第18話 誰かの為の朝食

「申し訳ございません。どうしても未だ身体が動いてくれなくて……」


 ベッドの上で項垂れるセーラの顔色は良くは問題はなさそうだが、表情は曇りきっている。

 本当に身体が動かない訳ではないだろうが、起き上がり私の顔を見ることすらしんどそうだ。

 状況を鑑みると精神的から来る不調だろう。


「分かったわ。此方の事は気にしないで、ゆっくりと休みなさい。何も考えずに、今はただ体を休めるのよ」


 私はセーラの額を優しく撫ぜて笑いかける。


「こんな事、初めてです……」


 この間までただのデータだったセーラが精神から来る不調に苛まれているのは、随分と不思議な体験な事だろう。

 何、状況を考えれば分かる。

 今まで失敗という失敗などデータに沿ったものしかなかった彼女だ。

 いくら恋路が上手くいかないと言えども、それはたかがデータで作られたレールの分岐の集合体でしかない。 

 しかし、今回は違う。

 明らかに、データによる、分岐によるモノではない。

 外から何者かの手によって、彼女にはどうすることもできない事態に陥らせたのだ。

 頭は多少ついてきたとしても、その現実を受け止める心までは彼女の中には育っていない。

 数々の修羅場で地獄を見て尚生きているタフネスな私達とは違う。

 彼女は本当に温室で育った花なのだ。

 その花に余りにも現実は重過ぎる。

 受け止めきれずにポキリと折れてしまってもおかしくは無いのだ。

 さて、流石にクリア時迄このままと言うのは随分と問題だが、今はまだこのまま大人しくしていた方が、私達も助かるからな……。

 どう事を進めるか。

 それが問題だ。


「風邪は知ってる?」

「風邪、ですか? はい。知識はあります」


 ならば、話早い。

 私は彼女に一つの提案を持ちかける。


「心があると、ね。心も疲れてしまうのよ。今はゆっくり心を休める時だと私は思うの。どうかしら?」


 心が疲れる事。

 何、悪い事ではない。

 それは、心がある者の宿命だ。

 心だって消耗品だと私は思っている。

 磨耗していくのだ。心と言うものを使えば使う程に。

 心を休ませても回復なんかしてくれない。必要なのは、取り替えに掛かる時間だ。新しい心に取り替える時間が、心を持っている人間には必要なのだ。


「ごめんなさい……。こんな時に……」


 私の言葉に彼女は顔を伏して声を絞り出す。

 そんな事をさせたい為の提案ではないのに


「だから、何も考えずに休みなさいって。これは、心を持っている先輩の私達からの提案よ? 大丈夫だから。私とフィンはこんな事態には慣れているもの。心配はいらないわ。今はただ、楽しい事を考えて休みなさい?」

「……はい」


 セーラは少し迷った風な顔をする。

 しかし、頷けば此方のものだ。


「落ち込まないで。心が疲れるなんて、貴女がそれだけ人間に近づいた証拠よ」


 私はセーラに背を向けて笑った。


「お姉様……、いえ。ローラ」

「何?」

「それは、いい事ないのですか……?」


 私はドアノブを回す手を止め、彼女の問いかけの答えの為に呼吸を置く。


「当たり前じゃない。恋をするには必要な事よ」


 人間に近づくのが良き事か。

 そんな事、今人間を捨てようとしている私に聞く事ではないだろうに。




「セーラは大分まいっている様ね。今はダメそう」

「そうですか。では、我々だけで何とかしますか」

「当面はそうするしかなさそうね」


 違う部屋で待機ていたフィンと合流すると、私達は食堂へと階段を降りる。


「こんな早い時間じゃ、人もまばらだな」

「そうね」

「でも、いいんですか? ローラ様。アリスは喜ぶと思いますよ?」


 パンを片手に突然アリス様の名前を出すフィンに私は視線を投げる。


「突然ね」

「少し。後悔が残るのでは?」

「アリス様に? 知らなければ後悔なんてないでしょ?」

「まさか。私の一番は常にローラ様ですよ」


 パンを齧りながらフィンが笑う。


「その為に必要な事でしょ? 貴女が嫌なら今から計画でも練り直す?」

「私はローラ様に従うだけですのでお気になさらずに」

「では、このままね」

「それで貴女がいいのなら」


 無駄な時間だ。

 こんな質問。

 たまに、フィンは私の何もかもを見透かした様な事を言う。

 それは彼女が優秀な証拠でもあるが同時に今の私には畏怖でしかない。

 心が、揺らぎそうになる。

 弱い昔の私が、安田潔子が、私を見つめている様な、そんな迷い事を考える程に。


「いいも何も、私が考えて考えた答えよ。問題ないわ。で、彼方の首尾はどう?」


 フィンが眼帯を下から持ち上げ、赤い目が見える。


「動いてますよ。そろそろ、此方に向かうよでは? 共有しますか?」

「いや、大丈夫。それよりも、今日は授業を休みタクトのマップと表示の違いを見たいわ。出来る?」

「勿論。しかし、何も無いですよ?」

「ええ。別に貴女の報告を疑ってる訳じゃないよ。ただ、何かあるならそのロジックを解明したい。その為にも、自分の目で確認したいのよ」

「この世界に興味でも? 脱出出来れば興味も何も無かったのでは?」

「ええ。その通りよ。だからこそ、それが必要なロジックがどうかを見定めたいの。今、正直セーラは使い物になる迄どれだけ時間がが掛かるか読めない。貴女は、貴女の仕事があるし、誰かが彼女の穴を埋める必要があるでしょ? なら、私の方が適任だと思わない?」

「異議はないですが、今必要な事かは正直なところ疑問ですね」


 流石に鋭いな。


「そうね。でも、この世界についての情報が少な過ぎるのが現状よ。貴女が集める表面化している情報だけでも、集めるのには数日は掛かる。その間、私はぬくぬくとしているのは時間の無駄だと思わないかしら? これで何かを得られればラッキー。なにも得られないならそれでいいわ。後に調査に回す時間を省けるだけ利点がある」

「確かに理にかなっている」

「理詰めなわけじゃないのよ。ただの暇つぶしを兼ねた時間の有効活用ね」

「いいですよ。しかし、その間私の時間も飛びますがいいですか?」

「そうよね。画面共有の問題は視界全てがフィンのになってしまう事よね。出来れば、片目だけとか出来ないかしら?」

「設定にそんな機能無いですかね?」

「あったら最高なのになぁ」

「無いですね」

「早いな」

「善は急げですよ。あ、動き出しました」

「あら、此方に来られる?」

「……ええ。今、階段に向かってますね」

「そう。では、此方も準備を……と言いたいけど、フィン。パンを全部食べてしまったの?」

「あ、はい」

「三つなかった?」

「後二つ持ってくるんで大丈夫ですよ」

「胃袋若くない……?」

「現役女子高生ですよ? 胃袋も肌も感性も若いですって。逆にローラ様は赤ちゃんかってぐらい食べないですよね?」

「いや、一つ食べると、こう、なんて言うか、一仕事終わった感が凄いのよ……。赤ちゃんと言うより、凄い老人な気がしてきた……」


 肌も胃袋も感性も最早老人かもしれない。


「ケーキとカレー大丈夫です? 食べれます?」

「その心配?」

「私、絶対両方食べたいので」

「頑なだなぁ。先輩呼ぼ。無理かもしれないから」

「最悪鍋持って帰りますね」

「一人暮らしいの人間は鍋一つぐらいしか持ってない確率が高いの忘れないでくれる?」


 持って帰るのだけはやめくれよ。

 最悪お湯すら沸かせられなくなる運命じゃ無いか。


「おや、無駄話が過ぎたようですね。そろそろアリスたちが此方に着きますよ」


 私が呆れていると、フィンが私を見る。

 本当に、無駄話が過ぎてしまったな。


「あら。では、早くパンを取りに行ってらっしゃいな」

「分かりました」

「さて……」


 ついに、アリス様とご対面と言うわけか。

 覚悟はしてきた。後悔なんてない。

 今回のクエストは実に簡単なものだ。

 アリス様とシャーナ嬢のどちからが転生、いや、転移と言えばいいのか? それこそどちらでも良いか。早い話、私達の知る人物であるかの確認ができればクリアとなる。

 勿論、確認ができなくても問題はない。

 確認が取れなければプランを変更するまでだ。

 成功する道筋なんて一つでは足りない。あの時代でクソほど学んだ事だ。あの糞爺にな。

 ただ、本心を言えば……。

 私はアリス様にこの世界にはきて欲しくないと思っている。

 出来れば、貴女であって欲しくはない。

 ああ、これは私の我儘。ただの我儘だ。

 神頼みで事実は変わらないし、願い事なんて叶わない。

 それを知っているのに、私は願わずには居られないのだ。

 神様。

 どうか……。


「あ」


 食堂に入って来たアリス様とシャーナ嬢が入り口近くでパンを取っていたフィンの顔を見る。


「ああ、昨日の……」


 フィンの言葉に、アリス様とシャーナ嬢は慌ただしく頭を下げた。


「ご、ご機嫌様」

「ご機嫌様。貴女達もこれから朝食ですか?」


 フィンは顔色を変えずに二人に問いかける。

 朝に食堂へ来たのだから朝食以外の目的など皆目ないとも思うが、其処は目を瞑るべきだな。

 悪くないんじゃないか?

 自然な流れだ。


「は、はいっ」


 少し緊張した面持ちでシャーナ嬢が元気よく返事を返す。

 首尾は上々。


「それは丁度よかった。貴女方が良ければ、同席しませんか?」

「……え? ど、同席ですか!?」

「それって、フィンさん達と一緒にご飯を食べて良いって事ですか?」


 フィンさん、か。

 シャーナ嬢はこれで確定か?

 少し弱い気もしなくもないが、確定と見て間違いないだろうな。


「ええ、そうですよ。私の友人も居りますが、如何ですか?」

「あ、あの。何で、私達なのですか?」


 アリス様がおずおずとフィンに問い掛ける。

 意外にガードが硬いな。

 勿論、フィンと私の名前を出したら喜んで飛びついてくるだなんて、そんな都合が良いことは考えても居ない。

 流石にそこまでの妄想癖は持ち合わせていないからな。

 私達を知らないからこそ警戒するのか。

 将又、こんな歪な世界に閉じ込められたことによる自己防衛か。

 これだけを切り取って見極めようなんて、至難の技だぞ。


「ローラ様」

「ローラ……?」


 私の名を出した瞬間、アリス様は私を見る。

 危ない。

 素早く視線を外したから良いものの、余り見つめすぎるのも考えものだな。

 しかし、アリス様は矢張り私をローラだと認識しているのは間違いない様だ。


「ローラ様が昨日の礼を言いたいと仰られておりました。突然の事に不躾な態度を取ってしまったと悔やまれておられましてね。お二人が良ければローラ様の気が晴れる様、細やかな協力をお願い致したい次第です」


 コソッとフィンがアリス様とシャーナ嬢に内緒話をしているが、その文面を考えたのは何を隠そう私である。

 正直、使う使わないなら、使わないと思っていた文面なのだがな。


「いえ、そんな! ご立派な態度でしたわ!」

「不躾なんて、とんでもない!」

「しかし、ローラ様が気にしておられるのも事実でございます。勿論、無理にとは言いません。お二人の気が進まなければ、どうぞお気なさらずに」


 ま、答えは分かってるんだけどね。

 私の推しは、天使であり女神でもある。


「……どうする? アリス」

「……んー。断る理由も、無いよね?」


 それは、つまり……。


「分かりました。一緒に食べましょう」

「そうですか。では、こちらに」


 こんなお願い事をされたら絶対に断れないにきまっているということだ。

 彼女達の良心につけ込む様な計画だが、今だけは許して欲しい。

 計画が成功して喜びたい反面、私は一つの事実が気になって仕方がなかった。

 シャーナ嬢は、私達の知っているシャーナ嬢である事は間違いない。

 となると、妙だな。

 彼女は一体、何処の時間から来たんだ?

 私が知っている限りでは、彼女の死場所は、あの塔の祭壇。

 アリス様を庇って、アリス様の為に殺された。

 あの瞬間の彼女がここにいるのか?

 そんな事すらも、このゲームでは可能だと言うのか?

 それすら可能だと言うと……。


 彼奴も来ている、のか?




 次の更新日は10/29(木)の12時となります。お楽しみにー!\\\\٩( 'ω' )و ////


 

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