少年は穏やかな夜を過ごす

 ツヴァイ様に先導され、行き着いた先にあったのは大きな扉だった。隣の看板には宴会場ホールと書かれている。


「それじゃあ入ろうか。あ、ジン君、中にはエミリーの兄弟姉妹や、僕の嫁達がいるけど緊張しすぎないでね。食事は楽しく食べるものだと思っているから」

「は、はい」


 そうは言われても王族と食事をする機会何て一般人に過ぎない僕にとっては生涯訪れることなんて無いと考えていたのだ、緊張しないほうがおかしい。

 深呼吸をして鼓動を押さえようとしていると、おもむろにツヴァイ様が目配せをすると側に控えていたアルバートさんが大扉を押し開いた。ツヴァイ様が中に入っていくので、後をエミリー、僕の順に続く。


 中は煌びやかなシャンデリアが天井から吊り下げられ、深紅の絨毯が敷かれた空間だった。かなりの広さで、人が数百人は容易に入れるように見える。

 その中央に長机が設置され、椅子には既に十数人の王族の方々が座っていた。扉が開かれたことによって視線が一気に集中する。


「すまないね、待たせてしまって。集まってもらったのは彼をもてなすためだ」


 ツヴァイ様に向いていた視線が僕の方へと向けられる。ツヴァイ様の後ろに隠れるように立っていると肩に手を回され、ツヴァイ様の横に立たされた。


「今日エミリーが王城を勝手に抜け出して大騒ぎになったことは皆も知っていると思うけど、どうやらエミリーは街の外に行っていたみたいでね。城門の所で純金級ゴールド冒険者に絡まれている所を助けてくれたんだ。彼はエミリーの恩人、つまり僕達にとっても恩人だ。だから今日はジン君をもてなそうと思う」


 そう言うとツヴァイ様は最も遠い空席に向かい、僕はエミリーに案内されるまま最も手前側の空席についた。すると隣の空席にエミリーも腰かける。

 僕達が席につくのを見計らうと、さっと各々の前に紫色の液体が継がれた金属グラスが置かれる。ツヴァイ様はグラスを軽く掲げた。


「エミリーの無事とジン君との出会いを祝って。乾杯」

「「「乾杯」」」

「あ、乾杯」


 後れて僕が言うと、いつの間にか使用人たちによって料理が運び込まれ、皿が置かれていく。形式は所謂コース料理に似たもので、一皿一皿に工夫が施された美味しい食事が運ばれてくる。

 ただ、確かに高級な食材を使っていたり、一流のシェフの手にかかって作られているものなのかもしれないけど、緊張で味が分からないので凄く勿体ないことをしている気がしてならない。


 それでも出される料理を残すなどということは出来ず、僕が黙々と食べていると、右側から声を掛けられた。


「なあなあ、お前名前何て言うんだ?」

「え、あ、僕の名前ですか? 僕は風間塵といいます」

「だから父様がお前のことをジン君って呼んでたのか。じゃあお前の事、ジンって呼んでいいか?」

「は、はい……」


 声を掛けてきたのは僕のすぐ右の席に座っていた金髪の少年だった。年は多分僕やエミリーと同じくらいだろう。


「俺はグレイ、グレイ・フォン・ヴェラムエイジだ。俺のこともエミリーみたいに気軽にグレイって呼んでくれ。あ、あと敬語もいらないぞっ」


 ニコニコと笑みを浮かべながらグレイは僕の方に手を差し伸べる。僕はあまり人付き合いが得意ではないけど、グレイはとても話しやすい。

 僕にもグレイみたいな社交性があれば……。

 僕は差し出された手を握り返す。


「えっと、それじゃあよろしくね、グレイ」


「おうっ!」


 それからも食事をしながら隣のグレイと僕は色々なことを話した。グレイから出てきたのはグレイやエミリーが通っているという学園の話や、グレイが剣を教わっているという騎士団長の話などだ。

 どれもとても楽しそうに話すので、聞いている僕も話を聞いていてとても面白かった。


 僕がグレイにしたのは日本での話だ。ミュートロギアよりも文明が発達している日本の話にグレイは興味津々といった様子だった。


「すごいなっ! ジンの故郷には鉄の羽を持った龍が人を乗せて空を飛ぶのかっ!」

「まあ、龍ではないんだけどね」


 僕がグレイと楽しく話していると、左手側の袖がくい、と引っ張られる。何かと思ってそちらの方向を見てみると、不満そうな顔をしたエミリーが僕の袖を軽く摘まんでいた。


「ど、どうしたの?」

「グレイとばかり楽しそうに話して……ズルいです」

「ええ……?」


 一体どうすればいいのかと困惑していると、僕の隣のグレイが「はははっ!」と笑いながら僕の肩に手を置いた。


「エミリーの奴嫉妬してるみたいだぞー? そんなに俺とジンが話してるのが羨ましかったのか?」


 揶揄からかうようにグレイが言うと、エミリーは顔を赤くして「もう知りませんっ!」とそっぽを向いてしまった。その様子を見たグレイは再び笑い、僕がどうしたものかと思っていると、ツヴァイ様の声がかかった。


「それじゃあ皆食事を終えたようだし、夕食は終わりとしよう」


 その一声を受けて王族の人々はそれぞれが席を立ち宴会場ホールを出ていく。その流れに従ってエミリーも早々に場を後にしてしまった。

 後を追い、声を掛けようと僕も席を立とうとしたら隣のグレイから声を掛けられた。


「さっきの話だとまだ風呂入ってないだろ? 一緒に大浴場に行こうぜっ!」

「え? あ……」


 グレイの方を振り返っている間にエミリーの姿は消えていた。僕は肩を落としながらも頷くと、グレイに案内され階段を降りた。

 王城の敷地内に城以外に建てられた建物、そこが大浴場らしい。吹き抜けになった渡り廊下を渡り、大浴場につくと男性と女性で分けられた入り口が見えた。


「女湯の方に行ったら駄目だぞ~」

「分かってるよっ!」


 グレイがふざけた様子で言うので、僕がすかさずツッコむとそれを待っていたと言わんばかりに楽しそうにグレイは笑った。


 脱衣室に入ったところで、僕やグレイが湯編み用のタオルや、風呂上りに体を拭うバスタオル、それに着替えを持ってきていないことに気が付いた。僕がグレイにそう言うと、どうやら侍女の人達が僕等が風呂に入っている間に用意してくれるらしい。


 王族というのはそういうものなのか……と感心しながら脱衣場で服を脱いでいると、僕の隣で衣服を脱いでいたグレイの身体が目に入る。僕と同い年だというのにその身体は鍛えられており、とても引き締まっている。

 すると僕の視線に気が付いたグレイが自慢するように口端を上げた。


「どうだ? 結構鍛えてるから中々良い身体してるだろ?」

「うん、驚いたよ」

「そういうジンも中々鍛えてるんじゃないか?」

「え?」


 視線を自分の身体に落として僕は目を疑った。ほんの数日前に風呂に入った時に見た自分の身体とは思えなかったからだ。元々痩せている方ではあったが、運動をしているわけではなかったので筋肉はついておらず、もやしの様な身体だったはずだ。

 だけど、今の僕の身体はそうではなかった。


 腹筋は僅かに割れ、腕や脚も弛んだ脂肪が見当たらず、引き締まっている。一体何故、そう思っていると僕のその疑問の答えが突如背後から返ってきた


「ガハ八ッ! 驚いているな。まあ無理もない、突然自分の身体が変化していればなッ!」


 この大きな笑い声、聞き慣れたそれはアレクのものだ。振り返ると何故か全裸になったアレクが腕を組んで立っていた。


「お前はこの二日間の間に常人の何倍もの経験を積んだ。それはジンの固有スキル、【英雄伝説ヒーロークロニクル】の恩恵とジンの努力があってこそだがな。それによってジン、お前は成長……いや、飛躍を果たしたのだ」

「飛躍……その影響で僕の身体にこんな変化が起きたってこと?」

「表層的な部分だけではない、無論ステータスやスキルにもその影響は出ている」

「それじゃあ――」

「おーいジンっ! そんなところで何やってんだよ、早く風呂入ろうぜっ!」


 浴場の方からグレイの声が聞こえ、僕は話を中断した。


「また後で聞くね。ごめんっ! 今行くよっ!」


 小走りで浴場へと向かい、浴場の中に入って僕は目を剥いた。侍女とおぼしき女の人が数人おり、その内の数人がグレイの身体を洗っていたのだ。

 身体を現れながら何一つ気にした様子無くグレイは僕に笑いかける。


「遅かったな! 先に身体洗って待ってたぞ」

「え、え? なんで女の人が男湯にいるの?」

「ん? ああ、そうか。ジンは貴族じゃないから慣れないよな。位の高い貴族や王族なんかではこうして侍女に身体を洗わせることが割りと普通なんだよ。俺も小さい頃からこうやって洗われてるから特に恥ずかしいとかは思わなくなっちまったな。まあ、すぐに慣れるから気にすんなっ!」


 そうは言っても恥ずかしいものは恥ずかしいんだよっ! 心の中で叫びながら、そっと後ろに下がろうとしたら、後ろから肩を掴まれた。

 恐る恐る後ろを振り返ると、全裸のアレクががっしりと僕の肩を掴んでいる。


「ガハ八ッ! 腹を決めろ、ジンッ! それに男ならば若い女に身体を洗われて悪い気はしないだろう?」

「そ、そういう問題じゃっ――!」

「ジン様ですね、それでは御背中をお流し致しますので、どうぞこちらへ」

「え、あ……」


 ♢♢♢


「はははっ! どうしたんだよジンっ! そんなに顔を赤くしてさあ、のぼせたか?」

「分かってる癖に……」


 結局僕は全身くまなく身体を洗われ、髪も洗って貰った。前は自分でやりますと言ったが、「それでは私共が仕事を全うできず叱られてしまいます」と侍女の人達に涙目で言われてしまい、折れてしまった。


 顔の下半分が湯に浸かるくらい深く湯船に浸った僕は視線を、身体を洗っているアレクに向ける。グレイの身体も年の割に引き締まっていると思ったが、やはりアレクのそれは別次元だ。

 ボディビルダーのように肥大した筋肉、でも無駄な筋肉は無く、体はシュッと引き締まっている。その身体には無数の傷が付いており、アレクの生涯を物語っているようであった。

 あれが古の大戦と呼ばれる争いを終結させた英雄ヒーローの肉体、かぁ……。僕がぼーっと湯船に浸かっていると突然名前を呼ばれた。


「ジンッ! 悪いが、我の背を洗っては貰えぬか。一人では届かない部分があってな」


 僕はグレイに先に上がってていいよ、と伝えるとアレクが待つ方へと向かう。差し出された手拭を受け取ると、アレクの背中に触れる。無言で背中を流していると、アレクが沈黙を破った。


「ジン、先程何か我に言おうとしていなかったか?」

「ああ、うん」

「何を我に言いたかったのだ?」

「……。アレク、僕はアレクみたいに強くなれるかな……?」


 背中を手拭で洗いながら僕がそう問うと、アレクは豪快に笑った。


「何を言うかと思えば。お前ならばなれるとも、我よりももっともっと強くな。エミリアといったか? あの女子おなごのことを今日、お前は救った。それは以前のジンに出来たことか?」

「……」


 何も返す言葉が無く、僕は黙り込む。


「つまりそういうことだ。以前には無かった人を救うだけの力を手に入れ、その心も強く、成長させた。お前は確実にお前が焦れた英雄ヒーローへと近づいている」


 背中を洗い終わり、桶に汲んでおいた湯を背中に掛け、泡を落とす。


「それにな、ジン。我は決して、強くなどなかったのだ。お前が憧れた英雄ヒーローなどには程遠い……」

「え……?」


 いつものアレクからは考えられないような様子に僕が驚いていると、すぐにアレクはいつも通りの豪快な笑い声をあげた。


「ガハ八ッ! 助かったぞ、ジンッ! 中々絶妙な力加減で気持ち良かった。我は湯に浸かってからあがる。お前は先にあがっていろ」

「う、うん。また後でね、アレク」

「うむ」


 ♢♢♢


 ジンが浴場から出るのと同時に侍女達も浴場を後にする。誰もいなくなった浴場にアレクの声が木霊した。


「そう……我は決して強くなどなかった……。結局仲間を裏切り、その果てに死んだのだからな……。後悔してもしきれない。そう思っている時点で、我の心の弱さが浮き出ておるわ……」


 ♢♢♢


「うぅ……」


 僕は脱衣場を後にすると情けない声を出して唸っていた。まさか侍女達が一緒に浴場をあがり、着替えを手伝ってくるとは思っていなかった。城の方で用意された寝間着を着せられた頃には僕は精神的に疲れ切ってしまっていた。それとは逆に侍女達の顔は心無しか潤っている気がしたが。


「はぁ……」


 王城へと続く吹き抜けになった渡り廊下を歩いていると、月明かりに照らされた一つの長椅子が目に留まった。長湯したためか、中々頭がぼんやりとしたままだったので僕は長椅子に座り、火照りを冷ますことにした。

 目を瞑り、身体を背もたれに預けていると、何かが僕の目を覆った。驚いて飛び起きると、まだのぼせた頭がくらくらとして、椅子に尻餅をついてしまう。


「大丈夫ですか?」


 僕の目を覆ったと思われる人物は僕を心配してか声を掛けてきた。その声から相手が女性であることが分かる。

 というか、僕はその声に聞き覚えがあった。


「もしかして……エミリー?」

「あ、バレちゃいました」


 そう言うとそっと僕の目を覆っていたエミリーの手が退けられた。ニコニコと微笑むエミリーは僕の隣に腰かけた。

 僕と同じく寝間着に着替えていたエミリーが僕の隣に座ると、ふわりと甘い香りが舞った。僅かに濡れた髪が月明かりに照らされ、艶やかに輝く。

 昼間に見た可愛らしさとは打って変わって、今のエミリーはどこか大人の美しさというものを放っていた。


「どうかしましたか?」

「えっ!? あ、なんでもないよっ!」

「……? そうですか。ジン君、実は私、ジン君に言いたいことがあったんです」

「なに?」

「先程は申し訳ありませんでした。何故だかジン君のことをグレイに取られたような気がして少しむしゃくしゃとしてしまって……」

「全然気にしてないから大丈夫だよ。そんなに謝るようなことじゃないって」


 僕がそう言うと、「ありがとうございます」と花を咲かせたような笑みを浮かべる。本当に可愛いなぁ……と思ってしまう。


「エミリー、これはまだツヴァイ様にも言ってないんだけど聞いてくれるかな?」


 エミリーが頷いてくれたので僕は口を開いた。


「実は僕、この世界の人間じゃないんだ」

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