5:戦いの結末と新しい始まり
5-1:プリムローズ隊との別れ
反乱軍の襲撃によって受けた被害は途方もないものとなった。
避難が遅れて巻き込まれた民間人は千人以上、王国軍の兵士に至っては軽く見積もってその七~八倍の被害を受けた。これは今回の戦争が始まって以来……それどころかミゼル王国建国以来、最大の戦争被害だった。
サマンサにあった基地は全ての施設、大半の兵器を破壊されて全滅同然である。生き残った兵士たちも半分以上は負傷兵で、半壊したサマンサの街に居残れるわけもなく、別の王国軍の基地へと散っていった。
ユスティナはサマンサの街に建てられた野戦病院で治療を受けることになった。
元から街にあった病院はバビロンによって破壊されてしまっている。街は負傷者が地面に転がされているような惨状だったが、ユスティナはベロニカと二人で一つのテントを使わせてもらっていた。
ベロニカは王国軍から避難の指示を受けた時点で基地を離れていた。戦いが行われている間はサマンサの近くにある村に避難していたらしい。そしてサマンサの街に戻ってきてからは、同じテントに泊まり込みでユスティナの手当てをしてくれたのである。
ただ、ユスティナにベロニカとの再会を嬉しがる余裕はなかった。
反乱軍の基地で受けた監禁と拷問……それによって衰弱した体をユニティの治癒能力で誤魔化していた。そして、バビロンとの戦いで胸部装甲を完全に破壊されて、飛び散った破片の突き刺さった傷が十数カ所はある。野戦病院に運び込まれたあと、傷の痛みと高熱にうなされて数日間は意識が戻らなかった。
そうして意識が戻ってからもベッドから起き上がることはできなかった。
朝昼晩の食事の世話。包帯を変えてもらい、体も清潔に拭いてもらう。トイレに行くのにも体を支えてもらったし、寝返りを打つのさえ手伝ってもらった。夜中に傷が痛み出して苦しくなったときは、痛み止めが効いて落ち着くまでそばにいてもらった。
生活の全てどころか生きることの全てを支えてもらって、ユスティナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。けれども、ベロニカは面倒くさがる素振りもなく「ユスティナは自分の体をいたわってね」と笑顔で励ましてくれるのだった。
ユスティナに限らずプリムローズ隊も大きな打撃を受けていた。
隊長のプリムローズは幸いにも軽傷だったものの、捨て身の爆破攻撃を仕掛けたナタリオは爆風に巻き込まれて何本か骨を折ったし、他の隊員たちには死傷者が多く出ている。残った隊員は全体の半分以下になってしまっていた。
しかし、全体的な戦況としてはそれほど悪くはないらしい。
拘束していたはずのユニティが戦場に現れて、サマンサの街を襲っていた王国軍は大きく浮き足立った。バビロンの後ろについていくだけで楽に勝てると思い込んでいたのだから無理はない。ユニティがバビロンを相手している間に別の基地から駆けつけた援軍も加わり、劣勢だった王国軍は徐々に反乱軍を押し返していった。
反乱軍は基地壊滅という目的を達して退却したものの、何よりユニティを取り逃してしまったことが痛手だった。これによって反乱軍は再び一大攻勢をかけづらくなったと言える。戦争が長引くほど王国軍に有利なのは今も変わらない。反乱軍に王国本地から戻ってきたブラムス人を養える体力がないのは、ユスティナもこの目で見てきた。
ユスティナが治療に専念している間、バビロンは戦場に現れなかった。
バビロンに与えられたダメージはそう大きくないが、血涙を流し血反吐を吐いたシックスの負ったダメージは計り知れない。バビロンがブラムスの基地に到着したのは偵察によって判明しているが、そのあとシックスがどうなったのかまでは分かっていなかった。
そうして大きな動きのないまま一ヶ月が経過した。
×
「はい、あーん」
「そ、そろそろ一人でも食べられると思うんだけど……」
ベロニカがベッド脇の椅子に腰掛けて、スプーンですくった麦粥を差し出してくる。
ユスティナはちょっと恥ずかしくなりながら麦粥をぱくっと食べた。
街中に建てたテントで暮らし始めて一ヶ月、なんとかベッドから上体を起こすくらいは自力でできるようになっていた。ユスティナとしては食事も一人でできると思うのだが、ベロニカが熱心にお世話してくれるので身を任すしかないのだった。
「うーん……それならやってみる?」
「うん、体を慣らしておかないといけないしね」
ユスティナは麦粥の入った皿とスプーンを受け取る。麦粥をスプーンですくおうと挑戦してみたが、途端に右手が震えだしてスプーンを皿の上に落としてしまった。
「あ、あはは……まずはスプーンを握る練習から始めないと駄目みたい……」
「ゆっくりやろうよ、ユスティナ。時間はあるんだから」
「……そうだね」
改めてベロニカに麦粥を食べさせてもらう。
明日、サマンサの街に迎えの馬車がやってくる。怪我の長引いている負傷者は、馬車に乗って大きな病院へ移ってもらったり、除隊して故郷へ帰ってもらったりする予定だ。
ユスティナは王都へ招かれていて、なんと王宮の中で暮らせることになっている。王宮なら一番安全だろうという王国政府と軍上層部の判断だった。しかも、ベロニカもお世話係としてついてきてくれる。
ユスティナは王宮暮らしを想像して思わず苦笑いした。
「王宮の中で暮らすなんて、なんか緊張しちゃうね」
「小さい頃はお姫様になって、綺麗なお城で暮らしたいなんて思ったこともあるけど……本当に王宮で暮らすとなったら確かに大変そうだよね。といっても王宮の中で働いている人の寮とか、離れの建物とかもあるだろうから、住むとしたらそういうところじゃないかな?」
「それなら助かるなぁ……プリムローズ隊のみんなならともかく、貴族とか王族とかの人たちって会うと緊張しそうだからね」
それに権力を持った大人の恐ろしさは嫌と言うほど思い知った。
貴族には騎士らしく戦えと説き、一般の兵士たちには殺して奪えと言い放ち、そして自分の前では紳士を演じて見せたロゴス将軍……組織を動かす人間としては優秀かもしれないが、あんな大人が世の中にたくさんいるのかと思うと寒気がしてくる。
そのロゴス将軍はサマンサの街を守るために指揮を執ったあと、すでに前線へ移動して軍全体の指揮を執っているらしい。かつて自分にかけた言葉の真意を聞き出したい気持ちもなくはないが、きっと老獪な彼のことだから本性は絶対に現さないだろう。
私にはやっぱりプリムローズ隊が合ってたんだな……。
別れのときが近づき、ユスティナはしみじみとそう思った。
そうして、朝の食事を終えてすぐあとのことである。
「……入るぞ、ユスティナ」
ユスティナとベロニカが話していると、鎧を身につけたプリムローズとナタリオがテントにやってきた。
プリムローズの怪我はすっかり良くなっている一方、ナタリオは折れた左腕を布で釣っている。プリムローズ隊はこれから前線に向かい、ロゴス将軍の指揮下に入って反乱軍に攻勢を仕掛ける予定になっていた。
キャンプ暮らしが長かったため、二人のきっちりとした軍装を見るのは久しぶりだ。プリムローズとナタリオの凜々しい姿を目の当たりにして、ユスティナは見とれる一方で一気に寂しさが込み上げてきた。
みんな本当に戦地へ行ってしまうんだ……。
北方の最前線と南方の王都。
自分たちはお互いに最も離れた位置へこれから向かうことになるのだ。
「あの、私は……」
ベロニカが困った顔をして二人を見ると、ナタリオが申し訳なさそうにはにかんだ。
「悪いね。ちょっとだけ外してもらえる?」
「分かりました……ユスティナ、またあとでね」
ベロニカが手を振りながらテントを出る。
ユスティナは手を振り返して、改めてプリムローズとナタリオの立ち姿を眺めた。
「お二人ともやっぱり似合ってますね」
「マジ? いやあ、そんなストレートにほめられると参っちゃうぜ? 気持ちよくほめてもらったお礼にお花でもあげたいけど、この前の戦いで全部燃えちゃってなあ……悪いけど俺の笑顔で我慢してくれない?」
ユスティナにほめられたナタリオがおどけてみせる。
プリムローズはただ静かに微笑んでいた。
「実際、腕の怪我は大丈夫なんですか?」
「俺? まあ、腕が折れてても指揮はできる。それにユスティナにはいいもの見せてもらったからな。巨神ユニコーンの本気の姿、名付けてアリコーン・フォーム! お偉いさんへの報告書にはもうそのネーミングで書いておいたぜ!」
「アリコーン……ってなんですか?」
「角を持つユニコーンと翼を持つペガサス、その両方の特性を持つ伝説上の生き物さ。角と翼の両方が生えてるなんて格好いいよなあ。とりあえず、ユスティナとユニティにはゆっくり休んでもらって、元気になったらまた飛んでくれりゃあいいさ」
「……はい」
ユニティはあれからバビロンと戦った姿のまま放置されていた。自己修復は遅々として進まず、大小の傷が体に刻まれたままだ。乗り手も巨神もボロボロの状態では、戦いについて行けないのも当然である。
ナタリオが不意に複雑そうな顔をして呟いた。
「あとは例の可哀想な子がゆっくり休んでくれていればな……」
シックスの素性についてはユスティナの口から説明してあった。ただし、バビロンの乗り手が子供であると分かったら兵士たちの士気に関わるため、軍上層部以外で正体を知ったのは隊長のプリムローズと報告書の作成を手伝ったナタリオだけだ。
「シックスの正体が気になって、あれから私も調べさせてみた」
プリムローズが煙草を取り出そうとして、ハッとした顔をして引っ込めた。無意識に吸おうとしてしまうあたり、内心は明日以降のことが心配なのかもしれない。
「戦争が始まった直後にサマンサの街で起こった暴動……そこで殺されたブラムス人たちの中には出稼ぎに来ていた娼婦も多くいた。その中には十歳前後の姉妹を連れた女性もいたと目撃証言が残っている。おそらくそれがシックスと亡くなった妹だろう」
「シックスと妹さんの名前って分かっていたりしますか?」
「いや、そこまでは……」
プリムローズが残念そうに首を横に振る。
ナタリオが悔しげに下唇を噛んだ。
「そのときサマンサの街にいた軍はなにやってたんですかね」
「軍では止められないほど暴動が凄まじかったとは聞いている。しかし、被害者がブラムス人であることを知って、あえて動かなかった可能性も高い。シックスもそのことには気づいているだろうな。彼女にとっては本地の人間全てが敵だったんだ」
「シックスたちに味方してくれる人は本当に誰もいなかったんでしょうか……」
サマンサの街だけでも数え切れないほどの人が住んでいる。
その中に一人くらい健気に生きている姉妹を気遣ってくれる人がいてもよかった。
でも、自分がその場に居合わせたとして、暴走した人々を止められたかというとはっきり言って自信がない。巻き添えになるのを恐れて、怖くて動けないのではないか。きっと一年前の何も知らない自分なら……。
「あの場に我々がいたら、多少の手助けはできたかもしれないが……」
「一年前の開戦時というと、俺はまだ軍学校で伝説や神話の調査にハマっていた時期、プリムローズさんは隊長に就任する前でしたからね。プリムローズさんは一応、そのときに駐屯していた街で暴動が起こらないように見張ったりしていたんですか?」
ナタリオの問いかけに対して、プリムローズはまたもや首を横に振った。
「あのときの私は警邏にすら出させてもらえなかったよ。騎士の家の娘として戦場で武勲を立てる前に怪我でもしたらどうする……とロゴス将軍に止められたんだ。あのときの私は完全にロゴス将軍を信頼していたからな。しかし、戦争の現実を見せつけられるうちに彼を人間的には信じられなくなった」
そうしてロゴス将軍の手を離れて、プリムローズは自分の部隊を持ったのだろう。どのようにして隊長になれたのか、苦労したのか意外とすんなり事が運んだのか……それは想像するしかない。
「シックスの素性に話を戻すが……バビロンに乗せるために手術を受けさせたという話には戦慄させられたよ。胸を開く外科的手術はミゼル王国でも研究中の域を出ないし、魔術的な力を持つ物体を埋め込むなんて話は聞いたこともない」
「むごいにもほどがありますよ。嫁入り前の女の子の体に……いや、シックスちゃんとやらの場合は自分から手術を希望したんでしたっけ? 大怪我して死ぬかもしれないならともかく、健康な体を開くなんて……ううっ!」
ぶるぶるっとナタリオが身震いする。
果たして自分が同じ立場なら手術を受けただろうか……。
ユスティナには想像しようとしてみたものの、異性を好きになったことはないのでシックスと同じ目線からはどうしても考えられなかった。
そこでふと思い至る。
私がシックスを説得できないのって、もしかして私が恋愛を知らないから?
そうではないことを願いたい。
「さて、そろそろ出発しますか?」
「もう少し話させてほしい」
「……分かりました」
ナタリオが何かを察したらしくテントから退出する。
プリムローズは「ありがとう」と一声かけて、ベッドの脇にある椅子に腰を下ろした。
さっきまでの凜々しさや堂々とした雰囲気はどこへ行ったのか、彼女の横顔には暗い影が差し込んでいる。そこから読み取れる感情は深い後悔……そんなものプリムローズにふさわしくないとユスティナは思った。
「どうしたんですか、プリムローズさん?」
これまで見たことのない表情を目の当たりにして、ユスティナは不安になって思わず問いかけてしまう。問いかけてから「話してくれるのを待つべきだったかも……」と気づいたが、口に出してしまった以上もう遅かった。
「……ひとつ泣き言を言わせてくれないか?」
「はい……」
プリムローズの辛そうな表情を目にしたものの、まさか『立派な大人の代表』と思ってきた彼女から弱音を聞くことになるとは思わず、ユスティナは虚を突かれた思いになる。あるいは素直に弱音を吐けるからこその大人なのだろうか?
「きみを無理やりにでも追い返していればよかったと今でも思う。きみがユニティに乗ると言ってくれたあの日……いや、二人で話したあの夜に突き放していれば、きみはこんな辛い目に遭わなかったはずだ」
「……そ、そんなこと言わないでください!」
ユスティナは励ましたい一心でプリムローズの肩を揺する。
「あのまま基地を離れても、私はずっとモヤモヤした気持ちを抱えていたと思います。プリムローズ隊のみんなと一緒に戦ってきて後悔したことなんてありません。それに私、自分なりのやり方でシックスと向き合ってみたいんです。シックスと話し合いたい。もちろん、同じ巨神の乗り手として戦いでも勝ちたい!」
「ユスティナ……」
「確かに辛い目には遭いました。プリムローズさんが罪の意識を預かってくれたり、ナタリオさんが全てを投げ出してもいいと赦してくれなかったりしたら、きっと戦場で心が駄目になっていました。でも、自分の判断の甘さに後悔したことこそあっても、みんなと一緒に戦うことを決意したことを後悔したことなんてありません!」
思いの丈を全て言葉にする。
自力で立ち上がることもできないユスティナにできるのはそれしかない。
果たして気持ちが通じてくれたのか、プリムローズが吹っ切れたように立ち上がった。
「……ありがとう。これで覚悟が決まったよ」
プリムローズは全て納得ずくと言わんばかりの悟ったような表情を浮かべている。
これで彼女の背負い続けてきた罪を少しは預かれただろうか?
妙な切り替えの速さが気になるものの、それも彼女の優秀さの一因かもしれない。
「では、出撃前の最後の命令だ。ユスティナ・ピルグリム、きみは怪我が完治するまで後方待機せよ。今のプリムローズ隊に負傷者を守りながら戦うような余裕はない。勝手な行動を起こして、我々の心配の種を増やしてくれるなよ」
「……はいっ!」
ユスティナはベッドの上で敬礼する。
プリムローズは敬礼を返すとテントから颯爽と出て行った。
自然とため息がこぼれてしまう。
あんなに強くて知的で優しくて尊敬できる女性は他にいない。もしかして、自分にお母さんがいたらあんな感じだったのだろうか? そんなことをプリムローズに言ったら、私はまだお母さんなんて呼ばれる歳じゃないと笑われてしまうかもしれないけど……。
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