2 逃亡者
剣が振り下ろされる。
狙われた右端の兵士は、すんでのところで後ろに飛び退いた。
「な、なんだお前! 王女の護衛か!?」
「いいや、人にしては髪色がおかしい……! 目の色も……!」
「なんとおぞましい! 人ではあり得ない色だ!」
「魔物だ! 魔物がいるぞ!!」
「殺せ!」
兵士らの言葉に、ピィはギリと奥歯を噛み締めた。怒りを滾らせたまま、まずは一番手前にいた兵士の首からもいでやろうと剣を構え直す。
だが、その時であった。
「どっせい!!」
威勢の良い声と共に、ガルモデがかっ飛んできた。そのまま兵士の横っ面を張り倒し雪の中に昏倒させると、ポカンとするピィに荒っぽく吐き捨てる。
「オメェが出るほどのこっちゃねぇ! ここは俺が片付けとくから、後ろの女を助けてやれ!」
「ガ、ガルモデ……」
「チクショウ、どうなってやがる! その魔物も早く殺して……!」
「オイよそ見してんじゃねえぞ!」
「ぎゃああああああ!!」
大きな腕でまとめられた兵士共が、天高く放り投げられた。あ、これもう終わったなと遠い目をするピィであったが、「もっとやったるぜ」とイキイキする部下を見てしまうと何も言えない。暴れたいだけだろお前。
とりあえずすることも無くなったので、彼に言われた通り女性に声をかけてやろうと気持ちを切り替える。
とはいえ相手は兵から追われる身だ。もしかすると、とっくに見えない場所まで逃げているかもしれない。だがそう思いながら振り向いたピィの視界は、突如としていい匂いのする柔らかい塊に奪われてしまった。
「ああああああん! 怖かったですわぁぁーっ!!」
「わぷぅっ!?」
なんだなんだ!? 息ができん!
しかしピィの抵抗虚しく、そのいい匂いの塊はより強く彼女の頭を抱きしめてきた。
「助けてくださってありがとうございます! ああ貴方こそきっと、私の探していた王子様ですのねー!」
「わぷ!?」
「私、マリリンと言いますの! 素敵なお方、どうか貴方のお名前もお聞かせなさって!」
「わぷわぷわぷわぷ!」
「まあどうなさったの!? も、もしや先程の恐ろしい者たちに襲われて怪我をなさったのでは!? 大変! 早くお母様の所に連れて行かないと!」
「わぷーっ!」
状況を把握できないながらも、先に呼吸を確保すべくピィはまとわりつく細腕を引き剥がす。なんとか窒息ギリギリで冷たい空気を胸いっぱいに吸い込めた彼女は、栗色の巻毛が愛らしい丸眼鏡の女性に向かって声を張り上げた。
「何をする、女! この吾輩に無礼を働きおってからに!」
「あら? 貴方、女の子……?」
「そうだ! 見れば分かるだろう!」
「まぁごめんなさい、私ったら……! 体つきだけで殿方だと思ってしまって!」
「貴様よほど首を刎ねられたいようだな?」
……いや、気にしているわけじゃない。決して気にしているわけじゃないが、大変ふくよかな胸部をお持ちの女に言われると、やはりなんとなく腹立たしいものがあるのである。
ピィは女性から少し距離を取ると、乱れた髪を撫でつけた。
「……とにかく、お前を追っていた不届き者どもは吾輩の部下が退治した。マリリンといったか? お前の事情なんざ知らぬが、また追手が来るやもしれん。今の内にとっとと自分の棲み家に戻るがいい」
「ええ、ぜひあなたもご一緒に!」
「何故吾輩が行かないといけないんだ」
「何故って、私を助けてくださったんですもの! ぜひお礼をしたいのですわ!」
「――は?」
まさかのマリリンの提案に、ピィは目を見開いた。マリリンはというと、丸い眼鏡の奥のくりくりとした目を嬉しそうに細めている。
「……お前、吾輩が何者かを知っててそれを言っているのか?」
「え? ええ! 親切な旅の人達でございましょう?」
「いいや、吾輩らは魔物だぞ。ここにいるのは皆、魔国より来たる者だ。ノマンの兵に追われていた故、つい助けたが……」
そう馬鹿正直に言ってしまってから、ピィは「しまった」と額を打った。というのも、曇り一つ無かったマリリンの顔からはみるみるうちに血の気が引いていき、挙句へたりとその場に尻もちをついてしまったのである。
唇はワナワナと震えている。更に後ずさろうとしたのだろうが、雪に手足を取られて思うように進めていなかった。
「お、おい、大丈夫か?」
「あ……あああっ! ち……近寄らないでくださいまし!」
「落ち着け。別に吾輩は、お前に危害を加えるつもりなど……」
「そ、そ、そんな……あの者達だけでなく魔物までヨロ国に!? あああ、ああ、ど、ど、ど、どうしましょう、どうしましょう……!!」
「聞け! だから吾輩は……!」
「な、何を仰ろうと聞けませんわ! どうせあなた方も私をさらい、人質に取るつもりなのでしょう!?」
「んんん!? いや、そんなことは……!」
「嘘おっしゃい! あああ、ああ、も、もう逃げられないわ! そんな、そんな! せっかくここまで振り切ってきたのに……!!」
宥めるピィの言葉も聞かず、パニックに陥ったマリリンは両手で顔を押さえて激しく頭を横に振っている。
一応魔物の身なので、人間のこういった反応自体には慣れているピィだ。けれど今ここで彼女を見捨ててはまた兵士が来るかもしれないし、何よりこの極寒である。お人好しの魔王には、見るからに薄着のマリリンを放っておくのは気が引けたのだ。
せめて襲う意志の無いことを分かってもらえればと説得する彼女であるが、雪にうずくまるマリリンには何の声も届かない。
「こ、こ、ここで死んでは、お兄様が……蔵書の転写が……! あああ、でも、でも……!」
「だから何もしないと言ってるだろ! ……ああもう分かった! じゃあ吾輩ここで逆立ちしてるから、お前その間にもっかい逃げろ! な!? これで吾輩はお前に手出しできんだろ!?」
「思えばいつも、私はお兄様に助けられてばかりで……! 私は……私は……!」
「おい、聞いているのか!? クソッ、地面が雪だと逆立ちし辛いな……!」
「……そ、そうですわ。こんな所で私が足手まといになるぐらいでしたら、いっそのこと……」
そして、急にマリリンは黙り込んでしまった。
……疲れたのだろうか? 不審に思い逆立ちをやめて声をかけようとするピィだったが、突然何者かに後ろから強く引っ張られる。
――間一髪であった。つい今し方まで彼女の眼球があった位置に、鋭いナイフの刃先が突き付けられていたのである。
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