第2章 魔王、出会う

1 ヨロ国

「それじゃあ夕飯までには帰ってくるんだよ! メシが余っちまうからねぇ!」

「ありがとう、メルボおばさん! 行ってくる!」


 全身触手型の魔物であるメルボ料理長に手を振り返し、ピィは城の外へと踏み出した。

 魔国の空は常に薄雲に覆われて、ほの暗い。そんな世界の太陽に照らされる土地はだだっ広いばかりで、一目見ただけでは荒れ果てた土地だと誰もがそう思うだろう。

 けれどよく見てみれば案外草も花も生えているし、魔国の土でしか作ることのできない作物だってあるのだ。もっとも、他国との交流が望めない以上、どうしても自給自足に頼るしかないという事情がありはするのだが……。

 それでもピィは、自分の育ったこの国のことがとても好きだった。


「おーい! 待てよ、ピィ!」

「お待たせしてすいません、ピィさん」


 少し遅れて、ガルモデとクレイスがやってくる。ピィは振り返り、しっかりそれと分かるように顔をしかめてみせた。


「お前ら何をやっていたんだ? かなり時間がかかってたじゃないか」

「おう、もっと言ってやってくれ! コイツな、『準備がある』とかっつってずーっと俺を部屋の前で待たせやがったんだぜ!」

「すいません、準備をしていたもので……」

「だからそれは分かってんだよ! 何の準備だっつってんだ!」

「うむ、弁明を許すぞクレイス。今から偵察に行くというのに、仲間内で揉めては差し支えが出る。端的に話せ」


 クレイスに命令し、言葉を待つ。

 ……果たして、ガルモデを待たせている間に何をしていたというのか。もし言葉に詰まるようであれば、この間に何か裏工作をしていた可能性だって考えられるだろう。


「防寒ですよ」


 だがピィの警戒とは裏腹に、クレイスは淡々と答えた。


「これから我らが向かうのは極寒の国、ヨロ。魔力で皮膚に膜を作れる魔物とは違い、人間は服を着込んだりして寒さを緩和できるよう装備をととのえる必要があります。でないと、すぐに寒さでやられてしまいますからね」

「そうなのか? だがお前、着込むとか言う割にストールを巻いただけじゃないか」

「繊維に魔力が編みこまれてるんですよ。一見薄手ですが、巻いているだけで防寒着三枚分の暖かさを得られます」

「へえー、人間はそんな面白ぇもんを作ってんのか。おいクレイス、ちょっと貸せ。俺も巻いてみてぇ」

「すいません、魔物の方がこれを巻くと爆発四散するので……」

「オメェ今分かりやすい嘘をついたな?」


 だいぶ仲の良いやり取りをする二人を、ピィは腕を組んで眺めていた。

 ……装備を、ととのえていた。本当にそれだけで、ガルモデを苛立たせるほどの時間がかかるものだろうか?

 だがピィがもう一つ質問しようとした所、空から降ってきた大きな影に気を取られた。


「まったく、こんな所で何をしているのです?」


 それは純白の美しい両翼を広げた、巨大な鷲の魔物であった。


「ルイモンド」

「おしゃべりをしている余裕はありませんよ? 今から行くのは、我々が潰す予定の敵国なのです。くれぐれも油断せず、気を引き締めるように」

「ああ、理解している。では行こう」


 地面に降り立ったルイモンドの横腹に足を引っ掛けて、ピィは彼の背中に乗る。マントの中に隠れていたケダマを前に持ってきて、抱え直した。

 子供であれば三人は乗れるのではないかという大きな白鷲を物珍しげに眺めまわし、クレイスは頷く。


「……素晴らしい。確かにこの姿なら、ヨロ国まで半日で行けるでしょう。俺は魔物のパワーを見誤っていたようです」

「ん? 何を言ってるんだ、お前。半日なんかじゃないぞ」

「え?」

「あれはあくまで一番遅い者に足並みを合わせた時の話だ。ルイモンドなら一時間もかからず飛んでいける」

「……え?」

「あ、でも今回はお前らを乗せるガルモデに合わせるし、慣れない場所だしな。やっぱ二時間以上はかかるか、うん」

「……え、え?」


 クレイスが振り向くと、赤毛の巨大な犬の魔物が野生のゴッポポガエルを丸呑みしていた。ふさふさの尻尾をパタパタと振り、周りの土を散らしている。

 彼はクレイスの視線に気づくと、アンバーの目を細めた。


「クレイス! オメェは俺が運んでやるぜ! 乗り心地はすこぶる評判悪ぃが、そこは勇者だし心配ねぇな!」

「……あの、ピィさん」

「……うん、頑張るんだぞ。ガルモデの背中に乗るとな、お星様が見えるんだ。以前部下の一人であるケムシのムシポンが乗った時には、二十本あった足が最後半分になっててな……」

「……」


 クレイスは、何か言いたげな目をピィに向けている。しかしそれを汲んでやるほど彼と親密な仲では無い彼女は、黙って目を逸らしたのであった。










 ヨロ国の国境からほど近い岩場に、ピィを伴ったルイモンドは着陸した。あまり魔物の姿で近づき過ぎるのも危険だからである。

 そこにすぐガルモデも到着した。彼はどさりと背中の部下を地面に落とすと、自分に積もった雪を払う為身震いする。

 雪原に降りたピィは、うつ伏せに転がりピクリとも動かないクレイスに駆け寄った。


「だ、大丈夫かお前!」

「星……星が見えた……」

「お前! よくやったよお前!!」

「俺……帰りは歩きます……」

「しっかりしろ! 気を確かに!」

「俺が死んだら……毎日三回はピィさんに墓参りに来てほしいです……」

「死んでも図々しいな! 一度たりとて行かんわ!」


 乗っている者を一切顧みない走りっぷりと、振り落とされたら死んでしまう速度。上空からずっと彼の奮闘を見ていれば、多少の情は湧こうというものである。

 ……ちょっとだけ、胸がスッとしたのは秘密であるが。

 ともあれクレイスの背中に手を置き労ってやっていると、ふわりと暖かい何かが体を覆った。


「冷えるので、どうぞ」

「あ、ああ、すまんな」


 ルイモンドが、分厚めのマントを羽織らせてくれていた。


「気候は大分変わりましたが、ここはまだ魔国の領土です。ヨロ国との国境までは、二十分ほど歩く必要があります」

「分かっている。それでどうする? 集まっていたら目立つし、二手にでも分かれるか?」

「いえ、下手に分散すると逆に面倒が起こると思います。なのでまず、私とガルさんが上空から……」

「お、おいピィ! アレ見ろ!」


 ただならぬ様子のガルモデの声が割って入る。ルイモンドと共に急いで彼の指差す方向に体を向けると、かなり遠くの方からこちらに向かって駆けてくる数人の兵士が目に入った。


「あれは……ヨロの兵士か?」

「……まだ遠いので何とも言えませんが、その可能性はありますね」

「まさか、もう我らの姿が見つかったとか」

「いえ、それは違いますよ、ピィさん」


 回復薬でも飲んだのだろうか。いつのまにか復活してちゃっかりピィの隣に陣取っていたクレイスが、声を潜めて言った。


「よく見てください。兵士らは、一人の女性を追っています」

「女?」


 言われて見てみれば、数メートル先に兵士から逃げるようにして走る黄色いドレス姿の女性がある。あまりにも場違いな可愛らしい服装であるが、あの格好で兵士の速度にも負けず雪を蹴散らして爆走している所を見るに、この辺り出身の者なのかもしれない。

 慣れぬ状況に戸惑うピィを導くよう、クレイスは囁いた。


「悩む必要など無いでしょう? 今の我々は偵察の身、下手に目立つのは得策ではありません」

「つまりどうしろと」

「幸い彼女がこちらに来る様子は無い。ですからここは、無視してやり過ごしてしまいましょう」

「……お前の言葉通りというのが気に入らんが、その通りだな。今は偵察こそが我らの優先すべき事項だから――」

「あれ? あの兵士、ノマンの紋章つけてねぇか?」


 そのガルモデの一言が、彼以外の全員を凍りつかせた。

 そして瞬きする間も無く、クレイスの隣からピィの姿が消える。代わりに哀れなる兵士らの前に現れたるは、月の光を髪に宿した影。

 赤き目の魔王が、兵士らに向かって剣を振り上げていた。


「ピィさん!」

「ああこうなりゃしゃあねぇ、戦うしかねぇなぁ! 行ってくるぜ、ルイ!」

「はい、片してしまえば無いのと同じですからね。お願いします」


 ルイモンドの言葉を最後まで聞かず、どこか嬉々として魔物変化したガルモデが兵士らに向かって飛び出す。

 残されたのは、ルイモンドと唖然とするクレイス。ルイモンドはピィのマントから転がり落ちたケダマを拾い上げると、クレイスに言った。


「……ま、やってしまったものは仕方ありません。とりあえずあの方が行けば大丈夫でしょうし、我々は静観に徹しましょう」

「……」

「おや、苦い顔をされてますね。今ならあちらの陣営に帰りたいと言っても、私は引き止めませんよ」

「……ご冗談を」


 美麗な魔物からの挑発に、クレイスはストールを強く掴んだ。


「俺は、ピィさんの味方ですよ」

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