第15話 誰かの為の愚かな法則
前提として、この世界に魔法と言うものは存在しない。
ゲームの世界と言えど、根本にあるのはあの時代だからこそ。
そう考えれば、ここも現実と陸続きの現実なのだ。
その世界で唯一許されていたのが、女神の加護があると言われていたアリス様の能力である。
夢で未来を見る奇跡。
奇跡と言う魔法の様な能力。
しかし、現実は余りにも残酷だ。
彼女の中には、そんな能力などありはしなかった。
当たり前だ。
現実なのだ。
何処まで行っても、現実が闊歩している。
そんな場所で魔法などと言う夢みがちな存在が許される訳がない。
全てはこの学園の長であり、現国王の弟である学園長が見せた長い夢の中の話。
そう、文字通り、夢の中の話。
要は、でっちあげだ。
彼は幻覚剤を使い、アリス様がまるで未来を予知しているかの様な情報を与え続けた。
彼女は幻覚剤を使われて夢と現を彷徨っている間に聞いた情報を夢の中で見たと出来事と認識し、先見と言う能力だと思い込んでいたに過ぎない。
ただそれだけの事。
だが、これは現実で分かったこと。
あの時代のあの場所にいた人物だけが知る話。
ゲームの中では、その事実は決してアリス様にもプレイヤーにも告げられることはなく、幕を閉じる。
つまり、だ。
「現状で魔法と言う単語から唯一連想できるのが、アリスという訳ですか」
「ええ。可能性は極めて高い」
今、リドル率いる騎士達の情報は、私たちの中では魔法という単語しか存在しない。
その単語から連想できるの、また一つだけ。
勿論、当てが外れる可能性もそれなりにあるが、わざわざ魔法を付けてくる辺り、近からずも遠からずだと私は見ている。
「しかし、アリスはあの時代のアリスが来ている。つまり、魔法など使えない」
「そして、ここの学園長もアリス様に幻覚剤を投与するとは思えない。もし、アリス様の先見の力……、魔法適性の様なものの視察に来られたとしたら、不味いわね」
考えてみて欲しい。
あの時代を知っているのなら、わかるはずだ。
あの時代の歪なルールを。
「虚偽に当たる、か。しかも、表沙汰にはなっていないが、アリスは女神の加護を国王に認められてこの学園に入学している。最悪打首。良くて国外追放ですかね?」
「恐らくね」
アリス様に奇跡は起こせない。
当たり前の事なのに。
しかし、それは白日の下に晒されてしまえば国王を欺いたと言う罪に変わってしまうのだ。
あの方は普通の女の子なのだから。
魔法なんてあるわけがないだろう。
正論をいくら並べたところで、彼女の首が落ちるのを止められるわけがない。
なんたって、そんな事が曲がり通る時代ではないのだから。
「ローラ様はそれを回避したいと?」
「勿論。アリス様が打首なんて冗談じゃないわ」
一度はアリス様の為に捧げた命だ。
そして、何より、今ここにいるアリス様はあの時代のアリス様である可能性が高い。
彼女は今、シャーナ嬢といる。
彼女にとって、ここはあの時代で叶わなかった夢の続きではないか。
「アリス様の幸せを邪魔だてしようだなんて、許される訳がない」
シャーナ嬢はアリス様を思い、アリス様の為に身を捧げ、彼女を守って死んでいった。
シャーナ嬢としては本望だろう。
彼女は誰よりもアリス様を思っていた。
しかし、それはアリス様も同じ。
だからこそ、アリス様はそうじゃない。
幻覚剤で正気を失っていた彼女には本望なんて、用意すらさせてもらえなかった。
彼女は残された側人間だ。
愛する友人に守られて本望だなんて思えないだろうに。
しかし、だ。
アリス様には申し訳ないが、これは建前に過ぎない。
「と、言いたいところだけど、目的は別の所ね。アリス様がもし、罪に問われると言うバッドエンドになってしまえば、この世界はどうなるか分からない」
「何故?」
「あくまでも、ここはゲームの中。そして、主人公はアリス様よ。彼女が、この物語の主軸だ。主軸が死んだらどうなる?」
「バッドエンドのエンディングが流れますね。でも、ゲームはリセットされるのでは?」
「そうね。でも、そうされなかった場合のリスクを考えると、バッドエンドはブラックホールよ。私達が助かる唯一が正常処理、つまりハッピーエンドのエンディングをみる事であれば、唯一の道が閉ざされたと行ってもいい事態になる。それに、最悪エンディング後の世界が続く可能性を視野に入れるのであれば、主人公不在は不味いわ。物語が、破綻していくだけじゃない。この世界そのもの存在意義まで破綻していく。そうなれば、あの名前を持たない教室の暗闇を私たちは彷徨う事となるでしょうね」
先が読めない今、一つでも可能性を潰すのが惜しいのだ。
「本来なら、純粋な奉仕精神を持ち出すのがファンの鏡だろうけど、今はそんなことは言ってられないわ」
「……わかりました」
フィンは私を真っ直ぐに見つめる。
「では、どうしますか? 我々が彼女に幻覚剤を打ちますか?」
フィンは笑いながら私に問いかける。
全く持って、分かっているじゃない。
「挑発的な言葉ね」
「でも、それが一番適切でしょ?」
そう。
フィンの言う様に、現実的に考えるのならば我々が学園長の後釜に嵌った方が今回の件についてはスムーズに問題は解決される事だろう。
そして、それが恐らく平和的解決の唯一の方法だ。
だが……。
「そうしたいのは山々だけど、一つだけ問題が浮上してしまうのよ」
「問題? アリスの健康面やら精神面やらですか?」
「……正直、それぐらいの事なら問題視すらしないわ。魔法の正体がわからない今、少しでもリスク回避を行わなければならないもの。それよりももっと根元的なものよ」
「……いいですね」
「え?」
何がいいのだ?
私が振り向けば、フィンは口元を隠している。
しかし、私には分かる。
フィンは今、笑っているのだ。
それも、先ほどの私の様に。
この狂った状況を心底楽しむ様に……。
「フィン」
「分かってますよ。だから、隠した。ローラ様もそれがマナーだと思われて私のいない場所で同じ笑を浮かべていらっしゃっていたのでしょ?」
ゴクリと喉が鳴る。
嗚呼。
嗚呼。
どうしようもない。
本当に、私達という人種はどうしようもない。
あの快感が忘れられない。
死と隣り合わせで、いつでも命を投げ出してきたあの瀬戸際のスリルを。
いつでも死ぬ覚悟を持って向かった戦いを。
フィンは最愛だった男と戦った苦しみを、私は腕を失った痛みを。
それらを持ってしても、拭いきれない程の胸の高鳴りに。
私達は、心底スリルに狂酔しているのだ。
何度も思い出す。思い出すたびに脳を熱く燃やし胸が震える。命をかけるべき、戦いに。あの興奮に。あの快感に。
一度死んだぐらいでは治らない。
生まれ変わったぐらいでは、消せない狂気の沙汰に今も今かと舌を出しては待ち望んでいる。
同じ穴の狢だからこそ、分かる。
分かってしまう。
お互いを。
お互いが。
「……ええ。そうね。その通りよ、フィン。だから、その笑みを最大限に隠しなさい。私の様に、私達二人以外に悟らせてはいけないわ」
「何故? それは現世のマナーで?」
「まさか。私が黒幕だったら、最高の食材だと思うからよ。悪用されるわ。私なら、する。こんな二人のとち狂った人間を、見逃すなんて出来ない。最高の逸材じゃない。狂気の利用なんて、最高の使い捨て素材よ。だからこそ、最大限に使い捨てる。私は確かに、この空気は好きだけど、好きでもない奴に利用されるのは心底嫌いなの。フィン、貴女は?」
「私も、ローラ様以外は論外ですよ。貴女と同じだ」
「ならば、慎みなさい。慎みを持って、狂いなさい。私も、慎みを持って楽しむのだから」
まだ、こちらのカードは万全とは言えない。
闘う戦わないではない。
そのカードすら、私の手元にはないのだ。
私が好きなのは、そうじゃない。
無謀な戦いなんて、勝算もない戦いなど最早それは戦いとは呼べない代物になる。
「それに、何も今があの時代の様な事が起こるとは限らないわけじゃない? 期待しすぎるのもよくないわ。肩透かしを食う前に、欲は最小限に抑えておきましょう?」
「そう、ですね。で、何故アリスに薬の投与が出来ないと?」
「彼女が事実を知っているからよ」
簡単な話だ。
「あの魔法は、彼女が自覚してしまえば簡単に解ける魔法よ。思い込みと言う上で成立しているんだもの。もう、タネも仕掛けも分かっている今、あの時の再現をした所で彼女が正気に戻れば意味がない。彼女は速やかに過去との状況を比較させて答えを出す。だからこそ、再現は不可能」
あれは、一種の魔法であった。
夢の魔法だ。
本人すら、思い込んでいれば無限に利用できる魔法なのだ。
しかし、簡単に解けてしまう魔法でもある。
それも、文字通りに。
「成る程。確かに、あの時代のアリスであれば通常の薬が効かなくなった程の経験を持ってる」
彼女には比較できる素材が揃いすぎているのだ。
今更、学園長の二番煎じをやった所で無意味なのはわかり切っている。
「ええ。よって、その作戦は不可能」
「ならば、普通にアリスに頼んでみるのは如何ですか? 薬もないしリスクもない」
「フィン。それこそ、リスクだらけよ。彼女は嘘をついていると自覚した状態になる。綻びが現れる。しかも、周りには真実を知っている人間が多数いる訳だし、彼らもまた嘘をつかねばならない。大人数になればなるほど、都合が悪過ぎる。そんな絶望的な状態でのリスク管理なんて現実味がない」
「成る程……。では、どうしますか?」
「カードを揃えるしかないわね」
私は己の手を見る。
「今、私の手元にあるのは、悪役令嬢、その騎士に元システム管理者。この三枚。フィンはこの三枚でこらからの事態にどれだけ対応できると思う?」
「弱いな。初手なら全て変えた方が賢明では?」
「あら、名案ね」
素敵な提案だ。
その中に己の主人も入っているというのに。
彼女の優秀さはそれすらも正しく判断できる所にある。
確かに、この初手は最悪の初手と言っても過言ではない。
「けど、捨てるにしては全てが惜しい」
「日本の勿体ない精神とやらですか?」
「日本人だものね。否定はしてないけど、それ以外の打算を込みでね」
確かに最悪なカードだが、何も悪いだけじゃない。
「何もカード単体で使わなければならないルールなんて、ないもの。使う場所、組み合わせ次第では良くも悪くもなる。けど、その為には我々にはカードが足りない」
「使う場所が存在すると?」
「フィールドなんて、幾らでも。私が用意する。その為の、ローラ・マルティスよ」
言っただろ?
私の存在意義は、智略だ。
それ以外に担い手がないのだから、それに全力を注がせてもらうさ。
「……成る程。では、カード集めが最初の仕事という事ですか?」
「そうなるわね。だから、フィン」
私はフィンの長い髪を触る。
「今から言うのは、命令よ」
良くお聞きなさいな。
隠し事が下手な、私の騎士様?
「王子が私の死体に何をしようが、今は興味の外だな。死体よりも、今の命の方が大事だからこそ、比べてしまえば価値が下がる」
今聞いても、きっとへー。ぐらいの感想で終わってしまう事だろう。
「何だって、私は今、あの時代の執着の呪縛から解き放たれているのだからな」
戻りたい理由が、ここにあるのならば、わざわざありがあの時代に戻る必要性など何処にもない。
「それに……」
それに。
「あの程度の狂気が何だと言うのだ。狂ってるのは、私の方だろ?」
死体と仲良くしていた方が、随分と健全だ。
たかが死体よ。
「なあ、そうとは思わないか? 我が友よ」
暗闇にランタンひとつをかがけた図書館の中で、私の声は嫌に響く。
食堂で別れたフィンは、今頃何処を駆け回っている事だろうか。
しかし、そんな心配は今は必要ない。
私は、私の仕事をやらねばならない。
暗闇は、静寂に包まれている。
私の足音しか、声しか聞こえない。
でも。
耳を澄ませば聞こえてくる。
彼の音が。
「我が友よ。暗闇はでは何も見えないだろ?」
図書館の奥へ進み、私は靴を鳴らして階段を上る。
ここは暗い。
光ひとつない場所だ。
しかし、そんな中で貪る様に身を潜む人間が何処にいるかなんて一つしかない。
今夜は満月。
月がこちらを見ている。
「貪るな、貪るな」
己を焦がす様に、貪るな。
「急ぐな、急ぐな」
ゆっくりと。
「まだ時は、開けたばかりだ」
今はまだ。
「再開であり、再会である今を喜ぼう」
階段を登った先には大きな窓が並んでいる。
月明かりが照らす、本の群れ。
そこに佇む一人の男が、本を開いたまま月を見上げている。
「再び幕が上がるのを喜ぶ程の若さもないのに?」
私の事など見ずに、男は続ける。
彼が愛した本の一文を。
「幕が上がってしまった事を、嘆かないのであれば。そう、ピエール・クリスは吐き出した」
私が返せば、男は小さく笑った。
「あの時は、あれが新作だったね」
長い髪をかきあげながら。
「あらあら。酷く昔の話でしょうに。覚えてらっしゃるの? では、題名は?」
「『雪に花咲く』、だね」
「ヒロインは?」
「ナスティー、だよ。彼女は実に愚かで美しかった。まるで、僕と君の様にね」
「なら、ロズ氏の最初の作品である『井戸の中の薔薇』の結末は覚えていて?」
「主人公が井戸の中に落ちて、母の夢を見ながら死ぬ。実に残酷で実に現実的な最期だよ」
「では、その母親の名は?」
「ジャスミン・ローズ・マリアナル・サンケット・マジャスティーナ。俺の初恋の相手さ」
男は本を閉じて立ち上がり、私を見る。
「どうだい? 僕は、合格かな?」
「あら嫌だ。こんなやり取りも覚えていらっしゃるのね」
男が、いや、リュウは私に手を差し出した。
「勿論。また、ここで君と友達から始めたいからね。愛しのローラ・マルティスと」
「矢張り、貴方も私が知ってるリュウなんですね」
私はリュウの手を取り、彼に笑いかける。
久しいな。友よ。
これ程までに貴方との再会を喜べる事に感謝するべきか。
王子、アリス様達にアスラン。
この四人があの時代から来たと言うことは恐らく……。と、リュウのいる図書館を訪ねたが、矢張りか。
どうやらこの世界、随分と頭の悪い規則がありそうだな。
次回は9/29(水)に更新予定となります。
お楽しみに!
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