少年は異世界に放り込まれる

「そういえばアレク、さっきこの本を見て何かに納得していたけど何だったの?」

「よく見ているな。それは我が【鑑定】というスキルをその本に対して使用したからだ。【鑑定】によると、その本は神話ミソロジー級のアイテム<叡智の魔導書>というものらしい」

神話ミソロジー級のアイテム?」


 僕が問いかけると、「ああ、」と得心が言ったようにアレクは説明してくれた。

 どうやらアレクの元居た世界には様々な物にレアリティというものが存在するらしい。“一般級ノーマル”から始まり、“希少級レア”“古代級エンシェント”“伝説級レジェンダリー”“幻想級ファンタズム”“世界級ワールド”“神話級ミソロジー”という順に希少性と有用性が上がっていくらしい。そしてこの本のレアリティである神話級ミソロジーは神々の領域であり、アレクもこれまでに数回程しか目にしたことが無いとのことだった。


「それじゃあこの本って想像以上に凄いものなんじゃあ……」

「ガハ八ッ! まあ、そう気にすることは無い」

「あ、というかもしかしてアレクならこの本を読むことが出来るんじゃないの?」

「あまり読書というのは好きではないのだがな……。どれ、貸してみろ」


 僕から<叡智の魔導書>を受け取ると、中身に目を通していく。ある程度読み進めた所でアレクは本を閉じた。


「なるほど。どうやらこれはお前が読むことに意味がありそうだ」

「どういうこと?」

「この本に書かれているのは我の元居た世界、“ミュートロギア”についての知識ばかりだ。それも“ミュートロギア”に住んでいる者であれば誰もが知っているような知識ばかり。中には中々ためになるものもありそうだったぞ」


 と、アレクは言うが……。


「そもそも僕にそんな異世界の話は関係ないんじゃない? だってここは地球なんだし……」

「言い忘れていたが、どうやらジンが手に持っているその鍵、それを鍵穴に挿し込み扉を開くとその扉がミュートロギアと繋がるようだ」

「へ……?」


 一体何を言っているんだ? 異世界と繋がる? そんなフィクションの世界じゃあるまいし……。

 そうは思いながらも、僕はクローゼットに近づいた。僕の部屋のクローゼットにはどういう訳か鍵がついていたのだ。

 鍵穴にこの小さな黒い鍵を差し込むと、難なく入り込む。そのまま時計回りに回転させると、カチャリと何かが噛み合うような音が鳴る。静かにクローゼットを開くとクローゼットの向こうが白い光に塗りつぶされており、何も見えなくなっていた。

 無言で後ろを振り向くと、ニヤリと笑みを浮かべたアレクが僕の事をひょいと持ち上げる。


「ちょっ!? 何するんだよアレクっ!」

「ガハ八ッ! 我は紙と睨めっこをして勉強するよりも実際に肌で体感する方が大切だと考えていてな」

「下ろせーーーッ!!」


 アレクの脇に片手で抱えられたまま、僕は光の中へと消えた。


 ♢♢♢


「ん……ここは……」


 気付くと視界の先には穏やかな青空が広がっていた。背中に感じるふさふさとした感触と土の匂い。どうやら僕は草原の上で寝転がっているようだ。

 その場で立ち上がると、辺りを見回す。周りは丘と草原が広がっている。

 ここが異世界、“ミュートロギア”。穏やかでいい場所だ。

 そう感じていると強い風が吹き、草が風に靡かれる。


「ようやく目を覚ましたか。全く、どれほど待たせるのだ」

「いるなら早く声を掛けてよ」


 いつの間にか僕の後ろに立っていたアレクは悪びれた様子も無く笑っている。

 はぁ……と溜息が漏れる。


「そう言えば面白いことが分かったぞ。どうやら我はジン以外には認識することが出来ないらしい」

「え? そうなの?」

「まあ、我はあくまでも魂だからな。それと、ジン以外のものには触れることも叶わないようだ」

「……それってもしかしなくても不味いんじゃない? 僕が見たアレクの記憶の中ではこの世界には魔物とかいう化け物がいるはずなんだけど……。アレクが僕以外に触れられないのなら、もしも魔物に襲われたら僕死んじゃうよ?」


 アレクは少し腕を組み、瞑目したと思ったら無言で僕に向けてサムズアップしてきた。


「習うより慣れよ、ということわざがジンの世界にはあるではないかッ! ガハ八ッ! 何とかなるッ!」

「嘘でしょっ!?」

「お、そんなことを言っているとどうやら噂の魔物が現れたようだ」

「っ!?」


 アレクが指差した方向に目を向けるとそこに居たのは青色の猪だった。赤い瞳がゆらりと揺れる。その時、僕と猪の視線が交錯した。


「BLUMOOOOOOOOOO!!」

「ひっ……!」


 声にならない悲鳴が漏れる。

 猪は僕の方にその鋭い牙を剥けて全速力で駆けてきた。速いっ!

 逃げなくちゃ……! そう思うが体が言うことを聞かない。足を見るとガクガクと震えていた。すぐそこという所まで猪は近づいている。猪の牙が僕の膝に突き刺さろうかという時、背後からアレクの声が聞こえてきた。


「しっかりしろッ! 横に跳べッ!!」

「っ!!」


 僕は不格好ながらも思い切り右に跳んだ。そのままの勢いで草原に飛び込み、雑草が宙を舞う。


「BLLULU……」


 唸りながら猪はゆっくりと僕に狙いを定めると、後ろ脚で地面をカリカリと蹴り、一気に加速した。猪突猛進、奴の目に映っているのは僕だけで、他の何も視界に入っていない。


「ジンッ! 獣の動きを観察しろッ! 頭は冷静に、体はいつでも動けるようにッ!」

「はいっ!」


 あの猪の動きをしっかり捉えろ。あいつの動きはとても速いが、避けられない程じゃない。それにあの猪は直進しかしていない。いや……直進しかできない?

 なら――。


「左っ!」


 すっと体を左に逸らす。猪は直進の勢いを殺しきれず、そのまま草原を駆け抜けていく。

 やっぱり僕の思った通りだ。あいつは一度走り始めたらそこまで大きく軌道を変えることが出来ない。それならあいつの突進が僕に当たることは無い。

 その時、僕の目の前に半透明の表示が現れた。


 スキル【鑑定】を獲得しました。


 その表示が出てから猪のことを注視すると空中に半透明の表示が現れた。猪の名前は“ブルーボア”。LVは1、つまり僕と同じだ。

 このままだと猪の突進を喰らわないけど、僕も猪をどうにかする手立てが無い。このままじゃ平行線だ。一体どうすれば……。


「ジンッ! 視線は猪に向けたまま我の声を聞けッ! お前は今、こう思っているはずだ。このままではあの猪を倒すことが出来ないと。思い出せッ! 我の記憶の中にあっただろう、武器がなくとも魔物に対抗する方法がッ!!」


 武器が無くても魔物に対抗する方法……。もしかして……!

 猪の突進を躱しながら、僕はアレクに問いかける。


「それってもしかして、魔法の事!?」

「そうだッ! 魔法の使い方は今から言う、しっかり聞いておけ。自分の体の内側に集中しろ。体の中を流れる魔力を意識するのだ。血液と同じように体の中を循環する何かを掴めッ!」


 体の中に流れる何か……。血液と同じように循環する何か……。

 ……っ、何だ? この暖かいもの……。もしかしてこの不思議な感覚が魔力かっ!


 スキル【魔力感知】を獲得しました。


「ガハ八ッ! どうやら掴めたようだなッ! そうしたら今度は魔力を手に集めろッ! そして手に集めた魔力をあの猪目掛けて全力で投げるのだッ!!」


 魔力を手に……。体の中の魔力が徐々に手に集まっていく感覚が分かる。もう少し……もう少しだ。


 スキル【魔力操作】を獲得しました。


「今だッ! 手に集まった魔力を猪に投げつけろッ!」

「っ!!」


 思い切り投げつけるっ!

 僕の手を離れた紅い魔力の塊がぼう、と揺れながら猪に衝突する。それとほぼ同時に猪が勢いよく背後に吹き飛ばされた。


「BULUMOO……」


 力無く一鳴きし、猪が力尽きるのを確認するとそれまで気にする余裕の無かった感情が押し寄せてくる。恐怖や猪を倒した安堵からか、僕はその場にへたりと座り込んでしまった。

 未だに止まない動悸を納めようと深呼吸していると、半透明の表示が幾つも現れていることに気が付く。


 新しいスキル、【魔力感知】と【魔力操作】を獲得したと知らせるもの。そしてもう一つはLVアップしたと表示されたものだ。

 確認すると、どうやら先程の猪を倒したことによって得た経験値でLVが上がったとのことだ。


 なるほど……この世界にはLVなんてものも存在するのか。それに今、僕が使った魔法やスキル、魔物何てものまで存在する世界。まるで映画やゲームのようなフィクションの世界。夢なのではないかと思えるが火照った体やその体に触れるそよ風がここが現実であることを僕に伝えてくる。


「ガハ八ッ! よくやったな、ジンッ! だが、あの程度の雑魚に手を焼いているようではまだまだ英雄ヒーローには程遠いがな」

「う……」

「だが本当によくやった。お前はこの一戦の間に多くのものを手に入れた。新たなスキル、魔物との闘い方、強くなったステータス。そのどれもが実戦によって得られた物だ。どうだ? 習うより慣れよ、だろ?」


 どうだと言わんばかりの顔で笑い声をあげるアレクの方をジト目で見つめる。


「でもアレクが先に魔法を教えてくれていればこんなに大変な目に合わなかったんじゃないの?」


 そう言った途端アレクの額に汗が浮かぶ。


「もし先にあのモンスターについての情報を知っていればより簡単に倒せたんじゃないの?」


 額だけにおさまらず顔が汗で濡れていくアレクを尻目に僕は溜息を吐いた。


「……まあ、でもアレクのおかげで助かった……。ありがとう」

「ガハ八ッ! 分かれば良いのだッ! よおしッ! このまま近くの村まで魔物を狩りながら進んでゆくぞッ!」

「いやっ! 話聞いてた!?」

「細かいことは気にするなッ! なに、安心しろ。我が直々に魔法を教えてやるのだ。少しのことでは微塵も心配はいらん」


 そう言うとアレクは僕の言うことを聞かずにズンズンと先へ歩いて行ってしまう。

 全くもって先が思いやられる……。僕はアレクの元に走っていくと村を目指して歩き始めた。

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