5-2:これは私のわがままだから

 翌朝、荷物をまとめたユスティナとベロニカは迎えの馬車を待っていた。


 サマンサの街へ遊びに行くのにも使った馬車の発着所は、日々の復興活動で瓦礫が少しずつ撤去されてどうにか使えるようになっていた。


 二人はあのときと同じエプロンドレス姿で撤去し切れていない瓦礫に腰掛けている。北から冷たい風が吹いてきて、ユスティナの亜麻色の髪とベロニカの金髪の三つ編みを大きくはためかせていた。


 ユスティナは隣にいるベロニカの横顔をちらりと見る。太い眉毛は不安そうに垂れ下がり、冷たい風を受けて白い肌が赤くなっていた。手のひらは日々の炊事や洗濯、復興作業の手伝いで細々とした傷だらけになっている。


 ベロニカ足下には小脇に抱えられるサイズの風呂敷包みが二つ置かれていた。これが二人の荷物の全てである。支援物資として送られてきた着替え、ユスティナのための医薬品、それと昼食用のパンと水……他の私物は全て今も瓦礫の下だ。


 ユスティナは不安な気持ちを切り替えようとベロニカに話しかけた。


「もしかして、食べきれないくらいのご馳走でおもてなしされたりして!」

「えっ……あ、うん! そうだね!」


 心ここにあらずといった感じのベロニカが慌てて振り返る。

 振り向いた拍子に彼女の三つ編みがユスティナの顔に命中した。


「うわっぷ!?」

「ご、ごめん、ユスティナ!」

「へ、へーきへーき! 大丈夫だからね……っあたた!」


 ユスティナは元気アピールしようとガッツポーズをしてみせたが、治りきっていない傷がうずいてしまって思わず身をかがめた。


 間違って顔をパンチしてしまったくらいにあたふたしながら、ベロニカが優しい手つきで体をさすってくれる。冷たい風の吹いた夜もよく傷が痛んだものの、そういうときも彼女にさすってもらうと痛みがよく和らいでくれた。


「やっぱり大丈夫じゃないじゃん!?」

「ちょっと肌寒いかな……寒い日って傷が痛むから……」

「何か上着をもらってくるよ。新しい服、届いてるかも」


 ベロニカが瓦礫から立ち上がり、テント村の方に向かって駆け出す。

 そのときだった。


 北へに延びている街道を伝令らしき王国軍の兵士が騎馬に乗って駆けてきた。全速力で飛ばしてきたらしく、兵士も騎馬も今にも倒れそうにふらついている。


 伝令らしき兵士が接近してきたことに気づいて、馬車の発着所の周りで瓦礫の撤去をしていた兵士たちが集まってきた。


 北からやってきた伝令の存在に急な不安感を覚える。


 伝令らしき兵士は馬車の発着所へ辿り着くと、疲れ果てた騎馬ごと地面に倒れ込んだ。


「き……緊急事態だ……ぜ、前線に……」

「聞いちゃ駄目っ!!」


 ベロニカが突然引き返してきたかと思うと、手のひらでユスティナの両耳を塞いでくる。しかし、彼女の小さい手のひらで全ての音を遮断できるわけがなく、ユスティナの耳には兵士たちの話声がおおよそ聞こえてしまっていた。


 前線にバビロンが向かっている。

 今日の正午には王国軍の本隊と衝突する。

 そこから先は聞かなくても簡単に想像できた。


 王国軍にはバビロンに対抗できる武器がない。ブラックナイトを改造した自爆兵器も、乗り手のシックスを一瞬ひるませるのが精々だった。シックスとバビロンが万全な状態で戦場に現れたら王国軍の兵士たちが何万人と集まっても敵うわけがない。


 伝令の兵士に少し遅れて、南に向かう街道から迎えの馬車がやってくる。


 この馬車に乗れば数日後には贅沢な王宮暮らしだ。王様やお妃様、王子様や王女様に会えるかもしれない。きっとみんなが国の英雄としてちやほやしてくれる。王宮の庭に建てられた豪華な離れで寝起きして、朝昼晩と食べきれないくらいのご馳走が出てくるに違いない。洋服だってお姫様みたいなドレスを着て、夜は社交パーティーで社交界デビューだ。


「ねえ、ベロニカ……私、行くね」


 ユスティナはおもむろにベロニカの手を取る。

 彼女の手は寒風吹きすさぶ中でもホッとする温かさだった。


「行くって……どこへ?」

「みんなのいるところ」

「駄目だよ! 絶対に駄目! ユスティナ、一人じゃ立つこともできないじゃん!」


 全てを悟ってベロニカの顔が青ざめる。

 ユスティナは自分の無謀さに笑えてきてしまった。


「なんとかなるよ。ユニティに乗ってると力をもらえるから、たぶん外に一人でいるときよりも楽になると思う。それに私、バビロンと……シックスと戦いたいの。シックスとの戦いに決着をつけて、プリムローズ隊のみんなを守りたい」

「それが間違いなんだよ、ユスティナ」

「間違いって……何が?」

「最初から全部だよッ!!」


 ベロニカの必死そうな声に集まった兵士たちが振り返らされる。

 彼女の目からは堰を切ったように涙がこぼれ始めていた。


「ユスティナの心は……誰かを守りたいっていう気持ちは最初から誘導されてたの!」

「誘導って……どういうこと?」


 ユスティナが問いかけると、ベロニカは風呂敷包みの中から一枚の便せんと取り出し、その中に入っている手紙を広げて見せた。手紙には長々とした文章が綴られており、その最後には知っている名前のサインが記されていた。


 ブライアン・ロゴス。

 ユスティナの読み間違えでなければ確かにそう書いてある。


 ベロニカはやりきれない気持ちをぶつけるように手紙をくしゃくしゃに丸めた。


「私はロゴス将軍に送り込まれた工作員なの。家族を亡くしたのは戦争が始まるずっと前で、工作員になるために軍の施設で育てられた。本当はブラムス人と偽って避難民のキャンプに潜入するはずだったんだけど、ユスティナの世話役として急遽任務が変えられたの」

「ま、待って! 工作員って……」

「王国軍にはスパイを養成する機関があって、私みたいな孤児たちが集められてるの。成長した工作員は反乱軍や周辺国家に送り込まれる。私の場合は初仕事がユスティナのそばにいることだった」

「どうして、私のそばにいることなんかが……」

「ユスティナがユニティに乗って戦うよう誘導するためだよ。私がイオナの村出身っていうのも全部作り話なの。そういうことにすれば、私を可哀想に思ったユスティナが戦ってくれるって思ったから……だから、ユスティナの中に芽生えた正義感とか、責任感とか、それは戦争に勝つために作られたものだったんだよ! ごめん、今まで騙してて……」


 ベロニカが丸めた手紙を地面へ叩きつけるように投げ捨てる。

 手紙は北風に運ばれて、瓦礫の山の向こうへ飛んでいった。

 彼女はその場に泣き崩れ、傷だらけの手で地面を殴りつける。


「任務を言い渡されたときは喜んでた。ブラムスに潜入するなんて危険な仕事したくなかったし……でも、ユスティナを実際に騙してみたら罪悪感がものすごくて、反乱軍に捕まったときなんか全身が凍るくらいに恐ろしかった。私がユニティに乗せたせいで、ユスティナが惨たらしく殺されたりしたらどうしようって……」

「……ねえ、ベロニカ」


 ユスティナは血の滲んだベロニカの手をそっと握った。


「私は騙されたなんて思ってないよ。イオナの村がベロニカの故郷じゃなくても、ちゃんと守れてよかったなって今は思うよ。それにさ……ベロニカは私のことを友達だと思ってくれてるんだよね? それとも、その気持ちまで偽物だった?」

「そんなことないけど……」


 うつむいていたベロニカが顔を上げる。

 彼女の目元はすっかり泣き腫らしていて赤くなっていた。


「でも、今行ったらユスティナは今度こそ死んじゃうよ! 私、軍の施設では友達なんて作れなかった。そもそも、そんな雰囲気の場所じゃなかったし……だから、もしもユスティナが死んだりしたら、私もう生きていけない! ユスティナの方こそ、私のことを友達だと思ってるのなら行かないで! お願いだから、行かないでよ……」


 泣き崩れたベロニカが必死にすがりついてくる。

 力一杯に抱きつかれて痛いくらいだった。


 コーンヒルの村にいた頃、教会で預かっていた子供に泣きつかれたのを思い出す。ベロニカはあの子たちよりは年上だけど、きっと頼れる人のいない苦しみは少し歳を取ったくらいで耐えられるものではないのだ。


 私だってベロニカとプリムローズ隊のみんながいなかったら――


「……ごめんっ!」


 ユスティナは歯を食いしばって立ち上がろうと試みる。覚悟はしていたものの、左足の傷跡に刃物で刺されたような痛みが走った。治りきっていない細かな傷も針を刺すようにうずいてくる。あっという間に体が沸騰したように熱くなり、嫌な汗が全身からあふれ出てきた。


「これは……私のわがままだから!」

「なんで分かってくれないの!? 死んだらおしまいなのに……どうして拾った命をみすみす捨てようとするの!? ユスティナは子供なんだよ? 戦争なんて大人に任せておけばいいんだよ。戦争に負けたって、きっとそれなりの生き方があるよ。家族が死ぬよりも辛いことなんてそうはないよ……」

「……私もそう思う」


 それでもシックスと戦いたくて仕方なかった。

 道理から外れているのは分かる……だから、これは自分のわがままだ。


 ユスティナはベロニカに体を支えてもらって歩き出す。

 瓦礫の山の中を縫うように進むと、膝をついたユニティの姿が見えてきた。ユニティはこちらに気づくといつものように手のひらを差し出してくる。一ヶ月に渡って放置されていたため、少し動くだけで体に積もった土埃が落ちてきた。


 ユニティに初めて乗ったときのことを思い出す。

 ユスティナはベロニカの肩を借りて、どうにかユニティの手のひらに腰を下ろした。


「……さっきは私の方こそごめん」


 ベロニカがハンカチを取り出して汗を拭ってくれる。


「ユスティナがいないと生きていけないなんて、私の方こそわがままだったよ。自分の生きる理由を一方的に背負わせるなんて、そんなの背負わされた方は大変に決まってるよ。生きる理由なんか見つからなくても、生きていかなくちゃいけないのにね……」

「この戦いが終わったら、生きる理由は二人で見つけようよ。命のかかったようなやつじゃなくて、おいしいものを食べたいとか、綺麗なお洋服を着たいとか、好きな人を見つけたいとか……そういう平和なやつを!」


 ユニティに導かれるまま、ユスティナは操縦席に乗り込む。

 体が宙に浮かび上がるとかなり体の痛みがマシになった。

 空中に両脚をついて、自分の足で立ち上がる。

 ユニティから力をもらっている以上、あまり長くは保たないだろうが……。


 ユスティナが意識を背中に集中させると、翼から光の粒子が吹き出してユニティの巨体が浮き上がる。バビロンとの戦いで一度ちぎられた右の翼がぎこちないものの、ギリギリ飛べるだけの自己修復は終わっていたようだ。それにどのみち、全速力で飛んでいかない限り前線の戦いには間に合わない。


 ユニティを北の空に向けて一直線に飛ばす。

 翼から放たれた光の粒子が青空に光の虹を描いた。

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