3-2:休暇の始まる朝

 王国軍に正式加入してから一ヶ月ほど経ったときのこと。

 休暇日の朝、ユスティナはプリムローズの執務室に呼び出された。


 ロゴス将軍のときと同じく、彼女の執務室は司令部として使われている館にある。同じ基地の中にある建物といえども、宿舎や食堂といった馴染みの場所とは違って、明らかに格式高い場所へ足を踏み入れるのは未だに緊張した。


 すれちがう人たち全員に敬礼しながら、ユスティナはようやく執務室に到着する。

 ドアをノックしてから入室すると、プリムローズが机で書類の山と格闘していた。


 羽根ペンでサインをしたためたり、判を押しては投げ捨てるようにして机の脇に追いやったりとせわしない。嫌いな野菜が食事に出てきたかのようなしかめっ面で、こんなにつまらなさそうにしているプリムローズを見るのは初めてだった。綺麗に伸ばしている薄桃色の髪も心なしか毛羽立って見える。


「お、お忙しそうですね……」

「近いうちに大規模な作戦があるからな。うちの隊も人員が増えるし、物資の要請も早めにしておかなくちゃいけないし、他にも王族連中のごきげんを伺ったり、こんなときなのに実家から見合いの誘いが送られてきたり……全く!」


 プリムローズが羽根ペンをインク壷に投げ入れる。

 彼女は椅子から立ち上がると部屋の中心に置かれているソファにドカッと腰を下ろした。


「ユスティナもほら座って」

「は、はい!」


 ユスティナも応接テーブルを挟んで反対側のソファに腰掛ける。

 革張りのソファは想像以上にふかふかで体が深く沈み込んだ。


「忘れる前に言っておくが……あの真紅の巨神の新しい情報がつかめた」

「本当ですか!?」


 プリムローズが手を伸ばして机に積んであった書類を手に取る。

 それは古い書物の写し書きで、ユニティとあの真紅の巨神が並んで描かれていた。


「神話学や歴史学を専門にしている学者たちが見つけ出してくれた」

「ユニティとあの巨神……大昔も戦っていたんですね」

「かつて地上に魔物がはびこっていた時代、真紅の巨神が現れて人々を襲った。そして、真紅の巨神を倒すために天上からユニティが遣わされたと資料には書かれていた。ユニティと真紅の巨神は相打ちになり、この世界のどこかに眠りについたとか……」

「それを反乱軍が見つけてきたってことでしょうか?」


 自分がユニティを見つけたのと同じように……。

 もしかしたら、ユニティは真紅の巨神の復活を感じて呼びかけてきたのかもしれない。

 プリムローズが深く考え込むように眉間に指を当てた。


「おそらくはそういうことだろう。しかし、気になるのはシックスと呼ばれていた乗り手の少女だ。真紅の巨神が魔物の手先だと言うのなら、どうして人間である彼女に操縦できる? 彼女は人ならざる存在なのか? それともユニティとは違って乗り手に制限がないのか?」


 ユスティナはシックスの好戦的すぎる態度を思い出す。

 彼女は明らかに王国軍を憎み、反乱軍に味方をしているようだった。おとぎ話に出てくる魔物のように人間そのものを敵視しているわけではない。きっと真紅の巨神に乗っているのに深い理由があるはずだ。


「ああ、それと……真紅の巨神は『バビロン』と反乱軍の間で呼ばれていた」

「バビロン?」

「聖書に登場する悪魔の名前さ。随分とおどろおどろしいネーミングにしたものだ」

「シックスとバビロン……」


 次の戦場では会えるだろうか?

 待ち遠しいような、二度と会いたくないような、不思議な気分だった。


「さて、本題はこれだ」


 プリムローズが王国軍で使われている便せんを差し出した。

 手紙が入っているにしては分厚いな……と思いながら開けてみる。

 すると、便せんの中から紙幣の束が出てきた。


「うわっ……こ、こんな大金どうしちゃったんですか!?」


 この札束で家族一つを養うどころか、親戚一同を養うこともできるだろう。教会の運営費一ヶ月分も軽くまかなえて、子供たちに毎日おやつをあげるのも余裕だ。


「きみの給与だ」

「これ、私のお金なんですか!? 多すぎませんか!?」


 父と一緒に教会の運営費を計算したり、お札を握りしめて買い物に行ったことはある。けれども、ユスティナの毎月のお小遣いなんて数枚の銅貨がいいところで、たまに自分へのご褒美としてお菓子を買うくらいにしか使い道もなかった。


 やっぱりそう言うよな、と言わんばかりにプリムローズがクスッと笑う。

 かと思ったら、急に彼女の表情が真剣になった。


「はっきり言っておくと……ユスティナ、きみはいつ死んでもおかしくない」

「えっ!?」


 死というワードに反応して、ユスティナの心臓がドキッと跳ねた。


「あ……はい、確かにそうですね……」


 シックスとの戦いは本当に命懸けで、生きて帰れたのは運が良かったからだ。反乱軍の撤退があと少し遅かったら、自分はシックスに殺されていたに違いない。


「そして、きみにはユニティの乗り手としての責任がある。そういった重要な仕事を任されている分のお金、そしていつ死ぬか分からないリスクに対してのお金、もちろん予想以上の働きをしてくれている分の色をつけて、全てをひっくるめたのがその額なんだ。逆に言うと軍はきみにお金を払うことしかできない」


 ユスティナはベロニカの話していたことを思い出す。

 軍の仕事は危険だからこそ食いっぱぐれない。

 責任とリスクのある仕事だからこそ、それ相応の対価が支払われるのだろう。


「……とまあ、おっかないことを言ってしまったが今日は休暇日だ。近日中に大規模な作戦が行われるから、その前に思いっきり羽を伸ばしておくといい。今ならサマンサの街に向かう乗り合いの馬車が来ている」

「プリムローズさんは休暇にしないんですか?」

「わたしぃ?」


 プリムローズが目を丸くして己を指さすと、肺の中の空気を全部出したんじゃないかと思うくらい長いため息をついた。


「この書類の山がなかったらね」

「お手伝いしますよ!」

「残念ながらユスティナには手伝わせられない。軍の機密に関わる書類も多いし、あれこれ説明するのも逆に手間だ。ほら、さっさと行ってきな!」


 ユスティナは追い出されるように執務室を出る。

 ここはプリムローズの好意に甘えて、サマンサの街で休暇を存分に楽しむとしよう。

 そんなことを考えていた矢先だった。


「うわっ!?」


 ドアのすぐ脇にナタリオが立っていて、ユスティナは思わず声を上げてしまった。


 しかし、何より驚いたのがバラの花束を抱えている気合いの入れっぷりだ。胸元のざっくり開いたセクシーな服を身につけて、オレンジ色の頭髪はオールバックにセットしており、ほんのりと柑橘類のような香水のにおいを漂わせている。


「どうしちゃったんですか、ナタリオさん!?」

「それはもちろんプリムローズ隊長をデートに誘おうと思ってさ」


 別に隠しているわけではなかったので、ナタリオがプリムローズを好きであることはユスティナも知っていた。休暇日になった途端にこの猛アタックだから、普段はかなり頑張ってアプローチするのを我慢しているのだろう。


 それにしても、私にはタンポポでプリムローズさんにはバラの花束か……。

 別に嫉妬しているわけではないが少し心に引っかかる。


 そういえばコーンヒルの村にいた頃には男の子に言い寄られることなんてなかった。基地に来てからは周りに同年代の男の子がいないので分からないが、もしかして自分には女性的な魅力が足りていないのだろうか? いや、別にモテたいわけじゃないけども。


 なんだか自分が邪な想像をしている気がして顔が熱くなってくる。


「そ、それじゃあ、頑張ってくださいね!」


 ユスティナはそそくさとその場から立ち去る。

 館から出て、同じく基地内にある労働者寮に向かった。

 今日はちょうどベロニカも休暇日だったはずだ。


 寮母に会って労働者寮に入れてもらい、ベロニカの部屋のドアを叩いた。返事はないけど部屋の中から物音はする。遊びに誘いたい気持ちがはやって、ユスティナはドアを開けてしまった。


 ベロニカは物書き机に向かって、なにやら熱心に手紙を読んでいるところだった。


「あれ? やっぱり部屋にいたの?」

「うわっ!?」


 ベロニカが大慌てで手紙を机の引き出しに仕舞う。

 ユスティナの脳裏に先ほどのナタリオの姿が思い浮かんだ。


 これは……まさかラブレターなのでは!?


 そうだとしたら悪いところを見てしまった。


「ユ、ユスティナ……いつの間に来てたの?」

「ごめん、遊びに誘おうと思って……な、何も見てないからね! ラブレターなんか全然見てないから大丈夫だよ!」

「ラブレターなんてもらってないよぉ!?」


 ベロニカの三つ編みがまるで生きているように跳ね上がっている。


 これだけ焦っているところを見るにやはりラブレターに違いない。基地の軍人に同年代の男の子はいないし、お手伝いさん仲間の誰か、あるいはサマンサの街に住んでいる誰かにもらったのかもしれない。


 ラブレターはさておいて、ユスティナはふと気づいた。


「あれ? ベロニカって一人部屋なんだ?」


 労働者寮も基本的に四人部屋が基本であるらしい。

 ベロニカのような新人が一人部屋を使わせてもらえるのはかなりの特例だ。


「うん、なんか人数が微妙に合わないとかで……」

「ふうん……そうそう、これから二人でサマンサの街に遊びに行かない?」

「いこういこう! 私もお給料もらっちゃったし!」


 ベロニカが前のめりになって何度もうなずく。

 妙な一悶着はあったものの、二人は連れ立って街へ出かけることにした。

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