1-2:戦火の訪れ

 ユスティナは亜麻色の髪を揺らしながらコーンヒルの村を歩いている。


 ここで生まれ育って一三年――教会の一人娘ということもあって、村の人たちとはみんな顔なじみだ。

 道端で会えば挨拶をしたり、立ち話をしたりはいつものことで、ときにはお裾分けのパンや野菜で両手がいっぱいになってしまうこともある。そうやって頂いた食べ物は預かっている子供たちのお昼ご飯になるという寸法だ。

 こうしてさりげなく寄付をしてくれる村人たちの優しさがユスティナは大好きだ。


 行商人から聞く都会の輝かしさには興味がある。幼い頃は王都のでっかいお屋敷でお姫様みたいな暮らしをしたいと思ったものだ。でも、今はコーンヒルの村以外の場所に住みたいとは思わない。父も口癖のように「ユスティナが生まれ、妻の眠っているこの村からは離れたくないな」と言っている。


 エウロ大陸を縦断するように広がっているミゼル王国、その中央部にコーンヒルの村は存在している。中央部といってもミゼル王国の王都は大陸南部の沿岸にあるため、北へ向かえば向かうほど田舎になっていくわけで、しかもコーンヒルの村は主要な街道から外れてしまっている正真正銘のド田舎だ。


 丘の中腹には果樹園、丘の下に広がる村の外側には見渡す限りの麦畑と野菜畑、あぜ道をゆっくり進んでいる荷馬車、干し草に寝転がって一休みしている農夫……きわめて長閑な農村の風景がそこにはある。


 村の中に目を向けてみても暢気なものだ。主婦たちが共同のかまどでパンを焼きながらおしゃべりしていたり、行商人の開いたささやかな市場に買い物客が集まっていたり、村の中を流れる小川で釣りをしている人がいたり……多少の貧富の差はあるけれど、大きな諍いのない住みよい村である。


 王国軍から派遣されてきた兵隊たちに至っては、見張り台に立っているものを除いて酒場に入り浸ってばかりいる。といっても酔って暴れたり、威張り散らしたりすることもなく、いつも「兵隊の仕事なんてない方が平和でいい」と笑っている。


 こうして歩いていると私たちの置かれている状況を忘れちゃいそうだな……とユスティナはつくづく思う。


 ミゼル王国は一年前から北方の領地『ブラムス』の反乱軍と戦争をしている。


 戦争は反乱軍の奇襲から始まった。ブラムスに住まう人々は『ブラムス人』を名乗り、ブラムス以南の『王国本地』を乗っ取ろうとしている。ブラムスにほど近い大陸北部では王国軍と反乱軍が毎日のように衝突しているらしいが、コーンヒルの村で暮らしている自分たちにとってはまるで別世界の出来事だ。


 コーンヒルの村は主戦場から離れすぎていているし、これといった資源もないから占領するだけ無意味……とは父の弁であるが、王国軍の兵隊たちが毎日酒場にたむろしていることから察するに事実らしい。


 血気盛んな何人かの若い村人たちが王国軍に志願したときは、大半の村人たちは表向き応援しながら送り出した一方で「わざわざ戦争なんかに首を突っ込みに行かなくても……」と内心では戸惑ったり呆れたりしていた。


 戦争に対する不安と言ったら「税金が上がったりするのかな……」とか「お父さんが従軍神父になっちゃったらどうしよう……」といった程度で、ユスティナにとっても昨年から始まった戦争はどうも他人事にしか思えないのだった。


 それ故に、である。

 見張り台の半鐘が鳴らされた瞬間、ユスティナは何かの間違いとしか思えなかった。


「敵襲だぁーっ!! ブラムスの反乱軍が攻めてきたぞーっ!!」


 半鐘を力一杯に叩きながら、喉が裂けんばかりに叫ぶ見張りの兵士。

 村中に鳴り響く甲高い鐘の音。

 ユスティナは反射的にそちらへ振り返った。


 都合のいい解釈が脳裏をよぎる。

 もしかしたら、味方の王国軍がやってきたのを見間違ったのかもしれない。いつも酒場に入り浸っている兵隊たちだから、それくらいの勘違いはしてもおかしくないだろう。きっとそうに違いない。だって、コーンヒルの村が戦場になるわけがないのだから……。


 村の人たちも同じことを考えていたようで、一同に不安そうな顔をしながら互いに顔を見合わせていた。もしかして、みんなも同じことを考えてる? みんなもそう思うなら、きっとそうなんだろうね……やっぱり敵が攻めてきたなんて間違いだよね……。


 次の瞬間、そんな淡い期待はもろくも崩れ去ることになった。

 巨大なヒグマほどもある真っ黒なプレートアーマーが、見張り台を支えている丸太に突進してきたのである。


 まるで小枝を折るように丸太が粉砕されて、見張り台に立っていた王国軍の兵士が真っ逆さまに地面へ叩きつけられる。二階建ての家屋よりも遥かに高い位置から叩きつけられて、王国軍の兵士は不自然な方向に胴体が折れ曲がっていた。


 漆黒のプレートアーマーが大通りの真ん中に躍り出てくる。

 牧歌的な村に突如として現れたプレートアーマーは異質としか言いようがない。大柄の男性ですら見上げるほどの巨体で、胴体はがっしりと太くてまるで巨木のようだ。感情を持たない無機質な機械にしか見えないものの、丸太のように太い四肢と五本の指は自由自在に動いており、中に乗り込んでいる人間が操縦しているのは明白である。


 ユスティナは酔っ払った兵士から聞いたことがあった。

 ブラムス反乱軍は『ブラックナイト』と呼ばれる新兵器を持っているらしい。それは人間よりも遥かに巨大なプレートアーマーで、乗り込むと誰でも超人的な力が発揮できるという。そのため、最前線で戦っている兵士たちからは悪魔の如く恐れられているとか……。


 しかし、そんな魔法みたいな話を信じられるわけがなく、ユスティナだけではなく他の村人たちも酔っ払った兵士が大げさに話したのだろうと思い込んでいた。大真面目に危険視していたのはユスティナの父くらいなものだ。


 つんざくような悲鳴を上げながら村人たちが逃げ惑い始める。

 私も早く逃げないと!

 そう思っているのにユスティナの足は動かない。


「は、反乱軍の化け物めっ!」


 酒場で飲んでいた兵士が剣を抜いて果敢に斬りかかる。

 しかし、兵士の振り下ろした剣はブラックナイトに傷をつけるどころか、漆黒の装甲にはじかれて真っ二つに折れてしまい、その光景を目の当たりにした兵士は驚きのあまり完全に足が止まってしまった。


 ブラックナイトが背中に担いでいた巨大戦斧――バトルアックスを抜き放ち、大木を容易く切り倒せるであろうそれを容赦なく振り下ろす。無骨で凶悪な鉄塊を脳天に叩きつけられて、兵士の体は内側から爆発したかのように一瞬でバラバラになった。


 血の飛沫がユスティナの顔にも降りかかってくる。

 金縛りに遭ったかように硬直していた体がようやく動いてくれて、彼女は脇目も振らず教会に向かって走り出した。


「せ、戦争だ……」


 思ったことがそのまま口から垂れ流された。


 本当に……本物の戦争が起こったんだ!


 見張り台にいた兵士だって、ブラックナイトに斬りかかった兵士だって、近くを通りかかったら挨拶もしたし立ち話もした。名前も顔もしっかり覚えている。そんなよく知っている人たちがある日突然、こんな風にむごたらしく殺されるなんて思ってもいなかった。


 バラバラになった人間の体から血と内臓があふれ出る光景が目に焼き付いて離れない。


 自分の体にも同じものが入っているのだろうか……。

 逃げ惑う人々の地獄を見たとばかりに必死な形相、そして引きつったような悲鳴にまとわりつかれて頭がおかしくなりそうだ。ここはさっきまで長閑な片田舎だったはずなのに……どうしてこんなことになってしまった?


「ぎゃっ!!」


 苦しげな悲鳴につられて振り返ると、兵士を叩き殺したものとは別のブラックナイトが、逃げ遅れた老婆の背中をバトルアックスで斬りつけていた。地面に倒れ伏した老婆は糸の切れた操り人形の如く微動だにしなくなった。


 衝撃的な光景を目にしてユスティナは口を手で覆う。

 戦争って兵隊と兵隊が戦うものじゃないの!?

 自分の認識がつくづく甘かったことを思い知らされる。

 ここには兵隊も民間人もない……あるのは殺戮者と獲物だけなのだ。


 ユスティナがようやく教会に辿り着くと、すでに獲物が狩られたあとになっていた。

 生まれてから十三年間を暮らしてきた教会は、大地震にでも巻き込まれたかのような瓦礫の山と化している。踏み荒らされた庭には殺された子供たちの死体が散乱し、地面にはあふれんばかりの臓腑と鮮血が散らばっていた。子供たちはたわむれに足をもがれた虫のような死に様をしていて、とても直視できるようなものではない。


 ユスティナは全身からじっとりとした汗が噴き出すのを感じた。

 そうか……私たちは虫けら……。

 敵国からしてみたら同じ人間じゃない、ただの虫けらに過ぎないんだ……。


 立ち止まっているのに呼吸が乱れて胸が苦しくなってくる。

 いつの間にか両の眼から大粒の涙が流れ出ていた。


「……ティナ……ユ……ティナ」


 父の声が瓦礫の中から微かに聞こえてくる。

 ユスティナは慌てて声のする方へ駆け寄った。


「お父さんっ!! 大丈夫っ!?」


 崩れたレンガや折れた材木を素手で取り除いていくと、瓦礫の下敷きになっていた父の姿が露わになった。


 父の体にはひときわ太い材木がのしかかっており、腰から下は瓦礫の中に埋まってしまっている。とてもユスティナ一人の力では持ち上げられそうになく、父の体から流れ出した血が水桶をひっくり返したような血だまりを作っていた。


 ユスティナは体に力が入らず、血だまりの中に膝をついてしまう。


「今すぐ……今すぐ瓦礫を退かすからっ……」

「……いや、いい」


 父の顔は蝋人形のように青白くなり、うつろな目は真っ直ぐに灰色の雲が集まりだした空を見つめている。体を動かすことはおろか、ユスティナに目を向けることすらできなくなっているのは一目瞭然だった。


「私はもう助からない……それより、巨神を……ユニコーンを探すんだ……」

「こ、こんなときに何を言ってるの!? それは単なる伝説だって――」

「聞こえていると……言っていたよな……巨神の声が……」


 父が咳き込んでどす黒い血を吐き出す。

 巨神の存在は半信半疑――否、ハッキリ言って未だに信じ切れていないが、ユスティナは安心させたい一心で父の手を握りしめた。その手はすでに冷たくなっており、父の命が今にも燃え尽きようとしているのが否応なしに分かってしまう。


「……わ、分かった! 巨神を探してみるから、お父さんはここで待ってて!」

「あぁ、頼んだぞ……」


 安心して気が緩んだからか、父が眠るように目を閉じた。


「巨神はきっと……お前を救ってくれる……」

「……絶対に見つけるからね、お父さん」


 震える足でどうにか立ち上がり、ユスティナはその場から走り出す。

 ここから離れたくない。でも、父は自分が巨神を探すことを望んでいる。いつも村の人たちに尽くしてきて、己の願望とは無縁だった父の最後の望みだ。そして、これは自分にとっても最初で最後の恩返しできるチャンスなのだ。


 さようなら、お父さん。

 一三年間、私を育ててくれてありがとう。


 幼い頃から聞こえてきた声に……誰かに呼ばれる感覚に耳を傾ける。

 ユスティナは誘われるようにして、丘の裏に広がる森の中へ足を踏み入れた。

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