第7話 誰かの為の虚構の教室

 何故?

 あの時代に、あの場所に居なければ、知り得ない情報だろ?

 どういう事だ?

 誰かが教えた?

 プログラムに?

 しかし、このゲームに関わっているのは、この秘密を知る四人ではない。

 ランティスやタクトは不可能。よって、彼等の仕業ではない。

 セーラが?

 確かに、セーラはあの時代の私とコンタクトを取れる立場にいた。彼女が私を介して知り得た知識か?

 一番高い可能性といえばそれ以外は存在しないだろう。

 しかし、それは随分と無理がある。

 セーラの言い回しでは、私が昏睡状態になってしまったあの時代と現代を彷徨っている時にしか私にアクセスは出来なかった筈。

 あの時、わたしは昏睡などしていなかった。

 勿論、彼女にも伝えた覚えがない。

 それはつまり……?


「ローラ様? 如何されました?」

「フィン! メニューにログってあるわよね!?」

「え、ええ。ありますよ」


 ログとは、ゲーム内で過去の会話をもう一度遡り読める機能だ。


「先程の会話を……」

「お姉様、どうなされたのですか? ログは基本イベントの会話のみです。先程の会話は不可能です」

「……っ」


 なんて事だ!

 いや、落ち着け。

 考えろ。

 冷静に、考えろ。

 会話だけ見れたところで、あの仕草が確認できる訳ではない、か。

 となれば、ログが見えた所で意味はない。

 糞野郎。

 何でもできるゲームの中だと言うのに、酷くもどかしい。


「どうしたのですか? 明らかに、悪い方向で顔が曇ってらっしゃいますよ」

「……フィンは去りゆくアリス様とシャーナを見た?」

「いえ? それが何か?」

「そう……」


 落胆するな。

 顔に出すな。

 今、それを伝えた所で、下手に混乱を招くだけだ。

 私でさえ、混乱しているのだから。

 昨日の王子の一件があった事を、既に忘れたわけでは無いだろう?

 この世界は今、不安で要素で満ちている。

 今、私は二人の不安を煽るような言動はすべきでは無い。

 落ち着け。

 落ち着けよ。

 冷静になれ。

 大体、前提がおかしいだろ。

 あの仕草を、知っていて彼女達がしてくれた。その前提が、先ずおかしかろうに。

 そんな事があるはずが無いだろ。

 何を言っているんだ。私は。

 ここは現代のゲームの世界。

 そんな事が起こるはずが無いだろう。

 見間違え、いや、偶然。

 偶然に偶然が重なった産物である可能性だってある。

 偶々、偶々二人のタイミングが合ってしまった。

 握り拳を作る事だって、意地悪なローラの前で緊張していたからかもしれない。

 深い意味を探る必要はないかもしれない。

 寧ろ、その可能性が高いと言うのに。


「……御免なさい。何でもなわ」


 私は無理に意味を考えようとしているのではないだろうか。

 そうだ。

 私は、都合の良いようにすべてを解釈しようとしている。

 違う答えを出さそうとしているだなんて……。

 愚かにも程がある。


「勘違いだったみたい」

「勘違い? 何がありましたか?」

「何も。ほら、二人とも部屋に戻りましょう。楽しい新学期の幕開けなんだから」


 こんな姿を誰にも悟らせたくない。

 これがプライドと言うものだろうか。

 あの時代に生きたローラなら、澄ました顔で駆け抜けるぐらいはしただろうに。

 何故、今の私にはそれが出来ない?

 あんなもの、馬鹿の様に過去に、いや。あの時代に縋る自分が見せた幻だ。

 そんなものに。

 そんなものに縋り付かなきゃいけないぐらい、私は過去に囚われているのか。

 情けない。

 ああ。

 私の中で髪も短く、片腕もない。それでも、前を向いて突き進んだあの時のローラ・マルティスが私を見下す。

 今のお前は、私ではない。

 まるで、そう言ってるかの様に。




「クラス、か」


 そう言えば、そんなものあったなぁ。


「アリスとは違うクラスの様ですね」

「そこは、現実でもゲームでも、シナオリ通りなのね」

「同じ方が良かったですか?」

「いや、大丈夫。授業に特別なイベントないし、このままでいいよ」


 でも、次回があるなら是非変えてくれ。

 漸く、先程の混乱が落ち着きを取り戻してきてくれたのだ。

 今は、アリス様達に近づかない方が賢明だろうに。


「あ、リュウもいないけど、アスランがいるや」

「ええ。私もいますよ」

「お姉様! 私も!」

「はいはい。あ、王子もいるじゃん」


 そう言えば、ゲーム内ではアリス様とクラスが別表記があった様な気がしたな。

 会いたくはないが、これは不可抗力だろ。

 極力近づかなければ問題はないはずだ。


「邪魔ですね」

「クラスが一緒ぐらいで邪魔とは思わないわよ。それに、王子が居ようとも何だろうが、今の私には関係ないしね」


 王子に構わなければならない程、暇ではないのは間違いない。


「一時間目は何? 教材の買い物? 一列に並んで教科書とか取りに行くの?」

「貴族がですか? それはある意味見ものですね」

「そんなものないです。王族貴族ですよ? 既に教材は配布されていますし」

「そうなの?」

「昔は教科書なんて無かった様なものですし、時代は変わりますね」

「国も変わってるしね。セーラ、このまま教室に行けばいいの?」

「はい。大丈夫ですよ」


 日本の二十年ぐらい前の片田舎の文化と比べるにはどうやら荷が重すぎたようだ。

 教室の場所をセーラに案内してもらいながら私達は歩き出す。

 道には桜が咲いているのを見ると、本当にここはゲームの中なのだなと実感が湧いてきた。

 可笑しな話だ。

 もう二度と会えない人間に会うよりも、無いものが当たり前の風景に溶け込んでいる姿を見る方が現実では無いことを実感させてくれるだなんて。

 人間なんて案外と薄情なものだな。


「日本人は桜が好きですね」

「貴女も今は日本人でしょ?」


 はしゃぐセーラの後ろを追いかけながら、フィンの言葉に小さく笑う。


「フィンは好きじゃないの?」

「ええ。お察しの通り。大嫌いです。けど、日本人は何かと桜に紐付けてくれる。どうやら、あのメガネたちも日本人になってしまった様だ。元同じ国民としては物悲しいですね」

「珍しいね。桜の花が好きじゃないなんて」


 フィンの言う通り、多くの日本人は桜の花を愛している事だろう。

 と言うよりも。

 花全般、一品種を嫌っている人間の方が少ない。

 多くは花は好きか興味がないかの二択。

 嫌うと言う選択肢がある方が随分と珍しい話だ。


「ええ。大嫌いなんです。本当に、忌々しい花だ」


 綺麗な横顔が曇っていく。

 何が彼女にそう思わせているのだろうか。


「忌々しい気持ちは分からないけど、寂しい花ではあるよね。出会いと別れの象徴の様に扱われるしさ」


 嫌いと言うよりも、物悲しい。


「……ええ、本当に。ゲームでも何でも、桜に結びつけ過ぎですよ。春の花は桜ばかりではないと言うのに」


 自惚れかもしれないが、私の言葉でフィンが少しだけ顔を和らげた気がする。


「あら? フィンは花が好き?」

「好きか嫌いかなら興味ないです」

「好きか嫌いかじゃないよ、それは。私ね、百合の花好きだよ」

「百合? 意外です。ローラ様はもっと可愛い花が好きかと」

「可愛い花も好き。植物とか全然詳しくないけどね。けど、百合が一番好き。かっこいいじゃん? ピンと背を伸ばして、強くて、凛としてて」

「はぁ」

「昔から好きだけど、今はもっと好き。フィンみたいだよね?」


 まるで、それは私の騎士の様な姿を見せる花が好き。


「……はは」


 フィンが少し笑う。


「今し方、私も百合の花が一番好きになりました」

「現金っ!」

「何とでも」


 少し誇らしげで嬉しそうな顔をしながら、フィンが優しく笑う。


「そう言えば、知ってる?」

「何をですか?」

「桜の木下には死体が埋まっているのよ?」


 だから、あんなにも綺麗に咲くの。

 そう続ければ、フィンは小さな溜息を吐いて私を見る。


「梶井基次郎ですか?」

「あら、博識ね」


 どうやら、フィンは知っている様だ。


「今世では真っ当な学生ですからね。騎士としては要らん知識ですよ」

「昔は、本は読まないと言ってたものね。随分と懐かしく感じるわ。確か、私の腕が斬られた前に話してたのよね?」

「……ローラ様が大物過ぎて偶にドキリとさせられますよ、本当に。ええ、あの時代に私にとっては本など必要ではなかった。必要のないものは個人の判断で捨てられた良き時代だ。だが、今では私も本を読みますよ。まったく、窮屈で堪らない」

「読書感想文とかあるしね。でも、楽しいでしょ?」


 本を読むことは良いことだと。

 そんな陳腐な言葉は言わないが、楽しき事であるとは思って欲しい。

 本を愛し、本に少しでも救われた人間としては。


「楽しい?」

「あら? 楽しくない? 知らない世界に触れらる事を私は楽しむけど?」

「いや、文字の羅列としか思えないです」

「そっかー。それは……」

「お姉様ー! 何を遊んでおられるのですかー!?」

「あっ、セーラが怒り始めちゃった。もう、セーラが歩くの早過ぎなんだよー?」


 私の後姿を見ながらフィンが呟く。


「怖いから、嫌いなんですよ……」


 桜も、本も。

 怖いから、嫌いなのだ。


「フィン?」


 私が振り向けば、いつも通りのフィンがいた。


「早く歩かないと、セーラに怒られちゃうわよ?」

「ええ、今に」

「もう! お姉様方なにをされていたのですか! 私の話、聞いてましたか!?」

「いや、全然」

「なんか言ってるぐらいは分かった」

「少しは悪びれて下さいましっ!」


 セーラが頬を膨らます。


「ごめんごめん」

「大切な話をしていた言うのに……。いいでしょう。また一から説明致しますわ」

「大切な話?」

「はい。この校舎についてです。フィンさんのメニューにマップがあると思いますが、開けますか?」

「ああ、開けますよ。ゲームにあるマップと全く同じマップですね」

「私も見たいんだけど?」


 私一人、何もないんだけど?


「お姉様は我慢を……」

「紙媒体でもいいから欲しいよ? よく遊園地とか動物園とか入り口で貰うじゃん。あんな感じの」

「パンフレットですね」

「作り出すことは可能ですが……、これからの事を考えるとお姉様にもある程度は便利ツールが必要ですね。そうだ。画面共有しますか」

「仕事か」

「まあまあ、そう仰らずに。フィンさんの視覚情報をお姉様の目に写しますね。これからこの機能もいると思うので、フィンさんに画面共有機能を付けます。余り長い時間は無理ですが、数分なら賄えるかと。フィンさん、メニューバーに共有機能のボタンを付けました。使えますか?」

「ちょっと待ってくれ」


 フィンは眼帯を外すと、赤い眼球がクルクルと動く。


「ありますよ」

「押下お願いします」

「はいはい」


 フィンの指は何もない空間に指を滑らすと、押す動作を行った。

 その瞬間だ。


「わっ!」

「どうです? お姉様」


 私の右目に見慣れたメニュー画面が映る。


「どうなってるの? これ」

「ローラ様の黒目が、赤色になってます」

「はい。これが、共有出来ている状態です」

「わー。何これ、凄い!」

「マップ開きますね」

「お姉様側からの操作はできないので、ご注意を」

「本当に共有だけなんだ」

「ええ。操作権限の譲渡も入れたかったのですが、上手く入らなくて……」

「いいよいいよ。有難う」


 何というか、新鮮だな。

 本当に、魔法が使えているみたいな感覚だ。


「マップ開きました」

「見える見える」

「はい、では説明を続けますね。そのマップで移動可能エリア以外の教室や部屋にはくれぐれも入らない様にお願い致します」

「え? 何で?」

「扉はありますが、中は作ってないからです。目に見た方が分かりやすいか……。では、ここにある扉を開いてみましょう。一階にあるこの空き教室は移動可能エリアにはなってないですよね?」


 私達がいる廊下の隣に入れるエリアは確かに表示されてはいない。


「余りお二人は近寄らない様に。では、開きますね」


 セーラが扉を開くと、そこには闇が広がっていた。

 何一つ、そこには映り出してはいない。

 床も天井も壁も、窓も、窓の外も。

 たた、闇がそこにあるだけだ。


「ここに落ちると、厄介です。ここは空白のエリア。お姉様とフィンさん以外のプログラムが落ちても問題はないです。作り直すことが出来ますから。しかし、お二人が入ってしまうと、どの領域に行くのかわからなくなってしまう。助けることは可能だと思いますが、時間は要しますし、このゲームを維持するプログラムの大半を止めなくてはならなくなりますので」

「え、怖いね」

「ええ。なので、不要な扉の開閉にはお気をつけ下さいね」

「わかりました」

「少なくとも、はじめは私もお姉様達と行動を共にする予定ですが、何があるかわかりませんから」

「そうだね。私も気をつけるよ」


 私が頷くと、セーラは手早く扉を閉める。


「お姉様とフィンさんは賢明な方々でございますので大丈夫だとは思いますが……」

「好き好んで危険を冒す程愚かではないので、大丈夫ですよ。ね、ローラ様?」

「私は普通に怖いから近付かないだけだけどね」


 暗闇を恐れるのは動物としての本能だろうに。

 好き好んで近寄るはずがない。

 それなりにリスクもあると言われているのだ。そり一層近寄るものかと思うだろうに。


「入っても問題がない教室には、扉に表札を貼りましたのでそこで判断されても構いません」

「律儀だな」


 眼帯を直しながらフィンが言う。


「リスク回避はこちらの義務ですからね。ほら、ここが私達の教室です」


 少し歩いた先にある教室の扉をセーラは指差す。

 確かにそこには表札で教室と書かれていた。

 表記は緩いんだなぁ。漢字だし。


「さて、入りましょうか?」

「はーい」


 少しだけドキドキしながら教室を開けると、そこには見慣れたあの時代の教室が広がっていた。


「ここは、あのままなんですね」

「ねっ!」


 もしここにも虚構だったら。暗闇が広がっていたら。そんなあり得ない事を心配していた事なんて一瞬で吹き飛んでしまう。


「席はお好きな所をどうぞ。私は前にいますので」

「後ろ行きましょうよ、ローラ様」

「いいけど、寝ないでね?」

「何の為の後ろですか?」


 その為ではないのは確かだ。

 しかし、可愛いフィンの申し出には流石に断れない。

 私達は空いていた一番後ろの席に腰を下ろす。

 後ろだと、教室が見渡せるし王子の動きも分かるしいいのかな?

 それなりにある利点に納得していると、フィンとは逆の席が動く。

 誰か来たのか?

 そう思い、顔を向けると……。


「あ」

「あ?」


 お互いがお互い、声が漏れる。

 え?

 だってそこには……。


「アスラン……?」


 アスランがいるのだから!


「お、お前は……っ」


 私をみて、何が言いかけた瞬間、逆から声がする。


「ローラ様、如何しました?」


 フィンが顔を出したのだ。


「あ、フィン。え、えっとね?」


 ここで、アスランだ! と言ったところで、ゲームのアスランには分からないし、不審に思う事だろう。

 何とかフィン自身で察してくれないかと言葉少なくアスランの方を指差すが……。


「どうしました?」


 え?

 何でフィンは気付かないの?

 振り返れば、何故だかアスランは机に顔を伏して寝る体制をとっているではないか。

 えー!?

 ここで、そんな不良力見せてくるの!?

 はてさて、どうしたものか。

 フィンにアスランだよって教えるのも、ここではなぁ。


「ローラ様?」

「あー、うんん。何でもないよ」


 取り敢えずは、誤魔化して後で教えてあげよう。

 それにしても、可笑しいな。

 何でアスランは、こんな場所に座っているんだろうか。

 彼はいつも窓側の後ろに座っていたはずだ。

 リアルでも、ゲームでも。

 その描写はされている。

 なのに、ここは廊下側の一番後ろ。



 これも、新しいバグなのだろうか……?


 

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