第十五話 お礼の理由
授業が終わり、下校しようとしたときのことだ。
「かーすがくんっ」
昼にも聞いた声に呼び止められ、陽一は昇降口を出た直後に足を止めた。背後を振り返ると、案の定、そこには鬼頭がいる。
「おう」
昼の反省を活かして、とりあえず軽い相槌だけ返しながら彼女の言葉を待つ。ただ姿を見かけたから声をかけた、というだけならそれ以上は何もなかっただろうが、果たして鬼頭は陽一に歩み寄りながら、
「帰るとこ?」
「そーだよ。鬼頭もか?」
いかにも用がありそうな風に近づいてくる彼女に、陽一は軽く頷きながら問い返す。鬼頭もそれに頷いて、陽一の隣に並んだ。
上目遣いに陽一を見上げながら、彼女は言う。
「で、さ。このあと暇だったりする? もしよかったら、お昼のあれの感想とか聞けないかなって……って言うほど大したもの作ったわけじゃないけどさ」
やはり少し照れくさそうに、それまで感じていた溌溂な印象とはどこか違う雰囲気で、鬼頭がおずおずと一歩、陽一へとさらに身を寄せる。
得も言われぬ違和感。それでも陽一は敢えて深く考えようとはせず、静かに首を横に振った。
「悪い、今日はちょっと。妹が風邪ひいてて、看病してやんなきゃいけないから」
「ああ、例の。そっか」
陽一が答えると、鬼頭は薄い苦笑を過らせながら、納得したような声を漏らした。
微かに肩を落とした彼女を見下ろし、陽一は若干躊躇いながらも、昼から気になっていたことを尋ねることにした。
「ケーキは美味かったよ、ありがと。けど何でアレ、俺にくれたんだ?」
感想は伝えつつも、率直に疑問を投げかけながら、真っ直ぐに鬼頭の目を見る。
まじまじと目を合わせられた彼女は、慌てたように目を逸らした。が、少ししておずおずと、再び陽一に視線を重ね合わせる。そうしていること自体難しいのか、幾度も視線を揺らしながら、彼女は答える。
「去年のお礼のつもりだったのよ。実行委員、一緒だったでしょ」
「文化祭の話だよな?」
「そう。春日くんは「今さら」って思うかもしれないけど、私としては「ようやく」って感じなのよ」
目を瞬いた陽一の言葉に、鬼頭が首肯しながら続けた。
確かに、これまでの二人の接点といえばそれくらいしかない。その点は確かに意外ではないのだが、それでも陽一は驚きを隠せなかった。何せ、礼をされるようなことをした覚えがない。
他クラスから来た面々にも少なくなかったが、陽一は基本的に自発的に何かしようとすることはほぼなく、鬼頭を始めとした指揮の上手い生徒たちに指示された通りに用をこなしていただけだ。これで音頭を取る者がいなければもう少し真面目に働いたかもしれないが、そんなものは仮定でしかない。陽一からすれば、鬼頭に感謝することはあれど、その逆となると奇妙に感じてしまう。
そんな陽一の訝りがどの程度はっきりと伝わったのかは分からないが、鬼頭は彼をちらちらと見ながら、
「あんま実感ないのかもしれないけどさ、私あのとき、結構春日くんに助けられてたんだよね。ほら、私が「これやって」って言ったら、言われた通りにしてくれたじゃない」
「当たり前だろ、プランは任せっきりだったんだから」
「そうでもないよ。春日くんだってやりたくてやってたわけじゃないの分かるし、別の誰かでもいいことをちゃんと頑張ってくれる人って、意外といないよ」
陽一の反論に首を振り、否定の言葉をかける鬼頭だが、やはり陽一の方は納得しかねる表情だ。鬼頭もそれを見て取って、口元を薄笑みの形に曲げる。
「それだけじゃなくて春日くん、他の人たちが指示に従ってくれなかったとき、自分が代わりにやっちゃうわけでも、怒鳴りつけるような感じで従わせるんでもなくて、根気よくお願いして手伝わせてたじゃない。あれ、すごく助かったのよ」
思わぬ指摘に、陽一はきょとんとした顔で再び瞬きした。彼を見上げる鬼頭は、どことなく得意げで、また頼もしげでもあった。
「代わりに春日くんがその人たちの分まで仕事してたら、ますますサボりが常態化してただろうし、無理矢理働かせたら当然不満も溜まってたと思う。けど春日くんのおかげで、最初はサボってた人たちも、一応はやる気出して働いてくれたじゃない」
重ねて告げられると、陽一はむず痒そうに眉根を寄せた。意図してやったわけでもないことに対して、こうも丁寧に評価を重ねられるのは経験のないことだった。
彼は頬を軽く掻きつつ、鬼頭の笑みから視線を外し、覇気のない声でぼやく。
「まぁ、結果的には。つっても、他人の仕事までわざわざやるのが癪だっただけだぜ?」
「そうよ。結果は大事。春日くんはどういうつもりだったかは置いておいて、私が助かったって結果が、私にとっては重要なのよ。なのに、そのお礼をちゃんとしてなかったから」
いつの間にか、両者の余裕が逆転していた。目を逸らす陽一と、それを追い立てる鬼頭。動揺していた陽一は、鬼頭が最後に言った言葉が、彼が最初に投げかけた疑問に対する答えなのだと気づくまでに少しばかり時間を要した。
どこか勝ち誇った笑みを浮かべた鬼頭は、なおも陽一からは目を離さないまま、やおら半歩下がり、
「そういうわけだから、お昼のあれはまぁ、遅くなっちゃった利子みたいなものだと思って。ちゃんとしたお礼はまた今度」
「そこまでしてもらうほどのことはしてねぇって」
「だから、どれくらい私が感謝してるか決めるのは春日くんじゃないってば……それよりごめんね、結局長々と時間取らせちゃって。妹さん、待たせちゃ悪いよね」
困惑顔で手を振る陽一に対し、鬼頭はクスクスと笑い声を漏らしつつ、言葉巧みに会話を切り上げようとする。渋面でそれを見やっていた陽一だったが、やがて大きく肩を落としながら嘆息した彼は、次いで少しばかり苦くとも微笑を浮かべて見せた。
「確かにな。けどとりあえず、俺だって実行委員やってたときは大分鬼頭の世話になったぜ?」
「んん? 春日くんの方からも何かしてくれるってこと?」
「何でそうなんの……」
「あはは、冗談冗談。けど、ホント気にしないで。私は私が気の済むようにお返しするだけだから」
快活に笑った鬼頭は、スカートを翻しながら軽い足取りで陽一から離れた。あっさりと開いた距離に、つい呆気に取られる陽一を余所に、鬼頭は片手を軽く掲げて言った。
「じゃあね春日くん、また明日」
「ああ、また明日」
同じ言葉を返して手を振ると、最後にもう一度眩い笑顔を見せて、鬼頭は踵を返した。半ば駆け足で去っていく彼女の背を、やはり陽一は呆けた調子で眺める。
ああいうノリに、どこか振り回されているような感覚が付きまとうのは、単に女子に慣れていないからか、それとも鬼頭が特別なのか。
「しっかし、お礼ってのも、やっぱ何か落ち着かねぇな……」
いまいち鬼頭の言に実感が持てず、頭を掻きながら呟いた陽一はそこで、ポケットからスマホを取り出した。星奈からの着信やメッセージはない。それに少しほっとする。
アプリを開いた彼は、素早く画面をタップして手短にメッセージを打ち込んだ。
『今から買い物して帰る。欲しいものとか食いたいものあるか?』
送信を終えたスマホをポケットにしまってすぐに歩き出そうとした彼だが、一歩目を踏み出すより早く、スマホが振動した。驚くほど返事が早い。少し驚きつつ、返ってきたメッセージを確認すると、そこには、
『陽一の手料理』
「マジかよ……」
ほとんど料理なんてしたことねぇだろ、と胸中で呻き、実際にそれを打ち込もうとしたところで、さらに追い打ちが飛んできた。
『前に作ってくれたアレ、食べたい』
「マジかよ……」
全く同じ言葉を、さっきよりも重いトーンで吐き捨てて、陽一は口元を引き攣らせた。
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