第16話 誰かの為の物語

「どうやらその様だよ。えっと、ここは王子の夢の中なんだっけ?」


 あっけらかんとしたリュウの口調似思わず肩の力が抜けていく。

 自分が異世界転生をした時には、もっと不安やら何やらが湧いたと言うのにこの男は違うようだ。


「ここに住んでいると言うのならば、聞こえいましたか」

「住んでいる? 俺が? いいね。まだ、二日しか過ごしていないが、流石だよ。ローラ、名案だ」


 そして、もう一つの推測がどうやら当たった様だ。

 リュウがこの図書館にいると言うことは、私と王子の会話も聞いていた事になる。

 あれだけデカい声でやりあったんだ。上にいたリュウに声が届かないわけがないのはわかり切っているし、盗み聞きなんてしなくても、否応無く彼の耳には届いていた事だろう。


「あの時は煩くて申し訳ない」

「いいよ。丁度、違う本を探していたからね。此処は楽園かな? まだ見ぬ本がこんなにも山の様にある。人間、死んでみるものだね」


 矢張りか。


「……貴方も、死んだのか」


 死んでみるものだ。

 つまりは、そう言う事だろ?


「恐らくね。でも、楽園に来れた。これだけは盗賊にも感謝をしなければ」


 盗賊?

 では、リュウは盗賊に襲われて?

 アスランの話をフィンから聞いた時も思ったが、嫌なものだな。知人の最期を聞くと言うものは。

 例え、それが本人の口から聞いたとしても。

 しかし、随分と呑気なのものだな。

 こんないかれた場所が楽園だなんて。


「残念ながらここは、楽園じゃないわ。私が元いた、いいえ。貴方の時代から帰ってきた場所の副産物よ」


 アスランも死んだと言っていたとフィンが言っていた時から予想はしていたが……。

 恐らく、そう言う事なのだろう。

 自分にも一度起きた身だ。

 死に直面した人間の見る夢、と言えばいいのか。

 いや、夢とは随分と語弊がある。

 ここは夢ではない。先程私が言ったように現実世界の副産物に過ぎない。

 しかし、そうなれば少しばかり王子の発言がひっかかる。が、今はそこに集中を求める時ではない。


「副産物? おや? 答え合わせかな? 今回は、俺も仲間に入れてくれるのかい?」

「……気に入らなそうな物言いです事。再会を喜んでくれとは流石に言わないけども」

「それはそうさ。俺は少しばかり怒っているいんだよ。君が死んだ、あの二十数年前から、ずっとね」


 二十数年?

 既に向こうではそんなにも月日が?


「それは、私が死んだから、かしら?」

「勿論。それもあるさ」

「それ以外に?」

「ああ。念願の再会なのに君は些か不躾だね」

「こんな夜に訪ねて来たのが不躾なのは分かっているわ。その件については深く詫びましょう」

「そんなものは必要ないな。君は、少しばかり勘違いしているようだが、俺は君が王子の夢の君ならばもう一度友人になる気はあったんだ」

「今の私にはないと?」

「……意地悪な答えだ。一度愛した人からそんな言葉を吐かれるなんてね」

「私もよ、リュウ。一度友人になった人間からそんな言葉を吐かれるだなんて」


 何が気食わないのかは知らないが、随分ともの悲しいじゃないか。

 私のことが嫌いなら嫌いでいいし、受け入れられないならそれでいい。

 それは個人の自由だ。リュウが決めることだ。私の意志の介入なんてクソ程要らんものだろうに。

 しかし、彼の意図はそこにはない。

 なんと言えばいいのか。

 友人だから、好きな本を知る中だから、彼の書く物語を知る人間だから、理由はいくつかあるが、彼の言い回しには確固とした拒絶がない。

 最初の私たち二人の出会いの時に感じたあの威圧感と拒絶が。

 だからこそ、分かってしまうのだ。

 これは、拒絶ではない事を。


「リュウ、理由を言ってくれないと謝罪も何も出来ないわ。何が理由か話してくれる?」

「ローラ、君は変わったかい?」


 リュウの言葉に胸がどきりと跳ね上がる。


「君は、あのローラ・マルティスから変わってしまったのかい?」


 私は、ローラ・マルティスではない。

 今の私は、ローラ・マルティスになっている安田潔子だ。

 では、彼の前に立っているのは……?


「……変わったわ。ローラ・マルティスは死んだ。あの塔で、死んだ。あそこは、私の墓だ。ローラ・マルティスの墓でしかない。ここにいる私は、ローラ・マルティスではない。ローラの記憶を持った安田潔子でしかない」


 そうだ。

 私は、一時だけローラ・マルティスとして生きた女なだけだ。


「……貴方が待ってくれたローラはいない。そうね。御免なさい、そうね。私が貴方の友人のローラではない。友人を語るには随分と図々しい」


 認めたくない。

 しかし、これが真実だ。


「だから、君は少しばかり勘違いをしていると言っているだろ? 俺は、君にそんな顔をして欲しくないし、君を嫌いになったわけでもない。ただ、怒っているんだ。分かるかい?」


 リュウは呆れながら私を見る。


「……いえ、一ミリも」

「俺が君を怒る理由は? 気の置けない友が、こんなにも拗ねている理由は? 何も思いつかない?」


 何があるのだろうか?


「では、ヒントだ。ローラ、君は心優しい俺に感謝をしてくれ。僕は君を愛すると共に、生涯の友だと思っている」

「あ、有難う」

「ヒントは終わってないよ。では、物語で信頼のおける仲間が、友が、酷く怒る事はどんな時だ?」


 どんな時って……。

 そりゃ、色々あるでしょ? 範囲が広すぎる。

 何だ、そのヒントは。


「仲間が、友が、何故愛してやまない主人公に対して怒りを抱く?」

「嫌いに、なったから?」

「愛しているし、生涯の友だと思っていると言っただろ?」

「勝手に死んだから?」

「それは怒っている一つであり、全てではないし、あの時の君の死はこれでも君の犠牲で成した平和を誇りに思う事もあるぐらいには、受け入れているつもりだよ」

「告白の返事をしていないから?」

「してくれるなら喜んで。でも、それは欲しがるものではない」

「後は」


 後は……、あっ!


「約束を、破っているから……?」

「正解だ、ローラ。俺は君の物語を書くと約束した。そして、君は必ず読んでくれると。その約束は、何処に行った?」


 そういえば、そうだ。

 いや、でも……。


「私、死んでるし」


 守りたいのは山々だが、既に私は塔の下敷きだ。

 いや、現在は掘り起こされて悪趣味な棺桶にいるのか。

 しかし今はそんな事はどうでもいい。


「守りたくは、あるけども。流石に死んでる人間に本は読めないでしょうに」


 その事実だけで十分だ。


「そうだ! だから、俺は百歩譲って、君が再開した時に本の事を聞いてくれるか読みたかったという言葉が欲しがった!」


 面倒臭い作家友達かよ。

 でも、なんと言うか……。


「リュウらしいな。御免なさい。死んだ事に忙しくて、すっかり忘れていたわ」


 気取って出て来たが、そんなものはいらなかったな。

 リュウと私は本があればいい。

 物語があればそれでいい。

 それだけで、何度でも友達になれるのだから。


「君って奴は! 俺がどんな気持ちであの本をしたためていたのか分かってないな!?」

「死んでしまったものは致し方ないわ」

「死んでも、君は俺の物語を読まなければならないんだ! 約束しただろ!? 何故俺の本が手元に無いんだ!」


 そればっかりは仕方がないだろ。

 お互い死んだ身なのだ。

 いくら棺桶にたくさん詰め込んだ所で届くものでもなかろうに。


「読めないなら仕方がない」

「仕方がなくないっ!」


 子供かよ。

 でも、リュウはそれでいい。

 私を愛していても、恋人になりたいと言ってくれても、私達の間には常に本があり、友情があり、それが楔なのだから。

 仕方がない。

 一つ、この友に知恵を貸そう。


「貴方の一番最初の読者は私でしょ? 本はないけど……、作者がいるのだから。お話、聞かせてよ」


 口があるのだ。

 耳があるのだ。


「夜は長いんだ。友よ、ゆっくりと話を聞かせてくれないか?」


 物語は目で追うだけの嗜好品ではないだろう?


「……君は、いつも狡い。仕方がない、ここは君の提案に乗ろう」

「狡くないままで生きてこられなかったからもの。さあ、今宵の話を聴かせてよ」

「……仰せのままに」


 心地よいリュウの声が、私の隣で色付き始める。





「それは、流石に、美化し過ぎでは……?」


 リュウの物語を聞いて、私は思わず顔をしかめた。


「そうかな? 事実に基づいた物語だと思うけど」

「いや、全然違うでしょ? 何だ、その聖女みたいなローラ・マルティスって女は」


 少なくとも、自分の周りには見ない類の女だぞ?


「現実はそんなもんじゃないだろ。ローラだぞ? 私だぞ? 色々リュウも身近に見てたでしょ? それに、知恵の女神って何だよ。私は、ただ未来を……」

「だってしょうがないだろ? 俺達に君は答え合わせを何も為ずに去っていってしまったんだから」

「……」


 そうだ。

 私はあの時代で、彼にも、残った者達に何一つ私の事を話していなかった。


「君は、俺達に何も残して行ってくれなかった。君と言う、思い出だけだ」

「……そう、だったわね」

「君が言いたくないなら、俺は言わなくてもいいと思っていた。君が気が向いた時にでも、そう考えていたからだ。でも、そんな時はいつ迄経ってもやって来なかった」


 それは、私が死んだから。

 あの塔で、あの剣に貫かれて死んだから。


「余りにも短すぎた。君がいた季節が」


 まるで、駆け上がるようにローラ・マルティスは天国の扉を開けてしまった。

 人生が漸く色を持ったと言う時に。

 休む暇もなく、彼女は死への階段を登り続けた。

 それは、本人である私が一番よく知っていた。

 彼女の人生は、一体何だったんだ?

 考えなかった訳ではない。

 何の為にと言われたらアリス様の為だと言える。けど、一体何か。そう問われれば、私は首を捻ってしまう。

 それ程迄に、彼女の人生は薄く長く、短く濃くを繰り返していたのだ。


「……話は文句なしに面白かった。でも、現実はどんな小説よりも奇なりなものね。良かったら、次は私の話を聞いてくれる?」

「……今更?」

「そう、今更」


 私は、リュウの手を握る。


「信じてって言わなくていい世界だから。貴方を巻き込んで、苦しまなくてもいい世界だから。言ったじゃない。私は、狡い女なんだ。だから、今更だ」


 別に聞かなくてもいい。

 罪滅ぼしのつもりもない。

 だけど、もし、彼の中でこれが蟠りになっていたらと、考えてしまう。

 自分だけ、何故話してくれなかったのか。

 少しでも、思うところがあるなら。


「私の、ローラの名を語る安田潔子という名の女の小説のような話を」


 それが、彼が死んだ後でも。


「小説と言われて、黙っていられる性分ではない事は君がよく知っているだろ?」


 否定も肯定でもない疑問に、全てが詰まっている。


「それも、そうね」


 知らない仲ではないんだ。

 もう一度友達からやり直す必要なんてない。


「では……」




「あの時聞かなくて正解だったかもな。俺は間違いなく君を否定していたと思う。逆に、君に盲信しているフィシストラ嬢はさて置き弟王子とタクトが良く信じたものだな。感心するよ」

「恐らく、リュウの回答が一般的でしょうね。私も何故二人があんなにも受け止めてくれたか謎でしかないわ」


 今思い返せば、あまりにもスムーズすぎやしないか?

 こんなにも現実味がない話だと言うのに。


「この歪な空間に入り込んだ今だこそ、君の言葉を信じれるが、面と向かって話されていたら馬鹿にしているのかと思うよ?」

「話している私も同じ気分だから分かるわ」


 全く持って、賛成だ。


「そして、ここが君の時代のゲームの中ねぇ……。俺が生きている時代からは数百年は先なんだろ? 可笑しな話だよ」

「その数百年先から、私は貴方達の時代に生まれて来たんだけどね。可笑しいでしょ?」


 笑い話だとでも言いたげに語れば、リュウは首を傾げると、私を見る。


「何?」


 何か顔に付いているのか?


「いや、君の話を聞く限りだが……。俺は死んでいないのか?」

「え?」

「君は、生死の境を彷徨った時に、俺たちの時代に来たのだろ? 今、それの逆が起きているんじゃないか? 俺達が生死の境を彷徨って、ここに来てる。つまり、完全に死んでないんじゃないか?」

「あっ」


 成る程。

 確かに、理にかなっている。

 いや、この事態が理もクソもかなってないが。


「でも、俺は無理かな。あそこで生きてたとしても良くて動物達の餌だよ。何もない森の中だったしね」

「領地内の森?」

「まさか。俺は今、世界を見る為に旅をしているんだ。砂漠も越えて、海も見たよ」

「まあ! それって、国外追放……?」


 そう言えば、リュウの実家は家督争いが起きていたとランティスから聞いたな。

 確か、腹違いの兄が正妻の息子だと……。


「まさか! 誰にされるんだい? 君じゃあるまい」

「失礼な事を言うじゃない?」

「あれだけ王族に歯向かってたじゃないか。今はいい思い出だね」

「好きでやってた訳じゃないって、説明したばかりよ?」

「はは、冗談だよ。あの時の君はかっこ良かったからね。小説でも上手く再現できてたと思うよ?」

「まったく……。家は大丈夫なの?」

「家? ああ、父は既に他界してね。今は兄が全てを取り仕切っているよ」

「お兄様って、お身体は大丈夫なの?」

「どんなに昔の話を……と、言っても君の死後か。そうだね。兄は元通り元気になったよ。それをみて継母も……」


 確か、前当主が身分違いの女に孕ませたのがリュウだよな?

 継母との確執も酷いと聞くし、矢張り体良く思い出されたのでは?


「頗る元気になって、旅先で手紙のやり取りをしているよ。俺が本を出した時も凄かっなぁ。ありったけの本を皆んなに配るし、流石の俺も恥ずかしかったよ……」


 ん?


「……それって、継母の話よ、ね?」

「うん。いやあ、うちの継母も本が好きでね。前に話さなかったかい? 俺に最初に渡した本がロズ氏の本でさ」

「それ、継母だったの!?」

「うん。彼女が言うには、実母にはこんな思いがきっとお前にあって捨てた訳ではないし、私も同じ気持ちだと言いたくて渡したらしいんだけど、あの人本当に不器用だよね。手紙とかは饒舌なのにさ」

「え!? でも、継母と確実があったて……」

「ああ、その噂ね。まあ、ないと困る大人が山程居たんだよ。君も知ってる様に、貴族の噂なんてそんなものさ。俺と母さんはずっと良好な関係を保ち続けてるよ。何たって、あの人が俺の最初の本友達だからね」


 そう言って、リュウが笑う。

 成る程。

 どうやら、恋愛小説を読むのが女だけだからと女子生徒に狙いを定めていた訳ではないらしい。

 彼なりに、きっと彼が尊敬する継母の姿を無意識に探していたのだろう。


「うちの継母は、外見がキツそうだし言葉数も少ないから誤解される事が多いが、彼女程の子供好きを見た事はないよ。いくつもの孤児院を支援しているし、その子達にも愛情を持っている。俺もそのおかげで子供の扱いに自信があるんだ」

「あっ」


 何だが、ストンと落ちた気がした。

 いつしか、リュウが私を泣かせた時に子供を扱う様に慰めてくれた時。

 あれは、彼が継母の影響で孤児達を慰めていたからこその技ではないだろうか?


「何だい?」

「あ、いや……」


 まさか、互いの死後にこんな事実を知るとは。

 いや、しかし、それでいいか。

 知った所で、知らなかった所で。

 私達二人には何の変わりもないからな。


「……リュウ、結婚は?」

「勿論、君がいるのにするわけがないだろ? これでも、本気で待っていたんだから」

「言い訳に体良く使われたという事だけはわかるわ」

「ははは。いいんだよ。俺には家族を作って守る、それよりも物語を書くという使命の方が大切だからね。それに、兄の子もいるし、孤児院の子もいるし、アリスの子もいるからね。子供には事欠かないよ」

「……え?」


 今、アリスって……。


「ん?」

「アリス様が、ご結婚を!?」

「あ、うん。そうか、知らなかったか」

「それは一体、誰と!?」

「誰って決まってるだろ?」


 リュウは首を貸しで私を見る。

 わかっている。

 決まっていても、これは可笑しな話になってしまう。

 そんな一抹な救いを求める私に、彼は残酷に真実を伝えた。


「王子だよ。アリスは、妃になったのさ」


 現実はいつだって、残酷なのだ。





次回更新は9/14(水)の12時を予定します。

お楽しみに!

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