13 悪夢と会話
魔国とヨロが、ノマンに狙われる理由――宝珠。それは強大な力を持ち、全て集めれば世界征服すら成し遂げられるという。
……一度も聞いたことないぞ、そんなもん。
しかしこんな日に限って、ルイモンドやガルモデ、果てはクレイスまで捕まらないのである。ならばこれ以上考えるだけ時間の無駄で、こういう時は早く寝るに限る。
ピィは、ヨロ城の客間にてケダマと共に微睡んでいた。
猫のお腹のようなふわふわを撫でていると、毛羽立った心も落ち着いてくる。みょーみょー鳴くケダマの声を子守唄に、ピィは眠りに落ちていった。
だが、落ちた先は悪夢であった。
気がつくとピィは、骨と皮ばかりの薄汚れた女の子をじっと見下ろしていた。……どんな過酷が、幼い彼女の身に振りかかったというのだろう。月の色をした髪は所々引きちぎられ、赤い瞳の覗く目は殴打に潰れかけている。冷たい石の床に投げ出した手足は、隙間も無いほど傷だらけだ。
けれどそんな状態にも関わらず、彼女はよろよろと頭を持ち上げた。そして、今にも折れてしまいそうな細い腕を光に向けて伸ばす。
それを掴んだのは、彼女より少し大きな手。
――そうだ。あの手は、一体誰のものだったか。
ところがその姿を確認する前に、青い光と共に場面が暗転する。かと思うと、視界いっぱいに毛むくじゃらの笑顔が映った。
男は、明るくうるさい声で畳みかける。「子供がこんな所にいちゃいけない」「さぁもう大丈夫」「笑ってごらん」と。
夢とは思えないほど鮮やかに、父が自分に向かって笑いかけている。懐かしい記憶に、胸の奥にしまっていた悲しみが喉元まで突き上げてきた。
……ああ、ダメだ。やめろ。泣くな。泣くんじゃない。
二度と涙を流すまい。父が死んだ時に、自分はそう決めたのに。
最後の最後まで誇り高くありたいのなら。負けたくないのなら。
不条理への怒りを、燃やし続けると決めたのなら。
――ふと、誰かが自分の手を握った。
「……?」
目を開ける。まだぼんやりとする頭で辺りを見回すと、黒い人影が自分の手を握っていた。
……父さん?
違う、まさかそんなはずはない。ならばこれは、誰の――。
「……」
「あ、起きましたかピィさん」
「……何してるんだミイラマン」
「いやだなぁ、今はクレイスですよ」
毎度お馴染み、現ストーカーの元勇者であった。
いやおかしいだろ! 二度も魔王の寝室に忍び込むとか倫理観どうなってんだ! いい加減にしろ!
怒り心頭のピィであったが、やはりクレイスはケロリとしたものである。
「何故と言われましたら、泣いている声が聞こえたもので」
「泣いている!? 吾輩が!? 馬鹿を言うな、すぐに出て行け!」
「おや、そうですか。ではおやすみなさい」
あっさりとピィの手を離し、クレイスは立ち上がった。薄暗い部屋。窓から差し込んだ月明かりに、怜悧な青年の姿が浮かぶ。
「……お前」
そんなどことなく幻想的な絵になる光景に、つい口を滑らせてしまったのだろうか。まだ眠気を取り払い切れていなかったピィは、小さな声で言ったのである。
「……色々、助かったよ」
その言葉に、クレイスの足がピタリと止まる。と思った次の瞬間、またヤツの顔が眼前まで迫っていた。
「っぎゃーーーーっ!! またしてもお前! またしても!!」
「なんですか何のお礼ですかもしかして俺好感度上がってるんですか」
「上がってない! 上がってたとしても今絶賛急降下中だバカ!」
「何故!?」
「当然だろ!?」
クレイスを引き離し、ついでに十分な距離も取る。その際コロコロとベッドから落ちかけたケダマを掴み、枕のそばに戻した。
両手を前に突き出し、適度なディスタンスを維持してピィは言う。
「……いや、な。なんだかんだで、こうしてヨロ国と協力関係を築けたのは、お前のお陰だと思って。うん」
「なんだ、その件ですか」
「それ以外に無いだろ」
「構いませんよ。俺は前魔王様の実績と魔物軍の強さ、何よりピィさんの人柄に乗っかっただけです。さほどの事はしてません」
「謙遜するなよ、千枚舌。お前の言が無ければ、こうしてヨロ国に住む者を知る事は無かった。……マリリンを始めるとするヨロ王や王妃、そしてその家臣や国民。誰一人顔も名前も知らず、吾輩は己の目的の為に彼らを滅ぼしていただろう」
「……戦争とはそういうものですよ。個人を殺すのではなく、その国の民を減らす。民草を削るのは国力を削るのと同義ですから」
「ああ、ヨロを知る前の自分であればその弁に納得できたのだろうな」
だが、今は違う。
そう呟いて、ピィはベッドのふちに座り直す。彼女の表情は夜の闇に紛れ、赤い目と月の光に似た色の髪が光っていた。
「今の吾輩は、ヨロの人間を知った。知れば尚更、奪うことに抵抗がある。……その、世界征服を諦めたわけじゃないんだがな。ただ、他の国を制圧したとしても、ヨロとは対等な関係でうまくやっていきたいんだ」
「それは……何とも甘い考えと言わざるを得ませんがね」
「王が理想を掲げて何が悪い? お前の言葉を借りるなら、今後も互いを利用し合うだけだ。どちらかが不平等にならぬよう、互いに目を光らせてな」
「……」
クレイスはうつむき、黙り込む。……もしやヨロと戦争をしたかったのかと勘繰ったが、どうもそうではないらしい。
彼は、単純に戸惑っているようだった。
「……俺は、ピィさんの望み通りに動けたのならそれで満足です」
だがクレイスは本音を言わず、首を横に振ってそう言った。
「それでは、今後もヨロとの友好関係を維持できるよう俺も尽力しましょう。ですが上手くいく可能性は低いですよ? 俺ができるのはその場しのぎの言いくるめだけです。……人間の持つ魔物への固定観念は根深い。それに太刀打ちできるとは思えません」
「構わないよ。いずれにしても魔物と人間は同じじゃない。決定的に違うんだ」
「ええ」
「だが違っていても、手は握れるだろ?」
ピィは、浮かぬ顔のクレイスにヒラヒラと右手を振ってみせる。
「相手の手を握り潰さぬ力加減で、爪を立てぬよう触れ合う。交流とは、つまりこういうことじゃないかと吾輩は思うんだ」
「……」
「お前の懸念は分かるよ。……確かにメラメラジャンボ族の鍵爪は燃え盛っているから、どう気を遣っても握手自体できないと……」
「いや、そんな特殊な揚げ足を取ろうとは思いませんが」
「うん? そうか」
あくびを一つする。……そろそろ、眠たくなってきた。明日ノマンが攻めてくるかもしれないのだ。眠れる時に寝ておかねばならないだろう。
ピィは話を切り上げようと、クレイスを見上げた。
「なあ、マリリンはいい奴だろう」
「……ええ」
「最初こそ敵意を向けられはしたが、今の彼女は魔物である吾輩を友と呼び、気安くしてくれる。お前の言う通り甘い話だが、そんなマリリンともう仲違いをしたくないんだ。……彼女を知れたのも、そうならなくて済んだのも、お前の力による所が大きい。だから吾輩は、お前を労いたいんだよ」
「……そうですか」
「そうだ」
「でしたら、ありがたく頂戴しておきます」
「うむ」
「……」
「……」
「……」
「……もうー、なんなんだよ、お前!」
らしくないクレイスに、とうとうピィは我慢の限界を迎えた。こちらからクレイスに詰め寄り、片手で胸倉を掴む。
「なんだよ、そのシケた顔は! 元気出せ! さてはお前、魔王じきじきに労ってやったのが気に食わないのか!?」
「べ、別にそういうわけでは」
「なら喜べ!」
「喜べ?」
「あ、やり方が分からんのか? じゃあ吾輩が直々に教えてやる! ほら、両手を挙げてみろ」
「え、は、はい」
「せーの、わーい!」
「わーい」
「よし!!」
クレイスに万歳をさせ、ピィはようやく満足した。
……後から思えば、何が「よし」か全く分からないのだが。けれどこの時のピィはもう眠いし面倒くさいしで、その辺りどうでも良くなっていたのである。
やりたい事をやったピィは、ベッドの上でふんぞりかえった。
「お前、明日はガルモデと国境を守るんだったな? じゃあもう早く自室に戻って寝て英気を養え」
「は、はい……」
「一応言っておくが、死ぬんじゃないぞ。ノマンを追い返したら次は、お前が吾輩の婚約者って誤解を解いて回らなきゃいけないんだから」
「……!」
「な、なんだよ」
突然水をぶっかけられたかのように目をパチパチとするクレイスに、ピィはたじろぐ。だが、すぐに彼は目を伏せた。
「いえ、なんでもありません。……そうですね、早く婚約者からその先に進まねば。俺もピィさんの花嫁姿を隣で見て可愛い子供を授かり育て貴女と手を繋いで天寿を全うするまで死ぬわけにはいきません」
「また一息で言ったコイツほんと怖い。吾輩そんな人生設計聞いてないんだが」
「今言いましたからね」
「言われた所でだな」
ツッコむと、クレイスはふふふと表情を崩した。
――それがあまりにも不意打ちで、あまりにも自然な笑みだったからだろうか。無防備だったピィは、不覚にもドキリとしてしまった。
だが慌てて振り払うように腕をバタバタとし、顔を背ける。
「……と、とにかく、今日はもう寝ろ! 帰れ!」
「ええ。今晩はお付き合いいただき、ありがとうございました」
「ああ、はいはい!」
クレイスは背を向け、ピィの部屋を後にしようとしる。それをなんとなく眺めていたピィだったが、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「……そういえば、お前こんな時間に廊下で何をしてたんだ?」
「おやすみなさい、愛しい人。寝る前にお会いできて良かったです」
「おいコラ誤魔化すな」
……やはり、まだまだ気を許せない奴ではあるか。
ともあれ眠気には勝てず、ピィはすぐに布団に潜り込んだのである。
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