4-5:サマンサへの帰還

 全速力のユニティを以てしても、国土の半分を縦断するには丸一日以上を要した。


 最低限の食事や睡眠の時間を除いて走り続けられたのは、やはりユニティから力を分け与えられていたからだろう。その代償として胸部装甲の自己修復は一向に始まらず、骨格に薄膜を貼っただけのような半透明のままになっていた。


 そうして翌日の正午過ぎ、前方に立ち上る幾重もの黒煙が見えてきた。それと同時に建物の崩れる音、金属と金属のぶつかり合う音、そして人々の叫び……戦場の音が津波のように押し寄せてきた。


 王国軍の基地全体を囲んでいる塁壁も見えてくる。しかし、オルドンの街を囲んでいた塁壁にも増して強固な……さながら城壁のように立派だったそれは、すでに子供が崩した積み木のような状態になっていた。


「くそっ……ありゃあ街の中まで攻め込まれてるな!」


 ナタリオは昨日と同じくユスティナの背後に立っている。

 彼の指さす先には白い煙が吹き上がっていた。


「プリムローズ隊の信号弾だ! あそこに向かってくれ!」

「分かりました!」


 ユニティで崩れた塁壁を乗り越える。

 基地の中はやはり惨憺たる有様になっていた。


 軍人や労働者の寮も、司令部の館も、武器庫や食料庫といった施設も、建築物は全て等しく破壊されている。例外の一つもなく全てが破壊されている光景からは、破壊した人間の圧倒的な怒りと執念が感じられた。こんなことができるのは、やはりシックスとバビロンしか考えられない。


 基地内に散らばっている死体の数も尋常ではなかった。

 斬り合いの末に死んだものたちもいれば、ブラックナイトの攻撃でバラバラに引き裂かれているものもいる。瓦礫の下敷きになっているものもいれば、バリスタに体を貫かれて磔になっているものもいる。バビロンに踏みつぶされたらしき『人間だったもの』もそこかしこに見られて、ユスティナは思わず目をそらしてしまいそうになった。


 王国軍も反乱軍も死んでしまえば関係ない。でも、とりわけ痛ましいのは基地で働いていた労働者たちの死に様だった。単純に逃げ遅れてしまったのか、王国軍を助けるために自ら残ったのか……見覚えのある顔もちらほら確認できる。


「ベロニカはっ!?」


 大切な友達の顔が思い浮かび、ユスティナは足を止める。

 もしかしたら、この死体の山の中に彼女が……。

 最悪の想像が脳裏をよぎったとき、ナタリオが優しくユスティナの肩を叩いた。


「不安なのは分かるけど、今は探している時間がない」

「……はいっ!」


 ユスティナは力強く返事をして意識を引き戻す。

 ここで取り乱してしまったら、日が暮れるまで死体の山を漁りかねない。


 基地の敷地を真っ直ぐに通り抜けると、基地と街をつないでいる馬車道に反乱軍の一団が布陣しているのが見えた。それはサマンサの街を埋め尽くしてもあまりあるほどで、オルドンの街に攻め込んだ王国軍一万を遥かに超えている。


 そして、布陣している反乱軍のさらに向こう側……サマンサの街の真っ只中にバビロンの姿はあった。黒い刀身の双剣を一心不乱に振り回し、街の建物を片っ端から破壊している。激情に駆られるまま手当たり次第に襲っているらしい。


「そこをどいてくださいっ!」


 ユニティの手にユニソードを出現させて、ユスティナは反乱軍の一団に吶喊する。

 バビロンの動向を見守っていた反乱軍の兵士たちは、まるで海が割れるように退避してユニティに道を譲った。


 反乱軍の陣地を抜けてサマンサの街に突入する。

 そこは地獄と表現するのも生ぬるい様相を呈していた。働き盛りの青年から杖を突いているような老人、さらにはぬいぐるみを抱いているような子供から赤ん坊をを身ごもっている妊婦まで、逃げ遅れた民間人が手当たり次第に虐殺されているのである。


 しかし、そんな惨たらしい死に方でもマシかもしれない。手足がちぎれていたり、内臓がこぼれ落ちたりしていながらも、死にきれずうめき声を上げている人たちも散見された。彼らにはもはや言葉を発する力も残されておらず、助けを求めているのか、いっそ安らかな死を願っているのかすらも分からない。


「くたばれ! 王国軍の悪鬼め!」


 前方に王国軍の兵士を襲っているブラックナイトを発見する。

 ユスティナはすぐに助けなければと思ったものの、襲われている兵士の姿を目の当たりにして足が止まってしまった。


 ブラックナイトのバトルアックスで今にも首を切り落とされそうな兵士……それは瓦礫に両脚を押しつぶされて、身動きの取れなくなっているアルフレドだった。


 近くには愚連隊の兵士たちの死体も散乱しており、値の張りそうな貴金属や家具の積まれた荷馬車が放置されている。兵士たちの中にはバビロンの火炎放射によって無惨な消し炭になってしまったものも見られる。そのため、周囲には血のにおいと人間の体が焼ける嫌なにおいが漂っていた。


「ユスティナ、気に懸けることなんてない!」


 ナタリオが軽蔑の目をアルフレドに向ける。


「あんな男、死んだ方が世のためだ」

「……そうかもしれないです」


 率直に言ってナタリオの言葉はもっともだ。

 世の中には死んだ方がいい人間がいるのかもしれない。


 しかし、ユスティナは即座にブラックナイトをなぎ払う。

 ユニソードに操縦者の血がべったりと付着した。


「な、なんだ……お姫様かよ……へへっ……」


 息も絶え絶えのアルフレドがユニティの巨体を見上げる。

 透けた胸部装甲越しにユスティナと目が合うと、彼は血を吐きながら不敵に笑った。


「……で、俺を助けてどうするつもりだ? たとえ一命を取り留めても、この足じゃな……寝たきり生活が精々だぜ。それとも、そうやって俺に……生きてるような死んでるような生活を送らせるのが……お姫様なりの罰の与え方って、わけなのか?」


 生きるか死ぬかの瀬戸際なのに本当によくしゃべる男だ。己の成してきた悪行を省みるつもりもないらしい。これ以上こんな男を生かしていたら、今まで被害に遭ってきた人々が報われないに違いない。


 それでも勝手に人間の罪を判断して、自分の手で裁きを下してしまうような……そんな自分を正義の味方だと思い込んでいる人間にはなりたくなかった。たとえロゴス将軍がアルフレドを野放しにしていても、真っ当に彼の罪を裁く方法はあるはずだ。


 ユスティナは無言でその場を立ち去る。

 そのとき、背後からナタリオのため息が聞こえてきた。


「あの男のことだ。こんなうま味のない戦場へ真面目に出てくるとは思えない。おそらくサマンサの街が襲撃されたどさくさに火事場泥棒を働いて、王国軍から脱走しようと考えていたんだろう。高価そうなものを積んだ荷馬車を連れていたのがその証拠さ」

「この一大事にそんなことを……」

「もちろん重罪だ。生きていたところで軍法会議にかけられるだろうから、ユスティナちゃんが手を出さなくて正解だよ。さっきは頭に血が上って、まともな判断ができていなかった。急かしてしまってすまなかった」

「いえ、気にしないでください」


 アルフレドを正しく裁いてもらえる保証などないのだから、あれも結局は自分のわがままでしかなかった。


 それに今はあんな男のことで悩んでいる時間がもったいない。

 そうこうしている間にも、市場の開かれていた大通りを進む敵軍の姿を捕捉する。壊れた屋台からこぼれ落ちた色とりどりの果物が、ブラックナイトと歩兵たちの軍靴に踏みつぶされてぐしゃぐしゃになっていた。


 ユスティナはユニソードを突き出しながら、前方のブラックナイト部隊に突進する。

 真っ先に気づいた歩兵たちが慌てて通りの脇へ飛び退いた。


「押し通ります!」


 ユニティは反応の遅れたブラックナイト部隊をはじき飛ばす。

 すると、反乱軍に応戦していた王国軍の部隊から歓声が上がった。


 それからも王国軍の仲間たちを助けながら、信号弾の上がっている場所に向かって前進し続ける。助けられた王国軍の兵士たちは大いに沸き立ち、その一方で反乱軍の兵士たちは明らかに戦意を削がれていた。


 そうして敵軍の真っ只中を駆け抜けると、宿屋とおぼしき石造りの建物の陰にプリムローズ隊の姿を発見できた。彼らは怪我人だらけの満身創痍になりながらも、瓦礫をバリケードとして利用して、進軍してくるブラックナイトたちに応戦していたのである。その中にはもちろん隊長であるプリムローズの姿もあった。


 ユニティを立ち止まらせて、ナタリオを操縦席から下ろす。

 頭に包帯を巻いたプリムローズがユニティの巨体を見上げていた。


「二人とも無事でよかった! ユスティナはもう戦えるのか?」

「はいっ! 行けますっ!」


 ユスティナはユニティを立ち上がらせる。

 ナタリオが建物の陰から反乱軍の様子をうかがった。


「あいつら完全に勝った気になってますからね。ユニティが駆けつけたことでかなり浮き足立ってますよ。反撃するなら今のうちです。ところで……俺の分の装備はちゃんと残ってるんですよね?」

「あそこにある……が、アレで武器の予備は最後だ」


 プリムローズが物陰に隠してある荷車を指さす。

 荷車の上にはバリスタと鎧が積まれており、そして荷車の後ろには鹵獲されたブラックナイトが一体だけ置かれていた。修理と改造に相当手間取っていたようだが、どうにか使えるようになったらしい。


「ユスティナはバビロンを頼む! この街を守ってくれ!」

「任せてくださいっ!」


 プリムローズから重要な仕事を任されて気力が湧いてくる。

 ユスティナはきびすを返して、ユニティをバビロンに向かって走らせた。


 バビロンはこちらに気づいていないようで、今もサマンサの街を破壊し続けている。その場所に見覚えがあると思ったら、そこはベロニカと一緒に食事をご馳走になったレストランがある飲食店街だった。


 今すぐにでも止めに入りたい気持ちを抑え、念入りに周囲を確認する。

 案の定、飲食店の合間にある路地に逃げ惑う子供たちの姿を発見した。


「あれはっ――」


 バビロンが子供たちのいる路地へ向けて双剣を振り下ろそうとする。

 ユスティナはユニティを滑り込ませるようにして双剣をユニソードで受け止めた。


 操縦席の内壁に面食らうシックスの立体映像が浮かび上がる。

 彼女の目はすでに怒りと興奮で血走っていた。


「ユスティナ!? お前、どうしてこんなところに――」

「シックス、あの子供たちが見えなかったの!? あの子たちはサマンサの街に置き去りにされたブラムス人なんだよ!」


 ユスティナは両腕に感じる重みに耐えながら路地を確認する。

 子供たちは路地の奥へ逃げ込めたようで、すでにそこに姿は見えなかった。


「あなたと同じ境遇の子供たちなのに……中には知ってる子がいるかもしれないのに!」

「それがなにっ!?」

「怒りをぶつけたいだけなら私にぶつけてっ!!」


 ユスティナは双剣を押し返して、そのままユニソードで斬りかかる。

 渾身の一撃を振り下ろすと、妙にあっさりと一太刀を浴びせることができた。


 ドラゴンを模したバビロンの首が大きな音を立てて地面に落ちる。

 巨神を動かしているのは胸部の操縦席にいる乗り手だ。人間と違って首を切り落としたところで体の動きに支障はない。だから、そのくらいで気を抜いたりしないようユスティナは注意していたつもりだったが……。


「ハハッ! ようやく力の使い方が分かってきた!」


 シックスの目から突如として血涙がこぼれる。

 その刹那だった。

 バビロンの首の切断面から、濁流のような勢いで黒いオーラが吹き出してきた。

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