鉛色のエチュード

朝凪

鉛色のエチュード

 朝は針のようにつんつんと粋がっていたのに、日が沈むころには情けなくなった。光沢のあったそれは、弾力のある塊に変わった。 


 自分には才能があるのだと思って生きてきた。自分が絵を描けば必ず誰かが褒めてくれたし、絵をプレゼントすればもったいないほど綺麗な額縁に飾ってくれた。

『えかきさんになりたい。』いつだったか短冊にでかでかと書いた文字も、薄くなって、自信なげに見える。

 

 誰かの心に響く絵を描きたい。生まれたての純粋な色でキャンバスをいっぱいにしたい。そう思って踏み入れた世界なのに、今では自分を肯定するためだけに、絵を描くようになっていた。 

 

 金色に輝く雲が自分とあまりに対照的で、目から大粒の雫が溢れ出した。


「おねえちゃん。もうすぐご飯ができるよ。」

ああ、今日もダメだった。劣等感と焦燥。二十七にもなって、十歳も年下の妹に夕飯をつくらせるなんて。母が一人で懸命に働いたお金だって、使いたいだけ画材に使って。それでも母や妹は、私の絵を褒めてくれる。誰よりも私の作品のファンでいてくれる。


「切りがついたら行くよ。」

本当はこれっぽっちもうまくいっていないのに、あたかも順調そうな返事をした。もうやめよう、こんなバカなことをするのは。温かい絵を描きたくて、何度もぼかしに使った綿棒が床で力尽きている。私みたいだと思って微笑した。  

 

 

 そそくさと夕食を済まして、玄関に向かった。自分の中の自分が外の空気を求めていた。

「おねえちゃん。自分のやりたいワクワクすることを突き詰めてね。」

無邪気な笑顔が逆に苦しかった。無言で頷いた。申し訳なかった。ごめんね、ごめんねと、何度も心の中で謝った。

 

 すっかり暗くなった街は、仕事帰りで疲れ顔のサラリーマンと部活動や塾に忙しそうな学生の街だった。『妹もそろそろ受験生か。』ふと思い立って、小さな大会の参加賞としてもらった図書カードで、ノートでも買って帰ろうと思った。足早にノートを手に取ったものの、ポケットには図書カードはおろか財布すら無かった。私の手に触れたガサガサした物は紛れも無く丸めた私の駄作だった。ため息をついて、店のごみ箱に捨てた。もう当分、絵については考えたくなかった。 


 ある日ふらふらと商店街を歩いていると、老舗惣菜店のおばあさんの持っているものに目を疑った。鉛色でくしゃくしゃなそれは紛れも無いあれだった。


 「あの、その絵なんですか?どこで手に入れたのですか?」

言葉が溢れて止まらなかった。笑いものにしたいのだろうか?馬鹿にしているに違いないと思うと、胸が痛かった。

 

 「ああ、この絵かい?たまたまゴミ捨て場の近くで拾ったんだよ。描いては消して、ぐちゃぐちゃになるほど描き直して…。」

 からだ中が、かっと熱くなるのを感じた。

 「ば、馬鹿にしないでください。」

 「馬鹿になんてしてないさ。この絵を見てると若いころを思いだすよ。みんな自分を見つけるのに必死なんだ。諦めちゃいけないよ、どんなことだって、いくら才能があったって、一直線にはいかない。体当たりして失敗して初めて、成長できるんだ。」

目の前がぼやけた。そうか、そうだよね…。体当たりしないと。

 「この絵が私に熱い気持ちを思い出させてくれたよ。さてと、新しいことに挑戦してみようかしら。」

 おばあさんは笑顔でこちらを見ると店の奥に入ってしまった。

 

 万人に受け入れられる絵じゃなくていい。全力で体当でたりして、全力で思いをぶつけてみよう。


 曇っていた空に、凛凛とした太陽が姿を現し、鉛色の雲をやさしく照らし出した。


 



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鉛色のエチュード 朝凪 @tenka_wakeme

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