第2章:真紅の巨神、現る
2-1:王国軍の長、ロゴス将軍
反乱軍のブラックナイト部隊を撃退できたものの、ユスティナは心と体を休める時間を得られなかった。
いつ反乱軍の増援が押し寄せてきてもおかしくないし、コーンヒルの村を狙っている理由も分からない。ユスティナは再び巨神に乗り込み、村人たちを乗せた馬車を守りながら、プリムローズ隊と王国軍の駐屯地があるサマンサを目指して移動を始めた。
休む時間はなかったものの、ユスティナとしてはむしろ助かった。今はひたすら体を動かしていた方が変に考えなくていいし、生き残った村人を守る助けになっていると思えばやる気も湧いてくる。
プリムローズは敵兵を生け捕りにできなかったことを悔やんでいたものの、ユスティナからしてみればブラックナイトを殺さず捕まえるなんて危険すぎる。殺さないように手加減をして下手に撃ち漏らしたら、味方に大きな被害が出ていたかもしれない。
サマンサに辿り着くまでは大急ぎで半日を要した。
幸いにも反乱軍に追撃されることはなく、道中はきわめて平和に過ごせた。
それから、生き残った村人たちはサマンサの街にある避難所へ案内された。村人たちはしばらく避難所で暮らしたあと、王国政府の指定した避難先の村へ向かうことになるらしい。コーンヒルの村が再び狙われる可能性がある以上、戦争が続いている間はそう簡単には戻れないのだろう。
ユスティナは基地にある大きな屋敷へ案内された。
案内してくれた兵士曰く、町長が持っている別宅の一つを王国軍の司令部として借りているだけらしい。しかし、田舎から出てきたユスティナからしてみたら、その館は王様の住んでいる宮殿のようにしか見えなかった。
すでに日の暮れ始めている時刻、雨が降り続いているため館の中は薄暗い。
足下に敷かれている赤い絨毯は軍靴で繰り返し踏みつけられ、今にも破れてしまいそうなほどすり切れていた。すれ違う兵士たちは男たちばかりなのも少し怖さを感じる。思い返してみるとプリムローズ隊の隊員には女性がちらほら見られたが、あの男女比は王国軍全体からすると珍しいのかもしれない。
館の最上階、三階のとある部屋の前に到着する。
「あの……ここで誰と会うんですか?」
ユスティナは不安な気持ちになって問いかける。
あんな得体の知れない巨神に乗って大暴れして、もしかしたら怒られるんじゃないか……いや、怒られるくらいならまだいい。軍の動きを不用意に乱したとして逮捕されたり、もしかして死刑になったりとか……。
「これから我々ミゼル王国軍の総司令官、ロゴス将軍と会ってもらいます」
「しょ、将軍っ!?」
廊下の窓を鏡の代わりにして、ユスティナは慌てて身なりを整える。
顔や手についた血は洗い流したが、エプロンドレスは血や泥で汚れてしまっている。といって替えの服を持ち出す余裕なんてあるわけなかった。ユスティナも村の生き残りたちも、着の身着のまま避難するしかなかったのである。
「こ、こんな格好で大丈夫かな……」
王国軍の将軍といったら王様の次に偉い人だろう……というのはユスティナの勝手な推測であるが、少なくともそんじょそこらの田舎娘が話せる相手ではないはずだ。そう考えるとあの巨神の存在は王国軍にとっても余程驚くべきことだったに違いない。
兵士が部屋のドアをノックする。
「ロゴス将軍! 例の子をお連れしました!」
「……うむ、入ってくれ」
ドア越しに壮年らしき男性の声が聞こえてくる。
ユスティナが部屋に通されると、そこには軍服を着た男性が待っていた。
軍服姿の男性――ロゴス将軍は見たところ三十代半ば、ユスティナの父と同じくらいの年齢に見える。ふさふさとした灰色の髪と熊のように立派な体格はエネルギッシュで、ユスティナの思っていた「偉い人は命令してるだけ」というイメージからは良い意味でほど遠い。今にも剣を片手に戦場へ飛び出していきそうな雰囲気だ。
しかし、それでいて知的な雰囲気もあるから不思議である。眼鏡の奥に覗いている青色の瞳は真っ直ぐにユスティナを見つめていた。その視線からは落ち着きと優しさを感じ、どことなく父の姿を思い出させた。
身につけている立て襟の黒い軍服には、きらきらとした金色の肩章がついており、赤色の肩掛け布(サッシュ)を斜め掛けにしている。そして、胸元にはいくつもの勲章が宝石のように輝いていた。屈強な体つきに知的な雰囲気が合わさって、彼が実力でその勲章をもぎ取ってきたことは容易に想像できる。
ユスティナの前には背もたれで体が隠れるような大きな椅子が置いてあった。
これって……座ってもいいのかな?
「ははっ! そんな固くならなくて構わないよ。きみは軍人じゃない……ましてや子供なんだから、許可が出るまで気をつけしている必要なんてない。きみは親御さんからよく礼儀作法を教わっているようだね」
「は、はい……」
適当に返事をしてしまったものの、父から礼儀作法云々を教わった覚えはない。
本当に心の底から緊張していただけだ。
ユスティナが恐る恐る椅子に腰を下ろすと、両脚が床につかずぷらぷらしてしまった。自分の背丈が大きくないのは自覚していたが、これで大人用の椅子によじ登った赤ちゃんのようで気恥ずかしい。
「私がミゼル王国軍の総司令官、ブライアン・ロゴスだ」
ロゴス将軍がにこやかに笑った。
「ユスティナ・ピルグリムさん、きみの話はオーウェンくんから聞いているよ」
「オ、オーウェン……あっ、プリムローズさん」
コーンヒルの村で助けてくれたとき、彼女がそう名乗っていたのを思い出す。ユスティナが移動の疲れで一休みしていた間にも、プリムローズは一足先にロゴス将軍と会って報告を済ませていたらしい。
やっぱり軍人さんは体力が違うなあ、とユスティナは素直に感心した。
プリムローズが女性の軍人だからなおのことだ。
「あの巨神を……ユスティナさん、きみが操縦していたのだね?」
「はいっ! その……伝説の巨神らしくて……お父さんがそう言っていて……」
自分でも未だに信じ切れていないので説明がしどろもどろになってしまう。
巨神が動き出して守ってくれるなんておとぎ話か神話みたいだ。
「コーンヒルには巨神の存在が伝わっていたが、王国政府によって大昔に改宗させられてからはそれも途絶えてしまったとか……でも、ひとまず安心してほしい。王国側には多少ながら資料が残っていた」
「そうなんですか!?」
「あぁ、ちょうどプリムローズ隊にそういった伝説に詳しいものがいる。数百年前の資料を読み込んでいた物好きな男だが、まさか彼も巨神が実在するとは思わなかったろうな。あとで話を聞いておくといい」
「分かりました」
数百年前の資料が残っているのにも驚いたが、改宗を迫っておいて資料をしっかり確保していた大昔の王国政府の計算高さにも驚いた。最初から巨神を狙っていたのだろうか? もしかしたら、当時は真面目に巨神伝説が信じられていたのかもしれない。
「さて、ここからが本題なのだが……」
ロゴス将軍の言葉にユスティナはビクッと背筋を震わせてしまう。
最初は明るい話題で和ませて、あとから本当に言いたいことを言ってくる。
それが大人のやり口であるのは重々承知していた。
「あの巨神に乗って、我々と一緒に戦っては――」
「駄目ですっ!」
ユスティナは反射的に椅子から立ち上がった。
無惨にも殺された父と村人たち、そして巨神を操って殺した反乱軍の兵士たちの姿がフラッシュバックする。全身からぶわりと嫌な汗が噴き出してきて、全力で坂を駆け上ったかのように心臓がドキドキし始めた。あのむせかえるような血のにおいは今も鼻の奥と肺の中にべったりとこびりついている。
「だ、だって……人が死ぬんですよ! 王国軍も……反乱軍も……そんなの関係ない。どっちも死んだらおしまいです! それに……私、もう人を殺したくなんかない。これ以上、血まみれになるのは嫌なんですっ! みんなの仇を討てるかもと思って、あんなにひどい殺し方をした私は最低です……私、お父さんの子供として恥ずかしい……」
「きみの行動は結果的に村の生き残りたちを守った。それでは駄目かね?」
「それは――」
ロゴス将軍に問いかけられてユスティナは思い至る。
誰かを守るためなら人殺しは正当化されるのか?
戦争なら人を殺してもいいのか?
そんなのは都合がよすぎる。でも、それならプリムローズ隊の人たちはどうだ? 彼らは皆殺しにされそうだった村人たちのため、そして一人で苦戦していた自分を助けるために戦ってくれた。彼らの行いが間違っていたとは思えない。
「全てきみの言うとおりだ」
ロゴス将軍が申し訳なさそうにうつむいた。
「我々軍人は戦争を理由に人殺しを正当化している面がある。これは仕方のないことだ、と自分に言い聞かせてね。しかし、我々にできるのは敵からの攻撃に対して身を守るだけ……それは紛れもない事実なのだよ。己を守るため、家族や友人を守るため、国民を守るため。そういったやむを得ない事情で勇敢に戦った人を誰が責められようか」
ユスティナは気づくとロゴス将軍の言葉に聞き入っていた。
人の命を奪ってしまう可能性に苦しんでいるのは自分ばかりと思い込んでいた……思い込んでいたというか、周りの人の気持ちにまで考えが及んでいなかった。
その苦しみに悩まされているのは自分だけじゃない。王国軍の兵士たちも当然のように悩み、苦しみ、それでもなお自分の責務を全うしてくれていたのだ。
私もちゃんと自分なりに考えなくちゃ!
ユスティナは少しだけ前向きになれた気がした。
「いや、これも大人の言い訳なのかもしれないな。つい熱が入ってしまったよ」
ロゴス将軍が自嘲するように苦々しい笑みを浮かべる。
ユスティナはただ首を横に振った。
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