3-6:オルドンの街の戦い

 翌朝、日の出間近。

 ユスティナは森の中に隠したユニティに乗り込んで待機していた。


 山岳地帯からオルドンの街、平原、そして王国軍が陣を張っている丘にかけて、乳白色の霧が立ちこめている。山岳地帯に回り込んでいる別働隊にとっては絶好の奇襲タイミングだ。本隊の方も今頃、丘の中腹に布陣していることだろう。


「私たちも所定の位置につく! バビロンは頼んだぞ!」


 森の外からプリムローズが声をかけてくれる。

 ユスティナは操縦席の中から小さく手を振った。

 プリムローズが隊の仲間たちと合流する見送ってからしばらくして、出撃の合図を知らせるラッパの音が聞こえてくる。


「……よし、いくぞ!」


 ユスティナはユニティを立ち上がらせて、木々をなぎ倒す勢いで走り出させた。

 丘を一気に駆け上がって、宿営地を囲んでいるバリケードを飛び越える。勢いに任せて本隊の布陣している丘を滑り降り、両脚を踏ん張らせて平原の真ん中にユニティを着地させた。


 平原の向こうからのぼり始めた朝日に照らされて、大理石のように真っ白なユニティの巨体が目映く輝いている。傷一つない堂々とした立ち姿は神々しく、この場所に大昔から存在していたような威厳を放っていた。


 対する反乱軍はオルドンの街を囲むように塁壁を築いている。高さ十メートルに達する堅牢な石壁では無数のブラックナイトが攻撃の機会を今か今かと待っていた。

 とはいえ、それだけならユニティで突破するのは容易い。それどころか、余計な被害が出ないように注意するのが大変なくらいだ。


 これでバビロンさえ出てこなかったら簡単な話だけど……。

 すでに肌でピリピリと感じている。

 あの子がこの戦場にいるのは間違いない。


「シックス、早く出てきて!」


 ユスティナはユニティを通して呼びかける。


「私は逃げも隠れもしない! 戦いに決着をつけよう!」

「――殺されに来たか、ユスティナ!!」


 言うや否や、塁壁の陰から真紅の巨神――バビロンが飛び出してくる。

 真紅の装甲は朝日を浴びて燃え上がるように煌めいていた。

 その姿はシックスからあふれ出る怒りを表しているかようにも見える。


 バビロンに続けと言わんばかりにブラックナイトも突撃してきた。

 同時に王国軍の本隊もバリスタを掲げて前進を開始する。


 バビロンの振り上げた両手に黒い刀身の双剣が現れ、それと同時にシックスの姿が立体映像となってユニティの操縦席に映し出された。


 ツインテールに結ばれた黒髪に揺るぎない意志を感じる黒い瞳、サイズの合わない軍服の上着にショートパンツというあり合わせの服装、そして幼い顔立ちに危険な雰囲気をまとわせる真っ赤な口紅……出会った日のシックスそのままだ。


「王国もろとも滅びろっ!」


 濡れたように艶のある黒髪を振り乱しながら、シックスが声を張り上げる。

 ユスティナは右手を掲げてユニティの手にユニソードを呼び出した。


「どうして、そんなに殺したがるの!!」


 左右同時に振り下ろされた双剣をユニソードで素早く打ち払う。それに続いて突き出された左の剣、バックブローの要領で放たれた右の剣も立て続けにはじき返し、返す刀でユニソードをバビロンめがけて振り下ろした。


 これにバビロンが反応して急に後ろへ飛び退き、ユニソードの切っ先が真紅の装甲から突き出たトゲをわずかに掠める。

 シックスが目を見開き、漆黒の瞳でにらみつけてきた。


「こいつ……」

「私だって鍛えてきたんだ! あなたに勝ちたいから!」


 ユスティナは大上段にユニソードを振り上げる。

 あえてバビロンが反射的に横へ跳ぶのを待ち、着地した隙を狙って振り下ろした。


 回避できないと判断したバビロンが双剣でユニソードを受け止める。

 剣と剣のぶつかり合った衝撃で、戦場を漂っていた霧が完全に吹き飛ばされた。


 シックスがいらだたしそうに舌打ちをする。


「フェイントなんて……うざったいなぁ!」

「シックス! あなたはどうして反乱軍に味方するの!?」


 ユスティナは時間稼ぎのつもりで問いかける。


 自分の言えた話ではないかもしれないが、子供が巨神に乗って戦うなんて普通じゃない。普通ではないということは絶対に深い理由があるはずなのだ。理由さえ上手く聞き出せたら、説得できる可能性だってきっとある。


「それを知りたかったら私を倒してみなよ!」


 シックスがそう言い放ち、バビロンを跳躍させる。

 ユスティナはバビロンを打ち落とそうとユニソードを振り上げたが、バビロンは空中で身をよじりってユニティの攻撃を回避してしまう。


 懐に潜られた!?


 ユニティを後退させようとするが、後方には王国軍の宿営地がある。そこには後詰めの戦力も控えていて、あまり後退しすぎると彼らを巻き込みかねない。

 ユスティナは反射的にユニソードの柄尻でバビロンの左手を打ち払うものの、バビロンの振り抜いた右の剣までは防ぐことはできなかった。


 バビロンの放つ執念の一閃。

 ユニティの胸部装甲に真一文字の傷が刻み込まれ、黒い刀身の剣の放つ熱と衝撃が操縦席まで伝わってくる。

 石窯の中へ飛び込んだような高熱が通り過ぎて、ユスティナはようやく息を吐いた。


「倒したあとじゃなくて……今、聞かせてよ!」


 ユニソードを真っ直ぐに突き出してバビロンを飛び退かせる。


「それとも戦いながら話す余裕はない?」

「安い挑発に乗ってたまるかっ!」


 ドラゴンを模したバビロンの頭部から燃えさかる炎が吐き出される。


「その技はもう見たよ!」


 ユスティナは臆さずユニティを炎の中へ飛び込ませて、バビロンの口めがけてユニソードを突き上げた。


 しかし、手応えがない。


 次の瞬間、火炎放射を目くらましにして側面へ回り込んだバビロンが、がら空きになったユニティの左腹部めがけて双剣を突き出してくる。完全にさっきフェイントを仕掛けたことの意趣返しだ。


 ユスティナは思い切ってユニティを前転させる。

 転んでパニックになったときの反省を踏まえて、受け身を取る練習もちゃんとしてきた。

 双剣の攻撃を転がって回避しつつ、立ち上がって改めてバビロンと向かい合う。


 さっきは危なかった……でも、ちゃんと戦えてる!

 実際に戦う前は不安だらけだったが、今はだんだんと自信が湧いてきた。


 王国軍の本隊もよく戦ってくれている。

 本隊の大部分を占めているバリスタ部隊は、真っ黒な金属の盾に身を隠しながら応戦していた。この盾はブラックナイトの残骸を利用したもので、王国軍の技術で作ったバリケードよりも遥かに耐久性が高い。


 こうして正面のバリスタ部隊が気を引いている間に、プリムローズ隊を初めとする石弩騎兵隊がブラックナイトたちの側面に回り込む。バリスタを掃射して一撃離脱し、騎馬の移動力を活かして追撃を逃れる動きは華麗の一言だ。


 その一方でブラックナイトの攻撃に苦しめられている部隊も少なくなかった。

 いくら金属のバリケードが頑丈といっても、それを乗り越えられてしまったらバリスタ部隊に勝ち目はない。ブラックナイトの振り回すバトルアックス部隊によって、兵士たちは次々と無惨なバラバラ死体に変えられていった。


 反乱軍の主力であるブラックナイトを戦場に引っ張り出せているので、ひとまず作戦としては成功している。しかし、ある程度の犠牲を覚悟しての作戦なのは間違いなく、視界の端々に映る血まみれの死体は敵味方関係なく見ていて心が痛んだ。


 別働隊は今どうしてる?

 自分には時間を稼ぐことしかできないのが歯がゆい。


「どうしたのっ!! もう終わりっ!?」


 バビロンが地面を這うような低い姿勢で飛び込んでくる。


 ユスティナはユニソードで迎え撃とうとしたものの、ユニティの体長ほどもある大剣で姿勢を低くしている敵を狙うのは至難の業だ。

 巨大なユニソードの弱点を即座に見抜き、戦法を切り替えてきたシックスの戦闘センスには驚かされる。

 バビロンの攻撃をしのぐだけで精一杯になり、双剣が装甲を掠めるたびに黒煙が吹き上がった。


 それなら……こうだ!


 ユニソードを振りかぶった瞬間、隙ありと言わんばかりにバビロンが距離を詰めてくる。


 そこでユスティナはわざとユニソードを手放すと、猪のように突進してきたバビロンの脳天めがけて右の手刀を振り下ろした。


 まさか相手が武器を捨てるとは予測できなかったらしく、手刀をまともにくらったバビロンの巨体が地面にたたき伏せられる。しかし、あくまで転倒させられただけなのでダメージはほとんどない。


 組み付いて地面に押さえつけるのか、踏みつけ攻撃でダメージを与えるのか。

 ユスティナは一瞬迷った末に投げ捨てたユニソードに手を伸ばす。


 けれども、その一瞬の思考時間が徒となった。

 ユスティナが再びユニソードを構えたとき、バビロンはすでに体勢を立て直してユニティから距離を取っていた。


 こうなったらユニレイで追撃を……いや、そんなことをして外したらまずい! もしもオルドンの街に直撃したら、塁壁を貫通するどころか街中が火の海になる。そうなったら街に住む人たちも回り込んだ別働隊も皆殺しだ。


 そんなユスティナの危惧を知るよしもなく、シックスは容赦なくバビロンの火炎放射を浴びせてきた。


 さっきみたいな目くらまし!?


 ユスティナが身構えて左右からの攻撃に警戒すると、


「どこ見てるの、ユスティナ!!」


 バビロンが己の吐いた炎の中を突っ切ってきた。


 完全に意表を突かれて防御が遅れる。

 バビロンの双剣は炎を絡め取り、その刀身を中心に炎が龍巻の如く渦を巻いた。

 炎をまとった双剣が袈裟と逆袈裟から同時に襲いかかってくる。


 そのとき、反乱軍の兵士から悲鳴が上がった。


「街が……オルドンの街が落とされたっ!!」


 味方の悲痛な叫びが届いたのか、バビロンの動きがわずかに鈍る。

 ユスティナはその一瞬の隙を見逃さず、渾身の力を込めてユニソードを突き上げた。


 ユニソードの切っ先が火花を散らしながら、バビロンの胸部装甲を削るように掠める。

 両者はバランスを崩して、立ち位置を入れ替わるように倒れ込んだ。


 直後、ユスティナの目に喜ぶべき光景が飛び込んでくる。

 オルドンの街を囲んでいる塁壁から、別働隊がバリスタの雨を反乱軍へ降らせていた。


 正面の本隊と背後の別働隊に挟み撃ちされて、逃げ場を失った反乱軍は大混乱に陥っている。中には王国軍の隙を突いて撤退するものもいたが、戦場を抜け出すにはバリスタの嵐を突破しなければならない。


 ブラックナイトは針山のようになって倒れ伏し、生身の兵士たちに至っては体の一部を吹き飛ばされたり、地面へ串刺しにされるという正視に耐えない死を迎えるものも多かった。


「降伏を……降伏をしてくださいっ!!」


 ユスティナは必死に呼びかけながらユニティを立ち上がらせる。


「降伏すれば危害は加えませんからっ!!」

「――シックス、この場は我々の負けだ!」


 立体映像を通して男の声が聞こえてくる。

 シックスに指示を出している男……名前は確かノーマンだったか。


「仲間の撤退を支援しろ! 今なら多くの仲間を救える!」

「……う、うるさい、ノーマン!! 今は黙ってて!!」


 シックスがギリギリと奥歯を噛みしめる。

 彼女はわなわなと震えながら、バビロンの巨体を立ち上がらせた。

 転倒したときに口内を切ったのか、口紅の塗られた唇の端から一筋の血が伝った。


「あいつらさえ倒せれば!」


 バビロンが身を翻してオルドンの街へ向かって駆け出す。

 ユスティナはすぐさまユニティでそのあとを追いかけた。


「シックス、待って! これ以上、戦わないで!」

「誰がお前の言葉なんか!」


 バビロンがオルドンの街を囲む塁壁に体当たりをぶちかます。


 瞬間、塁壁の一部が粉々になって吹き飛んで、火山が噴火したかと思うほど瓦礫が空から降り注いできた。そして降り注いでくる瓦礫の中には、巻き添えになった王国軍と反乱軍の兵士たちの姿もあった。


 天高く舞い上がった兵士たちの体が真っ逆さまに地面へ叩きつけられる。

 吹き飛ばされた塁壁の周辺は血の華が咲く惨状となった。


「……味方も巻き込むなんて!」


 ユスティナは散乱する遺体を傷つけないよう慎重に瓦礫を乗り越える。

 吹き飛んだ塁壁の破片は街の中まで被害を及ぼしていた。


 不幸中の幸いなのは、オルドンの街には石造りの頑丈な建物が多いことだ。窓が割れたり屋根にヒビが入っていたりはしていたものの、建物が全壊するような被害は見当たらない。屋内に退避している民間人の被害も最小限に抑えられているはず……。


 そう思った矢先のことである。

 ユスティナの目に信じられない光景が飛び込んできた。


 民家から逃げ出すように飛び出してきた女性たちを王国軍の兵士たちが追いかけ回しているのである。兵士たちは逃げ惑う女性たちを取り囲み、泣き叫んでいるのも構わず抱きついて体を触ったり、中には服を破いたり体を舐め回そうとするものまでいた。


 兵士たちの怪しい風体には見覚えがある。

 アルフレドと愚連隊の連中だ。


「な、なんてことをしてるんですかっ!?」


 バビロンを止めなければいけないのは分かっている。

 しかし、アルフレドたちの所業を見過ごすわけにはいかなかった。


「今すぐに乱暴するのをやめてくださいっ! やめないと――」

「あんたに咎められる謂われはないぜ、お姫様よお!!」


 アルフレドが嫌がる女性の体を乱暴に抱き寄せる。


「わ、私は……」


 私はこんな人たちのために戦ってるんじゃない!!


 大人数で取り囲み、武器をちらつかせて脅すその姿に、ユスティナは怒りを覚えると共に生理的嫌悪を覚えた。


 できることなら、今すぐにこいつらを蹴散らしたい。しかし、ユニティの大きすぎる体は生身の人間をどうこうするのには不向きだ。愚連隊の兵士たちを追い払おうとして、下手したら女性たちまで巻き込んでしまう。


「敵地に潜り込むなんて危険な仕事を押しつけられたんだ。こういう役得もなくちゃあ、兵隊なんてやってられねえ!」

「め、めちゃくちゃなことを言わないでください! 早く乱暴するのをやめて――」

「へへっ……こいつはロゴス将軍も認めてくださってるんだぜ?」


 アルフレドが下卑た笑いを上げながら、さめざめと泣く女性のほおを舐め上げる。

 意外な人物の名前を聞いて、ユスティナは己の耳を疑った。


「う、嘘つかないでくださいっ! ロゴス将軍はそんなこと言わない!」

「ハッ! どうやら、お姫様は本当に何も知らないらしい!」


 アルフレッドと愚連隊の男たちが大声であざ笑った。


「あの人はああ見えてなかなかのやり手でなぁ……貴族さまに対しては騎士らしく正々堂々と戦えと言っておきながら、俺たちみたいな兵卒には対してはこう言うのさ。男は殺せ、女は奪えってなあ! とんだ二枚舌というわけだ!」

「そんなっ……」


 信じられない……いや、信じたくない。


 たとえ戦争でも人殺しなんてしたくないと自分が言い張ったとき、ロゴス将軍は戦争のために人殺しを正当化している事実を切実に受け止めていた。

 軍のトップに立っている人がそういった善悪について真剣に悩んでいる姿を目の当たりにして、この人は少なくとも悪い人ではなさそうだと直感したのだ。


 でも、それが嘘だったというのなら……もしかして、私は大人たちの都合のいいように戦わされていた?

 私たちプリムローズ隊が敵地から帰ってきた頃、反乱軍に守ってもらえなくなったブラムスの女性たちは王国軍に……駄目だ、これ以上は考えたくない!


 味方だから正義、敵だから悪というわけではない。

 それは分かっていたつもりだ。

 でも、こうして現実を突きつけられて、明らかに血の気が引いている自分がいる。


 シックスに負けたくない、理不尽な死から人々を守りたい、戦争をなるべく早く終わらせたい……そういう気持ちで戦っていたつもりなのに、きっと自分は心のどこかで「私は正義の味方だ!」と思い込んでいたのだ。


 いや、今はショックを受けている場合じゃない!

 とにかく、このけだもの同然の男たちをなんとかしないと――


「どこを見てる、ユスティナ!!」


 シックスの叫びが聞こえてきたときには遅かった。

 ユスティナが反射的に振り返ると、すでに目と鼻の先にバビロンの巨体が迫っていた。


 炎の渦をまとった双剣が胸部装甲に突き立てられ、ユニティは地面へ串刺しにされるかのように押し倒される。ユニティの体が大地に叩きつけられた瞬間、地面が円形にえぐれて土塊が飛散した。


 ハンマーでぶん殴られたような衝撃がユスティナに襲いかかる。

 完全に不意を突かれて受け身を取ることすらできなかった。


 肺の中の空気が乱暴に押し出され、視界が一瞬で真っ白になる。

 ユスティナの意識はロウソクの火を吹き消すように儚くかき消された。


(第3章おしまい)

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