第十四話 鬼頭早紀

「ほーん。それで今日は弁当じゃないわけだ」

 翌日。休み明け初日の昼休み、陽一と向かい合わせに腰を下ろした将也は、彼の昼食を見てそう呟いた。

 普段なら弁当箱を開いているところだが、今日の陽一は購買のパンを齧っている。それを見咎めた将也に、陽一は妹が風邪をひいたことを伝えていた。

 星奈の風邪も昨日一日でほとんど治ってはいたが、今朝はまだ少し微熱があったため休ませている。この調子なら明日には学校には来れそうだが、弁当作りはまだ控えさせた方がいいだろう。

「しっかし災難だねぇ、妹ちゃんも。連休中に風邪ひいちまうなんて」

「まぁなぁ」

 気のない調子で相槌を打った陽一だったが、将也はその素っ気なさが気に障ったらしい。やおら眦を吊り上げ、

「なぁに無関係みたいな返事してんだぁ? ずっと一緒に過ごしてたんならお前もきっちり当事者だろーが」

「そーだよ分かってるよ。その分一応看病には気ぃ遣ってんだよ」

「ぁあん、どんな風にだ?」

 陽一も鬱陶しそうに言い返すが、将也も半ば以上ノリと勢いだけで食い下がる。いよいよ忌々しげに両目を眇める陽一だったが――いざ説明しようとすると、あらぬ誤解を受けかねないと気づく。

 つかず離れず傍に居た、なんて、余所の兄妹でなくても流石におかしいことは分かっている。陽一にしたって今までになかったことなのだ。

 結局ありのままを答えるわけにはいかず、言葉を詰まらせた末に陽一は、そっと目を逸らしながら、

「それは、あれだよ。買い物行ったり、飯用意したり……」

「ンなもん当たり前だろ」

 至極当然の言葉が返ってきた。将也は嘆息しながら、続けて言う。

「それに飯の用意ったってアレだろ。レンジで作る蒸し野菜のパック買って温めたとか、そんなんだろ」

「……妙に具体的だな」

 彼の台詞にげんなりと突っ込んだ陽一だったが、一拍遅れて一つの可能性に思い当たる。将也は将也で、勿体ぶるつもりもなくあっさりと言い放った。

「昨日、スーパーでお前を見かけたからな。あん時はどういう事情かなんて知らなかったけど、納得だよ。いやー、しかし残念だな、妹ちゃんに愛想尽かされたのかと期待したんだがなー」

「……下手なもん作るよりマシだからな」

 やや苛立ちを見せつつも、将也の軽口には取り合わず、陽一はそうとだけ答えて再びパンを齧った。そんな彼をニヤニヤと見つめながら、将也もそれ以上は何も言わずに自分の弁当をつつく。

 何となく話題が一段落して、無言の時間が訪れる。お互い特に気遣いのある間柄でもないためか、どちらもその沈黙を破ろうとはしなかった。

 それでも、チャイムより先に、穏やかな時間を終わらせるものがあった。

「ねぇね、春日くん、ちょっといい?」

「うん?」

 背後から前触れもなく声をかけられて、陽一は少し反応が遅れた。

 鈴を転がすような軽やかな声。聞き覚えがあるような気がしつつ、はっきりとは思い出せないまま後ろを振り向くと、そこにクラスメイトの女子の姿があった。鬼頭きとう早紀さき、陽一とは去年も同じクラスだった相手だ。

「鬼頭か。何かあったか?」

 言ってから、少し素っ気なさ過ぎただろうかと反省する。一応、今まで接点がなかった相手ではない。去年の文化祭では、男女各一名の実行委員に一緒に担ぎ上げられた仲だ。

 お互いそれほどやる気があったわけではなかったと思う。少なくとも陽一にはなかった。鬼頭の方も、実行委員に選ばれたことを喜んでいたようには見えなかった。それでもいざ実行委員としての仕事が始まると、鬼頭は周囲と積極的にコミュニケーションを取りながら企画の進行を助け、文化祭の成功に一役買った。「気さくで真面目な性分なんだな」というのが、それを隣で見ていた陽一の感想だった。

 陽一の態度に、鬼頭は小ざっぱりした笑顔に苦笑を過らせて、

「何よう、冷たいわね。用事が無きゃ話しかけちゃ駄目?」

「そういうわけじゃねぇけど……悪い、急だったからちょっと驚いて」

 真っ向から切り返され、口を噤みかけた陽一だったが、彼も微かな苦笑とともに詫びた。改めて、目線で続きを促す彼に、鬼頭はどこか満足げに小さく頷いた。

 彼女は続けて、後ろ手に持っていた紙袋を陽一へと差し出す。直前から一転して覇気の薄れた表情には、心なしか赤みが差して見えた。

「その、これ、よかったら貰って?」

「?」

 相変わらず彼女の意図は読めないまま、それでも陽一は紙袋を受け取り、中を覗き込む。小さな袋の底に、掌サイズのカップケーキが、ちょこんと可愛らしく鎮座していた。

「えーと……?」

 それを認めて、陽一は再び顔を上げる。鬼頭は少し俯きがちに陽一の視線を受け止めながら、問いならぬ問いに小さく首肯を返す。

 貰っていいのか、とおうむ返しに問い返しそうになったのを堪える。流石にこの状況で勘違いということはないだろう。戸惑いからぎこちなくなってしまったものの、それでも彼はどうにか笑みを浮かべて頷いた。

「あー、サンキュ。貰うよ」

 彼が告げると、鬼頭は笑顔を咲かせた。嬉しそうに笑い声を零すと、あとは何も言わず、軽く手を振って陽一から離れていった。

 結局、彼女が何故いきなりケーキを渡してきたのかは分からずじまいだったが、深く考えないようにしながら、陽一は改めて椅子に腰かけ直す。机に向き直ったところで――

陽一ヨウイチクゥゥン?」

 能面のような形相の将也が待っていた。ある種の鬼気を感じさせる表情に、思わず身を竦ませる陽一に向かって、将也は粘着質な声で語りかける。

「今のは何だアァン? テメェ妹ちゃんがいるのに、鬼頭ともいい仲だったのか? デキてたのか? デキちゃったか?」

「言ってる意味分かんねぇよ。つーか気持ち悪ぃ。言ってることも声も顔も気持ち悪ぃよお前」

「ふぐぁぁぁぁアイアンクローはやめろぉぉぉぉ!?」

 顔を見たくない一心で、陽一は将也の顔面を鷲摑み。くぐもった悲鳴を上げる将也だったが、それで不信が消えたわけではない。彼は解放されるのを待とうともせず、

「つーか誤魔化そうとしてんじゃねーよっ! 一体いつの間にあんな仲良くなってやがった!?」

 将也が顔と手の隙間を縫って必死で訴えるが、そう言われても、陽一にだって心当たりはない。手に込めた力は緩めないまま、彼は小さく首を捻る。

「去年の文化祭実行委員で一緒にはなったけど、それ以外では全然接点なかったな。何で急にこうなったのかは俺も分かんねぇ」

「ホントかぁ~?」

「おう」

「っていや、相槌のノリで締めつけ強くするんじゃねぇ。痛ぇよ、割と容赦なくて痛ぇよ馬鹿」

 べしべしと腕を叩いてくる将也の要求に応じ、陽一が力を緩める。しかしまだ放さない。

 そのことに不満がないわけでもなかろうが、将也はそれを追求するより重要とばかりに、大きな溜息とともにぼやく。

「だとすると、尚のこと分かんねーな。お前のどこがそんなに良かったんだろうな?」

 陽一も肩を竦め、

「お前に言われたくはねぇっての」

「ンだとこの野郎?」

 憎まれ口に凄む将也だが、それほど圧を感じる言い方でもなかった。突き放すように押しながら、陽一はようやく将也の頭を解放した。

 彼は両手でこめかみをさすりながら、

「ったく、思いっきり握り潰しやがって……」

「もうちょい細面にしてやろうと思ってな。どうだ、ちょっとはイケメンになったろ?」

「なるかっ。つーか元々イケメンだし。いや流石に嘘だけど……オイ何か反応しろよ」

 何やらごちゃごちゃと捲し立てながら恨めしそうに睨みつける将也の視線をやり過ごし、陽一は紙袋のカップケーキを取り出し、齧る。ほんのり紅茶の香りがして、なかなか美味しい。

 ただ、ケーキの感想もそこそこに彼が想起したのは、これを手渡してきたときの鬼頭の様子。去年、短い間とはいえ共に過ごした印象からはどこか遠く感じる、しおらしい態度が妙に引っかかった。

 重なるのは星奈の表情だ。一緒にいて欲しい、そう縋りついてきたときの彼女の表情と、確かに重なる印象がそこにはあり、しかし決して一致はしない。

 両者の間にある、微かな違いの実態は酷く朧げで、陽一にはそれが何なのか掴み切れない。それが、無性に彼を不安にさせた。

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