3 ミイラマンの狙い

「ピィさん、俺の後ろに」


 彼女のマントから手を離し、庇うように前に出たのはクレイスである。彼は状況を飲み込めず目を白黒させるピィを一度振り返ると、ナイフを構えるマリリンを見下ろした。


「……魔除けナイフですか。近くに魔力を持つものがいれば、それに引き寄せられて勝手にその者の体を裂いてくれる。この国では、昔から対魔物用の護身として扱われてきたアイテムですね」

「……!」

「ですが、命を助けてくれた者に対する態度としてはいかがなものでしょう。そのような服を着ておきながら、性根は恩を仇で返すようなお方ですか」

「くっ……だ、だって仕方ないでしょう!! この方は魔物で……!!」

「なるほど、つまり救ってくれた魔物と自分を狙ってきた人間。この二つが目の前にあったならば、あなたは後者に両手を広げて向かっていくというのですね」

「……! そ、それは……!」

「それがあなたの望みと言うのならば、今一度叶えてあげましょう。……何、一瞬のことですよ。どうかご覚悟だけは済まされますよう」


 クレイスはしゃがみ込み、マリリンに手を近づける。咄嗟にナイフを振りかぶる彼女であったが、呆気なくクレイスの手に弾かれてしまった。

 恐怖に息を飲むマリリン。だがここでようやくショックから立ち直ったピィから、鋭い声が飛んだ。


「お前、何をしているんだ」


 クレイスの動きが止まる。ピィは、彼の肩を掴んでいた。


「何故そんなことをしている。やめろ。今すぐにだ」

「ピィさん……しかし、俺は」

「言い訳はいらん。見ろ。彼女だって怖がっている」

「……」

「やめろ。吾輩の言う事が聞けぬのか」

「……はい、わかりました」


 マリリンから身を離す。そして立ち上がると、クレイスは彼女から距離を置いた。

 可憐なドレス姿の哀れなる女性は、未だピィの前で腰を抜かしてしまっている。けれどその目からは、既にパニックを伴った凶暴性は消えていた。


 が。


 ――問題を収めたはずのピィの視線は、未だクレイスの頭部に釘付けになっていた。


「……」

「……」

「……いや、だからお前、頭のそれ」

「なんのことでしょう」

「なんのことって、その妙な頭」

「はてさてはてさて」


 クレイスは、腕組みをして首を傾げる。その頭部は、長いストールでみっちりとぐるぐる巻きにされていた。

 ……。

 繰り返そう。

 ピィの目の前に立っていたクレイスは、まるで頭部のみミイラに取り憑かれたような、珍妙極まる生物と化していたのである。


「……俺の名前は、ミイラマン」


 別に聞いてない上に、ネーミングセンスが致命的である。


「どうです、マリリン様。これでお分かりいただけたことでしょう。この方は魔物の身でありながら、大変心優しい方……。あなたは今、再び彼女に命を助けられたのです」

「あ、あああ……」


 クレイスことミイラマンの意味不明な挙動は続く。彼は、マリリンに向かって大袈裟に手を広げてみせた。


「ですがこの澄んだ赤き目をご覧なさい。あなたの勘違いですら、寛大なる彼女は許してくださっているのです。そう――我らの王たる、ピィフィル=ミラルバニは」

「ファッ!?」

「え!? ま、魔王……!?」

「ええ。彼女こそ魔国を治める気高き王、魔王なのです」


 ペラペラと秘密をバラしていくスタイルのミイラマンに、ピィはあんぐりと口を開けていた。

 ……何が狙いか分からない。まだ自分にはさっぱり、皆目見当もつかない、のだが。

 マリリンの顔を盗み見る。彼女の瞳は、先ほどの取り乱しぶりが嘘のようにじっとクレイスに向けられていた。


「今回こちらに出向いたのは、以前より友好国と見做していたヨロ国が襲撃されていると聞いた為です。……危ない所でしたね。あと少しピィさんが到着するのが遅れていたら、どうなっていたことか」

「は、はい……」

「ですがあなたは生き延び、今こうして俺と会話する事ができている。……今一度、お名前を伺ってもよろしいですか?」

「……はい。私の名前は、マリリン=ヨロロケルと申します」


 毒気の抜かれた口調で、マリリンは言う。


「ヨロ国を治める王……マリパ=ヨロロケルの第一王女。それが私ですわ」

「お、王女!? お前そんな身分だったのか!?」

「ええ。……ですがノマンの兵士にさらわれてしまい、ここまで連れてこられていたのです。何とか隙をついて逃げ出したまでは良かったのですが……」

「そうだったのか……。それは難儀であったな、マリリン。さぞかし大変な思いをしたことだろう」


 ピィの労いに、丸眼鏡の奥にあるマリリンの目にパッと光が戻った。くりくりとした瞳にピィを映し、花びらのような唇を開く。


「あ……ありがとうございます、魔王様! そんな、一度は命を奪おうとした私に、なんて優しいお言葉を……!」

「や、優しい!? いや、吾輩はただ普通のことを……!」

「ええ、そうです。ノマンは魔国にとっても宿敵たる存在。そのノマンに敵対するヨロ国の姫君を気遣うのは、魔王として当然の振る舞いでしょう」

「まぁ、魔国もノマンを敵と見做しているのですか?」

「はい。……我らの前魔王様は、ノマンによってその命を奪われましたから」


 お前それも知ってたのか。つーか誰から聞いたんだよ。ガルモデか。ガルモデだろうな。

 嫌な顔をするピィだったが、しかしその一言にマリリンはハッと身震いして彼女を見つめた。……聡い王女には、ピィが王として若すぎる理由にすぐ察しがついたらしい。


「だからこそ、我らがヨロに手を貸すのは自明のことなのです。……マリリン王女、これで事情は概ね伝わりましたでしょうか」

「……はい……。ああ魔王様、本当にあなたは、私の国を助けに来てくださったのですね」

「うん? あー……まぁな。そういうことになる」


 というか、今クレイスによってそういうことにされたのだが。

 言葉を濁すピィであったが、マリリンは好きに受け取ったらしい。深く頷くと、腰を上げ雪を払い落とした。


「お話はしかと理解いたしました。魔物はげに恐ろしきものと信じていたこの身ですが、ここまで御心を寄せていただいた今となってはもう違いますわ。このまま恩に報いぬのは、一国の姫としてふさわしい対応ではありません」

「あ、ああ……?」

「魔王様、どうか私めの非礼をお許しくださいませ。そしてぜひ、一度父に会っていただきたいのです。私は事情を説明し、この国の長きに渡る魔国への誤解を解きたくございますわ」

「何、良いのか?」

「ええ。……敵の敵は味方と言います。気の早い話かもしれませんが、敵を同じくする魔国と手を組むのは私とてやぶさかではありません」


 雪のように真っ白なマリリンの手に、自分の手を取られる。二の句を告ぐ暇も無く、マリリンはピィの真っ赤な目を覗き込んだ。


「故に、魔王様。いずれ私はあなたと――魔国との同盟を結ぶことができればと、強く思っております」


 ――ああそうか。クレイスの狙いは、これだったのか。

 またしても上手く取り入って国に侵入する糸口を掴んだ千枚舌の姿を、ピィはマリリンの背中越しに見ていたのだった。

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