少年は少女の家に招待される

 初めからエミリーには何か隠していることがあるとは分かっていた。出会った時から外套のフードを目深に被っていたし、理由は分からないけど何かを警戒する素振りを見せたり極端に素顔が露出することを避けていた。

 でもこれで納得がいった。

 僕はただ、無言で頷いた。


「何も言わないんですか? 私、王女様ですよ?」


 悪戯な笑みを浮かべて、彼女は言う。


「それじゃあ僕はどうすればいいんしょうか、エミリー様?」


 僕も冗談めかしてそう言うと、二人して声をあげて笑った。僕にはエミリーの身分何て関係ない。抱いてしまったこの想いは止められない。


「いえ、ジン君、これまでのままいてくれると嬉しいです。私はこのヴェラムエイジ王国の第二王女として生を受け、育てられました。お父様やお母様はとても優しいですし、兄弟姉妹も私には勿体無いくらいです。でも、私には対等な友達というものが出来ませんでした」

「……」

「そんなに悲しい顔をしないでください、ジン君がそんな顔をすると、私まで悲しくなってしまいます。……だからこそ、今日ジン君と出会わせてくれた神様には感謝してもし足りないです。初めて私と対等に接してくれた男の子ですから」


 僕がエミリーに声を掛けようとしたら、すぐ後ろの大鐘が街に鐘の音を鳴り響かせた。街中に響くほどの音を間近で受けた僕達は、思わずその場で後退りする。

 僕とエミリーは際の手すりに体を預けるようにして、フラつく体を支えたが、突然何かが外れるような、がこん、という音が鳴った。


「え?」


 音が鳴った方を向くと、エミリーが寄りかかっていた筈の手すりの姿が無くなっており、時計塔の上から落下していくエミリーの姿がそこにはあった。


「ジンッ!」

「分かってるよっ!」


 僕は身を投げ、エミリーの方へ向かおうとするが空中だと中々思うように体が動かない。ジタバタと暴れていても落下が早まるだけだ。何か考えないと……。

 そうだっ!


「エミリーっ! 手をっ!」

「……っ!」


 僕達はお互いに手を伸ばし合うが中々触れ合うことが出来ない。何度も何度もすれ違い、ようやくしっかりと手を繋ぐことが出来た。


「しっかりと僕に摑まっていて!」

「はい!」


 すると僕の身体にエミリーの身体が密着してきた。女の子特有の柔らかい体の感触と、甘い香りが鼻孔を刺激する。

 意識をしっかりと保て、僕っ! 自分に喝を入れると魔法を使用する準備を整える。そうしている間にも地面はすぐそこというところまで近づいていた。

 あともう少し……。あともう少し引き付けて……。よしっ! 今だっ!!


「【ロックシールド】っ!」


 僕はロックシールドを展開する。魔法は魔力を集め、魔法のイメージをしっかりと持つことが重要だとアレクは教えてくれた。つまり、何も手に魔力を集めて使う必要はないということだ。


 魔法を複数同時に展開する方法、これはアレクに教えてもらった。これもイメージ、普通は一度の魔法のイメージだけで集中力の限界を迎えるが、それを複数同時に行うことが出来れば理屈では魔法が同時に複数発動させられる。勿論かなりの集中力を使うことになるけど。


 落下の衝撃で次々に【ロックシールド】が割れ砕けていく。一枚、二枚、三枚……。次々に【ロックシールド】が割れていき、その分落下の衝撃は和らいでいく。

 でも……。このままじゃ落下の衝撃を殺しきれない、そんな状態で地面に衝突したら……。

 さっと血の気が引いていく。頭の中に最悪の状況が易々と思い浮かんでくる。それでも落下は止まらない、四枚、そして五枚目の【ロックシールド】が割れるかという時――。


「【ウインドハウル】」


 その声と共に風が巻き起こり、風は僕達を包み込むようにして流れ、落下の勢いを削ぐと近くにあった家屋の屋根まで僕達を運んだ。

 僕が唖然としていると、遅れてエミリーが家屋に着地する。


「ジン君、私、もう一つ言わないといけないことがあります」

「うん……」


 そう返すのが精一杯で、未だに何が起きたのかと驚いていると、そんな僕の顔が面白かったのかエミリーはクスりと笑みを浮かべた。


「私、実は精霊銀級ミスリル冒険者なんです」


 可愛らしくペロと下を出しながら言ったエミリーの言葉に固まってしまう。暫くの間硬直し、僕の中で時が動き出すと驚愕の声が漏れ出た。


「え? え? じゃあ、もしかしてだけど、あの男の人に絡まれてた時も僕の助け何て必要なかったんじゃ……」


 がくりと肩を落とすと、慌てたようにエミリーが手を横に振った。


「そんなことないですよ! 確かに私一人でも“牛人殺しオックススレイヤー”をどうにかすることは出来ましたけど、私が彼に手を出してしまうと後々面倒な事になってしまうと言いますか……」


 それに、とエミリーは一呼吸開けて口を開いた。


「ジン君が助けてくれて、凄く嬉しかったですよ」


 陽が沈み、夜の帳が降りた頃。街灯の明かりに照らされたエミリーの笑みは美しく輝いて見えた。思わず心臓がドキリと跳ねる。


「あ、もうこんな時間ですね……。それで、ジン君にお願いした解決してほしい困りごとというのが、私のお父様と会っていただくことなんです……」

「ん? ちょっと待って、エミリーのお父さんってことはもしかして……」

「はい、この国の、ヴェラムエイジ王国の国王です」


 あぁ、エミリーの困っていることを解決するなんて言ってしまったけど、本当に大丈夫なんだろうか……。これから起きる出来事を予想して、僕は胃の痛みを感じていた。


 ♢♢♢


 エミリーと王都を歩いていくこと数分。その間に色々なことを聞いた。

 何故僕がエミリーのお父さんと会う必要があるのか。そう尋ねてみるとエミリーは色々と理由を言っていたが、要点を纏めると僕という証言者がいた方がまだ勝手にお城を抜け出したことについて怒られないと思ったから、なのだそうだ。


 因みにエミリーが何故、夕方にならないと駄目だと言ったのかというと、どうやらエミリーのお父さん、つまり国王様は今日大事な会議があったらしい。それで終わるのが夕方頃になるからその時間に合わせて向かうつもりだったとのこと。


 そうこう離している内に、立派な城門が見えてくる。その城門が王城へ入る唯一の道らしい。

 僕達が城門へと近づいていくと、門を守る衛兵達が槍を構え、こちらを警戒してきた。


「そこで止まれ。お前たち、王城へ何用だ」


 エミリーがフードを外すと衛兵達は慌てて槍を下げ、敬礼する。


「これはエミリア様! 失礼致しました! エミリア様、お隣の少年は?」

「彼は私の恩人です。信頼に値する人物だと私が証明します」

「おお、そうでしたか。それではどうぞ、お通り下さい」


 すんなりと城門を開いてくれるとエミリーはどんどん前に歩いて行ってしまう。慌てて追いかけると、城門を抜けた先に広がっていたのは緑溢れる庭園だった。庭園の中央に伸びる石畳の道を歩き、真っ直ぐに向かっていくと城へと辿り着く。

 城の中に入ると大勢の侍女や執事が出迎えてくれる。ただ、エミリーの顔を見た途端全員が驚き、一人の侍女がどこかへ駆け出していった。


「エミリア様、無断でお城を抜け出されては我々も御身に何かあられてはと心配致します。城を出る際は必ず我々か、陛下や王妃様にお話しを通してからにしてくださいませ」

「ごめんなさい、アルバート。心配をかけましたね。でも、たまには護衛のいない本当の自由というのを体験してみたかったんです」


 ふい、と顔を背けるエミリーにアルバートと呼ばれた初老の男性は苦笑を浮かべた。


「エミリア様は本当に好奇心旺盛ですな。それで、そちらの方はエミリア様の客人でしょうか?」

「はい、彼は私の恩人です」

「そうですか……。お名前を窺ってもよろしいですか?」


 突然話しかけられどぎまぎとしながらも僕は答える。


「じ、塵です。僕は風間塵といいます」

「ジン様ですね。我々一同を代表して私が伝えさせていただきます。エミリア様を助けてくれてありがとうございます」

「い、いえ! 僕はそんなに大したことは……」

「ジン様は謙虚な御方なのですね。ここで立ち話もなんでしょう。それに、エミリア様は陛下にお話をする必要がありますからね」


 アルバートさんにそう言われるとエミリーが「うっ……」と声を詰まらせていた。その様子に僕とアルバートさんが微笑んでいると、エミリーは顔を赤らめ廊下を歩いて行ってしまった。その後を僕とアルバートさんが追っていく。

 階段を登っていき、三階に辿り着いた程のところでエミリーが階段を登る足を止める。


「この先のあの部屋がお父様の執務室です。ジン君はそんなに緊張する必要ありませんよ」

「な、なんのことかな?」


 エミリーは軽く笑みを浮かべながらこちらを振り向いた。どうやら僕が緊張していることがバレていたらしい。

 一国の王様と会うというのに緊張しないほうがおかしいと思う。


「それではジン様、エミリア様、私はここで失礼致します。ジン様、そこまで緊張する必要はございませんよ、ツヴァイ様は多少の粗相など気にしません」

「は、はい。行ってきます」


 少し声が裏返ってしまったが、そんなことを気にしている心の余裕は無かった。

 何故なら、目の前には国王様が仕事をこなしているという部屋の扉があったからだ。

 僕の緊張などお構いなしといった風にエミリーは扉を二度ノックした。すると中から「どうぞ」と声が返ってきた。


「失礼します、お父様」

「し、失礼します」

「ああ、エミリーか。全く、心配したんだよ? エミリーはその辺の冒険者よりもずっと強いから襲われても平気だとは思うけど、それでも親としては心配なんだ。それに、僕に何か言うことがあるよね?」


 エミリーは少し俯いた後に一歩前に出た。


「か、勝手にお城を抜け出して申し訳ありませんでした……」

「うん。今度からは誰かに声を掛けてから城を出てね。そうしたら護衛と一緒に……と言いたいところなんだけど、エミリーはそれが嫌だったんだろう?」

「え……?」


 国王様は椅子から立ち上がると、エミリーの前に立ち、頭を優しく撫でる。


「ごめんね。エミリーは自由に王都に出かけるという経験が無かったから、そういうものに憧れたんだよね。僕は父親なのにそれに気が付くことが出来なかった。今度からは顔を隠してだったら、王都に行ってもいいことにするよ。勿論、僕かアルバートか待女にでもいいから出かけることを報告すること、いいね?」

「お父様……。はいっ!」


 嬉しそうに返事をすると、エミリーは国王様の胸に飛び込んだ。国王様は驚きながらも受け止めると、優しい笑みを浮かべてエミリーの頭を再び撫でる。

 親子水入らずのところに僕がいるという場違い感にとてもいたたまれない気持ちになっていると、ふとエミリーと目が合った。


 見る見るうちに顔を赤く染めたエミリーは、がばっと国王様から離れると「こ、これは違うの!」となにやら言っているが、早口過ぎて何を言っているのか聞き取れなかった。


「おや、ははっ、エミリーがそんな反応を見せるなんて珍しい。もしかして君はエミリーにとって大切な人なのかな?」

「お父様っ!」

「ははっ、ごめんごめん。それでエミリー、彼は?」


 こほんと咳ばらいをすると、まだ顔を赤らめたままエミリーは僕のことを国王様に紹介してくれた。僕もお辞儀をし、国王様に挨拶する。


「お初にお目にかかります、風間塵と申します」

「ジン君、ね。その節はエミリーを助けてくれてありがとう。君はこの国の第二王女を、王族を危機から救ってくれた。なら、それ相応の褒美が必要かな?」

「そんな! 褒美なんていりませんよ、僕は困っている女の子がいたから助けただけです」

「君は謙虚だね」

「そんな……あ、それでは一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」

「うん、僕に応えられることであれば」


 この部屋に入ってからずっと気になっていたこと。それは、部屋の壁に飾られた人物画、その端にアレクの人物画が飾られていたこと。そして、国王様の外見だ。後ろで束ねられた金色の長髪に、深碧色の瞳。

 僕は意を決して口を開いた。


「国王様は、アレクとどういう関係なのでしょうか」


 意表をつかれたかのように少しだけ驚いた国王様は、それまでと同じく柔和な笑みを浮かべていたが、視線がそれまでとは異なり、鋭く変わる。


「エミリーはどうやら、凄い子を連れてきたみたいだね。これも運命というやつかな?」

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