第16話 黄金のドリッピンをサンクチュアリへ(12)
ルットは出口からそっと顔を出すと今まで垂らしていた耳をピンと立てた。
彼女の後ろからラギと開琉も顔を覗かせる。
「真っ暗だ」
小声で開琉が言った。
「大丈夫そうね」
緊張をほどいたルットが1歩外に踏み出した。
3人が外に出ると扉が閉まってただの岩壁に戻る。もう誰が見てもこの場所に兎の小道への入り口があるとは気づかないだろう。
「もう真夜中の2時か3時くらいね」
「昼間あんなに歩いたのに眠くならないなんて不思議」
そう言う開琉にルットが笑顔を向けた。
「トマトのお陰よ」
「んーー、そうかも」
「トマトは医者要らずっていわれるのよ、知らないの?」
ルットのうんちくが始まりそうだったのもあるが、開琉の袖をラギが引っ張るので開琉は黙った。
森の中は虫の音がする以外は静かだった。木々が風に揺れて葉のたてる音が聞こえているばかり。
何事もなく歩き続けていた時、ふとルットが足を止めた。ずっと立てていた耳を小刻みに動かして何かに聞き耳をたてているようだった。
「なに?」
「しっ!」
相変わらず木々はさわさわと音をたてていたが、蟲の声がピタリとやんでいた。
「逃げてッ」
鋭く言ったルットが横っ飛びで消え、ラギが開琉の首根っこをひっぱる。
「うわっ」
先程まで3人が立っていた場所になにかが落ちるのを開琉は見た。
「追いかけてくる!」
開琉が叫ぶ。
落ちてきたそれが地面に降りるなり急角度で開琉達めがけて走り出すのを見ていた。
(忍者みたいだ)
木を避け根を飛び越えて懸命に走るラギと開琉。その後ろにピタリと付く者がしなやかな動きで距離を積めてくる。
「シャイノギ・・・」
ラギが呪文を口にするのと同時に追跡者が加速する。
「タータ!」
ふたりが姿を消す直前に鋭い爪先が開琉のマントにかかった。
布の切り裂かれる音を残してふたりが消えた。
「ちっ、もう少しだったのにッ」
両目を光らせて猫族の女が唇を噛む。
敵をかわして転移した場所はまだ森の中だった。
「猫族だった、危なかった。はぁ」
息をつくラギの横で開琉がきょろきょろと辺りを見渡す。
「ラギここどこ? サンクチュアリの場所わかる?」
木々に覆われた森の中は開琉にはどこも同じように見える。
心配する開琉をよそにラギが杖をかざし、じっと石に集中し始めた。すると杖の先にある石が仄かに光を放ち始める。
ラギが杖を手にゆっくり回転し、強く光った方向で止まった。
「こっちだ」
「そんなのでわかるの?」
「光の強弱で方向がわかる」
ラギが杖の示す方向へ歩きだし、開琉もそれに従った。
「どんな仕組みなの?」
「行きたい場所を念じるだけだよ」
「それって、知らない場所でも教えてくれるの?」
ラギは開琉の連投する質問に少し邪魔臭そうな表情だったがぐっとこらえる。
「はっきりイメージ出来ないと光の強弱が分かりにくいから、どうかなぁ?」
答えてくれるラギに気をよくして開琉が質問を続ける。
「僕でも出来る?」
「ムリ」
バッサリと切られた開琉は口をへの字にして黙った。
ラギはルットのことが気になってはいたが、猫族の追っ手がひとりだったなら彼女は逃げ切れているに違いないと思ってサンクチュアリへ向かった。
かさかさ・・・
少し離れた場所から下草が何かに触れる音がしてラギが木の影に隠れる。開琉も慌てて同じ木に隠れた。
相手もこちらに気づいて動きを止める。
(さっきの猫族に追いつかれたか?)
一瞬、ラギはそう思った。しかし直ぐに打ち消した。猫族なら音をたてたりしないだろう。
犬系の種族の鼻に捉えられてしまったのだろうか。
夜は身を隠しやすい。だが、闇も臭いまでは隠してはくれない。
ラギは草のたてる音から敵がひとりだとうと考えた。パーティーなら複数の音がするはずだ。
(1匹狼か?)
「・・・!」
闇から何かが躍り出た。それはラギが考えていた誰とも違っていた。
「ハエ取り草のハイブリッターだっ!」
「何それッ」
帆立の様な頭にぞろりと並んだ歯をぎらつかせた植物だった。
ガシャン! ガシャン!
派手な金属音を響かせて追ってくる。
「うわぁ!」
バネ状の茎を伸ばしてジャンプして来た。
人の頭なら1度にふたり分は口に納めてしまいそうな横長の口がふたりに迫る。
慌てたふたりが左右に飛び退いて、ハエ取り草が木の幹に頭を打ち付けた。ジャンプした勢いのままバネ状の茎が自分の後頭部にぶつかる。
開琉は飛び逃げた先で木にぶつかりぶざまに地面へ転がっていた。
ハエ取り草は自身にぶつかった茎の伸縮の反動であらぬ所へ飛んだ。
暗い森の中で細いバネ茎は見えず、頭だけが前後左右に跳び跳ねているように見える。それはまるで細く生え揃った歯をガシガシ動かす巨大な入れ歯の様だった。
開琉が逃げようと向きを変えるたびにハエ取り草が目の前に飛んできて、
「ラギーー!」
開琉が叫んだその時、彼の体が消えた。地面から木の上へ。ラギが転移させていた
「無闇に叫ぶな」
「だって・・・」
泣きそうな開琉の顔を見て苦笑いするラギが開琉の額を叩く。
「見捨てたりしないよ」
叩かれた額をなでながら開琉は恥ずかしそうに笑った。
ラギが遠くに目を向けるのを見て、開琉もラギの視線の先に目を移す。
月明かりでぼんやりしていたが、目の届く森に切れ込みが入っている様な場所があった。
開琉がそれに気づいたのを見計らってラギが口を開く。
「たぶん、あそこが割れ目だ」
開琉はラギの目を見てうなずき、ラギも同じようにうなずく。
ハエ取り草が落ち着くのを待って地面へ降り、慎重に進んでいった。ほどなくして橋の見える場所まで到着するとふたりは木の影から様子をうかがった。
ルットやラギの予想通り、橋の前には何組かのパーティーの姿があった。互いに牽制し合いながら橋を背にたっている。
少なくとも3組はいるようだ。総勢20人弱といったところか。
(沢山いるな・・・)
ラギは眉間にシワを寄せながら見ていた。
今更ながら街中で注目を浴びたのはまずかったと後悔の念が湧く。しかし、開琉を責めるのは違うとラギは思っていた。
(召喚獣を上手く活かせなかった自分にも落ち度がある。そもそも人間を村に送る護衛という設定からよくなかったんだ)
考えが甘かったと後悔しても仕方のないことと気持ちを切り替える。
さて、どうしたものかとふたりは黙って木陰から見ていたが見ていてもらちが明かない。ラギが腰を浮かしかけた時に誰かが肩をつかんだ。
「ルットさんッ」
「しーーーっ」
にっこり微笑むルットに開琉とラギの顔がほころぶ。
「猫族を上手く巻けたようね。良かった」
ルットはそう言って背の鞄を下ろす。
「峠道でだいぶふるい落とされたみたいね。思ってたより少なくなってる」
橋の前に立つ男達を見てルットが言った。
兎の小道に入る前、森の中でルットを追いかけて来た者達の数からすると3分の1もいなかった。
先回り出来たのは魔法使いがいるパーティーくらいだろう。
「どうやってやり過ごすか考えた?」
ラギも開琉もぱっとしない表情だ。
「正面切って行ったところで駄目そうだし、誰かが
そう言うルットの表情は比較的明るかった。囮がいたところで20人程の人間の目を一気にそらすのは無理そうに思えるのだが、どうしようと言うのだろう。
「開琉、この子達をあなたにお願いするわ」
ルットは鞄の中からドリッピンの赤ちゃんを出して、小袋に移すと開琉に手渡した。
「え? ルットさんが連れていかないと金貨はもらえないんでしょ?」
ルットが苦い顔をする。
「背に腹は代えられないわ、この子達の命が最優先よ。でも、ここまで運んだことだけはエルフに伝えてね」
不安そうな開琉の頬をルットが撫でる。
「ラギ、ここいら辺の木に火をつけて。あいつらから見える所だけでいいから、派手に燃やして」
ラギが目を見張る。
「そんな事! 木だって生き物だよ、エルフがどう思うか」
困り顔のラギを見てルットが笑う。
「燃やすって言っても色々と方法はあるでしょ?」
ウインクする彼女がラギの耳に口を寄せて計画を伝えた。
「なに? 僕にも教えてよ」
「開琉は隠れていて、隙を見つけたら橋へ向かって全速力で走って渡るの。後ろを振り返ったりしないで、ウサギブーツを上手く使ってね」
ルットがふたりの背を叩く。
「さぁ、やるわよ」
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