2 部下よ、よもやお前らも
が、ピィの攻撃は勇者の張ったシールドに阻まれてしまった。数メートル吹き飛ばされたクレイスは、すぐに起き上がってピィの元に走り戻ってくる。
「なんっだお前!? 勇者ではないのか!?」
何とか近づこうとするクレイスを、魔法及び打撃で防ぐ。しかし腹立たしい事に、目の前の男は涼しい顔で全ての攻撃を受け流していた。
「ええ、仰る通り俺は勇者です。ノマン王国に雇われた、数多の勇者の内の一人です」
「ならば! 決して吾輩に求婚して良い身ではなかろう!」
「はい」
「はい、じゃあるか! 魔王に求婚するなんざ祖国への背信行為だぞ! 王国に知られれば、お前もただでは済まな……!」
「なんと……もう俺の身上を親身になって心配してくれるとは。愛しい方だ」
「そういう事ではない! そもそも魔王たる吾輩にそのような言葉を吐くとは、どういうつもりだ!? 何が狙いだ!」
「ところで貴方のお名前は? 叶うなら、ぜひファーストネームでお呼びしたいですが……」
「聞け!!」
一度身を引いて力を溜め、火の魔法を放つ。これにはクレイスも受けきれなかったと見え、軽やかにその場から飛び退いた。
「……こりゃあ、夫婦喧嘩は劣勢になるかもなぁ……」
「お前本当に会話ができないな!?」
埒が明かない。しかも敵はなかなかの手練れときた。
これはいよいよ本気を出し、適当に痛めつけて追い出さねばなるまい。話の通じない相手にたまりかねたピィが拳を構えた、その時である。
「オオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
獣のような咆哮が部屋中に轟いた。声の主をよく知るピィは、慌てて自分のいた場所から飛び離れる。
危ない所であった。二秒と間を置かず、上空から毛むくじゃらの巨体が降ってきたのである。
放射状に割れた床の中央に立つは、犬によく似た赤毛の魔物。彼はギロリとアンバーの目をクレイスに向けると、心臓が握り潰されるような大声で吠えた。
「貴様ァ……! よくも俺を騙しおったなぁ!!!!」
「あ、しまった」
「ガルモデ! お前、倒されたんじゃ!?」
勇者に向かいたる赤毛の魔物の名は、ガルモデ=モッスッス。魔王の腹心の一人であり、最強と名高い魔物である。
ピィのこの問いに、しかしガルモデはクレイスから目を離さずに答えた。
「倒されちゃいねぇ!! ただ此奴が小便に行きたいと言うから、便所の場所を教えてやっただけだ!!」
「そこから律儀に待ってたというのか!? それは騙されるお前もお前だぞ!」
「勇者ァァァァ! 今すぐ俺と勝負しやがれ!!」
「あ、駄目だ! 恥ずかしさと悔しさで聞く耳をもってくれない! ル、ルイモンドは……!」
同じ部下からの進言なら聞いてくれるかと思ったピィが辺りを見回すと、部屋の隅に立つ美麗な男を見つけた。だが、にこやかに両腕でバツ印を作っているその姿に、アテにできないと即刻判断する。
……いや、それならそれで構わない。何故ならこれで勝負は二対一になったからである。何なら自分は下がり、戦闘自体ガルモデに引き継いだっていい。
さぁこうなれば、さしもの勇者も平常心ではいられないだろう。そう思うピィであったが、当の本人を視界に収めた途端その顔を歪める事となる。
「――これは大変失礼をいたしました、ガルモデ軍隊長」
クレイスは勇者の命である剣を投げ捨て、完全なる無抵抗を示していたのである。
「俺としたことが、うっかりトイレの部屋を間違えてしまったようです」
「む、そうか?」
「はい」
「そうなのか。なら仕方ねぇな」
「ええ。ですが、かの豪傑剛勇と名高いガルモデ軍隊長と矛を交えられるという機会に、このような醜態……。不肖クレイス、臓腑を裂いてお詫びしたいほどに情けなく思います」
「気に病むんじゃねぇ。俺だって未だに部屋間違えるし、腹の調子だきゃあどうにもならねぇもんだ」
「なんと、お心遣い感謝します」
「いいってことよ」
「ガルモデこらーーーーッ!!!!」
まさかの和やかな空気に、ピィは思わず叫んでいた。
「お前! 付け込まれやす過ぎだろう!」
「しかしピィよ。いくら勇者とはいえ、腹の具合が悪い人間に追い討ちはかけられねぇぞ」
「あんなにピンピンしておるのに!?」
「おお素晴らしい。ガルモデ軍令長は、強さだけでなく弱者への心遣いも持っておられるのですね。上に立つ者とは常にかくあるべきです」
「そ、そうか? へへへ……」
「だから! 丸め込まれるなと!!」
手の平の上で転がされる部下に、頭を抱えるピィフィルである。コイツらどうしてくれようと必死で考えていると、彼女の隣に白い長髪をなびかせる男が立った。
「――クレイス、と言いましたか」
その姿を見たクレイスは、ガルモデとの会話をやめ彼に向き直る。
「貴方は……ルイモンド参謀長」
「おや、私をご存知とは話が早い」
「ご謙遜を。ルイモンド=バラケットといえば、魔国一知略に富んだ魔物。その名を知らぬ者は世界におらぬでしょう」
「ふふ、なんともよく回る舌ですね。……さて、ご覧の通り、我が王は少々混乱しておりまして。ここは一つ、このルイモンドが間に入りたいと思うのですが、構わないでしょうか」
「ええ、どうぞ。なんなりとご質問ください」
クレイスは、あくまで無防備にのままに礼をする。対するルイモンドは、愉快そうに唇を歪めた。
「――単刀直入に聞きましょう。君の目的とは、一体何なんです?」
「魔王様との結婚です」
「まだ言うか!?」
ツッコむピィであるが、二人とも彼女の動揺など意にも介さない。引き続き会話を進める。
「なるほど、我が王ピィフィル=ミラルバニとの結婚を……。して、それはいつから決めていたので?」
「先ほどです。一目見た瞬間、この先の俺の人生は彼女無しではあり得ないと確信しました」
「情熱的な事ですねぇ。ですが君はノマン王国の勇者でしょう。その証を見るに……」
ルイモンドは、クレイスの胸に縫い付けられた大きな紋章を指差した。四つの旗が重なった、ノマン王国の国旗である。
クレイスは自分でもその紋章を覗き込むと、「ああ」と頷いた。そしておもむろに右手で引っ掴むと――。
「すいません。今をもって魔国側に寝返りますので、このワッペンの事は忘れてください」
あっさりちぎって、床に投げ捨てた。
「えええええええええ!!!?」
そんなノリで!? お前そんなノリで祖国を裏切るのか!!!?
当惑するピィだったが、やはり彼女の反応は脇に置かれている。一方ルイモンドは顎に手を当て、感心したように頷いた。
「確かに、その服ではもう祖国に帰る事はできませんね。あの国では、例え事故であろうと紋章を傷つける者は、即刻奴隷落ちすると聞きましたから」
「その通りです。故に俺は、ここで彼女のそばを片時も離れず尽くす以外に道は無くなりました」
「いや、吾輩としては別にその辺で野垂れ死んでくれてもいいんだが……」
「成る程」
ルイモンドは、じろじろとクレイスを観察している。甘く目尻が垂れた目は、しかし相手を見透かすように鋭い。
「……雇われとはいえ、ノマン王国の勇者。口も達者で無駄な殺生も避けてきた。……スパイだとしても、これは……何より、うまくいけば内部の事情も……」
「ル、ルイモンド?」
「……」
じれったそうに様子を見守るピィに、ルイモンドは美しく微笑んでみせる。だがその顔に彼の魂胆を見て取ってしまったピィは、一気に青ざめた。
「……さて、我々はほんの少し言葉を交わしただけではあります。ですがこのルイモンド、クレイス様のご覚悟をとくと拝見する事ができました」
「ルイモンド?」
「まず私の所見としましては、かの大国ノマンに認められた勇者が味方となるとは大変心強いです。惜しむらくは出兵直前のこのタイミングですが……まあ私と魔王とで説得すれば、魔物達も分かってくれるでしょう」
「ル、ルイ?」
「で、肝心の君の真意につきましては、この時点で結論を出すのは早計と判断いたしました。まあこちらも、君に滞在していただく中でその行動からいずれ見極められることでしょう」
「なぁコラ、おい」
「そういうわけで、クレイス殿! これより我らは同志も同志! 共に手を取り合い、ノマンを潰しましょう!」
「ありがとうございます」
「ルイモンドーーーーーーッ!!!!」
本日二度目の部下叱責である。固く握手を交わす敵国の勇者と我が右腕たる魔物に、ピィは今にも気を失いそうだった。
――かといって、どう処分すればいいのやら。個人的には全く殺意が無い人間を殺すのには抵抗があるし……いやまあ、吾輩魔王なんだし多分それでいいのだけど。しかもコイツはノマン王国の勇者であるから我が国の仇であるからして、あ、でも雇われって言ったか? ……いやいや、ノマンである事には変わりない……が、紋章に傷をつけて国に戻るのなら奴隷落ちするだけであるし、それは少し可哀想――や、だから吾輩魔王なんだから知ったこっちゃないんだが……。
ますますパニックに陥る魔王は、隙だらけの肩をポンと勇者に叩かれた。
「魔王様……」
「な、なんだ」
挨拶か? 感謝か? はたまた例によって歯の浮くような愛の言葉か?
状況に全く脳が追いつかずぐるぐると目を回すピィに、クレイスは真剣な目をして言った。
「――これからは、ピィさんとお呼びしてもいいですか?」
「知っ……たことかァッ!!!!」
しかし力任せの右アッパーも、やはり呆気なく避けられてしまったのである。
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