6 悪い顔
――こいつは、何を言っているのだ。
ピィの怒りに呼応し、全身にまとわりつくように青い炎が立ちのぼる。
――魔国では、ノマンに勝てないだと?
構えた右手に熱が集まる。今すぐ目の前の不届き者を消し散らせと凶暴な本能が叫ぶ。しかしほんの僅かな理性が、それら短絡を押しとどめた。
「……」
だが、衝動は収まらなかった。壁際から一気にクレイスの元まで間を詰めたピィは、彼の首を掴み壁に押し付けた。
「……貴様は」
がふっと苦しそうな声を上げ顔を歪める勇者の無様を、ピィは鋭い目で睨みつける。
「どういうつもりだ。一体何を狙っている!?」
「ピィさ……ッ、その、炎、は……!?」
「話を逸らすな! ……貴様、やはりノマン側のスパイだったのか!」
「……ッ」
ピィが指に力を入れると、クレイスは低く呻いた。
「はっ、考えたものだな。まずは無抵抗を示し魔物らに取り入り、城の内部にまで入り込む。そうして魔国の情報を集め、裏で吾輩に進言することでノマンへの襲撃を無くそうという魂胆だ。ああ!? そうなんだろう!!」
「……ぐっ……」
「吾輩を甘く見るなよ。他の誰がお前を持ち上げようとも、吾輩だけは騙されてやらぬ。――ここに来たことを、骨の髄まで後悔させてやる!」
「……違、う……!」
「違う? 何がどう違うというのだ!」
その時、突然クレイスの手がピィの手首を掴んだ。針で刺すように神経の一点に魔力を注ぎ込まれた手は勝手に開き、クレイスの体を床に落とす。
地に崩れた勇者は、咳き込みながらピィに切れ長の目を向けた。
「……色々違いますよ、ピィさん……。貴女の論理は、まったく、論理的でない」
「なんだと?」
「筋が、通らないと……げほっ、言っているのです。俺は確かに怪しいでしょうが……貴女の想像するほど、愚か者でもない」
そう言うと、クレイスは立ち上がった。背筋を伸ばし、大きく深呼吸をする。
「……貴女に取り入り、城の内部に入る。ここまでは推察として結構。ですが次からがいけません。魔国の情報を探る? 貴女にノマン襲撃を取り止めるように言う? それらを同時に、かつ即日にやる馬鹿がどこにいますか。流石の俺とて、貴女が俺を訝しんでいることぐらい理解していますよ」
「……!」
「もし俺がそれを本気でやるなら、もっと時間をかけますね。時間をかけ、忠義を示し、貴女や他の魔物の皆さんとの間に多少の信頼関係が出来上がるのを待ちます。……ああ、人間を一人二人殺してみせるのもいいかもしれません。スパイとは、いかに生き延び敵地で自分の場所を得るかに成否がかかっているのです。故に、こんな短時間の内に貴女に殺されるような、かつ目立つ真似をするのは得策ではない」
――ぺらぺらと、淀みなく紡がれる言葉に。
よく回る舌から吐き出される音に。
ピィは、取り憑かれたかのように茫然と聞き入っていた。
「今の俺は、勇者でありながらノマンを裏切ったという不審の身。この城に俺の味方する者は一人とておりません」
「だ、だが……お前は魔物救いの恩人なのだろう? ならばお前に肩入れする者ぐらい……」
「何を仰る。魔物救いの恩人と魔王様を秤にかける者なんて一人もいませんよ」
「……あ」
「貴女が号令を出せば、即刻魔物達は俺の四肢を引きちぎるでしょう。……俺は、それほどに危うい立場なのです」
クレイスは片膝をつき、ピィの顔を見上げた。
まるで、忠臣そのものであるかのように。
「――魔王様。その危険を飲んだ上で、俺がここまで来た理由を。父を奪われた貴女の前で、この進言をした理由を。どうか、今少しばかり申し上げる時間をくださいませんか」
その端正な顔に宿る表情には、不誠実など一欠片も無い。……ように、見えた。
ここまで言われてしまうと、自分の論よりもクレイスの論の方が正しいように思えてくる。
けれど、それを信じる事こそ“千枚舌”の策略ではないのか。
そんな疑念も、ピィは拭いきれないでいたのだ。
――何が本当か、分からない。自分では、判断がつかない。
懐かしい笑顔が蘇る。……あの父さんなら、此奴にどう答えるのだろう。
「……」
何かにすがりたくて、足に擦り寄るケダマに目を落とす。あれほど毛を逆立てていたケダマであるが、今はなんだか萎れ、しきりにピィの服を食んでいた。
……これは、何を伝えたいのだろうな。少なくとも、クレイスに対する敵意は失っているようだが。
しかしピィには、なんとなく「ここはとりあえず、奴の話を聞くだけ聞いてみてもいいんじゃないか」と励ましてくれているようにも見えた。
じっと考え込むピィに、クレイスは遠慮がちに言う。
「あの」
「なんだ」
「……もしかしてケダマさん、空腹なのではないですか?」
「あ」
違った。夕食がまだだったのだ。
自分よりもクレイスの方がケダマの状態を察していたことに恥ずかしくなりながらも、ピィはそそくさと食事の用意を始める。
「……おい、勇者」
「はい」
……なんだか、興が削がれた途端にどうでもよくなってきた。よく考えれば、人間ごとき殺そうと思えばいつでも殺せるのである。ならば自分も、ルイモンドやガルモデに倣い“保留”ということをしてみてもいいかもしれない。
「……ケダマの食事の間だけ、お前の話を聞いてやろう。端的に話せよ」
「……! ありがとうございます!」
「うん」
「……どうされました?」
「いや、貴様が“千枚舌”と呼ばれる理由が、少し分かった気がしてな」
「おや、俺の悪名をご存知でしたか」
都合の悪い通り名だろうに、何故か嬉しそうにするクレイスである。なんだコイツ。
ピィはため息をつき、ケダマにハパパフードを差し出したのだった。
「……バカな。今のノマンは、そのような国になっているのか?」
「ええ。……今、という括りで話していいのかは分かりませんが」
いつの間にやら皿は空になり、ケダマはピィの膝の上で寝息を立てている。それだというのに、彼女はすっかりクレイスと話し込んでいた。
「ノマンは美しく、豊かで、素晴らしい賢王が治めていると聞いた。それ故に、諸国からの信も厚いと……」
「ええ。美しく、豊かであることは確かです。ですが、そこを治める者が“賢王”かどうかは……」
「だが何故お前がそんな事を知っている。まるで見てきたかのようではないか」
「見てきたんですよ。世界を巡れば自ずと知れます」
「忘れてた。お前勇者だったな」
「元がつきますけどね」
「そもそもお前はたった一人で旅をしてきたのか? 勇者とは大抵徒党を組むものだと思っていたが」
「まあ……その辺りもおいおい話しますよ。それより、今は」
勇者の指が、ピィが開いていた世界地図を這う。その指が剣を握る勇者にしては綺麗すぎるのが、ピィには少し気になった。
しかし、だから彼女は気づかなかったのである。
「――隣国である“魔法工学のヨロ国”への侵攻について、話を進めさせてください」
――そう話すクレイスの横顔が、勇者と名乗るにはあまりにも不適切な悪いものへと変わっていたことに。
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