少年は英雄の夢を見る
♢♢♢
僕以外誰もいない自室。
静寂が包み込む部屋の中で一人、僕はベッドに身を預けていた。
この世界に来てからまだ十日程しか経っていないのに、その内容は濃くて、刺激的で、忘れられない思い出になった。
初めて命を懸けて戦った。初めて魔法を唱えた。初めてこの手で命を刈り取った。そして、初めて出来た大切な人を守ることが出来た。
「ねえ、アレク」
「ん? なんだ」
ふわりと浮遊し、現れたアレクはベッドの横に立った。
「この世界に来てから、僕変われたのかな……?」
「ガハハッ! なんだ? 唐突に真剣な表情をしているかと思えばそんなことかッ! お前は変わったが、変わっていない」
「え?」
どさりとアレクが僕の隣に腰かける。
僕よりも遥かに逞しく大きい身体がベッドの上に乗ると、ベッドが重さで僅かに軋んだ。
「ジン、お前はこの世界に来て強くなった。自分の大切な人を守れるだけの力を手に入れた。だがな、ジンの思いはこの世界に来る前から何も変わっていないだろう?」
「僕の……思い」
「そうだ。強くて、格好良くて、皆を助けられる
(僕の根底にある思い……)
確かにアレクの言う通りだ。
僕の根底にある思いは僕の根源だ。この
「そうだね、アレクの言う通りだ」
「ガハハッ! 安心しろ、ジンは成長しているぞッ! 今ならば我の全盛期の百分の一くらいの力はあるのではないか?」
「あはは……どれだけ昔のアレクが強かったのか想像出来ないよ」
ははは、と笑みを交わしながらふと脳裏にひっかかりを覚えた。
(そう、僕はこの世界に来てから十日近く……)
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「なんだ突然? 食当たりでもしたのか?」
「ち、違うよ! 確かこの世界とあっちの世界だと時間の流れ方が違うんだよね?」
「む? ああ、確かこちらでの一日があちらの世界での一日に相当するはずだ」
こ、これは不味いことになったかもしれない。
つまり最低でも十日以上こちらの世界で過ごしているということは、あちらの世界では十時間以上の時間が経っているということ。
確かこちらの世界に来る直前のあちらの世界での時間は午後三時頃だったはず。つまり最低でも午前零時以降の深夜ということで……。
額から
膝がかくかくと震えるのを抑えきれない。
「いきなりどうしたのだ? 様子がおかしいが……」
「あ、アレク! 僕、今すぐにあっちの世界に戻らないと大変なことになっちゃうっ!」
「落ち着け、ならばひとまず戻ってみればいいだろう」
「うんっ!」
【アイテムボックス】を唱え、黒い小さな鍵を取り出すと、クローゼットに備え付けられた鍵穴に差し込んだ。カチャリという音ともにクローゼットの両開きになった扉が開かれる。
開かれたクローゼットの中にはそこにあるはずの衣服が無く、代わりに眩く輝く白い光が広がっていた。
久々に目にする光景に懐かしさを覚えながら、僕は光の中に足を踏み入れた。
♢♢♢
目を開けば視界に広がるのは見知った風景だった。
十何年も見てきた僕の部屋。こちらの世界ではほんの十時間程経っただけだというのに今はひどく懐かしく感じた。
部屋の明かりを着けると、恐る恐る扉を開き廊下に出た。
家の中は静まりかえっており、明かりは消えている。ひっそりと寝静まった家の中、階段を降り、僕はリビングへと向かった。
「これって……」
テーブルの上には書置きが残されていた。
書置きにはこう書かれている。
塵へ
今日はあなたの好きなハンバーグを作ったけど帰りが遅いようなので冷蔵庫に入れておきます。温めて食べてね。
それと、母さんは凄く怒っています。明日帰ってきたらたっぷりと話さないとね?
母さんより
「……」
おもむろに冷蔵庫を開けると中にはラップのされた皿がいくつも見受けられる。僕はその中からハンバーグが乗せられた皿を手に取るとレンジの中に入れた。
ピッという電子音と共に電子レンジが振動を開始し、あっという間にチン、という音がなった。
暖まったハンバーグを箸で切り開くと中から肉汁が溢れ出してくる。
一思いに口の中に放り込むと肉の旨味が口の中に広がるのを感じた。
僕が大好きな母さんのハンバーグの味。
この頃は王城でたくさん美味しい食べ物を食べさせてもらったけど、やっぱり僕にとっては母さんのハンバーグが一番だ……。
「アレク……。僕、明日母さんに謝らなくちゃ」
「そうだな……。明日に備えて今日はもう寝ろッ! しっかり寝ないと我のように大きくなれんぞ?」
「あはは、そうだね」
音を立てないよう、静かに階段を上り自室に戻ると倒れこむようにしてベッドに身を預けた。
(久々の……自分のベッドだなぁ……)
包み込むような温かさと、自然と落ち着く匂いに包まれて僕の意識は薄らいでいった。
♢♢♢
「んぁ……」
見知った天井。
幾度となく目にした白い天井だ。でも、違和感を感じて止まない。
最近は毎日起きると一番に目に飛び込んできたのは赤い垂れ幕だった。城で僕に貸し与えられた部屋のベッドには天蓋がついており、内側は深紅の垂れ幕状になっていたからだ。
大きく身体を伸ばし、ベッドの横に備え付けられた小テーブルの上に置かれた時計に視線を落とす。
時刻は午前六時三十分。今までの僕なら気持ちよく眠りの世界にいただろう時間だ。
ベッドから起き上がると部屋を後にした。
向かうのは香ばしい香りが漂ってくる一階のリビング。匂いに釣られるように階段を降りると、リビングに父さんと母さんの姿が既にあった。
「……おはよう」
「あら、おはよう塵」
「おはよう」
僕が小さく挨拶をすると、母さんは洗い物をしながら背中越しに、父さんはテレビを見ながら挨拶を返した。
いつもと変わらない朝。テーブルには苺のジャムが塗られたトーストとベーコンエッグ、湯気を立ち昇らせるコーンスープが盛り付けられている。
「いただきます……」
何て言うことのないいつも通りの朝食を食べていると、テレビを見ていた父さんがむくりと立ち上がり、僕の対面の席に腰を下ろした。
すると、朝食を食べている僕の方に身を乗り出して小さな声でこそこそと話し始めた。
「お前昨日何やってたんだ? 母さんカンカンに怒ってたぞ」
「えっと、その……。ごめんなさい……」
「反省してるならいいけどなぁ……。父さん、昨日は大変だったぞ。母さんが警察に連絡入れようとするのを止めたり、怒り狂った母さんを
「う……本当にごめんなさい……。それと、ありがとう父さん」
今日母さんの機嫌が思ったよりも悪くなかったのは父さんの貢献があってこそのものらしい。本当にいくら感謝してもしきれない。
母さんは普段そこまで怒らないが、怒らせると手に負えないくらい怖いのだ。
その母さんの怒りを少しでも沈めてくれた父さんは本当に優しいと思う。
そんな話をしているといつの間にか朝食は食べ終わっていた。
父さんは僕のことをソファーに連れて行くと自分の隣に座るよう言った。
「まあ、塵はいつも俺や母さんの言うことをきちんと守っているから余計に母さんも不安になったんだと思うよ。だから、母さんのことを嫌いにならないでやってくれな?」
「分かってるよ、今回のは僕が一方的に悪いんだから」
「まったく……どうしてお前はそんなに聞き分けがいいのかねぇ……。俺としてはもう少し世話を掛けさせてくれてもいいんだがな」
そう笑いながら父さんは僕の頭を撫でた。
父さんの手はアレク程ではないにしろごつごつとしていて、大きく、暖かくて、撫でられているととても安心した。
「それはそうと塵。お前なんか背伸びたんじゃないか?」
「え? そうかな?」
「ああ、体つきも前よりがっしりとして筋肉質になってるし」
父さんはふむふむと僕の身体をぺたぺたと物色するように触ってきた。それがくすぐったくて笑いを堪えきれず、僕がけらけらと笑っているといつの間にか洗い物を終えた母さんが僕の隣に座っていた。
「お、母さんも見てみるか? 塵の奴また大きくなった気がしてな」
「あら、本当に? 確かに何だか体格がしっかりとした感じがするわね。それに顔も凛々しくなって男らしくなったんじゃないかしら?」
母さんは僕の頬をぷにぷにと突くと楽しそうに微笑んだ。
「その……母さん昨日はごめん……。僕……」
「塵、もういいわ」
「え……?」
「だってあなたはもう十分反省しているもの。それは見ていれば分かるわ。それに父さんにも謝ったんでしょ? それならこの話はもうお終い、でも次からは先に連絡して頂戴ね?」
「母さん……」
胸の辺りがじんわりと熱くなるのを感じた。
久々に父さんと母さんの顔を見ると色々なことを思い出してしまう。
昔、僕が今よりも小さい頃はよく父さんと母さんに挟まれて、遊んでもらった。そして、遊び疲れたら母さんが僕の大好きな
いつの間にか僕の傍からアレクは消えていた。リビングには僕と父さんと母さんの三人だけが残される。
「ねえ父さん母さん! 聞いてよ、僕、すっごく可愛い女の子と出会ったんだ! それでね――」
暖かく見守り、僕の話に耳を傾けてくれる大好きな僕の家族に教えてあげよう。
異世界での話を、エミリーやグレイ、異世界で出会った人々のことを。
僕が見た英雄の夢を。
♢♢♢
暗き昏き底の底。
一筋の光さえ差し込まない漆黒の闇の中、中央には巨大な氷の結晶が
ひんやりとした冷気を放つ巨氷の周りには、うっすらと青白い燐光を漂わせる純白の花が咲き乱れていた。
燐光に照らされ薄っすらと見える巨氷の中には人の影がある。
一糸纏わぬ姿の美しい女性。
身体を抱きかかえるような姿勢で巨氷の中に眠る女性は艶やかな銀色の長髪と絹のように白い肌、整った顔と女性らしい丸みを帯びた身体を備えている。
一言で表すならば彫刻。まるで彫刻のように整った容姿に誰もが見惚れてしまう。
広がる暗闇の中、巨氷の向こうに赤い光が
「……っ。ああ、そうか。その時が近いということか」
暗闇の中を歩く男は右目を押さえながら呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます