5-3:シックスとの死闘

 太陽がいよいよ空の頂点に達しようとしている。


 伝令の報告によるとバビロンが王国軍の本隊と遭遇するのは正午付近……そろそろ合流できないと手遅れになりかねない時間だ。しかし、焦ったところでユニティの飛行速度が高まるわけでもなく、ひたすらに焦燥感だけが募っていった。


 王国軍と反乱軍が衝突したのは本地とブラムスの境目――アシュナ平野である。草原から赤茶けた大地にグラデーションする光景を見られる場所だ。王国軍と反乱軍はこのアシュナ平野を境にして、この一年間ずっと領土の奪い合いをし続けていた。


 アシュナ平野には障害物になりそうな建物もなければ丘もない。兵力の多さと騎馬の機動力を生かして回り込みや挟み撃ちを狙いやすい点は王国軍が有利、物陰からのバリスタ攻撃を警戒しなくていいためブラックナイトが暴れ放題である点で反乱軍が有利といえる。しかし、そこにバビロンが襲ってくるとなると、戦場が一切の逃げ場がない殺戮場となるのは想像に難くなかった。


 お願い……間に合って!

 今のユスティナには祈ることしかできない。


 その祈りが通じたのか、肉眼では未だ捉えきれない距離に戦火を発見した。操縦席の内壁に映し出された外の風景が望遠鏡を覗いたように拡大される。


 案の定、王国軍は明らかな劣勢に立たされていた。

 戦場はバビロンとブラックナイト部隊の独壇場だ。


 バビロンは王国軍のバリケードを容易く踏みつぶし、塹壕に隠れた兵士たちを火炎放射であぶり出す。そうして無防備になった兵士たちはブラックナイトから狙い撃ちにされ、バトルアックスによって次々と解体されていった。アシュナ平野はもはや人間の血潮と臓腑がまき散らされ、灼熱の炎が燃え上がり黒煙を吹き上げる阿鼻叫喚の地獄と化している。


 ユスティナは地獄絵図の中からプリムローズの姿を探そうとする。

 ボロボロの体で駆けつけたなんて知ったら彼女は怒るに違いない。


 でも、たったの一言でいい……きみにバビロンを任せると言ってもらえたら、どれだけ心強いことか! プリムローズの言葉は魔法だ。自分のような単なる小娘でも立派な戦士になった気持ちで戦える。自分には彼女の存在が必要なのだ。


 戦場の真っ只中で奮闘しているナタリオの部隊を発見する。

 ナタリオの率いる弩弓騎馬隊は縦横無尽に駆け巡りながら、勢いに乗っているブラックナイト部隊に次々とバリスタの矢を撃ち込んでいる。しかし善戦しているのは間違いないが、軍全体の劣勢をひっくり返すには流石にほど遠かった。


 ユスティナは苦心の末にプリムローズを見つける。彼女は騎馬にまたがって、単身でバビロンの前へ躍り出ようとしていた。しかも、わざわざ目立つように隊旗を掲げている。


「プリムローズさん!?」


 ユスティナの声は彼女に届かない。

 どうしてこんな無謀なことを……。


 プリムローズに声が届かないなら、とユスティナはバビロンへ意識を向ける。すると、操縦席の内壁にシックスの姿が立体映像として浮かび上がった。


 シックスは二つに結んだ黒髪を振り乱しながら一心不乱に戦っている。彼女の目からはすでに血涙が流れ出し、柔らかそうなほおを血で真っ赤に染めていた。赤い口紅を塗った唇の端からも血が滴っており、彼女はそれを軍服の余った袖で乱暴に拭っている。


 乗り手のシックスが満身創痍になっている一方、バビロンの体は完全に修復されていた。真紅の装甲には傷一つなく、ユニティに破壊された左の肩当ても元に戻っている。唯一、切り落とされた首だけはそのままで、首なしの巨神が動いている姿にはある種のおぞましさを感じずにはいられなかった。


 同じ一ヶ月の間にどうしてあんなに自己修復が……。

 ユスティナは思考の末に恐ろしい推測に辿り着いてしまう。

 まさか、バビロンはシックスから力を吸い取っているのでは?


 ユニティが乗り手に力を与えるというのなら、対を成すバビロンが乗り手から力を吸い取るのはあり得る話だ。


 シックスが血涙を流したり吐血したりしているのは、てっきり体内に悪魔の石を埋め込まれた副作用だけかと思っていた。もしも、シックスがバビロンに乗るたびに力を吸い取られているのだとしたら――


「シックス! 私の声が聞こえるか!」


 プリムローズが血だまりの中に騎馬を止まらせる。彼女の声は確かに届いたようで、バビロンの巨体がおもむろに振り返った。


「もはや大勢は決している! 我々王国軍はすでに半壊しており、間もなく退却命令が下されるだろう。きみたちの勝利が決して揺るぐことはない。これ以上の戦いは無益であることを理解してほしい!」

「ユスティナの部隊の……」


 どうして自分が話しかけられているのか分からないのか、シックスが怪訝な表情を浮かべてプリムローズを見下ろす。しかし、戦いに水を差された事実に気づくや否や、突如として火山が火を吹くように声を荒げた。


「ふざけるなっ! お前に私を止める権利なんてないっ! お前たち本地の人間は、私たちブラムス人を奴隷として死ぬまで働かせてきた。ときにはたいした理由もなく戯れに命を奪ってきた。今度はお前たちが同じ思いをする番だっ!」

「……いや、きみの本当にやりたいことは家族の復讐であるはずだ」

「何が言いたいっていうの!?」

「きみの家族を殺した街の人たち……彼らを裏から操っていたのが、当時サマンサの街に駐屯していた軍の責任者である私なんだ!」

「なっ――」


 プリムローズから聞かされた事実にシックスがカッと目を見開く。

 ユスティナは「違うっ!!」と叫ぶも、お互いに意識を向け合っていないためか、シックスに言葉は届かなかった。


「きみの復讐するべき相手はこの私だ! この私の死を以てして、この場はどうか怒りを収めてほしい! 他のものたちが助かるなら、私を好きなようにしてくれて構わない。本当に憎むべき相手を思い出してくれ、シックス!」


 シックス冷静になって、とユスティナは精一杯の大声で訴える。


 プリムローズはあくまで独立部隊の隊長であり、一年前の時点でサマンサの街に駐屯している軍を任されるような立場にいるわけがない。

 自分に怒りの矛先を向けさせることで、シックスの殺戮を止めようと考えていることは一目瞭然だ。しかし、そんな冷静さが今のシックスにあるはずがなかった。


「……だったら殺してやるよ!」


 シックスが双剣の片割れを振り上げる。

 彼女の瞳は完全なる殺意に染まっていた。


「お前を殺したあとで……残りの全てもなぁッ!!」

「――間に合え!!」


 双剣を振り下ろそうとするバビロンに向かって、ユスティナは一縷の望みをかけてユニレイを発射する。ユニティの角から稲妻の如き閃光が放たれると、戦場から立ち上る黒煙に染まった空を一瞬で駆け抜けた。


 ユニレイがバビロンの胴体に命中し、真紅の装甲を蒸発させて貫通する。

 だが、それでもなお阻止するには至らなかった。


 双剣の振り下ろされる軌道がわずかにズレる。しかし、それがなんだというのか。双剣が地面に叩きつけられた衝撃でプリムローズの体が紙くずのように舞い上がる。そして、次の瞬間には真っ逆さまに地面へ叩きつけられた。


 子供が乱暴に振り回した人形のようにプリムローズは不自然な体勢のまま動かなくなる。

 彼女の命が失われたことは遠目からでも明らかだった。


「うぁああああッ!!」


 ユスティナは言葉にならない叫びを上げながら、ユニソードを出現させてバビロンに斬りかかる。しかし、バビロンは素早く反応して大きく飛び退くと、頭上からの一撃を容易く回避してしまった。


「ユスティナ……ハハッ! やっぱり来たね!」


 シックスがゾッとするような冷笑を浮かべる。

 彼女の全身からは間近に迫った死のにおいが漂っていた。


「シックスはこれで満足なの?」

「満足? バカ言わないで! あの女が家族の仇じゃないことくらい分かってる」

「分かってるって……それならどうして殺したの!?」

「これはもう私一人の復讐じゃないんだよ! 本地の人間が根絶やしにされることを全てのブラムス人が望んでいる。そもそも殺された被害者と殺した加害者……その命が対等に釣り合うとでも思ってるの? 罪を背負った人間の命は軽くなる。軽くなった命では罪の精算なんてできやしない! お前らは……皆殺しにされなくちゃ釣り合わないんだーっ!!」


 バビロンの首の切断面から漆黒のオーラが吹き出し始める。

 それは七本の龍の首を形作ると戦場全体を飲み込むように暴れ回った。


 王国軍は言わずもがな、反乱軍の兵士たちすらも黒いオーラの濁流に巻き込まれる。七本の龍の首は人々を押しつぶし、大地を引き裂いて飲み込み、土塊と石のつぶてを散弾のようにまき散らした。

 飛び散った肉片が血の雨となって戦場へ降り注ぎ、大理石のように真っ白なユニティの装甲をどす黒い血に染める。操縦席の内壁に映し出された視界も、血の色で真っ赤になってしまっていた。


「やめてっ……もうやめてっ!!」


 ユスティナはユニソードを振りかぶりながら突進する。

 ユニソードを全力で突き出すものの、バビロンはそれを簡単に双剣で弾いてしまった。


 明らかにユニティの動きが鈍い。ユスティナの体も満身創痍なら、ユニティの自己修復も終わっていない。地上に立っているだけでも全身の骨格が悲鳴を上げている。ここへ辿り着くまでの間に翼も酷使したため、おそらく飛べるのはあと一度が限界だろう。


「みんな逃げてっ!! 早く、巻き込まれる前にっ!!」


 ユスティナは誰にともなく訴える。

 戦争に勝つとか負けるとかどうでもいい。

 こんな無益な戦いは一分一秒でも早く終わらせるべきだ。

 今となってはもう王国軍も反乱軍も関係なかった。


 それにもかかわらず、反乱軍の兵士たちは目を血走らせて攻め込んでくる。バビロンの攻撃に巻き込まれるても構わない。死んだ仲間よりも殺した敵の方が多ければ問題ないと言わんばかりに血の雨の中を突き進んだ。


「誰かを生かしたいなら……お前たちだけがくたばれっ!」


 ユニティの鼻先をバビロンの双剣が掠めた瞬間、双剣から放たれた高熱がバターのように装甲を焼き切る。すると、鉄仮面を模したユニティの頭部に深い亀裂が走り、その奥に隠れていたユニティの素顔がわずかに覗いた。


 ユニティの力強く輝く瞳が血に狂うバビロンを真っ直ぐに見据える。

 シックスが咳き込んで手のひらについた血をべろりと舐め上げた。


「お前たちがみんな死ねば戦争は終わる!」

「終わらない! そんなことしても戦争は終わらない!」


 ユニソードと双剣がぶつかり合いつばぜり合いが起こる。

 飛び散った火花が眩しすぎて目がくらみそうだ。操縦席にも衝撃が伝わってきて、治りかけていた傷口が開き出す。全身が針を刺すように痛み、エプロンドレスにじわじわと血が染み込んだ。


「反乱軍を敵視する人たちを皆殺しになんてできない! 王国政府がブラムス人を完全に支配しようとして、結局は反乱軍が組織されたみたいに! シックスたちがこの戦争に勝ったとしても、手の届かないところへ逃げた誰かが仕返しするために絶対戻ってくる!」

「それでも私は証明しなくちゃいけない! お前たちが間違っていることを!」


 戦場一帯に広がっていた七本の龍の首が一斉にユニティへ狙いを定める。とっさにバビロンを突き飛ばして距離を取ると、ユスティナは迫り来る龍の首をユニレイでなぎ払った。


 龍の首をいくつか切断するのに成功するも、ユニレイの着弾した地面から天を突くような火柱が吹き出し、巻き添えになった兵士たちの体が粉々になる。つんざくような悲鳴が戦場に響き渡り、ユスティナの頭が釘を打ち込まれたように痛んだ。


 残った龍の首が一斉に火炎放射を放ってくる。

 ユスティナはユニソードを振り下ろして火炎放射を切り払った。


 二つに分かれた炎はユニティの背後で戦っていた兵士たちを飲み込む。あるものは一瞬で消し炭になり、あるものは全身焼けただれながら死ぬこともできずのたうち回った。人間の体が燃える不快なにおいが辺りに漂って、運良く巻き込まれずに済んだ兵士たちも半狂乱になって逃げ惑う。


 ユスティナは大きく前に踏み込み、ユニソードでさらに龍の首を斬り払った。


「……喰らいなよ、バビロン!! 私の命をあげる!!」


 シックスが血反吐を吐きながら言い放つ。

 言うや否やバビロンの体から黒いオーラが吹き出すと、切り落とした龍の首が一瞬で再生してしまった。


 再生した七つの首はユニティの体に絡みついてくるなり、全身を締め付けながら装甲に噛みつき、亀裂から火炎放射を流し込んでくる。侵入してきた熱気はユスティナの肌とエプロンドレスを焦がして、操縦席にはくすぶる布地から立ち上った黒い煙が充満した。


 ユスティナはユニソードで七本の龍の首を斬り払おうとする。

 しかし、右腕には龍の首が幾重にも絡みついて今にもねじ切らんとしていた。


 あのときはナタリオさんに救われた……でも今は!


 ユスティナとっさにユニソードを異空間に収納して、即座に左手へ意識を集中させる。すると巨大な魔法陣が空中に展開されて、今度はユニティの左手にユニソードが出現した。警戒されていない左手ならユニソードを振るう隙はある。


「はぁっ!!」


 がむしゃらにユニソードを振り抜き、七本の龍の首をまとめて切り払う。


 そうして空中へ吊り上げられていたユニティの巨体が着地した瞬間、ユスティナの左足に槍で突き刺されたような激痛が襲いかかってきた。強烈な痛みは全身を駆け抜けて、危うく膝から崩れ落ちそうになる。開いた傷口からは血がどくどくと流れ出して、ユスティナの靴の中まで染み込んできた。


 その程度の痛みがどうした!


 ユスティナは歯を食いしばって、ユニティをすかさず突進させる。

 ユニソードを大上段に振りかぶると、間髪入れずバビロンに向かって投げつけた。


「……くっ!」


 意表を突かれたシックスが一瞬反応に遅れる。

 ユニソードを受けようとして、バビロンの手から双剣が弾き飛ばされた。

 打ち合いで摩耗したユニソードが粉々に砕け散る。


 このタイミングしかない!


 最後の力を振り絞ってユニティをバビロンに組み付かせると、ユスティナはバビロンもろともユニティを空に向かって飛翔させた。

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