5 なんでここに
その夜。
ピィは自室にて、魔国に生える草で編まれた固いベッドにぐったりと突っ伏していた。
「……疲れた……」
そのような感想が漏れるのも無理はない。何を隠そうあのクレイスとの戦闘こそ、ピィが魔王に就任して初めての勇者討伐戦だったのである。
それが何故、求婚された上に仲間になるなどという、あんな訳の分からない事態になってしまったのか……。
「みょみょー」
「……ケダマ……」
落ち込むピィに、一匹の魔物が寄り添う。全身ふかふかとした桃色の毛に覆われたこの球体は、ずっと昔からピィと一緒にいた家族同然の存在であった。
「みょみょみょー」
「お前……慰めてくれるのか」
「みょー」
――何を言っているのかは、未だよく分からないのであるが。
魔物は知能レベルや身体構造に大きな差があり、ケダマのように鳴き声しか発することのできない者も多い。
それでもピィにとって、ケダマは殊更大切な魔物の一匹であった。特に、親代わりであった前魔王を失った今となっては。
「ケダマ」
ふかふかの塊を抱きしめ、うずくまる。
「――今の吾輩な、なんだか世界全部が敵みたいに見えるんだよ」
腕の中のケダマは、小さな声で鳴いた。
……ずっと、魔物恐ろしや醜しやと人間から蔑まれて生きてきた。
けれど、それで不遇を感じた事も無かったのである。優しい父が、頼れるガルモデやルイモンドが、同じ境遇の魔物たちが、いつも側にいたからである。
昔は、そこまで人間と魔物の仲は悪くなかったらしい。その状況がおかしくなり始めたのは、三十年前ぐらいか。突如として、ノマン王国が魔国に向けて勇者を派遣し始めたのである。
それまでも、形式的に“勇者”という存在はあった。しかしこれは、魔物が諸国で悪事を働いていないか見張るという、ある意味警察的な役割を果たしていたのである。
それが、ある日突然魔物の討伐が前提となったのだ。お陰で魔物は人間の目から逃げ隠れるか、反発し人間を襲い始めるかのどちらかになった。
そんな中、父はなんとか魔物の地位を戻そうと他国に向けて声を上げ続けていたのである。「たとえ魔物であろうと、理由もなく人を傷つけたりしない。そりゃ中には悪い奴だっているが、そこは人間も同じだろう」と。
しかし、そんな父すらとうとう人間に奪われてしまった。それどころか奴らは、我らの仲間を傷つけ魔国が陰謀を企てているとの風説を流し始めた。
人間の考えは変えられない。偏見は加速し、恐怖に煽動された人間は、いつか“異物”である我々を排除しようと本格的に動き出すだろう。
だからこそピィは、残った魔物を守る為に世界征服を成そうと決めたのである。
だというのに、今この城では、父を奪った国の勇者が魔物の恩人として我が仲間共に祭り上げられている。側近であるはずのルイモンドやガルモデさえも、まずは静観の構えだ。
せいぜい利用してやればいいのかもしれない。けれど、実は利用されているのはこちら側で、今既に“千枚舌”の術中にはまっているのではないか。
……まるで、内側から食い破られていくかのような気持ち悪さに。魔物を守らねばならぬ立場であるピィは、もうどうしていいか分からなくなっていたのである。
「……ケダマ」
「みょ?」
抱きしめる腕に、力を込める。桃色の柔らかい毛が、頬をくすぐった。
「……お前はどうか、吾輩を裏切ってくれるなよ」
「ええ、勿論です。俺はこれからずっと、ピィさんの味方ですからね」
「あっ……ばばばばばだばあああっ!!!??」
ベッドの下から出てきた頭に、ピィはケダマを抱き締めて飛び上がった。
クレイスである。
「なっ……な、な、なんでお前がここに!?」
「なんでも何も、ピィさんとお話をしたくて」
「はぁぁぁっ!? お前ベッドの下から出てきたじゃないか! いつからいたんだよ!」
「ピィさんが部屋に戻られる前から」
「ああああああ道理で食事のあと姿が見えないとガルモデーーーーッ!! ルイモンドーーーーッ!!」
「お二人は既にお休みでしょう。加えてこの部屋は城の最深部です。外部からの襲撃者が来る可能性が低いとあらば、見回りの魔物も最低限となりますし……」
「怖い怖い怖い怖い! お前そこから動くなよ!」
毛を逆立てて威嚇するケダマを抱え、部屋の隅まで逃げるピィである。腰が抜けそうになりながらも、精一杯の矜恃で声を張り上げた。
対するクレイスは落ち着いたものである。よっこらせとベッドの下から出てくると、椅子を引き寄せてそこに座った。
「……別に夜襲をかけるつもりはありませんよ。俺は本当に、貴女と話をしに来ただけです」
「嘘つけ! 話をしに来ただけなら、ベッドの下に隠れる必要は無かっただろう!」
「俺が訪ねた所で、貴女は部屋に入れてくれましたか?」
「いや、入れない」
「でしょう。なのでこれは必要措置でした」
「ただの屁理屈じゃないか! だ、大体、話をするだけなら食堂や廊下でも良かったはずだ! わざわざ部屋でなくても……!」
「そこは正直に言うと、ピィさんの自室に興味がありましたので」
「今すぐ消し炭になりたいようだな!」
「すいません、でしたらさっきの言葉は冗談にさせてください」
「じゃあそれ本気だったって事じゃないか! ああもうとっとと理由を吐け! 吾輩が理性を保っている内にな!!」
ケダマを後ろに庇い、いつでも魔法を撃てるように右手を構える。だがクレイスはなおも余裕綽々であり、背もたれに体を預けて両手を組んだ。
「……他の場所では、他の者の目があります。今から俺がする話を、誰かに聞かれるわけにはいかなかった」
「話……だと?」
「ええ。……俺を勇者として雇った国、ノマンについての話です」
勇者の口から出た仇国の名に、ピィはびくりと体を震わせた。……恐れたのではない。胸の奥に押し込めていた憎悪が塊となり、一瞬にして全身を巡ったのだ。
ピィは、震えそうになる声を抑えてクレイスに問いかけた。
「……ノマンが。今日お前が裏切ったその国が、どうしたというんだ」
「……無礼を承知で言いますが、俺はガルモデ軍隊長よりピィさんのお父様の件を聞きました。それ故に、貴女がノマンを制圧したがっているということも」
「……」
「その上で、今ここで俺は貴女に申し上げねばなりません」
クレイスの体が前のめりになる。グレーの瞳には、得体の知れぬ力がこもっていた。
「魔国では、ノマンに勝てない」
その言葉に、ピィの頭に熱い血が上った。
「それを俺は、直接貴女に伝えにきたんです」
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