11 魔物の国と人間の国

 そのノマン王国軍部隊長にとって、今日という日は類稀な厄日となったことだろう。


「なんだ!? あれは人間じゃなかったのか!?」


 周囲に全身の赤毛を逆立てた大犬が、先頭の兵士を薙ぎ払う。あまりの速さに為す術もなく、彼らは容易く地面に倒された。


「な……何をしている! 援護だ、援護をしろ!」

「ハッ!」


 部下に怒号を飛ばし、剣を構えさせる。部下らは魔力を剣に纏わせ、味方をポイポイ放り投げる大犬の魔物に一歩踏み出そうとしたが――。


「ガルさん!」


 突然皮膚を裂くような風が吹き荒れ、彼らは剣を取り落とした。顔を上げると、空を覆わんばかりに白銀の翼を広げた美しい大鷲がこちらを見下ろしている。

 ――ああそうだ、一体ではないのだ。先ほど見た人間らしき影は、二体あったではないか。

 愕然としていると、大鷲の魔物は再び翼を羽ばたかせ風の渦を作り始めた。渦は一人また一人とノマン兵の体を持ち上げ、空中を舞わせる。

 残酷なまでの力差。そして、大犬の魔物と大鷲の魔物。まさか、彼らは魔物軍の――!


「う、うわああああああ!!」


 錯乱の為か恐怖の為か、部下の一人が隊列から抜け出した。だが幸運にも彼は魔物二体をすり抜け、崖に囲まれたノマン国への国境へと走っていく。

 ――しめた、ここで彼に続けば突破できるやもしれぬ。魔物とはいえ、せいぜい運悪く鉢合わせした程度のもの。一度ヨロ国に入ってしまえば、そこからは追って来ないだろう。

 そしてヨロに入れば、“ポイント”も設置することができる。そうなればそこから応援も呼べるのだ。


「続け! 今がチャンスだ! あの兵士に続け!!」

「みょーーーーーーーーーっ!!」


 だがその目論見も、呆気なく絶たれてしまう。奇妙な鳴き声と共に突如現れた巨大なピンクのモフモフが道を塞ぎ、兵士を絡めとったのである。


「なんだアレ!?」

「みょみょっ!」

「なんだお前!?」

「みょっ!」


 ……答えてくれているのかもしれないが、何を言っているのかがさっぱり分からない。しかし、これまでの魔物の動きから明確に推測できることが一つだけあった。


「……バカな……! 魔物が……ヨロを守っているといるだと……!?」


 それは、ノマン軍の部隊長にとって衝撃的な事実だった。他国に比べ兵力に劣るヨロである。現状窮地に追い込まれているとは知っていたが、それでもまさか魔国などと手を組むなんて。

 とにかくこのままでは分が悪い。こちらはヨロを脅しに来ただけで、魔物と戦う準備などしていないのだ。


「お前ら! 撤退! 撤退だ! 引くぞ!!」


 今は一秒でも早く司令官に報告し、策を練り直さねばならない。

 部隊長は命からがら、部下を連れてその場から引き上げたのだった。











「――やってしまったものは仕方ない」


 残り少ない寿命を更に消耗させた顔をして、ヨロ王は言った。


「もうこうなれば、変に隠し立てをする方が国民の不信を招きかねないだろう。しからば魔国と手を組むと公にし、民に飲んでもらわねばならない。魔王よ、その際あなたからも我が国民に言葉をいただきたいのだが……」

「う、うむ、心得た。魔物は全然怖くないぞと、そう言えばいいのかな」

「ああそうだな、その言い方だと幼い子にも分かりやすくていいな……」


 褒められたのか貶されたのか、よく分からない。だがここで不平を言いヨロ王を困らせるのも悪い気がして、ピィは黙っていた。

 それより、と彼女はクレイスに目を向ける。ヨロ王ほどではないが、心無しか彼も意気消沈していたのだ。


「おい大丈夫か。なんで落ち込んでんだお前」

「……普通、魔王の指示も無いのに動くか……? 相手はノマンだぞ……? しかも魔王がヨロと話し合っている最中に……。まさかここまで魔物が思い通りにならないとは……」

「何? 何をぶつぶつ言っておる?」

「なんでもありません……」

「なんでもないボヤキ量じゃなかったと思うが」


 まぁ、なんでもないならいいか。

 クレイスを放置することにしたピィは、手早くルイモンドとガルモデに状況を説明する。そうして二人に協力を了承させると、ヨロ王に向き直った。


「では王よ。次にノマンが攻めてくる前に我々は諸々の体制を整えねばならぬ。存じておるだろうが、魔物は力が強くて丈夫だが小難しいことはできない。以上を踏まえた上で、我が部下の助力をどこに求める?」

「そ、そうだな……。例えば、国境周辺の警備にあたってもらうのはどうだろう。まあその為には駐屯地を作る必要があるが、物資などは……」

「ああ、物資は気にしなくていい。魔国の城とヨロは半日で行って帰ってこれるんだ、適当に随時運んでくる」

「そうか、半日で行って帰って……は、半日!?」

「おいおいピィよ、忘れてんじゃねぇ。駐屯地っつったら条件が必要だろ? 穴がねぇと落ちつかねぇ奴、木がねぇと泣き出す奴、三時間に一回水を浴びねぇと生きられねぇ奴がいんだから」

「おおガルモデ、そうだったな。すまんヨロ王、穴が掘れる地面と木と水場と岩場があって、風がよく吹く場所はないか?」

「……ううむ……いくつか候補を……見繕わねばならんな……」


 げっそりとするヨロ王である。片や、マリリン王女とルイモンドの対話は穏やかなものであった。


「魔物と人間が同盟を結ぶのであれば、ルールを決めねばなりませんね。細かいものはおいおい決めますが、取り急ぎマリリン王女から魔国への要望などはありませんか」

「ええ、そうですね……」


 マリリンは眼鏡のつるを摘んで掛け直し、言う。


「……大部分の魔物さんが良い方だろうとは思うのですが、やはり恐怖は根深いもの。故に本当に申し訳ないのですが、ヨロ国に入る魔物さんはこれをつけていただきたいのです」

「これは……魔力を放出できなくなる腕輪ですか」

「はい。目に見える形で示していただければ、民も安心しますので」

「承知しました。ですが魔力を出せなくなったからといって元々の力が抑えられたわけではないので、その点だけ御留意を」

「もちろんです」

「ああ、そうだ。うちが腕輪をつけるというなら、ぜひあなたがたにも……」


 こうして、とんとん拍子に魔物がヨロ国へと出入りできるようになったのである。

 その後超特急で魔国の城に戻ったピィはすぐに魔物軍を集めると、その前で弁舌を振るった。


「――そういうわけで、ヨロ国の人間と協力することになったぞ! お前ら、これからは隣国の民と仲良くするんだぞ!」

「マジか! なんで人間なんですか!?」

「バカ、遠出するなら非常食が必要だろ!」

「魔王様あったまいい! 人間なら歩けるし、荷物になりそうなら食べちまえばいいですもんね!」

「食べるでない! いいか、お前ら! “人間を食べない”、“人間を襲わない”、“人間から奪わない”! ヨロ国の人間とは協力をするんだ! この三つを守って、決して危害を加えてはならぬ!」

「えええ覚えることいっぱいあるじゃん!」

「難しいよぅピィちゃん!」

「皆の者、頑張るのだ! ヨロ国もノマンを敵国としている! だから仲間に入れてやり、共にノマンを撃破するのだ!」

「で、でも、オレたちヨロの人間もノマンの人間も同じに見えますぜ」

「難しいよぅ!」

「じゃあこれだけ覚えとけ! ヨロの国民には目印にこの腕章をつけさせておいた! これをつけてる奴は襲っちゃダメ! 良いな!?」

「む、あれか?」

「アレつけてたら優しくしてやるんだな!」

「分かったー!」

「なぁなぁ魔王様! 腕章つけてない人間なら食べていい!?」

「それは………まあ………いいぞ!」

「わーい!」


 ――絶対に、ヨロの国民に腕章を外させてはならない。この集会の後ピィはマリリンの元へ飛んでいき、強く強くそう念押ししたのであった。

 そしてそうこうしている内に、あっという間に三週間が経過したのである。


「――恐らく、次の侵攻は一ヶ月半後だろう」


 一番最初の会議の際、ヨロ王は言った。


「ノマン王国の位置。兵の数。魔物に対する準備期間。それら諸々を踏まえれば、この時期になると予想される」

「遅いな。魔物軍なら二週間もかからんと思うが……」

「そこは魔国がおかしいんですよ」


 クレイスにツッコまれたのだけが、何だか腹立たしかった。

 それでも、この三週間はつつがなくやってきたのだ。特に魔物と人の衝突も無く……。

 あ、嘘だった。ごめん。あったわ。


「な、なんだお前らは!」


 あれは、二週間ほど前のこと。ノマンによって滅ぼされた村の様子を見に来た老人は、わらわらといた魔物らに腰を抜かさんばかりに驚いた。


「なんだお前らとはなんだお前!」

「あー! マツやん、ダメだぜ! コイツ腕章つけてっから食べちゃダメだ!」

「食べねぇよ人間なんて! オメェと一緒にすんな!」

「オレも食べたことねぇよぅ!」

「ま、魔物め……! オラの村から出て行け! オラ達から奪えるものなんてもう一つもねぇぞ!」


 丸腰で怒鳴る村人に、魔物達は顔を見合わせる。

 ……いつもの彼らであれば、攻撃された折に反撃して黙らせればそれで良かった。だがこうして殴られもせず訴えられるだけというパターンは、初めてだったのである。


「……オレたちゃ、ここを壊しにきたんじゃねぇよ」


 そしてちょっとだけ話し合った結果、魔物達はこの人間に言い返そうと決めた。


「実はこの国、オレ達にとっちゃ結構寒くてさ。暖かい場所ねぇかなって探してたら、この巣を見つけたんだ」

「巣!? オラ達の村を巣呼ばわり!?」

「んでさ、ちょっと直したら使えそうだったから、みんなで修理してたんだよ」

「そうだそうだ! オレたちゃオメェらの村って知らなかったんだよぅ! そんな怒るなよぅ!」

「つーかそんなに大事なら直せよぅ! 放っといてやるなよぅ!」

「おーい、こっちの巣は直したぜ……ってうわああああ! 人間だぁぁぁぁぁ!!?」

「……」


 こうして、もう少し村人と魔物は話し合うことになったのである。この三時間後、男は魔物と共に木材や土を運んでおり、更に三日後には他の村人も修理に加わっていた。そして魔物らは、専用の巣を作ってもらい、同盟を組んでいる間だけ村に住む許可を貰ったのである。

 なんだかんだで、部下もうまくやっていたのだ。

 だがそんな平和も、あくまでいっときのものであった。


「――何? ルイモンド、それは本当か?」


 ヨロ城にて、ピィがマリリンとお茶をしていた時。ルイモンドが、息を切らせて彼女らの前に現れた。


「はい、私の“目”に間違いはありません」

「しかし……おかしいだろ。ただの人間にそんなことができるわけが」

「ええ……ヨロの技術を使ったのでしょう。ヨロからの人質達に、それを開発させたのです」


 マリリンが、音を立ててカップを置いた。その指はカタカタと震えている。


「……空間転移装置」


 ルイモンドは、断言した。


「ヨロの技術を得たノマンは、この近くに装置を発動させました。そこを通じ、三日以内にヨロ国に侵攻してくるものと思われます」

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