10 すっかり忘れてた

 クレイスの言う通り、マリリンを拐った犯人はあっさりと見つかった。


「えー、こちらにございますのが何者かが落としたノマン王国の紋章です。何故ヨロにこんなものがあるんでしょうね不思議ですねおっと手が滑って真っ二つに」

「ああああっああああああ!!」


 目の前で自分がスパイである証拠を破かれたと勘違いした兵士は、あっという間に心が折れた。実際は、クレイスが昨日破いた自分の紋章であったというのに。

 ……というか、まだコイツと出会ってから一日しか経ってないんだな。濃すぎて忘れてたわ。


「……バリュマ=シタレードか。人一倍真面目なそなたが、何故このようなことを」

「王よ……! 申し訳……ありませんでした……!」


 ヨロ王の前にひれ伏し、兵士は涙ながらに許しを乞う。


「マリリン王女を危険に晒した身です、どんな罰だろうと受けます! ですが……どうか、私がスパイであった事だけは公表しないでいただけませんか……!」

「理由を聞こう。申してみよ」

「……私のたった一人の家族である姉が、今ノマンに人質に取られているのです。彼女は研究者です。利用価値の面からはすぐには殺されないかもしません。けれど、もし私がヨロ側につくようであれば覚悟しておけと……!」

「……ふむ、やはりそうか」


 この陳述に、ヨロ王は険しい顔をした。

 「ヨロを裏切る兵士がいるとは思えない」と言う彼と、「少し力を入れただけで縄は千切れ、良いタイミングで外で騒ぎが起きうまく逃げられた」と言ったマリリン。二人の言葉から、「マリリン王女が逃げた時に城にいなかった兵士。かつノマンに囚われた人質の中に家族がいる者が犯人だろう」とクレイスは推理したのである。犯人は、きっとマリリン王女を助け出そうと騒いだに違いないと。

 結果、それはものの見事に的中した。


「……面を上げよ、バリュマ」


 ヨロ王は、穏やかな声で告げる。


「まずは、そなたに詫びなければならない。ノマンの思惑に気づかず、そなたにとってただ一人の家族を奪ってしまったことを。ノマンに脅しされた苦しみに気づけなかったことを。……確かに、その為にマリリンは恐ろしい思いをしたが……」

「お父様、私なら全然平気でしたわ! すぐに逃げることができましたし、魔王様にも助けていただきましたもの! バリュマさんのことを恨みに思う気持ちなど一片もございません!」

「……この通りだ。マリリンに遺恨が無いのなら、これ以上そなたを苦しめる必要は無い。私は、一刻も早くノマンに人質に取られている我が国の民を奪い返すことを約束する。無論そなたがスパイであったことも黙っておこう」

「……ヨロ王……!」


 ヨロ王の寛大に、兵士は泣いて感謝を述べる。

 ……仮にも娘が拐われたというのに、よくそのような判断ができるものである。子など持ったことはないが、もし自分に同じようなことが起ころうものなら怒りに任せて天高く放り投げているかもしれない。

 そう感心する彼女の横で、しかし今回もミイラマンは絶好調であった。


「よし、これで話はまとまりましたね。それではこれからのことを話し合うとしましょう」


 魔物よりも余韻を解さない男により、どんどん話は進んでいく。


「とりあえず、バリュマさんには引き続きスパイ活動に励んでいただきたいのです。ノマンから人質を取り返すには、ノマンの情報を得なければならない。いわゆるダブルスパイというヤツですね」

「え!? で、ですが私の紋章は先ほど真っ二つにされて……」

「あれはダミーです。騙してすいません。あなたがノマンから預かった紋章はちゃんとロッカーにあります」

「え、ええ!?」

「……バリュマ。苦労をかけるが、どうかやりきって欲しい。しかし決して深追いはするなよ。危険だと思ったらすぐに逃げるのだ」

「ヨロ王……いえ、やらせていただきます。これぐらいでは、罪滅ぼしにもなりませんが……」


 心苦しそうに目を伏せたバリュマだったが、すぐにハッと顔を上げた。その色は蒼白で、焦燥に落ち着きを失くしている。


「す、すいません、忘れておりました! 実は今、マリリン王女を拐ったと聞いたノマンが、兵を率いてこちらに向かっているのです!」

「なんだと!?」

「と、とはいっても、マリリン王女を盾に何らかの交渉をしようとするのが狙いなので、そこまで数は多くないと聞いているのですが……!」

「くっ、そうか……! いや、まだ数が少ないのであれば国境で撃退できるだろう。バリュマ、すぐにこのことを軍に知らせ……!」

「ああああーっ!」


 次から次へと事が起こるものである。若干聞き慣れてきた悲鳴の主は、マリリンであった。


「わ、私忘れてました……っ! すっかり忘れておりましたのっ!」

「どうした、マリリン。今度は何を忘れていたのだ」

「あの、その……!」


 慌てふためくマリリンは、頬に両手を当てて窓の外を見る。


「……国境で待っていてくださる、魔王様の御家臣様のこと……!」

「あ」

「あ」


 沈黙。

 ……マリリンだけでない。ピィとクレイスも、彼らのことを綺麗に忘れていたのである。


「……」

「……」


 胸から時計を引っ張り出して確認する。約束の三時間は、とっくに過ぎていた。


「……ヨロ王」

「なんだい、魔王」

「今の内に、謝っておこうと思う」

「ほ、ほう?」


 沈黙のお陰で、外の喧騒がよく聞こえる。ぎゃーぎゃーと言い争う声と、ドタドタと大勢の者が迫る足音。


「……我が魔物軍が、ヨロ国側についたこと……」


 謁見の間の扉がバタンと開かれた。


「多分、ノマンにバレた」

「ピィーッ! 大丈夫ですかピィーッ!」

「もう三時間経ったから来たぞー。オイやっぱり無事じゃねぇか」

「みょみょみょ! みょみょみょ!」

「王、申し訳ありません! 魔物の侵入を防ぐことができませんでした! ですが彼ら、攻めてきたノマンの兵も蹴散らしたようで……!」

「ピィ、少し痩せました!? メルボさんのお弁当を食べてください! 私の分も!」

「ノマンの兵を何人か逃がしちまったから、後で報復に来るかもなぁ。ちょいとこちらも何とかしねぇと」

「みょみょ! みょみょーっ!」

「ヨロ王! 既に国民には魔物の姿を見たという噂で混乱が生じており……!!」

「……」

「その……すまん。本当に」


 混沌とした部屋の中心で、ヨロ王は愛する妻と娘に支えられながら車椅子に崩れていた。

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