ふふふふん」
「こらこら二人とも、無駄話をしている暇はありませんよ」
ルイモンドが翼を羽ばたかせて高度を上げる。立っていたピィは、慌てて彼の背にしがみついた。
「それもそうだな。すまんがルイモンド、急ぎヨロ城へ帰ってくれ」
「ええ、分かりました」
「あ……じゃあルイモンド参謀長、俺はここで降ろしてくれませんか。俺も前線で戦ってきます」
「そんなつれない事をおっしゃらないでくださいよ、クレイス殿。降りる時間も勿体ないことですし、もう少し空の旅を楽しみましょう」
「ルイモンド参謀長、恐れながら悪意が透けて見えているのですが」
「ピィもいますし」
「隠す気もないですね?」
二人のやりとりに、ピィは首を傾げる。……なんだか、なんというか……。
「……お前ら、吾輩がいない内にだいぶ仲良くなったな?」
「ええ。今後時々、彼を背に乗せてできるだけ高く速く飛んであげようと思います。ね? クレイス殿」
「ルイモンド参謀長、それなんて言うか知ってます? イビリって言うんですよ、イビリ」
仲が良いのは何よりである。
妙に機嫌の良いルイモンドの背に乗り、妙に口数の少ないクレイスと共に、ピィは城への帰還を急いだのであった。
一方ヨロ城の大広間は、ニャグ医療長の指揮のもと病院へと様変わりしていた。
「にゃあああああああ! だから敷物はちょっとずつ離して置けと何度言ったら分かるのじゃ! 魔物と人間は違うのじゃぞ! 尻尾が隣のヤツに当たったらどうする!?」
「は、はい! すいません猫ちゃん!」
「ニャグ医療長と呼べ! 若造にちゃん付けで呼ばれるなんて虫唾が走るわい! ぬぅぅ、そこっ! 順番が違うじゃろがい!」
「すいません!」
しゃがれた声を張り上げて、ニャグ医療長が城の使用人達を働かせている。異様過ぎる事態に直面すると、逆に従順になるものなのだろうか。反論もせず、使用人達はキビキビと動いていた。
だが休む暇も無く、次々と患者は運ばれてくる。
「ニャンニャン医療隊、到着したにゃー! 負傷者二名! 蛇族は下腹部を潰されてて輸血と回復促進魔法が必要にゃ! スライム族は雪と一緒くたになっちゃってるから分離魔法と再形成魔法が必要にゃー!」
「ご苦労! さぁ、ニョロチリュはあっちの布ベッド! スリャーリンはバケツに流しておくのじゃ!」
「にゃー!!」
だが、何せ魔物は数も種類も多い。殆ど一匹で治療にあたるニャグ医療長は、汗を拭っては時折腰を叩いていた。
「――ニャグ医療長様。よろしければ、その呪文を私に教えてくださいませんか」
そんな彼に声をかけたのは、ヨロ兵治療の為に派遣されていたマリア王妃である。
ニャグは猫目をパチクリとさせると、首を傾けた。
「や、しかし……人間の身で対魔物回復魔法を覚えるのは大変じゃぞい。魔力の相性が悪ければ体も悪くすると聞くし……」
「二つ三つ覚えることならできますでしょう。そして覚えてさえしまえば、その分は私が担当できます」
「だが……」
「……ヨロ軍兵士担当である私の手が空いているのは、国境で持ち堪えてくださった魔物軍のお陰です。我が国の為に体を張ってくれた方々に、王妃として恩返しをしなければ」
「……」
ニャグは、美しい王妃の真摯な表情をまじまじと見つめる。それで彼女が本気なのだと理解して、ピンと髭を張った。
「――あい分かった! しかしワシは厳しいぞい! 早速コイツで実践を始めるが、そうだな……まずは手をかざして、今からワシが言う言葉を繰り返すのじゃ!」
「はい!」
「いくぞ、 うーにゃにゃにゃにゃんにゃ!」
「うーにゃにゃにゃにゃんにゃ!」
トカゲ兵の尻尾が光に包まれる。瞬きする間に、彼の尻尾は元通りくっついていた。
ギョッとするニャグの隣で、王妃は可愛らしく手を叩いてはしゃぐ。
「すごいわすごいわ! あっという間に治ってしまいました!」
「うぬ!? ……う、うまくできたな。しかし、これは簡単な方じゃ。次のコイツは難しいぞ? 分離魔法と再形成魔法を同時にかけねばならぬから……」
「えーと、それでは先程の応用でこれをこうして……うーにゃにゃにゃうんにゃにゃーにゃ! ……まあ! できましたわ! ええ、これでもう私これらの魔法は会得できました! どんどんお頼りくださいませ、ニャグ医療長様!」
「…………」
輝くようなマリア王妃の笑顔と才能に、ニャグ医療長は「にゃうぅ……」とガラにもない呻き声を漏らしたのである。
「ピィちゃん……うまくできたかしら……」
マリリン王女は、ヨロ王と二人玉座の間にて待機していた。すぐに戻ってくるとは信じているが、やはりさっきまでいてくれた友がいなくなると少し不安になってしまう。
「あの魔王殿のことだ。大丈夫だよ」
「……そうですね。私もそう思います」
「いやはや、良い友人ができて良かった。これでマリリンが王位につくことになっても、魔国との国交は心配無いな」
父であるヨロ王に笑いかけられ、マリリンはくすぐったそうに微笑む。
――それでも、自分はお兄様の半分も頼りにならないのだろうけど。
そう思うと、マリリンの胸の内はチクリと疼いた。
「王よ!」
扉の向こうから、一人の兵士の声が聞こえる。
「どうした」
「王が先日救援要請したミツミル国より、ヴェイジル=プラチナバーグ軍大臣がお越しになりました!」
「む、そうか。すぐに通してくれ」
王に頼まれ、マリリンは父の座る車椅子を扉の前まで押す。
やがて扉が開き、立派な口髭をたくわえた筋肉質な男が部屋に入ってきた。堂々としたその歩みに重装備の部下が数名が続く。病でガリガリに痩せ細ったヨロ王より断然貫禄があるヴェイジルは、王の前に立つと丁寧に頭を下げた。
「ミツミル国軍大臣ヴェイジル=プラチナバーグです。このたびは御国がノマン王国と戦争をするに辺り、応援の要請に応え馳せ参じました」
「ああ、ありがとう。ミツミルといえば、かつては戦士の国と呼ばれたほどの国。味方についてくれれば実に心強い」
「お褒めに預かり光栄です」
「ところで、此度もミツミル国王は不在かね」
ヨロ王の問いに、ヴェイジルは渋い顔で頷く。
「ええ。病が重く、床から起きることも叶いません」
「無念なことだ。彼とはもう長く顔を見ていないよ。嫌がる私に剣の試合を申し込んでくるほど、昔は元気だったというのに――」
「王! ご報告があります!!」
突然、扉が開いて兵士が飛び込んできた。その兵士はその場にいる男を見るなり、息を呑んで剣を構える。
唐突な無礼に、ヨロ王は声を張り上げた。
「どうした、バリュマ! 彼は軍大臣ヴェイジル、ミツミル国からの応援であるぞ!」
「いいえ、違います! コイツ……コイツは……!」
バリュマはキッとヴェイジルを睨み付ける。
「お逃げください、王! ヴェイジル軍大臣はミツミル国王を裏切り、既にノマン側についております!」
「……な……!?」
「おや、もうバレてしまったのか」
「ここは私が時間を稼ぎますから、今の内にマリリン様と――!」
ヴェイジルは邪悪な笑みを浮かべ、右手を上げる。部下が一斉にバリュマへと飛びかかった。
「バリュマさん!」
マリリンの悲鳴が響く。その少し前に、彼女の手元の車椅子は空になっていた。
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