少年は恋慕の念を吐露する

 心臓が早鐘を打っている。

 顔が熱い。


 腕には柔らかな感触が、そして右手にはすべすべで、陶器のようにきめ細かい肌の手が繋がれている。

 全身が沸騰するように熱くなるのを感じながら通りを歩いていると、通りを行き交う人々から優しい眼差しを感じた。


 今、僕はエミリーとメリディエース大通りに二人で買い物に来ていた。何故僕達が二人で買い物に行くことになったのかは数刻前まで時を遡る。


 ♢♢♢


「……ん~……」


 心地好い感覚が身体を支配する中、僅かに視界が開かれた。

 目を開くと窓の外から差し込んだ暖かな陽光が降り注ぎ、あまりの眩さに思わず顔を背ける。どうやら昨日の夜、僕は寝る前にカーテンを閉め忘れて寝てしまったらしい。


(昨日の……夜……)


 まだぼんやりと霞がかっていた頭の中の霧が晴れるように、脳が覚醒してきた。

 それと同時に昨夜の出来事が脳裏を過り《よぎ》顔が熱くなるのを感じた。

 そうして顔の火照りを鎮めるように僕が枕に顔をうずめていると、部屋のドアがノックされた。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 一言声をかけてから部屋の中に入ってきたのは何度か城内で見かけたことのある侍女メイドさんだった。


「お食事の準備が整っておりますのでジン様の準備が整い次第食堂へといらして下さいませ」

「あ、はい。すぐに行きます。わざわざありがとうございます」


 僕が御礼を言葉にすると、それを聞いた侍女メイドさんは僅かに表情を緩めると腰を折り、綺麗なお辞儀を見せた。


「いえ、それでは失礼します」


 侍女メイドさんが部屋を後にしたのを確認すると、未だに寝台の心地好い温もりを感じていたいと思う身体を起こし、クローゼットに近づいた。

 中には寝間着以外にもラフな―とは言っても貴族用の良い生地を使って作られた一級品だが―衣装も掛かっている。


 そのうちの一着に手を伸ばすと手早く着替えを済ませた。

 クローゼットの横に立てかけられた姿見で自分の姿を見るが、やっぱり僕にはあまり似合わないような気がしてならなかった。


「はぁ……」


 溜息を一つ吐くと、部屋を後にして食堂へと向かった。

 廊下を歩いていると既に美味しそうな匂いが漂ってきていた。

 匂いに釣られるように食堂へ向かうと、食堂には既に朝食を口にしているグレイとエミリーの姿が見えた。


「むぉ、もはようジン」

「うん、おはようグレイ。それと――」


 エミリーにも挨拶をしようと思い顔を見たら、昨日の出来事がフラッシュバックした。エミリーも同じことを思い出したのか、顔を赤らめ、唇を押さえると顔を背けてしまった。


「ん~? お前らなんかあったのか?」

「えっ!? い、いや別に何もなかったけど?」

「そうか? どうも様子がおかしい気がするけど……」

「そ、そんなことより朝ご飯だよ! 僕お腹空いちゃった」


 無理やり話を遮ると、いつの間にか運ばれてきていた料理に手を付ける。

 朝食の献立は柔らかいパンとサラダ、香ばしい匂いを漂わせる何かの肉と湯気が立ち昇る暖かいスープだ。

 スープをスプーンですくうと、ゆっくりと口元まで運んだ。


「んっ! 美味しいね、このスープ」

「だよな、俺もこのスープはお気に入りなんだ。確かショウガってのを使っているから身体が暖まって体温が下がってる朝にはうってつけなんだとよ」

「なるほどね」


 料理を食べ始めるとグレイもすっかりエミリーと僕の話を気にしなくなり、このまま何事もなく美味しい朝食を食べて終わりだと考えていたのだが。


「やあ、みんなおはよう」

「おはようございます、ツヴァイ様」

「おはようございますお父様」

「ん?おはよう、父様」


 遅れて食堂に姿を現したのはツヴァイ様だった。


「ん? ジン君とエミリーは何かあったのかい?」

「「えっ!?」」


 突然何の前触れもなく放たれた言葉に思わず声を上げてしまった。

 向かいの席に座っていたエミリーも口を手で覆い隠そうとするがもう遅い。

 恐る恐るツヴァイ様の方を振り向けば、満面の笑みを浮かべるツヴァイ様と目が合ってしまった。


「それじゃあ――」


 ♢♢♢


 こうして僕達はツヴァイ様にお使いを頼まれてしまい、今に至るというわけである。

 ただ、普通に僕達が二人で王都の街に、特に商店が立ち並び人通りの多いメリディエース大通りに行くとなれば問題が発生する。


 僕は別に問題無いが、エミリーはこの国の王女様だ。おいそれと街中を出歩いていればそれだけで混乱を招きかねない。

 しかし、ツヴァイ様に渡されたこの首飾り型の魔道具をエミリーが身に着けている限りその心配はない。


 この魔道具にはどうやら認識阻害の魔法が掛けられているらしく、ツヴァイ様もこの魔道具を使いちょくちょくお忍びで街に出ているらしい。


「これで一通り頼まれていた物は買い終わりましたよね?」

「うん。多分大丈夫だと思うよ」


 午前中に周り始めたはずだがいつの間にやら時刻は正午を迎えていた。

 鐘の音が王都中に響き渡り、正午になったことを告げている。

 すると、隣からきゅるる、と可愛らしい音が聞こえてきた。


 視線を音の方に向けると、エミリーが顔を赤らめながらお腹を押さえていた。僕の視線に気が付くと、紅潮した頬はさらに赤く上気し顔から湯気が立ち昇ってしまいそうなほどだった。

 僕は思わずくすりと笑みを漏らしながら買い物袋を持ち直した。


「そろそろいい時間だし、どこかで休憩しようか?」

「そ、そうですね……」


 未だに顔を赤らめたままのエミリーと並んで歩いていると前方から勢いよく走る大量の人々が迫り来ていた。ただ、気が付くのが遅かった。


 次の瞬間には僕達は人の波に呑まれてしまった。


「エミリーッ!」


 咄嗟に空いている右手を辛うじて視認できるエミリーの方へ伸ばした。

 すると、僕の手に柔らかな感触が走り、続いて人肌の温もりを感じた。決して離すまいと固く手を握り締めていると、数秒程して人波は過ぎ去っていった。


「な、なんだったんでしょうか?」

「さ、さあ……?」


 人混みは消え、右手に掴んだエミリーの柔らかな手がすっと離れていく感覚を感じ、僕は思わずその手を掴んだ。


「え? どうしたんですかジン君?」

「え、あ、いやあ、その……。またさっきみたいなことがあって離れ離れになっちゃったら危ないでしょ? だから、その……。このまま手繋いでおかないかな……?」

「は、はい……」


 掌越しに伝わってくる暖かさと柔らかさが心地よくて、僕はどうしてもこの手を離したくないと考えてしまう。

 もしかしたら咄嗟にエミリーの手を握ったのもそういう理由だったのかもしれない。

 そう考えると恥ずかしくて、僕は火照った顔を隠したくなった。


 何の考えなしに歩いていると、唐突にエミリーがその足を止めた。その視線の先にあったのは一軒の喫茶店だった。


「このお店にする?」

「あ……はい!」


 嬉しそうに頷いたエミリーは僕の手を軽く引いて僅かに先を歩いていく。

 喫茶店は外観通り内装も落ち着いた雰囲気で少し大人びた印象を受ける。ただ、その印象とは裏腹に店内に座るお客さん達は皆女子ばかりで、そのテーブルには美味しそうなケーキなどが並べられていた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「はい、限定ストロベリーケーキを一つと……。ジン君はどうしますか?」

「え? あ、僕はこのチョコレートケーキで……」


 控えめにメニューに書かれた名前を指すと、店員さんは笑みを浮かべ後ろへ下がっていった。


「それじゃあ私達は席を……と思ったんですけど、店内は空いていないみたいですね。あ、あそこのテラス席にしましょうか」

「う、うん……」


 席に着いているのは女子ばかりで、男の僕は少し注目されている気がしてならなかった。若干のいたたまれなさを持ちながらも移動する。


 席に着くと、日傘の下、エミリーは眉尻を下げて悲し気な表情を浮かべた。


「ごめんなさいジン君。面白くない買い物に突き合わせてしまって……」

「え?いや、そんなことないよ!? 僕エミリーと色々街を見て回れて今日は凄く楽しかったって!」

「そう……なんですか? でも、さっきからジン君つまらなさそうにしていたからてっきり……」


(なるほど、エミリーは僕が顔をしかめてたから……)


 申し訳ないことをしたと反省していると、店員さんによって銀のトレーに乗せられた二皿のケーキが運ばれてくる。


「わぁぁぁぁ……!」


 目の前に置かれた皿に視線を奪われたエミリーは嬉しそうに声を漏らした。

 フォークに手を伸ばすと、「いただきます!」と嬉しそうにケーキを口に運んだ。


「ん~~~~!」


 甘美な悲鳴を上げ、頬を押さえて悶えるエミリーの姿を見ていると心が柔らかくなった。僕も自分の頼んだチョコレートケーキを一口頬張った。


(こ、これはっ!)


 僕がこれまでに食べてきたどのケーキよりも美味しいそれに思わず目を見開いた。

 濃厚でいてとろけるような甘さのチョコレートたっぷりのケーキに舌͡鼓を打つ。


「どうですかジン君? ここのケーキはとっても美味しいってサルフォード学園の女子の間で有名だったんですよ」

「うん! すっごく美味しいよ!」

「ふふ、それなら良かったです」


 確かにこれほどまでの美味しさのケーキであれば噂になるのも頷ける。二口目、三口目と次々にケーキを平らげていくと、ふと目の前にピンク色の何かが差し出された。


 少し離れて確認すると、目の前に差し出された物がストロベリーケーキで、それを差し出しているのがエミリーだと分かった。


「え、エミリーさん?」

「その……。あーん……」


 恥ずかしそうにケーキを差し出すその姿に胸打たれつつも、僕は自分の冷や汗が額から流れるのを感じた。


(こ、このケーキを食べるということはつまり……。か、か、間接きしゅ……)


 しかし、ここで食べないなど言語同断だ。

 ここは男を見せるべき時である。僕は意を決して口を開き、差し出されたストロベリーケーキを頬張った。


「ん! うまいっ!」

「よかったです!」


 先程食べたチョコレートケーキとは別の美味しさがあった。

 さっぱりとしたストロベリークリームと、甘酸っぱい苺の酸味が絶妙にマッチしている。

 ストロベリーケーキを口の中で咀嚼しつつ、おもむろにチョコレートケーキを切り分けると、エミリーの前に差し出した。


「エミリーにも食べてほしいんだ。はい、あーん」

「え、えっと……あ、あーん……」


 小さく開けられた口の中にゆっくりと運ぶと、エミリーは口に手を押さえながらニコニコと笑みを浮かべた。

 どうやら美味しかったらしい。


「チョコレートケーキも甘くて美味しいですね」

「だよね!」


 そうしていると楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまうもので、気づけばケーキを平らげていてしまった。


「名残惜しいですけど、お使いは終わりましたし、休憩も取りました。もうお城に戻らなくちゃいけないんですね……」

「エミリー、僕王都を二人で見て周りたいな」

「え……?」


 その場に固まり、困惑の表情を浮かべるエミリーに対し、僕は自分の思いを吐露した。


「その、まだ僕は王都の事をよく知らないし。よかったらエミリーに案内してほしいなって。どう……かな?」

「ふふっ、もちろんです」


 ♢♢♢


「大分色々なところを周りましたね」

「うん。あ、エミリー、この後寄りたいところがあるんだけどいいかな?」

「え? はい、もちろんです」


 僕はどうしてもあの場所で、この自分の中に募った思いをエミリーに伝えたかった。

 長い長い螺旋階段。無限のように思える階段を上りきった先に見えるのは、上から見下ろした王都の景色だ。


 そう、僕が向かっていたのは王都で最も高い建造物である時計塔だ。


「やっぱりここからの眺めはいつ見ても綺麗です」

「うん。エミリーは僕と初めてここに来た時のことを覚えてる?」

「はい、勿論です。私が王女様だって教えたんですよね」


 長く昔のことのように感じるが、ほんの数日前の出来事だ。


「それでジン君はどうしてここに来たかったんですか?」

「え、と……。エミリーに伝えたいことがあったんだ」


 高鳴る心臓の音がうるさい。

 全身の血液が沸騰しているんじゃないかってくらい身体が熱い。

 考えていた言葉は全て忘れ、頭の中は真っ白だ。


 でも、僕はエミリーに伝えると決めた。

 だから――。


「エミリー、君の事が好きです。僕とずっと一緒にいてくれませんか?」

「……っ! はいっ! 喜んで!」


 あんなにも燦々と輝いていた太陽は傾き、徐々に夜の帳が降り始めた黄昏時。

 城へと延びる二つの影があった。

 固く手を握り合った二つの影が。

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