3 千枚舌ってなんだよ

 こうして、あれから殺戮意欲に沸き立つ魔物兵の前にいそいそと赴き、「やっぱ今日の進攻はナシで」と説明をしたピィとルイモンドである。

 当然怒号はしばらく続いたが、生来この魔物自体単純な思考をしている為――。

 

「なんだよつまんねぇよぅ暴れてぇよぅ!」

「俺は先延ばしってんならいいや!」

「ねぇ次はいつやんの? 明日?」

「そんじゃ今から猟行ってくるわ! いっぱい獲れたらちょっとだけ分けてあげるな!」

「ピィちゃん、何か疲れてるっぽいけど元気出せよ!」

「後で魔んじゅう差し入れるね、ピィちゃん!」


 やがて全員納得してくれ、解散した。


「……」


 しかし、魔王たるピィは内心複雑であった。


「何故……何故誰一人として、ノマンの勇者が来たことには突っ込まない……?」

「まず捕虜として扱えと伝えましたからね。無闇に手を出してはならないと分かってくれたのでしょう」

「聞き分けが良すぎないか?」

「そこはほら、ピィの求心力の賜物としか……。とはいえ、我らの仲間になるというのであれば、彼をお客様扱いするわけにもいかないのですがね」


 「それは勿論ご承知の上ですよね?」と問いを投げかけるルイモンドに、背後のクレイスは真摯に頷く。


「はい。捕虜や客人のままではピィさんの伴侶になれませんから」

「なぁルイ、やっぱコイツ城から叩き出さないか?」

「まぁまぁ、そこは私に案があるんです。……すいません、ガルさん。一つお願いを聞いていただきたいのですが構いませんか」

「おう、なんだ」


 返事をしたるは、筋肉隆々の大男である。彼こそ、先ほどまでまんまとクレイスの口車に乗せられていた軍隊長のガルモデであった。

 魔物本来の姿は犬型の方なのであるが、人間型の方が日常生活を送る分では何かと便利なのである。

 ルイモンドは勇者の背に手を添えると、ガルモデの方へと押しやった。


「お手数ですが、彼を魔物軍の中に混ぜてやってください。手始めに、部下の魔物と共に食堂にて食事を。その際何かあるといけませんから、しっかりと見ててやってくださいね」

「なっ……!?」

「ああ、俺がそれをやりゃあいいんだな? 任せろ」

「それと、一日でも早く馴染んでいただく必要がある為、余計なお客様扱いは一切不要ですからね。普通に仲間として接してください」

「おう」

「え!? お、おい……! そんな早速、大丈夫なのか!? 魔物だらけの中に其奴を放り込んで……!」


 まさかのルイモンドの提案に、オロオロとクレイスとガルモデを交互に見るピィである。

 ……一応“元”がつくとはいえ、クレイスは自分達の敵であるノマン国の勇者だ。数多くいる魔物の中には、勇者という存在自体に恨みを持つ者もいるかもしれない。

 そんなコイツが、よりにもよって魔物軍の中に突っ込まれようものなら……!


 魔王にしては人の良い憂いを抱くピィに、ガルモデは太い腕を組んで言った。


「叩き出せっつったり心配したり、ピィは忙しねぇなぁ。そりゃ多少は血の気の多いヤツらもいるかもだが、そこは勇者様だし大丈夫だろ。なぁ?」

「ええ。もし向かってくる者がいたとしても、それなりに俺は対処できると思います」

「そ、そうか?」


 ならいいのか。いや、いいのか?

 顎に手を当てて考えるピィを見つめ、クレイスは落ち着き払った様子で一つ頷く。


「だから心配しないでください。……もう一度貴女に会う為ならこのクレイス、魔物の十匹や百匹ぐらい軽く天に打ち上げてみせましょう」

「いやお前それやったら二度と会わないからな?」


 一抹の不安はあったが、クレイスはガルモデに連れられ、大人しく食堂に向かって行った。同じく向かおうとしたピィであるが、そこを細い腕に引き止められる。

 事情を察した彼女は、二人の姿が視界から消えるのを待ち、それから彼に尋ねた。


「……ルイモンド。もしや“目”と“耳”からの報告か?」

「ええ。いくつかクレイス殿の情報について掴んでくれたようです」


 ルイモンドの肩には、カラスのような黒い小さな鳥がとまっている。その首元を掻いてやりながら、彼は声を潜めて言った。


「まずは一つ。クレイス殿は、間違いなくノマン王国に雇われた勇者だったとのことです」

「ああー……やはりか。まああの紋章まで付けていたとあっては、疑う余地も無いが」

「はい。それともう一つ、気になる点が」

「うむ、言ってみろ」

「……彼の、“通り名”についてです」


 その単語に、ピィは反応した。……そんなものまでついているということは、彼はそこそこに名の知れた勇者なのだろうか。

 そう問うと、ルイモンドは首を縦に振った。


「ええ。勇者という存在は、この魔国の空気に体を慣らす為に諸所の国を渡り歩く必要がありますからね。おっしゃる通り、目立つ者にはあだ名がつけられる事も多い」

「うむ」

「そして、かの勇者クレイス=マチェックの通り名は――“千枚舌”」


 千枚舌。


 千枚の舌を持つ、勇者。


 ……頭の中で言葉を反芻し、その名の示す意味を理解する。段々と険しい顔をしていくピィに、ルイモンドは何とも言えぬ目を向けた。


「そう、彼は“千枚舌のクレイス”。……要するに、とんでもない嘘つき男として世界に名を馳せているのです」

「……」

「故に……」

「……」

「……くれぐれも真に受けませんようにね、ピィ」

「全く問題無いわ!」


 ルイモンドの生温かい慰めをあらん限りの力で振り払い、ピィは肩を怒らせてその場を後にしたのだった。










「――しっかし、どうしたって勇者ともあろう奴が魔王を好きになったんだよ。普通人間ってのは魔物自体嫌うもんだろ?」

「そこはもう一目惚れとしか……」

「それにしたって普通国を捨てるかよ」

「恋という魔法の前では国の使命すら無力」

「マジかよ。お前ヤベェな」


 冷たい廊下を歩きながら、クレイスとガルモデは言葉を交わす。

 ガルモデから見た今のクレイスは、実に悠揚たるものであった。とても魔物の巣窟にいる人間が取る態度とは思えない。

 もしかしたら、ピィが勘繰るように腹に一物を抱えているのかもしれないが……。

 ……ま、その辺の探り合いはせいぜいルイに任せるとしよう。そうガルモデは割り切り、考えるのをやめた。


「ところで、ガルモデ軍隊長」

「ん?」

「諸々の発言により、ピィさんはことノマン王国打倒を掲げているように見受けられます。これには、何か理由があるのでしょうか」

「お、知らねぇのか? ……あー、そうか。お前は魔国に来る旅をしてたから聞いてねぇのかな」

「……詳しく伺っても」

「ああ」


 当時の光景が蘇る。眉間に皺を寄せたせいで、ガルモデの強面が更に恐ろしい形相になった。

 ――怒りに雄叫びを上げる者、泣き叫ぶ者。真っ青になったルイモンドと、真っ赤な目を見開いて微動だにしないピィ。その時を思い出すだけで、ガルモデの胸には激しい怒りと無念が渦巻いた。

 拳を握りしめ、彼は唇の端から低く言葉を漏らす。


「……つい先日のことだ。我が王は、ノマン王国の王から招待を受けノマンへと向かった。その協議の内容は確か、“不安定な世界情勢の中、ぜひ改めて魔国との関係を見直したい”……とか何とかだったか。とにかく我が王は、ノマンからの指示通り、何の護衛もつけず単身ノマンへ出向いた」

「……ええ」

「ところが、だ。一日経っても、二日経っても、王は魔国へ帰ってこない。一週間ばかり経って、ようやく俺らもおかしいと思い始めた頃か。――突然、魔王が“交代”した」

「交代?」

「そうだ。人間と違って、魔国の王は特殊でな。もし現魔王が死んじまうような事があった場合、事前に次期魔王と定めた奴に勝手に“魔王権”が移るんだ」

「……それでは、まさか」

「ああ。俺らの魔王は死に、代わりに別の魔物が新しい王になった」


 ガルモデは、少し後ろを歩くクレイスに目をやった。


「もう分かんだろ。その“魔王権”が移った現魔王こそ、前魔王の娘だったピィフィル=ミラルバニだ」

「……」

「ノマンにも伝令を送って聞いてみたが、知らぬ存ぜぬで通されてな。すっとぼけて、一切認めねぇで。それどころか伝令を半殺しにした上、魔国から言いがかりをつけられたと他国に触れ回り、とうとう魔物狩りまで煽り始める始末だ。……あのままじゃ、他国と協力したノマンが魔国に乗り込んでくるのは時間の問題だったろうよ」

「……そうでしたか」

「だからその前に、ピィはノマンを討ち取ろうとしたってわけだ」


 筋骨隆々の魔物は、ニヤリと口角を上げてみせる。


「ま、そういう事情だよ。オメェさん、うちの魔王に惚れるのはいいが、せいぜいその辺りのしがらみだきゃあ覚えとくんだぜ」


 対するノマン王国に雇われた勇者は、まったく静かな無表情を貫いていた。

 それでも何か思う所はあるのだろうか。黙ってうつむく事で、返事としていたのである。

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