1-3:巨神ユニコーン

 森の中の道なき道を無心になって駆ける。


 丘を挟んで村の反対側に広がっているこの森は、コーンヒルの村人たちにとっては裏庭みたいなものだ。

 森の木々を切り倒して材木にしたり、果物や山菜といった森の幸を収穫したり、鹿や猪といった獣を狩って肉にしたり……この森に村人が立ち入らない日はない。コーンヒルの村はこの森に寄り添うようにして作られたのだ。


 ユスティナも父と一緒に森へ入って、キノコ狩りや巨神探しをしたりしたことがある。

 でも、今感じている空気はそういったときと明らかに異なっていた。いつも聞こえている獣たちの声も聞こえてこない。息が白くなるような真冬のある日、聖堂に一人きりでお祈りを捧げたときに似た厳かさがある。神聖な雰囲気とでも言うべきか。あるいは人の手が入っていない原初の森の姿に恐れを覚えているかもしれない。


 しかし、そんな空気の中を走り続けている自分の体は燃えるように熱くなっていた。藪の中を無理やり突っ切っているせいで、肌の至る所に傷ができて血が滲んでいる。この熱が収まってしまったら、自分はきっと走ることはおろか呼吸すらできなくなるかもしれない……そんな強迫観念にも似ている予感があるのだ。


「わっ!?」


 ユスティナは足を踏み外して前につんのめる。

 森の中に突然現れた急斜面を彼女は転がり落ちた。

 亜麻色の髪とエプロンドレスが木の葉まみれになってしまったものの、幸いにも怪我はなくすぐに立ち上がることができた。


 目の前に広がっていた光景に釘付けになる。

 森の中に突如として現れたすり鉢型の斜面……そこに半分埋まるようにして、騎士の姿を模した巨像が横たわっていたのである。


 身の丈は軽く見積もっても十五メートルを超えている。これほど大きな巨像はおろか、建築物すらもユスティナは見たことがなかった。しかも頭のてっぺんからつま先まで、そして指の一本一本に至るまで精密に作られている。


 巨像は細かな意匠の施されたプレートアーマーを身につけており、肌の露出している部分は一つもない。プレートアーマーの装甲は大理石のような白一色で統一されている。なめらかに磨かれた装甲はまるで白磁のようで、さながら美しい白馬の毛並みのようだった。


 否、これは白馬ではない。

 鉄仮面を模した頭部からは水晶のように煌めく一本角が生えていた。

 一本角はそれ自体が微かに光を放っているように見える。


「これが……」


 父の語っていた巨神ユニコーン。

 いや、まさか……とユスティナは疑ってしまう。


 これはあくまで巨像だろう。聖者の像を造って奉るようなものだ。大昔の人たちは現代人がびっくりするようなものを作っていたりする。巨大な神殿とか、正確な製図とか、高度なからくり機械とか……これもきっとそのたぐいに違いない。


 でも、自分を呼ぶ声は確かにこの巨像――巨神から発せられているように感じる。

 これは単なる作り物ではないと自分の直感が言っていた。


 ごくり、と生唾を飲み込む。

 ユスティナはすがるような気持ちで、血の滲んだ手のひらで巨神の体に触れた。


 そのときである。


『契約は結ばれた』


 そんな言葉が頭の中に浮かび上がった瞬間、体に巻き付くように生い茂った蔦を強引に引きちぎりながら、突如として巨神ユニコーンが起き上がった。


 ユスティナの前で跪くなり、突き上げ戸のように胸部装甲を開き、彼女に向けて右手をさしのべてくる。それは「さあ、乗ってください」と言わんばかりの行動だった。


 この子は生きてる?

 それとも古代文明のからくり機械?


 ユスティナが恐る恐る巨神の手のひらに乗ると、巨神は彼女をぽっかりと空いている胸の空間に収納した。

 胸部装甲が閉ざされたかと思うと、ユスティナの体がふわりと浮かび上がる。それから少しずつ体に重力を感じるようになり、両脚に地面を踏みしめているような感覚を覚えた。彼女は空中に立っていたのだ。


 さらには空間を覆っている内壁に外の風景が映し出される。

 巨神の四肢は半透明に映し出されているため、ユスティナのいる場所からは三百六十度を自由に見回すことができた。巨神の体内に収納されているというよりも、透明な糸で体を吊り上げられているような心地である。


 ここで大人しくしていれば守ってもらえるのかな?

 ユスティナが額の汗を右手の甲で拭ったときである。

 彼女の動きを完璧になぞって、巨神も同じように右腕を持ち上げた。


 もしかして、と思いながらユスティナは一歩踏み出す。

 すると、彼女が動いたとおりに巨神も連動してその大きな足を前へ踏み出した。


「……すごいっ!」


 思わず感嘆の言葉が口から漏れ出た。

 機織り機を動かしたり、馬に乗ったりするのとはわけが違う。

 恐ろしい事態に巻き込まれているのにユスティナはある種の快感を覚えていた。


 さらに一歩踏み出して斜面を登り、森の木々をなぎ倒し、岩を砕きながら前進する。

 地響きに驚いた獣たちが一斉に逃げ出し、鳥たちも群れを成して空へ飛び立った。


「この力があれば……」


 思うや否や、ユスティナは巨神をコーンヒルの村に向かって進ませた。


 何気なく歩いているだけで身の丈よりも小さなものなら簡単に粉砕できる。巨木が眼前に立ちはだかろうとも、勢いよく体当たりするだけでなぎ倒せる。吊り橋の架けられている谷間も簡単に飛び越えられる。誰もこの巨神を止めることはできない。


 森を抜けた瞬間、胸部の空間……操縦席からコーンヒルの村を見下ろせた。

 村の風景が小さな模型のように見えるのは、丘の上から村を眺めていたのに似ている。


 しかし、いつか見た長閑な風景と決定的に違うのは、そこら中を物々しいブラックナイトが闊歩していることと、顔や名前を覚えている人たちの無惨な死体が屋根の上から撒いたかのように散らばっていることだった。


 驚いているのか、恐れているのか、ブラックナイトたちが巨神の体を見上げている。


「こいつらがお父さんを……村のみんなを……」


 ユスティナの胸の奥から湧き上がった怒りが爆発する。

 巨像を真っ直ぐに突進させて、目についたブラックナイトのを蹴り飛ばした。


 蹴り飛ばされたブラックナイトが木造の家々をいくつも貫通する。

 丘の斜面にぶつかってようやく止まったとき、ブラックナイトは岩と岩の間に挟まって押しつぶされたような有様になっていた。金属甲冑の隙間から操縦者のものとおぼしき血とも肉片ともつかないものがドロドロと流れ出している。


「あれだ! かかれ、野郎共!」


 隊長らしきブラックナイトが発破をかけると、周りのブラックナイトたちは無骨なバトルアックスを構えて襲いかかってきた。


 巨神の右脚めがけてバトルアックスが振り下ろされる。

 しかし、人間どころか岩石も一刀両断にしそうな一撃ですら、巨神の装甲には軽くひっかいたような傷しかつけられなかった。巨神の中にいるユスティナにも小枝がスカートをなでたくらいの衝撃しか伝わってこない。


「なっ……これほどとはっ!?」


 うろたえたブラックナイトたちの動きが止まる。

 ユスティナはすかさず、そのうちの一体を巨神の両手でつかみ上げた。

 胴体をつかみ上げられてじたばたする姿は、まるで悪戯を咎められた子供のようだ。


「これが……あなたたちのやったことだっ!」


 ユスティナはつかんだブラックナイトを力任せに地面へ叩きつける。

 叩きつけられた衝撃でぐしゃりと潰れたブラックナイトは、地面を何度も跳ねながら潰れた果物のように操縦者の血をまき散らした。


 村人たちの血にまみれたコーンヒルの村がさらに反乱軍の血に染まる。

 巨神の脅威を思い知ったのか、ブラックナイトたちがじりじりと下がりはじめた。


「どうして……どうして、あなたたちはこんなこと……」


 ユスティナは巨神の拳を振り下ろす。

 ブラックナイトはバトルアックスで攻撃を逸らそうとしたが、巨神の拳はバトルアックスもろともブラックナイトを叩きつぶした。それは馬車がカエルをぺしゃんこに踏みつぶすかのようで、ユスティナの体に伝わってくる感触もちょうど同じような感じだった。


 持ち上げた巨神の拳に黒い金属片と真っ赤な血がべったりと付着している。

 ユスティナは巨神の手を振って金属片と血を払い飛ばした。


 これで三体を倒したものの、反乱軍のブラックナイト部隊は全く減ったように見えない……というよりも、村中に散らばっていたものたちが異変に気づいて、今も続々と集まってきている真っ最中らしい。


 それなら全員いなくなるまでたたきつぶすまで!


 ユスティナはブラックナイトたちに向かってさらに拳を振り下ろす。

 しかし、拳は当たらずに空を切った。

 距離を取ることで動きを観察する余裕ができたのか、巨神の迫力に慣れてしまったのか、明らかにブラックナイトたちの動きが変わっていた。


 巨神の拳や蹴りを軽々と避けては、両脚めがけてバトルアックスを振り下ろしてくる。そして無駄に何度も攻撃をせず、バトルアックスを一度当てたらすぐさま巨神の攻撃範囲から離脱していった。


 さらには崩れた建物を足場にして、死角から飛びかかってくるものも現れた。とっさに振り返って叩き落とそうとしても、そのときには一撃を当てて離脱してしまっている。さらには振り返った隙を突いて、別の方から飛びかかってくる機体が現れるからたちが悪い。


 ユスティナは羽虫にからまれているときのことを思い出す。

 羽虫を手のひらで叩こうとしても、振り返ったときにはもういなくなっている。ようやく両手で潰したと思っても、実はすり抜けていて潰せていなかった。かと思ったら、また背後から羽音が聞こえてくる。


 そうだ、こいつらは虫けらなんだ……。

 こいつらは村の人たちを虫けらのように殺した。

 それなら、こいつらにも虫けらのように死んでもらうのが通りじゃないか。


「……全員殺してやるっ!!」


 ユスティナは全力で拳を振るうも、巨神の拳はあえなく空を切った。

 それどころか、前のめりになりすぎたせいでバランスを崩し、木造の家々に囲まれた道のど真ん中で仰向けに倒れてしまう。さらには起き上がろうと手間取っている間にブラックナイトたちが群がってきた。


 ユスティナの背中には地面の感触があるのに、体が空中に浮いているせいで頭が混乱してしまう。体のどこに力を入れたら立ち上がれるのか分からない。狭い戸棚に押し込められ、外から鍵をかけられたような気持ちになって急に心細くなってきた。


 ブラックナイトたちが巨神の胴体に乗り上げ、胸部装甲に向かってバトルアックスを振り下ろしてくる。伝わってくる衝撃は手足を狙われたときの比ではなく、まるでユスティナ自身のお腹を直接殴られているかのようだった。


「やめてっ!! やめてよっ!!」


 ユスティナは両手で耳を塞ぎ、小さく縮こまってしまう。

 音と衝撃に内臓を揺さぶられて吐きそうだ。


 巨神を操って強くなった気でいたのが甘かった……いや、そもそも父や村の人たちの仇を討とうとしたのが間違いだった? こんな風にじわじわとなぶり殺しにされるくらいなら、いっそのこと楽になってしまいたい気さえする。


 自分はどうして買い物なんかに行ったのだろう? あのまま教会に残っていたら、父や子供たちと一緒に天国へ行けていたはずだ。そして、天国には母がいる。天国でなら家族三人で仲良く平和に暮らせるじゃないか。


 この胸部装甲を開けてしまえば――

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