8 緊急軍会議
今日は、朝から緊急軍会議が開かれる予定であった。ルイモンドは魔王たるピィを伴い、作戦室のドアを押し開く。
「おう、ピィ。起きたか」
まず彼女に声をかけたのは、ガルモデ軍隊長であった。彼は今日も筋骨隆々の大男の姿を取り、どっしりと脚の太い椅子に腰掛けている。
しかしそんな彼を押しのけるように、しわがれた声が割り込んだ。
「うにゃにゃにゃ、ピィよ! 遅刻とは実にけしからん! たるんどるぞ!」
厳しい喝を食らわせたるは、ネコ型の魔物であるニャグ医療長である。魔物の中でも最高齢である彼は、ちんくしゃの顔をしわしわと寄せて、ピィの四分の一ほどしか無い背丈を椅子の上に乗せていた。
ちなみにピィは昔からよく説教をくらっていた為、この老猫に大変弱いのである。思わず肩をすくめると、取りなすように落ち着いた声が響いた。
「ニャグ医療長、どうかその辺で許してあげてください。真面目な彼女のこと、寝坊したにしてもきっと何か事情があるのです」
「んにゃあ、事情? そんなもんに左右されるようでは、とても魔王は務まらん……」
「いえ、魔王という大役は一日にして成らずだと認識しております。聞けば、ピィさんは魔王に就任してからほんの僅かというではありませんか。つまりまだ過渡期なのです。むしろこの時期にこれだけの才を発揮なさっているのなら、責めるより寛大に許す方が今後の彼女に良い影響を与え――」
「なんでここにいるんだ、お前ーっ!!」
穏やかにニャグを宥めるクレイスに、ピィは思わず声を荒げた。
しかし当の本人は平気な顔である。ピィに向けて片手を振ると、口角を上げた。
「おはようございます、ピィさん。今日のヘアバンドもよくお似合いですね」
「今それどうでもいいだろ! なんで! ここにいるんだ!」
「あ、俺が呼んだ」
「ガルモデーーーッ!!」
まさかの軍隊長の手筈にピィは絶叫する。
「呼ぶなよ! 今からやるの軍会議だぞ!? 絶対外に漏れたらいけないやつだぞ!?」
「そりゃ分かってるよ。でも結局はコイツだって兵に使うんだろ? なら今から参加させといたって問題ねぇじゃねぇか」
「それとこれとは……!」
「逆にコイツは野放しにしてる方が危ねぇよ。……心配すんなって。もし勇者が悪ぃことしたら、そんときゃ俺が責任持って息の根止めてやるぜ!」
「ちょ、止めるのは行動だけでいいからな! ……う、うーん……」
腕を組み、ピィは考える。
……確かにガルモデの言う通り、会議をしてクレイスを監視できない方が危険かもしれない。加えて彼とは昨日話した内容のこともある。ならば余程の流れにならない限りは、クレイスを置いておいても問題は無い、か……?
いや、昨日仲間になったばかりの元勇者を早速軍会議に参加させるというのって、どうなんだよ。
悩むピィの前で、ガルモデとクレイスはヒソヒソと言葉を交わしていた。
「……なぁクレイス。これで本当に俺ぁピィに怒られねぇんだろな?」
「はい。ピィさんは照れ屋なので表には出していませんが、今俺がいるだけで俄然機嫌が良くなっていますよ」
「そうか! いやぁ俺ァてっきり、オメェが平手打ちくらって帰ってきたからダメだと思ってたんだよ。まさか上手くいってるなんてなぁ」
「昨晩は、俺が性急過ぎて怒らせてしまいましたがね。ですが見てください、今もピィさんはああして俺の姿に見惚れています」
「俺にゃ睨まれているようにしか見えねぇがな」
……会話を聞き取ることは、できなかったが。なんとなくピィには、またクレイスが舌先三寸で言いくるめているのだろうなという察しがついた。
しかし彼女が何か言う前に、隣の男が動く。
「――ええ、構いませんよ、クレイス殿に参加いただいても。彼はノマンの元勇者です。きっと我々の知らない有益な情報を提供してくれるでしょう」
「ありがとうございます、ルイモンド参謀長。ご期待に沿えられるよう努めます」
「ええ、頼みますよ。それでは、会議を始めたいのですが……」
ぐるりと見回す。そうして彼は、美しい形の眉をひそめた。
「……今日も、ネグラ兵器長は不参加ですか」
「おう、俺も声だきゃあかけてみたんだがな」
ルイモンドの言葉に、ガルモデは渋い声で応える。
「『自分如きが皆さんの吸う空気を汚しちゃいけない』とか何とかっつって、部屋から出てきやしねぇんだ。どうしたもんか」
「弱りましたね。今回の軍会議には、ぜひ彼にも参加してもらいたかったのですが」
「無理はいけねぇよ。腕づくで引っ張ってきてまた腹ァ壊したら大変だ」
「ネグラは比較的ひ弱な魔物ですからね。まあ、この際仕方ありません。……ピィ」
ルイモンドは嘆息すると、魔王に目を向けた。それに頷いて返し、彼女はテーブルを囲む数名に向かって言う。
「――では、これより緊急軍会議を始める。議論の内容は勿論、ノマン王国への侵攻についてだ。昨日、我ら魔物軍は、世界征服に先駆けくだんの国に向け進軍を開始しようとした。ここまでは良いな?」
「おう」
「ええ」
「だが、あれから少し状況が変わった。集めた情報を見るに、どうも諸国の様子がおかしな事になっているらしいんだ」
「おかしな事?」
ガルモデが、疑問に顔をしかめる。
「なんだそりゃ。初耳だぜ」
「実は……えーと、風の噂と、その、ルイモンドの“目”を使って調べさせたのだがな」
「なんでしどろもどろになるんだよ」
「と、とにかく、今世界各国の動向が妙なのだ。急速に衰退したり、王が力を失ったり、内乱が起きたり……。しかもそれら全てに、ノマン王国が関わっている可能性があるらしい」
「へぇ、そこでノマンの名前が出るのか。そりゃあ言われてみりゃ妙な一致だがよ。だからどうだってんだ? 尚更ノマンを潰しゃいいだけじゃねぇか」
このガルモデの問いに、ルイモンドがピィの先を引き継いだ。
「要するに、今ノマンに進撃するのはあちらの用意した罠にかかるだけではないかという話ですよ。まんまと罠にかかってしまえば最後、魔国も各国と同じ運命を辿るハメになりかねません」
「ちょっと考え過ぎじゃねぇの?」
「ええ、そうだといいのですが。もともと人間の治める国に内乱はつきものですし、衰退とて何も珍しいことではありません。……しかし如何せん、我らには情報が少なすぎる。前魔王は他国とも交流を持とうとしていましたが断られ続け、その結果、魔国は今孤立した状態となっています。故に、他国の現状を詳しく知る事ができない」
「うーん……?」
「うにゃあ、ルイ坊は相変わらずまどろっこしいのぅ。とっとと結論を言ってしまえばいいのに」
ニャグが、ピンと立った猫髭を引っ張りながらまた割り込んでくる。
「つまりこういうことじゃろう。 ――ノマンの出方を見る為、まずは適当な他国から制圧したいと」
その言葉に、ガルモデは「へぇ!」と太い眉の下の目を鋭くした。隣のクレイスは、口元に手を当てて黙ったままである。
ルイモンドは、一度だけ深く頷いた。
「……はい、その通りです。得体の知れぬノマン王国に向かうより、先に他国を制し魔国を強化すべき――私はそう考えております。もっとも、同じくノマンを恨みに思う国と同盟を結べることが、一番平和的な解決策ではありますが」
「フン、そりゃあパチ族の飴より甘い展望じゃな。何せこちらは魔物しかおらぬ魔国、せいぜい門前払いがオチよ」
「ええ、それは歴史から見ても明らかですし、何より我らの目的は世界征服ですからね。ならばいっそのこと、国ごと制圧してしまう方が早い」
「しかしルイよぉ、制圧はいいがどの国を狙うってんだ?」
ガルモデに尋ねられ、ルイモンドはテーブルに世界地図を開いてみせる。そして魔国の隣にある国を指差した。
そこは極寒の地でありながら高い技術力を持ち、代々堅実な王が治める土地――ヨロと呼ばれる国であった。
「……話によると、今この国はノマンと戦争をしているそうです」
「はぁ!? そんな知らせはうちにゃ届いて……!」
「ないですね。敢えて情報を遮断されていたか、もしくは他に何か原因があったのか……。とにかく、ヨロ国がノマンと戦争をしているならこれは私達にとって都合がいい」
「ああ、ノマンにゃヨロを狙う理由があるってことだからな」
「ええ。先んじて制圧してしまえば、ノマンにとっては痛手になるでしょう」
「……で、どうかの、ガル坊。作戦に反対は?」
ニャグ医療長の問いに、ガルモデはニヤリと笑う。
「俺は賛成だ。ノマンより近いってのがまたいいな」
「……クレイス殿はいかがです? ぜひ元勇者の知見から、ご助言をいただきたいのですが」
ルイモンドの目が、何かを試すようにクレイスに向けられる。対する元勇者は無表情に見つめ返した。
「昨日仲間になったばかりの俺から意見できることなどありません。俺は、決まったことに従います」
「分かりました」
元はと言えば、ヨロ国への進軍もクレイスの案なのである。それをよく承知していたルイモンドは、あっさりと引き下がった。
「……では、ピィ」
「うむ」
そしてルイモンドの視線が、またピィへと戻ってくる。ピィは表情を引き締めて、彼の意志を受けた。
「――ならば全軍に伝えよう! 本日の昼食が終わり次第、ヨロ国に向けて軍を出すとな!!」
「早過ぎません!?」
だがまさかのクレイスからのツッコミに、一同一斉にキョトンと彼を振り返ったのだった。
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