4-4:基地からの脱出

 基地に戻ったユスティナを待っていたのは厳しい拷問の日々だった。


 ユスティナは牢屋から連れ出されると、殺風景な部屋に置かれた椅子に座らされ、反乱軍の兵士たちから絶え間なく罵声を浴びせられた。その中にはユスティナの父を侮辱するものや、プリムローズ隊が全滅したという嘘を吹き込んでくるものもいた。そういった言葉から逃れたくて耳を塞ぐと容赦なく平手打ちを浴びせられた。


 意識が曖昧になってくると冷水をかけられて目を覚まさせられた。拷問部屋はいつもじめじめとしており肌寒く、冷水をかぶらされると体が芯から冷え切って震え始める。そんなユスティナを眺めて反乱軍の兵士たちは笑い声を上げて、彼女があとどれくらいで気を失うのか目の前で金をかけ始めた。


 毎日の食事は日に日に少なくなり、黒パンの大きさは半分に……さらの半分になった。空腹に耐えかねて眠れなくなることもあったものの、見張りをしている兵士に食事を請おうとは思えなかった。そんな風に弱みを見せたところで、拷問をする連中を喜ばせるだけなのは分かっていたからだ。


 牢屋で目を覚ましてから服を替えさせてもらうことはなかった。自分が少しずつ汚くなっていくことが分かって惨めな気持ちにさせられる。下手をしたら父と村の人たちを殺されたときよりも辛いように思えた。親しい人の死よりも自分の身に降りかかった苦難の方が辛いだなんて、自分の人間的な弱さを自覚させられてさらに辛くなってくる。


 そうして何日が経過したのか……。

 朝日が微かに差し込む頃、シックスの声が鉄格子の向こうから聞こえてきた。


「……無様ね」


 毛布の中で小さくなっていたユスティナはのそのそと顔を出す。


 芋虫のように寝返りを打つと、何者かが鉄格子の奥からこちらを見ていた。ろくに食事も取っていなければ、ろくに眠ることもできなかったので目がかすむが、聞き覚えのある声とぼんやりとしたシルエットからシックスなのは分かった。

 彼女の目は冷え切っているという風ではなく、ただけだるそうな雰囲気をしている。今日は赤いリボンをしていないので、これから出撃するのかもしれない。


「あなたは地獄の苦しみを味わっているでしょうけど、ブラムスの人々が受けている苦しみはその程度ではないのよ。誰が本当の被害者なのかを理解したら、さっさと私たちの味方になりなさい。あなた、このままだと死ぬわよ」

「……もしかして、私を心配してくれてるの?」

「はぁっ!?」


 ユスティナが問いかけた瞬間、けだるそうにしていたシックスが目を丸くした。


「どう考えたらそうなるのよ! 私はユニティの乗り手にくたばってほしくないだけ! あなたを味方につけろってノーマンから言われてなかったら、わざわざこうして最後通告をしに来たりしないわ!」

「最後通告……」


 言葉を口に出しても実感が湧いてこない。

 明らかに考える力がなくなっている。


「反乱軍の上層部はあなたをもう不要と考え始めているの。ユニティに乗って戦ってくれないなら生かしておく意味もないってね。だから、今のうちよく考えておきなさい。私たちの仲間になるか、それとも首だけになって本地へ送り返されるか」


 シックスはそう言って、その場を離れていった。


 私、死ぬのかな……。

 頭が働かなくて恐怖すら感じられない。

 今なら首つりでもギロチンでも痛みなく死ねそうだ。


 それから、どれだけの時間が過ぎたのか。

 睡眠と覚醒を断続的に繰り返して、時間の感覚もなくなってしまった頃である。


 鉄格子の向こうから男のくぐもったうめき声が聞こえてくる。その直後、牢屋を見張っていた兵士の体が床に崩れ落ちたかと思うと、反乱軍の制服を着た青年がおもむろに牢屋の中を覗き込んできた。


「ユスティナちゃん、助けに来たよ」


 聞き覚えのある爽やかで優しげな声。

 ユスティナはぼんやりとした目をこすった。


「……ナタリオさん?」

「ちょっと待って、すぐに開ける」

 ナタリオが見張りから鍵を奪って鉄格子を開ける。

 牢屋の中に入ってくると抱えていた反乱軍の制服と包帯をベッドに置いた。

「制服に着替えて包帯は顔に巻いて。負傷兵に見せかけて運ぶから」

「は、はい……」


 ナタリオに警戒を任せて、ユスティナは言われた通りに着替える。

 そうしてベッドから下りようとした瞬間、足に力が入らなくて転んでしまった。


「終わりました……ひゃっ!?」

「大丈夫か、ユスティナちゃん!?」


 ナタリオがしゃがんで背中を差し出してくれる。

 ユスティナは大人しくおんぶしてもらうことにした。


「こんな可愛い子を歩けなくなるまで拷問するなんて……やつらに人間の心はないのか?」

「だ、大丈夫です……ふらついただけで……」

「ユニティを回収して脱出する。今のうちに少し休んでおいてくれ」


 ユスティナはナタリオに背負われて廊下に出る。

 ちょうどそのとき、基地のそこかしこから爆発音が聞こえてきた。


「反乱軍の中に紛れ込んだ工作員が爆薬を爆発させたんだ。火薬はたいした量じゃないから、基地の設備にダメージを与えることはできないが……まあ、俺たちが脱出するくらいの時間は稼げるだろ」

「他の人たちも来ているんですか?」

「いや、救出班は俺だけさ。こういう任務は少人数の方がやりやすい」


 ナタリオはユスティナを背負って廊下を進み続ける。

 基地の中は先ほどの爆発で大騒ぎになり、反乱軍の兵士たちが行き交っているものの、二人に気づく素振りはなかった。


「ユスティナちゃんが捕まってから、もう十日……お偉いさんたちはきみの生存を絶望視している。そういうわけで今回の救出作戦はプリムローズさんの独断ってわけさ」

「プリムローズさん……ナタリオさん……本当に、ありがとうございます……」


 ナタリオの背中がとても温かく感じる。

 プリムローズに会いたい。隊の仲間たちにも、ベロニカにも、生き残った村の人たちにも会いたい。冷え切った体に熱が戻ってきて、生きている実感が湧いてくる。


 こうして生きていることが嬉しい……そして、やっぱり死にたくなんかない。でも、このまま逃げ帰って大人しくどこかに隠れているつもりもない。自分がシックスと戦わなかったら、たくさんの人が辛い目に遭ってしまう。


 何よりシックスとの戦いに決着をつけたい。同じ巨神の乗り手として負けたくない。それに戦ってどちらかが命を落とすだけの決着なんてまっぴらだ。戦争をしている以上、誰かの命を奪ってしまうけど……シックスの命だけは奪いたくない。彼女には憎しみに溺れて死んでほしくなんかない。


「シックスとバビロンはどうしているんですか?」

「俺と入れ違いになるようにしてサマンサの基地へ向けて出発した」

「そんなっ!?」


 サマンサの基地は王国領土の中心に存在しており、大陸南端にある王都と北方の前線を繋いでいる重要拠点だ。それだけに常駐している兵力も相当なものだが、そんな場所を攻めるというのだから反乱軍が相当な戦力を集めているのは間違いない。


「まさか街も戦場になるんですか!?」

「なるべく守るつもりではいるが……可能性は否定できないな」


 反乱軍の兵士たちはサマンサの街で起こった惨劇を覚えている。

 報復として民間人の虐殺も辞さないはずだ。

 間違いなくシックスだって……。


「俺は別にユスティナちゃんが反乱軍についても恨まなかったぜ?」


 ナタリオが不意に呟いた。

 ユスティナは思わぬ言葉に目を丸くする。


「ど、どうしてですか?」

「反乱軍に拷問されて帰ってきた人から色々と話は聞いてるよ。あんなの真っ当な人間が耐えられるわけがない。拷問にかけられた人間が敵軍についたからって、そりゃあ仕方ないって思えるさ。それに王国軍が……というかミゼル王国がひどいのも分かってる。もしかしたら、俺たちだって悪の片棒を担いでいるだけかもしれない」


 ユスティナはナタリオの話に聞き入ると同時に感心していた。

 明るく暢気に見せかけて、この人はやはり色々と考えている。


「だから、ユスティナちゃんが考えた末に反乱軍の味方をするのなら文句はない。というか、そもそも年端のいかない女の子に国の行く末を託すとか間違ってるだろ。王国軍にも反乱軍にも味方しないで、自分の守りたい人だけを守ってもいいんだ。なんなら、全て気に入らないから全部破壊するってことでもいい。責任感とか罪悪感とか、そんなの子供には早いだろ……とか言ったら子供扱いするなって怒る?」


 ナタリオが最後にちょっとおどけて聞いてくる。

 そんな彼の心遣いが嬉しくて、ユスティナはちょっと笑ってしまった。

 全てを投げ出しても許してくれる人がいると思うとなんだか元気が出てくる。


「そういうナタリオさんはどうして王国軍で戦うんですか?」

「俺? 俺も一応、爵位は低いけど貴族の生まれだからなぁ……俺が裏切ったりしたら一族郎党絞首刑だろうし、そう簡単に領民を見捨てるわけにはいかないよ。俺のところの領地ときたら田舎中の田舎で、領民はみんな家族みたいなものだからさ」


 ナタリオがしみじみと呟いた。


「……というのもあるけど、やっぱりプリムローズさんのためだな」

「プリムローズさんのこと、本当に好きなんですね」

「結婚できたら逆玉の輿だぜ? おっと……」


 廊下の曲がり角から反乱軍の兵士が飛び出してくる。

 他の兵士たちが通り過ぎていく中、その兵士だけはこちらをじっと見てきた。


「おい、お前! その背負っているのは――」

「うわ、やべっ!?」


 ナタリオが反射的に剣を抜いて斬りかかる。

 反乱軍の兵士は剣に手をかける間もなく床に倒れ伏した。


「悪いな! よし、走ろう」


 反乱軍の兵士を斬ってしまった以上、こちらに注意が向くのは時間の問題だ。

 他にも怪しんでくる兵士は現れたが、ナタリオは無視して走り続けた。


「おい、止まれっ! 貴様、この騒ぎに乗じて――」

「押し通る!」


 勘づいた兵士が正面に立ちふさがってくるが、ナタリオはユスティナを背負ったまま一撃で斬り捨てる。それに続いて何人もの兵士が剣で斬りかかってきたが、彼はハンデをものともせず兵士たちを斬り捨てながら突き進んだ。


「ナタリオさん、こんなに剣術が上手だったんですね!」

「ブラックナイトが登場するまでミゼル王国軍といったら剣の名手で有名だったんだ。たまに剣を振れるときくらい活躍しなくちゃな!」


 ナタリオが廊下の突き当たりにあるドアを蹴り開ける。


 そうして屋外に飛び出した瞬間、仰向けに倒れたユニティの姿がユスティナの目に飛び込んできた。ユニティが留置されていたのは基地の北端、岩壁に空いた大きな窪みの中である。そこには全長十五メートルに達するユニティが棺桶にでも入れられたかのようにぴったりと収まっており、岩壁に打ち込まれた鎖付きの杭によって体が固定されていた。


 もしかして、ここにバビロンが?

 ユスティナはピンと来る。


 乗り手を選び出すまでの間、バビロンを動かすことはできなかったはずだ。そうなるとバビロンを発見した場所の近くに研究施設を建ててしまった方が早い。もしかしたら、この基地はバビロンを見つけたことで作られた場所なのかもしれない。


「見張りなし……よし、工作員たちが上手くやってくれたな」


 ナタリオがユスティナを背負ったままユニティに駆け寄る。


 ユニティは自己修復を終えており、オルドンの街で受けた傷は完治していた。しかし、ユスティナを外へ出すために胸部装甲をこじ開けたらしく、そこだけは操縦席の中が透けて見える有様になってしまっている。さながらゆで卵に貼り付いている薄膜のようだ。


 ユスティナの存在をやはり認識しているようで、ユニティが乗ってくれと言わんばかりに右手を差し出してきた。


 ユスティナとナタリオが導かれるままユニティの操縦席に乗り込むと、胸部装甲が閉じた途端に二人の体が宙に浮き上がる。ユスティナにとっては空中に立つのも慣れたものだが、ナタリオは不思議そうに足の裏の感触を確かめていた。


「これがユスティナちゃんの言っていた『空中に立つ』っていう感覚か……」

「よし……行きます!」


 拘束している鎖をちぎりながらユニティを立ち上がらせる。


 さっきまでは自力で立つことすらできなかったのにどこからか力が湧いてくる。これがもしかして、ナタリオの言っていたユニコーンの角に秘められた治癒能力なのだろうか? まるで優しく抱かれているような暖かみを感じる。


「くそっ! 応援を呼べっ!」


 動き出したユニティを目にして、二人を追ってきた反乱軍の兵士が叫ぶ。

 すると、基地のあちこちからブラックナイトたちが集まってきた。


「反乱軍の……ブラムス解放戦線のみなさん、邪魔をしないでください!」


 ユスティナはユニティを通して呼びかける。


「バビロンが出撃している今、ユニティに対抗できないことは分かっているはず! このまま行かせてくれるなら、こちらも手出しはしません! 爆発もこれ以上は起こりませんから、落ち着いて避難してください!」


 しかし、ユスティナの忠告を素直に聞くわけがなく、やはりブラックナイトたちはバトルアックスを振り上げて襲いかかってくる。岩をも砕くバトルアックスの一撃がユニティの装甲をわずかに削り取ったものの、修復中の胸部装甲にさえ攻撃されなければ問題ない。


 ユスティナは反撃する素振りを見せず、無防備なままユニティをとにかく前進させる。

 今できるのはこちらに攻撃の意思がないことを伝えることだけだ。


「ユスティナちゃん! 前方、投石機!」


 ナタリオに言われてユスティナは目を凝らす。

 基地の敷地内に並べられている投石機の一つが動き出していた。


「まさか、基地の中で投石機を!?」

「直撃はまずいぞっ!」


 投石機から直径三メートルはあろうかという巨石が発射される。

 放物線を描いて飛んでくる巨石を避けるのは難しくないが……。


「いえ、ここはっ!」


 ユスティナはユニティを身構えさせて、飛来してきた巨石を真正面から受け止める。


 瞬間、地面に体が沈み込みそうなほどの衝撃が全身に走った。ユニティの脚部が地面を豪快に抉ったが、背後の建物に衝突する寸前でなんとか踏みとどまる。ユスティナはそれから受け止めた巨石をゆっくりと地面に下ろした。


「分かりましたか! 余計な抵抗はやめてください!」


 基地の中にある兵器置き場に乗り込み、ユニティに投石機を踏みつぶさせる。

 目についた兵器を鎧袖一触で破壊して、そのまま基地の外へ脱出した。ブラックナイトたちはしばらく後ろを追いかけてきたものの、全速力のユニティに追いつけるわけもなく次第に追跡をやめていった。


「よし、これで脱出……気持ちわるっ!?」


 ナタリオが喜んだと思ったら、顔を青くして口を手で押さえた。


「ユスティナちゃん、よくユニティに乗れて戦えるな……」

「えっ? すごく乗り心地はいいですよ」

「やっぱり巫女の血筋だけあるな。俺なんか走ってるだけで……」

「でも、ゆっくり歩いてる時間はありません。飛ばします!」

「あぁ、頼む……うおおおおおっ!?」


 基地の中を走っているときは建物を傷つけないよう慎重に動いていた。

 しかし、ここは赤茶けた地面の広がる荒野のど真ん中である。

 邪魔するものなど何一つない大地をユニティは全速力で駆け抜けた。

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