第3話 実々:おもてなしは焙じ茶で
「行ってらっしゃ〜い!」
幼稚園の校門前まで娘の
花奏は校門を潜ると何故か瞳のハイライトがワントーン落ちる。3歳にして心のスイッチの切り替えを既にマスターしているとは我が娘ながら恐ろしい…。
人見知りの母親と社交下手な父親のハイブリッドが花奏だ。
幼稚園に入ったばかりの頃、お迎えに行って娘の絵を見て娘と会話をしている時に先生が「えっ!?花奏ちゃんが喋ってる!」と言われた時の事は忘れない。先生!この娘は家ではずーーーーっと喋ってます!と、声を大にして言いたかった。
でも花奏も花奏なりに悩んでいたようで、夏休み前のある日、
「もっと上手にお話ししたり、お返事出来るようになりたいなぁ〜」と、悩みを告白してきた。
その言葉にママは感動した!
それから夏休みに入り、出席の返事や自己紹介の練習をして、遂に夏休み明けには出席確認の時に手を無言で挙げるしか出来なかかった花奏が「はい」と言えるようになった。
…おまけに給食の時におかわりまで言えるようになったのは沢山食べる娘にとってまさに僥倖だろう。
娘を幼稚園まで送り届けたらいつも通り家事を一通りこなす。
お風呂掃除、掃除機掛け、洗い物をいつものようにこなしたら暫くの間自分だけの時間になる。
買い物に行く時もあるが、今日の花奏のリクエストは最近お気に入りのオムライスなので特に買い足すものもない。玉ねぎ、ピーマン、ウィンナーと卵があれば十分だ。
私もオムライスは好きだが、週一、酷い時には週二でリクエストされると流石に飽きる。
余りにもオムライスが続いたのでもう卵はトロトロ半熟に出来るようになったし、チキンライスのコンソメとケチャップの加減もバッチリだ。
だから花奏に、「もうママ、オムライス完璧に作れるようになったよね♪」と言ってみた。
しかし娘からはまさかの返答が返ってきた。
「ううん、もっとママは上手になれるよ。だから沢山作ってね」
…私はまだ伸びしろがあったのか。
某有名サッカー選手の「伸びしろですね!」という言葉が暫く頭をグルグル巡っていた。
その言葉を受けてから何故かオムライスを作る時は変に緊張するようになったのは秘密だ。
まぁ本日はそういうわけでオムライスの日なので趣味の書店巡りをすることにした。
電動自転車で本屋まで行く。
もう11月も半ばを過ぎているからか、さすがに自転車に乗ってる手と耳が少し痛くなってきた。末端冷え性には厳しい季節だ。帰ったら耳当てと手袋を出そうと決意しつつペダルを漕いでいく。
そういえば、あーち達は今日から伊勢神宮に行っているんだなぁーと、ふと思い出した。
『毎年京都だったけど、今年は三重にしたの〜』と、あーちが電話で嬉しそうに先月言っていた。赤福食べたい。
悔しいから今日のおやつとして帰りにあん団子を買おう。絶対にだ。謎の対抗心を燃やしつつ気付けば本屋に辿り着いていた。
この本屋は新品と中古の両方が揃っているから見て回るだけでも楽しい。
ただ東京と違って新刊が出るのは2日遅れだ。同じ本州なのに解せん。
自分が今集めている本の続きが中古で出ていないかチェックする。
一巻を読んで楽しかったから続きを買おうとしたらまさかの四巻しか売っていなくて愕然とした本だ。二巻と三巻を読んでからじゃないと四巻が読めない。新品で二巻と三巻を買えば良いだけの話なのだが、四巻を中古で買っておいてその前の古い話を新刊で買うのは釈然としないので中古で出ていないか定期的にチェックしている。
目的の本が売ってる棚まで来た。
どうかありますように!と祈りながら近付いてみる。
そこには………
五巻と六巻が追加されていた。
惜しい、そうじゃない!
確かに五巻と六巻もいつかは買おうと思っていた。有ること自体は喜ばしい。だけど今欲しいのは二巻と三巻なんだよ!凄くモヤモヤする…。また積読する本が増えていく。
その二冊を複雑な心境のまま手に取り、次は花奏に何か良い本がないかと絵本コーナーに足を運ぶ。
花奏は本を読んで貰うのが好きで、寝る前に布団の中で本を読んで貰ってから寝るのを習慣にしている。…正直なところさっさと寝て欲しい。しかしその睡眠学習?のお陰で語彙力が格段に伸びているので無碍にも出来ない。
最近はディズニーのプリンセスのお話しにハマってきているのでそれ系の本を探していく。
お、あそこだ、と足を進めて行ったら突然、世界が真っ白になった。
薄れゆく意識の中で思ったのは、
(あ、手に持ってた五巻と六巻が消えてる…)
ということだけだった。
*****
誰かが揺すってきている。
物凄い勢いで。
人の身体をなんだと思ってるのか。そいつはただ只管に人が頭を何度も床に打ち付けようが構わないとばかりに揺すってきている。
痛い、痛い、痛いッ!
絶対起きたら何処の誰かは知らないが物申してやる。
ん?でもこの声は何処か聞き覚えがあるよう…な?
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!みーち!みーちっ!起きてよぉーーーーーっ!」
……お前か。あーちよ。
痛む頭を今だけは我慢して目を開ける。
そこには赤福ぜんざいを今頃は食べているはずのあーちが居た。何故か涙目で。
そして、ここは東京の父と母とお姉さんとあーちが住んでいる家?
なんで?広島の本屋に居たのに!
五巻と六巻誰かに買われちゃったらどうしよう!…とは、さすがの私でもこの異様な状況では考えることは出来なかった。そこまで心臓に毛は生えてない。
しかし、私が混乱している間も事態は無情にも進んでいく。
「…やっと起きたか。小澤麻来、一色実々二人に話がある。あぁ誰かに連絡しようとか下手な真似はするなよ?どうせ無駄だからな」
誰だ。
えっ……誰だッ!?
この私たちの人生において一生関わることが無さそうな顔の整ったお兄さんは!
……取り敢えず余り目を合わせないでおこう。私の中のリトル実々が警鐘を鳴らしている。このお兄さんはヤバい奴だ、と。
暫く、まぁ時間にしても数秒。あーちと謎のお兄さんの出方を窺っていると、あーちが突然意を決したように、
「うちも聞きたいことが沢山あります!」
と、高らかに言った。
それに対してお兄さんは、「ほぅ、そう来なくちゃな…」って…。
私の中のリトル実々がガンガン警鐘を鳴らしまくっている。
この空間に居たくない!私のことは放って置いて!どうぞ二人で話を完結させて!!切実に!
しかし、私の心中とは裏腹に事態は更に残酷に進んでいく。
「長くなりそうなので、お茶を淹れますね。適当に座ってて下さい」
……おぃぃぃぃいぃぃ!
なに『お・も・て・な・し』しようとしてるの!?
私は長話ししたくない。したくないんだよ?あーち!気付いて!「みーちもお茶入れるの手伝って!」じゃなくて!
…あーちには私の顔はどう見えていたんだろうか。
***
電気ケトルの『お湯が沸いたよ♪』という「カチッ!」音が嫌でも現実に引き戻す。
……あ、ほうじ茶なんだね。そっかぁ。
お茶が出来てしまったのでテーブルへ逝く。
あーちは私の右側に座ってお兄さんに「どうぞ」と、切り出した。
それを受けて、お兄さんが口を開く。
「まず、もう分かっていると思うが、余は神である」
「「……………ぇぇ?」」
久しぶりにハモった。
…えっ!?お兄さんはあれか、電波系って奴なの?初めて会った。
居るもんなんだなぁ〜そういう人って…と、少し思考が明後日の方へ行きそうになっていたら、あーちが自称神様に怒られていた。
私も人のこと言えないけどあーち失礼過ぎるでしょ。『危険な思想の教祖』はないわぁー。
と、少しあーちにドン引いてる間にもまた話が進んでいく。
「考えている事は碌でもない事を含めて全部筒抜けだからな!神かどうか疑っているのも含めて、だ。そんなに信じられないんだったら、母親と麻来しか知らない出生の秘密を今言っても良いんだぞ?」
「信じます。さ、話を進めて下さい」
…えっ?おいおい麻来さんよ?秘密って何よ?
散々ヤベェ奴認定してた自称神様の脅しに屈しちゃってるの?「秘密って何?」っていう私の質問無視しないで!
「なんで伊勢神宮に居たのに、家に戻っているんですか?みーちだって広島に居るのはずなのに…。あの、母と姉は今どうしているんですか!?」
……うん。
私の質問無かったことにしたね。まぁ今はそれに乗ってあげよう。いつでも聞けるしね。
それに私も、
「そうですよ、私本屋に居たんです。人が突然消えたって大騒ぎになっていませんか!?」
と、あーちに続くように聞いてみた。
すると自称神様は、
「とりあえず、汝らがここに居ること、消えたことは誰も知らない。家族のことも問題ない、安心しろ。目撃した者など一人たりとも居ないからな」
と、自信たっぷりに答えを宣った。
「「え゙」」
怖ッ!シンプルに怖い。イケメンのドヤ顔怖い。
「汝らをここに引っ張って来ただけで、向こうは何の影響も無い」
「え?」
「どういうことですか?」
あーちも私も愕然とした。
『向こうには無くてもこちらには、影響ありますよー』とは言える雰囲気ではなかった。
空気は読める。うん、もう自称神様じゃないな。
正真正銘の神様は更に言葉を重ねた。
「麻来、今日は何年何月何日だ?」
それに対しあーちは不思議そうに答える。
「2019年11月19日です」
私もあーちの答えに軽く頷いて神様の方を見れば、なんと「違う」という返答が返ってきた。
「今は2018年11月18日の午後12時6分。汝らは過去に居る」
「「………!!?」」
What’s?…今ナンテイッタ?
思わず語彙力が行方不明になってしまった。
なんでも私たち二人だけがその一年前の神様に拉致された時の『瞬間』から過去に引っ張ってきたから現実世界では影響ないとか仰ってる?
思わず口が半開きのまま神様を凝視してしまった。
しかしそんな中でもあーちは果敢にも神様に挑んでいく。
「さっきから12時6分のままなのは時計が電池切れで止まっているってことじゃないんですか?」
「そうだ。確認したいことがあるから今一時的に止めている」
確認したいこと?
ますます分からなくなった。
少なくとも私は去年は夫の仕事の関係で福岡に居ただけだ。
うーん、つまりはあーちに御用があるのか……な?
神様は続けざまに「麻来、先程何を神に願った?」と、質問をしてきた。
あーちはキョトンとした顔で、
「…え?病気が完全に治って、思いっきり好きな事が出来ますようにってお願いしましたけど……それと過去に居るのが関係しているんですか?」と、返した。
やっぱりあーちに御用があったのか。
「じゃあなんで私まで?」とここで聞いておきたいが、神様とあーちの邪魔をしては駄目だと思い直しほうじ茶を啜る。
「仮に、病気が直ぐに治ったとして、汝はやりたいことをすぐに全力で出来るか?本当にやりたいことが何なのか自分自身に隠しているくせにだ」
ん?隠してる?
しかも自分自身に!?
私は堪らず口を開いてしまった。
「つまり、神様はあーちがやりたい事を出来るように過去に連れて来てくれたってことですか?」
「そうだ」
神様はあーちから目を逸らさないままはっきりと答えた。
「もしそうだとして、うちの個人的な願いで何でみーちまで連れて来たんですか!?向こうの時間が何ともなくても、花奏ちゃんと離れ離れなんですよ!?」
あーちは神様の『本当にやりたいこと』発言から少し苦しそうな、どこか辛そうな顔になっていたが、自分を奮い立たせるように神様に立ち向かっていた。
神様は今度は私の方を見ながら口を開き、少しというか、何処か予想通りのことを言ってきた。
「実々を呼んだのは麻来の事を頼みたいからだ。1人だと暮らしていくのでやっとで、他は何も出来ない。それに気心が知れた双子の方が何かと都合が良い。実々、手伝ってやってくれないか?」
神様凄い。
一個人の生活力まで把握してるなんて。
だけど……
「その前に、あーちがやりたい事がなにか聞きたいです。……ね、教えて?」
あーちのこんな顔初めて見た。
思えば泣いてる所も小さい頃から余り記憶にない。
大人になってからは尚更見たことが無かった。
こんなに泣きそうな顔するならいっそ泣けば良いのに……。
母が私が学生の時に『お姉ちゃんと、麻来の面倒は実々が見てあげるのよ』と、良く二人で夕飯の買い物をしている時に言っていた言葉をふと思い出した。
あーちは本当は言いたくないんだろう。
でも私も神様も言うまでじっと待っていると、遂に覚悟を決めて話してくれた。
「うちがやりたいことは、日本史を1から勉強し直したいっ!……本当は日本史の先生になりたかった。でも努力も気持ちも全然足りなくてダメだった。それから直ぐ病気になって、記憶障害も出て、前日に覚えた事も次の日には全く覚えてなくて、時間の経過も合わさって、どんどん昔の事も大切な思い出も忘れていっちゃうのがずっと辛かった…。神様がうちの願いを叶えてくれるなら、1年前の世界で頑張ってみたい!でも、みーちには迷惑を掛けたくない!だからっ…だから凄く不安だけど一人で頑張るよ」と。
遂にあーちの瞳から涙が溢れた。
あーちが日本史の先生になりたいと思っていたのはずっと前から知ってた。そして諦めたのも。
「麻来、よく言ったな」
神様が優しくあーちに笑いかけている。
そしてそのまま私に、
「実々どうする?元の時間に戻りたいか?ここでの記憶も消すし、麻来が戻るまでそりゃ何も出来ないが、何の負担も無いぞ」と、聞いてきた。
ああ、これは神様があーちにくれたご褒美なのかな。
私は知らない内にあーちを傷付けたことがあったかもしれない。
気付かないうちに『どうして覚えてないの?』とか言って心ない言葉であーちの心を踏みにじっていたかもしれない。
私が結婚してからもほぼ毎日LINEしたり電話したり、時々あーちが私の所に遊びに来てくれたり、花奏を産んだ時だって毎日病院までお見舞いに来てくれたり、写真をアルバムにしてくれたり、気付けばあーちに甘えてた。
私が結婚すると同時に、夫の亮の転勤で親戚も知り合いも誰も居ない所に引っ越して、広い家で一人っきりで亮の帰りを待っている生活に耐えられたのも全部あーちがいてくれたからだ。
ここで恩を返さないでいつ返すんだ。
ここでの記憶は無くなるんだとしても。
……もう今、知ってしまったから。
あーち一人を残す?
ふざけないで欲しい。
何のために二人で生まれたと思っているんだ。何より一人の寂しさは私が嫌と言うほど知っている。
だから、ハッキリ言ってやる。
「私は、あーちの手伝いをします!!」
「みーち良いの!?花奏ちゃんと会えないんだよ!?そりゃ居てくれたらすっごい嬉しいけど…」
「うーん。心配なら娘の花奏もここに連れてくることも出来ー…」
「大丈夫です!私はあーちのサポートに全力を尽くします。それが私のここでのやりたい事です!」
神様に被せるように言ってやった。
あーちは驚いていたけど、それでも涙を流しながら、
「みーち、ありがとう」と、言ってくれた。
面と向かってありがとうなんて言われるのはいつぶりだろうか。
私は顔を綻ばせながら「うん」とだけ返した。
そして心の中だけで、
「こちらこそだよ」と、続けた。
私は一年前の世界であーちを支えてみせる、と誓った。
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