第19話 誰かの為の奈落色
「アリス様、シャーナ様。昨日は満足に礼すら出来ずに申し訳ございませんでしたわ。改めまして、私はローラ・マルティスと申します」
卓についた二人に笑いかけると、二人は無言で顔を見合わした。
恐らく、私にもフィンにも記憶がないと思っているのだろう。
と言う事は、アリス様も流行り記憶があるのが濃厚か?
いや、シャーナ嬢の話と食い違っているからと言う理由も捨てきれない。
出来れば、アリス様については確かな証拠を掴む必要がある。
それにしても、ローラとは別人の私、か。
勿論、そう思ってくれて構わない。
それが狙いなのだから。
私は、この二人に過去の記憶を持っているローラである事を悟らせたくないのだ。
フィンは何度も私にそれでいいのか、後悔しないのかと確認してきたが、これが一番の正解である事は間違いない。
私はスカートを握り締めながら、私の後悔なんて一生私の奥底で飼い殺しでやればいい話だと自分に言い聞かす。
生贄は一人でいいのだから。
「そんな、階段を譲っただけでお礼なんて」
「ご謙遜なさらずに。この学園に来て初めて人の優しさに触れたのです。私、恥ずかしながらこの学園にはこのフィシストラ嬢しか友人がおりませんの」
「……そう、なんですか」
自惚れていいなら、友人の枠にお二人が入っていない寂しさを覚えての間だと思いたい。
「ええ。それに、私はこの国の王子と婚約者である為か良くない噂が立っておりましてね。皆一様に私の事は腫れ物を扱うかの如く避けられしまっていて……。なので、お二人の心優しさが嬉しくてどうしてもお礼が言いたくてフィシストラ嬢にお二人を誘って貰うようにワガママを言ってしまったの。ごめんなさいね」
「いえ、そんな! う、噂は私達も知ってますが、ローラ様がそんなお方ではない事は知ってます!」
必死にシャーナ嬢がフォローを入れてくれる。
ああ、本当に。
出来るのであれば、この場で強く抱きしめてあげたい。
貴女達が私の事を知っていれば十分だと、教えてあげたい。
今も昔も。
何一つ私たちは変わらない事を。
しかし、それは許されないのだ。
変えてしまうのは、私なのだから。
「ふふふ、初めてお会いするのに不思議ね。まるで、昔からの友人みたいにお二人の事を感じるわ」
「……昔から、友人だったのかもしれないですね」
アリス様がボソリと呟いた。
「あら? 私達、何処かでお会いした事が?」
これはなかなか良い導入ではないだろうか。
「あ、いえ。私は平民なのでローラ様とお会いできる事は、えっと、無いはずなので……」
「なら、誰かに似ていたのかしら? 昔からのご友人とか」
勿論、昔とはこの世界でのことではない。
「……いえ。ローラ様の様に気高き女性には会った事がありませんので」
「あら、お上手ね」
外したか。
それにしても、アリス様の雰囲気が随分と私が知っている彼女と違うな。
昔の様な太陽の下で揺れる秋桜の可憐さと言うよりは、花束の中にある大輪の花の様な雰囲気を感じる。
テーブルマナーもそうだ。彼女と食事を共にした事はないが、どう見ても貴族の洗礼されたテーブルマナーを得ている様に見える。
シスターである彼女がテーブルマナーを取得していないとは思わないが、これ程洗礼されたテーブルマナーを得ようとすると、教会では無理がある。
しかし、このゲーム内で取得している可能性も否定はできない。
なにせ、このゲームを作った二人は貴族の中の貴族と王族だからな。
逆に彼らが平民のテーブルマナーを知っているとは思えない。
しかし、リュウの言葉では彼女は次期王妃だ。
このゲーム内に死ぬ前に訪れているとなると、少なくとも王妃になった後。
勿論、王妃にはテーブルマナーは必須だ。
その時に習得した証拠ではないかと思えなくもない。
これだけでは判断しかねるな。
矢張り、確信を持てる言葉を引き出すしかないのか。
「でも、平民と言えど貴女も名だたる名家の出では? 何処かで会っても可笑しくは無いんじゃないかしら? いくら友人が少ないと言えど、私も社交場には顔を出しているもの」
「私がですか? そんな事ないですよ。私、孤児院の出なので……」
「まあ。それは、御免なさい。余りにも完璧なテーブルマナーだったものだから、つい。孤児院という事は、教会かしら?」
「え、ええ。はい。そうです」
「そう。素敵な神父様とシスター達に囲まれていたのね。とても教養がある方々だったのでしょう」
嫌味には、聞こえないよな?
自然な流れで誉めているよな?
どうも下心がある為か、自分では正常な判断がつけられなくなっている。
嫌われても構わないと構えていたと言うのに。
いざとなると臆病心が顔を出す。
人間なんて、クソだな。
「そう、ですね。厳格な神父様とシスターに囲まれて育ちましたので」
中々尻尾を出さないか。
まさか、警戒しているのか?
いや、警戒するって、何の為にだよ。
少なくとも、彼女たちがこの世界に敵がいると言う仮定をしているとは考えられない。
わざわざ警戒する必要があるのか?
そもそも、警戒する相手に秘密の挨拶をするか?
どれも理にかなっていない様に感じるな。
それと、此方の様子を伺っている?
目的は分からない。
しかし、警戒よりはしっくり来る気がしなくもない。
ならば……。
「フィシストラ嬢」
「はい、ローラ様」
私はフィンに合図を送る。
名前を呼び、テーブルを指で三回叩くだけの簡単な合図だ。
意味は簡単。
「テライノズ家も幾つか慈善事業で教会の援助をされていましたね」
話を合わせてくれ、だ。
「……ええ」
「他の方々も熱心に援助をされているとか。確か、この学園の……」
フィンは目を細めて私に微笑む。
ここまで言えば、続きは分かる事だろう。
「ええ、この学園の学園長も熱心に援助をされていると母君が仰っていましたね」
「そう、学園長も。彼は熱心に……」
「ええ、学園長は素晴らしき御仁ですもの」
え?
突然、フィンが私の言葉を遮り学園長を褒め称え出した。
どうしたんだ?
「私の親族も、彼のお力添えで教会に属してましてね。何でもシスター見習いをしているだとか。名前は、ロサと言うのですが、貴女は知っていますか?」
フィンは終始笑顔でアリス様に問いかける。
本当、この子は直接的にぶん殴るな。
いや、しかしこの方が話は早い。
それにしても、あれだで私のしたい事を完全に理解するとは、な。
彼女を欺くのも少々骨が折れそうだ。
しかし、完全のアリス様の様子は……。
「いえ、存じ上げませんね。違う教会では?」
またも空振りか。
確かに、ロサで釣り上げるのはいい方法だ。
あの時、アリス様がロサの髪飾りをフィンに託した時、私は寝たふりをしていた為に彼女の表情はわからなかったが、彼女の声からはロサとの親密さを伺えるものだった。
ロサの話題で吊り上げれば、少なくともあの時代の彼女ならば釣り針に食いつく筈だ。
それを今この場で彼女が否定する意味が見出せない。
本当に、シャーナ嬢だけが来ているのか?
「そうですか、残念です。知っていれば、久々に姉の様に慕っていた彼女の様子が聞けると思っていたのに」
「姉?」
ふと、アリス様が顔を上げた。
成る程。そう来るか。
「ええ。ロザリーナ……、いえ、ロサは私の従姉妹で本当の姉妹の様に育ったんです。心優しい彼女は貴族でありながら、親の反対を押し切ってまで献身的に子供達に尽くそうとシスターを目指し学園長を頼ったと聞きました。家族の手前、彼女とは直接連絡が取れないですが、少しでも彼女の様子が知りたくて……」
フィンは困った様に笑った。
こんな表情筋、フィンにあったんだと思うぐらいに完璧である。
それにしても、よく回る二枚舌をお持ちな事で。
フィンに姉の様に慕うロザリーナと言う従姉妹なんて存在しない。
ロザリーナ、いや。彼女も名は捨てているのだ。ロサと呼んだ方が正しいだろう。
ロサとフィンには確執があった事は、私は直接フィンの口から聞いている。
それに、ロサが教会に入ったのも貴族を除籍された為だ。
断じてこんなお綺麗な話では無い。
何故、フィンがこんな嘘をついたのか。
実に単純明快だ。
要は、アリス様の同情を引こうとしている。それだけだ。
「ろ、ロザリーナと言うお名前だったんですか?」
「ええ。今は名を捨てているでしょうから、昔の愛称を使っているかと思いましてね。ロサとか、シャロンとか」
愛称にシャロンは無理がないが?
が、流石にここで茶化すほど私も馬鹿ではない。
「シャ、ロン……」
「お心当たりが?」
「あ、あの、赤髪かしら?」
「ええ。まさか、ご存知で?」
アリス様は少しだけ視線を動かし、何かを迷っているそぶりを見せる。
そりゃそうだ。
もし、アリス様があの時代のアリス様であれば、彼女が知っているのは、本物のロサだ。
随分とフィンが語るロサとは別人すぎる。
少し無理があるな。
しかし、後一押し感は捨てきれない。
ここは、私が助け舟を出すか。
「まあ、ロザリーナ様は今教会にいらっしゃるの?」
私は声をあげる。
「……ええ。ローラ様にはお伝えしていませんでしたね」
「最近お会いして居なかったから、お体でも崩されたのかと心配しておりましたわ」
「ローラ様にご報告が遅れ、申し訳ございません」
「いいのよ。彼女が社交場に居ないと華やかさが足りなくなってしまうわね。ロザリーナ様はいつも気品に満ち溢れ、華やかさを振りまいていらっしゃったから。そう、彼女のあの髪飾りの様に」
私はフィンに目配せをする。
彼女に足りない情報を補ってもう為に。
今はアリス様の中で少しでもアリス様の知りえるロサの像に近づけなければならないのだから。
「ああ、彼女のお気に入りの髪飾りですね。そう言えば、あの髪飾りを唯一持って家を飛び出したとか。確かに、あの髪飾りは彼女にとても似合っていましたね」
「ええ。彼女の素敵な赤い髪にとても映えていたわ」
「でも、一番彼女を映えさせていたのは彼女の宝石の様な瞳では? 彼女の緑の瞳も、宝石の様に輝いていましたもの」
そう言って、フィンが今も自慢の姉なのだと思ってもいない事を続けるものだから彼女の綺麗な白い腕に鳥肌が立ってきているのが私の目に映る。
ロサの事を褒めるのでさえ彼女の人生では初だろうに。
「あ、あのっ」
「何か?」
アリス様の声に、私達は顔を向ける。
「ええっと……。シャロンという名のシスター見習いなら知ってます」
お?
「か、彼女、教会でシスターになる為に勉強をとても頑張っていて、私も、彼女のお陰でこの学園に来れて……」
アリス様は、すぅと息を吐くと、フィンの手を取り昔の様な笑顔で笑いかける。
「彼女は、ずっとずっと、立派な女性でしたよ。いつでも、私を守ってくれる、素敵な、女性でした」
フィンは私をチラリと見ると、すぐ様アリス様に顔向け、目を細めた。
「有難う。それは、良かった」
どうやら答えは出揃った様だ。
「転生してますね」
「そうね」
あの後四人で食事を楽しんで別れた後、私とフィンは学園の廊下で収穫した情報を話し合う。
「アリス様もシャーナ嬢もあの時代の記憶があるのは確信が出来たわ」
そもそも、当たり前だがそのゲームでロサなど登場しない。
このゲームで登場しないキャラクターは存在しないのと同意義だ。
しかし、彼女にはロサの記憶がある。
それだけでも十分な転生確認に当たると思うが……。
極め付けは最後の言葉だ。
彼女はロサを語る時に全て過去形で答えていた。
まるで、ロサが亡くなった後の様に。
少なくとも、このゲームでロサが存在していたとしても、あの時代に日付を照らし合わせてもロサが亡くなるのは随分と先である。
過去形で答える事はまずないだろう。
「それで、どうしますか?」
「今すぐには手を打つ予定はないわね。向こうがアリス様に接触しなければ私達も動き様がないもの。それより、本当にここがタクトの居るべき場所なの?」
何の変哲もない廊下に、人もいない。
「マップを共有しますか?」
「うーん……。そうね、お願い」
「了解しました」
フィンがそう言えば、すぐ様視界がぐらりと変わる。
表示されたらマップには、私とフィンが立つ位置の近くに、タクトと表示されていた。
「確かにフィンの言う通りね」
先程も言ったが、辺りには私達以外に人影はない。
「タクトの表示にタクトはいない。でも……」
「ええ、動いてるんですよ」
フィンは溜息を吐いて周りを見渡していた。
「どう言う現象かしらね?」
「心霊現象ですかね?」
「随分とデジタルな心霊現象ね」
今もマップに映るタクトの表示は動いており、まるでこの廊下を歩いている様に見える。
「眼鏡の生き霊が彷徨ってるんじゃないですか?」
「怖い話?」
「はっ。そこは面白い話でしょ?」
あれだけ幽霊を怖がっていたと言うのにね。
「それもそうね。面白い話が見えて良かったわ」
「これで十分ですか?」
「ええ。現象も見えたしね。一応、私の方でも調べるけど無理ならセーラが復活した時に問い合わせてみましょう。もしかしたら既存のバグかもしれないし」
「分かりました。では、私はアスランと合流して魔法騎士とやらを調べてきますね」
「ええ、お願い。私はもう一度リュウに会ってあの時代の事を聞くわ」
「お気をつけて、ローラ様」
「貴女もよ」
何がどう動くのか。
この先は誰も予想がつかないだろう。
私はフィンと別れて図書館に向かって歩き出した。
何も分からないなら、分かるまでにやる事が山ほどあると言う事だ。
出来ることから、こなして行くしか道はない。
いくら怯えていても致し方ないのだ。
私は、知らなければならない。
私が死んだ、あの後を。
しかし、決意ができたと言っても随分と気が重いのは間違いない。
出来れば、知りたくはない。
そんな心苦しさから思わず溜息が溢れでる。
その瞬間だ。
その溜息を戻す様に誰かの手が私の口を覆う。
「っ!?」
悲鳴を出す間もなく、私は空きの教室に引き摺り込まれた。
一体、誰が?
突き飛ばされる様に、教室の床に腰を打てば私をここに引き摺り込んだ男が扉に鍵を掛ける姿が目に飛び込んだ。
この後姿は……。
「おう、じ?」
そこには、ティール王子が立っていたのだった。
「ローラ……」
そして、その瞳は……。
「ここは、僕の夢じゃないっ! 君は、一体誰なんだ!?」
恐怖と言う名の奈落色に染まっていた。
次回更新日は11/11(水)となっております!お楽しみに!
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