コピー&ペーストで成り上がる! 底辺講師の異世界英雄譚 1[電子版]

怪奇!殺人猫太郎

コピー&ペーストで成り上がる! 底辺講師の異世界英雄譚 1

★★★ 目次 ★★★


[プロローグ]地獄を抜けて異世界へ

[第一章]もらったスキルと呪いの少女

[第二章]楽しい(?)異世界新生活

[第三章]古代遺跡に潜む影

[第四章]蠢く闇を打ち砕け

[終章]〈竜の娘〉と〈廃棄物〉

[エピローグ1]そして竜は羽ばたく

[エピローグ2]その道行きに祝福を

[あとがき]

[データ集]


★★★★★★★★★★



『コピー&ペーストで成り上がる! 底辺講師の異世界英雄譚 1』



[プロローグ]地獄を抜けて異世界へ


「うおおおおーーーーーー! コピペをやめろおおおおおーーー!」

 ここは私立・天車てんしゃ学院大学の文学部棟。

 その片隅の一室に、悲痛な叫びが響き渡った。

 声の主は何を隠そう、この俺——大学講師の張本エイジである。

 今年で35歳。2年前に晴れて非常勤生活を脱し、当大学の文学部講師になった。

 ちなみに、配偶者はなし。貯金もなし。車なし。まともな社会人経験なし。ついでに言うと、博士号もない。いずれ取りたいと思っている。

 俺にあるのは、将来への漠然とした不安と、奨学金という名の借金だけ。あと軽度の腰痛と慢性化した肩こりくらいか——とまぁ、そんな冴えない男である。

「まったく、どいつもこいつもコピペ! Wikipediaのコピペ!」

 雑然と本が積まれた自分の研究室で、俺はMacBookのモニターを覗き込みながら、頭を抱えていた。

 悩みの種は、メールボックスに溜まった学生からの提出物の山。俺が担当している〈現代日本文学概論〉のレポートである。

 ただいまこいつを採点中なのだが、どれもこれもネットからのコピペなのだ!

 現在、採点済のレポートが30通。そのうちコピペは30通。

 コピペの確率100%。

 もしかして、残りの60通も全部コピペかな? マジか?

 いや、さすがにそろそろまともなレポートが来るはずだ。そうであってほしい。

 さあ、来い! 俺の魂をたぎらせる渾身のレポートよ!

 しかし、次のファイルを開いた瞬間、俺の願望は既視感のある文字列によって完膚なきまでに破壊された。

「うおおおおーー! またコピペじゃねえか! つーかよお、そのWikipediaの記事、書いたのは俺やっちゅうねん! アホンダラ!」

 気が狂いそうになる。

 いかに天車学院大の偏差値が低いとはいえ、今年はちょっと酷い。酷すぎる。

「せめて語尾や表現は変えろや……。コピペを隠す気ないだろ、お前ら……」

 頭をかきむしりながら、冷めたコーヒーを喉に流し込む。

 苦い。マズい。気分は最悪だった。

 煙草でも吸いたい気分だったが、あいにく学内は全面禁煙。

 何年か前から、学内のあちこちに「禁煙」と書かれたドギツいポスターが貼られるようになってしまった。

 おい、アホ大学よ……。

 禁煙ポスターをべたべた貼ってる暇があったら、禁コピペポスターも大量に貼っとけや。校内の壁を埋め尽くすぐらいに。

 俺の苛立ちが最高潮に達しかけたとき、目の前のMacBookがメールの着信音を奏でた。

 メーラーをクリックすると、とある有名出版社からメールが届いていた。

 新しいコピペレポートでなかったことに安堵しかけた俺だったが、メールの本文を読んだ瞬間、脳の血管がぶち切れそうになる。

「なーにが【共同出版のご提案】……じゃボケェ!」

 メールの内容を要約すると、「先生の学識は素晴らしい。うちから本を出しませんか?」なのだが、よりわかりやすい日本語に直すと「お前の研究のことは何も知らないが、学者なら本を出したいだろう? うちに出版費用を払ってくれれば出してやっても良いぞ?」となる。

 要するに、単なる自費出版のお誘いなわけ。

 最近はこの手の誘いが実に多い。出版不況の昨今、出版社の学術書部門はどこも大変なのだろう。

 ぶっちゃけ、彼らには同情しないでもない。

 だが、いまメールを送ってきたお前……! お前だけはゆるさねえ!

「なーにが『拝啓 田中先生』じゃい! 俺の名前は張本エイジじゃ! 送信前に確認しろ!」

 なんとメールの送信者は、別の先生に送ったらしきメールを丸々コピペし、俺に送りつけてきたのだ!

 たぶん、名前や専攻は送信前に書き換えるつもりだったのだろうが、それを忘れて送信ボタンを押したってわけだ。

「くたばれ、コピペ野郎!」

 怒りの矛先は、近くの本棚へと向けられた。

 俺の放った全力の蹴りは、重たい研究書を満載した本棚を揺らし、そして——

「あ」

 尋常ならざる質量の塊が、俺の体めがけて倒れ込んできたのだった。



 目を覚ますと、そこは地獄——みたいな場所だった。

 俺が寝ていたのは、川の中洲のような小島だった。しかし、周囲を流れていくのは水ではなく、灼熱したマグマ。まるで血のようだった。

 空はマグマと同じ色に染まり、どんよりとした黒雲が浮いている。

 ここはどこだ? さっきまで自分の研究室にいたはずなのに、どうなってるんだ?

「やっと起きた?」

 不意に、背後から声がした。透き通るような女の声だった。

 慌てて振り向くと、中洲の中心部にぽつんと置かれた玉座に、異様な風体の女が腰掛けていた。

 何かもが異様だった。

 玉座は動物の骨を無造作に組み合わせたもので、腰掛けの部分には毛皮が敷かれている。

 そこに裸の女が腰掛けていた。

 全裸ではないが、均整の取れた裸体にまとっているものは、金のブレスレットとアンクレット、豪奢なネックレス、そしてボロボロになった真紅のマントだけ。

 唇も、髪も、マントと同じ血の色をしていた。

 頭の左右を剃り込み、艶やかな長い髪を背中に流している。

 爬虫類のような金色の瞳が、俺の顔をじろりと見た。

「冴えない男ね」

 そう言うと、裸の女は何がおかしいのか、クックッと喉を鳴らして笑った。

「きみは、誰だ」

 異常な事態に驚きながら、俺はなんとか口を開いた。喉の奥が渇く。

「あたしは〈復讐の女神アルザード〉。パルネリア世界の地獄に住まう者。灼熱の孤島の女主人にして、異界の橋の門番。世のことわりを超える者」

「パルネリア? 復讐の女神?」

「お前に分かりやすい言い方をするなら、〈異世界の廃品回収業者〉ってとこかしら」

 廃品回収? ますます分からなくなってきた。

 女は俺の困惑を無視して、歌うように言葉を紡ぐ。

「張本エイジ。お前は自分のいた世界から、〈不要物〉とみなされた! 〈廃棄〉された! だから、あたしがいただく。お前の身体と魂を回収して、この世界パルネリアのために利用する」

「ちょっと待ってくれ! 何を言ってるんだ!」

 俺の制止を聞かず、自称女神は金の短杖を掲げた。

 赤い唇がニィッと弧を描く。杖の先端から、目がくらむほどの光があふれる!

「〈廃棄物〉張本エイジ、お前に新たな力を授けよう。お前が心底憎んだものが、お前の明日を示すであろう。憎しみを力に変えよ。世界を救え!」

 そして、光が爆発した。





[第一章]もらったスキルと呪いの少女


 悪い夢を見ている気分だった。

 研究室で本棚に押しつぶされて、気がついたら異世界の地獄にいた。

 自称・地獄を司る女神によれば、俺は世界から要らない子認定をされ、異世界に飛ばされたという。

 話の細部はよく分からなかったが、たぶんだいたいそんな感じだ。

 気がつくと、俺は森の中で仰向けに倒れて。

 木々の間から漏れてくる陽の光がまぶしい。時刻は昼すぎくらいか?

 ていうか、ここはどこだ?

 周りの木々に見覚えはなく、なんとなくの雰囲だが、日本ではなさそうだった。

 もしかしたら、本当に夢の中なのか?

 自分の体を見ると、研究室にいたときと同じ格好だった。

 量販店で買った安物のスーツとシャツ、そして革靴。ポケットをまさぐると、封を切ったばかりの煙草の箱とライター、画面の割れたiPhone、財布とハンカチが出てきた。iPhoneがバキバキになっている以外は、前のままだ。

「iPhoneの修理、保証はきくのかな」

 俺が間抜けな台詞を吐いたとき、遠くから何か物音が聞こえた。

 何か固いもの同士がぶつかり合うような音。それに混じって、人の声か、獣の唸り声のようなものが聞こえる。

 本能的に身を守る武器を探すと、足下に良い感じの木の枝が落ちていた。土産物屋の木刀くらいのサイズだ。風雨で折れたのだろうか。

 見知らぬ土地で身を守るには心許ないが、何もないよりはマシだろう。

 俺はおっかなびっくり棒を手にすると、音のする方向へと歩き出す。

 ここがどこかは分からないが、もしかしたら言葉の通じる人間がいるかもしれない。

 俺はゆっくり忍び足で、音のする方向に向かって、草むらをかき分けていく。

 やがて、音が鮮明に聞こえるほど近付いたとき、俺は自分の行動を後悔しはじめた。

——金属と石がぶつかり合うような音。

——何を言ってるのかは分からないが、相手を罵る女の声。

——獣じみた叫び。

 聞こえてきた音は、明らかに剣呑な——暴力を伴うトラブルを連想させるものだった。

 しかし、ここまで来て何が起きているかを確かめないわけにはいかない。草木をゆっくり手で押しやり、のぞき込んだ先には……!

小鬼ゴブリン……?」

 ファンタジーRPGでおなじみ、緑の肌をした小柄な魔物——ゴブリン。

 その集団が何かと戦っていた。数はたぶん七匹。

「ギョエエエエエエエエエーーーーーー!」

 ゴブリンたちは、敵意を剥き出しにして雄叫びをあげている。

 地面に目をやると、ゴブリンが十体ほど倒れ伏している。身体から血を流し、動く気配はない。死んでいるのだろうか?

 恐怖で喉の奥が震えた。

 悪夢だ。これはきっと夢に違いない。

 いまにも悲鳴をあげて逃げだそうとした、そのとき。

 俺の視線が、ゴブリンと戦っている相手を捕らえた。

「あれは、女か!?」

 醜悪な小鬼に囲まれているのは、一人の少女。

 簡素な皮鎧に身を包み、細身の長剣を振るって戦っていた。

 遠目に見ても、美しい少女だった。

 肩で揃えられた金髪は、上質の絹のよう。闘志を秘めたエメラルドの瞳は、ゴブリンたちを見据え、カッと開かれている。なめらかな白い肌は興奮で上気し、汗が滲んでいるのが目に取れる。

「■■■■、■■■■■! ■■■■!」

 少女が言葉を発した。何を言っているのかは分からない。

 ゴブリンを威嚇しているのか、それとも自分を鼓舞しているのか。

 しかし、ゴブリンたちは少女の声にひるんだ様子もなく飛びかかる。

 風を切る音ともに、鮮やかな銀の煌めきがゴブリンの首を捉える。

 血しぶきが舞い、醜悪な怪物が断末魔の声を上げた。

 返り血を浴びた少女が顔をしかめる。その隙をついて、別のゴブリンが背後から襲いかかった。

 その瞬間、少女は軽やかに身を翻し、ゴブリンの胸に剣を突き立てた。

 ふたたび断末魔の声が森にこだまする。

 武術には疎い俺だが、少女の技量が卓越しているのが分かった。地面に倒れている十数匹のゴブリンも、彼女がやったに違いない。

 このままいけば、あの子はゴブリンたちを難なく切り伏せるだろう。

 しかし、俺が安堵しかけた瞬間、少女の美しい顔が驚愕の色に染まった。

 ゴブリンに突き刺した剣が抜けないのだ。

「ギュルアアアーーーーーー!」

 棍棒を手にしたゴブリンが少女に飛びかかった。袈裟懸けに振り下ろされた凶器が、少女の顔をかすめる。

 かわした——ように見えた。だが、彼女は後ろによろよろと後ずさると、その場に尻餅をついてしまった。額か、顎か——打ち所が悪く、脳震盪を起こしたのかしれない。

「ギイエエエエーーー!」

 武器をなくし、意識を失いかけている少女。それを見て、ゴブリンたちが勝ち誇ったような声を上げる。

 バケモノたちは何を思ったか、武器を捨てて少女を取り囲むと、力尽くで彼女を仰向けに押し倒した。少女は暴れようとしたが、四肢をガッチリ押さえられては、身じろぎ一つ出来ない。

 リーダー格らしい、体が一回り大きいゴブリンが、忌々しげに少女の脇腹を蹴り上げる。

 一発、二発、三発——そのたびに、少女の口から弱々しいうめき声が漏れた。

(あの子を助けなければ——)

 そう思いながらも、俺は身動きできなかった。

 目の前で振るわれる、あまりも原始的な暴力。恐怖で脳の奥が痺れ、自分がなにをすべきなのか、まったく考えられない。

 やがて少女が動かなくなると、ゴブリンリーダーは仲間の遺体に歩み寄った。 

 そして、少女が突き刺した剣を力任せに引き抜く。血が滴る剣を携えた怪物は、醜悪な笑みを浮かべ、少女へと近寄っていく。

(あの子を殺す気だ——)

 目の前で、人が死ぬ——その恐怖で身がすくんだ。

 しかし、奴の狙いは俺の予想を超え、はるかに邪悪だった。

 ゴブリンリーダーは、手にした剣で、少女の身体ではなく、その皮鎧や衣服を切り刻んでいった。丁寧に、嬲るように、ゆっくりと——

 ややもしないうちに、少女の身体を覆う物はすべて取り除かれた。

 血に汚れた瑞々しい裸身は、ところどころに青アザができていた。形の良い胸が上下しているのを見ると、まだ意識はあるらしい。だが、もはや抵抗する体力や意思は残っていないようだった。

 抵抗するそぶりのない少女を見て、ゴブリンたちが喝采をあげた。

 ゴブリンたち、少女の髪を掴んで上体を起こさせると、彼女をうつぶせに寝かせた。

 頭を押さえたゴブリンが、土を舐めさせるように少女の顔を地面に押しつける。

 別のゴブリンは、彼女の腰を持ち上げ、股を開かせた——


 これはきっと悪い夢だ。夢に違いない。俺は自分にそう言い聞かせる。

 目が覚めれば、きっと自宅のベッドか研究室に戻っているはずだ。

 邪悪な怪物も、犯されそうになっている少女も現実には存在しないんだ。

 だとすれば——

 木の棒を握る手に、力がこもった。

 身体の震えは、いつの間にか止まっていた。

「なあぁぁぁあんにもお、怖くねえぞおおぉぉぉおおおらあああああああ!」

 俺は絶叫しながら草むらを飛び出し、棒を振り回しながらゴブリンの群れに突撃した。

「うおおおおおおーーーーーー! どけやオルゥアアアアア!」

「ギ、ギエ?」「ギギギギ!」「イギイー!」

 突然草むらから飛び出してきた俺を見て、ゴブリンの群れは恐慌状態に陥った。

 やつらは少女の身体を放り出して、散開する。

「ギャオウ!」

 俺が振り回した棒が、逃げ遅れたゴブリンの頭に命中した。イヤな感触が手に伝わる。殴られたゴブリンは、頭から血を流して昏倒した。

「立てるか?」

 俺は少女に駆け寄り、声をかけた。

 だが、少女は状況が飲み込めないようで、おびえた表情を浮かべ、意味不明な言葉を口走った。

「■■■■■■!」

 ここで俺は一つの重大事に気がついた。彼女には言葉が通じないのだ。これはかなり困ったぞ!

 なんとか彼女を立たせて、この場から逃げ去りたいのだが、彼女の顔に浮かんでいるのは困惑と警戒のみ。

 そりゃそうだ。見知らぬ男が奇声を上げて棒を振り回しながら突撃してきたわけだから、この子にとって俺は恐怖の対象でしかないだろう。

 俺たちがあたふたしているうちに、ゴブリンたちが体勢を立て直し始めていた。

 奴らは地面に落ちていた石斧や棍棒を拾うと、俺を威嚇するように吠えた。

(このまま見逃してくれる——ってわけにはいかないだろうな)

 数は二対四。

 しかし、少女はこれ以上戦えないだろう。俺はろくに運動なんかしたことないから、実質的には0.5対四くらいだ。背中を緊張の汗が伝う。

 俺はとりあえず少女を立たせようと、彼女の腕を取る。

 そのときだった。不意に、俺の頭の中に奇妙な声が響いた。



 知らない女の声だった。強いて言えば、さっき地獄で会った女神の声に似ている気がする。

 戸惑う俺の脳裏に、謎めいた文字列が表示される。


★ ★ ★

対象=女冒険者(名称不明)

▽基礎能力値

器用度=19 敏捷度=21

知力=17 筋力=16

HP=2/16 MP=4/19

▽基本スキル

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

隠密=3 罠技術=1 武具鑑定=1 宝物鑑定=1

ハリア王国式儀礼=4 

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキル、特殊スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


「うおっ! 能力値、スキルって……なんだよこれ!」

2

 再び、頭の中に声が響く。

 なにがなにやら分からないが、これが〈復讐の女神〉とやらの言う「新しい力」であろうことは、

 女神から与えられた能力——それはきっと、誰かの能力をコピーする力だ。「スロット」というのは、コピーできる項目の上限数のことだろう。

 ゴチャゴチャ思い悩んでいる暇はなさそうだった。

 ゴブリンは俺たちを遠巻きに取り囲み、いまにも飛びかかろうとしている。

「ハリア王国式剣術=7、パルネリア共通語=5をコピー、スロットにセットしろ!——って、これでいいのか!?」

了解コピー。〈女冒険者〉から二つのスキルをコピーし、〈張本エイジ〉の空きスロットにペーストしました』

 謎の声が応答した瞬間。

 二匹のゴブリンが、別々の方向から同時に飛びかかってきた。

 

 普通なら絶体絶命の危機である。

 しかし、俺の身体はゴブリンの動きに反応し、自然に動きはじめる。

 右から来た一匹に向けて鋭く踏み込み、喉に横薙ぎの一閃。木の棒とはいえ、それなりの重さはある。喉を潰されたゴブリンは、「ギィッ!」としゃがれた悲鳴を上げて倒れ込む。

 さらに、俺はその勢いを殺さぬまま身体を半回転させ、斜めに斬り上げるように棒を振った。何かが砕ける感触が手に伝わってくる。

 もう一方から飛びかかってきたゴブリンが、指を潰され武器を落とす。

 俺はすかさず棒を上段に構え直し、一気に振り下ろした。ゴブリンは片腕を上げて攻撃を防ごうとしたが、俺の打ち下ろした棒は、防御した腕もろとも、やつの額を叩き割る。

 続けて、仲間を倒されて恐慌状態になった残りの二匹が飛びかかってきたが、俺は一刀の元にたたき伏せた。

 最後の一撃を放った際、棒の耐久度は限界に達したらしい。中程で折れた棒の切れっ端が宙を舞い、地面に突き出た石に当たって、固い音を立てた。

「すごい……」

 背後から俺の戦いを見ていた少女が、呆然とした様子で呟く。

 どうやら、言葉も通じるようになったようだった。

「大丈夫か?」

 振り向くと、少女は地面にペタンと腰を落とし、呆然とこちらを見上げていた。

 ふと、彼女が全裸だったことを思い出し、俺はスーツのジャケットを脱いで、目をそらしながら彼女に差し出した。

「あ、ありがとう……。あなたは……?」

「名前は張本エイジ。張本が姓で、エイジが名前だ。好きなように呼んでくれ」

「私はえーっと……リリアといいます。エイジさん、助かったわ。それにしても、あなたって何者? このあたりの人ではなさそうだけど……」

「経歴は話すと長くなる。いったんこの場を離れよう。ゴブリンの仲間がいるかもしれない。近くに安全な場所はあるか?」

「あっちに村があるの。歩いて一時間くらい。そこで私の荷物を預かってもらっているから、村まで行けば薬や着替えが手に入るわ」

「了解。歩けるかい?」

 彼女——リリアに手を貸して立たせようとしたが、「うっ!」と苦しげな声を上げてうずくまってしまう。

 見れば、足首のあたりが青黒く腫れ上がっていた。ゴブリンに押さえつけられたときに、くじいてしまったのだろう。

「これじゃ無理だな。背負っていくしかないか」

「ええ。あの、ごめんなさい……。お願い出来るかしら? あと、私の剣だけ回収していきたいのだけど……」

「お安いご用だ」

 俺はリリアの使っていた剣を拾い、近くに落ちていた鞘に収めた。

 美術品にはとんと疎いが、鍔や鞘には複雑な文様が彫られ、鞘には宝石があしらわれている。非常に高価なものに見える。

 リリアに剣を渡すと、彼女はほっとしたような笑顔を浮かべた。

「よし、行こう」

 腰を下ろして背を向けると、リリアは俺の首に手を回し、身体を密着させてきた。

 背中にリリアの柔らかい乳房の感触が伝わり、耳元に熱い吐息がかかる。

 おいおい、三十半ばのおじさんには刺激が強いぜ……。

(なんだか都合良い夢だな。自分でも恥ずかしくなってくるぜ)

 俺はそんなことを考えながら、リリアの膝裏に手を回し、彼女の指した方向へと歩き始めた。



 リリアの案内にしたがって、えっちらおっちら山道を進んでいると、やがて遠くに小さな集落が見えてきた。

 そのころになると、俺はこの世界が夢なんかじゃなくて、どうやら本物の異世界らしい、と思い始めていた。

 なぜなら、めっちゃ疲れるからだ。

 女の子とはいえ、人一人をかついで一時間近くは歩いたので、すっかり息が上がり、顔は汗まみれになっていた。

 このリアルすぎる疲労感、絶対に夢ではありえない。

 それに、背中から伝わってくるリリアの生々しい体温や柔らかさも、とうてい夢とは思えなかった。

「ひとまず、ここまで来れば安心かな」

 坂を下りた二十メートルほど先に、村の入り口らしきものが見えた。入り口の前には村人が立っている。

 畑を含む集落の周りは、浅い堀と粗末な木の柵で囲まれており、なにやら物々しい雰囲気だった。

 道すがらリリアに聞いた話によると、彼女はこの村に雇われた冒険者だという。

 最近、この村ではゴブリンによる襲撃、略奪が相次いでおり、調査と討伐を依頼されたのだとか。

 リリアはゴブリンの巣穴や、群れの規模を調査していたが、その矢先に森で襲撃を受けたのだという。

「仲間はいないのか?」

 俺が尋ねると、リリアは首を横に振った。

 いくら腕の立つ剣士とは言え、一人で危険な山歩きをするのは正気の沙汰ではないと思ったが、何か事情がありそうだ。深入りはしないことにする。

「エイジさんは、なぜあんな場所に?」

 リリアに素性を聞かれたので、俺は自分の身に起きたことを話した。

 こことは違う世界で事故に巻き込まれたこと、地獄で女神に会ったこと、この世界に飛ばされたこと。

 ただ、女神の言う廃棄物がどうとかいう話や、スキルの説明はめんどくさいので、割愛させてもらった。俺自身もよく分かってないし。

 リリアは俺の説明をいぶかしげな様子で聞いていた。

 目の前の男が異世界からやってきたなんて、にわかに信じられないのだろう。

「まぁ、こんな話、信じろってほうが無理があるよな。俺だって、まだ信じられないでいる」

 俺が笑うと、リリアは慌ててかぶりを振った。

「いえ! エイジさんの話、たしかに不思議です。でも、パルネリアには昔から、異世界人の伝承が数多く伝わっています。真偽不明のおとぎ話が多いですけど、中には本物もあると言われています」

 リリアは「それに」と続け、俺の着ている安物のシャツ(ポリエステル製だ)を指でつまんだ。

「エイジさんの着ている服には、私が知らない布が使われています。縫い目も異常なほど正確です。異世界から来たと言われても、あまり不思議ではありません」

「そのわりには、いぶかしげな顔をしてたぜ」

 俺が軽口を叩くと、リリアは「お話の中に出てきた女神が気になったのです」と答えた。

「パルネリアには数多くの神がいますが、その中の誰なのかと」

「えーっと……。名前は確か、〈復讐の女神アルザード〉と言ったような」

「アルザード!」

「わわわ! おっとと!」

 急にリリアが大きな声を出したので、俺は転びそうになった。

「急にどうしたの?」

「あ、ごめんなさい! 少し……驚いたんです。アルザードはこの世界を作った神々の一柱です。主神ディアソートの妹にして、地獄の守護者と言われています。でも、その実体は謎に包まれていて、一説によれば、ディアソートに敵対する〈邪神〉で、地獄に封じ込められているとも……」

「マジかよ」

「邪神かどうかは分かりませんが、一般的にパルネリアでは不吉な神とされています。だから、ほかの人の前では、その話はあまりしないほうが良いと思います」

 最初に話したのがリリアでよかった。

 確かにあいつ、見た目は邪神っぽかったもんな……。

 そうこうしていると、村の入り口に立っていた村人がこちらに気がついたらしく、警戒した様子で近づいてきた。

 村人は十代後半くらいの男で、手には鋤を構えていた。しかし、俺に背負われたリリアの姿を見ると、ほっとしたように鋤を下ろした。

「リリアさん、ご無事でしたか!」

「ええ、スレン。偵察中にゴブリンの群れと遭遇しちゃって……。巣の場所は分からなかったわ。私とこの人——通りすがりのエイジさん——で二十匹くらい斬ったから、しばらくはおとなしくしていると思うけど……」

 スレンと呼ばれた青年は俺に好奇の目を向けつつ、「ありがとうございます」と会釈。

「ただ、ゴブリンが残っていたとしたら心配ね。もしかしたら報復に来るかもしれない」

「いまはそんなこと、どうでも良いですよ! よくぞご無事で——」

 ここでスレンはリリアの姿を見て、ぎょっとした表情になった。そしてすぐさま目を背ける。

 リリアはスーツを被っているとはいえ、その下が裸か下着なのは、近づけば一目瞭然だった。

「こ、これは、あの」

 しゃべろうとしたリリアの身体が、小刻みに震え始める。

 さきほどの恥辱と恐怖が蘇ってきたのだろう。俺の首に回された手にも、力がこもった。彼女の心臓が早鐘を打つように鳴っているのを感じる。

「こ、これはだな!」

 俺が急に大声を出したので、スレンは驚いてこちらを見た。

「リリアは、戦闘中にゴブリンに毒を浴びせられたんだ! あ、いや、毒かどうかは分からないが、なにか奇妙な色をした液体だったんだ。臭いも凄まじかったよ! その毒は、鎧だけじゃなく、下着にまで染みそうだったから、安全を期して全部捨ててきたってわけ」

「な、なるほど。毒ですか。まさか、そんなものを使うゴブリンがいるなんて。我々も気をつけな——」

「あー、いや! 毒とは限らない! でも気をつけるにこしたことはないね! それは間違いない! うんうん!」

 俺がスレンにウソをまくし立てているうちに、リリアの身体からこわばりが抜けていった。

「まあ、そういうわけでスレンくん! リリアの荷物をここに持ってきてくれないか? さすがにこの格好で村を歩くわけにはいかないので。あと、リリアが危険な目にあったというのは、なるべくほかの人に言わないように。余計な心配をするといけないからね!」

 リリアがこの格好で村に入れば、村人からは奇異の目で見られるだろう。

 人の良さそうなスレンは騙せても、勘の良い者なら、リリアが陵辱を受けたのではないか、と推測するはずだ。そういう憶測の種は、なるべく潰しておきたかった。

「分かりました。あの、毒のこともみんなには——」

「それは言っても良い! でも、毒であるとは限らないからね! 毒かもしれない謎の液体を持っていた、ぐらいでお願い。みんなをあまり不安にさせないように! あくまで注意喚起に止めて」

「分かりました。少し待っててください」

「ついでに、何か飲み物を持ってきて!」

 話が終わると、スレンは俺たちを残して村の中へ入っていった。

 ふう、なんとか乗り切ったぜ。疲れとしゃべりすぎで、喉がカラカラだった。

「ありがとう、エイジさん」

 スレンの姿が見えなくなると、背中のリリアがそう呟いた。



 その後、スレンから荷物を受け取った俺たちは、身だしなみを整えた。

 リリアは、上半身に綿のような簡素なシャツを羽織り、下にはピッタリした薄手のズボンの上に、ふわっとしたミニスカートを履いていた。なかなか可愛らしい。

 リリアの足のケガだが、彼女が荷物からガラス瓶に入った不思議な薬品を取り出し、それを飲むと、みるみるうちに腫れが引いていった。

 彼女は同じ薬を何本か持っているようだった。

「なんだこれ! 便利だな。ちょっと見せてくれないか?」

 興味に駆られ、手に取らせてもらうと、また頭の中に、謎の声が響いた。

『〈アイテム:ポーション〉に接触しました。現在のスキルレベルでは、〈ポーション〉のコピーはできません』

 なに!? スキルレベルとやらを上げれば、アイテムもコピペできるようになるの?

 でも、スキルレベルってどうやって上げれば良いのだろう。

 疑問に思っていると、再び謎の声が響く。

『〈コピー&ペースト〉のスキルを使用するか、〈コピー&ペースト〉スキルで入手した能力を使用するごとに、スキル経験値が蓄積していきます。現在のレベルは1。獲得経験値は99です。次のレベルに到達するためには、100の経験値が必要です』

 説明ありがとう、謎の声さん。

 要するに、いまの俺だと、剣を振り回したり、言葉をしゃべったりするだけでも、スキル経験値が溜まっていくというわけか。

 リリアたちと話しているうちに、次のレベルに上がりそうだな。

『はい。レベル2になると、特殊スキルの一部が閲覧できるようになります。また、レベル3になると、スロット数が「3」に増加します。なお、アイテムのコピーを実行するには、最低でもレベル5になる必要があります』

「なるほどね。よく分からないけど、ありがとう」

 突然独り言を呟いた俺に、リリアは怪訝そうな目を向けた。

 そうだろうとは思っていたが、謎の声は俺にしか聞こえないらしい。



 その後、俺たちはこの村の村長のもとに向かった。状況を報告するためだ。

 リリアは村長に、ゴブリンの巣穴を突き止められなかったこと、探索中に襲撃を受けて二十匹ほど討伐したこと、まだ残りのゴブリンが残っているかもしれないことを告げた。

 リリアの話を聞くと、村の側は当初ゴブリンの数をもっと少なく見積もっていたようだった。大きな群れから追放されたかはぐれた集団が、十匹くらい森に住み着いたのだろう——と考えていたようだった。

「それはたいへんでしたな……。まことに申し訳ない」

 腰の曲がった老人——村長が、リリアに頭を下げる。

「いえ、私は良いのです。でも、ゴブリンの群れの規模が大きいとなると、この村が心配ですね。私は急いで街に帰り、領主殿に派兵と調査を依頼します。数十匹単位の群れがあると知れば、領主殿も重い腰を上げるはずです」

「おお、さようでございますか。助かります」

「念のため、しばらく村の警備は厳重にお願いいたします。二十匹ほど斬ったとは言え、群れの規模が読めないのは気がかりです」

「承知しました。今日はもうじき日が暮れます。明日の朝に発たれると良いでしょう」

 リリアが頷く。村長は「わしらもそのほうが安心ですので」と笑い、続けて俺のほうに向いた。

「そちらの方も、構いませぬかな?」

「え、あ、はい。俺も泊めていただけるのなら、ありがたいですね」

 異世界に放り出されて、ゆくあてもない俺にとっては、渡りに船の提案だった。

 しかし、ここで困ったことが起きた。

 この村、なにせ小さな集落である。

 客人を泊められるような綺麗な場所は、村長の家の離れしかないのだという。

「私は別に構いませんよ」

「俺はだいぶ気まずいよ」

 客間として提示された離れは、ビジネスホテルのダブルのような小屋だった。

 六畳ほどのスペースに、簡素なベッドが二つと、テーブル、椅子、戸棚のみ。

 ベッドが別れているのが幸いだが、年若くて美人の女の子と一緒に過ごすには、ちょっと気まずい。

「冒険者の男女が同じ部屋で寝るのは、普通のことですよ。同じベッドで寝ることもあると聞きます」

 リリアの言葉に、俺は引っかかりを覚える。

「なんで伝聞形なんだい? きみも冒険者じゃないのか?」

「私は……冒険者になってまだ一年くらいですし、ほかの人と一緒に任務に出たことがないので……」

 やはり奇妙だ。

 この世界の常識はよく分からないが、リリアの腕は新米というには優秀すぎるように思える。それに、冒険者って一人で活動するような職業じゃないのでは……?

 俺がリリアに疑問をぶつけようとしたとき、頭の中でまた謎の声が響いた。

『〈スキル:コピー&ペースト〉のレベルが「2」に上がりました。一部の特殊スキルが閲覧可能になりました』

 はいはい、ありがとう。謎の声さん。

「分かったよ」

「そうですか。良かった」

 謎の声に向けて、脳内で言ったつもりの言葉が、思わず口から出ていたらしい。

 俺の発言を勘違いしたリリアが、はにかむように笑った。笑顔が超可愛い。

 いや、ほんと、こんな子と一緒の部屋で寝て、俺は大丈夫なのだろうか?


 その後、俺はリリアにこの世界のことを聞き、これからの身の振り方を考えようと思っていたのだが、彼女は疲れていたらしく、村人が持ってきた夕食(粗末なパンとスープだった)を食べると、そのままベッド倒れ込んでしまった。

 まぁ、昼間にあれだけいろいろあったのだから、仕方ない。俺もいろいろあったけど……。

 俺は部屋の隅に詰んであった、タオルケットのような布をリリアにかぶせてやった。

 ついでに、髪が絡まりそうになっていたので、軽く手で直してやったが、リリアは目を覚ます気配はない。無防備な顔で、静かに寝息を立てている。

「やれやれ、大丈夫かな、この子は……」

 あまりの無頓着さが気になったが、俺も疲れている。

 明日以降のことを考えたかったが、頭が働いていない。思案しても仕方がないので、部屋の中に置かれていた燭台の明かりを消し、ベッドに入ることにした。

 やがて、心地よい睡魔が襲ってきて、俺の意識はホワイトアウトしていったが——

「あ、ああ……あああ! ああああああああ!」

 突然、部屋の中からうめき声が上がり、俺は驚き、跳ね起きた。

 どれだけ寝ていたかは分からないが、周囲はまだ真っ暗だった。

 木窓の隙間からは、かすかな月明かりが差すのみ。まだ夜中のはずだ。

 うめき声の正体は、すぐに分かった。隣のベッドで寝ているリリアだ。

 悪夢にうなされているのか、身をよじり、胸元をかきむしっている。服がはだけ、白い乳房が完全に露出していた。

「おい、しっかりしろ!」

 慌てて駆け寄り、肩を強く揺さぶったが、リリアからの返事はない。

 代わりに、またしても謎の声が頭に響いた。

『対象に接触しました。能力値とスキルセットを表示します』

「またかよ!」

2。コピー、ペーストをするには、さらにレベルを上げる必要があります』


★ ★ ★

対象=リリア

▽基礎能力値

器用度=19 敏捷度=21

知力=17 筋力=16

HP=16/16 MP=0/19

▽基本スキル

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

隠密=3 罠技術=1 武具鑑定=1 宝物鑑定=1

ハリア王国式儀礼=4 

▽特殊スキル

騎士の誓い=6 ???の血統=5(固定)

=3 =10

=8 =2

??????=?? ??????=??


※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


「な——」

 俺の脳内に展開された、リリアのステータス画面。

 そこに、新たに表示された〈特殊スキル〉を見たとき、俺は自分の顔から血の気が引くのを感じた。

「なんだ、このスキルは——! おい、謎の声! この特殊スキルってのはなんなんだ! 説明しろ!」

『特殊スキルとは、希少度が高く、強力なスキルの総称です』

「この、〈呪い〉ってのは何なんだ! どう見ても変だろ!」

『スキルには、使用者にとって有利に働くものもあれば、不利に働くものもあります。各スキルの効果や、詳細情報は開示できません』

「開示できない? いつものスキルレベルが足りないってやつか?」

『いいえ。スキルレベルは関係ありません。謎の声わたしはそもそも、スキル情報を開示する権限を持っていません』

 権限がない、ときたか。

 つまり、こいつに出来るのは、スキルの一覧を表示したり、コピペすることだけ。

 ゲームのマスクデータは明かすことが出来ない、って感じなのだろうか。

 効果は手探りで探していけって、昔のゲームじゃねえんだからさ……。

 そうこうしているうちに、リリアの動きはさらに激しくなっていった。

 リリアの左手が、剥き出しになった自分の乳房を掴んだ。

 細い指に力がこもり、まるで自分の身体を弄ぶように蠢く。形の良い乳房が潰れ、指の間から柔らかな肉が押し出される。双丘のいただきにある桜色の冠は、興奮を示すようにピンと立ち、天を指していた。

「こ、これはまさか……!」

 俺は思わず後ずさる。

 これは、

「あ、ああ……んんっ!」

 リリアの薄桃色の唇から、甘い声と熱い吐息が漏れた。

「おい、目を覚ませ! しっかりしろ!」

 頬を軽く張ったが、リリアは目を覚ます気配を見せなかった。

 それどころか、俺の手から逃れるように身をよじり、うつぶせに姿勢を変える。

 そして膝立ちになり、頭を下げたまま、腰を高く上げた。シャツがまくり上がり、再び乳房が露出する。白い肌には、赤々と指で握りしめた痕が残っていた。

 気がつけば、ズボンは膝までずり下ろされていた。

 スカートは腰を上げた拍子にまくれ上がっている。つまり——

 思わず、俺はリリアから目を背けた。

「んっ! ク……ッ! あ、あ、あ! あああああ!」

 俺の耳朶を、リリアのかすかな嬌声が打つ。

 同時に、粘度の高い液体をこね回すような、淫靡な音が聞こえてきた。

 リリアが何をやっているのかは、見なくても分かる。

 ——リーガン少女を見たときのカラス神父も、こんな気分だったのだろうか。

 衝撃で真っ白になりそうな頭で、ぼんやり考える。

 さっき見た、リリアのステータス画面。

 MPというのが何かは分からないが、HPはたぶん大量だ。

 MPはたぶん、精神に関係するステータスだろう。その数値が0になっていた。

 特殊スキルの欄にあった、無数の〈呪い〉。

 その中にあった、〈淫蕩の呪い〉。

 それが彼女の状態と関係しているのは、間違いないように思えた。

 それから、無限に思えるような時間が流れた。

「あんッ! あ、あ、ああああ……! あうッ!」

 やがてリリアが小さな絶頂の叫びをあげ、淫靡な水音も止んだ。

 部屋の中には、リリアの荒い息だけが響く。

 視線をリリアのほうに戻すと、壮絶な光景が広がっていた。

 リリアの姿勢は変わっていなかった。うつぶせでベッドに突っ伏したまま、膝立ちで腰を高く上げている。顔は横を向いており、うつろに開いた薄目から涙が滴った痕があった。

 胸も尻も丸出しで、ベッドに立てた膝の周辺には、水をこぼしたような染みができている。汗の染みではなさそうだった。

 両腕はだらんと身体の両脇に放り出され、二の腕や背中の筋肉、足の指が、快楽の余韻を貪るように痙攣していた。

 ——これで終わった。

 俺は内心、そっと胸をなで下ろした。

 これできっと、リリアの発作は治まったのだろう、と。

 だが——



 嵐の前の静けさ、という言葉がある。

 束の間、リリアが見せた状態こそ、まさにそれだった。

 俺が安堵した直後に、は起こった。

「あうっ!」

 リリアが突然、鋭い声を発した。これまでの小さなあえぎ声とは明らかに違う。

 下手をしたら——いや、下手をしなくても、近所の人間が気付くレベルだった。

「どうした、目が覚めたのか!」

 慌てて歩み寄るが、リリアの目はうつろに半開きになったままだった。

「あ、あ……たす……け……て……」

 身体の横に投げ出されたリリアの両手が持ち上がり、肩から左右に大きく広げられた。膝の間隔はさきほどよりも広がり、突き上げられた腰の反りがより激しくなった。

 その姿勢を呆然と見ながら、俺は既視感に襲われた。

 そして数秒後に、その正体に思い当たる。

 姿

 リリアの唇が、大きく息を吸い込んだ。

 俺はとっさに危険を感じ、リリアの口を手のひらで押さえる。

「ゆ……して……ご……さい……!」

 危機一髪。なんとか、リリアの叫びを押さえることができた。

 だが、俺の見ている前で、リリアの身体に異変が起きていた。

「これは……痣!?」

 リリアの手首に、まるで指の痕のような、赤い痣が浮き出てきた。

 手首だけではない。腰や足首にも、指のような形の痣が浮いていた。

 俺は自分の記憶をたぐり寄せる。

 リリアのポーズ、そして身体に浮いた痣——それは昼間、ゴブリンたちに押さえつけられた箇所と一致していた。

 まるっきり同じ、あのときの再現だ。

 違うのは、あのときは全裸で、いまは僅かながら服を着ているってだけ。いや、いまも、ほぼ着てないのと同じだが。

 そして、さらに驚くべきことが起きた。

 リリアの金髪が一房、重力に逆らって浮き上がったのだ!

 まるで、見えない何者かが髪を掴んで、引っ張り上げたかのように。

「んっ! んぐっ。んっんっ!」

 やがてリリアの身体は、前後に激しく揺れ始める。

 見えない何かが、リリアの身体に連続で打ち込まれているように見えた。

「んーーーっ! んんっ! がッ! ハゥぐッ!!」 

 リリアが苦悶する。

 俺が口を押さえてなければ、彼女の絶叫は、村中に響いていただろう。

 このままではマズい。この危機的な状況を打破したいと思った。

 だが、いまの俺が頼れる相手と言えば——

「おい、謎の声! リリアのステータスを見せろ!」

了解コピー。接触している対象のステータスを展開します』

 脳内に、リリアのステータスが展開される。

 相変わらず、MPは0のまま。ほかも変わりないように見えたが、一点だけ違いがあった。

「スキルが、光ってる……」

 特殊スキル欄に記載された、〈淫靡の呪い〉の文字だけが真っ赤に光っていた。

 これで確信が持てた。リリアの狂態は、この呪いが原因だ!

「謎の声! 他人の特殊スキルを消すことはできないのか! たとえば、!」

 もう、やけっぱちだった。そんなこと出来るわけないと思っていた。

 しかし、声は意外な返答をした。

「マジかよ!」

『ただし、5。また、使でなければいけません』

「オッケー、いまは無理ってことね! サンキュー、くそったれ!」

 そんなやりとりをしている間にも、リリアの身体にはさらなる変化が起きていた。

 剥き出しの尻が震え、白い肌に、紅葉のような痣が次々と浮かび上がっていく。

 さらに、背中や乳房、太ももには、鞭で叩かれたような線状の痣まで出てきていた。

 新しい痣ができるたびに、リリアの腰は艶めかしく、8の字を描くように動く。

 それは苦痛から逃れようとする動きではなく、むしろさらなる苦痛を懇願する動きに見えた。

 ——おいおい。どうなってるんだよ、リリア。

 



 その後しばらく、リリアの狂態は続いた。

 身をよじり、呻き、腰を振り、身を震わせた。

 1時間ほどは経っただろうか——幾度目かの痙攣を迎えたとき、リリアは大きく上体をのけぞらせたあと、糸が切れた人形のようにベッドに倒れ込んだ。

 動きを止めた彼女の様子を、おそるおそる観察する。 

 手足からは力が抜け、指一本動かす元気もないようだった。

 しかし、半開きになったまぶたの奥には、さきほどまでにはなかった、理性の輝きが復活していた。

 それは、リリアがなんらかの狂想から解放されたことを物語っていた。

 俺はリリアに声を掛けるべきか逡巡する。

 そのときだった。

「ハァ、ハァ……。おどろ……た……でし……ょう……?」

 荒い息を吐きながら、リリアが囁くように言った。

「……ああ。やっと正気に戻ったようで良かった。さっきまでの記憶はあるんだな?」

 戸惑いながら答えを返すと、彼女は無言で小さく頷いた。

「発作のようなもの——だという理解で良いか?」

「はい……」

「変だと思っていた。俺はこの世界のことをよく知らない。でも、冒険者というのは単身で活動するものじゃないはずだ。その理由が、さっきの発作か?」

 ステータス画面で見た〈呪い〉の文字を思い出しながら尋ねると、リリアは無言で頷た。

「説明してもらえるか?……と言いたいところだが、その様子では無理かな」

 再び、首肯。

「きっと、ややこしい話なんだろうな。良かったらあとで教えてくれ。ひとまずゆっくり休むと良い」

 俺はポケットからハンカチを取り出すと、彼女の体を軽く拭いてやった。そのついでに、なるべく肌を直視しないように気をつけながら、衣服を直していく。

「何か事情があるのは分かった。俺が役に出るかは知らないが、何かできることがあれば手伝うよ」

「いい…の……です……か?」

「ああ。俺がこの世界にやってきた経緯は話しただろう? 女神とやらに世界を救えと言われたものの、正直何して良いか見当がつかない。だったら、目の前にいる人間の手助けから始めてみようと思うんだ」

 これは偽らざる思いだ。

「そのかわり、と言ってはなんだが、取引をしないか?」

「え……?」

 怪訝そうなリリアの声に、俺は出来るだけ明るい調子で答える。

「情けない話なんだが、俺には君しか頼れる人がいない。金はないし、住むところはないし、身元を保証してくれる人間もいない。図々しいとは思うんだが——少しの間でも、面倒を見てもらえると助かる。分かりやすく言うと、金貸してくれ。あと、仕事と寝る場所の紹介をお願いしたいんだが、ダメかな?」

 戯けた口調で言うと、リリアの口元が少し動いた。笑ったのかもしれない。

「分かりました」

 わりあいはっきりした答えが返ってきた。

「まあ、詳しい話はまた明日だな。夜が明けるまで休もう。おやすみ!」

 俺はリリアの身体に布をかけると、自分のベッドに入った。

 しばらくすると、リリアの静かな寝息が聞こえてきた。それを聞いて安心して目を閉じた瞬間、すぐに睡魔が襲ってきた。

 半分寝ぼけた頭の中では、例の女神が楽しそうに高笑いをあげていた——気がする。

 こうして、俺の記念すべき異世界生活の第一日目が終了した。



 翌朝、目を覚ますと、女の顔が目の前にあった。

 優美な曲線を描く頬、細く整った鼻筋、柔らかそうな薄桃色の唇。

 絹糸のような黄金の前髪の下には、ぱっちりとしたエメラルドグリーンの瞳。睫毛まつげがめちゃくちゃ長い——

「うわあああああっ!」

「す、すすす、すみません! 驚かせるつもりはなかったのです」

 寝ぼけた俺が悲鳴を上げると、眼前の美女——リリア——が驚いて後ずさった。

「いや、こちらこそ、すまない」

「いえ。それよりも、昨晩は……とんだところをお見せしました!」

 俺の間の抜けた返事に、リリアは深々と頭を下げる。

 それを見ながら俺は、昨夜のが夢ではなかったのだと実感した。

 リリアの白い裸身がしなり、うねる情景を思い出し、胸の鼓動が早くなる。

「事情はあとで話そう。今日はゴブリンのことを報告に行かなきゃいけないんだよな」

「はい。この村から1日ほど歩いたところに、バロワという街があります。そこに行く途中に小さな砦があるのですが、砦の兵に状況を説明すれば、領主殿に早馬を飛ばしてくれるはずです。それが住んだら、バロワに向かいましょう。私の家もそこにありますから」

「分かった。君についていこう」

 その後、リリアは村人に金を払って、簡単な保存食と、俺のための着替えを用意してもらった。

 俺の格好(安物のスーツに革靴だ)は、町中では目立ちすぎるからだ。着替えの服は麻で編んだようなシャツとズボンで、いささかゴワついているものの、着心地はよかった。皮でできた靴は、足になじむまでに少し時間がかかりそうだ。

「不要な混乱を避けるため、エイジさんは偽物の経歴を用意しておいたほうが良いでしょうね」

「そうだなぁ。どこか遠い国から来て、記憶を失ったことにしよう。あまり設定を作り込みすぎるとバレるからな。リリアとは森の中で偶然であって、意気投合したって感じでどうだろう?」

「それでごまかせると思います。バロワはこのあたり一帯の流通の拠点です。人の出入りが多く、変わった人もたくさんいるので、あまり気にされることはないかと」

 そんな相談をしながら準備を整えると、俺たちは村人に例を言い、砦へと向かった。

「ところで、本当に武器はいらないんですか?」

 馬車の轍が刻まれた街道を歩いている最中、リリアが俺に尋ねた。

 俺が丸腰なのを知ると、スレンたち村人は護身用に斧か何かを持っていけと勧めてきた。

 しかし、俺はどうも気乗りがしなかったので、代わりに丈夫な木の杖を一本もらうことにしたのだ。

「身の丈に合わない力は、いずれ自分の身を滅ぼす。いまの俺には、こいつだけで十分さ」

 俺がそう言うと、リリアは「なるほど」と感心したように目を丸くした。

 いまの俺の強さはリリアのスキルをコピペしたものに過ぎない。そんな借り物の力を力を振り回すなんて、ちょっと恐ろしくてできない。

「ま、なんとかなるだろう」

 そううそぶくと、リリアはそれを余裕と解釈したのか、尊敬のようなまなざしを向けてきた。

 俺はといえば、高校時代に他人の読書感想文を丸パクりし、うっかり文部大臣賞を取ってしまいったクラスメイトの顔を思い出していた。

 あれは全校的に大騒動に発展したんだよなぁ。

 感想文のコピペはダメ。ゼッタイ! 過ぎた力は身を滅ぼすのだ。 


 

 その後、俺たちは街道を歩きながら、お互いの話をした。

「なあ、リリアはやっぱり貴族のお嬢さんとかなのか? ほかの人とは育ちが違う感じがするけど」

 街道を行き交う馬車や旅人を見た感じ、リリアの美貌や所作は、明らかに庶民のそれとはかけ離れていた。

「……確かに、前はそうでした。いまは違います。私の家はもうないので」

 リリアは答えにくそうに言う。嘘をついている感じではないが、含みのある言い方だ。

 うーん、没落貴族——いや、何らかの事情でお取りつぶしになった貴族のお嬢様ってところだろうか。

「エイジさんは、以前は何を?」

「俺は学校の先生。私立の研究機関で地道な文献研究をしながら、学生に指導するのが仕事。学生は、だいたいリリアと同年代か、少し年上が多かったかなぁ」

「研究機関ですか。エイジさんは、かなり身分の高い方なのですね」

「いやー。俺の世界には無駄にたくさん学校があってね。その中でも、俺の学校はだいぶ下のほう。で、俺の立場は教員の中じゃ下っ端。教員よりも、事務員のほうが威張ってるくらいだったね」

「学校や研究機関が多いのは、国が豊かな証拠です。素晴らしいと思います」

 話してみると、リリアは頭の回転が速く、朗らかで、礼儀正しかった。

 良く笑うし、冗談も言うが、不用意にこちらの事情に踏み込んでくる厚かましさはない。以前に非常勤で通っていた名門お嬢様大学(偏差値は天車学院大学の1.5倍くらいある)の学生には、こんな感じの子が多かった。

 品の良い笑顔を浮かべながら楽しそうに話すリリアは、剣を振るって怪物の群れと戦うリリアや、獣欲に狂騒するリリアとはまるで別人のように感じられた。

 そうこう話しているうちに、昼過ぎには小さな砦に辿り着いた。

 リリアは兵士と顔見知りらしく、用事はあっけなく済んでしまった。彼女の話を聞いた兵士は、隊長らしき年かさの男にすぐ報告。隊長は村に兵士を四人派遣して調査に当たらせ、平行して領主のもとに早馬を走らせてくれた。

 兵士たちの様子を見ると、どうやらリリアは有名人のようだ。

 隊長をはじめ、男の兵士たちがやたらと話しかけてくる。彼らは俺に奇異の目を向けたが、リリアが事情を説明すると(嘘のプロフィールを伝えると、とも言う)、親身になってくれた。

 隊長は俺のために、バロワの街の仮通行証を作ってくれた。

 リリアが一時的な身元保証人となることで、俺も街に出入りできるようになるって寸法だ。正式な居住許可は、あとで申請すればいいらしい。

 その後、なにかにかこつけて話しかけてくる若い兵士をほどほどにあしらい、俺たちはバロワの街へと向かった。

 街に着いたら、まずは住む場所をどうにかしないと。

 この世界って、アパート借りるのに保証人っているのかな?



 太陽が遠くの山並みに姿を隠そうとする時分に、俺たちはバロワの街に到着した。

 人口は千人に満たない規模だというが、高い壁に覆われた街の姿は立派に見える。

 門を抜けて街に入ると、大通りに沿って煉瓦れんが造りの建物が並んでいた。平屋が多いが、二階建てのものもある。通りは煉瓦で舗装され、側溝には澄んだ水が流れている。

 あちこちから夕飯の匂いが漂ってきた。野菜が煮える甘い香りや、香辛料の刺激が鼻を突く。

 この世界の文明レベルは中世レベルかと思っていたけれど、もしかしたら俺の予想以上に豊かなのかもしれない。

「もうすぐ夜か。まずは宿屋を探したいところだが」

 俺がそう言うと、リリアは「え?」と呟いて、目を丸くした。

「私の家には泊まらないのですか?」

 今度は俺が「え?」と困惑する番だった。

 道すがら話したとき、リリアは小さな家に一人暮らしだと聞いていた。さすがに女一人の家に泊まるのはありえないので、どこか安い宿でも紹介してくれるものかと思っていたのだが……。

「いいのか?」

 俺がそう尋ねると、リリアは「狭い家ですが、二人寝泊まりするくらいの余裕はありますよ」と笑った。違う、そういう意味じゃない。

 しかし、せっかくの申し出を断るのも気が引けた。

 それに、これから俺たちがどうしていくかを語るには、秘密を守れる場所のほうが望ましい。なにせこっちは異世界からやってきた〈廃棄物〉、かたや奇妙な呪いを背負った元ご令嬢ときている。

 俺が「助かるよ」と言うと、リリアはうれしそうに自宅へと案内してくれた。

 リリアの家は、街の中心部からは離れた場所にあった。小さいが、しっかりした石造りの小屋だった。

「以前、この街に住んでいた老夫婦から譲ってもらったんです。お二人は町中で小さなお店を開いていたのですが、年が年なので、別の街に住む息子さんの家で隠居することになって」

 聞けば、以前はその老夫婦が倉庫として使っていたのだという。なるほど道理で、堅牢な作りになっているはずだ。

 家に入ると、中にはダイニングを兼ねた厨房と個室が二つ。

 厨房の脇には、地下室へ降りるハシゴがかけられていた。

 個室のうち、一つはリリアの部屋。もう一つは空き部屋になっているので、俺が自由に使って良いらしい。

 俺たちは空いている木箱を部屋に運い込み、即席のベッドを作った。上に布をかぶせれば、固くはあるが立派な寝床の完成だ。さすがに石畳の上で寝ると、夜中に体温を吸われて死ぬからな。院生時代、研究室に泊まり込んで死にかけたときの記憶が蘇ってくる。

 作業が一段落するすうと、俺たちは即席のベッドに並んで腰を下ろした。

「さて、じゃあ早速聞かせてもらえるか。リリアの……その……体質のことを」

 俺が話を切り出すと、リリアの肩がビクンと震えた。

「いや、体質というのも変だな。あれはたぶん、人為的な呪いなんじゃないのか?」

「はい……。おそらくは……」

 俺の質問から五秒ほど間をおいて、リリアが口を開いた。

が始まったのは、五年前。私が十三歳の誕生日を迎えたあとです。何か……その……性的に興奮したり、意識するようなことがあると……寝ている最中に、ああいう発作が起きるのです」

 言いにくそうに話すリリア。顔はおろか、耳まで真っ赤になっている。

 会って二日目の男に、性的な話をするなんて、相当勇気がいることだ。

「いつもは、昨日ほどは、……その……激しく……は……ないんです。手とかで……あの……刺激を与えていくうちに、収まるのですが……。昨日のは、昼間にあんなことがあったから……」

 ゴブリンに輪姦されそうになったのだ。意識するなというのは無理な話だろう。

「聞きにくい話なんだが……あの発作は、どうすれば治まる?」

 俺が問いかけると、リリアは顔を真っ赤にしてうつむいた。

 しまった。デリケート過ぎる質問だったか!

「あ、いや! 別に話さなくても——」

「……わ、私が! 私が……ま、満足すると……! 治まります……! き、気持ちよくなって……頭がへんになったら……治る……!」

 リリアは消え入りそうなほど小さな声で答えた。

「誰かに相談したことはあるのか? たとえば、ご両親やきょうだいとか」

「家族には相談していません。母は私を産んですぐに亡くなりました。きょうだいはいません——。いえ、腹違いのきょうだいはいますが、会ったことはありません。父は離れたところで暮らしています」

 ううむ、複雑そうな家庭環境だ。

「ただ、信頼のおける執事……のような者には、『体調が悪い』とだけ伝えて、神殿で様子を見てもらったことがあります」

「神殿?」

 聞くと、この世界にはさまざまな神が存在し、人々の中には神の力を借りてさまざまな奇跡を起こす者もいるだという。そういう者たちは〈司祭〉や〈神官〉と呼ばれ、それぞれの神を祀る神殿で役職を与えられるのだそうだ。

 司祭が起こせる奇跡の種類は、信仰する神によって異なるらしい。だが、どの神の司祭でも、簡単な治癒や解毒、呪いの解除はできるのだそうだ。

 そういう事情もあり、この世界では神殿は医療機関を兼ねることが多い——とリリアは説明してくれた。

「検査の結果はどうだったんだ?」

「エイジさんのご推察通り、何者かが私の身体に呪いをかけていることが分かりました。しかし、かけられた呪いが複雑で高度であったため、司祭たちも解呪することはおろか、その正体を突き止めることすらできなかったのです」

「ふむ……」

 リリアのステータス画面を思い出しながら、俺は考え込む。

 俺に見える範囲で、彼女にかけられた呪いは四つあった。

 一つは、〈淫蕩の呪い〉レベル3。リリアの悩みの原因だ。

 次は〈不妊の呪い〉。字面から推測すると、子供を作れなくなる呪いってことか。確かレベルは10。かなり強固な呪いだろう。

 もう一つは〈不運の呪い〉。運が悪くなってところだろうか?

 そして、最後は〈夭折ようせつの呪い〉。レベルは8。

 夭折——つまりは若死だ。不吉すぎる言葉である。字義の通りに受け取るなら、リリアは若くして命を落とすのだろう。

 死ぬときの年齢や、どんな死に方をするのかは見当もつかないが……。

「診断を受けた神殿は一つだけかい?」

「いいえ。複数の神殿を回りました。王都の大きな神殿で高位の司祭にも見てもらいましたが、それでも呪いの正体は判明しなかったのです」

 国でもトップクラスの司祭でさえ看破できなかった呪い。

 しかし俺の持つ〈コピー&ペースト〉スキルは、それも容易に見破った。

 もしかすると、リリアの〈呪い〉を説く可能性があるのは、俺だけなのかも知れない……。

「きみが冒険者をやっているのも、それと関係があるのかい?」

 リリアは頷いた。

「はい。古代王国の秘宝には、呪いの効果を打ち消せるものがあったと言います。私の呪いを解こうとするなら、そういった道具に頼るしか——」

 古代王国。

 それについて話を聞くと、リリアはこの世界の歴史を教えてくれた。

 この世界には昔、高度な魔法文明が栄えていたという。しかし、何かのきっかけで文明は瓦解。魔法の技術は失われ、秩序は崩壊し、暗黒時代が到来した。

 数百年もの混乱の時代が続いたが、やがて世界各地の諸勢力は、いくつかの国家へと糾合されていった。

 世界の各地には、魔法文明時代の遺跡が多数残されており、そこにはロストテクノロジーで作られた宝物が眠っているという。

 宝物の中には、神の奇跡をも凌ぐ力を持つものもある、とリリアは言った。

 目立つ遺跡は国の調査隊によって発掘されてしまったが、まだまだ手つかずのものも多いらしい。命知らずの冒険者たちは一攫千金を夢見て、日夜まだ見ぬ遺跡を探索しているのだそうだ。

「じゃあ俺はリリアを手伝って、遺跡を探したり、中の探索を手伝えばいいってことだな」

 本当は〈コピー&ペースト〉の力で特殊スキルを上書きして消してやりたいところだが、いまの俺の力では無理だ。スキルレベルを上げなくちゃいけない。

 どの方法で呪いを解くにしろ、リリアの冒険を手伝うのはアリだと思った。

 しかし、問題もある。

「遺跡を探すのが厄介そうだな。簡単に見つかるものなのか?」

 目立つ遺跡はすでにあらかた発掘されているはずだ。めぼしい宝物が眠っているとするなら、非常に危険か、もしくは未発見の遺跡だろう。

 俺の問いに、リリアは首を横に振った。

「この街の周辺には、多くの遺跡が眠っていると言われています。しかし、その入り口を探すのは大変です。手当たり次第に掘ってもらちがあかないので、古文書や伝承を調べて当たりを付けることが多いですね」

「古文書、か……」

「ただ、古文書の文字を読める人は、ものすごく少ないんです。この街でも、まともに読めるのは一人だけですね。年配の方なので、目を悪くされていて、あまり字を読めなくなっています。ほかにも読める方はわずかにいますが、部分的な解読しかできません」

 リリアが表情を曇らせたが、俺はその話を聞いて、天啓を受けた気分だった。

「リリア、そのご老人を紹介してくれ。俺に考えがある」



 話に一区切りついたころには、もういい時間になっていたので、俺たちはそれぞれの部屋で休むことになった。初日から根を詰めすぎても良いことはないからな。

 寝る前に、ふと気になったとがあった。

「おい、謎の声。起きてるか」

『何かご用でしょうか』

 何もない空間に語りかけると、脳内に例の声が響いた。

『なお、私に話しかけるときは声を出す必要はありません。心の中で念じてもらえば反応します』

(こうか?)

『はい。改めておたずねします。何かご用でしょうか?』

(俺のステータスは表示できるか?)

了解コピー。張本エイジのステータスを表示します』


★ ★ ★

対象=張本エイジ

▽基礎能力値

器用度=12 敏捷度=14

知力=20 筋力=13

HP=18/18 MP=22/22

▽基本スキル

日本語=7 英語=3

中国語=3 言語学知識=2

▽特殊スキル

コピー&ペースト=2 女神の加護(アルザード)=10

▽ペースト用スロット(総スロット数=2 空きスロット=0)

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

※〈コピー&ペースト〉の累積経験値は121です。次のレベルに達するまでの経験値は79です。

★ ★ ★


「お、出た出た。予想はしていたが、身体能力はリリアよりだいぶ低いな……」

 頭の中に展開されたステータス画面を見て、俺はため息をついた。

 スキルも大して役立ちそうにないが、〈女神の加護(アルザード)〉というのはちょっと気になる。効果は分からないが、明らかにレアリティが高そうだ。しかもスキルレベルが非常に高い。

 いざとなれば、このスキルをリリアに上書きコピーして〈夭折の呪い〉だけでも解除しておきたいところだな——



 翌朝。

 俺はリリアに連れられて、古文書のプロが住む場所に向かっていた。

 俺たちが訪れたのは、おそらく高級住宅街の一角であった。

「ごめんください。リリアです。突然の来訪失礼します、バーバラさん」

「あらあら、リリアちゃん。今日も可愛いお声ねえ」

 瀟洒しょうしゃな一軒家のドアノッカーを鳴らしながらリリアが呼びかけると、間延びした声が返ってきた。

 しばらくして玄関のドアが開くと、その奥に上品そうな老婦人が立っていた。

 家の主人——バーバラさんは、年の頃は七十前後。

 ゆったりとした紺のローブに身を包み、複雑な飾りがついた杖を手にしていた。杖はついているものの、背筋はしゃんと伸びており、矍鑠かくしゃくとした様子だ。

 俺から見た第一印象は「カレーかシチューのCMに出てきそうな魔女」。

 リリアからは事前に「少し気むずかしい方です」と聞いていたのだが、優しそうなおばあちゃんに見える。

「あら、今日はすてきな方をお連れね! うれしいわ」

 バーバラさんの白く濁った目が、俺のほうを向いた。視力はほとんどないと聞いていたのだが、気配で分かるのだろか?

「いま片付けますからね。悪いけど、ちょっと待っててね」

 バーバラさんはそう言うと、何か歌を口ずさみながら奥へと引っ込んだ。

 二、三分待つと、「お待たせ。中へどうぞ」と中から声がかかった。

 バーバラさんの家の居間は、俺がイメージする「魔女の家」そのままだった。

 壁には正体不明の植物が吊され、本棚には書物や紙束が押し込まれている。

 部屋の奥では、ずんぐりむっくりの犬の像——いや、いま欠伸あくびをしたから、本物の犬だ——が横たわっている。

 雑然とは不潔な印象はなく、不思議な統一感のようなものが感じられた。俺の知る優秀な研究者たちの部屋と何か共通するものがある。

「はじめまして、私はバーバラ・グレイ。魔術師——は引退して、いまはただのおばあちゃんよ、うふふ!」

 居間に入ると、バーバラさんが手を差し出してきた。この世界でも、握手は友好の挨拶らしい。俺にとっては好都合だった。

「張本エイジです。張本が姓で、エイジが名前。お好きなように呼んでください」

 バーバラさんの手を握った瞬間、俺は〈コピー&ペースト〉を発動させ、彼女のステータス画面を開いた。


★ ★ ★

対象=バーバラ・グレイ

▽基礎能力値

器用度=17 敏捷度=10

知力=22 筋力=7

HP=10/10 MP=20/20

▽基本スキル

パルネリア共通語=7 パルネリア古代語=8

黒魔術=7 植物知識=8 動物知識=6 罠知識=3 

狩猟弓術=2 南方短剣術=1

▽特殊スキル

魔力感知=5 魔法強化=5 遺失魔法=4

視力低下=9 ???=?? ???=??

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


 高齢の魔術師だけあって、スキルが豊富だ。見るからにレアっぽいスキルがあるし、全体的にレベルが高い。

 ステータス画面を覗き込んだとき、〈黒魔術〉と〈魔力感知〉が赤く点滅しているのが気になった。視力を補うため、何か魔法的な力を使っているのだろうか?

 まぁ気にしてもしょうがない。俺はにこやかな顔を保ちつつ、心の中で謎の声に向かって念じた。

(〈パルネリア古代語〉をコピーして、〈パルネリア王国式剣術〉に上書き。出来るか?)

了解コピー。〈パルネリア王国式剣術〉がスロットから消失し、〈パルネリア古代語〉が追加されます』

 身を守るための〈パルネリア王国式剣術〉を手放すのは少し怖いが、ここは平和な町中である。それにリリアのスキルならいつでもコピーできる。

「改めまして、こんにちは。エイジさん。この年寄りに、何のご用かしら?」

 バーバラさんが、俺の手を握ったまま尋ねた。

「実はですね——」

 俺は、昨日リリアといっしょに考えた偽のプロフィールを交えながら来訪理由を告げた。

 ——俺は記憶喪失になっていたが、リリアと出会い、怪物討伐を通して意気投合。リリアは俺の身元保証人になってくれた。

 ——俺は以前は言語の研究をしていたような記憶がある。どうやら教師のような仕事をしていたようだ。

 ——その話をリリアにしたところ、「もしかしたら古代語の研究者だったのかもしれない」という話になった。

 ——そこで、古代語を読める人と話してみて、何か引っかかるものを感じないか、確かめようという話になった。

 筋立てとしては、だいたいこんな感じである。

 バーバラさんは、話を聞いている間、俺の手を握ったまま、にこやかな顔で「うん、うん」と相槌を打った。

「そういうことなら、私でもお役に立てるかもしれませんねえ」

 話を聞き終えたバーバラさんはやっと俺の手を放し、本棚から古びた本を何冊か抜き出して、居間のテーブルに並べた。

「どう? この文字に見覚えがあるかしら? 何か思い出した?」

 バーバラさんがページを開くと、そこには複雑な文字の羅列。

 その複雑さは漢字以上だった。まるで西夏文字のようである。

 これまで一度も見たことがない文字だったが、俺の脳はそこに書かれている意味を自動的に解読し始める。

「——かつて竜あり。れ貪欲にして苛烈かれつ。残忍にして狡猾こうかつ。名をイゾームという。ジャワムのいただきみ、世を睥睨へいげいし、神々に叛す。たわむれに滅ぼせし国は七つ。千の城を毀滅きめつし、十万の軍を殲滅せんめつし、百万の民を戮殺りくさつす。主神ディアソート、民をあわれみて妹神を地上に遣わし、一降りの剣を与え、これにあたらしむ——」

 俺が本の一節を読み上げると、リリアは「なっ……!」と息を呑み、ギョッとした顔でこちらを見た。

 バーバラさんのほうは、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべたまま、

「あらあら! やっぱり古代語の先生だったのね! 良かったわね、エイジさん、リリアちゃん」

と言って、胸の前で小さく手を打ち鳴らしている。

「ははは……驚きましたね。まさか本当にそうだとは——」

 お茶を濁すような返答をすると、バーバラさんは「ところで」と言いながら俺の手を取った。そして、俺の顔を覗き込むようにして尋ねた。

「あなたは古代語が読める。その能力を、今後どう生かしていくおつもり?」

 予期していない質問に、俺は「えっと、あの……」と言い淀んでしまった。

 一瞬悩んだが、ここは正直に答えておいたほうがいいだろう——そう判断し、俺は口を開く。

「——リリアのために使おうと思っています。俺はリリアに助けられた。彼女はいいやつだし、俺としては何か恩返しがしたい。リリアは冒険者です。将来的に、古代王国の遺跡に挑むこともあるでしょう。そのとき俺の力は彼女の役に立つはずです」

「それ以外には?」

「特に考えていません」

 俺が即答すると、バーバラさんは「良い心がけね」と笑って、俺の手を放した。

「エイジさん。この年寄りと、一つ取引をしませんか」

「取引、ですか?」

 バーバラさんの口角が、いたずらっぽく弧を描く。

「条件を呑んでくれれば、あなたはうちにある古代語の書物を自由に読んでいい」

「え、本当ですか?」

 事前にリリアに聞いたとことでは、古文書は貴重だという話だった。やすやすと他人に読ませて良いものではないはずだ。

「——驚きました。で、条件とは?」

「条件は二つ。一つは、書物を家の外に持ち出さないこと。メモは取っても良いわ。もう一つは、書物を読むとき、内容を音読して私に聞かせてほしいの」

 バーバラさんは「ほら、私は目が見えないでしょう? だから、代わりに本を読んでくれる人がいると助かるのだけど?」と言う。

「どう? 悪い条件じゃないと思うけど」

「分かりました。その取引、受けましょう」

 俺が答えると、バーバラさんは「まあ、うれしい!」とはしゃいだ。

「では早速、明日からお伺いして良いですか? ご都合のいい時間は——」

「年寄りの一人暮らしですもの、いつ来てくれたって良いのよ。毎日でもいらしてくださいな!」

 リリアのほうを見ると、目を白黒させていた。

 バーバラさんの返答が予想外だったらしい。

 その後、俺たちはお茶を一杯ご馳走になり、バーバラさんの家を辞去した。

「バーバラさん、全然気むずかしい人じゃなかったぞ」

 帰り道、屋台で買った串焼きとパンを食べながらリリアに話しかけると、彼女は眉をしかめながら、首をひねった。

「バーバラさんは、人の好き嫌いが激しい方なのです。私はかなり気に入られているほうなのですが、気に入らない相手だと『今日は気分が乗らないわ』と追い返してしまうのです。理由は分かりませんが、エイジさんはとても気に入られたようですね」

「そうなのかなあ。だったら良いけど」

 そう答えながら、俺は何か釈然としないものを感じていた。

「それよりも、エイジさん」

「なんだい?」

「どうして異世界の人なのに古代語が読めるんですか? よく考えたら、パルネリアの現代語を喋れるのも変な話です。たしか、わたしと最初に出会ったときは、別の言葉を喋っていらしたと思うのですが」

 さすがリリアは勘が良い。

「それは、だな……。俺もよく分からないんだが、どうも女神さまが何か細工をしてくれたみたいだ。俺にはが出来るらしい」

 そう答えながら、俺は居心地が悪い気分を味わっていた。

 リリアは顎に指を当てて考え込み、「不思議ですが、そう考えるしかありませんね」と答えた。

 なんの努力もなく、人様が積み上げてきた技術や知識を扱うのは、やはりしょうに合わないな。





[第二章]楽しい(?)異世界新生活


 異世界にやってきてから、一ヶ月が経った。

 バロワの街は人通りが多く、活気に満ちた場所だった。パルネリアでも有数の大国・ハリア王国の南西部に位置し(と言われても、俺はあまりピンとこないのだが)、国内では中規模程度の都市なのだという。

 ハリア王国の西にあるヴァイハーン帝国や、南のバルジ諸侯同盟との交易ルートと栄えている——というのは、リリアから聞いた話。

 さて、新しい環境での生活とは総じて慌ただしいものだが、俺もその例に漏れず、忙しい毎日を送っていた。

 なにせ、俺が暮らしていた日本と、ここパルネリア世界では文明のレベルが全く違う。文化、風習、常識、生活様式、すべてが異なるのだ。

 パルネリアの文明レベルは、俺の世界でいえば中世後期から近世にかけてのヨーロッパに近いようだった。動物や植物の生態は、地球のそれとかなり近い。

 活版印刷や火薬はまだ発明されていないようだった。もしかしたら発明されているのかもしれないが、少なくとも一般的ではないのだろう。

 もともといた世界と大きく違うのは、俺たちの世界ではおとぎ話の中にしか存在しない、魔法や魔物が実在する点だ。

 ただし、魔法を使える人間の数は非常に少ないそうだ。

 ちなみに魔法は、大きく分けて白魔法と黒魔法の二種類が存在する。

 白魔法は、パルネリアの世界の「周縁」に住む神様から力の一部を借りて行使するもの。「周縁」という概念はよく分からないが、アルザードのいた空間のように、通常の世界とは少し異なる場所らしい。力を貸してくれる神様によって、やれることが少しずつ異なるらしい。

 もう一つの黒魔法は、古代魔法文明が残した技術で、人間の身体の中にある魔力を用いて、さまざまな効果を生み出すもの。何もないところから炎や水を生み出したり、空を飛んだり、使い魔を生み出したり、いろんなことができるらしい。

 黒魔法の使用には高度な精神コントロールと古代語の習得が必須であり、白魔法以上に使い手が少ないのだそうだ。

 まあ、それはさておき。

 バーバラさんの家には、週5回通うことにした。

 バーバラさんは「古文書の音読だけしてくれれば良い」と言ってくれているが、相手は目の不自由な独居老人だ。なにもしないのは気が引けたので、生活の細々した雑用も手伝うことにした。

 所定の日になると、俺は早朝にバーバラさんを訪ね、まずは朝食の準備や、家庭菜園の水やり、犬の散歩を手伝う。

 それが終わると、お茶を御馳走になりながら古文書を音読し、他愛たあいのない世間話に付き合う。これが日々のルーチンだ。

 バーバラさんの家には、たまに薬や魔法について相談したい市民がやってくるのだが、それ以外は週に3回ほど家政婦さんが来るだけだった。そんな環境だったから、毎日のように通ってくる俺みたいな存在はありがたいようだった。

 彼女はすぐに俺と打ち解けて、この世界の歴史やら文化やら地理やら、あと動植物の生態や、料理のレシピなどを教えてくれるようになった。

 肝心の、遺跡に関する情報集めはあまり進んでいないが、この世界で生活していく上で有意義な情報は、たくさん手に入った。

 バーバラさんはよく「年寄りの長話に付き合わせてごめんなさいね」と言ったが、こちとら文学部出身である。お年寄りの相手には慣れていた。

 俺の勤務先には定年退職後に聴講生として登録している老人がたくさんいたし、学会のあとの打ち上げで、高齢の名誉教授の相手を仰せつかるのは俺たち若手である。

 まったく人生、なんの経験が役立つか分からないもんだ。

 午前はバーバラさんのお相手だが、午後はだいたいリリアの手伝いだ。

 とは言っても、冒険者の仕事ではない。

 リリアは、冒険者の仕事が入っていないとき、近所の子供たちに無償で勉強を教えていた。

 彼女が教えているのは、簡単な読み書きや算数だったが、正規の学校に通えない子供の親からはありがたがられており、ときどき野菜や穀物を差し入れてくれる人もいた。

 教えている子供たちは、四歳から十二歳までの十人。日によって来る子はマチマチだが、昼ご飯のあとに町外れの広場に集まり、青空学級方式で授業をする。

 中流以下の子が多いから、当然ノートなんて持ってない。この世界では紙は高級品なのだ。

 だから、この授業では地面がノート代わりだ。拾ってきた木の枝で地面に文字や数式を書き、子供たちに教えていくって形。

 年齢の幅が広いってこともあって、授業は毎回戦争だ。

 リリアは一人一人を回りながら、それぞれの子供に課題を与え、その子に必要なことを教えていくのだが、一人の子に教えている間、別の子が大人しくしているかといえばそんなことはなく——。

「せんせー、オレは何してたらいい?」

「せんせえ、早くー」

「ちょっと、静かにしなさいよ! 先生困ってるでしょ!」

という感じで、騒々しくなってしまうのだ。



 子供たちの世話は骨が折れる。

 俺が入って人手が二倍になったので、だいぶ状況は緩和されたはずなのだが、今度は、

「ねえねえ、リリアは先生はエイジ先生と結婚したの?」

「いっしょにすんでるんだよね?」

と、別の火種(?)も発生していて、なかなか大変だ。

「はいはい、それよりも勉強に集中してね! マリィちゃん、猫と遊ぶのはあと!」

 こんな感じで、リリアはいつもてんてこ舞いである。

 その点、俺は教えることに慣れているので多少はマシだ。

「よーし、今日の勉強はこのくらいにしよう! ここからはお話の時間だ」

 リリアがテンパってくると、俺は手を打ち鳴らして子供たちの注意を引きつける。

「今日はジャワム山に棲んでいた、邪悪な竜の話をするぞー。怖い話だ」

 そして、バーバラさんの家で見聞きした、古い時代の英雄譚や滑稽譚を語って聞かせるのである。ただし、話をするだけで終わりではない。

 物語の要所要所で、「七つの国から、それぞれ三人の勇者が集められました。竜に立ち向かった勇者は何人でしょう?」とか、「この人物の名前をみんなで書いてみよう」と問題を出し、子供たちに解かせるのだ。

 この教え方は子供たちには好評だった。

 俺も、スポンジが水を吸うように学習していく子供たちを見るのが楽しく、久しぶりに充実した気分を味わっていた。

 リリアも子供たちの喜ぶ様子がうれしいらしく、授業中はずっとニコニコしている。

 ぶっちゃけ、やる気のない大学生相手に講義するより、ずっとやりがいがある。

 だが、懸念すべきこともあった。

 授業の評判が上がるにつれて、自分も受けたいという者が新たなに現れ始めたのだ。

 人にものを教えるのは嫌いじゃないのだが、青空学級の規模が大きくなりすぎると責任が発生するし、こちらの手が回らなくなる。いつまでもボランティアでやるってわけにはいかなくなる。

 そこで俺は一計を案じ、学級を再編成することにした。

 子供たちを三つの班に分け、年長者の子を班長に任命。各班長に、年少の子供たちの勉強を指導させる時間を設けたのだ。

 班長に任命された子供たちは、最初は戸惑っていたし、中には不平を言う子もいた。だが、時間が経つにつれて俺の狙いが分かってきたようだった。

「エイジ先生。人に勉強を教えるのって、自分の勉強にもなるんだね」

 俺にそう言ってきたのは、12歳の少女、ロウミィだ。かなり早熟で、頭の回転が速い。

「はっはっは、気がついたか」

「うん! 自分で分かった気になっていることでも、小さい子に質問されると、うまく説明出来ないことがあるんだよね。でも、どう説明しようかなって悩んでいると、だんだん自分の頭の中で考えがまとまってくるの」

 教育において大事なのは、学生たちに「自分がどこまで理解していて、どこを理解できていないか」を把握させることだ。

 どこを理解できていないさえ分かれば、あとは自分で調べたり考えたり、大人に聞いたり出来るようになる。逆に、どこが理解出来ていないかを曖昧なままにしておくと、あとあと大きなつまづきの原因になったりもする。

 俺が導入した班システムの第一目的は、リリアと俺の負担軽減だが、実は子供たちに自学の習慣を与えつつ、細かい躓きを把握するという狙いもあった。

「エイジ先生も、あたしたちに教えているときに、うまく説明出来ないなー、分からないなーって思うことあるの?」

「もちろん、たくさんあるよ。ロウミィたちに勉強を教えることで、日々俺たちも勉強をしてるってわけさ」

 俺がそう言うと、ロウミィは「あたしたちも先生の役にたっているんだね」と、うれしそうに笑った。

 ちょうどそのとき、久しぶりに謎の声が俺の脳内に響いた。

『〈スキル:コピー&ペースト〉のレベルが「3」に上がりました。スロットの最大数が「3」に増加しました』



 さて、めでたくスキルのレベルも上がり、新生活も充実しているが、問題もある。

 一つはリリアの呪いだ。

 例の「発作」は、だいたい週に一度くらいのペースで起きているようだった。

 あれが始まると、隣の部屋からなまめかしいあえぎ声が聞こえてくるわけだが、そうなると俺も(いろいろな意味で)気になって眠れない。

 単なる性欲の発散であるなら心配しないが、苦しそうな声を聞いていると、例の〈夭折の呪い〉が発動したのではないかと不安になってしまうのだ。

 かといって、喘ぎ声が聞こえてくるたびにリリアの部屋に踏み込むわけにはいかない。

 あるとき、隣の部屋から「エイジさん!」と俺を呼ぶ声がしたものだから、慌ててドアを蹴り開けて乗り込んだのだが、リリアは半裸で「行為」の真っ最中。

「あっ、あっ! あうっ……! だめ、エイジさん、そんなことしたら……!」

 おい、俺は何もしてないからな!

 いや、呪いで仕方ないのは分かっているが、もしこんな声が家の外に聞こえたら大変だ。

 一応、「行為」がエスカレートしないか、軽く様子を見ておこう——そう思って俺が近付いたとき、リリアは突然俺に飛びかかってきた。

 剣術スキルを一時消去していた俺は、それを回避出来ず、リリアにしがみつかれてしまった。

「エイジさん、リリアは悪い子です……!」

「あー! 知ってるよ、こんちくしょう!」

 リリアは自分の顔を、俺の顔に近づけてくる。このままではまずい。

 仕方なく、俺はリリアの頭を抱いて、自分の肩口に押しつけた。

 リリアはしばらくモゴモゴ言いながら、腰を俺の太ももに押しつけてゴソゴソしていたが、やがて体を痙攣させて動かなくなった。

「……ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」

 意識を取り戻したリリアは顔を真っ赤にして俺に謝罪したが、本人にはどうしようもないことだ。俺としては責める気は一切なかった。

「いいって。気にするなよ」

 むしろ、いつ俺の理性の糸が切れてしまうか、そっちのほうが心配だった。

 客観的に見てリリアは魅力的な女性だ。外見が美しいだけではない。老人や子供に優しく、困っている人間を見過ごせない正確だ。なにせ俺みたいな見ず知らずの怪しい男の世話をしているぐらいだからな。

 俺がリリアに手出しをしないのは、本人の意思ではどうしようもない弱みにつけ込むのがイヤだからだ。

 だが俺だって聖人君子ってわけじゃないのだ。何度も誘惑されれば、いつか「据え膳」に手をつけてしまうだろう。

「何か発作を和らげる手があればいいんだけどなぁ」

 何気なくそんなことを言うと、リリアは顔を真っ赤にしながら、上目遣いに俺を見た。

「……あ、あるかもしれません……」

「え、マジで?」

「確実……とは……言えないの、ですが……。あ……ああいうふうになったわたしは、その……」

 言いずらそうに声が震わせるリリア。

「あの、発作が出ているときのわたしは、誰かに罰せられることを、求めています……。罰を受けると……その……興奮、するみたいなんです……」

「な、なるほどね」

「だから……その、わたしがああなったら、痛みや屈辱を与えるようなことをしていただければ……すぐに……収まるかと……満足して……」

 ——痛みや屈辱、か。またハードルの高い話だな。

「わ、わかった。気にとめておくよ」

 このときの俺には、そう答えるだけで精一杯だった。

 リリアの呪いについては、一朝一夕でどうにかなる問題ではないので、ひとまず棚上げするしかない。

 実は、これ以外にも厄介な問題がある。

 それもリリア絡みではあるのだが——



 俺のもう一つの悩み。それは——

「うおおおおおお、エイジーーーー! リリアさんから離れろおおぉぉぉおおっ!」

 青空学校からの帰り道。

 俺とリリアが市場によって買い物をしていると、悩みの種が向こうから飛び込んできやがった。

「どけオラアァァァアア!」

 通りの向こうから全速力で走り込んできたのは、若草色の短衣チュニックとズボンを身につけた小柄な少年だ。年の頃は十代前半くらい。

 濃い茶色をした癖毛が風にひるがえり、ぱっちりとしたとび色の瞳と、そばかすの浮いた頬が露わになった。

「死ね!」

 少年は俺の手前で跳躍ちょうやくし、回し蹴りを放った。

「やめっ! うおおおおっ!」

 俺は寸前で蹴りをキャッチ——したものの勢いを殺しきれず、少年の体を抱えたままゴロゴロと地面を転がる。

『対象に接触しました。能力値とスキルセットを表示します』


★ ★ ★

対象=ジール

▽基礎能力値

器用度=16 敏捷度=17

知力=13 筋力=10

HP=11/12 MP=15/15

▽基本スキル

短剣術=2 盗賊体術=1 パルネリア共通語=2

罠知識=2 隠密=3 宝物知識=1

▽特殊スキル

なし

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


いててててえ……。おい、ジール! いきなり襲いかかってくるなって、いつも言ってんだろ!」

「うるせえ、避けないお前がわりぃんだろうが! ていうか、いつまでもオイラにべたべた触ってんじゃねえ!」

「そりゃこっちの台詞だ。耳元でキャンキャン叫ぶなよ。お前の声は脳に響くんだよ。さっさと立て」

 この少年の名前はジール。一応は冒険者で、いまは斥候せっこう見習いのようなことをやっている。

 なんでも、以前リリアに危ないところを助けてもらったことがあるらしく、リリアに心酔している。

 ジールはこれまで何度も、リリアに自分を仲間に加えてほしいと頼み込んでいたらしい。だが、リリアは例の〈発作〉があるため、誰かとパーティを組むことを断り続けていた。

 そういうことがあったせいで、突然リリアと同居を始め、仲良く街を歩いている俺のことが許せないらしい。で、俺の姿を見つけるたびに、こうやってちょっかいをかけてくるってわけだ。

 俺はジールの体をふりほどくと、立ち上がって衣服の埃を払った。

 ついでにジールの手を取って体を起こしてやる。困ったやつだが、まだ子供だからな。

「フンッ!」

 ジールはそっぽを向きながら俺の手を取って立ち上がり——

「痛ッてええええ!」

 俺の向こうずねを蹴り飛ばしやがった!

 そして俺の手をふりほどき、一目散に逃げていく。

「こら、ジール! エイジさんに謝りなさい!」

「いくらリリアさんの頼みでも、それだけは聞けないね! またな!」

「待ちなさーーーーーーーい!」

 ジールの姿はあっという間に見えなくなってしまった。リリアは「まったくあの子ったら!」とおかんむりである。

 市場のおっちゃんやおばちゃんたちは、そんな俺たちの姿を見てゲラゲラ笑っていた。

 ジールはしょっちゅう俺に喧嘩を売ってくるもんだから、今回のような騒動も、市場の人々にとっては「いつものコント」くらいの認識なのだ。

「まったく、困ったもんだな」

 俺が独りごちると、リリアは「あの子も悪い子じゃないんですけどね」とジールをフォローした。

 いや。

 ジールが悪いやつじゃないのは俺もなんとなく分かるんだが、俺の言う「困ったもん」は、実はあいつのことじゃない。

 俺の悩み事——誤算。

 それは「想像以上に、この街でリリアが有名だったこと」である。

 リリアといっしょに街を歩けば、見知らぬ人たちにしょっちゅう挨拶されるし、市場の人はみんな親切にしてくれるし、衛兵たちも礼儀正しい態度を取ってくれる。

 まぁ要するに、かなりの人気者なのだ。そりゃとんでもない美人で、(少なくとも昼間は)上品で清楚、剣の腕も立つとくれば、目立ちまくるのも無理はない。

 なんでも、冒険者たちの間では「姫様」なんて渾名あだなで呼ばれているらしい。

 そんな「姫様」と並んで歩く俺はどうなるか。当然、目立ちまくるわけである。

 しかも俺の「設定」は、記憶喪失の流れ者で、なぜか古代語が読めて、子供に勉強を教えるのがうまい。さらに、例のゴブリン退治のときの噂がいつの間にか広まっており、リリアと並ぶ剣の達人でだということになっている。噂の出どころは、あの砦の兵士だろうな……。

 ともあれ、俺はあからさまに怪しい存在なのだ。

 いまは幸い、リリアの信用が高いおかげで、露骨に不審者扱いされることはないが、何か変な行動を起こせばどうなるか分からない。

 そう思うと、街中の人に監視されている気がしてきて、どうも居心地が悪いのだった。

「困ったものですね」

 俺の横でリリアが眉をひそめた。

「ジールには、あとでわたしからキツく言っておきます」

「いや、別にいいさ。あのガキ、今度捕まえたら目にもの見せてやるぜ!」

 リリアのせいで目立っているとは言えないので、俺は精一杯おどけて見せるのだった。

 さて、ジールに絡まれたせいで、もう帰りたい気分だったが、今日は一つやらねばならないことがある。

「さて、さっさと用事をすませるか」

「ええ、行きましょう」

 俺とリリアが向かったのは、このバロワの街にある〈冒険者の宿〉だ。

 冒険者の宿ってのは、その名の通り冒険者たちが定宿にしている施設のこと。元の世界の言葉で言えば、〈ドヤ〉ってところだろうか。あるいはネカフェ?

 まぁ要するに、一晩いくらで泊まらせてくれる安宿である。

 リリアのようにあまり街から離れないタイプの冒険者は、一軒家を持ったり、アパートを借りたりすることもあるのだが、隊商の護衛のような任務が多い者は〈冒険者の宿〉を利用することが多い。

 だいたいの〈冒険者の宿〉は、酒場や食堂も兼ねている。ただの宿泊施設というだけではなく、同業者同士で情報交換をする場でもあるのだ。

 また、何かしらの悩み事を抱えた依頼人が訪れる場所でもある。宿の主人は持ち込まれた依頼を整理し、店に集う冒険者に振り分けていくのが常だ。

 簡単に言うと、冒険者のマネジメント機能も持っているのである。

 この街にはいくつか〈冒険者の宿〉があり、いま俺たちが向かっている〈満月の微笑ほほえみ亭〉は、その中でももっとも大きく、古い歴史を持つ宿だった。

 街の大通りに面した三階建ての建物は、街のランドマークの一つでもある。

「ごめんくださーい」

「やあ、リリアちゃんとエイジくんか。ようこそ、〈満月の微笑亭〉へ」

 丈夫な木戸を開けて店に入ると、丸顔の中年男がカウンター越しに、にこやかな顔で出迎えてくれた。

 彼がこの宿の六代目の店主、通称・満月さんである。

 頭頂部がつるりとはげ上がり、いつもニコニコ笑みを絶やさない姿は、店名を体現していると言えよう。

 ここ〈満月の微笑亭〉は、一階が食堂になっている。広いフロアにはいくつもの丸テーブルが並び、さまざまな風体の冒険者たちが食事や歓談に打ち興じていた。

 俺たちが店内に入ると、彼らの動きが一瞬止まった。

 俺の体に、そこはかとない好奇の視線が突き刺さるのを感じる。どの顔も「で、あいつは一体何者なんだ?」と言っているみたいに感じる。

 そんな理由があって、俺はこの場所がちょっと苦手だった。

「今日はなんにする?」

 俺たちがカウンターに腰掛けると、満月さんが注文を聞いてきた。

「わたしは柑橘を絞った炭酸水。エイジさんは?」

「俺も同じでいい」

「じゃあそれを二つ。それと軽くつまめる物をお任せで。あと、古代王国の遺跡について、何か情報があれば教えてください。最近、東の山のほうで、何か見つかったという噂を聞いたのですが——」

 リリアは腰に下げた小袋から銀貨を三枚取り出し、満月さんに手渡した。

 今日の俺たちの用事は、〈満月の微笑亭〉で古代遺跡の情報を確認することだった。

 俺たちは日常的に古文書や町中の噂を自分たちで集めつつ、週に二回程度ここを訪れ、食事がてら情報の確認をしているのである。

「あいよ。でも、こいつは返さないといけないね」

 リリアから銀貨三枚を受け取った満月さんは、そのうち一枚をリリアの手のひらに戻した。

 これはつまり、「情報料の分は受け取れない」ということだ。

「情報は何もありませんか」

 リリアが問いかけると、満月さんは気まずそうに眉を下げた。

「すまんね。実は、あるにはあるんだが——」

「ハッハー! わりィな、そいつはオレたちが先にいただいちまったのさ!」

「姫さんたちは一足遅かったね」

 背後から声をかけられて振り向くと、ここに通ううちに顔なじみになった男女の姿があった。

「いよーう! 姫さんは今日も美人だな。エイジセンセの方は、相変わらず不景気そうなツラしてんな! ちゃんと飯食ってる? わはは!」

 そんな軽口を叩きながら俺たちの肩をバンバン叩いてきた男——名前はザックという。

 年の頃は三十前後で、短く刈り込んだ黒髪と、日に焼けた赤銅色の肌の持ち主だ。

 肩幅や首回りはガッチリしており、上背は190センチくらいありそうだ。

 大作りな顔には、いつも不敵な笑いを浮かべている。曲がったことが嫌いな性格で、豪放磊落を絵に描いたような男だった。

 元は傭兵で、愛用の戦斧を手にしていろんな戦場を渡り歩いてきたらしいが、数年前に冒険者に転身したという。何度も死と隣り合わせの危険をかいくぐってきたため、ついたあだ名は〈豪運のザック〉。

「一足先にって、どういうことですか?」

 リリアがザックに問うと、彼の隣にいた女が口を開いた。

「実は古代遺跡がらみで、領主サマから一件依頼があったのさ。定員は二名。アタシとザックで満員になっちまったってわけ」

 こちらの女性はザックの相棒で、名前はイリーナ。

 鮮やかな赤毛と、やや吊り上がった目が印象的な美人だ。ザックのような偉丈夫ではないものの、女性にしては大柄で、皮鎧から覗く二の腕は引き締まっている。

 ウェーブのかかった髪を肩で揃えた姿は、炎を彷彿とさせる。

 イリーナの首からは、細かい鎖で繋いだ聖印シンボルが下げられていた。

 星をかたどったその聖印は、彼女が〈戦神マルセリス〉の司祭であることの証明だった。

 マルセリスはこの世界パルネリアで信仰されている神の一柱で、義と戦いの守護神だと言われている。そのしもべたる司祭は、自らが勇者と認める人材に寄り添い、ともに戦うことを誇りにしているのだそうだ。

 信徒には、ざっくばらんで竹を割ったような性格の者が多く、イリーナもその例に漏れない。

 ちなみにザックとイリーナのコンビは、〈満月の微笑亭〉の常連の中でもトップクラスの実力だと目されていた。

「ちなみに、どんな依頼か聞いても良いですか?」

 リリアの言葉を受けて、ザックは自分の厚い胸板を拳で叩いた。

「ああ、大丈夫だ! 別に口止めされてるわえじゃねえしな。それに、今回の一件は姫さんとも関係あるしよ」

 突然ザックの口から突然リリアの名前が出て、俺は軽くたじろぐ。

「リリアに関係するって、どういうことだ?」

「いや、関係っつっても大した話じゃねえんだけどよ。ちょっと前に、姫さんがゴブリン討伐に出たことがあっただろ? センセがこの街バロワにやってきた頃の話さ」

 忘れもしない一ヶ月前の出来事だ。

 俺とリリアが出会うきっかけになった、あの事件。

「あんとき、姫さんの依頼で領主が山狩りをして、ゴブリンの巣穴を探させただろ? 兵士どもは血眼ちまなこになって探したんだと。でまぁ、時間はかかったが見つかったんだよ。巣穴が。そしたらよ——」

 ザックの説明は要領を得ない。

「——山の中腹に、古代遺跡の入り口があったのさ。ゴブリンどもはそこを根城にしていたんだ」

 痺れをきらしたイリーナが会話に割って入った。役を奪われて悲しそうな顔のザックを尻目に、イリーナは説明を続ける。

「巣穴には、三十匹ほどゴブリンがいたらしいんだけど、こいつらは兵士たちが殲滅した。困ったのはそのあとさ。この遺跡の入り口、人為的に工事された形跡があったらしい。だが、工事の正確さや規模を見ると、ゴブリンがやったとは思えない——つまり」

 確認するように、俺たちの顔を見回すイリーナ。

「ゴブリン以外の誰かが、密かに遺跡を発掘してたんだ。領主サマや、アタシたちバロワの冒険者にも気付かれないうちに。きな臭いと思わない?」

「知性と技術をもった何者かの仕業ということか。そいつらの正体や狙いはなんだ?」

 俺が聞くと、イリーナは「それを調べにいくのがアタシたちの仕事さ」と笑った。

「領主サマは、念のため遺跡の内部調査をすることにしたんだ。調査は兵士とお抱えの学者先生がやるんだけど、彼らは古代遺跡の探索には慣れてない——」

「ってことで、遺跡に慣れている優秀な冒険者を付き添わせることになったのさ! 今回の遺跡は、姫さんのおかげで見つかったもんだから、横取りしているみたいな気分だが、悪く思うなよ!」

 ザックはすまなそうな苦笑を浮かべ、リリアに軽く頭を下げた。

「代わりと言っちゃあなんだが、今日はおごるぜ。こっちで一緒に飯食おうぜ」

 ザックに促され、俺たちはテーブル席に移動した。イリーナがウエイターに注文を飛ばすと、ややもせぬうちに、大量の酒やジュース、料理が運ばれてくる。

 俺たちは料理に手を付けながら、しばしの歓談に打ち興じた。

 冒険者には油断のならない雰囲気を持った者が多く、ともすれば何か探りを入れてくる。ザックとイリーナは珍しく裏表のないタイプだったので、俺は彼らと話をするのが好きだった。

「ところで、センセ」

「なんだい?」

「あんた、実はすげえつええって噂じゃねえか。今度、俺と一勝負してくれよ」

 ザックからの突然の申し出に、俺は慌てて手を振って否定の意思を示す。

「そりゃただの噂だ! どこかの無責任なやつが、俺がリリアと一緒にいるからリリアと同じくらい腕が立つに違いないって噂を流してるだけ! 俺はただの記憶をなくした学者くずれ。あんたにかなうわけないだろ」

 ザックは「そうなのか?」と残念そうに首をひねったが、その直後にニヤッと頬を歪める。

「じゃあ、代わりにオレに文字を教えてくれよ。オレ、字読めねえから」

「なんの代わりだよ。だが、そういう話ならお安いご用だ」

「おおー! マジかよ、助かるぜ。オレ、字が読めないせいで、イリーナと組むまではいろんなやつに騙されてきたからよ!」

 ザックはウェイターの持ってきた飲み物を一気に飲み干し、破顔大笑した。

「字なら、イリーナに習えばいいじゃないか」

「いやさ、イリーナにも習ってて、多少は読めるようになったんだが、こいつすぐ怒るんだもん! 教えるの向いてねえんだよ!」

 酒を飲みながら話を聞いていたイリーナが、じろりとザックをにらむ。

 イリーナはかなりの酒好きで、すでに蒸留酒をコップ五杯ほど空けていた。顔がだいぶ赤い。

「なにいってんのさ! お前がバカすぎるのが悪いんだよ、人のせいにすんじゃないよ、このデクノボー!」

「ほらな、センセ。こういう風に怒るのさ!」

 二人のやりとりを見ていたリリアが、思わずクスッと吹き出した。俺も釣られて笑ってしまう。

「うふふ……。お二人は本当に仲が良いカップルですよね」

 リリアがそう言うと、ザックとイリーナは互いに顔を見合わせ、眉をしかめた。

「オレが?」「この男と?」「カップル?」

 赤ら顔のイリーナは「冗談じゃない!」と吐き捨て、木のコップをテーブルに叩きつけた。目が据わっている。

「こいつはただの相棒。四六時中いっしょにいるから、そりゃあ恋人みたいに体を重ねることはあるけど、恋人じゃあないよ。お互いを性欲のはけ口にしてるだけ」

「おい、イリーナ! なに言ってんだよ、姫さんが困ってるだろ!」

 突然始まった猥談についていけず、リリアは数秒ぽかんとしていたが、やがて言葉の意味を理解すると、耳まで真っ赤にしてうつむいた。

「いや、姫サンも冒険者を続けていくのなら、いずれ分かるときが来るよ。キツい仕事のあとは、たまらなく男のカラダがほしくなったりするのさ」

「イリーナ!」

「うるさいねえ、斧の振り方一つおぼつかないヒヨッコが! あ、でもこいつ、斧の振り方は半人前だけど、腰の振り方だけは一人前なの! アハ、アハハハハ!」

 イリーナは自分の下品な冗談でしばし爆笑し、

「というわけで! こいつは恋人でもなんでもない!」

と言い残すと、テーブルに突っ伏してグウグウと寝息を立て始めた。

「やれやれ、すまねえな。姫サン、センセ。こいつ酒癖が悪くてよ」

 ザックは寝落ちしたイリーナに気遣わしげな視線を一瞬送ると、俺たちのほうに向き直り、大きな体を縮こまらせて詫びた。

 それに対し、リリアも軽く頭を下げる。

「いいえ。イリーナさんの考え方、とても参考になりました」

「え、マジかよ? まぁいいや。こいつはあとでキッチリ説教しとくから、あんま気ィ悪くしねえでくれや。今回の仕事が終わったら、また一杯奢るからよ。一次調査は三日ぐらいで終わるはずだから、その後にでもな」

 ザックは床に膝を突くと、寝ているイリーナを背負って立ち上がった。

「はい。また一緒にお食事しましょう」

「じゃあ、またタカらせてもらうこといするよ。無事に帰ってこいよ」

 俺たちがそう言うと、ザックは「おう、楽しみにしててくれよ!」と笑った。



 イリーナの介抱をザックに任せると、俺たちは家路に着いた。

 家に戻るころにはすっかり夜が更けていたので、俺たちはさっさと湯で体を洗って休むことにする。

 俺はリリアとお休みの挨拶を交わし、自室にこもると、ベッドに身を横たえた。

 イリーナほどではないが、俺も多少酒を入れていたので、すぐに眠くなるかと思ったのだが、眠気はさっぱり起きなかった。

 ザックたちに聞いた話が、頭の片隅に引っかかっていたからだ。

「東の山で突然発見された古代遺跡……。人為的な工事……」

 俺はベッドから立ち上がってランプを点け、部屋の片隅に設置した木箱に手を伸ばした。

 箱の中には、バーバラさんの家に通い詰めて作成したメモが突っ込んである。

 主にバロワ周辺に伝わる伝承や、古代魔法文明時代の博物誌をまとめたものだ。もしかしたら、何かヒントが隠されているかもしれない。

「魂を食らう影……。さまざまな生き物の姿を取り込んだ合成獣……。昔はこのあたりに物騒な化け物がたくさん住んでいたんだなぁ。南の山の洞窟には、巨大な竜の死骸が眠っているなんて伝承もあるし、ここ一帯はモンスターワンダーランドかよ」

 いや、「住んでいた」と過去形で言うのは間違いかもしれない。

 バーバラさんに聞いた話だと、幻獣と呼ばれる太古の怪物には、無限の命を持つ者もいるという。

 また、古代文明の力で作られた生物兵器——「魔獣」と呼ばれる——は、埋もれた遺跡の中でいまも主人たちの財宝を守っているそうだ。

 東の山の遺跡に魔獣が残っていたなら、ザックやイリーナと遭遇するかもしれない。そう思うと、胸が重くなるのを感じた。あいつらには無事に帰ってきてほしいものだが——。

 そんなことを考えていると、部屋のドアがコンコン、とノックされた。

「起きてるよ。どうした、リリア?」

 俺が声をかけると、ドアがきしみを上げながら、ゆっくりと開く。

 開いたドアの向こうに、寝間着用の薄いローブを羽織ったリリアが立っていた。

「リリア?」

 様子が変だった。俺の呼びかけに返事をしないし、目は焦点を失ってトロンとしている。

 〈発作〉が始まったのか!? イリーナの猥談がトリガーになったのだろうか?

「うふふ……」

 リリアは薄く笑い、腰紐をほどいた。ローブの下には何も着ていないようだった。

「エイジさん……」

 リリアはこちらに歩を進めながら、煩わしげな様子で胸を張った。

 ローブが肩からずり落ち、瑞々みずみずしい裸身が露わになる。傷一つない白い肢体は興奮からか、わずかに赤らんでいる。体毛が薄いため、まるで薄いピンクの陶器のように見える。

 ランプのオレンジ色の光が照らし出すリリアの姿は、神々しい雰囲気すらたたええていた。

 俺があっけにとられているうちに、リリアは歩みを進め、ついに肌が触れあう位置までやってきた。二本のしなやかな腕が俺の背中に回され、豊かな胸が押しつけられる。

「おい、リリア! しっかりしろ!」

 声をかけ、腕を振りほどこうとしたが、力はリリアのほうが強い。

(おい、謎の声! 出番だ!)

 俺は〈コピー&ペースト〉のスキルを起動させた。

 のことを考えると、リリアから逃げるために、せめて戦闘系のスキルだけでも互角にしておきたかったのだ。

『ステータスを表示します』


★ ★ ★

対象=リリア

▽基礎能力値

器用度=19 敏捷度=21

知力=17 筋力=16

HP=16/16 MP=19/19

▽基本スキル

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

隠密=3 罠技術=1 武具鑑定=1 宝物鑑定=1

ハリア王国式儀礼=4 

▽特殊スキル

騎士の誓い=6 ???の血統=5(固定)

淫蕩の呪い=4 不妊の呪い=10

夭折の呪い=8 不運の呪い=2

??????=?? ??????=??

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


 脳内に表示されたリリアのステータスを見て、俺は思わず息を飲んだ。〈淫蕩の呪い〉のレベルが上がっている! だが、真に驚くべきはそこじゃない。

(〈ハリア王国式剣術=7〉をコピーし、空きスロットにセット)

了解コピー。セットが完了しました』

 スキルのコピー&ペーストを終えると、俺はリリアの肩を叩いた。

「おい、リリア」

「エイジさん、わたしと寝ましょう……?」

 リリアはそう呟きながら、無表情な顔を俺に向けた。桜色の唇から興奮した熱い息が漏れ、俺の首筋を刺激する。こんな状態があと少し続けば、俺の理性はあっけなく崩壊してしまいそうだった。

 いま俺に出来ることはなんだろう——自問した。

 悩みどころだが、悩んでいる暇はない。俺は意を決して口を開く。

「リリア」

「わたしが相手じゃ、嫌ですか……?」

「リリア、

 リリアの肩が、ビクンと震えた。

「いまのお前は、。そうだろ?」

 俺を見上げるエメラルドグリーンの瞳が潤み、目の端から大粒の涙がこぼれた。

「——ごめんなさいっ!」

 リリアは俺の体から腕をいて振り向く。

 俺は咄嗟とっさに腕を伸ばし、逃げようとするリリアの体を背中から抱きしめた。

「俺は何も気にしていない。謝らなくて良い。……それより、どうしてこんなことをしたのか、聞かせてくれないか?」

「……」

 重苦しい沈黙が訪れた。部屋の中は物音一つしない。

 俺に聞こえるのは、リリアを抱き留めた腕から伝わってくる、激しい心臓の鼓動だけだった。

 俺は口を閉ざしたまま、リリアの反応を待つ。

 しれから数分——いや、数十分は待っただろうか。

「——いつから、気がついていたんですか?」

 長い沈黙を破り、リリアが声を震わせながら呟いた。

「最初から変だとは思っていたんだ」

 俺は慎重に言葉を選び、出来るだけ軽い口調でリリアに応じた。

「呪いに操られている人間が、わざわざドアをノックして、こちらの返事を待ってから入ってくるなんて不自然だと思ったんだ。入ってきた後の演技はなかなかだったが、初手でしくじったな」

「——やっぱり、エイジさんは頭の良い方ですね。それにとても冷静。たったそれだけの情報で見抜くなんて」

 実は、リリアの芝居に気付いた要因はそれだけじゃない。

 ステータス画面を見たとき、前の〈発作〉と違ってMPが0になっていなかった。

 それになにより、〈淫蕩の呪い〉の項目が光っていなかった。

 まぁ要するにズルをして知ったわけだが、それについては黙っておく。リリアが俺の能力を知れば、自分の身にかけられた呪いについて、詳しく知りたがるだろう。

 だが、〈淫蕩〉以外の呪いの存在を知れば、リリアは間違いなく強いショックを受ける。

 俺の能力や呪いのことは、いずれリリアに話さなければならないが、そのタイミングはいまではない。

「ははは……。大したもんだろ? でも俺にも分からないことがある。なぜ、リリアはこんなことをしたんだい?」

 できればしたくない質問だった。だがこれは、今後の俺たちの関係にしこりを残さないためには、避けては通れない問題だ。

 再び重苦しい沈黙が訪れる。しかし、今回は短かった。

「呪いの衝動が、だんだん強くなってきているんです」

 声は震えたままだが、はっきりとした口調だった。

「以前は、〈発作〉が起きるまで自覚症状がなかったんです。でも、あの——ゴブリンに襲われた後から、〈発作〉が起こるタイミングが自分で分かるようになりました。身体の奥から、強い衝動がわき上がってくるのです。そして、その衝動は日を追うごとに強くなっていっています……!」

 リリアの喉がゴクリと鳴った。

「——一人でじっとしていると、わたしの中にいるもう一人の自分が、囁いてくるんです。『お前は悪い子だ。悪い子は罰を受けなければいけない』って。『罰を受けるのは気持ちいいぞ』、『お前はその身の隅々まで蹂躙じゅうりんされねばならない』、『自らの欲望を解き放ち、他者の欲望を受け入れよ』、『それがお前への罰。お前の救い』……そう……言うん……です……!」

 リリアを抱きとめていた俺の腕に、一滴、二滴と涙がこぼれ落ちる。

 何かを言わなければいけないと思った。だが、言葉が出てこない。考えがまとまらない。

「じっとしているだけで、気が狂いそうになるんです。もう一人のわたしの声に従って、誰かに身をゆだねれば、楽になれるのかなと思いました」

「リリア……」

「わたしは楽になりたかった! だから今日、イリーナさんの話を聞いたときに思いついたのです……! わたしにも、イリーナさんにとってのザックさんのような、互いに信頼しあい、欲望を解放しあえる相手がいればいいんだ、と……」

「それが、俺ということか」

 なんてこった。ずいぶんこじらせちまっているな……。

 リリアはザックたちのことを根本的に勘違いしている。

 連中、口では身体だけの関係みたいなことを言っているが、あれはどう見ても相思相愛、本物の愛と信頼で繋がった恋人同士だ。息の合った口喧嘩からは、熟年夫婦の風格すら感じる。

 出会って一月程度の俺たちとは話が違うのだ。

「ごめんなさい。わたしはエイジさんを騙して、利用しようとしました。わたしのことを愛してくれなくてもいい。ただ、わたしの欲望を受け入れて、わたしを、欲望のはけ口に、して、くれないかと思って……」

 リリアはしゃくり上げながら、懸命に言葉を紡いだ——その瞬間。

 俺の脳内に危険信号がともった。

「か、仮にそうなったとき、わ、わたしは、あ、あ、あなた、あなたを心から、あい、あいあいあいあ、あ、あ、あ、あ、あ!!」

 リリアの口調——そして、俺の脳内に展開されたリリアのステータス画面に異変が起きていた。

 特殊スキル欄の〈淫蕩の呪い〉。それがいま、赤く点滅しはじめたのだ!

「リリア!」

 俺は慌ててリリアの肩を掴み、無理矢理振り向かせる。

「エイジさん……」

 俺の眼前に現れたリリアの顔。

 そこには、これまで見たことがない表情が浮かんでいた。

 泣き濡れた目は空虚で、まるで死人のようだった。反面、柔らかな唇は横に大きく広がり、なめらかな弧を描いている。

 弧の端からは、赤い舌先が突き出ていた。それはまるで意思を持ったようになまめかしく動き、唇の表面を湿らせていく——

「エイジさんはぁ、焦らせるのがお上手ですねぇ、うふ、うふ、うふふふ!」

 甘ったるいびを含んだ婬靡いんびな声が、俺の耳を打つ。

 さっきのような芝居ではない、本物の〈発作〉が始まったのだ。

 呪いを発動させたリリアの口調は、思いのほかはっきりしていた。

 語尾に媚びるような響きがあるが、まともな思考力を保っているように感じられる。

「ふう……やっと表に出てこられたわぁ。こんばんは、エイジさん。はじめましてぇ」

 やっと出てきた?

 はじめまして?

 いったいどういう意味だ?

「リリアの身体に巣食すくっている呪いが、お前なのか?」

 そう問うと、リリアの身体を乗っ取ったは、ぽかんとした表情を浮かべた。

 一瞬の間をおいて、リリアは「きゃはははは!」と火が点いたかのように哄笑こうしょうする。

「なにがおかしい!」

「あは、あはははっ! なにそれ! 呪いが人格を持ったのが、あたしってことぉ? 面白い推理だし、わたしリリアもそう思っていたみたいだけどぉ、残念ながら不正解!」

 リリアはそう言いながら、右手で俺の頬を、左手で腰のあたりをいとおしそうにで回した。

あたしリリアリリアわたしよ。さっきわたしリリアが言ったでしょう? もう一人の自分。それがあたしなの。まぁ呪いと無関係じゃないけど」

 面白がるような口調で、それリリアは囁く。

わたしリリアは、呪いによって暴走した自分の性欲にあらがい続け、無理に抑圧しようとした。そのせいで、心が壊れそうになったの。その結果として生まれたのが、あたし。あたしはリリアわたしの心の防衛機構として生まれたの。リリアわたしの理性をそそのかし、性欲の解放をうながして、。表のわたしと表裏をなす、もうひとつの人格リリア。それがあたし」

「なんだと——」

 さっきリリアは言っていた。「自分の中から声がする」と。俺は——そしてリリア自身も、それは呪いの効果だと思っていたが、間違っていたということか。 

「あたし、いままでずっとリリアわたしの理性で押さえ込まれていて、ほとんど表に出てこられなかったんだけどぉ、エイジさんがイイカンジにリリアわたしを叱ってくれたおかげで、こうやってハッキリ出てこられた——というわけ。うふふ!」

 リリアの指が艶めかしく蠢き、俺の首筋や、足の付け根の部分を愛撫する。

「さぁ、早くあたしを抱いて。それがリリアあたしたちの願い。ほらぁ、エイジさんの身体だって、もうこんなになってるじゃない? すごぉい、がもうガッチガチ! キャハハ!」

「くっ……!」

 リリアの指による愛撫に耐えながら、俺は急いで考えを巡らせていた。

 俺はどうするべきだろうか?

 、双方のリリアが言うことを総合すると、リリアは自分の性欲に上手く向き合えないことで、精神的な危機に陥っている。

 俺がここで彼女を抱き、性的な満足感を与えてやれば、一時的に危機は回避されるかもしれない。

 俺の本能は、リリアを抱きたがっている。

 あの細く引き締まった美しい身体の奥に、自分をねじ込み、衝動を打ちつけ、欲望を炸裂させたい。いますぐにでも。

 だが、俺の理性がそれを押しとどめる。

 いまリリアを抱くことで、彼女の心を一時的に救えるかもしれない。

 だがそれでいいのか? 何か違う気がする。こんな風に、なし崩し的に身体を重ねても長期的には良い結果を生まないのではないか?

 たとえことに及ぶにしても、もっと信頼を育んだ上で、きちんと合意をもってやらなければ、今後しこりを残すことになるのではないか——リリアの心にも、俺の心にも。

「ねえぇ、エイジさんー! なんでずっと黙っているのぉ? 早くやりましょうよぉ。意気地無しじゃないんだった。あれ? もしかして、リリアあたしたちのことが嫌いなのぉ?」

 悩み続ける俺に、リリアが責めるような口調で言う。

 クソ、どうすればいいんだ……!

リリアあたしたちが悪い子だから、嫌いになったのぉ? だったらぁ、早くお仕置きしてぇ。そしたら、みじめったらしい声で、無様に、可愛らしく泣いてあげる。エイジさんをいっぱいいっぱい、楽しくさせてあげる」

 このとき、俺の脳裏に一つのアイデアが浮かんだ。

 以前、たしか表のリリアが言っていた。彼女は、痛みや屈辱を快感に感じるのだと——

 一か八かだが、この場を切り抜けられるかもしれない。

 俺はリリアの両手首をつかんだ。

「あはっ! ついにその気になったのね!」

「ああ。やってやるとも。悪い子にはお仕置きが必要だ」

 俺はリリアの手を持ったまま、ベッドに腰掛けた。

 そして、油断していたリリアの背中に手をかけて体勢を崩し、左太腿ふとももの上に腹ばいにさせる。

 リリアは「きゃっ!」と小さい悲鳴をあげた、その隙に、左手でリリアの右手を背中側にひねりあげ、自分の右脚でリリアの両足をガッチリ挟み込んだ。

「あらぁ! エイジさん、やるじゃない! そうかぁ、それをやるのね!」

 リリアは、これから自分が受ける行為に期待を膨らませ、嬌声をあげた。

「いいわ、いいわ、いいわぁ! あたしのお尻をつのね! そういうの大好きよ。でも、やるなら全力でね。中途半端はダメよ! 下手に生殺しにすると、この子リリアがますます苦しんじゃうからぁ。ちゃんと満足させるのよぉ?」

「ちくしょう、分かったよ!」

 こうなれば行くところまで行くまでだ。

 覚悟を決め、俺は右手を大きく振りかぶり。

 リリアの剥き出しの尻に向けて、全力で振り下ろした。

「きゃんっ!」

 振り下ろしたてのひらがリリアの尻を打ち据えた。

 薄暗い部屋の中に、「パアァァアン!」と紙風船を割ったような音が響く。

 想像よりも大きい音が出たため、自分でも驚いてしまった。あと、思っていたよりも自分の手が痛い……。

 こういうのって、何発くらい叩くのが適切なんだろうか? よく「百叩き」なんて言うけど、百発も叩いたら、リリアの尻だけでなく俺の手がぶっ壊れそうなのだが。

「あああん、エイジさぁん、もっとぶってぇ……。悪いリリアにお仕置きしてぇ!」

 いや、考えてもしょうがない。

 リリアの精神を救うためには、彼女が「満足」するまで打ち続けなければいけない。

 俺は意を決して右手を振り上げ、再び全力で振り下ろす。そして続けざまに、二発、三発とリリアを打つ。そのたびにリリアは「あんっ!」と甘い吐息を漏らした。

「エイジさん……あんっ! すてきよ……きゃうっ! もっと、もっと……あっ! リリアをぶって! んっ!」

 雪山のように白かったリリアの尻が、みるみるうちに赤くれ上がっていく。尻以外の部分も、興奮で赤みが差し始めた。白い肌にはうっすらと汗が滲み、ランプの明かりを受けてキラキラと輝く。

「リリアの……あっ! 身体にっ! 悪い子の……ウッ! 証をッ! 刻みっ……! 付けて! あっ!」

 打擲の回数が二十回を超えたあたりからだろうか。甘ったるかったリリアの声から、次第に余裕が失われていくのを感じた。

 俺の掌はすでに感覚が失われつつあったが、直感が「まだ終わってはいけない」と告げている。俺は痛みに耐えながら、さらに打擲を重ねる。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 もう四十か五十は打っただろうか。リリアはひたすら「ごめんなさい」を連呼するだけになった。

「もう十分か?」

 叩きながら聞くと、リリアは「ごめんなさい!」と叫びながらも、首を大きく横に振る。なら、まだやめるわけにはいかない。俺は熟れすぎた桃のようになったリリアの尻を無心で叩き続けた。

「ごめ……! ごめんな……ぐずっ……! ごめんなひゃい! ごめ……しゃい……! あっ! あっ!」

 さらに十数発叩いたあたりで、声の調子が変わった。泣いているようだった。身体も痙攣するようにガクガク震えていた。

 異変に気がついた俺は、すぐにリリアのステータス画面を確認する。

「あ……!」

 〈淫蕩の呪い〉は、すでに点滅を止めていた。

 リリアのHPは10まで減少していたが、0だったMPは1になっていた。

 〈発作〉は止まったのだ。

「リリア!」

 呼びかけながら、リリアの身体を抱き起こし、顔を覗き込んだ。顔は涙でグチャグチャだったが、半開きになった目の奥には、正気を示す輝きが戻っていた。

「良かった……。正気に戻ったんだな。こんなことをして、その……本当にすまない……」

 俺がそう詫びると、リリアの瞳に大粒の涙が溜まり、頬を伝ってこぼれ落ちた。

「あうう、ああああ、うわあああぁぁ……!」

 リリアは幼児のように叫ぶと、甘えるように俺の身体に腕を絡めてきた。その手つきは、男を求める女のものではなく、親の庇護を求める子供のそれだった。

 背中を優しく叩くと、リリアは俺の胸に顔をうずめ、泣き続けた。



 リリアが泣き止んだのは、それから小一時間ほど経ってのことだった。

 ランプの明かりが消えた真っ暗な部屋の中で、俺は黙ってリリアの背中を撫で続けていた。

「……みっともないことをしちゃって、ごめんなさい」

 リリアがぽつりと漏らした言葉に、俺は「気にしてないよ」と返した。

「それよりも気分はどうだい? 尻は……その、大丈夫?」

「お尻はめちゃくちゃ痛いです。椅子に座ったら飛び跳ねちゃうかも。気分はすごく良いです。何年もずっと、頭の中でモヤモヤしていたものが晴れたみたいで、幸せな気分です」

「そうか」

「わたし、ずっと自分のことを、いやらしい悪い子だと思っていました。でも、それをずっと隠していて……。本当の自分をさらけ出せて、お仕置きしてもらえたから、スッキリしたのかもしれません」

 リリアは「ふう……」と息を吐くと、ベッドにうつぶせに横たわった。一糸まとわぬ裸身と、赤く腫れた尻が目に毒だった。

「あの、エイジさん。厚かましいんですけど、わがままを聞いてもらっていいですか?」

 リリアの問いに、俺は反射的に「いいよ」と答えしまった。

 雰囲気に流されてうっかり快諾したものの、いったいなにを要求されるんだろう?

「添い寝」

 リリアは恥ずかしげに言うと、ベッドの空きスペースを手で軽く叩いた。

「足腰立たなくなっているから、朝までここで休ませてほしいんです」

 それなら俺が別の場所で寝れば——と言いかけたが、リリアは有無を言わさぬ様子で、俺の腕を握ってきた。

「分かったよ。添い寝だけなら」

「ありがとう」

 それから俺たちは、同じベッドに寝転んで、いろいろな話をした。

 リリアにとって、「もう一人の自分=裏リリア」の存在は衝撃だったみたいだ。

 だが、それが呪いとは直接関係がなく、自分の精神が作り出した防衛機能だったとわかり、少しほっとしているようだった。

 これまでずっと聞こえていた裏リリアの声は、いまはまったく聞こえないという。いずれまた顕在化するかもしれないが、当分は出てこないだろう、とリリアは言った。

 ほかにも他愛のない話をした。

 バーバラさんの家で見た珍しい薬草や、書物、彼女が飼っている犬のこと。

 青空学級で教えている子供たちのこと。

 市場で売っている食べ物や、この街に住むいろんな人々の話。

 最後に、冒険者たち——主にザックとイリーナの話になった。

「あいつらが探索から戻ってきたら、飯に誘おうぜ」

「あまりおごららせたら悪いですよ」

「なに、奢らせたぶんだけ勉強を教えてやるさ。そうだ、ザックも青空学級に呼ぶか。絶対面白いぜ」

 バカでかい男が子供に混ざって勉強している姿を想像すると、ちょっと笑える。

「ザックさんは子供たちと気が合いそうですね」

「ただしイリーナは出禁にしないとな。あいつは子供に悪影響だ」

「ひどい!」

 非難がましく言いながらも、リリアは楽しそうに笑った。

「お二人とも、無事に帰ってきてほしいですね」

「そうだな。あさって現地に行って、三日ぐらい調査するって言ってたから、五日後くらいには戻ってくるだろう。楽しみだな」


 だが、俺の予想に反して、ザックとイリーナは、一週間経ってもバロワの街に帰ってこなかった。





[第三章]古代遺跡に潜む影


 「もう一人のリリア」が現れた事件から、一週間が経った。

 いろいろあったが、俺とリリアは特に気まずくなることもなく、平穏な日常を送っていた——と言いたいのだが、若干の変化もあるにはあった。

 あの一件以来、リリアと俺の距離はかなり縮まった。それぞれの秘密を共有する者として、互いに相手を信頼する気持ちが深まってきたのだ。

 それ自体は良いことなのだが、少し困ったこともある。

 リリアが毎日のように添い寝をせがんでくるようになったのだ。

 リリアが言うには、一人で余計なことを考える時間が長いと、〈呪い〉が発動しやすいのだそうだ。だから、なるべく一人の時間を作りたくないらしい。

 そう言われると俺としては断りにくく、毎晩のようにリリアと同じベッドに入り、他愛のない雑談に付き合った。なるべく身体には触れないようにしながら。

 しかし、ちゃんと服を着て寝るとはいえ、相手は花盛りの十八歳。しかも桁外れの美人で、性格も良い。

 俺は日に日に、自分の理性が削られていくのを感じていた。

 えーっと、それはさておき!

 今日、俺たちは〈満月の微笑亭〉にやってきていた。

 昼食を兼ねた、いつもの情報収集だ。

「やあ、いらっしゃい。今日も仲が良いね」

 店に入ると、いつも通り店主の満月さんが笑顔で迎えてくれる。お昼時を少し回った店内は客がまばらで、満月さんは暇そうにしていた。

 俺たちが適当に料理や飲み物を注文し、最近の情報を尋ねると、満月さんはにこやかに話し始める。

「遺跡の情報はたいしたものがないけど、実入りの良さそうな仕事ならいくつかあるよ。商人の家の短期警備とか、衛兵への剣術指南とか。あと、代書屋が手伝いを探している。こっちはエイジくん向けかな——」

 満月さんが依頼の一覧を記した紙を取り出そうとしたとき、店の入り口の扉が、大きな音を立てて開いた。

「どうしたんですかい、騒々し——」

「リ、リリアさんはいますか!」

 扉を蹴破るように店内に入ってきた人物は、開口一番にそう叫んだ。

 どこかで聞き覚えのある声に振り返ると、そこに立っていたのは——

「スレン!」

 俺がこの世界で訪れた村の青年、スレンだ。朴訥だが、感じの良い男だった。

 スレンの身体はあちこち泥で汚れ、掌には擦過傷があった。慌てて走ってきて、どこかで転んだに違いない。

「そんなに慌てて、どうしたのですか?」

 リリアが急いで駆け寄ると、スレンはリリアの手を取って、泣きそうな顔を浮かべ、その場に崩れ落ちた。

「弟を、弟を助けてください!」

 いったい何が起こったというのだろう。

 村の周辺にいたゴブリンの群れなら、領主配下の兵士たちが殲滅したはずだ。何か災害でも起こったのだろうか?

 リリアと俺はスレンを店内に引き入れると、空いているテーブルにつかせた。

「話を聞かせてもらえますか?」

「い、遺跡に弟が! 行方不明になくなって……! 調査隊が、あの!」

「スレン、落ち着いて!」

 スレンはひどく慌てた様子で、要領を得ない言葉を口走った。

 目を白黒させるリリアに助け船を出してくれたのは、満月さんだった。

「おにいさん、ちょっと落ち着きなさいよ。はい、水」

「あ、すみません……!」

 満月さんが持ってきた水を飲むと、スレンは少し落ち着いた様子を見せた。

 スレンは周囲を軽く見回すと、声を潜めて話し始めた。

「あ、あの……僕たちの村の近くに遺跡が見つかって、領主様が調査隊を出したんですが……中で、魔物の襲撃に遭ったらしいんです」

 心臓がどくんと跳ね上がるのを感じた。

 領主が派遣した調査隊——それには、ザックとイリーナが参加していたはずだ。

「今日の昼間、兵士の一人が、遺跡からうちの村まで逃げてきました……。兵士さんはケガを負っていたので、村の馬車で砦まで運んだんです。その人が言うには、遺跡内部を探索中に、正体不明の魔獣に襲われて、みんなバラバラになってしまったと……」

「ほかの調査隊の連中は、まだ中にいるのか?」

 俺の質問に、スレンは「お、おそらくは……」と言って目を伏せた。

 リリアの顔がさっと青ざめる。きっと俺も同じような顔色になっているだろう。

「それで、弟さんがどうのっていうのは、なんの話なんだ?」

 俺はなるべく平静を装いながら、スレンに先を促した。

「調査隊の中に、弟がいるんです。弟は次男で、家を継げないから砦の下働きをやっていました……。それで、遺跡周辺の地理に詳しいからというので、調査隊に同行することになって……ああ、なんてことだ!」

 スレンは顔を両手で覆った。

「領主には頼めないのか? 次の調査隊の派遣とか」

「砦の隊長に聞きましたが、難色を示されました。最初の調査隊には、かなりの腕利きが選ばれたそうです。それに匹敵する精鋭をすぐに揃えるのは……」

 なるほど、遺跡探索は人間相手の戦争とは勝手が違う。

 狭い空間で、古代王国が生み出した魔獣と戦わなければならないのだ。凡百の兵士を大量に動員しても、いたずらに犠牲を増やすだけだ。

「領主様は、場合によっては遺跡の入り口を封印しなければならないとお考えのようです……。いま頼れるのは、冒険者の方だけなのです」

 ガタン、と椅子が倒れる音がした。

 リリアが勢いよく立ち上がったのだ。

「わたしがいきます!」

「リリア、待て!」

「でも、ザックさんとイリーナさんが——!」

「あいつらを助けに行くことに異論はない。だが、焦って突っ込んではいけない」

 リリアを制止した俺だったが、事態が一刻を争うのは分かっていた。のんびりと準備している時間はなさそうだ。

「満月さん、ザックたちと仲の良い冒険者で、協力してくれそうなやつはいないか?」

 満月さんは俺とスレンに目を向け、難しい顔をして考え込んだ。

「ザックに恩があるやつなら、何人か思いあたりがあるが……だが、ザックたちがやられたのなら、二の足を踏むだろうね。よほどの報酬がない限り、遺跡の中に入る命知らずはいないだろうな。そこのおにいさんが大金を用意できるとは思えないしね……」

「そうか。じゃあ、遺跡の入り口まで来てくれるやつで良いから、何人か集めてくれないか? それなら大した額にはならないだろ? 金は俺たちが出す。いいよな、リリア?」

 リリアは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに「もちろんです!」とうなずいた。

「それくらいなら構わないが……。なにか役に立つのかね?」

「遺跡には俺とリリアで入って、出来る範囲で生存者を探す。リリア、いいか?」

「はい!」

「だが、もしものときに備えて、バックアップがほしい。ケガの治療が出来るやつが控えてくれているとありがたい」

「なるほど」

 満月さんが頷く。

「それに、遺跡には危険な魔獣がいるんだろう? そいつらが外に出てこないとも限らない。そうなったとき、周囲の街や村に知らせる人間が必要だ。それに、俺たちが中に入っている間に、領主が入り口を塞いじまったらたいへんだ。誰かを外に残しておく必要がある」

 俺の説明を聞いた満月さんは「あまり冒険者らしくない発想だ」と笑った。

「らしくない? 何かまずいところがあるかな?」

「いや、悪くはないよ。俯瞰的で合理的な考え方だ。普通の冒険者はそこまで考えない。よし、わかった。早速手配しよう。明後日には何人か出立できるだろう。ついでに、きみたちのために馬車も手配しておく。こちらは私からのサービスだ。貸し賃はタダでいい。夕方までには動けるようにしておく」

「ありがたい。俺たちは夕方に出発、バックアップ組は準備ができ次第、出発させてくれ」

「了解だ」

 満月さんはチラッとリリアに顔を向けた。

「ザックとイリーナは、うちの大事な常連だ。できるなら助けてやってほしい。ただし、無理はしないように。いいね?」

 そしてこちらに向き直って、俺の肩を軽く叩いた。「リリアが無理をしないようにお前が見張ってろ」ということだろう。

「ああ、まかせてくれ」



 それから俺たちは、手分けして冒険のための準備に取りかかった。

 リリアは家に帰って荷物の準備。ついでに市場を回って、保存食などの必要な物を買い集める。

 スレンは疲弊しているので、馬車の準備が整うまで〈満月の微笑亭〉で休ませることにした。彼には俺たちを遺跡まで案内してもらう役目があるから、途中で倒れられでもしたら困る。

 そして俺の役目は、バーバラさんや子供たちにしばしの不在を伝えることだ。

「あらあら。こんな時間にお客様とは、珍しいわね」

 バーバラさんの家の扉をノックすると、中からいつも通りおっとりした雰囲気のバーバラさんが姿を現した。

「どうしたの、エイジさん?」

「友人が古代遺跡で行方不明になりました。俺とリリアはしばらく街を離れるので、御挨拶に」

 玄関口で手短にこれまでの経緯を伝えると、バーバラさんは「まあ」と口を丸くした。

「エイジさん、ちょっとお入りになって」

「いや、今日はちょっと急いで……」

「いいから、こちらにいらっしゃい」

 有無を言わせぬ口調だった。普段は温厚なのに、こんな強引なのは珍しい。

 バーバラさんは戸惑う俺の手を引き、家の中に招き入れた。

 俺を居間の椅子に着かせたバーバラさんは、手を打ち鳴らして声を張る。

「ウォルフ、ウォルフ! あれを持ってきてちょうだい!」

 ウォルフというのは、バーバラさんが飼っている犬の名前である。

 少し待つと、家の奥から布袋を口にくわえた犬——ウォルフが姿を現した。

 バーバラさんはウォルフから布袋を受け取ると、俺に手渡した。

「これは……?」

 袋を覗き込むと、金属製の器具がいくつか見えた。

 ランタンのようなもの、剣の束のようなもの、ゴルフボール大の球体、宝石のついた腕輪——何の道具かは分からないが、古美術品としては価値がありそうなものに見える。

「古代王国の魔道具よ。もっていってちょうだい。そんなに大したものじゃないけど、何かの役に立つかもしれにないから」

「え、いいんですか?」

「いいですよ。そんな高いものでもないし」

 古代王国の秘宝は、かなり高値で取引されると聞いた。物によっては国一つだって買えるし、安い物でも売れば半年や一年は遊んで暮らせるとも。

「どうせ年寄りには使い道なんてないんだし。使ってくださいな。どの道具も、手に取って古代語の合言葉を唱えるだけで効果が発生します。あなたなら扱えるでしょう」

「ありがとうございます。でも、どうして俺たちのために、ここまでやってくれるんですか?」

 俺とバーバラさんは一ヶ月程度の付き合いだ。大して恩を売った記憶もない。そんな相手に、総額数百万円レベルの財宝を貸し与えるなんて、どうかしている。

「それは、あなたが良い人だからですよ」

 バーバラさんは口に手を当て、いたずらっぽく「うふふ」と笑った。

「それに、私はあなたに隠し事をしていました。そのお詫び、埋め合わせと思っていただければ結構ですよ」

「隠し……事……?」

 不意の展開に驚く俺をからかうように、ウォルフが足下で「ワン!」と鳴いた。

「これはみんなには秘密なんだけど」

 そう前置きして、バーバラさんは話しはじめた。

「私ね、初めて会う人には〈嘘感知〉の魔法をかけているのよ。その人が話しているのが、嘘か本当かを判別する魔法」

 そういえば、バーバラさんに触れたとき〈黒魔法〉のスキルが光っていた。

「……そんな魔法があるとは知りませんでした。ずいぶん凄いことができるんですね」

「黒魔法は古代文明の叡智の結晶ですもの。現代に伝わっているのは、その切れっ端に過ぎないけど、いろんなことが出来るわ。でも、制限も多いのよ。発動には古代語の詠唱が必要で、これがけっこう面倒でしてねえ」

 俺はバーバラさんと初めて会ったときの記憶を思い起こす。

 たしか、俺たちが家に入る前に「片付けをする」と言って奥に引っ込んで、そのときに——

「もしかして、あのとき口ずさんでいた歌が魔法の準備——詠唱だったというわけですか?」

「あら! よく覚えていたわね。正解よ」

 バーバラさんは静かに微笑を浮かべた。

「〈嘘感知〉の魔法には、いくつか制限があるの。一つは長い詠唱。もう一つは、相手に触れなければならないこと」

「だからあのとき、俺の手を握りながら話したんですね」

 俺がそう言うと、バーバラさんは出来の良い生徒を見るように、目を細めた。

「あのとき私はいくつか質問をして、あなたはそれに答えた。あなたが記憶喪失だというのは、嘘。リリアちゃんとの出会いは、本当。言語の研究をしていたのと、教師をしていたのも本当——」

 次々と真相を言い当てられ、俺は言葉を失う。

「——でも、古代語を読めるかもしれないという話は、嘘」

「そこまで分かっていたんですか……。じゃあなぜ、俺を信用してくれたんですか」

「一つは、あなたが目の前で古代語を読んでみせたから。あのときは驚いたわ。何か不思議な力を持っているのだろうと思ったの。それが何かは分からないけど」

「理由は、ほかにもあるんですね?」

「その後、私が『その能力を、今後どう生かしていくおつもり?』と尋ねたとき、あなたはリリアちゃんのために使うと言った。それ以外は考えていないと。そして、その言葉に嘘はなかったわ」

 バーバラさんは目を細めて笑った。

「あなたは、人には言えない何か不思議な力を持っている。リリアちゃんがよく分からない宿命を背負わされているように、ね」

 そこまで分かっていたのか……。

 俺が呆然としていると、バーバラさんは「でも、あなたやリリアちゃんが持っているのがなんなのかは、さっぱり分からないんですけどね」とため息をついた。

「だから私、あなたを見定めようとしたの。あなたの持つ力がなんなのか。あなたが本当に善良な人なのか」

 バーバラさん、人の良さそうな物腰に反して実はけっこう怖い人なのかも……。

「もしかして、俺に家に来るように促したのは——」

「ご想像通りよ。私はあなたを観察することにした。私は目が見えないけど、代わりの〈目〉があるから」

 足下でウォルフが「うぉん!」と吼えた。バーバラさんは手を伸ばして、犬の首筋を撫でた。

この子ウォルフは私の使い魔なの。私はこの子の感じたものを共有することができるのよ」

「全盲の人にしては、動きがしっかりいていると思ったら、そういうことでしたか」

「ええ。この子がいる限り、日常生活には困らない。犬は近視だから、細かい文字は読めないのが玉に瑕ですけどねえ」

「俺の行動は、全部見えていたというわけですね」

「あなたの行動は誠実そのものだった。こんなことを言うのはなんだけど、目の見えない年寄りの家に来るような人間には、ろくでもない者もいるの。こっちが見えてないと思って、金目のものを漁ろうとしたりとか。そうでなくても、私を侮るような行動を取る人は多いわ」

 バーバラさんの家には、珍しい薬がたくさんある。盗人にとってはよだれが出るような場所のはずだ。

「でも、あなたは古代語の資料以外に興味を持たなかった。それに私にも親切にしてくれた。ウォルフの散歩中に出会った街の人々にも丁寧に接していたわ。だから私はあなたを信頼して、大事なお友達として付き合っていこうと思ったのよ」

 なるほど、リリアがバーバラさんのことを「少し気むずかしい人で、嫌いな相手には冷たい」と語ったことに合点がいった。

 この人は魔法を駆使して、自分に近寄ってくる人間を用心深く観察し、信頼できない者をふるい落としていたのだ。

「これが私の隠し事。ごめんなさいね」

 バーバラさんが頭を下げたので、俺は慌てた。隠し事をしているのはこっちも同じなのだ。謝られる筋合いはない。

 ここは俺も、自分の「隠し事」を明らかにするべきだろうと思った。このまま隠しておくのはフェアじゃない。

「バーバラさん、俺も実は——」

 しかし、バーバラさんは手を持ち上げて俺を制止した。

「その話はあとで。それより、お友達が危ないんじゃないの? こんなところで油を売っていていいのかしら?」

「……ありがとうございます。お借りしている道具、必ず無事にお返しします」

「いいのよ、あなたとリリアちゃんが元気に帰ってくれば。魔道具の使い方は、袋の中に入っている紙に書いてあるから、あとでご覧なさい」

 温かい気持ちに包まれながら、俺は席を立った。

「気を付けていってらっしゃい。お友達の無事を祈っているわ。みんなで元気に戻ってくるのよ」

「はい。必ず」



 バーバラさんの家を辞去すると、俺は青空学級の生徒たちの家に向かった。

 全員の家を回ることは出来ないので、年長の子供のいる家を中心に回り、俺たちがしばらく不在にすることを伝える。ついでに、俺たちが不在の間、代わりに年少の子に勉強を教えるように指示を出した。

「エイジ先生、怖くないの?」

 駆け足の家庭訪問の際、そう聞いてきたのは年長組のロウミィだった。商家の娘で、生徒たちの中では一番勉強が出来るし、気も利く。

「そうだなぁ……」

 遺跡に行くのが怖いか怖くないかと聞かれれば、当然怖いに決まっている。腕利きの連中が行方不明になっているのだ。

 いくらリリアの腕が立ち、俺がスキルでそれをコピーしているからといって、身の安全が保証されているわけでもない。

 しかし、恐れていても事態は悪くなるだけだ。

 俺が止めてもリリアは一人で遺跡に向かうだろう。そしてリリアにもしものことがあれば、俺は一生後悔する。もちろん、ザックとイリーナ、スレンの弟を見殺しにするのもまっぴらだ。

 とりあえず自分に出来そうなことを試してみる。状況が厳しいのが分かれば、そのとき考えれば良い——それが俺の出した答えだった。

 しかし、実際に俺の口から出たのは平凡きわまりない言葉だった。

「まぁ人間、怖くてもやらなきゃいけないってときがあるのさ」

 俺は片膝を突いて、ロウミィと視線を合わせた。

「なに、すぐに帰ってくるよ。俺たちがいない間、ちゃんとチビどもの勉強を見てやるんだぞ」

 するとロウミィは、はにかんだ表情を浮かべ「うん、わかった!」と応じた。

 その可愛らしい顔を見ながら、俺は自分がバロワの街と、そこに住む人々に愛着を持ちはじめていることに気付いた。自分のことは割合人間嫌いなほうかと思っていたのだが。

「おっと、それはあておき……」

 用事を済ませ、気がつけば時刻は夕方近くになってしまった。

 用事を済ませて街の入り口に向かうと、門の脇に馬車が停まっているのが目に付いた。

 御者台にはスレン、馬車の傍らには満月さんとスレン、リリアの姿がある。俺に気付いたリリアが大きく手を振った。

「悪い、遅くなった!」

 慌てて小走りで駆け寄ると、スレンとリリアの間から、小さな影がひょっこり姿を現した。

 そいつは出会い頭、俺に罵声を浴びせてきた。

おせえぞ、エイジ!」

「ジール。なにしてんだお前」

「なにって、おいらもいっしょに行くんだよ! 絶対ついてくからな!」

 声を張り上げたのは、俺にしょっちゅう突っかかってくる悪ガキ——もとい斥候見習いの少年、ジールだ。

「どういうことだ?」

 リリアに尋ねると、彼女は困ったように眉を下げ、口ごもった。

 そんなリリアに代わって返答したのは、満月さんだった。

「我々の話をこっそり聞いていたみたいなんだ。いっしょに行くと言って聞かなくてね。やれやれ困ったもんだが、まぁ、見張りくらいは出来るんじゃないかな?」

「おいらはエイジよりも強えぜ! ぜってーリリアさんの役に立つから!」

「と、本人はこう言ってるが、どうするね?」

 ちくしょう、なんでこんなときに限って厄介事が増えるんだ。

 いまは少しでも人手がほしい。だが、めんどくさいガキを連れて行くのはごめんだ。余計なトラブルの原因になりかねない。

 だが、このまま置いていくのも危険な気がした。

「なぁなぁ、いいだろ? 見張りでも荷物持ちでもなんでもやるぜ」

 なにせこいつは俺たちの行き先を知っている。置き去りにしても、あとからついてこられたら余計に面倒だ。

 リリアも同じようなことを考えているらしく、困り顔でこっちを見ている。

 ここは俺が決めるしかない、か……。よし!

「よし、分かった。連れて行ってやろう——」

「本当か!」

「ただし一つ条件がある。それが守れないなら連れて行けない」

「な、なんだよ、条件って。エイジのくせに偉そうだな」

「俺のことはどうでもいいから、リリアの指示には必ず従え。リリアが動くなと言えば動くな。走れと言ったら走れ。守れるか?」

 有無を言わせぬ口調で言うと、ジールは気圧された様子で「お、おう!」と答えた。

「そんなん余裕だっつーの!」

「よし、聞いたぞ。男と男の約束だからな。絶対守れよ!」

 俺は片手でジールの髪をぐしゃぐしゃに撫でながら、リリアに目配せする。

 ——悪いが、こいつの世話は任せたぞ。危ないことはさせるなよ。

 リリアは俺の意図を察したらしく、小さく頷いた。

 こういうクソガキをおとなしくさせるには、一人に反発を集中させ、もう一人リリアが言い聞かせる形にするのがベターなのだ。

「おい、やめろバカ! 頭撫でんじゃねえよ! ガキ扱いすんな!」

 ジールは、そばかすの浮いた顔を真っ赤にして俺を見上げた。近くで見ると、意外と可愛い顔をしているのだが、こいつの場合は性格と言葉遣いのせいで全部台無しだ。

 黙ってりゃ美少年としてモテそうなのに。残念なやつだ。

「うるせえ、クソガキ。早く馬車に乗れ。出発だ!」

 俺はジールの尻を叩いて馬車に押し込んだ。ジールは顔を真っ赤にして怒ったが、ここは無視の一手である。

 続いて、リリア、俺の順に乗り込む。一人残された満月さんは、気遣わしげな様子で手を振っていた。

「いろいろありがとう。この後も任せたよ」

「ああ、気を付けて」

 全員が揃ったことを確認したスレンが馬の手綱を引くと、馬車は軽快に走り出した。

 馬車の速度を考えると、途中で休憩を挟んでも、半日も経たずに村に着くはずだ。

 その間に、これからの方針について、みんなで話し合って共有しておくことにする。

 俺たちの目的は、古代遺跡で消息を絶った調査隊の安否確認だ。

 まずはスレンの村を目指し、村に馬車を預けてから山中の遺跡に向かう。

 遺跡への突入は俺とリリアで行う。スレンとジールは遺跡の入り口に待機し、見張りと連絡役を担当する。

 ジールは「見張りなんて一人で十分だろ」と口を尖らせたが、「交代のいない見張りなんてなんの役にも立たないぞ。それに、一人だけ残すとしたらお前だからな」と言うと黙った。

 遺跡内部の調査は俺とリリアで行う。

 調査隊がなんらかの形跡を残している可能性が高いので、彼らの足取りを追うのが最優先だ。

 俺たちが絶対に避けなければならないこと。それは二次遭難である。これ以上は危険だと判断したら、勇気を持って引き返す。

 遺跡内部の脅威レベルが分かれば、領主や〈満月の微笑亭〉の連中を説得して再突入できるかも知れない。

 その後、馬を走らせること数時間。

 太陽は完全に沈み、空には大きな月が浮かんでいた。青白く光るその姿は、どこか禍々しい。

「みなさん!」

 俺が馬車のほろの隙間から空を見上げていると、スレンの鋭い声が響いた。

「どうした?」

 ただならぬ様子を察知し、俺たちは御者台越しに前方を見遣る。

「村が……」

 そこには、予想だにしない光景があった。

 以前に目にした、集落を覆う木の柵。その奥から、赤々とした光が漏れていた。

 その光にまとわりつくように、黒々とした噴煙が空へと立ち上っている。

「村が、燃えています!」

 炎の気配を感じた馬がいななき、馬車が停まった。

「歩いて近寄るしかないですね」

 スレンは馬車の進路を変え、街道を逸れたところにある大きな木の下につけた。馬が逃げないように、木に繋いでおくつもりのようだ。

 俺たちが馬車を降り、村の方に近づくと、人の叫び声のような音が聞こえてくる。何を言っているかは分からない。

「どこかの家が火事でも出したのでしょうか? 早く見にいかないと!」

 リリアが駆け出そうとしたが、俺はイリアの腕をつかんで制止する。

「待て。偶発的な火事にしては変だ。火の様子を見ろ。一軒二軒火事になっても、あそこまで火は出ないだろう」

 火の手は、村のあちこちから上がっているように見える。

 田舎の村なので、家と家の間はかなり離れている。延焼は起こりえない。となると、この状況は不自然だ。

 緊張で肌が粟立つのを感じた。

 俺が第一に考えたのは、魔物による襲撃である。この世界には火を吐く怪物がいたっておかしくない——いや、確実にいるだろう。

 以前に危惧していたように、遺跡から這い出た怪物が村を襲ったのかもしれない。

 あるいは、ゴブリンの生き残りがいて、村まで復讐にきたのかも。ゴブリンが火を使えるのかは知らないが……。

「敵がいるかも、ってことか?」

「ああ。だから静かに近づいて様子を見よう。デカい声を出すなよ、ジール」

「分かってるよ」

「念のため武器を持っていこう」

 俺は木刀代わりの杖。リリアは愛用の宝剣。スレンは馬車に積んであった長めの支え棒。それぞれが自分の得物を手にする。

 ジールはマントの懐に手を入れた。短剣でも隠しているのだろう。

 俺たちは足音を立てないよう気を付けながら、村へと近づいていく。

 村の入り口まで数メートルの距離まで進んだところで、中の様子が見えた。

「あれは、なんだ……!」

 スレンが驚きの声を漏らした。

 村の中では、異様な光景が繰り広げられていた。

 中央の広場に村人が集められていた。数は二十人ほどか。縛られているのか、全員が身動きもせず地面に座り込み、うつむいている。

 村人たちの周囲を取り囲むように、七人の人影が立っていた。

 全員が黒いフードとマントを身につけ、片手に剣を持ち、天にかざしている。服装のせいで、人相風体は判別できなかった。

 だが、見るからに怪しい集団だ。どう考えても悪党だ。

 幸いなことに、奴らはまだ俺たちに気付いていないようだった。

「おお! おお! 我らが神よ!」

 黒フードの軍団が、剣を天に突き上げながら唱和した。その声には、歌のようなリズムと抑揚がついていた。

 声からすると老弱男女入り交じっているようだが、唱和する声には寸分の乱れもない。

「我らが母、偉大なる月の蛇よ! ご照覧あれ、ご傾聴あれ! ほむらの灯りが照らす、御身おんみが愛し子の姿を! 月の輝きにえる、御身が忌み子の声を!」

 リーダー格らしい大柄な男が天に向かって独唱する。朗々とした立派な声だ。

 残りの六人は、リーダーの声に釣られるように「おお! おお! 我らが神よ!」と歌った。

 ——偉大なる月の蛇。

 奴らの歌に出てきた名前には聞き覚えがあった。

 バーバラさんの家で読んだ、この世界パルネリアの創世神話。それに登場する神の異称だ。

「〈蛇神ルアーユ〉……」

 俺の傍らで、リリアがその神の名を呟いた。

 正式な名は〈狂想の女神ルアーユ〉。

 熱狂と騒乱を司り、神話の時代に〈主神ディアソート〉に叛逆したとさらる邪神だ。

 ルアーユは、かつて世界の生き物すべての心に狂気をばらまき、世に騒擾そうじょうをもたらそうとした。その目的は定かでないが、ディアソートによって形作られた世界秩序を破壊するため、というのが定説だ。

 ディアソートと対立したルアーユは、蛇の姿に変えられて月に封じられたとされている。

 しかし、封印されたルアーユはなおも力を持ち、月が満ちるたびに地上の人々に狂気と悪心をばらまくという。

 一部で邪神疑惑をかけられているだけのアルザードとは違う、正真正銘の邪神だ。

「おお! おお! 我らが神よ!」

 リーダー格の男が天を見上げて歌う。

 フードがずり落ちて、男の素顔が明らかになった。

 頭には髪の毛が一本もなく、がっしりとした巌のような顔には、奇妙な文様が描かれている。

「いま御身に生け贄を捧げ奉らん! これにある愚かなる獣の血と肉をもて、御身の乾きを癒したまえ! おお! おお! おお!」

 男は頭上で剣を両手に持ち、村人たちのほうへ歩を進めた。奴は若い村娘の前まで歩くと、剣を大きく振りかぶる——

 奴が何をしようとしてるかは、火を見るよりも明かだった。

「その人たちを放しなさい!」

 俺が制止する暇もなく、リリアが声をあげて駆け出した。

 それを見たジールも、弾かれたように後を追う。

 だが黒マントの連中は、トランス状態にでも入っているのか、リリアたちには目もくれない。そもそもリリアの声にすら気付いていない様子だった。

 禿頭の男は恍惚の笑みを浮かべ、大きく剣を振りかぶる。

 リリアは全力で走りながら、剣を鞘から抜き放つ。だが、このままでは間に合わない! 禿頭の男が持つ剣は、いまにも村人へと振り下ろされようとしている。

「!」

 ——そのとき、俺の頭に一つの思いつきが去来した。

 もしかしたら、俺の特技が役立つかもしれない。

 特技というには、あまりにも平凡だが、こうなったらダメでもともとだ。試してみるしかない!

「……ッ!」

 俺は意を決して、大きく息を吸い込む。そして腹に力を入れ、一気に吐き出した。

「バロワ騎士団だ! 邪神の使徒よ、おとなしく縄につけ!」

 言葉の内容はまったくのでまかせである。そもそも俺はバロワに騎士団なんてあるのかも知らない。

 大事なのは気合いと声量だ。

 俺の口から出た大声は空気を揺らし、禿頭の男の祈りをかき消した。

 それと同時に、黒マントたちの詠唱がぴたりと止む。やつらは驚いたようにこちらに向き直った。

 黒マントどもは、やっとリリアたちの接近に気がつき、動揺する様子を見せる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 俺が大げさに雄叫びを上げながら駆け出すと、やつらに動揺の波が広がる。

 ハッタリで騎士団を名乗ったのが効いているのかもしれない。

 へへっ! Fラン大学の教員をなめるなよ! こちとら、よく通る大声を出すのには慣れているんだ!

 学生数だけは無駄に多いんだからな! マイクの壊れた大教室で、数百人相手の講義なんて日常茶飯事だ。もっとも、ここ数年は定員割れでだいぶ寂しくなったけど。

「これでも食らえ!」

 ジールが懐から小袋を取り出し、禿頭の男に投げつけた。

 袋はあやまたず男の頭に命中し、黒い粉をまき散らす。目つぶしだ。

「おのれ——!」

 たじろぐ男に向かって、リリアが疾走する。金の髪がひるがえり、炎が放つ光を受けて煌めく。

「おとなしく武器を捨てて投降しなさい!」

 男のそばにいた黒マントが、リリアから禿頭の男をかばうように立ちはだかった。

 だが、そいつが構える前に銀の閃光が煌めき、剣が地面に落ちる。リリアが黒マントの手首を切り裂いたのだ。

 剣を取り落としたやつに変わって、別のルアーユ教徒二人がリリアに斬りかかる。

 リリアは一方の斬撃を身を捻ってかわし、もう一方を剣で受け止める。金属同士がぶつかり合い、甲高い衝撃音と火花が生じる。

「リリア!」

「わたしは大丈夫です! それよりも村の人を!」

 リリアは受け止めた刃をいなし、バランスを崩した相手の脇腹を、剣の束で殴りつける。殴られた男は悶絶して膝を折った。

 さらにリリアは身を翻して白刃一閃。初撃を空振りしたルアーユ教徒が体勢を立て直す前に、右肘のあたりを切り裂いた。

 黒ローブの集団に、動揺と混乱の波が広がった。

 俺はその隙に駆け寄り、木刀を振るって残りの三人を牽制する。

 そして遅れて飛び出してきたスレンと連携して挟み込み、リリアや村人たちに近寄らせないように圧をかけた。

「ジール、いまのうちに村人たちの縄を切れ!」

「わ、分かってらい!」

 ジールは弾かれたように村人たちに駆け寄ると、彼らを縛っていた縄に短剣をかけた。

 背後からはリリアとルアーユ教徒たちが争う音が聞こえてくる。

 刃が空を裂き音。金属同士がぶつかる音。男のくぐもったうめき。

 それらの音を聞いているだけで、リリアが敵を圧倒しているのが分かった。

 念のため振り向いて状況を確認したいところだが、引きつけている三人に隙を見せるわけにはいかない。俺は木刀を正眼に構え、敵を睨み付ける。

 緊張で心臓が早鐘を打ったようになり、木刀を握る手に汗が滲むのを感じた。

 目の前の敵が持っているのは、本物の剣だ。斬られれば死ぬ。正確に状況を見据え、迅速に判断しなければならない。

「……ッ!」

 目の前の黒フードたちが動いた。

 一人が俺、もう二人がスレンのほうへと動き出す。一人が俺を押さえている間に、一番与しやすそうなスレンを二人がかりで排除するつもりか!

「チッ!」

 俺は舌打ちとともに地面を蹴った。こっちに向かってきていた敵が、俺を牽制するように剣を前に突き出した。

 悪いが、お前に付き合っている暇はない! 俺は素早く踏み込み、相手の出した剣のひらを木刀で殴りつける。手に強い衝撃が走ったが、相手に隙が出来た。

「どけッ!」

 すかさず、敵の腹のあたりを横薙ぎに殴りつける。敵の身体がくの字に折れた。

 相手を蹴りつけ転がし、剣を握った手に木刀を振り下ろす。「ぐあっ!」と苦しげな悲鳴が耳を打ち、骨が折れる嫌な感触が手に伝わってきた。

 自分の骨が砕けたわけもでないのに、背筋にぞわっとした悪寒が走った。

 敵が持っていた剣を遠くに蹴り飛ばし、スレンのほうに目をやる。

 スレンは顔を青ざめさせ、後ずさりながら、無我夢中で支え棒を振り回していた。

 俺はわき起こる悪寒を振り払いながら、スレンを襲う黒ローブの背中を追う。

 敵の一人が俺の接近に気がついて振り返ったが、もう遅い!

 袈裟懸けに振り下ろした木刀が、敵の鎖骨を砕く。返す刀で、敵の膝を下から打ち抜く、そして、よろめいた腹に強烈な突きを叩き込んだ。

 突きを食らった相手は、吐瀉物をまき散らしながら地面に倒れ込んだ。

 汗が額を伝う。だが、ここで休むわけにはいかない。

 残った黒ローブが、俺に向かって剣を振り下ろそうとしている。

「やらせるか!」

 俺が放った下からの一撃が、相手の手首を砕いた。

「うおおおおおお!」

 その隙に、スレンが雄叫びをあげて飛びかかる。支え棒で背中を強打された敵が、前のめりに崩れ落ちた。

「これでこっちは全員……! スレン!」

「な、なんでしょう!」

「紐か何か持っていたら、倒れているやつらを縛り上げてくれ。細くて丈夫な紐なら、親指同士を縛るだけで戦えなくなる」

「わ、わかりました!」

 吐く息が熱い。服が汗を吸って重くなっていた。木刀を握る手が痛む。

 だが、戦いはまだ終わっていない!

「リリア……っ!」

 俺はきしむ身体を叱咤し、背後を振り返った。その先では、リリアが禿頭の男と対峙している。

 配下の黒フードたちは、すでに三人とも武器をい、一人は地面にうずくまっていた。全員生きてはいるようだが、いまだ戦闘能力を残しているのは、リーダーの禿頭だけだろう。

 「おとなしく投降しなさい!」

 リリアの凜とした声が夜の闇に響き渡った。

 状況を見れば、ルアーユ教徒は追い詰められていると言えるだろう。

 だが、禿頭の男は頬を歪め、凶暴な笑みを浮かべてみせた。

「おお! おお! 我が神よ! 御身は愛し子に、かような試練を与えたまうか!」

 その叫びは、緊張でも畏怖でもなく、恍惚と歓喜に彩られていた。

 男は武器を持っていない左手を持ち上げ、リリアを指さす。

「汝のその剣、その顔は! 見まごうはずもない。呪われし〈竜の娘〉よ。汝こそ我が乗り越えるべき試練か! ク、クカカ、カカカ!」

 突如として奇っ怪な笑い声を上げはじめた禿頭の男。周囲を異様な空気が包み、その場にいた全員が動きを止めた。

「な、なにを!」

 リリアも動揺した様子を見せる。

 男の放った「呪われし竜の娘」という言葉。それが何を意味するのかは分からない。しかし、ヤツがリリアの姿を見て何かに気付き、「呪い」という言葉を放ったのは、ただの狂人の戯言たわごとだとは思えなかった。

「ク、ククク……! なにを驚いておる、竜の娘よ。もしや、おのが宿業を忘れたか。ならば……」

「お、おとなしくしなさい!」

「こうすれば思い出すか? ■■■、■■■■ヴ・アルガ・マイヤーム!」

 禿頭の男が、何か呪文のような言葉を口ずさんだ。

 それと同時に、戦意を失っていた六人の黒フードが一斉に身を起こした。

 立ち上がったのではない。

 まるで天から伸びた操り糸で引っ張られるような不自然な動作で、その場に跳ね起きたのだ! その動きはまるでキョンシー映画に出てくる怪物のようだった。

 立ち上がったルアーユ教徒たちの頭から、フードが剥がれ落ちる。

「ひええええ! な、なんだよこれ……!」

 露わになった彼らの顔を見て、ジールが悲鳴をあげた。

 そにあったのは、吐き気を催す異形の姿であった。

 人間の頭に、巨大な瘡蓋かさぶたのような肉塊がいくつも貼り付いている。その表面から、獣や鳥、虫や魚——さまざまな生き物の顔が突き出ていた。

「オ、オオオ……!」

「ぐるるる……!」

「オオオ、オオオオオオオオオ!」

「グワガア、ギギギイ……!」

「ギヂギヂギヂィッ!」

 肉塊たちが耳障りな鳴き声を発した。さながら地獄の合唱会だ。

「クハッ! キヒ、ヒヒヒヒ!」

 声を失う俺たちを見て、禿頭の男が興奮したように笑った。

「さあ踊れ、竜の娘よ! 我がともがらたちと。汝が業を示せ」

 禿頭の男はそう言うと、俺たちに背中を向けた。

「我も汝らと踊ってやりたいところだが、あいにく時間がない。我が神への祈りを捧げねばならんからな」

「待て、どこに行く!」

 禿頭は俺の声を無視して歩き出す。

「フン、生け贄には遺跡に紛れ込んだネズミどもを使うことにしよう。では、のちほどお会いしよう! ■■■ブローム

 禿頭の男はそう言うと、指をパチンと鳴らした。

 するとルアーユ教徒たちの頭に生えた顔から、黒い霧のようなものが吹き出した。

 立ち上る霧は宿主の身体を包み込み、膜のように表面を覆っていく——

 黒い霧の膜に覆われたルアーユ教徒たちの身体が、ボキ、バキ、グシャリと不吉な音を立てる。中で何が起こっているのか、想像したくもなかった。

 骨が砕け、肉が裂ける音に混じる「うごっ!」「ぐえっ!」という音は、宿主であった人間たちの断末魔だろうか——?

 逃げた禿頭の男を追わねばならないと思った。

 しかし、目の前で始まった光景の異様さに、俺もリリアも身じろぎ一つできない。

 黒い霧の膜で覆われた、目も鼻もない怪物ども。

 突如として俺たちの前に姿を現した不気味な影法師たちは、何かを探すようにきょろきょろと周囲を見回した。

 やつらのうちの一体が、ぴたりと動きを止めた。その顔はすぐ近くにいたスレンに向いている。

「ひぃっ!」

 スレンは恐怖のあまり腰が抜けたらしく、その場に尻餅をつく。

「逃げろ!」

 俺はスレンの近くにいた影法師に駆け寄り、木刀を振りあげた。

 もはや相手は人間ではない。それは本能で理解できた。さっきまでは、致命傷を与えるような戦い方は避けていたのだが、いまは躊躇ちゅうちょしている暇はない!

 俺が振り下ろした木刀は、あやまたず影法師の頭頂部を打ち抜いた。

「——ッ!?」

 相手が人間に近い生物なら、手に硬い衝撃を感じるはずだった。

 しかし、そのとき手に俺の跳ね返ってきたのは、まるで水の入った革袋を殴ったような感触。

 木刀の先端は影法師の頭にめり込んでいたが、やつは意に介した様子もなく、無造作に俺のほうを振り返った。

 人間らしさ——いや、生物らしさがまったく感じられない虚無に見据えられ、腹の底から名状しがたい恐怖と嫌悪がわき上がってくる。

 正直、いますぐ逃げ出したい気分だ。しかし逃げるわけにはいかない。

 俺は恐怖に震える身体を叱咤する。

「ジール! 村人の救助を急げ! 早く逃がすんだ!」

「わわわ、分かった!」

 俺が捻りだした指示をきっかけに、全員が正気を取り戻し、弾かれたように動き出した。

 リリアは宝剣を振るって影法師たちを切り裂く。

 斬撃によって傷ついた部分からは黒い霧が漏れ出し、やつらは少したじろいだ様子を見せた。

「エイジさん!」

 リリアが叫ぶ。

「わたしの剣は効くみたいです!」

 その瞬間、俺がぶん殴った影法師が腕を振り上げた。

 俺が反射的に木刀を引っ込めたところに、漆黒の拳が飛んでくる。

「グッ……!」

 バキッ、と硬いものが砕ける音。

 影法師の攻撃を受け止めた木刀が半ばから折れ、やつの拳が俺の腕に当たった。

 拳の勢いは殺しきっていたはずだった。

 しかしやつに触れられた瞬間、俺は強烈な虚脱感と吐き気を覚えた。たとえるなら、二日徹夜した後の寝落ち寸前のような感覚。

 身体の中からエネルギーを無理矢理引っこ抜かれたような気分だ。

 何をされたのかは分からないが、こいつはヤバい……!

「エイジさん!」

 リリアの悲鳴が俺の背中を打つ。

「お、俺なら平気だ……!」

 俺は強がりを口にしながら、折れた木刀を敵に投げつけ、わずかな時間を稼ぐ。

 このままではまずい。何か身を守るものが必要だ。

 俺は無我夢中で自分の身体を探る。何か、何か持ってなかったか——!

 そのとき、指先が硬いものに触れた。

 お守り代わりに、ベルトに差していたT字型の道具——バーバラさんから借りてきた、剣の束だった。

 古代魔法文明の叡智によって生み出された秘宝。これを使うとしたら、いまをおいてほかにはない!

 震える手で束を抜き取り、構えた。

 そして、記憶していた古代語の合言葉コマンドワードを紡ぐ。

「ま、〈魔法王の名において汝に命じる。天より降りし雷神のすえよ。地を灼き鉄を溶かす息吹もて知られる竜よ〉」

「灼熱せよ、咆吼せよ、蹂躙せよ。汝が力の解放を許す。汝の名は——〉」

 歌のような古代語の詠唱とともに、束がうっすらとした赤い光を放ち始めた。

「〈汝の名は殲竜バルデモート〉!」

 その瞬間、俺の眼前——構えた剣束の前方に、こぶし大の光の玉が出現した。

 それは光を放ちながら膨れあがり、爆散した。光の破片が吹き飛び、剣の束に吸い寄せられ、弾けた中から吹き出した炎がその周囲を覆った。

 それは僅か数秒の出来事だったと思う。

 光が収まったあと俺の手には、光輝く刀身に炎をまとった、片刃の曲剣が握られていた。

「……っ!」

 炎の剣が姿を表すと同時に、俺は軽い虚脱感に襲われた。この剣は、力を解放すると心身に軽い負荷がかかるのである。

「ジールとスレンは村人を逃がしてくれ! こいつらの相手は俺とリリアがやる!」

「はいっ! 任せてください!」

 リリアから力強い返事があった。 

 俺たちの前に立ちはだかった影法師。おそらく普通の武器でこいつらを倒すのは困難だ。魔法的な加護を受けた武器でなければいけない——そんな直感があった。

 リリアの剣は、おそらく何かの加護を受けている。通常の武器にしては装飾が華美だし、リリアの腕を差し引いても切れ味が鋭すぎる。考えてみれば、ゴブリンを二十匹叩き斬っても刃こぼれ一つしていないのだ。普通の武器じゃないのだろう。

 それに、禿頭の男が去り際に残した言葉も気になった。あの男はリリアの剣について何か知ってそうだったが——いや、それを考えるのはあとにしよう。

「せいっ!」

 気合いの声とともにリリアが剣を振るう。

 銀の軌跡が影法師を切り裂き、腕が地面に落ちた。傷口からはまるで血のように黒い霧が吹き出す。

 落ちた腕はしゅうしゅうと蒸気のような音を立てながら、巨大な芋虫に姿を変えた。醜悪にのたうつ芋虫を見て吐き気を覚えたが、一瞬のうちに芋虫は蒸発するように黒い霧へと変わり四散した。

「おりゃあ!」

 俺も負けじと炎の剣を振るい、目の前にいた影法師の首に切りつける。

 やつらの動きは緩慢なので、攻撃を当てるのは簡単だった。

 横薙ぎの一閃。髪の毛が焦げたような匂いとともに、首が宙を舞った。切り飛ばされた頭部は空中で鳥の姿に変わり、どこかへ飛び去ろうとしたが、一瞬のうちに黒霧と化して空気に溶けた。

「勝てるぞ!」

 俺は無我夢中で、炎の剣を振り続けた。

「村人たちの近づけさせるな!」

 幸い、影法師の動きは早くない。

 俺はやつらを挑発するように動き回り、繰り出される攻撃を避けながら、ひたすら炎の剣を振り回す。

 切り飛ばされた影法師の腕が、足が、頭が、胴が、獣や虫や鳥の姿に変わってのたうち回り、霧に戻って消えていく。獣に化けたものは、消える前に不快な鳴き声を上げることもあった。奇っ怪で醜悪な光景だ。立っているだけで頭がおかしくなりそうだ。

 一刻も早くこの異常な状態から解放されたい——俺は無我夢中で斬りまくった。

 身体が重い。炎の魔剣の力を発動したときにも感じたのだが、この剣は力を行使するために、俺の体力と精神が削るらしい。頭の奥がぼんやりし、視界がかすむ。

「これで……終わりだ!」

「おおおおおおおおおおお!」

 力を振り絞って、目の前にいる最後の一体を細切れに切り刻んだ。

 その瞬間、捕らわれていた村人たちや、ジールが歓声をあげた。振り返ると、リリアも最後の一体を仕留めたようだった。気遣わしげな視線でこちらを見ている。

「よ、よし……」

 緊張の糸が切れた俺は地面に膝をついた。目眩で上下感覚がおかしくなる。

 自分の胸に手を当ててステータスを確認する。

 HPは全然減っていないのだが、MPの値は——ゼロ。

 

 あっと思った瞬間、壁が目の前に迫っていた。

 その壁の正体が地面であることに気付いくと同時に、俺の意識はブラックアウトした。



 目を覚ますと、夜空を背景に、人間の顔のようなものが浮いていた。

「俺は……いったい……」

 目をしばたたかせると、眼前にあるのがリリアの顔だと分かった。不安そうに顔を歪め、目には涙が溜まっていた。

 おい、どうしてそんな顔をしているんだ……?

 後頭部には、何か柔らかな感触がある。気持ちいい。なんだろう。枕ではないし、布団でもないし、強いていうなれば——

「うわぁ!」

 どうやらリリアに膝枕されているらしい、ということに気がつくのに、そう時間はかからなかった。

「きゃっ!」

 俺が焦って飛び起きると、リリアが小さな悲鳴をあげた。

「あ、すまない……」

 謝りながら周囲を見回すと、ジールやスレン、捕らわれていた村人たちが俺を囲んでいた。

 場所はどこだろう……。屋外のようだが、さきほどの村とは別の場所だった。

「やっと起きたのかよ、バカエイジ! 心配させやがって!」

「うるせえ、ジール。キンキンわめくな。頭に響く。それより、ここはどこだ?」

 戸惑う俺を見て、スレンが口を開く。

「馬車を停めていた場所です。村は火が回っているので、ここまで退避して、エイジさんに薬を飲ませていたんです」

「薬……?」

「魔法を使いすぎた人が、たまにああいう倒れ方をするんです」

 いぶかしむ俺に、リリアが説明してくれた。この世界の魔法は使うたびに精神を疲労させ、使いすぎると気絶することがあるらしい。

 俺の使っていた魔剣を見たリリアは、同じ症状が出たのではないかと思い、馬車に戻って精神回復の薬を飲ませてくれたのだそうだ。

 やれやれ。やはり身の丈に合わない力を使うと、自分の身を滅ぼすな——そう重いながら、自分の胸に手を当てステータスを確認すると、MPの値が最大値まで回復していた。

「助かったよ。ありがとう」

 令を言うと、リリアは頬を赤らめながら「無理をしないでください」と言って、上目遣いに睨んできた。胸の奥がチクリと痛む。やめろ、その術は俺に効く。

「おい、これからどうするよ」

 俺とリリアが微妙な雰囲気になりそうなところに、ジールが割って入ってきた。

「……俺はどのくらい寝てた? あれから時間は?」

「たいして寝てねえよ」

 空を見上げると、月はほとんど動いていない。せいぜい数十分ってところだろう。

 だとしたら——

「……急いで遺跡に行こう」

 俺の発言を聞いて、ジールが「正気かよ!」と言った。

「さっきの禿頭の男は、焦っているようだった。何か重要な、生け贄を使った儀式をやらなければいけないようなことを言っていた」

 俺は立ち上がって、服についた泥を払った。

「奴は、『遺跡に入り込んだネズミ』を生け贄に使うと言った。それはたぶんザックたちのことだ」

 リリアがハッと息を呑んだ。倒れた俺のことが心配で、そこまで頭が回っていなかったのだろう。

「ザックたちがどんな状態なのかは分からない。しかし、あの男は生け贄が必要だと言った。なら、少なくとも生きてはいるってことだ。急ごう。手遅れになる前に」

「わたしは賛成です! ザックさんとイリーナさん、スレンの弟さんや、兵士の皆さんを助けましょう!」

 リリアが手を上げた。

「それに……あの男を放っておくのは、何か……イヤな予感がするんです!」

 それは同感だ。

 奴は何かの儀式をやろうとしている。儀式がどんな効果をもたらすかは分からないが、きっとろくなもんじゃないだろう。

 それにあいつは、リリアのことを知っているようだった。リリアはバロワでは有名人なので、邪神の司祭が顔を知っていてもおかしくはない。だが奴はリリアのことを、耳慣れない〈竜の娘〉という名で呼んだ。もしかしたら、リリアの身体にかかった〈呪い〉についても、何か知っている可能性がある。

 あと、やつを取り逃がせば、あとでリリアに復讐しにくる可能性も考えられた。

 決着を付けるなら、いましかない。

「おいらも行くぜ!」

 真剣な表情で向き合うリリアと俺の間に、ジールが割って入った。

「遺跡の中までついていくからな! おいらが役に立つのは分かっただろ?」

 生意気な顔で胸を張るジール。

 子供を連れて行くのは避けたいところだが、いまは一刻を争う事態だ。連れて行った方が良いかもしれない。

 続いて声をあげたのはスレンだった。

「ぼ、僕も当然いきます! 遺跡までの道案内は必要でしょうし、弟のことも気になります。早く助け出してやらないと……」

「分かった。急ごう」

 その後、俺たちは馬車から必要な荷物を下ろし、出発の準備に取りかかった。

 家が燃えてしまった村人たちには、砦まで避難してもらうことにした。

 ついでに、砦の兵士に今回の事態を報告してもらうことにする。邪神の司祭が何かを企んでいると知れば、彼らが動いてくれるかもしれない。とにかく、やれることはすべてやっておこう。

 俺たちの乗ってきた馬車は、彼らに預けることにした。ここに置きっ放しにするのは危険だし、村人たちの中には身体が弱っている者もいたからだ。

「さて、いくぞ!」

 気合いを入れるべく出発の合図を口にした、そのときだった。


『スキル〈コピー&ペースト〉のレベルが「4」に上がりました。』


 盛り上がった気分に水を差すかのように、頭の中に例の謎の声が鳴り響いた。久しぶりのレベルアップだ。

『スロットの最大数が「4」に増加しました。その他の変更はありません』

「もう少しレベルアップしてくれれば良かったんだけどな」

 そうすればバーバラさんの高レベル魔法か、動植物知識をコピーしてきたのだが……。

 ほかにも〈満月の微笑亭〉の常連から使えそうなスキルを借りてくる手があったのに、なんともタイミングが悪い!

「どうかしましたか?」

 思わず独り言を漏らした俺に、リリアが怪訝そうな顔を向ける。

「い、いや、なんでもない! 急ごう!」



 手早く準備を整え、俺たちは遺跡に向かった。

 夜の山道を歩くため、足下の安全確保が重要だ。これにはバーバラさんから借りてきた魔道具が役に立った。

「〈我が道を照らせ、叡智の光〉」

 袋の中からランタン型の魔道具を取りだして合言葉を唱えると、少しだけ精神が削られる感触があり、ランタンは全方位に強い光を放ちはじめた。

 光の強さはキャンプ用のLEDライト以上で、周囲5メートルほどは問題なく見通せる。説明書きによれば、一度発動すれば半日程度は効果が続くらしい。便利な道具だ。

 移動の間、前衛にはジールとリリアが立ち、前方を警戒。中衛には荷物持ち兼案内役のスレン。魔法のランタンも、スレンに持ってもらうことに下。俺はそのへんで拾った木の棒を手に、後衛としてパーティ全体を含む周囲の状況を観察する形だ。

 移動中、俺たちはさきほど見た黒い霧の化け物について話し合った。

「あんなバケモン、おいらは見たことも聞いたこともないぜ。リリアさんは?」

「わたしも知らない」

 ジールの問いかけに、リリアは首を横に振って答えた。

「古代王国時代の怪物かもしれないな」

 俺が言うと、全員がぎょっとしたような顔を向けてきた。

「ある古文書で読んだんだ。このあたりには昔、生き物の魂を食らう、影のような怪物がいたらしい。もしかしたらあれがその怪物なのかもしれない」

「……あの男は、霧の怪物を操っていました。邪神の司祭が使う魔法には、魔獣やゴブリンなどの下級の妖魔を意のままに操る秘術があると聞きます。もしあの男がその術の使い手なら……」

 リリアの言葉に、全員が黙り込む。

「……遺跡の中にまだ魔獣が残っていた場合、そいつらと戦わないといけないってわけだな。なに、さっきの敵ぐらいならすぐ倒せるさ」

 正直なところ「勘弁してほしい」という気持ちだったが、ここで俺が弱気を見せるのはまずい。

 余裕の表情を作って三人の顔を見ると、みな緊張した面持ちだったが、怖じ気づいた者はいないようだった。

 それから山中の小道を三十分ほど進むと、スレンが闇の向こう側を指さした。

「あちらに入り口があります」

 足下に注意しながら草をかき分けて進むと、足下を覆っていた草が急に途絶え、むき出しの地面が露出している場所に出た。

 近寄ってランタンで照らすと、山肌が大きく削られているのが分かる。

 その空間に、小さな石造りの通路が突き出ていた。高さは二メートル、横幅は三メートルほどもある。通路の脇には掻き出した土が整然と積み上げられており、この場所が人の手で掘られたことを物語っていた。

 近付いて見ると、通路は見事に研磨された大理石のようなもので出来ていることが分かった。これを作ったのが、高度な文明であったことが分かる。

 入り口の奥からは生臭い、嫌な匂いが漂ってくる。それは、この先に待ち受ける危険を示唆しているようであった。





[第四章]蠢く闇を打ち砕け


 ランタンで入り口の奥を照らすと、長い通路が続いていた。床は代理石のような材質だが、うっすらと光を放っている。最初はランタンの光を反射しているのかと思ったが、どうやら石そのものが発光しているようだ。まるでフットライトのようだ。

 十分に明るいとは言えないが、少し先にいる人影には気付くレベルだ。

 俺たちは慎重に通路を進みはじめた。急がなければならないが焦ってはいけない。

 見える範囲に物理的な罠はなさそうだが、魔法を使った仕掛けがないとも限らない。

 十メートルほど進むと、通路が途切れ、広いフロアに行き当たった。

 天井の高さは三メートルほど。天井の素材も床と同じく発行する石のようだった。

 面積二十メートル四方ほどの空間には、整然とベンチのようなものや、机のようなものが並んでいた。淡い光を放っているところを見ると、これらの家具類も、床や天井と同じ材料でできているようだ。

 おおまかな見た目でいうと、大きな病院や役所の待合室に近い。だが、清潔さとは正反対の生臭い臭気が漂っていた。動物の血と、腐った肉、そして糞尿が混じり合ったような臭い。

 床を見ると、わらや丸太が乱雑に落ちている。ベンチには血が飛び散った後があった。ここを根城にしていたゴブリンのものだろう。臭気の原因はこれか。

 フロアの奥に一枚の扉が見えた。その傍らには下に続く階段がある。

 リリアが階段のほうに歩を進めようとした。そのときジールがハッとしたように鋭い小声を発する。

「リリアさん、何か聞こえる!」

 ジールは「静かにしろ」と言うように唇に人差し指を当てた。

——ズル、ズル——

 耳を澄ますと、階段のほうから何かを引きずる音がした。

 音を聞いたリリアが剣を抜き一歩前に出る。近くで見ると、リリアの宝剣が銀の光を薄く帯びているのが分かった。

「何かが来ます!」

 黒い人影が階段を登ってくる。足を引きずるような奇妙な歩き方——

「あれは……!!」

 それは人間だった。たぶん男だろう。

 金属の兜と鎖帷子を身につけ、短槍を手に持っている。鎖帷子はところどころ破れ、表面にはわずかに血がこびりついている。

 その姿を見たスレンがはっと息を呑む。

「あの人は……調査隊の兵士です!」

 スレンが「大丈夫ですか」と言って駆け寄ろうとしたが、俺は手で制す。

 なにか様子がおかしい。

 目をこらして見ると、身体のあちこちに黒い塊が張り付いている。黒い塊からは、歪んだ表情を浮かべた獣の顔が突き出ていた。

 あの村で見たルアーユ教徒と同じだ!

 足を引きずりながら、調査隊の兵士が歩いてくる。

 やっと顔がはっきり見える距離にまで近づいたとき、俺は胃の奥が締め付けられるような感触を覚えた。

 彼は顔をしかめ、うつろな目から涙をこぼしていた。歪んだ唇の端からは泡を含んだ唾液が垂れている。

「下がってください!」

 リリアが警戒の声を発し、剣を構えた。

 それを見た兵士の唇が震える。

「……はぁ、あ、あがっ! に、にげ……、逃げて……!」

 兵士の身体に貼り付いた影——それはあの村で見た怪物と同じだった。

「う、ううう……! リリアさ、ん……逃げ……て……」

 兵士は口から泡を吹きながら声を発するが、その言葉と意思に反するように、槍を持つ腕を掲げた。

「リリア、危ない!」

 素早い突きが繰り出された。

 槍は胸を狙っていたが、リリアは宝剣を素早く振って攻撃を逸らした。穂先が肩当てをかすめ、イヤな音を立てる。

 兵士は槍を引き、続けざまに連続突きを繰り出す。リリアはバックステップで距離を取るが、兵士は距離を詰め、今度は横薙ぎの一閃。

 リリアは槍を剣で受け止め、兵士の腕を狙って突いた。

「あがっ……!」

 鎧のない部分に刺突を食らった兵士が苦悶を漏らしたが、その動きは止まることはなかった。

 苦しげな表情とは裏腹に、下手な人形師が操るマリオネットのような動きで暴れ回る。まるで人体の構造を無視しているかのような、不自然で激しい動きだった。無理な体勢から攻撃を繰り出すたびに、兵士の顔が苦痛に歪み、口からは嗚咽が漏れる。

「あ……ぐあ……! あ……あああ……!」

 兵士が繰り出す攻撃は無茶苦茶だったが、リリアは防戦一方だ。

 彼女の腕なら難なく切り捨てられる相手だ。しかし、まだ人間としての意識を保っている兵士を殺すなど、リリアにできることではない……!

 ならば——

「ジール、スレン! 離れてろ!」

 俺は仲間に声をかけ、木の棒を片手に兵士に背後から殴りかかった。

 兵士の腕が背中に向かってぐるんと不自然な動きをとり、槍が棒を払いのけた。俺の鼓膜を、「ぶちん」と筋が切れる音が打つ。

「ッか……!」

 兵士の口から、声にならない悲鳴がほとばしった。半開きになった口からは唾液が漏れ、白目を剥いているが、それでも兵士は止まらない!

「どうすれば……!」

 悲鳴じみたリリアの声。俺も泣きたい気分だった。

 このままでは兵士の身体が壊れてしまう——その前になんとかしなければ。だが、どうすればいい? 気絶させるか?——いやそれでは止まらないだろう。

 彼のいまの様子を見るに、腕がちぎれ、足がもげても俺たちを攻撃してくるに違いない……!

 ——殺すしかないのか?

 いやな考えが脳裏に浮かぶ。

 ちくしょう! なんだって俺は罪もない人間を殺そうだなんて考えちまったんだ!

 しっかりしろ、張本エイジ。おまえは日本人だ。文明人だ。

 簡単に人殺しなんて解決策に飛びつくな。最善を尽くせ!

「リリア!」

 蒼白になったリリアが俺のほうを向いた。

 そんな顔をするんじゃない。待ってろ、俺がどうにかしてやる……!

「うおおおおおお!」

 俺の気合いの声に反応して、兵士の槍がこちらに伸びる。俺は木の棒で突きを払い、槍の柄を強引につかんだ。

「リリア、こいつの身体に貼り付いている影を斬れ!」

 兵士は信じられないほど強い力で槍を引く。

 俺は槍の柄を脇に挟み込み、押さえつけようとしたが、兵士は構うことなく槍を振った。俺の身体は宙に浮き、近くのベンチに叩きつけられる!

「エイジさん、危ない!」

 浮遊感、そして衝撃。

「……ッ!」

 背中を強く打ち、息が詰まる。

 目の前が真っ白になりそうだったが、俺は本能的に危険を察知して身をよじった。

 二の腕に小さく鋭い熱を感じる。槍の穂先がかすめたのだろう。

 俺は悲鳴を上げる身体を𠮟咤し立ち上がると、リリアの横に飛び退いた。

「お、俺が……あいつを、お、押さえる……!」

「そんな! 無茶です!」

「お前は、身体に貼り付いた、か、影を……。影だけを斬れ……!」

 肩で息をする俺に、リリアが真っ青な顔を向け、首を振った。

「出来ません!」

「お前の……け、剣と、腕なら、やれる……! 俺を信じろ!」

 リリアが不安そうに俺を見る。俺は強引に笑ってみせた。

「俺のことは、き、気にするな。任せるぞ……」

 脅威を排除しつつあの兵士を救うなら、この手しかない。

 たとえ宿主を気絶させたところで、黒い影本体を排除しない限り攻撃は止まないだろう。影本体に効率的にダメージを与えられるのは魔法の加護を受けた武器だけだ。

 炎の剣はダメだ。炎のコントロールが効かないし、威力が高すぎる。それに精神力を大量に消費する。となればリリアの剣に頼るほかない。

「来い!」

 敵を誘うように、俺は一歩前に踏み出す。

 攻撃をかわし、なんとか動きを止める。止めていられる時間はたぶん一瞬だ。

 すぐにあの人間の限界を超えた怪力で放り出されてしまうだろう。その僅かの隙に、リリアは影を斬ってもらうしかない。

 兵士の身体に貼り付いている影は、目に見える範囲で五つ。場所は顔と両腕だ。

 もしかしたら、鎖帷子の下にまで入り込んでいるかもしれないが、それは考えてもしょうがない。やれることをやるだけだ。

「!」

 俺の胸を狙って、槍が突き出された。俺は半身になりながら木の棒で払い、穂先をわずかに逸らす。

 踏み込む。

 横から槍で払うように殴りつけれらたが、棒で受け止め、槍の柄に滑らせながら前に出た。

「おりゃあぁぁぁあああ!」

 俺は棒を投げ捨てて、兵士の身体に飛びついた。体当たりで体勢を崩し、素早く後ろに回り込んで羽交い締めを決める。力任せに投げ飛ばされないよう、片足を相手の下半身にからめた。

「リリア! やれ!」

 そのときだった。

『対象に接触しました。ステータスを表示します』


★ ★ ★

対象=闇に取り憑かれた兵士

▽基礎能力値

器用度=12 敏捷度=15

知力=11 筋力=15

HP=5/18 MP=4/11

▽基本スキル

バロワ制式槍術=3 バロワ制式弓術=3 パルネリア共通語=3

罠知識=3 宝物知識=1

▽特殊スキル

闇の支配(合成細胞)=3 闇の覚醒(怪力)=3 闇の恩恵(対精神攻撃)=3

闇の恩恵(対物理攻撃)=3

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


 俺の頭の中に例の声が響き、兵士のステータス画面が表示された。

 おいおい、物騒な名前のスキルが並んでるな!

 合成細胞ってのは、あの気色悪い影のことか!?

「——っと!」

 兵士は俺をふりほどこうと全身に力を込めた。ステータス画面の〈闇の覚醒(怪力)〉が真っ赤に光る。その瞬間、彼の全身の筋肉が不自然に膨張するのが、服の上からでも感じ取れた。

 まずいぞ! この力は予想以上だ!

 こんな力で暴れられたら俺には押さえられないし、兵士の身体にかかる負荷も相当なものだ。どちらも無事では済まない……!

 焦る俺の脳裏に一つの考えが浮かんだ。

 かなり危険だがやるしかない!

3

了解コピー

 謎の声が返答する。

 刹那、自分の全身の筋肉が膨れあがるのが分かった。

 直後に、全身に激しい痛みが走る。膨れあがった筋肉が、俺自身の骨や腱を軋ませているのだ!

 ごきん、とヤバそうな音がした。

 最初は自分の骨が折れたのかと思ったが、すぐに羽交い締めにしていた兵士の両肩が外れたのだと分かった。

 俺は即座に腕を放し、だらんと下がった兵士の両腕を握りしめた。

「リリア、やれッ! いましかない!」

「はいッ!」

 剣を構えたリリアが走り込んでくる。

 その顔には、さきほどまでの不安に満ちた表情はなく、俺に対する信頼と決意が浮かんでいた。

「シュッ!」

 短く息を吐く音。銀の閃光が煌めいた。

 一、二、三、四、五——!

 目にもとまらぬ早さで繰り出された剣撃は、過たず兵士の身体に貼り付いた影を斬り裂いた。

『〈闇の支配(合成細胞)〉が消失しました。付随する特殊スキルも自動的に消失します』

 頭の中に声が響くと同時に、兵士の身体からがくんと力が抜けた。ステータス画面を覗くと、〈闇の支配(合成細胞)〉以下の特殊スキルがすべて消えていた。

 俺自身のステータス画面からも、〈闇の覚醒(怪力)=3〉がなくなっている。発生源である〈闇の支配(合成細胞)〉が消滅したからだろう。

「おっとっと!」

 緊張の糸が切れ、俺は支えていた兵士の身体ごと、その場に倒れ込んだ。重い。すげー重い。あと全身が痛くて動かない。

 その後、俺と兵士はリリアたちに助け起こされ、ポーションを飲まされた。

 身体から疲労が洗い落とされる感覚があり、筋肉の痛みが治まっていく。

 傷だらけだった兵士も細かい傷がふさがり、意識を取り戻したようだった。

「動けるか?」

 兵士に尋ねると、彼は「なんとか」と弱々しく首を縦に振りながら、自分の腕を見た。腕や指に力を入れようとしているようだが、うまく動かないらしい。

「ポーションには人間の治癒力を活性化させ、疲労を回復させる効果があります」

 兵士の様子を見ていたリリアが言った。

「ですが、効果はあくまでそれだけです。骨折などの大きな怪我は、すぐには治らないんです。大怪我を一瞬で回復させられるのは、神の奇跡である白魔法だけです」

 怪我が軽い俺はともかく、この兵士はしばらく戦力外ということか。満月さんに手配してもらった後詰めの冒険者たちには、彼らの中に白魔法の使い手がいるかもしれない。だが、彼らが到着するのは早くても明日だろう。

 心細いかもしれないが、この兵士にはここに残ってもらうしかないだろう。

 それから俺たちは、兵士の気分が落ち着くのを待って話を聞いた。

 兵士はゲオルと名乗った。

 ゲオルの話によれば、遺跡の調査隊が魔物の襲撃を受けたのは、彼らが遺跡に入って二日目のことだったという。

 調査隊に同行していた学者の話では、この遺跡は医療研究施設だったらしい。それゆえか、一日目は何の障害もなく調査が進んだ。

 しかし、二日目の夜くらいの時間になって、遺跡の奥から怪物が現れた。

 それは黒い影をまとった獣や魔物の群だったという。狼や熊、ゴブリンなどといった異なる種族の混成部隊が、調査隊を襲った。

 調査隊の戦闘員は、いずれもバロワでは名の知れた猛者である。戦いで、獣や下位の妖魔に遅れを取ることはなかった。しかし敵の数は尋常ではなく、調査隊は散り散りになってしまう。

 ゲオルも戦いの中で本隊とはぐれてしまったが、幸いなことに遺跡の内部には無数の小部屋があった。ゲオルは各所の小部屋に身を潜めながら、脱出の機会を窺っていたという。

「ですが、もう少しというところで、ヤツらに見つかってしまいました……」

 単身で遺跡からの脱出を試みたゲオルは、運悪く出口付近で黒フードの集団——俺たちが倒したルアーユ教徒——に遭遇し、捕まってしまった。

 その後、ルアーユ教徒たちはゲオルの身体にあの黒い影を植え付けた。

が染みこんでくると、自分の意思で身体が動かせなくなるんです……。おぞましい感触でした。自分が自分でなくなっていくような……」

 その話をするとき、ゲオルの顔は真っ青だった。

「あの影に操られている間、意識はあったんだろう? ほかに捕らえられている者はいたかい?」

「はい。ほかに同僚の兵士が二人。あと、同行していた学者の方が一人」

「冒険者の二人と、下働きの少年は——?」

 俺が尋ねると、ゲオルは「見ていません。私とは別の部屋に捕らわれていたか、うまく逃げ延びたか、あるいは……」と言ってうつむいた。

 その話を聞いたスレンが肩を落とした。



 一通りの話をした後、俺たちは手早く今後の方針を固めた。

 まず、足手まといになりそうなスレンとゲオルには、この場に残ってもらう。

 彼らには簡易キャンプを設営してもらい、重い荷物はここに置いておくことにした。ゲオルはしばらくまともに動けないので、スレンはゲオルの世話をしながら後詰めの部隊の到着を待つ。

 領主の兵が先に来るか、冒険者たちが先に来るかは分からないが、味方が来たら事情を話し、可能であれば遺跡内部に突入してもらえるように説得する——というのが彼らの役目である。

 ゲオルには遺跡内の簡単な見取り図を作成してもらった。遺跡の全容までは分からないが、敵の首領——禿頭の男——が陣取っていそうな位置や、そこまでの道のり、襲撃が予想されるポイントは、これで一通り把握できた。

 禿頭の男がいるであろう場所は、遺跡の最奥、地下十二階。途中には数多の脇道や小部屋があるが、無視できるところは無視して、一気に最奥を目指す。

 目的は、囚らわれている兵士たちを奪還し、禿頭の男が行おうとしている儀式を中止させること。行方不明者の捜索は、脅威となる勢力を遺跡から叩きだした後だ。

 作戦会議が終わると、ジールが「腕が鳴るぜ」とうそぶいた。

 口調だけは強気だが、身体が震えているのが分かる。

「お前もここに残って良いんだぞ。いや、むしろ残れ」

「うるせえよ、バカエイジ。お前よりもおいらのほうが役に立つんだよ!」

「そうかいそうかい。でもリリアの命令だけはちゃんと聞くんだぞ。男と男の約束だからな」

 俺はそう言いながらリリアに目配せをする。リリアが小さくうなずいた。

 本来遺跡の中まで連れていくつもりでなかたジールを同伴するのは、俺たちの手に負えない事態が起きていたときのための伝令役だからだ。もしものときは、何が何でも逃げ延びて、ここで起きていることを街に報告してもらわなければならない。

「いこう。足下に気を付けてな」

 俺のいまいち締まりのない言葉を合図に、俺、リリア、ジールの三人は遺跡の階段を下った。

 二十段ほどの階段を下ると、地下一階に到着。通路は三人並んで歩けるほど広い。通路の左右には細い脇道や小部屋が見えるが、それらは全部無視。ゲオルの地図を頼りに、次の階段を目指す。

 正直、遺跡を歩いている最中は不安だったが、子供のころ好きだったバトル漫画を思い出して勇気を奮い立たせた。そういえば、あの漫画でも十二個のフロアを踏破していく場面があったっけ……。

 俺がそんなことを考えていると、ジールが「何かいるぞ!」と叫んだ。

 目をこらせば、魔法のランタンが照らす範囲の奥に、人影のようなものが見える。

「エイジさん、敵です!」

「手早く済ませるぞ!」

 俺たちの前に姿を表したのは、黒い影を貼り付けたゴブリンの一団だった。数はよく分からないが、十匹弱ってとこか。例によって影からは虫だの獣だのの身体の断片が突き出ている。

 ゴブリンたちは影による支配を喜んでいるようだった。顔には気持ちの悪い笑みが貼り付いており、好色そうな表情をリリアに向けていた。

 そういう分かりやすい悪党ヅラをされると、俺としてはとても助かる。良心の呵責なく斬れそうだ。

「どきなさい!」

 先陣を切ったのはリリアだ。

 宝剣の切っ先が華麗な弧を描き、ゴブリンの身体ごと影を斬り飛ばす。血が飛び散り、影が霧散する。

「ジールは下がってろ! 後方からの伏兵を見張れ!」

 俺もリリアに続いて前に出る。武器はゲオルから預かった短槍だ。〈ハリア王国式剣術〉には槍を扱う動作もあるようで、武器が変わっても戦いに支障はなかった。

「ギュゴルエエエエ!」

 俺の突きだした穂先がゴブリンののどを貫く。この一撃でゴブリンは絶命し、宿主を失った影が、煤を払ったかのように剥がれ落ちた。

 すぐに別のゴブリンが脇から襲いかかってきたが、槍の柄を持ち上げて攻撃を受け止め、腹に蹴りを入れる。そしてすぐさま槍を抜き、眉間に突きを一撃。

 よし、通常の武器でもいける。

 完全に影に取り込まれた状態でなければ、宿主さえ倒してしまえば良いのだ。

 ゴブリンの一団を処理するのに、五分もかからなかった。

 敵の全滅を確認すると、俺たちはジールの差し出した布で武器をぬぐい、次のフロアへと進む。

 そこでは影をまとった狼の群に襲われたが、俺たちの前ではザコにすぎない。あっという間に斬り伏せた。

「リリア、調子はどうだ!」

「こんな敵、ものの数ではありません!」

「よし、急ぐぞ!」

 俺たちは敵を斬って斬って斬りまくり、遺跡内部をひたすら突き進んだ。

 階段を下り、通路を進み、邪魔する敵を討つ。バカみたいに敵の数が多いが、足を止めるわけにはいかない。

「ジール、いま何階だ!」

「次で地下十二階だよ!」

 遺跡に入ってから、体感で二時間ほど経過していた。やっと目的地についたらしい。最後の階段を下りると、そこには大きな扉があった。

 扉の向こう側からは、何か物音がする。武器と武器がぶつかり合うような音だった。

 それに加えて、聞き覚えのある声——

「……いよいよ追い詰めたぞ、小娘が。ずいぶん手こずらせてくれたな」

 喋っているのは、あの禿頭の男だ!

 話している相手は誰だ……?

「さあ、無駄な抵抗は止めよ。その子供をこちらにわたせ。さすれば、悪しき戦の神に帰依した汝の罪も許されよう……」

 戦の神——その言葉を聞いた瞬間、俺は中にいるのが誰なのかを理解した。

「イリーナさん!」

 俺が何かを言う前に、リリアが扉を蹴り開けた。

 ちょっと落ち着けと言いたいところだが、リリアがやらなければ俺がやっていただろう。

 扉の向こう側には、異様な戦場が待ち構えていた。

 地下十二階のフロアは、だだっ広いホールのような場所だった。

 フロアの壁には、ガラスのような透明の巨大ケースが並んでいる。

 SF映画に出てくる培養槽のようなケースは緑色の養液で満ちており、中には狼や猿、猫、鼬など、さまざまな動物が浮いていた。

 動物たちの身体には、例の黒い影が貼り付いている。ご多聞に漏れず、影からは別の生物の頭や尻尾、腕などが突き出ていた。

 そしてフロアの中心部では、イリーナが禿頭の男と対峙していた。

 イリーナは片手に細身の剣を構え、背中に十代前半くらいの少年と、中年の学者風の男をかばっている。イリーナの鎖帷子には血がべったりと付着し、顔はやつれていたが、眼に力を込めて禿頭の男たちを睨んでいた。

 少年はスレンの弟だろう。顔がよく似ていた。学者風の男は調査隊に同行していたという古代語のスタッフだろうか。

 イリーナの足下には、兵士が一人倒れてうめいている。

 対する禿頭の男は、黒い影をまとった兵士二人と、おぞましい怪物を従えていた。兵士の方は、ゲオルが言っていた捕虜だろう。

 怪物は獅子のような巨大な四足獣だった。体長は2メートルほどありそうだ。

 それは鷲とカマキリの二つの頭を持ち、背中にコウモリのような翼が生えていた。

 さらに脇腹からは虫のような足が突き出ており、尻尾の先端には蛇の頭がついている。まるでゲームに出てくる合成獣キメラだ。

 フロアにいた者の視線が、大きな音を立てて侵入した俺たちに突き刺さる。

 禿頭の男は驚いたような表情を浮かべている。

「……ンの野郎ッ!」

 俺たちが生み出した一瞬の隙をついて、イリーナが動いた。

 イリーナは剣を捨て、影に支配された兵士に飛びかかった。そして勢いのまま押し倒したすと、兵士の胸に手を当てる。

「〈戦神マルセリスよ、御身の勇気をこの者へ! よこしまなる精神のくびきより解き放ち給え!〉」

 神聖なる祈りの言葉とともにイリーナの手に淡い光が集まり、兵士の身体に貼り付いていた影が爆散する!

 影の支配から脱した兵士の身体がびくんと跳ねた。

 神の奇跡である白魔法は、黒い影にも効くってことか!

「早く逃げな!」

 イリーナが兵士の身体を蹴とばす。兵士はよたよたと起き上がり、その場から離れようとした。

「おのれ、あばずれが! 死せい!」

 禿頭の男が叫んだ。

 それを合図にして、傍らにいたキメラが咆哮をあげ、イリーナに飛びかかった。

 カマキリの顎門あぎとがイリーナの胴をくわえ込み、めちゃめちゃに振り回す!

「リリア! 男の相手は俺がする! イリーナを助けるんだ!」

 俺とリリアはイリーナを助けるべく、キメラに向かって走りだす。

「〈魔法王の名において汝に命じる。天より降りし雷神のすえよ。地を灼き鉄を溶かす息吹もて知られる竜よ〉」

 これが最後の戦いだ。力を出し惜しみしている場合ではない。俺はゲオルから借りていた槍を投げ捨て、炎の剣の束を手にして合言葉を唱える。

 禿頭の男が剣を構え、俺たちの行く手をふさいだ。

「〈灼熱せよ、咆吼せよ、蹂躙せよ。汝が力の解放を許す。汝の名は殲竜バルデモート〉!」

 詠唱の完成とともに、炎の剣の刀身が姿を現した。

「なにっ!」

 男がたじろぐ。

「邪魔だッ!」

 俺が振るった炎を剣が、男の持つ剣に触れる。

 炎が鉄をき、両断した。焼き切られた剣の半分が地に落ち、カランと甲高い音を奏でる。

「魔剣か!」

 男は剣を捨てて後ろに飛び退いた。

 その隙にリリアはキメラの背後に駆け寄る。

「イリーナさんを放しなさい!」

 蛇の頭を持つキメラの尾が、リリアに襲いかかる。

 リリアは宝剣を一閃。蛇の頭を斬り落とすと、返す刃でキメラの後ろ足を斬りつけた。

「ギャルオオオオオオッ!」

 怪物が苦痛に身もだえする。

 斬られた傷口からは、黒い霧のようなものが立ち上っていた。

 キメラはイリーナを投げ捨てると、リリアの怒りの目を向けた。

「グオオオオオオオオオオッ!」

 憤怒と憎悪の咆吼が空気を揺らす。だが、リリアは臆することなくキメラを睨み返した。

 床に投げ出されたイリーナが、ゆらりと立ち上がる。裂けた鎖帷子の奥から大量の血が流れ落ちていた。傷が深い。内臓にまで達していそうだ……!

「……せ、〈戦神マルセリスよ、御身の慈悲をここへ〉……! グッ……、〈汝のしもべに今一度、戦う力を〉……!」

 半死半生のイリーナは立ち上がりながら祈りの言葉を唱えた。

 淡い光とともに傷口がみるみる塞がっていく。俺は白魔法の効果に驚嘆しながら、イリーナの命が助かったことを喜んだ。

「あたしの心配は無用だ! 姫さんと先生はバケモンとクソジジイに集中してくれ! 操られている仲間は、あたしがなんとかする……ッ!」

 肩で息をしながら、イリーナが声を張り上げた。

「ザックの……ザックの仇を討ってくれ!」

「なんだって!」

 ——ザックの仇。

 イリーナの口から出た言葉を聞き、背筋に悪寒が走った。

 ザックが死んだ? 一週間前には元気に笑っていたあいつが?

 いや、冒険者の仕事に危険がつきまとうことは、頭では分かっている。

 俺もここに来るまで、ザックが命を落とす事態を想定してなかったわでじゃない。だがイリーナから発せられた生々しい言葉は、俺を動揺させた。

「エイジ、危ない!」

 俺の耳をジールの金切り声が打つ。

 ハッと我に返ると、禿頭の男が少し離れた場所から、両手を俺のほうに向けている。しまった、武器を破壊したので油断していた!

「〈我が神よ。御身の忠実なる僕、翼ある蛇の力を貸したまえ。我、その力もて、御身に仇なす敵を討たん〉」

 祈りの言葉とともに、男の背中から紫紺のオーラが立ち上る。

 魔法攻撃か!

「〈ゆけ、蛇よ! やつの魂を食らい尽くせ!〉」

 紫紺のオーラは数条の光の矢となり、蛇のようにうねりながら俺の胸めがけて飛んでくる!

 とっさに炎の剣を振るい、何本かは叩き落としたが、残った矢が俺の身体に突き刺さった。

「ん……?」

 しかし、予想に反して俺の身体にはなんの痛みも変調もなかった。

 確認のために自分の胸に触れてみるが、やはり何もない。

「いまのはなんだったんだ……?」

 頭の中に自分のステータス画面を表示させると、特殊スキルの〈女神の加護(アルザード)=10〉が赤く輝いている。

 このスキルが何かやったのか……?

 禿頭の男の顔を見ると、呆然とした表情を浮かべていた。

 どうやら奴にとっても予想外の出来事らしい。

 一瞬の間をおいて、男の顔が朱に染まり、唇の片端が吊り上がった。

 歯ぎしりの音すら聞こえてきそうな、憤怒の表情だった。

「〈魂喰らいの蛇〉を打ち消すとは……! 貴様、さてはあの忌々しい女神の眷属か!」

 目を血走らせながら、男が叫んだ。

 今度は俺が驚く番だった。あの男は、確かに「女神の眷属」と言った。

 どういう理屈かは分からないが、俺の正体に気がついたということか!?

「アルザードの眷属が、なぜ竜の娘とともにいる!」

 男が裏返った叫び声をあげる。

「知らねえよ、バカヤロー!」

 俺は怒鳴り返しながら、この男を必ず生きて捕らえようと思った。

 こいつにはいろんなことを喋ってもらわなければならない。

 まず、この遺跡で何をしようとしていたか。

 古代文明の魔獣を使役し、邪神に生け贄を捧げ、なんの儀式をやっていたのか。

 そして、俺たちのことをどこまで知っているのか。

 こいつは俺の正体を言い当て、リリアを竜の娘と呼んだ。

 竜の娘というのがなんなのかは分からないが、リリアの身にかけられた呪いについて、こいつは何か知っているかもしれない。

 もしリリアに呪いをかけたのがこいつらの仲間なら、呪いの解除方法も聞けるかもしれない。

 一つのフロアの中で、三組のにらみ合いが発生していた。

 一組目は俺と禿頭の男。

 男は武器を失い、闇魔法で戦うしかないが、どうやら俺に闇魔法は効かないらしい。状況としては俺の方が圧倒的に有利だが、向こうはまだ奥の手を隠しているかもしれない。迂闊に身動きが取れない。

 次は、操られている兵士とイリーナの組。

 戦いの技量ではイリーナが上回っているが、黒い影による支配を打ち消すためには相手に接触しなければいけないようで、苦戦を強いられている。

 最後の一つは、キメラとリリアの組み合わせだ。

 リリアはキメラの攻撃をかわしながら反撃を加えていっているが、まだ大きなダメージは与えられていない。周りにいる負傷者や子供に気遣いながら戦っているので、本気を出せないでいるのだ。

 いまはリリアがキメラの注意を引きつけているが、怪物の狙いが無力な者——スレンの弟や、意識を取り戻したばかりの兵士たち——に向いたら、リリア一人では守りきれないだろう。

 俺は戦場を素早く見渡すと、懐に手を入れた。

 指先が固いゴルフボール大の金属球に触れる。バーバラさんから預かった秘密兵器の一つだ。

「戦えない人間は一カ所に集まれ! リリアの邪魔になる!」

 俺が号令をかけると、兵士二人とスレンの弟、古代語学者の四人があたふたと一カ所に固まる。

「〈弱き者を護れ、光の衣〉!」

 俺は古代語の合言葉を唱えながら、彼らが固まった場所に魔道具を投げ込んだ。

 一瞬の間を置いて金属の球が輝き、光のカーテンが彼らの周囲を覆う。

 光のカーテンは、生半可な物理攻撃や魔法攻撃を無効化するバリアだ。ここに来る前に試したところ、炎の剣の攻撃すらはじき返したくらいだから、相当の強度があると思って良い。

 光の持続時間は三十分程度、狭い範囲しかカバー出来ないが、いまの状況にはうってつけだ。

 これでリリアも俺も、余計なことを気にせずに戦える!

「おのれ、小癪なこしゃく! 〈翼ある蛇よ〉!」

 禿頭の男は焦っているようだった。

 奴はイリーナのほうに向き直り、呪文を唱えようとした。

「させねえよ!」

 俺は素早くイリーナと男の間に割って入り、放たれた魔法を身体ではじき返す。

「残念だったな。俺は死ぬほどお前と相性がいいらしい」

「汚らわしきアルザードの眷属が! 〈来たれ、我が手のうちに。闇の刃よ〉!」

 男が今度は別の呪文を唱えると、奴のてのひらから紫紺の光が伸びて、刃の形を取った。どうやら闇魔法の一つらしい。

 奴は刃を上段に振りかぶり、打ちかかってくるが、俺は易々と炎の剣で受け止める。

 炎と闇の刃がぶつかると、キラキラとした粒子のようなものが周囲に飛び散った。衝撃により、互いの武器の魔力が飛散しているのだろう。

「おりゃあああああ!」

 俺は力任せに剣を押し返す。

 炎の剣が闇の刃を打ち砕いた。炎が男の鼻先をかすめ、肌を灼いた。

「へへ、残念だが、あんたの神の力とやらより、俺の使っている武器のほうが上等のようだぜ」

「ぬかせ、小僧!」

 男が顔をゆでだこのようにして吼える。

 そのとき、俺の視界の隅に白い光が広がった。イリーナが兵士にとりついた黒い影を除去したらしい。

「せいやぁあああああ!」

「グオオオオオオオオオ!」

 同時に、背後からはリリアの気合いの声。続いて、魔獣の悲鳴が耳朶を打った。

 目をやる余裕はないが、リリアがキメラを圧倒しはじめたのだろう。

 俺は剣の切っ先を男に突きつけ、一歩前に出る。

「さて、あんたの手駒はもうおしまいだ。まだやるかい?」

 男は歯ぎしりしながら俺の顔をにらみつけてきた。

 ぶっちゃけかなり怖いのだが、ここで気合い負けするわけにはいかない。

「投降しろ。そしてお前らがここで何の儀式をしようとしていたか吐け。あと、リリアを〈竜の娘〉と呼んだな? あれはどういう意味だ?」

 矢継ぎ早に質問をぶつけると、男は「愚かな……」と頬を歪めた。

「なんだと?」

「もう勝った気でいるのか、愚か者よ」

 言うなり、男は両手で羽織っていたローブの前をはだけた。

「ぬおっ!」

 俺がのけぞったのは、やつの露出狂的な動きにではない。

 ローブの下にやつの肉体には、隙間もないほどびっしりと黒い影が貼り付いていたのだ。

「殺してやる、異教徒ども……! 来い、闇の獣よ!」

 ローブを脱ぎ捨てた男が叫ぶ。

「グオオオオオオオオオ!」

 俺の背後からキメラの咆哮が聞こえた。

 振り返るとリリアと戦っていたキメラが踵を返すところだった。

 キメラの全身にはリリアに付けられた切り傷が無数にあり、そこから重油のようなどろりとした液体が漏れていた。その液体は地に落ちると、靄となって消えていく。あの液体はたぶん、黒い霧が高濃度で固まったものなのだろう。

「どこを見ているの!!」

 リリアが剣を振るってキメラの右後ろ足を切断した。

 しかし怪物は意にも介さぬ様子で、黒い液体をまき散らしながら男に向かって疾駆する!

「エイジさん、危ない!」

 リリアに言われる前に、俺は横に大きくステップ。さっきまで俺がいた場所を、キメラが駆け抜けていった。

 キメラは男の足下まで近寄ると、ぺたりと座り込んだ。

 男はキメラの持つ鷲の頭を手でひと撫でし、にやりと笑う。

「これより、愚か者どもに神の裁きを下す。■■■■■■アルヤ■■■■■■オブゾーム

 男の口から、禍々しさを感じさせる呪文が漏れた。この世界の標準語ではなく、古代語でもない言葉だった。

「ぐぬっ!」

 その瞬間、男の前身に貼り付いた黒影から、幾多の生き物の頭が飛び出した。

 虫、動物、鳥などの頭が一斉に顎門を広げ、男の足下に座ったキメラに食らいつく!

「なんだ、あれは……!」

 おぞましい光景だった。

 影から伸びた首たちは、キメラの身体を食いちぎり、飲み込む。

 キメラの肉片が取り込まれるたびに、宿主である男の顔は黒く変色し、その身体は不気味に膨張していった。

 俺たちはその凄惨な光景のすさまじさに目を奪われてしまった。

「このバケモンが!」

 俺たちの中で、いち早く正気に戻ったのはイリーナだった。

 イリーナは床に落ちていた兵士の槍を拾うと、怪物に投げつけた。

 槍はまっすぐに飛び、男の胸に突き刺さった。

 だが、男は顔色一つ変えない。

「愚かな!」

 男が哄笑した。

 すると、槍の柄は瞬時にボロボロに腐食していく。

 その間も男の身体はどんどん膨れあがり、形を変えていった。

 骨が砕け、肉が裂ける不気味な音がフロアに響き渡る。男の姿勢が前屈みになり、太くなった指の先からは鋭利な爪が生えてきた。

 背中からはコウモリの羽、そして大型類人猿のような腕が生えてくる。腰からはサソリのような尻尾が生えてきた。

 さらに鎖骨のあたりの肉がボコボコと沸き立ち、猿の顔が浮き出てくる。

「恐怖せよ、異教徒ども」

 異形へと姿を変えた男が笑う。

「我が神の奇跡と、古代の魔獣の力をもって、これより汝らを蹂躙する」

「もはや儀式の刻限まで時間がない……」

 は身の毛のよだつおぞましい姿をしていた。

 頭部には人の顔が一つと、猿の顔が二つ。ライオンのような胴体と四肢を持ち、背中にはコウモリの羽と猿の腕が一対ずつ。腰からは巨大なサソリの尻尾が伸びている。

「裁きの時間だ、異教徒ども。我が名は怪僧バウバロス、偉大なるルアーユのしもべ汚穢おわいにまみれた汝らの魂を、母なる月へと還す者」

 男——怪僧バウバロス——の顔が不気味に歪む。暗い歓喜の笑いだった。

 それと同時に、首の左右から生えている猿の顔が不気味な呪文を唱えはじめた。

「〈来タレ……我ガ手ノ、ウチニ……闇ノ刃ヨ……〉」

「〈我ガ神ヨ……御身ノ忠実ナル僕、翼アル蛇ノ力ヲ……〉」

 それはたどたどしい口調だったが、紛れもなく闇魔法の詠唱だった。

「なにか来るぞ、下がれ!」

 怪物の背中から生えた猿の右手から、闇の刃が伸びる。同時に左手からは数十もの紫紺の蛇が現れ、俺たちに牙を剥きながら飛んでくる。

 俺は自分の身体を盾にして、蛇の大群を受け止める。〈女神の加護〉の効果が発動し、俺に触れた蛇たちが砕け散り、魔力の粒となってぜる。

 そこに怪物が突進してきた。

 猿の腕が振り下ろす闇の刃を炎の剣で受け止めると、もう一方の猿の手が俺を横薙ぎに殴りつけてきた。上半身を捻ってかわそうとしたが、拳は俺の左肩をかすめる。

 かすっただけだというのに、俺の身体は地面に叩きつけられる。激しい痛みが全身を駆け抜けた。

 骨にひびくらいは入ったかも知れない……!

「エイジさん!」

 リリアが悲鳴のような叫びをあげ、怪物に飛びかかった。サソリの尾が剣閃を迎え撃ち、俺の目の前で激しい火花が散った。魔力と魔力がぶつかり合い、光と闇の粒子が飛び散る。

「このォッ!」

 リリアが素早く剣を引き、下から剣を振り上げる。銀の閃光がサソリの尾が斬り飛ばした。

 しかし——

「効かぬわ!」

 バウバロスがあざけりの声を上げると、サソリの尻尾は瞬く間に再生していく。

「死ね、〈竜の娘〉!」

 再生した尾がリリアに迫る。

「させないよ!」

 俺たちの窮地を見たイリーナが、リリアの反対方向から怪物に迫る。

「〈戦神マルセリスよ、御身の鉄槌をこれに。我が敵を打ち砕け〉!」

 イリーナが天井に向けて手をかざすと、そこに光のつちが出現した。

「くらえ!」

「ぬう!」

 バウバロスは猿の腕を操り、闇の刃で光の槌を受け止める。魔力がぶつかり合い、闇の刃が砕けた。

 光の槌が獅子の身体にめり込み、髪が焦げたようなイヤな臭いがあたりを包んだ。

「ぐおおおおおおおおお!」

 バウバロスの口から憤怒の声がほとばしった。

 イリーナが作り出した魔力のつちが、バウバロスの異形の肉体を打つ。

「ぐおおおお、この虫けらどもがァッ!」

 傷を負ったバウバロスは、雄叫びをあげながら獅子の前足をめちゃくちゃに振り回した。鋭い爪がイリーナの脇腹をかすめ、鎖帷子の一部がちぎれ飛び、引き締まった腹筋に一筋の傷を付けた。

 そして続けて振り下ろされた爪が、イリーナの胸の装甲を紙のようにむしり取る。

 露出した乳房にザックリとした傷が刻まれたが、イリーナはひるむ様子を見せず、鬼気迫る表情で反撃を繰り出していく。

「このッ!」

 俺はその隙に立ち上がり、炎の剣を猿の顔面に叩きつける。燃えさかる刀身が猿の顔の半分を焼き、けたたましい悲鳴がフロアに響きわたった。

 バウバロスは背中から生えた猿の腕で殴りつけてきたが、俺は地面に伏せて紙一重で回避する。

 まったく生きた心地がしなかった。

 リリアからコピーした剣術スキルと、バーバラさんから借り受けた炎の剣がなければ、俺はとうの昔にミンチになっていただろう。

「このまま押し切ります!」

 リリアが目にもとまらぬ速さで斬撃を繰り出した。

 まるでノートに落書きでもするるかのように、バウバロスの胴に無数の傷が刻まれていく。速いが、決して軽くはない。その一発一発が、必殺の意思で放たれた斬撃だった。

「グアガルァアアアッ!」

 バウバロスが叫ぶ。苦痛、憤怒、焦燥が入り交じった、激情の声だった。

「うおおおおおお!」

 俺は無我夢中で立ち上がり、炎の剣を突き上げる。剣はバウバロスの胸に突き刺さり、背中まで突き抜けた。髪の毛が焼けるような臭いが鼻を突くが、お構いなしに刃をひねりを加える。

「ごぶぁッ……!」

 バウバロスが口からヘドロのような液体を吐き、それが俺の顔にかかった。下水のような臭いに鼻が曲がりそうだった。吐き気で胃の奥が震える。内臓のすべてが、全身の筋肉が悲鳴をあげていた。

 ——だが、勝てる。

 そう思った瞬間のことだった。

「〈偉大なる神ルアーユよ! 我が血肉をかてとし、刑戮けいりくの力を!〉」

 叫びとともに、バウバロスの肉体が爆発した——少なくとも、俺にはそう見えた。

 突然、俺の身体を強い衝撃波が襲った。まるで車にはねられたような衝撃。

 全身の感覚が吹き飛び、脳が混乱する。

 なんだ! なにが起きている!?

 方向感覚がおかしい。どちらが上で、どちらが下かが分からない!

 再び衝撃。背中が何か固いものに激突したようだった。

 俺の背中にぶつかったのは、このフロアの壁だった。

 俺の身体は吹き飛ばされ、床を転がって壁に激突したらしい——数秒の時間をおいて、やっと自分の身に起きた事実を理解した。

「……リリア、イリーナ!」

 上半身を起こすと、全身に鈍い痛みが走った。

 フロアの奥のほうに、イリーナが倒れているのが目に入る。なんとか立ち上がろうとしているが、足下がふらついている。

「やつは……!」

 フロアの中心に目をやる。

 そこには凄まじい姿になったバウバロスが立っていた。まるで鮫の群れにでも襲われたかのように、全身の肉が深くえぐれている。肉がそげた部分からは、ヘドロのような液体が垂れていた。

 さきほどの衝撃波は、自分の身を犠牲にした攻撃だったのだろう。傷が再生しないところを見ると、奴が支払った代償は高かったのだろう。

 炎の剣はバウバロスの胸に刺さったままだった。刃が怪物の身を焼き、傷口からは蒸気と魔力の粒子が立ち上ってる。

 普通の獣なら死んでもおかしくない傷を受けながら、バウバロスはまだ意識を保っているようだった。四肢を引きずるように歩き、どこかにいこうとしていた。

「……我が悲願! 我が宿願……っ! 闇の竜を……この世に……!」

 口からヘドロと呪詛めいた言葉を吐きながら、バウバロスは歩を進める。

「儀式を、儀式を完遂せねばならぬ! 清き魂、無垢なる魂をもって……!」

 そのとき、俺はバウバロスの視線の先にあるものに気づき、顔から血の気が引くのを感じた。

「……あ、あ……」

 バウバロスの行く手には、青ざめて呆然と立ち尽くすジールの姿があった。

「お、愚かなり……異教徒ども……。かような場に……! 生け贄にふさわしい者を伴って……現れるとは……! うおおおおお!」

 最後の力を振り絞るようにして、バウバロスが駆ける。

 ジールは恐怖のあまり動けないでいる……!

「逃げろ……っ!」

 そう叫んだつもりだったが、俺の口から出たのは意味をなさぬうめき声だった。

「ひいいいっ!」

 後ずさるジールに、バウバロスが追いつく。

 猿の腕がジールの両手をつかみ、小さな身体を宙につるし上げた。

 バウバロスは大きく口を空け、ジールの胸元に噛みつく。

「……っ!」

 そして、ジールの服を銜え、引き裂いた。

「愚かなり……、愚かなり……!」

 バウバロスはマズそうに服をはき出し、陰惨な笑みを浮かべる。

「かような場に、汚れなきを伴って現れるとはな!」

 ジールの上着が破れ、肌が露わになった。

 俺はそこに二つのかすかな膨らみがあるのを見て取った。

「まさか……」

 視界がぼやけているが、見間違いではない。

 俺がこまっしゃくれた小僧だと思っていたジールは……。

「なにすんだよ、はなせ!」

 やっと我を取り戻したジールが、猿の手の中で暴れる。

いな……。けがれなき少女よ。汝には生け贄になってもらわねばならぬ……」

 バウバロスはどうみても死にかけで、さきほどまでの力はないようだった。だが、小柄なジールが暴れたぐらいではびくともしない。

「おい! やめろ、やめろよ! おいらなんか食ってもうまくねえぞ!」

「喰いはせぬ……。我が求めるのは、汝の血と命のみ……! んかぁっ……!」

 バウバロスが、顎が外れんばかりに口を開いた。そしてゆっくりとジールの胸元に顔を近づけていく。

 ジールを助けなければ……!

 俺は足に渾身の力を立ち上がろうとした。しかし身体から力が抜け、その場に膝をついてしまう。

「誰か、ジールを……!」

 そのとき、俺は目の端で何かが動くのを見た。

 あの細身のシルエットは……!

「リリア!」

 リリアだった。

 足下はふらついているが、右手にはしっかりと剣を握りしめている。額から流れた血が、髪の毛にべったり貼り付いていた。しかし、その瞳から光は失われていなかった。

 満身創痍のリリアは数歩歩いて弾みをつけると、バウバロスに向かって全速力で走り出した。

 リリアの足音に気付いたバウバロスが後ろを振り返った。よし、やつの注意がジールから逸れた。頼むぞ、リリア。俺もすぐ行く……!

「あああああああああッ!」

 リリアの口から、これまでに聞いたことのない熱い叫びがほとばしる。

 間に合え、間に合ってくれ!

「〈我ガ神ヨ、御身ノ忠実ナル僕、翼アル蛇ノ力ヲ貸シタマエ。我、ソノ力モテ、御身ニ仇ナス敵ヲ討タン〉……!」

 しかし、俺の願いを打ち砕くように、バウバロスの猿の面が不気味な祈りを唱えはじめる……!

「避けろ、リリア! 精神攻撃だ!」

 やっと声が出た。

 しかし、俺が言い切るよりも早く、バウバロスの背中から紫紺の光が立ち上り、リリアへと伸びた。

 紫の光は蛇のようにリリアの身体に絡みついていく!

「あ、あああ……あ……!」

 闇の蛇に絡みつかれながらもリリアは前に進もうとした。

 しかし、リリアの口から迸っていた叫びは徐々にか細くなり、やがてその身体は糸の切れた操り人形のように、その場に倒れ伏した。

「蛇は〈竜の娘〉の精神を喰らった……。これで半日は目を覚まさぬ……」

 バウバロスは弱々しいくも勝ち誇ったような口調で言った。

「リリアさん!」

 光のカーテンに包まれた兵士たちが悲鳴をあげた。

 俺は自分の足を殴りつけて気合いを入れ、立ち上がった。そして倒れたリリアに向けて、ふらつき足で走り出す。

 足がうまく動かない。自分の身体がまるでチェーンの外れた自転車のように感じられた。

 バウバロスは、よたよたと浮き足立ったように走ろうとする俺を見て、侮蔑の表情を浮かべた。

「愚かなり……。愚かなり、アルザードの眷属よ……。その場でおとなしくしておれ。さすれば、儀式の後に苦しまずに殺してやろう……」

「ふざ……けん、なよ、てめえ……!」

「そののち、〈竜の娘〉とマルセリスの神官は理性がすり切れるまで犯してやる……! 狂気という救いにすがりつくまで、な……」

「お、あ、ああああ!」

 声を振り絞って叫んだ。

 しかし、バウバロスは俺の叫びを無視して、再びジールのほうに向き直った。そして口を大きく開け、胸にかぶりつこうとする。

 間に合わない、このままでは……!

 自分の心が絶望に覆われていくのを感じた。

 そのときだった。

「……!」

 俺の視界の中で、砂のような細かい粒子がきらめいた。

 それに、なにか音がする。音の出どころは上のほう……。硬いものを殴りつけるような音だった。

「グオッ!」

 直後、バウバロスが鈍い悲鳴をあげた。

 よく見えなかったが、天井から降ってきたなにかが、やつの背中に命中したのだ。

「なんだっ!」

 俺が慌てて視線を天井に目を向けると、バウバロスの頭上に一カ所、ぽっかりと穴が空いていた。いま落ちてきたのは、外れた天井のブロックか!

 穴の向こうで、何かが動くのが見えた。生き物だ。おそらくは人間。

 それは、とても大きな人影に見えた。

「うおおおおおおおおおおおおおお!」

 そいつは天井の穴から身を躍らせると、雄叫びを上げながらバウバロスに向けて落下していく……!

「ぐおっ!」

 バウバロスはくぐもった声をあげる。落下してきた人影が、やつの背中に着地したのだ。

「お前は……!」

 突如現れた救援。その姿を見て、俺は思わず声を失った。

 あれは、あの風貌、体躯。見間違えようがない……!

「わ、悪ぃな、センセ……。ちっとばかし来るのが遅くなっちまった……」

 そいつは硬い巌のような顔に、不敵な笑みを浮かべてみせた。

 鎧は脱げ、裸の上半身には大小あまたの傷が刻まれていたが、隆々たる筋肉はいささかも衰えた様子がなかった。

「ザック!」

「イリーナは無事か? い、いま……こいつをぶっつぶしてやっから、待ってろよ……!」

 死んだと思われていた男が、俺たちの窮地に駆けつけたのだ。

「いっくぜえ……っ! オラァァァァア!」

 バウバロスの背中に馬乗りになったザックは、やつの背中から生えている猿の腕に手をかけた。ソーセージのように太い指が、怪物の手首の近くを握りしめる。

「ぐぬおおぉぉおっ!」

 気迫の声とともに、ザックの全身の筋肉が盛り上がった。

「ジールを放しやがれ、このやろう!」

「があぁぁああッ!」

 ザックの常人離れした握力がバウバロスを襲う。骨の軋む音が聞こえてきそうだった。

 俺はザックの助太刀をするため、空回りする足を𠮟咤し、転がるようにして走る。彼我の距離はわずか十メートルほどだというのに、果てしなく遠く感じた。

 背後からよたついているような、不規則な足音がした。

 振り返る余裕はないが、イリーナの足音だろう。彼女も俺と同じようにザックに助太刀をしようとしているのだ。

「!」

 そのとき、俺の視界の中に不吉なものが見えた。

 バウバロスのサソリの尾が、ピクリと動いたのだ!

「気を付けろ、ザック! 尻尾が狙ってる!」

 俺が声をかけた瞬間、バウバロスが動いた。

 サソリの尾が持ち上がり、ザックの背中を突き刺したのだ!

「お、お、お、おおおおおおおお!!」

 しかし、ザックは痛痒つうようを感じた素振りすら見せず、ひたすら猿の腕を締め上げ続けた。

「ゴガァァァアアアア!」

 バウバロスの口から苦悶の叫びがほとばしり、サソリの尾がザックの背中を滅多刺しにした。

 尾の先端、針の部分は二十センチはありそうだというのに、ザックは何度刺されても手を放そうとしない。壮絶な我慢比べだった。

「アアアアアアアアアアア!」

 ザックが喉の奥から気合いの声を放った瞬間。

 ——バキ!

 猿の腕が砕ける音だった。

「ぐがやおるおおおおおおっ!」

 バウバロスの口からよだれと、言葉にならない叫びが吐き出される。

 腕から力が失われ、ジールの体が地面に投げ出された。

 激高したバウバロスは、ザックを振り落とそうと後ろ足で勝ち上がり、大きく体を揺さぶった。さらに、サソリの尾でますます激しくザックを刺す。

「グルァアアッ!」

「ぐぅ……っ!」

 バウバロスがさらに激しく体を揺さぶり、ついにザックをふりほどいた。巨体が床に投げ出される。

 怒りに燃えるバウバロスが左前足を振り上げ、ザックに振り下ろす。仰向けに倒れたザックの厚い胸板を、鋭い爪が切り裂いた。バウバロスは片方の前足でザックの体を押さえつけ、もう一方の爪を振り上げた。

 まずい……!

 あの一撃を受ければ、いかにザックといえども無事には済まない。

 俺はただひたすら足を動かす。ザックとの距離はあと3メートルほど。

 ダメだ、間に合わない!

 バウバロスの鋭い爪がザックの頭を叩き割る光景が、脳裏を過ぎる。

 だが。

「なにっ!?」

 そのとき、俺は見た。

 ザックの相手をしているバウバロスの背後で、一つの人影が立ち上がるのを。

 輝く宝剣を手にしたその人物は——

「リリア!」

 立ち上がったリリアが、バウバロスの後ろ足を斬りつける。

 斬り飛ばされた足先が宙を舞い、怪物は体のバランスを崩した。

 ザックはその隙にバウバロスの胴体を蹴飛ばし、床を転がりながら難を逃れた。

「貴様アァァ! なぜ動けるッ! 貴様の精神は蛇が喰らったはずだッ! なぜ起きていられる!」

 狼狽ろうばいしたバウバロスは呪詛の叫びを口にしながら、サソリの尻尾を振り回した。

 払った尾がリリアに命中。細い体が俺のほうに吹き飛んできた。

「おぐぁっ!」

 噴き飛ばされたリリアの体が俺に激突する。

 とっさに両腕でリリアを受け止めた俺は、その場に尻餅をついてしまった。

 体が接触した瞬間、リリアのステータス画面が脳裏に広がった。

 それと同時に、俺はリリアの身に何が起きたのかを理解した。

「お前は、まさか……!」

 リリアのステータス画面を見ると、MPは間違いなく0になっていた。

 そして、スキル欄では〈淫蕩の呪い〉が赤く輝いている——!

 つまり、いま俺の腕の中にいるのは……。

「えへへ、

 俺の腕の中で、うつろな目をしたリリアがいたずらっぽく笑った。

リリアわたしったら、さっきのまほうに絡みつかれたとき、ちょっと感じちゃったの。そのとき魔法の効果でリリアわたしの精神が弱まったから、それを利用してあたしが表に出てきたってわけ」

 清楚なリリアの心の奥に潜む、もう一人のリリア——抑圧された性欲が生み出した別人格が、俺の耳元でささやく。

「さあ、エイジさん。立ち上がって。いっしょにあいつをやっつけましょ!」

 リリアが俺の手を握った。手袋越しにリリアの体温が伝わってくる。そのぬくもりが、俺の心と体を奮起させた。

 俺はリリアの手を借りて立ち上がる。

 目の前では、体勢を立て直したザックがバウバロスと戦っていた。

 バウバロスがザックに鋭い爪を振り下ろす。丸太のような太い腕がそれを受け止め、鮮血が飛び散った。

「ザック、負けないで!」

 背中のほうからイリーナの悲鳴に似た叫びが聞こえた。

 イリーナの声に背中を押されるようにして、俺とリリアはバウバロスに向けて走り出す!

「せやああああああああっ!」

 リリアが渾身の力を込めて、バウバロスの首を狙った一撃を繰り出す。

 バウバロスはとっさに前足を上げて防御した。

 しかしリリアの全力の一閃は、怪物の前足をやすやすと切断し、首に浅い傷を付けた。

 バウバロスが身体をよじって苦悶する。

 その隙に俺は素早くやつのふところに潜り込み、胴に刺さったままになっていた炎の剣のつかを握った。

「うううううおぉりゃあああー!」

 俺の気合いに反応するかのように、炎の剣の刀身が灼熱を増していく。

「燃え尽きろ!」

 剣を握る腕に力を込める。そして、一気に振り抜いた。

「……ッ!」

 刹那、たしかな手応えがあった。

 炎の剣が燃え上がる。剣は刀身から紅蓮の業火を吹き上げながら、バウバロスの胸から肩までを大きく斬り裂いた。

「おお……っ!」

 バウバロスの口から、気の抜けたような吐息と汚泥のような液体が吹き出す。

 直後、やつの身体がかしぎ、ボロボロになった怪物の巨体が、大きな音を立てて床に倒れた。

 俺は呼吸を整えながら、バウバロスの姿を見下ろした。

 バウバロスの身体が、四肢の先端から、ゆっくりと泥のように溶けていく。

 しかし、まだ息はあるようだった。開いたままの目と、半開きになった口がわずかに動いている。もはや先は長くないだろう。

 イヤな感じがした。

 相手は無辜の人間を殺そうとした悪党で、俺たちの戦いは仲間を救うためだったとはいえ、自分の行動が一人の人間を死に追いやったという事実は、俺の心に重くのしかかってきた。

「おい」

 罪悪感を紛らわせるため、俺はバウバロスに声をかける。虚ろな瞳がこちらを向いた。

「もう一度聞く。お前らはここで何をやっていた? あと、〈竜の娘〉とはどういう意味だ?」

 俺の問いかけを受けて、バウバロスはわずかに頬をゆがめて見せた。

「どうなんだ?」

 繰り返し聞く。

 最後まで悪党っぽく振る舞ってくれると、こちらとしては多少気が楽になるのだが。

「………………ふふ」

 しばしの沈黙の後、バウバロスの唇が皮肉げにつり上がった。

「よ……世に竜は数あ……れど……し、真なる竜……は……ただ一つ……。ほかは竜にありて……竜にあら……グオハッ!」

 言葉の途中で、バウバロスは口から汚泥を吐いた。

「真なる竜は……、た、ただ一つ。は、しゅ、しゅうま……」

「おい、どうした?」

 バウバロスの言葉がよく聞こえなかったので、俺はやつに耳を近づけようとしたが、ザックが「おい、センセ。危ねえぞ!」と俺の肩を掴んだ。

「其は……人に……災いなす……者。神に……あだなす……者」

「もっと分かりやすく話せ」

「できぬよ……。われが心を捧げし神は……ルアーユ。狂気と惑乱の守護者なれば……グオッ……!」

 バウバロスがまたひとしきり泥を吐いた。

 嘔吐おうとを終えると、バウバロスは力のない微笑を浮かべた。

「汝らの道行きに、呪いと苦痛のあらんことを……。汝らの住処すみかに、汚辱おじょくと破滅がもたらされんことを! おお、我が神よ……! いま御身の元に参りまする……! 〈闇の手よ。我が身と心を喰らい、神の御許へ!〉」

 バウバロスが突然、呪文のを唱えた。

 俺は思わず「うおっ!」っと身構えた。

 グズグズに崩れかかったバウバロスの身体から、手のような形をした紫色のオーラが立ち上った。

 それはバウバロスの顔を鷲づかみにし……。

「ガハッ……!」

 握りつぶした。

 潰された頭は瞬時にして黒く染まり、溶け、汚泥となって床に広がった。

「最後は、自殺、でしたね……」

 俺が振り向くと、リリアが立っていた。

 目つきはしっかりしている。裏人格のリリアはいつの間にか引っ込み、表の人格が意識を取り戻したようだった。

「ああ、そうだな」

 そう答えながらリリアの身体に触れてステータスを確認すると、MPは1になっていた。

 MPが0になると裏リリアが出てきて、戻るときに1だけ回復させていくという仕組みなのだろうか?

 まぁ、いまはそんなことどうでもいい。

「戦いは終わった。バロワに帰ろう。後始末や報告、再調査はあるだろうが、まずはゆっくり休もう」

「はい」

 リリアが微笑みを浮かべた。

 そのとき、俺の横で「ドサッ」っと、重たいものが床に落ちるような音がした。

「ザック!」

 驚きの声をあげたのはイリーナだった。

 俺が慌てて横を向くと、さっきまで元気に立っていたザックが、うつぶせで床に倒れている。

「おいおい、ザック。びっくりさせるなよ。寝るのは帰ってからに……」

 床に膝を突いて、ザックの身体を揺すろうとしたとき、俺は彼の身体に起こった異変に気がついた。

「ザック!」

 うつ伏せに倒れたザックの背中には、バウバロスの尾によって作られた刺し傷がたくさんあった。

 いずれも鋼のような筋肉に阻まれ、致命傷にはなっていないようだが、よく見れば、傷の周りが紫色に腫れている。

「ど、毒だぜ、こりゃあ!」

 駆け寄ってきたジールが言った。ジールの前ははだけたままだったので、俺は思わず目を背けてしまった。それを見たジールが口を尖らせた。

「なに見てんだよ!」

「見てねえよ! てか、そんなこといってる場合か!」

 俺はザックの傍らにしゃがみ込み、様子を見た。息が荒い。

 顔色も心なしか青いように見える。俺はザックに顔を近づけ、声をかけた。

「ザック! しっかりしろ!」

「お、おう……センセ、どう……なってんだ? オレは、なにをしてるんだ……? 身体が……動かねえ……」

 ザックが弱々しい口調で呟く。どうやら頭が混乱しているようだ。自分の状況がよく分かってないらしい。

「毒だ。身体を動かすなよ。イリーナ!」

 俺が呼ぶまでもなく、イリーナが駆け寄ってきた。

 イリーナは俺の隣にしゃがみ込むと、顔をしかめた。

「毒は消せるか?」

「消してみせるさ」

 強がってはいるが、イリーナの声は震えていた。

「〈戦神マルセリスよ。御身の勇者をむしばみし毒を打ち払いたまえ!〉」

 イリーナの呪文が監視すると、彼女の右のてのひらから淡い光が漏れ出した。

 光る掌がザックの背中に触れる。紫色に腫れたザックの傷口が、次第に元の色を取り戻していく。

「良かった……。なんとかなりそうだな」

 しかし、俺が汗の額をぬぐった瞬間、異変が起きた。

「ゴ、ゴホッ……!」

 ザックが激しく咳き込んだ。口からは血の混じったつばがはき出される。

「なに!?」

 イリーナがたじろぐ。掌に宿った解毒の光は、すでに消えていた。

 唖然とする俺たちの目の前で、ザックの傷口がまた紫色に染まっていく。

「たしかに解毒は成功したはずだ!」

 そう叫ぶと、イリーナは再び解毒の呪文を唱えはじめた。

 再び解毒の光がザックを照らすが、一時的に治癒しても、すぐに再び毒の症状が出てしまう。

 そうこうしているうちに、ザックの顔色はどんどん悪くなり、呼吸は荒くなっていった。イリーナの解毒を上回るスピードで、毒が身体にダメージを与えているのだ。

「なぜだ、なぜだ! なぜだ……! なぜなんだ!」

 イリーナは半狂乱になりながら、解毒の呪文を繰り返した。

 焦りと疲労からか、イリーナの額から玉のような汗が噴き出し、赤毛がべったりと額に貼り付いた。

「おい、ザック! バカ! 死ぬな!」

 イリーナが涙声で叫ぶ。

 ザックはすでに反応する余裕もないらしく、口からヒューヒューとか細い息を吐くのみだった。

 あの屈強な男が、わずかの時間でここまで衰弱していることが、にわかには信じられなかった。

「死ぬな! 死ぬな死ぬな死ぬな! アタシのところに戻ってこい! 逝くんじゃない! ザック! アタシの勇者!」

 イリーナの目の端から、大粒の涙が流れ、ザックの背中にこぼれ落ちる。

「〈戦神マルセリスよ!〉」

 再度、解毒の光がザックを照らした。

 しかし、結果は同じだった。

「そんな……」

 イリーナが、絶望の呟きを残してザックの背中に倒れ込んだ。

 意識を失ったらしい。魔法の使いすぎによる精神枯渇だろう……。

「イ……リー……ナ……どう、じ……た……?」

 イリーナが倒れ込んだ拍子に目を覚ましたザックが、朦朧とした口調で呟いた。

「オレ……は、どこ……に……も……いか……ねえ……よ……泣……くな……」

「……ッ!」

 リリアが息を飲む気配がした。

 目をやれば、リリアは顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべていた。

「エイジさん……こんなことって……」

「まだ諦めるな!」

 リリアの涙声を聞いて、俺は頭の奥がスッと冷静になっていくのを感じた。

 まだ手はある。あるはずだ!

 俺はザックへと手を伸ばす。指先が触れると、頭の中にザックのステータスが表示された。


★ ★ ★

対象=ザック

▽基礎能力値

器用度=13 敏捷度=16

知力=14 筋力=23

HP=1/22 MP=20/20

▽基本スキル

我流斧術=6 パルネリア共通語=2

我流格闘術=6 罠知識=4 薬草知識=2

▽特殊スキル

武芸百般=2 英雄の資質=4 毒抵抗=3 豪運=5

魔蠍の呪毒=6

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


「見つけたぞ……!」

 ステータス画面では〈魔蠍の呪毒〉、〈英雄の資質〉、〈毒抵抗=3〉、〈豪運〉、合計四つのスキルが真っ赤に光っていた。

 ザックの身体に秘められた資質が、サソリの毒——いや、これは呪いというべきか——に抗っているのだ!

 続けて、ザックに折り重なって倒れているイリーナに触れる。


★ ★ ★

対象=イリーナ

▽基礎能力値

器用度=12 敏捷度=18

知力=15 筋力=17

HP=4/18 MP=0/19

▽基本スキル

マルセリス流戦闘術=5 パルネリア共通語=4

白魔法(マルセリス)=6 薬草知識=5

魔物知識=2 隠密=2

▽特殊スキル

戦神への誓い=4 英雄の随伴者(ザック)=3

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


 イリーナのステータス画面を確認。

 これから俺がやろうとする試み。果たしてそれが成功するかは分からない。

 だが、可能性が一厘でもあるのなら、やるしかない!

「……〈白魔法(マルセリス)=6〉をコピー。空きスロットにセットしろ!」

了解コピー。〈白魔法(マルセリス)=6〉をセットしました』

 俺の呼びかけに反応し、脳内で謎の声が答える。

 イリーナの持っていた〈白魔法(マルセリス)〉スキルが俺のステータスに刻まれる。

 それと同時に、俺は白魔法の原理を本能的に理解した。

 白魔法のメカニズム。それは神との交信である。

 精神を集中し、感覚を研ぎ澄ますし、この世界パルネリアの「周縁」にいる神をイメージすることで、神の意識に同調する技術。

 神の意識に同調し、奇跡を願うことで、人は神の力の断片を行使することができる。これが白魔法の基本原理だ。

 神との交信には多大な精神力を必要とし、より強い精神、より強い信仰を持った者のほうが、高位の奇跡を起こせる。

 白魔法を使うとき、神官たちは祈りの呪文を唱えるが、これは集中力を高めるための所作であり、言葉そのものに意味はないらしい。

 祈りの言葉自体はデタラメであっても、精神集中と神を思う心があれば、魔法は発動する。ただし、それは少し効率が悪い。

 そこでこの世界の神官たちは、特定の呪文を唱えながら集中力を高める修行を行うことにした。ふだんからその訓練をしておけば、呪文を唱えると条件反射的に集中力を高められるのだ。

 要するに、白魔法の呪文は集中力のオン/オフを切り替えるスイッチに過ぎないってこと。

「よし……!」

 つまり使というわけだ。

 だが白魔法を使えるだけではザックを救えない。

 さきほどイリーナが起こした解毒の奇跡では、〈魔蠍の呪毒〉を打ち払うことはできなかった。

 さらに高位の魔法——呪いすら打ち砕く奇跡——が必要なのだ。

 うまくいくかどうかは分からないが、当てはあった。

 俺はバーバラさんから借りてきた魔道具——その最後の一つを手に取った。

 大きな宝玉が埋め込まれた腕輪だった。正直、俺にとって使い道がある道具だとは思っていなかったのだが、この場面では役に立つかもしれない。

 俺は手首に腕輪を填め、効果発動の合言葉を唱える。

「〈腕輪よ、腕輪。我が囁きを聞け。我が欲望と命を力に替えよ〉!」

 古代語の合言葉が完成するともに、身体がガクンと重くなるのを感じた。手足が鉛にでもなったようだった。こんなに肉体的な疲労を感じたのは、中学校のマラソン大会以来だぞ……。

 しかし、重苦しい身体とは対照的に、頭はこれ以上ないほど冴え渡っているのを感じる。

 これが腕輪の効果だった。

 自分の体力を精神力に変換し、魔法の効果をアップするのだ。

 この腕輪、副作用が大きい上に、俺もリリアも魔法は使えないので無用の長物だと思ったが、こんな土壇場になって役立ってくれるとは。

 もしかしたらこれも、ザックの持つ〈豪運〉の効果なのかもしれない。だとしたら、もう少しだけ保ってくれよ、ザックの運!

 自分のステータスを確認すると、MPの値が全快まで回復している。その代わり、残りHPは5から3に減少していた。長時間の使用は危険だ!

「フゥ……」

 俺は息を吐きながら、目を閉じ、精神を統一する。

 そして頭の中で、どこにいるかも分からない〈戦神マルセリス〉へと祈った。

——戦神マルセリス、どうか俺の呼びかけに答えてくれ!

——こんなインチキな方法で神に祈っても仕方がないかもしれない!

——だが、ザックを救うにはこれしか方法がないんだ!

 腕輪の効果で、だんだん身体が重くなっていく。全身の毛穴から汗が噴き出すのを感じた。汗を吸った衣服が肌に貼り付き、重苦しさが加速していく。

 だが、精神統一を乱すわけにはいかなかった。

——どこにいる、戦神マルセリス!

 拷問のような時間が流れていく。頭の芯が痺れていく感触があった。

 体の平衡感覚が失われていき、どちらが上下か分からない。いまにも倒れそうだ。

——俺の声に応えろっ!

 ダメだ、このままじゃぶっ倒れる……!

 そのときだった。

『……ふむ、ほう……これは……』

 突然、頭の中に声が響いた。

「……っ!」

 聞いたことのない男の声だ。若々しくて張りがある。どこか面白がるような調子だった。

『ずいぶん変わった方法で我に呼びかける者がいると思えば——』

 その声を聞いたとき、急に思考がぼんやりと輪郭を失うのを感じた。

 ついに意識が限界に達したのかと思ったが、そうじゃない!

 何か別の者の思考と、俺の思考が混ざり合った、おかしな状態になっているのだ。

 これが神との同調か……!

『この力、叔母上のものか。またぞろ悪い癖が出たということか——』

 頭の中にかかったモヤの向こうから、含み笑いのような声が響く。

 叔母上……?

 そうだ! マルセリスは主神ディアソートの息子ということになっている。そして俺に力を与えたアルザードは、ディアソートの妹だったはずだ。

『左様、我が名は戦神マルセリス。ディアソートの息子にして、アルザードの甥である』

 俺と思考を同期しているマルセリスが答えた。

『さて、岩漿がんしょうの川の彼岸より来たる稀人まれびとよ。このマルセリスにいかなる用かな?』

 そんなこと言わなくても分かるだろう!

 俺の友達が呪いと毒で死にかけている! 助けてくれ!

『ふふっ……、人一人の命を救う、か。君はそのような些事のために、私に語りかけてきたわけか?』

 些事でもなんでもねえよ! 友達が死にかかってるんだぞ。打てる手があるならなんだってやるだろ!

 それに救うのはザック一人じゃねえ!

 ザックが死ねばイリーナが悲しむ。イリーナはあんな性格だ。落ち込むだけじゃ済まないだろう。下手したら死んじまうかもしれない。

 俺は二人の人間を救いたいんだよ!

 おい、早くしてくれ!

 あんたの勇者が二人とも死んじまうぞ、いいのかそれで!

『ふむ……先にきみの方が死にそうだが大丈夫か? その風変わりな腕輪、これ以上使えばきみも死ぬぞ』

 うるせえ!

 死ぬかも知れないなんて言われても、いまさら引き返せるか!

 もしここで俺が祈るのをやめちまったら、俺は一生そのことを後悔するだろう。俺はそういうのめちゃくちゃ気にするんだよ! だったら、やれるところまでやってやるだけだ!

『ははは! その心意気や良し。我が司るは、闘争と義勇。なれば稀人よ、きみの蛮勇にも応えねばなるまい。さあ、友のために祈れ。きみの友はすでに死の淵に落ちている。なまなかな奇跡では救えぬぞ。精神を研ぎ澄ませ。大いなる蘇生の奇跡を願え。さすれば、我が力がきみに応えよう!』

 マルセリスの楽しそうな声が心の中に響いた。そのときだった。

「ザック、帰ってこい! イリーナが……俺も、リリアも待ってるぞ!」

 俺は無意識に叫んでいた。

 掌に不思議な力が集まってくるのを感じる。

 閉じたまぶたの向こう側で、強い光が膨張しているのも。

 それは温かいエネルギーの奔流だった。

「帰ってこい!」

 俺の叫びとともに、光が爆発した。

 同時に、俺は自分の身体から急速に力が受けていくのを感じた。

 あ、これはもうダメかも……。死ぬ……。

『見事である』

 薄れゆく意識の中で,俺はマルセリスの声を聞いた。

『勇者よ、奇跡は成った。だが、今後二度とこのような手段を用いるなかれ。他者の信仰を借りるなかれ。はぁ……。まったく、伯母上も恐ろしいことをなさる。困ったものだな……』

 マルセリスのぼやき声が遠ざかっていく……。

 頭のモヤも次第に晴れてきたが、すでに俺の身体には指一本動かす力も残っていなかった。

「エイジさん!」

 声が聞こえた。誰の声だろう……?

 やめろよ、そんな声を出すんじゃない……。

「エイジさん、しっかりして!」

 泣くんじゃない……。

 俺、そういうの嫌いだからさ……。





[終章]〈竜の娘〉と〈廃棄物〉


 俺は何もない真っ白な空間を一人で歩いていた。

 どこまでも果てのない空間に、朝靄のようなものが立ちこめている。

 自分がどこに向かっているのかは分からなかった。ひどく身体が疲れている。だが、前に歩かなければいけない気がした。

「エイジさん……」

 俺を呼ぶ声がした。

 誰だろう? 声質はとても心地よいが、切羽詰まったような口調だった。

「エイジさん……!」

 分かったよ。すぐそちらに行くよ。

 俺は声のするほうへと駆け出す。

 そちらには何か良いものがある気がした。

 そのとき、俺は気がついた。

 ああ、これは夢だ。俺は早く起きなければいけない。誰かは分からないが、あの声の主が、きっと俺を待っている。

 これが夢だと気がついた瞬間、俺はまどろみから解き放たれた。

「……ここは、どこだ……?」

 目を覚ますと、知らない部屋にいた。

 六畳ほどの部屋は、石造りの壁に囲まれていた。俺が寝ていたのは、窓際に置かれた質素なベッド。シーツは真っ白で、とても良い匂いがした。

 窓からは、暖かい日差しが差し込んできている。

 身体がうまく動かない。手足が痺れる感触があった。

 あと、腹のあたりがなんか重い……。

「くっ……!」

 上体を起こそうとしたが、うまく身体が動かなかったので、首を僅かに動かして腹のあたりを見る。

 俺の腹の上に乗っていたのは、金色の毛玉だった。

 絹糸のような金色の毛をもつそれはゴソゴソと動き、俺のほうを見た。金髪の奥から、半開きになったエメラルドグリーンの瞳がこちらを見た。

「おは……よう……」

 かすれる声で起床の挨拶をすると、毛玉——俺の腹の上に突っ伏していたリリアの頭が、びっくりしたように跳ね起きた。

「エイジさん、目が覚めたんですね!」

 ふわりと風が吹き、花のような甘い香りが鼻孔を撫でた。

 リリアが俺の首に抱きついてきたのだと気がついたのは、それから数秒後のことだった。

「なあ、リリア……ここはどこだ?」



 ここはどこだろう?

 少なくとも俺たちの家じゃない。建物の作りや寝具の様子を見ると、小さな村や砦でもないのだろう。

 リリアの姿を見れば、冒険用の皮鎧から普段着に着替えている。

「バロワに……帰ってきたのか……?」

 そう聞くと、俺の首にしがみついたリリアの頭が縦に動いた。

 そうか。無事に帰れたのか。それはよかった——いや、待てよ。

「そうだ! ザックとイリーナは無事か!? あいつらはどこに……!」

「ふふ、それでしたら安心してください」

 俺が焦った声を出すと、リリアが顔を上げて微笑した。

 おそらくろくに寝ていないのだろう。リリアの目の下には濃い隈があった。だが、憔悴しきってはいても、リリアの美貌はなんら衰えることはなく、その笑顔は目覚めたばかりの俺の心を大いにかき乱した。

「ここはバロワのマルセリス神殿です。お二人は隣の部屋で休んでいます」

「そうか……」

「ザックさんよりも,ご自分の心配をしてください。エイジさんが一番の重症だったんですよ?」

 それからリリアは、遺跡での戦いのあとに起こった出来事を語ってくれた。

 俺が起こしたマルセリスの奇跡は、無事にザックの命を救ったらしい。ザックの傷は瞬く間に治り、すぐに意識も回復した。

 それとは対照的に、俺のほうはボロボロだった。俺は魔法の腕輪に体力を吸い取られて別人のようにやせ衰え、意識を失ってしまったのだという。

 一行は俺が張った光のカーテンが消えるのを待ち、気絶したままのイリーナと俺を担いで遺跡を脱出した。

 ちょうど一行が遺跡の入り口に辿り着くころに、バロワの街から出た後発部隊が遺跡に到着したらしい。

 俺たちが助けた村人が砦の兵士に事態を報告したため、情報が〈満月の微笑亭〉にも伝わり、出発を早める結果に繋がったのだそうだ。

 後発組にはイリーナの知り合いのマルセリスの神官が混じっていた。

 彼らは衰弱しきった俺を治療するために、バロワのマルセリス神殿に担ぎ込んだ。

 神官たちは俺にポーションを飲ませ、治癒魔法の奇跡を使ったが、俺は目を覚まさなかった。

 その後、俺は丸一日眠り続け、やっといま目を覚ましたと……いうわけだった。

「そうだったのか。心配をかけたな」

 俺がそう言うと、リリアは無言で俺の胸に顔を埋めた。

「……ありがとう。リリアも疲れているだろう。俺はもう平気だから、休んだ方がいいぞ」

「……」

 リリアは顔を伏せて黙ったまま、モゾモゾと身体を動かした。

「いっ!?」

 そして、身体を滑らせるようにして俺のベッドに潜り込んでくる!

 俺はまだ身体が満足に動かないので、押し返すことも出来なかった。

「お、おい! ちゃんと自分の部屋で休めよ!」

「いやです。まだエイジさんのことが心配なので」

 きっぱりとした口調だった。

 腕が、脚が、しなやかな弾力をもったリリアの四肢が、俺の身体に巻き付いてきた。豊かな胸の膨らみが脇腹に押しつけられる。

「こんなところを人に見られたら……」

 そう言いかけたところで、俺はリリアがかすかな寝息を立てはじめていることに気付いた。

 きっと不眠不休で俺を見ていてくれたのだろう。そうと思うと、リリアのことがたまらなくいとおしく感じられて、このまま寝かせてやりたい気がした。

 リリアの身体の感触を味わいながら、俺は今後のことを考えていた。

 いまはろくに身体が動かないが、この先元気を取り戻したら、俺はきっとリリアを抱いてしまうだろう。そんな強い予感があった。

 いや、はっきり言おう。

 俺はリリアのことが好きになっていた。この先ずっと、リリアと一緒にいたいと思うようになっていたのだ。

 だが、その気持ちをこの場ではっきり口にする勇気は湧いてこなかった。

 ……まぁいい。自分の思いきりの悪さには呆れるが、リリアとどう付き合っていくかは、もう少しあとで考えよう。

 ひとまず、自分の身体の調子を確認することにした。

 インフルエンザにかかったように痛む腕を動かし、掌を自分の胸に当ててみると、現時点のステータスが脳内に展開された。

 ——おや、これは?

 表示されたステータスは、複数の意味で俺を驚かせた。


★ ★ ★

対象=張本エイジ

▽基礎能力値

器用度=6(12) 敏捷度=7(14)

知力=20 筋力=7(13)

HP=9/9(18) MP=22/22

▽基本スキル

日本語=7 英語=3 中国語=3

パルネリア共通語=2 パルネリア古代語=2

言語学知識=2 ハリア王国式剣術=1(2)

▽特殊スキル

コピー&ペースト=4 女神の加護(アルザード)=10

▽ペースト用スロット(総スロット数=4 空きスロット=1)

ハリア王国式剣術=4(7) パルネリア共通語=5

パルネリア古代語=8 [※スロットは空白です]

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

※〈コピー&ペースト〉の累積経験値は4957です。次のレベルに達するまでの経験値は5000です。

★ ★ ★


 まず驚いたのが、各能力値の低下だ。

 知力を除くすべての能力値が半分になっている。身体能力はバーバラさんと同程度か、もしくはそれ以下だった。つまり、いまの俺の肉体はお年寄り並ってことか。

『あなたの肉体は極度の過労状態にあります。一定期間の十分な休息を取るまで、一部を除く全ステータスが低下します』

 別に質問をしようと思ったわけじゃないが、頭の中で謎の声が教えてくれた。ときどき妙に親切だよな、こいつ。

 とりあえず、ステータスの低下が一時的な問題でよかった。どのくらい休まないといけないかは分からないが、過労が原因ってことなら一週間くらいゆっくり寝ていれば治るんじゃなかろうか。

 もうひとつ驚いたのが、俺のスキル欄に〈ハリア王国式剣術=1(2)〉と〈パルネリア共通語=2〉、〈パルネリア古代語=2〉が出現したことだ。

 これは〈コピー&ペースト用〉のスロットにあるスキルとは別物で、俺自身のスキルということらしい。他人のスキルを使っていくうちに、俺の身体が勝手に覚えたってことだろうか。

 習得方法には問題があるかもしれないが、これまでの経験が自分の血肉になっているのは少しうれしかった。

 イリーナからコピペした〈白魔法(マルセリス)〉はきれいさっぱり消失していた。

 そういえばマルセリスが去り際に「二度とこういうことをしないように」みたいなことを言っていたので、神の力で吹き飛ばしたのかもしれない。

 マルセリスからすれば俺なんざ、ツギハギコピペのレポートを片手に「この単位がないと留年なんです!」と泣きついてきた学生みたいなもんだろう。「涙ぐましい努力の形跡があるので、今回だけは見逃してやろう。だがこんな手が次も使えると思うなよ?」くらいの対応をしてきたって感じだろうか。

「さて、と」

 ステータスの確認が済んだところで、俺はこっそりベッドから抜け出すことにした。

 隣の部屋で休んでいるというザックとイリーナの顔を見ておきたかったのだ。

 リリアの口ぶりからすると、すっかり元気になっているようだが、やはり直接顔を見て安心したい。

 俺はリリアを起こさないように、そっと体を引いた。

 幸いリリアは疲れ果てて熟睡しているようだった。長いまつげの生えたまぶたは固く閉じられ、半開きになった桜色の唇からは静かな寝息が漏れていた。

 可愛らしい寝顔だ。

 いつまでも見ていた気分になったが、まずはザックたちの様子を見てこないとな。

 ヨタつく足を引きずりながら部屋から出ると、外には長い廊下が伸びていた。

 すぐ側にある扉から、何か物音が聞こえる。ザックとイリーナはこの部屋にいるのだろう。

 扉に近付くと、中から人の声がした。イリーナの声のようだ。

「……あああ……ああっ……!」

 なにやら切羽詰まった声色だった。まるで泣いているような声だ……。

 俺は胸の奥がざわつくのを感じ、扉に近寄った。

「あああっ、ザック! そんなこと……したら、死んでしまう……!」

 ——死、だって?

 中から響く声を聞いたとき、心臓がどくんと跳ね上がった。

「ザック! 大丈夫か!」

 俺は反射的にノブに手をかけ、扉を押し開けた。

 バァン!と大きな音を立てて扉が開く!

 しかし……。

「あ」

「ん?」

「あら……」

 そこには俺が予想だにしていなかった光景が広がっていた。

 声の主であるイリーナは、ベッドの上でうつ伏せになっていた。顔と両手はべったりベッドにつけているが、膝を立てて腰を高く掲げていた。

 ザックのほうはといえば、そんな姿勢のイリーナの上にのしかかる格好だ。

 ちなみに、二人とも丸裸だった。

 えーっと。

 状況から察するに、これはアレだな。

 うん。はい。分かった。全部理解した。死んじゃうってのはつまり、そういう意味ね。

 心配して損したわ! てか、お前らここ神殿だぞ、いいのか!?

「おいイリーナ! お前の声がデカすぎてセンセが起きちまっただろ! 悪ぃな、センセ。ゆっくり休んでもらわなきゃいけねえのに」

「なに言ってんだい! 誰がこんな声出させたんだよ! ……やあ、先生。おはよう。まだ顔色が悪いね」

 愛の営みを中断したザックとイリーナは、隠すべきものも隠さずに俺に話しかけてきた。お前ら、ちょっとオープンすぎるだろ……。

「あ、いや……俺はもう大丈夫だからさ。二人は、その、続けてくれ。あとで一息ついたらゆっくり話しようぜ」

「おう。まあオレはいまからでも構わねえけど」

「バカ! 先生はこれから姫さんと……!」

「おお、そういうことか! すまねえ、オレとしたことが気が利かなかった!」

 なにが「そういうこと」だよと思わずにいられなかったが、これ以上この場に留まるのは得策でない気がした。

 俺は「そんじゃ、またあとで」とだけ言い残して扉を閉じた。



 元の部屋に戻ると、リリアはベッドの中で爆睡していた。隣の部屋の喧噪などどこ吹く風である。リリアの安らかな寝顔を見ていると、自然と頬が緩んだ。

 身体がだるいので、もう一眠りしたい気分だった。だが、ザックたちにあんな場面を見せつけられたせいで、ベッドに戻って寝直す気にはならない。

 俺は部屋にあった木の椅子をベッド脇へと運び、背もたれをベッドのほうに向けて置いた。そして、背もたれに腕を置く形で、反対向きに腰掛けた。

 天使のような顔で寝息を立てるリリアを眺めながら、俺は物思いにふける。

 いまさらながらの疑問なのだが、リリアは何者なのだろうか?

 前に本人に話を聞いたときは、貴族の出身であるという点については否定しなかった。そして、自分の実家がすでに存在しないとも言っていた。

 これはおそらく嘘ではない——少なくともリリア本人はそう認識しているはずだ。

 なぜなら、リリアはバーバラさんに気に入られてる。バーバラさんがリリアを信用しているということは、〈嘘感知〉の魔法を使った質問を切り抜けたということだ。

 となれば、リリア自身が公言しているプロフィールはおおむね正しいはず。

 以前、俺はリリアの聞いて没落遺族のご令嬢なのだろうと推測した。

 大筋では外していないと思う。だが、もう少し事情は複雑なのかもしれない。

 この世界の常識にはうといが、ただの貴族令嬢が、あれだけの剣技を持っているものなのだろうか? いや、とてもそうは思えない。

 リリアの剣術スキルのレベルは7。これは非常に高い数値だ。この街きっての冒険者であるザックやイリーナですら、戦闘スキルのレベルは5か6だった。

 それを上回る剣技を持つ美人となれば、貴族社会では有名人じゃないのか? 平民の間でだって知られているかもしれない。

 だが、バロワにはリリアの出自を知ってそうな人はいない。少なくとも、いまのところは。これはとても不自然なことに思えた。

 最大の謎は、リリアにかけられた数々の呪いだ。

 リリア自身は呪いの全容を把握していないようだが、〈コピー&ペースト〉でスキル欄を見た俺は、何者かの強烈な悪意が感じた。

 命を奪うための〈夭折〉、尊厳を奪うための〈淫蕩〉、そしてそれに相反するかのような〈不妊〉。リリアの尊厳を失わせ、その命ばかりか遺伝子までもをこの世から抹消しようという悪意を感じる——とまで言うと、穿ちすぎだろうか?

 そして最後に。

 邪神ルアーユの信徒、怪僧バウバロスを名乗った男は、リリアを〈竜の娘〉と呼んだ。その言葉の意味をバウバロスは最期まで語らなかったが、口ぶりからして、ただのハッタリや勘違いではなさそうだった。

「ん……」

 リリアが小さな声を出して寝返りをうった。

 その拍子に上着の裾が乱れた。俺は乱れを軽く直してやりつつ、リリアの体に触れ、ステータスを読み取った。

★ ★ ★

対象=リリア

▽基礎能力値

器用度=19 敏捷度=21

知力=17 筋力=16

HP=16/16 MP=19/19

▽基本スキル

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

隠密=3 罠技術=1 武具鑑定=1 宝物鑑定=1

ハリア王国式儀礼=4 

▽特殊スキル

騎士の誓い=6 ???の血統=5(固定)

淫蕩の呪い=5 不妊の呪い=10

夭折の呪い=8 不運の呪い=2

??????=?? ??????=??

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★

 いまの俺では読み取れない特殊スキルが、まだ三つもある。

 その中で目を引くのは、中途半端に表示されている〈???の血統=5(固定)〉だ。

 リリアの血統には、何かがある。

 彼女を呪いから解放するためには、その何かを解き明かさなければならない。

 これは予感というよりも、確信だった。

 ただ、問題はリリア自身も自分の血統について詳しく知らなそうなところだ。

「手がかりになるものがあればいいんだけどな……」

 そう独りごちたとき、ふと一つのヒントに思い当たった。

 リリアが大事にしている魔法の宝剣。

 あれはきっと貴重な品物だろう。来歴を知れベていけば、リリアの正体に近づけるかもしれない……。



 ぼんやりと考え事をしていると、部屋の扉がコンコン、と音を立てた。来客のようだ。

 俺はリリアを起こさないよう、そっと椅子から立ち上がって扉を開けにいった。

 誰が来たのだろう。ザックたちだろうか。

「はいよ。どうぞ」

 気の抜けた声をだしながら開けると、扉の向こう側には見覚えのない男が立っていた。

 立派な身なりをした若い男だった。

 細やかな刺繍が入った上着の上に、鮮やかな緋色のマントを羽織っている。

 年の頃は二十代半ばくらいだろうか。背格好は俺と同じくらい。明るいオレンジ色の髪とはっきりした目鼻立ちから、快活そうな印象を受けた。口元には柔らかい微笑が浮いている。

 俺がふだん接している人々とは、明らかに毛色が違う。人の上に立つ立場——おそらくは貴族。

「失礼。お休み中だったかな?」

 男は、張りのあるテノールボイスで語りかけてきた。自信と落ち着きを感じさせる声だった。

「いえ、俺はもう起きて……いた。います。いまは連れが代わりに寝ているところで……」

 相手の立場が分からず、どういう口調で話して良いかしどろもどろになっていると、男はにこりと笑った。

「そうかしこまらないでいただきたい、ハリモト・エイジ殿。お初にお目にかかる。私はフェルナール・ゼフ・ルード。バロワ一帯を治める領主の子だ」

「りょ、領主……!?」

「ははは! 領主の息子、だ。穀潰しの次男坊さ。いまはバロワのディアソート神殿に身を寄せ、形ばかりの聖騎士をやっている。たいした身分ではないから、気楽に接してほしい」

 フェルナールは快活に笑った。いや、気楽にと言われても困るのだが……。

「それで、フェルナール……様は、どんなご用で?」

「フェルナールでよい。私もあなたをエイジと呼ばせてもらおう」

 ぐいぐい来る男だな。悪い人間じゃなさそうだけど。

「先の古代遺跡の件で、内密の相談がある。遺跡内部に突入し、ルアーユ教団と戦った冒険者を集め、話し合いがしたい」

「内密の話し合い……? すぐに?」

 フェルナールの口調は明朗だったが、俺はきな臭そうな雰囲気を感じていた。

「うむ。出来れば明日にでも。場所は私の屋敷がよかろう。遺跡に突入したのは、エイジ、リリア、ザック、イリーナ、ジールの五名だったな」

「あと一人、冒険者ではないが道案内として同行した男がいる。いまどこにいるかは分からないが……」

「ああ、スレンのことか」

 フェルナールが笑った。スレンの名前を知っているということは、すでに神殿内部で起きた戦闘の概要は、兵士たちから聞いているのだろう。

「彼ならディアソート神殿で保護している。ほかの焼け出された村人たちもいっしょだ。彼らのことは神殿が面倒を見るので、しばらくはそっとしておいてやろう」

 つまり、用があるのは俺たち冒険者だけってことか。

 いったい何の話をするつもりなんだ?

「ははは、そう構えずともよい。あなたたちにとって損な話ではないからな。手間を取らせて悪いが、隣の部屋の二人にはエイジから伝えておいてほしい。いまはのようだしな。わはは!」

「あ、ああ……」

「ジールには〈満月の微笑亭〉経由で使いを出したので、連絡は不要だ。では、待っているぞ!」

 フェルナールは一気に言い切ると、くるりと踵を返し、振り返ることなく去って行った。

 フェルナールの背中を見送って振り返ると、ベッドで寝ていたリリアがモゾモゾ動くのが見えた。

 やがてリリアはむくりと上体を起こし、 寝ぼけまなこで瞼をしばたたかせた。

「エイジさん!?」

 どこか不安げな様子だった。そうやら寝ぼけて俺の姿が見えていないらしい。

「悪い、起こしてしまったか。まだ寝てて良いぞ」

 ベッドサイドに戻りながら言うと、リリアは要領を得ない様子で俺をじっと見上げた。まだ頭が半分以上寝ているようだった。

「エイジさん、どこお?」

「ここにいるって」

 俺がベッドサイドに戻ると、リリアは俺の体に首をこすりつけてきた。まるで猫が甘えるようだった。

「どこかに行っちゃったんじゃないかと思って……」

「どこにもいかないさ」

「良かった……」

 手をさしのべると、寝ぼけたリリアは目を細め、甘えるようにじゃれついてくる。

 あまりにも無防備な様子に、もしかして〈淫蕩の呪い〉が発現したのかと思ったが、俺の目に見えるリリアのMPは正常値を保っていた。

 ならば特に気にすることはない。

 俺はリリアのやりたいようにさせることにした。

「エイジさん」

 まだ半分夢の世界にいるリリアが、甘い声を出した。

「なんだい?」

「ずっといっしょにいてくれますか?」

「ああ。それも悪くないな」

「うれしい……」

 リリアはそう言うと、ベッドに倒れ込み、再びすやすやと寝息を立て始めた。

「ずっと、いっしょか……」

 ふたたび夢の世界へと戻っていったリリアを見て、俺は暖かい気持ちに包まれていた。

 半分寝ているとは言え、リリアが俺を必要としてくれていることが、ただただうれしかったのだ。



 疲れ果てていたのだろう。次にリリアが目を覚ましたのは、太陽が沈んだあとだった。

「いけない!」

 突然ベッドから跳ね起きたリリアはぱっと目を見開き、周囲を見回した。絹糸のような金髪が寝乱れて顔に貼り付いている。少し腫れたまぶたと相まって、強烈な色気を感じさせる。

「疲れは取れたかい?」

 俺が笑いかけると、リリアは「はい……」とうなずき、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「起こしてくれたら良かったのに……」

「起こせるわけないだろ」

 リリアは俺が目を覚ますまで、ずっと見守ってくれていたのだ。こちらの都合で起こすなんて恩知らずなことはできない。それに、俺はリリアの可愛い寝顔をずっと見ていたかったのだ。

 俺は椅子から立ち上がり、ベッドサイドのテーブルに置かれた水差しを手に取った。いっしょに置かれていた木のコップに水を注ぎ、リリアに差し出す。

「エイジさんはもう大丈夫なんですか?」

「まだ身体は十分には動かないが、おかげさまで。立って歩くくらいなら問題ない。だが、しばらくは静養が必要だそうだ」

「ゆっくり休んでください」

「お互いにな」

 リリアが俺の手を引いた。いっしょにベッドに入れということらしい。

 それにしても、マルセリス教団の人たちはなぜベッドが一つしかない部屋を俺たちにあてがったのだろう。ベッドは広いので、二人で寝っ転がっても十分に余裕があるのだが、男女二人が同衾するのはマズいと思わなかったのだろうか。

 もしかして、イリーナのやつが教団の人に何か吹き込んだのだろうか……?

 俺はリリアに誘われるままベッドに入って寝転んだ。リリアも俺に合わせて身を横たえる。お互いの顔が近い。月明かりがリリアの美貌を照らし、俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。疲れているからか、性的な衝動はまったく起こらず、俺は純粋にリリアを美しいと思った。

「そういえばさっき、どなたかお客さんが来ていたんですか?」

「フェルナールという男が来た。明日、俺たちを呼んで話がしたいんだってさ」

 フェルナールが話していたことを語って聞かせると、リリアは少し考え込む様子を見せた。俺が「どうかしたか」と尋ねると、

「フェルナール殿は切れ者として有名です。内密というからには、何か重要な話をするつもりでしょう」

 フェルナール本人は自分のことを穀潰しの次男坊、ディアソート神殿の居候だと言っていたが、実際はそんなことはないらしい。なんとなくそんな気はしていたが。

「あの方は、ハリア王国でも五人しかいない竜騎士の一人です。出身こそバロワですが、いつもは国王陛下から任務を受けて、各地を飛び回っているのです」

「竜騎士……というと、竜に乗って空を飛んだりするのか?」

 間の抜けた俺の質問に、リリアは「はい」と首を縦に振った。

「この世界の竜というのは、どういう存在なんだ?」

 話の流れに乗って、気になっていたことを聞いてみることにした。

 バーバラさんの家で読んだパルネリアの伝承には、たびたび竜が出てくる。姿形は俺のイメージする竜に近いらしいが、この世界の竜には、何か特別な意味があるように感じられた。

「難しい質問ですね……。竜と一口に言っても、さまざまな種類がいます」

 リリアが思案しながら答える。

「フェルナール殿のような竜騎士が駆るのは、竜の中でも年若く、力が弱いものです。人間に近い知能を持っていますが、魔法は使えません。それでさえ、一騎の竜がその気になれば、一つの都市を一日で灰に出来ると言われています」

 たった一騎で都市を陥落せしめるほどの戦力か。とんでもない話だ。となると、フェルナールはハリア王国にとって、切り札のような存在というわけか。

「それでも弱い部類なんだな」

「はい。より強い竜は、人間をはるかに凌駕する知恵を持ち、強力な魔法を操る者もいるそうです。その力は国一つを簡単に滅ぼせるのだとか。古代魔法文明以前からパルネリアに存在していたと言われています」

 そういえば、バーバラさんの家で読んだ古文書の中には、神にも匹敵する力を持ち、神々に叛逆した竜というのもいたっけ。

 名前はたしか、イゾームといったはずだ。パルネリア全土で暴れ回り、七つの国を滅ぼしたが、主神ディアソートの妹に率いられた人々によって倒されたという。

「ただし、力ある竜は人と交わることを好まず、人里から遠く離れた山野や砂漠、海、湖で静かに暮らしていると言われています。もっとも、それほど強大な竜を直に見たという人はほとんどいません。本当にいまも存在するのかどうかは、誰にも分かりません」

 なるほど。強大な竜については、伝承や古文書でしか知られておらず、おとぎ話の中の存在にすぎないかも、ということか。

「リリア」

「どうかしました?」

「遺跡で出会ったルアーユ司祭——バウバロスは、きみのことを〈竜の娘〉と呼んだ。これはいったいどういう意味なのだろう?」

 俺がずっと気になっていたことを口にすると、リリアは黙り込んだ。どう答えて良いか分からず、困惑している様子だった。

「……わたしにも分かりません」

 しばらく間をおいて、リリアが答えた。

「竜の中には、人に化けるものもあると言います。ですが、わたしはずっとこの姿です。竜が化けているわけではありませんよ」

 苦笑を浮かべながら、リリアは言う。

「〈竜の娘〉と言われても、意味が分かりません」

 リリアはそう言いながら、俺の手を握った。リリアの掌は少し汗ばんでいて、小刻みに震えていた。

「ご両親は、普通の人間なんだよな?」

 不安を和らげるつもりで言った冗談だったのだが、リリアは黙ったまま答えなかった。

 俺たちの間に、長い沈黙が訪れた。やがて、リリアは声を震わせながら「……分かりません」と言った。

「わたしは父母の顔を知らないのですから」

「……なんだって?」

 反射的に問い返すと、リリアは気まずそうに目を伏せた。

「わたしは父母の顔を知りません。わたしを育ててくれた執事からは、父は貴族だったと聞いています。それゆえに、わたしに父であると名乗り出ることは叶わないのだ、とも……」

 月の光を浴びながら、リリアは不安げな声色でささやく。

「そうか……。立ち入ったことを聞いてすまなかった」

「いえ、いいんです。思えばあれは、不思議な生活でした」

 それからリリアは、自分の生い立ちを俺に語って聞かせた。

 リリアが生まれ育ったのは、ハリア王国の北方にある山脈地帯。その中にひっそりと建てられた古城だったという。城の周囲にはほとんど人が住んでおらず、幼少期のリリアの身の回りにいたのは、親代わりの執事と、十人程度の使用人だけだった。

 辺境での生活だが、不自由はなかったという。なぜならリリアの父から手厚い援助があったからだ。名も知らぬ父親は、娘のためにせっせと定期的に物資を送ってきていたのだとか。また、城で働く者たちには十分すぎるほどの給金を渡していたらしい。

 城の者たちは、いずれもしっかりとした教養を持ち、それでいて身寄りのない者が選ばれていたそうだ。きっと、高い給金には口止めの意味もあったのだろう。

 リリアの存在は、父にとってなんとしてでも秘匿しなければいけないものだったようだ。

 リリアは幾度か使用人たちに父母の名前を聞いたが、そのたびに「お父上は立派な方です」、「いずれお父上や、ごきょうだいとお会いする日も来るでしょう」、「その日まで、どうか健やかにお過ごしください」という答えが返ってくるだけだったという。

「お母さんの名前は分かるのか?」

 たしか以前にリリアの母は、リリアを産んですぐに亡くなったと聞いた。

「母のことを、皆はネア様、と呼んでいました。本名かどうかは分かりません。顔はわたしとそっくりだったそうですが、城には母の肖像画は一枚もありませんでした。それどころか、遺品や記録さえ、ほとんど残されていなかったのです」

 リリアはそう言うと、ベッドから上体を起こし、ベッドの脇に目をやった。

 視線の先には、リリアが愛用している宝剣が立てかけられていた。

「唯一残されていたのが、あの剣です」

 リリアはベッドに腰掛けて宝剣を手に取った。

「母がわたしに残した形見です」

 リリアは束と鞘に手をかけて、少しだけ剣を引き抜いた。暗闇の中で、白銀の刀身が淡い光を帯びているのが分かった。なんらかの魔力を帯びているのだろう。

「古代文明の秘宝、なのかな?」

「おそらくそうなのでしょう。現在のパルネリアには、武器に恒久的な魔力を込める技術はありませんから。一度バーバラさんに鑑定していただきましたが、作成された時期や、どんな魔法がかけられているかは分からないと仰っていました。ただ、一つだけ気になる点があると……」

「気になる点……?」

「剣の意匠が、古代文明のどの時期の流行からもかけ離れているようだ、と。目が悪いのではっきりと判断できないが、あまり古代文明らしくない意匠だと思う——そう仰っていました」

「らしくない、か……」

 バウバロスと初めて顔を合わせたとき、ヤツはリリアの顔と剣の両方を見て〈竜の娘〉と呼んでいた。やはり、この剣には何かがある。

「そういえば、リリアの住んでいた古城はいまどうなっているんだ?」

 たしか前に話したとき、リリアは「わたしの実家はもうありません」と言っていたはずだ。

「……城なら、まだあると思います。でも、そこはもうわたしの居場所ではないのです。わたしは、あそこにいてはいけなかった……」

「どういう意味か、聞いて良いか?」

 一瞬の沈黙があった。リリアは意を決した表情で俺を見た。

「わたしが十七歳になる前に、父が亡くなりました。直接知ったわけではありませんが、使用人たちが話しているのを偶然聞いたのです。父が亡くなれば城への援助は止まる、面倒なことになった——彼らは不安そうに話していました。その話を聞いたわたしは、一人で城を抜け出して生きていこうと決めたのです」

「……それで、黙って城を抜け出してきたというわけか」

 リリアがうなずく。

「ずいぶん思い切ったもんだな」

「はい。ですが後悔はしていません。城の使用人たちは、みな良い人でした。父からの援助がなくなっても、無理をしてわたしの世話を続けてくれたでしょう。でも、わたしにはそれが耐えられなかったのです。わたしの身にふりかかった呪いの正体を明らかにし、解くためにはきっとたくさんのお金がかかります。彼らにはきっと無理をさせてしまう……。だから家を出ることにしました」

 リリアはそのときのことを訥々とつとつと語った。

 十三歳で呪いが発現して以降、リリアは呪いを解明するため、執事とともに国内の大都市を旅行することが増えていた。

 田舎の古城で育った箱入り娘も、世間の仕組みがどういうものか、漠然と理解しはじめていた。世の中のことを見聞きするうちに、自分一人でも生きていけるのではないかと考えはじめた。

 そしてある日、執事とともにハリア王国南部まで足を伸ばしたリリアは、ついに一念発起する。

 執事の目を盗んで、持ってきていたドレスや宝石を売り払って金を作ると、「わたしは一人で生きていきます。心配しないでください」と置き手紙を残して行方をくらませたのだ。

 その後、リリアは古代遺跡が多く眠るバロワへとやってきた。

 女一人の危険な旅だったが、親代わりである執事に叩き込まれた剣技と知識がリリアを守った。

「……思った以上にムチャクチャだな……」

 俺としては、それ以外に言うことはなかった。

 ここ一ヶ月ほどの共同生活で、リリアが思い詰めやすい性格なのは分かっていたが、想像以上の破天荒さだ。

「きっと城の連中は、誘拐されたと思って血眼になって探しているぞ……」

「そうですよね……。でも、あのときはそこまで考えが回らなくて……。悪いことをしたとは思っています……。あ! でも、二月ふたつきに一回は手紙を出しているんです。城の者が取引していた商家は分かっているので、そこ宛に」

「とは言ってもだな……まぁ、いまはその話はよそう。となると、リリアの両親について知ってそうなのは、城の者たちだけってことか」

「下働きの者はおそらく詳しい事情は知らされていないと思います。なにか知っているとすれば……」

 と言って、リリアは複雑な表情を作った。懐かしさと、愛おしさ。そして申し訳さなが入り交じったような微笑だった。もしかして、リリアの被虐的、自罰的な性的嗜好は、自分を育ててくれた者たちに対する、罪の意識に起因しているのかもしれない——ふと、そんなことを考えた。

「わたしを育ててくれた、執事のジーヴェンだけでしょう」

「ジーヴェンさん、か……」

 リリアの身に起きている不思議な出来事の数々。その謎を紐解くためには、ジーヴェン氏に会わなければいけない。そんな予感がする。

 しかし、いまここにいないジーヴェン氏のことを話しても仕方がない。これ以上は手詰まりだと感じた俺は、話題を変えることにした。

 古城で暮らした日々について尋ねると、リリアは楽しそうに幼い頃の思い出を語ってくれた。

 好きだった本の話や、犬や馬、猫などといった城で飼っていた動物の話、優しかった城の者たちや、頼もしい執事ジーヴェンとのやりとり……。その話しぶりから、リリアは呪いが発現するまでは、極めて幸せだったことが分かった。

 客観的には、少女時代のリリアは幽閉されていたとしか言えないのだが、リリアの周りにいた人々は、彼女に最大限の愛情を注いでいたのは分かる。

 そう考えたとき、リリアに呪いをかけ、幸せな生活を破壊した何物かに対して、激しい怒りが湧いた。

「必ず、呪いを解こう。そして、リリアの生まれた家に帰るんだ」

 気がつけば、俺は無意識にリリアの頭を撫でていた。

 リリアは最初、少し驚いた様子だったが、頬を赤らめて微笑した。

「はい……。わたしも、あの人たちともう一度仲良く暮らしたいです」

「心配かけたことを謝らないとな」

「そのときは、エイジさんもいっしょに来てくれます?」

「お、俺もか!? まぁいいけど。前にいた世界にいたときから、謝るのは慣れているからな」

 それから俺たちは、眠気が起きるまで他愛のない話をした。

 バロワの街の人々のことや、お気に入りの店、青空学級のこと、いずれ行ってみたい場所。

 幻想的な月明かりが差す中、リリアと話をするのは楽しかった。

 この世界の月には邪悪な神様が封じられていて、この間はそいつの手下に殺されかけたわけだけど、いまはそんなことはどうでも良かった。

 楽しい会話は止めどなく続き、俺はいつの間にか深い眠りに落ちていた。



 翌朝、俺はリリア、ザック、イリーナとともにマルセリス神殿をあとにした。神殿の人々にはずいぶん世話になったので、金を稼げるようになったら、寄進でもせねばなるまい。

 ザックとイリーナはきわめて元気そうだった。話を聞くと、俺と顔を合わせた後もずっとやりまくっていたらしい。なんてやつらだ。

 神殿を出立した俺たちが向かった先はフェルナールの屋敷であった。場所を調べると、俺たちが住んでいる家の近くで驚いた。フェルナールはいつも任務で各地を飛び回っているため、自分の家には居着かないらしい。それで顔を合わせる機会が一度もなかったというわけか。

 フェルナールの家はかなり大きな屋敷だった。ドアノッカーを叩くと、すぐにフェルナール本人が出てきた。

「ようこそ、バロワの勇者たち。中に入られよ」

 爽やかな笑顔を浮かべるフェルナールに案内されて屋敷に入ると、応接間へと案内された。調度品もろくに置いていない殺風景な部屋だったが、部屋の脇には頑丈な本棚が置かれ、そこには古代語の書物が大量に並べられている。

 部屋の中心には大きなテーブルがあり、周りを囲むように椅子が並べられている。

 その椅子の一つに、先客が一人腰掛けていた。

 若草色のワンピースを身にまとった、可愛らしい顔の少女だ。

 はて、この子は誰だろう? 今日呼びだされた中に、こんな少女は含まれていないはずだが……。

「お前ら、おせえぞ」

 少女が俺たちの顔を見て、不機嫌そうな声を出した。その声を聞いたとき、俺はやっと少女の正体に気がついた。

「お前、ジールかよ! なんでそんな格好してんだ?」

「すぐ気付けよ、バーカ!」

 少女の格好をしたジールは俺に罵声を浴びせると、顔を赤らめたながらうつむいた。

「一張羅はあんとき破かれちまったし、妹たちが、貴族様の家に行くときぐらいはちゃんとした格好をして行け!……ってうるさくてよ。って、なに笑ってんだよ、エイジ!」

「いや、俺は笑ってねえぞ!」

 この場で笑っているのは、俺たちの様子を見ているフェルナールだけである。リリアもザックもイリーナも、驚いた顔でジールを見ていた。

「さて、では一通り集まったところで話を始めよう。埃っぽい部屋で恐縮だが、適当に掛けてくれたまえたまに人を雇って掃除させているのだが、本が多いと埃が尽きんな」

 俺たちがテーブルを囲むように席に着くと、フェルナールは「早速だが」と話を切り出した。

「このたびのルアーユ教徒の暗躍を未然に防いでくれたことについて、領主の息子として感謝する。ありがとう」

 その後、フェルナールは俺たちに、遺跡の中で起きた出来事を尋ねた。あの場にいた兵士たちからおおよその報告は受けているらしく、フェルナールは俺たちが口々に話す情報を聞きながら、何度も「ふむ」と相槌を打っていた。

「概要は把握した。その上で、いくつか分からないことがある」

 俺たちの話が終わると、フェルナールはザックのほうを向いた。

「まず一つめだが、ザック。きみはどうやって生き延びて、決戦の場に駆けつけたんだ?」

「俺? いやぁ、あのときばかりは死ぬかと思ったんだけどよ。実はよお——」

 突然話を振られたザックは、戸惑いながら話しはじめた。

 ザックの説明はいつも通りの要領を得ない感じだったが、概要をまとめると以下のようになる。

 調査隊の一行が遺跡内部で魔獣に取り囲まれたとき、ザックは退路を切り開くため、敵のまっただ中に飛び込んだ。調査隊のメンバーは散り散りに逃げ、遺跡内部に潜みながらそれぞれ脱出の機会を窺った。

 そのとき、イリーナは重傷を負った兵士を守りながら遺跡の入り口近くまで逃げのびた。その後、彼女は兵士を外まで送り出すと、自分は遺跡の中へと取って返した。一人で戦うザックを救うためである。

 しかし、戻った先でイリーナが目にしたのは、床に流れた大量の血と、うち捨てられたザックの斧だった。

「あれでザックが死んだと早合点しちまったんだよね。この男が自分の武器を手放すわけないし、流れている血の量が尋常じゃなかった。あれは生きていると考えるほうがおかしい」

 というのがイリーナの弁。

 イリーナはその後、遺跡に身を潜めて様子を伺うことにした。

 やがて、逃げ遅れた兵士や非戦闘員が捕らわれているのに気付いたイリーナは、単身で遺跡最深部にあった牢を襲撃する。なんとかスレンの弟と古代語学者の二人を救出したのだが、兵士たちの身に宿った影を取り除こうとしていたところで、遺跡内部にいたキメラに発見され、戦闘になってしまった。

 さらに折り悪く、俺たちが村から追い払ったバウバロスがそこに合流してしまい、イリーナは窮地に陥ったのだった。

 一方、ザックは瀕死の重傷を負いながら生きていた。

 魔獣たちを単身で蹴散らしたザックは、意識が朦朧とする中、一つの小部屋に逃げ込んだ。

 そしてザックは、たまたま逃げ込んだ小部屋の中に、隠し階段があるのを発見したのである。

 ザックの持つ〈豪運〉。それが彼の命を救った。

「あんときは無我夢中だったからよ。化け物どもに見つからねえ場所に隠れようとしたんだ」

 階段を転げ落ちるように移動した先は、謎めいた実験室のような場所だった。

 そこには貯水槽のような設備があり、緑色をした謎の液体で満たされていた。喉の渇きを覚えたザックはその液体を飲もうと近づき、足を滑らせて貯水槽の中に落ちてしまったという。

 ザックはそのまま意識を失ったのだが、目を覚ましたときには身体に負った致命傷はすっかり治っていたらしい。

「その緑色の液体とやらは、地下十二階にあった魔獣のケースを満たしていたのと同じものだろう。生き物の肉体を治癒し、滋養を与える魔法の水だ」

 フェルナールがそう言いながら、懐からガラスの試験管を取り出した。

「やつらに捕らわれていた学者が、地下十二階で密かに採取したものだ。これのことだね?」

「おう、たしかこれといっしょだ」

 ザックが逃げ込んだ隠し部屋は、俺たちが戦っていた地下十二階フロアの真上にあった。

 目を覚ましたザックは、下から物音がするのに気がついた。床にできた亀裂から下のフロアの様子を目にしたザックは、強引に床をぶち破り、俺たちを助けるために飛び降りてきたのである。

「はっはっは、さすがは音に聞こえし〈豪運のザック〉だな!」

 話を聞き終えたフェルナールが破顔大笑した。

「よし、これできみたちの活躍は一通り把握した。父には追って私のほうから報告し、しかるべき報酬を与えるように言い含めておく。言い忘れたが、怪僧バウバロスは三十年以上前からハリア全土で暗躍していた第一級の危険人物だ。なかなか尻尾を出さなかったが、やっと息の根を止めることが出来た。父ばかりではなく、国王陛下からも報償がもたらされるはずだ」

 ここでフェルナールは「さて」と前置きし、話を変えた。

「もう一つ分からないことがある。バウバロスはあの遺跡でなにをしようとしていたのか、だ。何か聞いていないか? ルアーユの力が強くなる満月の夜、やつは生け贄を使った儀式をしようとしていた。何か大がかりな計画なのは間違いないのだが」

 居合わせた全員が首を横に振った。

「わっかんねえなぁ。そういえば、あいつ、死ぬ前に何か言ってなかったか? たしかセンセが、ここで何やってんだって聞いたんだ。そしたら竜がどうのこうのって」

 ザックがそう言うと、フェルナールは「ほう」と興味深そうな声を出した。

「イリーナ、あいつなんつってたっけ?」

「よく覚えてないけど、『真なる竜はただ一つ』とか言ってたね。先生と姫サンは覚えてない?」

 話を振られ、俺はリリアに視線を走らせた。バウバロスが口にした最期の言葉。あれはおそらくリリアに関係することだ。俺が勝手に喋っていいとは思えなかった。

 俺の視線を受けてリリアは戸惑う様子を見せたが、意を決したように小さく、だがハッキリと頷いた。

「……『世に竜は数あれど、真なる竜はただ一つ。ほかは竜にありて、竜にあらず』。あいつはたぶん、そう言った」

「真なる竜、か……」

 フェルナールは顎に指を添え、考え込む様子を見せながら立ち上がった。

 俺が「どうしたんだ?」と聞くと、フェルナールは「いや」と小さく呟き、部屋の脇の本棚へと足を向けた。

「……諸君。ルアーユにまつわる伝承は、知っているな?」

「ディアソートに刃向かって、蛇に変えられて月に封じられたって話か?」

「その通りだ、エイジ」

 フェルナールは棚から一冊の本を抜き出すと、テーブルの上に広げて見せた。紙の上には古代語の文字が並んでいる。

「これは?」

「私がある任務で捕らえたルアーユ教徒が持っていたものだ。古代の魔術師が書き残した手記なのだが、その魔術師はルアーユの信徒だったらしい。手記の内容は荒唐無稽だが、いささか気になる言葉が出てくる」

 フェルナールは俺に「読んでみろ」と言うように、軽く顎をしゃくった。

 俺は促されるまま、本に書いてある文字を目で追った。

「ルアーユ再臨計画……真なる竜として……地上に永遠の自由と救済を……おい、これはなんだ!?」

 手記を読んで驚く俺に、フェルナールは困り顔で「私が聞きたいくらいだ」と応じた。

「先生、いったいなにが書いてあるんだい?」

「オレにも教えてくれよ」

 イリーナとザックが顔を近づけてきた。

「それは……」

「月に封じ込められたルアーユの魂を蛇の体から解放し、地上に降臨させる計画だ」

 言いよどんだ俺に代わって答えたのはフェルナールだった。

「ルアーユの肉体はディアソートによって月に縫い付けられ、動けなくなっている。だが、生け贄を用いた強力な儀式を使えば、魂だけ抜き出して地上に持ってくることが可能だ、と書かれている。ルアーユを地上に再臨させ、パルネリアの支配する、というのが、この魔術師の計画だ」

「神の魂を?」

 イリーナが気色ばんだ。

「たしかに、神の魂を地上に再臨させる奇跡は存在するよ。あたしもマルセリス神殿の記録で読んだことがある。自分の体に神の魂を宿し、大いなる権能をふるう究極の魔法。歴史上、世界を巻き込む災厄が訪れたとき、何人かの神官がこの奇跡を用いて災厄を退けてきたと言われている。だけど……」

 イリーナは眉根をよせ、フェルナールの顔を見た。

「だけど、その奇跡は一瞬しかもたないんだ。なぜなら神の魂は強大過ぎて、乗り移るべき依り代がすぐに崩壊してしまうから。再臨の奇跡を試みた神官の肉体は、みんな神の魂に耐えきれず、一日とたたず塵になったと言われてる。地上の支配なんて出来るわけがない」

「それを可能にするため、古代の魔術師はこう考えたらしい。『ならば、神の魂に耐えられる、強き肉体と魔力をもった器を作り出してしまえばよいのだ』と。さて諸君。このパルネリアにおいて、もっとも強大な生命体といえば、何かな?」

 フェルナールが一同の顔を見回した。

「竜……」

 そう呟いたのはリリアだった。フェルナールが神妙な顔で頷く。

「その通り。この魔術師が目指したもの、それは魔獣同士を合成する技術を用いて、上位の竜と別の生物を掛け合わせ、神の魂の器たるべき最強の生物——竜を超える竜を作り出すこと。そうだな、この魔術師の言葉を借りるなら、それは——」

 フェルナールは重々しく、言葉を句切った。

「真なる竜。あるいは終末の竜。そいつの肉体にルアーユを再臨させることこそ、この魔術師の目的だったのだ」

 魔獣の合成。

 フェルナールからその言葉が出た瞬間、俺たち五人の動きが固まった。

 遺跡で戦った合成獣キメラ。地下十二階の培養槽に入っていた、不気味な獣たち。そしてキメラを自分の身体に取り込み、異形へと変身したバウバロス。

 それらと関係していたのが、生き物にとりついて操つる黒い影——古代王国の作り出した魔獣とおぼしき存在だった。

 原理はよく分からないが、あの黒い影が魔獣合成に関わっていた可能性はある……。

 いや、「可能性がある」なんてもんじゃない。

 あの影に取り憑かれた兵士に触れたとき、俺の〈コピー&ペースト〉は、〈闇の支配(合成細胞)〉というスキル名を表示した。

 あの影は間違いなく、魔獣合成のために作られた存在だ。

「まさか、あの遺跡が〈真なる竜〉を作り出すための施設で、バウバロスがやっていた儀式は、ルアーユの魂を地上に再臨させるものだった……?」

「そう断じるのは早計だ。古代文明時代、生物の合成はいろいろな場所で行われていた節がある。あの遺跡が特別な施設だったととは思えない。それに——」

 フェルナールは椅子に深く腰を下ろし、考え込んだ。

「きみたちの話を聞くに、神の魂を降臨させるべき器は、あの場所にはなかった。きみたちが戦ったキメラなどでは、そんな大役は果たせまい」

「おいおい。そんじゃ、あの男がやろうとしていたのは、神様の降臨とはまったく関係のない儀式だったてえことかい?」

 ザックの問いかけに、フェルナールは「だとしたら良いな」と答えた。

「ザックの言う通り、バウバロスの目的がもっと小規模なもので、何かは分からないが、きみたちがそれを阻止した——というのであれば、私としては一件落着。万々歳だが……」

 フェルナールは一度言葉を切り、考え込む素振りを見せた。

 その後、「これは私の考えすぎかもしれないが」と前置きをして、話しはじめた。

「もし、あのときすでに別の場所で〈神の器〉が完成していたとしたら、どうだろう?」

「〈神の器〉はすでに完成していて、バウバロスは最後の仕上げ——魂の降臨をやろうとしていたということか……?」

「だとしたら、いささか頭が痛いな」

 思えば、リリアがゴブリン退治に出かけたのは一ヶ月以上前のことである。

 つまり、その頃にはバウバロスたちは遺跡の中に入っていたといういうことだ。

 魔獣の合成にどれくらいの時間がかかるのかは分からないが、彼らに時間があったのは確かだ。

「でもさ、フェルナールさんの推測が正しかったとしても、だよ?」

 ジールが口を挟んだ。

「結局、魂を入れる儀式は失敗したってことだろ? だったら心配することはないんじゃねえの? 魔法のことはよく分からないけどさ、神さまの魂を呼び出す儀式なんて、そのへんのザコ神官じゃ無理なんじゃねえのか?」

 ジールの疑問に、イリーナが「そうだね」と答えた。

「神の魂を降臨させられるのは、各宗派の大司教ぐらいだね」

「だったらさ、ひとまず安心していいんじゃねえの? な? エイジもそう思うだろ?」

 ジールはつとめて楽天的に振る舞おうとしているようとしていたが、俺の目には逆に不安を押し隠そうとしているように感じられた。

「……ふむ。たしかにジールの言う通りかも知れないな」

 フェルナールが言った。

「なにはともあれ、予断は禁物だ。私はこれから、父上や国王陛下の協力を仰ぎ、バロワ一帯を捜索する。ルアーユ教徒どもの隠れアジトを暴き出し、やつらの目的を突き止めよう」

 フェルナールは、いまだに不安を引きずっている様子だった。

「きみたちも、何か思い出したことや気になることがあれば、ディアソート神殿に行って、私宛に言伝をしてくれ」

「分かった」

「はい」

「おう、任せとけ」

「承知した」

「なにもねえって、たぶん」

「さて、私の話はこれで終わりだ。長い時間、済まなかったな」

 フェルナールがそう切り出し、俺たちは解散する流れになった。

 ザックとイリーナは早々に退散することになり、ジールも「早く着替えてえんだよ、この服」と言いながら、駆け足でフェルナール邸をあとにした。

 だが、俺とリリアが帰ろうとすると、フェルナールは「少し待ってくれ」と声をかけてきた。

「悪いのだが、リリア殿とエイジはもう少し残ってくれないか? 個人的に、伝えておかねばならないことがある」

「個人的に、だって?」

「わたしは構いませんが」

 少しイヤな予感がした。それが顔に出ていたのだろう。フェルナールは俺たちの顔を見て、「悪い話ではない」と言い添えた。

「さて……」

 応接間に戻った俺たちは、再び椅子に腰掛けた。

「話っていうのはなんだ?」

 俺から切り出すと、フェルナールは「二つある」と言ってニヤリと笑った。

「一つはきみについての話だ。ハリモト・エイジ。〈復讐の女神アルザード〉の眷属よ」

「……なんのことだ」

 突然、フェルナールがアルザードの名前を出してきたので、俺は驚いてしまった。とっさにとぼけてみたものの、俺の動揺はフェルナールに伝わったようだ。

「きみのことは少し調べさせてもらった。記憶喪失の行き倒れ。剣の達人。古代語に堪能な男。遺跡の中では、神の奇跡まで行使して見せたそうではないか。そんな無茶が出来る人間はそうそういない。それに、バウバロスがきみのことを〈女神アルザードの眷属〉と呼んだのを、兵士たちが聞いている」

 フェルナールはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「隠さなくても良い。私はきみの味方だ、エイジ。私の実家は古い家でな。私の祖先の中には、きみと同じ異世界からの旅人と協力して、功を成した者もいるのだ。アルザードが邪神などではないことは、よく知っている」

 傍らのリリアは、不安そうな目で俺とフェルナールの顔を交互に見た。

 俺は観念して、ため息をつく。

 仕方がなかったとは言え、遺跡の中であれだけ大暴れをしたのだ。不審に思われないほうがおかしいってもんだ。

「それで、俺が異世界の人間だから、どうかするってのか?」

「なにもしないさ。きみはこれまで通り、バロワで暮らしていけば良い。きみが異世界人であることを世に広めるつもりはない。何か困ったことや、私に頼みたいことがあるのなら、可能な限り便宜を図ろう」

「なっ!?」

 どういうことだ?

「言っただろう? 私の先祖の中には、異世界人と協力して功を成した者がいると。私もそのひそみにならいたいというだけだ。ああ、そうだ!」

 フェルナールは名案を思いついたといった様子で、手を打った。

「きみとリリア殿は、無償で街の子供たちに学問を教えているそうだな。堂に入った教師ぶりだと聞いている。そこで、だ。もしきみが望むのなら、いっそ学校を経営してみないか? この屋敷を校舎として提供していい。運営予算は、父に掛け合って出してもらおう」

「おいおいおい、急になにを言い出すんだ! 冗談はやめてくれ」

 突然の申し出に、俺は困惑してしまった。いくらなんでも気前が良すぎるってものだろう。

「私は本気だよ。教育は国の要だ。庶民の教育こそが国を強くすると、国王陛下もよく仰っている」

「いやいや、そういう問題じゃなくて……」

「それに、この屋敷はほとんど使っていない。手入れするだけ面倒と感じていたんだ」

「話が急すぎる! す、少し考えさせてくれ……」

「わっはっは、確かに言われてみれば確かにそうだな! ではその気になったらいつでも言ってくれ」

 フェルナールは楽しそうに笑うと、「きみについての話は、以上だ」と早々に話を打ち切り、今度はリリアに向き合った。

「リリア殿」

「は、はい! なんでしょうか!」

 背筋を伸ばして答えるリリアを見て、フェルナールが少したじろぐ様子を見せた。明朗快活、自信満々なこの男らしからぬ所作だった。

「あの、実は……。あなたに会わせたい人がいるのだ。少し待っていてもらえるだろうか」

 フェルナールはそう言うと、落ち着かない様子で応接間を出て行った。

 いったいなにをそわそわしているのだろう……?

「わたしに会わせたい人って、いったい誰なのでしょう?」

「さあな……」

 リリアに心当たりがないなら、俺に分かろうはずもない。

 俺たちが黙って待っていると、五分ほどして、応接間の扉がノックされた。

「失礼する」

 扉が開き、フェルナールが姿を現した。

「どうぞこちらへ」

 フェルナールに促されるようにして、一人の老人が応接間へと足を踏み入れた。

 年の頃は六十歳を過ぎているだろうか。髪や眉はすっかり白く染まっている。背が高く、痩せていた。反り上がるような眉を持つ鋭い顔つきは、まるで鷹のようだった。よく日に焼けた肌には深い皺が刻まれているが、背筋はピンと伸び、足取りも矍鑠かくしゃくとしたものである。

 身につけた衣服は上等な仕立てで、老人が高い地位にあることを物語っていた。

「……あっ!」

 老人の姿を目にしたリリアが小さな叫びをあげ、椅子を蹴るようにして立ち上がった。リリアは興奮した様子で、目を丸くして老人の顔を凝視している。

「あなたは……」

「お久しぶりでございます、リリア様。よくぞご無事で」

 老人は、震える声でリリアに語りかけた。硬質な外見と正反対の、慈愛に満ちた声色だった。

「ジーヴェン!」

「え、この人が?」

 リリアは俺の間抜けなセリフに頷くと、興奮で顔を紅潮させながら老人——ジーヴェンさんに駆け寄った。そして、胸に飛び込むようにジーヴェンさんに抱きついた。

「ジーヴェン、ごめんなさい……。あのとき、勝手に出て行って……」

「いえ、リリア様が出奔なされたのは、ひとえに我が不甲斐なさゆえ。どうか顔をお上げください」

 俺は感動の再会を果たす二人の邪魔をしないように気を付けながら、そっと立ち上がり、フェルナールの側まで歩み寄った。

「おい、どういうことだ。説明しろ」

「ジーヴェン殿とは以前、国の任務の途中で知り合ってな。行方不明のご息女を探しておられるとのことで、気にかけていたのだ」

 フェルナールは少し困ったような微笑を浮かべた。

「昨日、遺跡の件を考えているとき、ジーヴェン殿から聞いていた人相風体が、あまりにもリリア殿にそっくりだと思いあたったのだ」

「フェルナール殿には、リリア様の名前をお伝えしておりませんでしたからな」

「灯台もと暗しとはこのことだよ。慌てて飛竜を駆って、北方に住むジーヴェン殿に会いに行き、ご同行願ったというわけだ。バロワに帰る途中で、ジーヴェン殿に詳しい事情を伺ったときは、肝が潰れるかと思いましたよ、リリア殿。いや——」

 そう言うとフェルナールは姿勢を低くし、その場に片膝をついた。

「リリア様。これまでのご無礼、どうかお許しください」

 フェルナールは右手を胸に当て、こうべを深く垂れた。

「おい、どういうことだフェルナール! ちゃんと説明しろ!」

 何が起きているか分からず、俺は驚くばかりだが、それ以上に困惑しているのがリリアだった。

 突然目の前で跪かれ、様付けで呼ばれ、リリアは目を白黒させるばかりだった。

「私からご説明いたしましょう」

 困惑する俺たちを見て、ジーヴェンさんが口を挟んだ。

「リリア様の本当のお名前は、リリアーネ・フローネア・ハリア。このお名前は十八年間、リリア様ご自身にも秘密にしてきたものでございます」

 ジーヴェンさんから告げられた、リリアの真名。そこには、俺たちにとって馴染みの深い名称が刻まれていた。

「ハリア王国……」

「左様。リリア様のお父上は、十七年前に亡くなられたハリア王国の先王、グローデル・ザイシャル・ハリア様でございます」

「つ、つまり、リリアは、その、いまの国王の……」

 あまりにも展開が早すぎて、言葉が追いつかない。

「現国王陛下の、妹君にあらせられます」



「ええええええええええ〜〜〜〜〜!」

 無意識のうちに、大きな声を張り上げてしまった。

 思いもよらない衝撃の展開に、ついベッタベタな反応をしてしまったが、誰が俺を責められようか。

 仰天する俺を見て、フェルナールがクスクスと楽しそうな笑い声を立てた。

「きみが私以上に驚いてくれてうれしいよ、エイジ」

「いや、面白がるところじゃないだろう! そうだよな、リリア!」

 いつもの調子でリリアに話しかけてしまったが、よかったのだろうか? 俺も跪いたりした方がいいのか!? でもいまさらリリア様なんて呼べないぞ……。

 リリア本人はといえば、驚きのあまり言葉が出ない様子で、「え」とか「あ」とか「はい」とか言いながら俺の顔を見るのみだった。

「リリアが、お姫様……」

 冒険者たちがリリアにつけた「姫様」という渾名は、しくも本質を付いていたのだ。ザックやイリーナがこのことを知ったら、きっと仰天するだろう。そのときは俺もあいつらを笑ってやろうと思った。

 そのときだった。

 フェルナール邸の玄関から、激しく扉をノックする音が聞こえた。

「やれやれ、誰だ。良いところだというのに無粋な……。皆はここにいてくれ。応対してくる」

 フェルナールはそう言うと、応接室を出て玄関へと向かった。

 残された俺たちの間には、気まずい沈黙が流れる。

 まるで隠れ里のような古城を維持できるのだから、リリアの父親は名のある貴族なのだろうと思っていた。しかし、まさかその正体が先王だとは予想だにしなかったぞ。

 しかしこれで、リリアの存在が世間から秘匿されていた理由が、なんとなく想像できた。

 先王が外で作った子供。下手をしなくても、その存在が明らかになれば世間に衝撃が走るだろう。下手をすれば、お家騒動の種になりかねない。そりゃあ名前なんか出せるわけがない。

「ところで、異界の勇者殿」

 最初に沈黙を破ったのはジーヴェンさんだった。

「リリア様とは、どのようなご関係なのでしょうか? さきほどフェルナール殿から簡単にお伺いしてはおりますが、ぜひご本人の口からご説明いただきたく。なんでも、リリア様と同じ家にお住まいだとか……」

 ジーヴェンさんは口調こそ丁寧だったが、その言葉の端々には、とてつもない圧迫感がにじんでいた。

 まかり間違って「昨日はいっしょに寝てました」なんて答えようものなら、その場で俺の首を切り落としそうな雰囲気だ。

 まったくフェルナールのやつ、いったいどういう説明をしたんだ!?

「えーっと、関係というと、その、説明が難しくて……」

「エイジさんは、わたしにとっては命の恩人です。幾度も危ないところを救っていただきました。無礼は許しませんよ、ジーヴェン!」

 しどろもどろになる俺に代わって、リリアが語気を強めて答えた。

「なんと、これはこれはご無礼を。しかし、年若いリリア様が殿方と同じ家にお住まいとなるのは……その……」

 ジーヴェンさんが言葉を濁したとき、俺は彼が何を気にしているのかが分かった。

 リリアが俺の前で〈淫蕩の呪い〉を発現させ、関係を持ってしまうことを恐れているのだろう。親代わりの立場としては、もっともな懸念だ。もう半分くらいは手遅れだけど。

 こりゃ、俺がリリアの尻をぶっ叩いた件は、殺されても言わないほうが良いな……。

 気まずくなって視線を外すと、窓の外に見える空が曇りはじめるのが見えた。これから一雨来そうな雰囲気だった。

「エイジさんは、人の弱みにつけ込んで手を出すような人ではありません。エイジさんはわたしの呪いのことをを知った上で、わたしの身を案じ、呪いを解くことに協力してくれているのです。やましいことはなにもしていません!」

 リリアが一気に言い切ると、ジーヴェンさんは衝撃を受けたようにたじろぎ、沈黙した。

「おい、リリア……! そんなに強く言わなくてもいいだろう。ジーヴェンさんはリリアの身を案じてだな……」

「うわっはっはっは!」

 俺が二人の間を取りなそうとしたところで、突然ジーヴェンさんが大きな笑い声をあげた。なんだよ、いったい!

「ははは……。たくましくなられましたな、リリア様。そしてエイジ殿には、たいへん失礼いたしました」

 そう言うと、ジーヴェンさんは俺たちに軽く頭を下げた。

「いまの剣幕、お母上のネア様——フローネア様によく似ていらっしゃいました。このジーヴェン、安心して先王陛下とネア様の元にいけるというものです。うわっはっはっは……!」

 笑い声を上げるジーヴェンさんの目の端には、光るものがあった。

 それは、自分の手を離れたリリアが強く成長したことへのうれしさからきたものだろうか。あるいは完全に自分の手を離れてしまったことへの寂しさだろうか……。

「もう、冗談でも縁起の悪いことを言わないでください!」

 リリアは頬をぷっと膨らませて、そっぽを向いた。

 ふだん、リリアはこういう子供っぽい仕草を見せないのだけど、家族の前では違うんだな。そう思うと、俺はジーヴェンさんのことが少しうらやましくなった。

 そのとき、窓の外からゴロゴロと遠雷の音が響いてきた。

 空からは、雨がぽつりぽつりと降りはじめている。雲の様子からして、大雨になりそうな雰囲気だ。

 それにしても、フェルナールはいつ戻ってくるのだろう。ずいぶん長く話し込んでいるようだが。

 おっと、そうだ! 危うく忘れるところだった。

 ジーヴェンさんには聞かなければいけないことがあったのだ。

「一つ、質問したいことがあるんですが」

「ほう、なんでしょう。この年寄りにお答えできれば良いですが」

「リリアの母親——ネアさんのことを教えてくれませんか? どんな人だったんです?」

 俺に質問されて、ジーヴェンさんは懐かしそうに目を細めた。

「私がネア様のお世話をさせていただいたのは、ほんの三年ほどですが、リリア様にそっくりしたよ。よく笑う方で、まるで太陽のような女性だと思っておりました。優しく、明るく、意思が強い方でした。リリア様が、妙なところで思い切りが良いのも、きっとネア様の血でしょうなあ、わはは!」

「ジーヴェン……」

「うわっはっは、いまのはちょっとしたお返しです。さて、エイジ殿がお聞きしたいのは、きっとそれ以上のことですな?」

「はい。ネアさんはどこで生まれ、どこで育ち、どうやって先王陛下と出会って、リリアを生んだのかを教えてください。それはきっと、リリアの身に降りかかった呪いと無関係ではないはずです」

 俺がそう言うと、ジーヴェンさんは「ふむ……」と困った顔をした。

「実は、私もネア殿の過去をよく知らぬのです。私が知っているのは、お二人が出会ったのが、リリア様が育った城であること。お二人が深く愛し合われていたこと。それくらいです。ネア様の過去は、先王陛下が胸の内に秘めたまま、泉下せんかに持っていってしまわれました」

「そう……ですか……」

 リリアの呪いを解く有力なヒントが一つ絶たれた。

 落胆の表情が出ていたのだろう、ジーヴェンさんが俺に申し訳なさそうな顔を向けた。

「しかし、ネア様は亡くなられる前に、不思議な言伝をなされました」

 ジーヴェンさんの視線は、リリアの腰にぶら下がった宝剣に向いていた。

「ネア様がリリア様を産んで、亡くなられる直前のことです。ネア様はどこからともなくその剣を持ち出してきて、私と先王陛下にこう仰いました。『リリアはいずれ、過酷な運命に見舞われるかもしれません。そうなったとしたら、原因はわたしにあります。本来、それはわたしが背負うべき罪、受けるべき罰です』と……」

「お母様の、罪……?」

「それが何かは分かりません。そして、ネア様は息も絶え絶えになりながら、続けてこう仰ったのです。『わたしはリリアに、この剣を残します。リリアの身が本当に危なくなったときは、きっとこの剣がリリアを助けます。だから、絶対に手放してはいけない。そう伝えてください』と」

「そう……幼いころからわたしに、この剣を手放すなとと言い続けてきたのは、それが理由だったのね……」

 リリアは鞘ごと剣を手に取り、胸に掻き抱いた。

「お母様……」

 ジーヴェンさんはリリアに近寄り、優しく背中を撫でた。

「……私がお伝えできることは、それだけです」

 静まりかえった部屋に、ざあざあと雨の降ると響いた。

 何か声をかけるべきかと思ったが、俺が逡巡している最中に、応接間の扉がけたたましい音を立てて開いた。

 驚いて扉のほうを見ると、そこにはずぶ濡れになり、険しい表情を作るフェルナールの姿があった。どうしたのだろう。雨の中、どこかに出かけていたのだろうか?

「失礼」

 フェルナールは驚く俺たちを見て、少しだけ表情を和らげたが、その声色は異様なほどに固かった。

「どうしたんですか?」

 リリアが怪訝な表情で尋ねる。

「悪い予想が当たりました」

 フェルナールはこわばった声で答えた。

「敵がここに来ます」

「敵とはなんだ。正体は分かっているのか?」

 俺が尋ねると、フェルナールは小さくうなずいた。

「きみたちが戦った合成魔獣の大軍が、あちこちの遺跡から湧いて出た。バロワを包囲するように進軍中だ」

「なんだって!?」

 バロワの周辺には、多くの古代遺跡が眠っていると言われている。魔獣の研究施設は、ほかにたくさんあってもおかしくない。だが……。

「急報を聞いた父上が軍を率いて対応にあたっているが、数が多すぎて押されている。父は精鋭部隊に命じて敵陣を突破させ、近隣各地の領主に援軍を要請。同時に軍をバロワに集結させ、籠城戦で迎え撃つつもりだ」

「守り切れるのか?」

「分からない。だが、軍を集めなければバロワが敵に蹂躙される。我々は民を守る義務がある。見殺しにはできない」

「フェルナール、きみの飛竜ならそいつらを一網打尽にできるんじゃないのか?」

 竜騎士が操る竜は、一日で都市一つを焼け野原にできるという。無責任な話だが、フェルナールに戦ってもらうのが一番確実に思えた。

 しかし、フェルナールは苦渋の面持ちで首を横に振った。

「できない」

「どうしてだ」

「私には、ほかに戦わなければいけない相手がいるからだ。

「竜だって!?」

「ああ。ルアーユ教徒どもは、やはり〈真なる竜〉の肉体を完成させていた。やつらめ、南の山に眠る竜の遺体を掘り起こし、それを合成魔獣の材料にしていたらしい。クソッ!」

 フェルナールが掌に拳を打ち付ける。

「……本当かよ」

「本当だ。この目で見たからな。さきほど南の山の遺跡を突き破って、何かが姿を現したという報告をうけた。現場を見にいったら、確かにいたんだ。真っ黒い影を身体に貼り付かせた竜がな。まだ頭しか姿を見せていないが、あれはじきに空へと飛び立つだろう」

 フェルナールがずぶ濡れなのは、それが理由だったのか……。

。私が戦わなければならない。幸いなことに、あの竜からは深い知性を感じなかった。あれは魂を持たず、破壊衝動のままに暴れ回るだけの怪物だ。ならば私が倒してみせる」

 遠くで早鐘が打ち鳴らされる音がした。「急げ!」と誰かが叫ぶ声がする。

「俺たちは……どうすればいい?」

「一般市民は、壁内に侵入されたときに備え、大きな建物に避難させる。武器を扱える者は、各神殿や冒険者の宿に集まって待機せよと通達されるはずだ。きみたちは〈満月の微笑亭〉に迎え」

 そこまで言ったところで、フェルナールは突然俺に顔を近づけると、声を潜めて耳元で囁いた。

「もしバロワが落とされそうになったら、エイジとジーヴェン殿は、リリア様を守って脱出しろ。足手まといのいないきみたち三人だけなら、包囲を突破して逃げられるはずだ。頼んだぞ」

 フェルナールはそう言うやいなや、俺の上着のポケットに何かをねじ込んだ。そしてきびすを返し、走り去っていった。

「お、おい! ちょっと待てよ!」

 小さくなっていくフェルナールの後ろ姿を見送ると、俺はポケットの中にねじ込まれたものを取り出した。

 中に入っていたのは試験管が二本。緑色の液体が、ガラス容器の中で揺れる。あの遺跡で発見された培養液だった。ザックの命を救った魔法の水だ。いざというときに使え、ということだろう。

 俺は試験管をポケットにしまい、後ろを振り返った。

 そこには、強い目つきで拳を握りしめるリリアの姿があった。

「エイジさん、〈満月の微笑亭〉に向かいましょう」

「ああ……。行こう」

 こうして俺たちは〈満月の微笑亭〉へと向かった。

 雨の中を走る間、俺の脳裏には、バウバロスが今際いまわに残した言葉がフラッシュバックし続けてた。

 ——汝らの道行きに、呪いと苦痛のあらんことを……。汝らの住処すみかに、汚辱おじょくと破滅がもたらされんことを!

 ——おお、我が神よ……! いま御身の元に参りまする……! 〈闇の手よ。我が身と心を喰らい、神の御許へ!〉

 なぜ魔獣たちがバロワに向かってきているのかは分からない。だが、俺はルアーユのもとへと召されたバウバロスの哄笑を聞いた気がした。



 バロワの街では、兵士や一般市民たちが入り乱れて走り回っていた。あちこちで、兵士が大声で指示を出している。

 周辺の村々に住む人もバロワに逃げ込んでいるようで、街中はまるで祭りの日のような混雑ぶりだった。

 〈満月の微笑亭〉のある中央大通りまで出ると、通りの一角にバリケードのようなものができようとしていた。街に侵入された場合に備え、大きな通りいつでも塞げるようにしておこうという考えだろう。

「おーい、先生、姫サン、あっちだ、あっちから回ってくれ!」

 バリケードの向こう側に、印象的な赤毛が見えた。イリーナだ。

 俺たちはバリケードを迂回し、裏道を通って〈満月の微笑亭〉へと駆け込んだ。

 宿の一階は、武器を携帯した冒険者たちでごった返していた。

「おら! お前ら、ちゃんと並べ! これから班分けをするぞ。お前らは班長の指示にしたがって、街の各所で警戒に当たるんだ。持ち場を守って、交代しながら見張るんだぞ! 兵隊さんたちが突破されてからが俺たちの戦いだ! 迂闊に動くんじゃねえぞ、分かったな! 戦いが苦手で班分けからあぶれたヤツは、外に出て防柵を造りを手伝うんだ!」

 店の奥の方で、木箱の上に立ったザックが大声を張り上げていた。

 浮き足立っているほかの冒険者たちは違い、態度に自信が窺えた。さすがは元傭兵だ。

「やれやれ、困ったねえ困ったねえ。おや、いらっしゃい。エイジくん、リリアちゃん、そして見知らぬご老人。今日は少し慌ただしいが、ゆっくりしていってくれ」

 カウンターの中では、満月さんが紙の上にペンを走らせていた。満月さんが一枚書き終わると、店員がそれを店の壁に貼りだしていく。どうやら、バリケードの設置場所や移動経路を記しているらしい。

「よーし、野郎ども! そんじゃ第一陣、配置に付け! 抜かるなよ!」

 指示出しが終えると、ザックは俺たちのほうに手を振りながらやってきた。

「よう、センセ! 今日は一段と辛気くせえ顔してんな!」

「ザック、俺たちに手伝えることはあるか?」

「ねえよ。半病人に、姫さんに、爺さんじゃねえか。あんたらは二階に行って避難してきたガキどもの相手でもしててくれや」

「わたしは戦えます!」

 軽口を叩くザックに、リリアが詰め寄った。

 ザックは苦笑いすると、大きな手でリリアの肩を叩いた。

「分かってるよ、そんなもん。どうせそっちの爺さんもバカみてえに強ぇんだろ? 足運び見ただけでわかるぜ。あんたたちは、うちの街の切り札だ。普通の連中じゃ歯が立たねえバケモンが出てきたら、そっちで戦ってもらう。それまではチビどもの面倒でも見ててくれや。チビどもが泣き出しでもしたら、うちのアホウどもがますます浮き足立っちまうからよ!」

「リリア、ジーヴェンさん、それでいいな?」

「そ、そういうことなら!」

「承知いたしました」

 リリアたちが答えたとき、宿の入り口の扉がゆっくり開く音がした。

「〈満月の微笑亭〉は、ここで良かったかしらねえ。いやねえ、年を取ると目は見えないし、物忘れは激しくなるし」

「バーバラさん!」

「おや、エイジさん。お隣にいるのはリリアちゃんね」

 そこに立っていたのは、愛犬のウォルフを連れたバーバラさんだった。

 ウォルフは、口に大きな袋をくわえている。

「やっぱりここにいたのね」

「すみません、街に帰ってきてから挨拶もできてなくて」

「いいのよ。あの道具、役に立ったかしら?」

「はい。お借りした魔道具のおかげで命拾いしましたし、友達も救えました」

 バーバラさんは満足そうに「それは良かったわねえ」と笑った。

「あと、あの魔道具はあなたにあげたものだから、これからも好きに使って良いのよ」

「いや、さすがにそれは……」

 バーバラさんは俺の言葉を無視すると、「どっこいしょ」とウォルフの下げていた袋を受け取った。

「店員さん。人が多いところで悪いんですけどねえ、狭くても良いので、どこか音の響きにくい、集中しやすい場所をお借りできないかしら?」

 バーバラさんがカウンターに向けて話しかけると、満月さんは下を向いて書き物をしながら応じた。

「少し埃っぽいけど、二階の小さな倉庫が空いてるから好きに使ってください」

「はい、ありがとう。じゃあウォルフ。準備を頼んだわね。街の周りの、目に付かない場所に埋めてくるのよ。全部で八カ所。わかった?」

 バーバラさんは袋の中から小さな球を取りだし、ウォルフに見せた。

「ワン!」

 ウォルフ元気よく返事をすると、バーバラさんから袋を受け取り直し、店の外へと駆け出して行った。

「ウォルフ、急いでね。それじゃあ、私は二階に上がるわ」

 ウォルフが去ると、バーバラさんは怪しい足取りで階段に向かおうとした。

「待ってください!」

 リリアが慌ててバーバラさんの手を取り、足下に気を付けながら二階へと導いていく。視覚を共有している使い魔のウォルフがいなければ、バーバラさんの視力は全盲とそう変わりはないのだ。

 俺もバーバラさんに駆け寄り、リリアと挟み込むようにして、二階へと連れて行った。

 空き部屋の倉庫に入ると、バーバラさんは「あー、疲れた」と言いながら床に腰を下ろした。

「バーバラさん、なにをするつもりですか」

「街の周囲に、防護陣を張るのよ。効果はそんなに強くないけど、魔獣の力を削ぐことが出来るの。外からの魔法攻撃も、弱めることが出来るわ。術の間は集中してないといけないし、下準備がいるから、こんなときにしか使えない魔法ね」

 そう言うと、バーバラさんは「あら、いけない。忘れるところだったわ」と懐に手を入れ、何枚かの紙切れを俺に差し出した。

「これは……?」

 何かの本のページを破いてきたものらしかった。紙には古代語の文字が並んでおり、パッと読んだ感じ、歌詞のような文章に見えた。

「黒魔法の呪文よ。あなたなら使えるかと思って。どうかしら?」

 俺はバーバラさんの意図を把握した。

 古代語を用いる黒魔法は、神の奇跡たる白魔法とは異なり、厳密な技術体系が存在する。

 黒魔法の基本的な流れをシンプルに言うと、まず精神統一と魔力操作により体内の魔力を高め、その後に特定の合言葉を用いて、高めた魔力を特定の型に「切り出す」。

 強引にお菓子作りにたとえるなら、魔力を高める部分がクッキーの生地作り、合言葉が型抜きに相当する。

 俺の〈コピー&ペースト〉は、無意識や本能で動いてる部分の技術はかなりの精度で模倣できるが、意識が必要な部分までは読み取ってくれないようなのだ。

 たぶんバーバラさんは持ち前の観察眼で、俺の能力の性質に気付いたのだろう。だから知識の部分を補うために、呪文を書いた紙を持ってきてくれたというわけだ。

「……ありがたくお借りします」

 俺は紙を受け取りながらバーバラさんの手を取った。〈コピー&ペースト〉でステータスをサーチし、〈黒魔術=7〉を空きスロットに貼り付ける。

「はい。それじゃあ、あなたたちはここから出て行ってくださいな。集中が乱れると、魔法が解けてしまうから」

 その後、俺たちは二階の客間を見て回った。各部屋には、老人や年寄り、子供や、身体の弱い人たちが、肩を寄せ合って座っていた。

 子供たちが多く集まった部屋には、見知った顔がたくさんいた。

「あ、エイジせんせい、リリアせんせい!」

 そう言って駆け寄ってきたのは、青空学級の常連マリィだった。級長格のロウミィをはじめ、ほかの生徒たちもいる。

「ねえ、せんせい。マリィたちどうなっちゃうの……?」

 マリィは慣れない環境に、不安げな様子を見せていた。

 そりゃそうだ。小さい子が突然こんなところに放り込まれりゃ、心細くもなるもんだ。子供たちを不安にさせてはいけないと、俺はつとめて明るく接することにした。

「どうにもならないさ。この街は大勢の人が守っている。俺やリリアがもな」

「そうよ、マリィちゃん。だから、しばらく良い子にしていてね」

 リリアはその場に座り込み、マリィと視線を合わせながら言った。

「うん、分かった!」

 マリィは、はにかんだような笑顔を浮かべた。

「よーし、良い子だ。もし何かあったら、ロウミィや、あそこにいるお姉ちゃんの言うことを聞くんだぞ」

「あそこの、お姉ちゃん?」

「なんだよ、エイジ。おいらに面倒押しつけんなよ」

 俺が指さした先にいたのは、ぶっきらぼうな少女——もといジールである。どうやら着替えは間に合わなかったらしい。女の子の服装のままだった。

 ジールの周囲には、彼女に寄りかかるようにして幼い子供たちが集まっていた。

「その子たちが、お前の弟や妹か」

「そうだよ。何か文句あんのか」

 即答が帰ってきたが、みんな顔があまり似ていない。そのことから、俺は何らかの事情を察した。

「いや。仲の良さそうな家族だと思っただけだ」

「あ、当たり前だろ! バカ!」

 ジールはまんざらでもなさそうな顔をして、そっぽを向いた。

「あのさ、ジール。いつかその子たちも連れて、俺たちの学校に来ないか?」

 俺が聞くと、ジールは意外そうな顔で俺を見た。

「良いのかよ。だっておいらたち……」

「金は取ってない。安心しろ」

「でも、迷惑じゃないのか。あ! エイジのことは心配してねえからな! リリアさんに迷惑じゃないかって……」

「迷惑じゃないわよ」

 リリアがジールの言葉を遮って、ジールの弟や妹たち——おそらくは孤児なのだろう——に笑いかけた。

「いつでもいらっしゃい」

「遠慮しなくていい。この街の偉い人が、俺たちの学校を支援してくれると言っている。うまくいけば、みんなが楽しく学べる、立派な校舎をもらえるかもしれない。どうだ?」

 ジールの弟や妹たちが、興味深げな様子で俺とリリア、ジールの顔を見比べた。

「ん……まぁ、考えとくよ」

「そうかい。ありがとよ」

 そのとき、部屋の鎧戸の向こうから、大気を揺るがす大きな声が聞こえてきた。

 屋外に目をやると、武器を持った兵士たちが街の門から入ってくるのが見えた。退却してきた領主の兵たちが、街に入ってきたのだ。それはつまり、敵の一軍が近くまで来ていることを意味していた。

 緊張で喉がひりつくのを感じた。

「リリア、悪い。ちょっと水飲んでくるから、みんなの面倒を見ててくれ」

「はい、まかせてください!」

 俺は宿の外まで出ると、通りや街の様子を見に出歩いた。

 バロワに入ってきた兵士たちは、雨の中、次々と門の周辺に配備されていっている。街を取り囲む壁の上には、弓兵隊の姿があった。

 街中の警護に当たっているのはは、冒険者や各神殿で訓練を積んだ聖職者たちだ。

「開門、開門!」

 街の門が開き、兵士たちがなだれ込んでくる。さきほどまで魔獣と戦っていたのだろう。けが人が多いようだった。

「これで最後の部隊だ! 門を閉めろ! もうすぐ敵が来るぞ! 援軍が来るまで持ちこたえ——!」

 誰かの叫びを、天に轟く雷鳴がかき消した。

 それが戦いの合図となったように、壁上の弓兵隊が矢を構えるのが見えた。

 天からしたたり落ちる雨と、身の奥からわき起こる不安が、俺の身体から活力を奪っていく気がした。

 その後、俺は〈満月の微笑亭〉に戻った。一階では、女性や戦えない男たちが、せっせと木を削って矢を作ったり、古い武器の手入れなどをしていた。厨房では湯を沸かしたり、食事を作ったりしているらしい。

 俺はその様子を横目に見ながら、二階へと上がった。

 子供たちの集まった客間では、リリアが無理に明るい笑顔を作りながら話をしていた。子供たちはやはり外の様子が気になるようで、落ち着かない様子だ。

 お願いだから、パニックにはならないでくれよ——俺はそう祈りながら、子供たちの輪の中に入り、くだらない冗談を言ったりした。

 しかし、そんなことで子供たちの不安は治まろうはずもない。俺だって不安なのだ。外から響いてくる雷鳴とときの声は、子供たちから徐々に平常心を奪っていくようだった。

「エイジくん、リリアちゃん、ちょっと良いかな」

 そんな折、満月さんが二階にやってきた。

 こっちに来いと手招きしているしている。ついにこの時が来たか。

「どうもどうも、なんだい?」

 俺は明るく振る舞いながら、満月さんの身体を子供たちから見えない場所へと押しやり、彼の口元に耳を近づける。

「南北の城門が同時に破られそうになっているようだ。想像以上に魔獣たちが手強く、数が多い」

「両方はまずいな」

「ああ。北にはザックとイリーナ、マルセリスの神殿兵士たちが向かった」

「俺たちは南に行こう」

「たのむ」

 俺たちがやりとりを終えようとしたとき、部屋の中から子供のすすり泣く声が聞こえてきた。

 声の主はマリィだった。まずい。このまま俺が出て行くと、この部屋を覆っている不安が増殖してしまいかねない……。

「マリィちゃん、泣かないで」

 リリアが慌てて駆け寄ったが、マリィは泣き止む様子を見せなかった。

 そのときだった。

「おい、なにめそめそしてんだよ。大丈夫だってーの。なぁ、エイジ」

 ジールがマリィに近寄り、マリィの頭を両腕で抱きしめた。

「いまからリリアさんとエイジが悪いやつをやっつけて来るからよ。だから安心しろよ。もし、エイジが負けそうになっても、おいらが助けにいってやる。オイラはこう見えても、エイジよりも強えからな」

「本当?」

「ああ、本当だ。ジールは俺より強いよ。なあ、リリア」

「は、はい! もちろんです!」

「じゃあ、俺とリリアはちゃちゃっとお手伝いに行ってくるから、おとなしく待ってるんだぞ」

「分かった……待ってる……」

 ジールが俺に「いけ」と言うように顎をしゃくって見せた。俺たちが去るところを見れば、マリィはまた不安になるだろう、ってことか。

 リリアが小声で「急ぎましょう」と言った。

「うっし、じゃあジール、あとは頼んだわ」

「おう、まかせろって」



 俺はリリアとジーヴェルさんの二人を伴って、〈満月の微笑亭〉の階段を下りた。一階で武器の手入れをしていた人に声をかけ、剣を一本借り受ける。

 炎の剣は絶大な攻撃力を持つが、燃費が良くない。どれだけ長期戦になるか分からない状況で、使いたくはなかった。

 ついでに雨よけのためのフード付きマントも借り受け、俺とリリアは南門へと向かった。

 雨足はますます強くなっている。足下がぬかるんで、移動するだけで足裏から体力を吸い取られていくように感じた。予想以上に、弱った身体に響く。

「やむをえないな」

 俺はフェルナールから受け取ったガラスの試験管を取り出すと、一気に中身を呷った。名状しがたい強烈な匂いが鼻孔に抜け、それと同時に身体に力がわき上がってくるのを感じた。

 自分の胸に手を当て、ステータスを確認すると、過労によるペナルティはすっかり消えたようだった。致命傷さえ治癒する魔法の水だ。本当は二本ともあとまで取っておきたかったが、仕方がない。

 やがて南門が見えてきた。

 壁の上では、兵士たちが弓や槍、大きな石を手にして、壁を登ってくる魔獣と戦っている。

 一人の兵士が、足を滑らせて壁から転落した。その隙を突くように、奇妙な姿の敵が壁を這い上がってくるのが見えた。それは全身を黒タイツで覆ったような、人間型の魔獣だった。身長は二メートル以上ありそうで、手足が異常に長い。

 そいつは壁の上までよじ登ると、めちゃくちゃに腕を振り回した。何人かの兵士がなぎ倒される。

 このままでは、魔獣が壁内に侵入するのは時間の問題に見えた。

 だが、そうはさせない。

「〈ここに集え、叡智の光。光の矢となりて敵を撃て〉!」

 俺は走りながら精神を整え、バーバラさんが渡してくれた紙にあった古代語の呪文を口ずさむ。呪文の完成とともに、頭の上のあたりに、青く輝く光の矢が出現した。

「ゆけ!」

 俺が魔獣に向けて人差し指を伸ばすと、黒魔法で作られた魔力の矢は風雨を切り裂いて飛んでいった。

「グオオオッ……!」

 矢は魔獣の額に突き刺さり、やつは身をよじらせて苦悶の叫びをあげた。そして足下をふらつかせながら、壁の外へと落下していく。

 壁上の兵士たちは、その隙に体勢をたて直した。

 しかし、ほっとしたのも束の間、城門が大きな音を立てて揺れた。何者かが外側から強烈な体当たりを仕掛けているのだ。頑丈な木のかんぬききしみ、表面がささくれ立っていく。

「破られるぞ!」

 誰かが叫んだ。と同時に閂がはじけ飛び、門扉の金具も吹き飛んだ。

「南門、突破されました!」

 門に近い物見櫓にいた兵士がそう叫び、早鐘を打ち鳴らしながら、旗で各所に信号を送った。

 破壊された門の向こう側には、俺たちが遺跡で対峙したキメラの姿が見えた。その背後には、さまざまな姿をした魔獣の影が無数に見える。

「構え、撃て!」

 門の内側に防柵を作って待機していた兵士たちが弓を引き絞り、キメラに矢の雨を浴びせかけた。数十本の矢がキメラの身体に突き刺さったが、怪物はいささかの痛痒も感じていないようだった。

「ウグルオオオオオ!」

 キメラは咆哮をあげながら、門の中へと歩を進めた。

 そのとき、バシッと弾かれたような音が鳴り、キメラの体表に焦げ目のようなものができた。バーバラさんが張っている防御陣の効果だろう。弓矢よりはダメージを与えているように見えるが、キメラの歩みは止まらない。

 柵の内側から兵士たちが長槍を突きだすが、キメラの前足で払うように、槍の穂先をはじき飛ばす。

 キメラの背後にいた魔獣たちが、門へと殺到した。

 まずい! 兵士たちが使っている通常の武器は、大型の魔獣に致命的なダメージを与えられない。このままでは突破される!

「〈踊れ踊れよ、始原の炎。猛り猛りていざ爆ぜよ〉!」

 こうなれば、黒魔法二連発だ。

 呪文を唱えると、掌に小さな炎の球が出現した。音を立てて降り注ぐ雨が、火球に触れては瞬く間に蒸発していく。

「伏せろ!」

 俺は叫ぶと同時に、オーバースローの要領で、火球を門の向こう側に投げつけた。

 着弾、閃光、轟音。

 目を灼くほどの強い光と、内臓を揺らすほどの衝撃が辺り一帯を包んだ。

 爆発する火炎が空気を巻き上げ、身につけたいたマントがまくれ上がる。

 炎の直撃を受けた魔獣たちの身体が、燃えながら宙を舞い、別の魔獣たちを巻き込むようにして吹き飛んでいく。

 これで門の外にたむろしていた魔獣はあらかた片付けた。一時的に敵の侵入は防げるだろう。

 しかし、厄介なのが一匹残っている——壁の内側に侵入したキメラだ。

「ウギャオオアアアアルル!」

 爆炎を背中に浴びて、身体の後ろ半分は消し炭になりかけていたが、それでも魔獣は憎悪の叫びをあげ、兵士たちに襲いかかろうとした。

「みなさんは下がってください! わたしたちが相手をします!」

 凄惨たる戦場に、凜とした美声が響いた。

「せやあああああああ!」

「ぬん!」

 抜剣したリリアとジーヴェンさんが、防柵から身を躍らせ、空中からキメラに斬りかかった。

 二条の閃光が走り、二つあるキメラの首がゴロンと地面に転がる。

 だが恐るべきことに、キメラの身体は首を失ってもまだ動き続けた。

「リリア様、油断召されるな!」

 叱咤の声とともに、ジーヴェンさんが目にもとまらぬ早さで剣を振るう。

 キメラの身体が文字通り八つ裂きになり、力を失って地面に倒れた。

 これで周囲から敵の姿が一掃された。

 俺は壊れた門の真下まで走り、ゴルフボール大の金属球——遺跡でも使用した魔道具を設置した。

「〈弱き者を護れ、光の衣〉」

 金属球を中心に、魔力で作られた光のカーテンが広がる。門をすべてカバーすることはできないが、これで大型魔獣の侵入はいったん防げる。隙間から入ってくる小型の魔獣なら、兵士たちの弓矢や槍でも十分に対処できるはずだ。

 光のカーテンの持続時間は約三十分。姑息な時間稼ぎだが、門の修理が困難な以上、こういう苦肉の策を用いるほかはない。

 額に浮いた汗をぬぐい、門の向こう側に目をやると、地平の彼方から何百——いや、何千かもしれない——もの魔獣が押し寄せてくるのが見えた。

 果たして、俺たちが力尽きる前に、援軍は来るのだろうか? たとえ急ごしらえの援軍が来たところで、魔獣たちを駆逐することは可能なのか……?

 イヤな想像が頭を駆け巡る。

 いまのところ、もっとも期待できるのはフェルナールだ。

 フェルナールが、南の山に出現した屍の竜を倒し、戻ってきてくれれば……。

「っと……!」

 一仕事終えたところで、身体からガクンと力が抜けるのを感じた。

 動いているときは気がつかなかったが、黒魔法や魔道具を連続して使用したのだ。それなりに心身に負担はかかったはずだ。

 足を踏ん張り、落ち着いて呼吸を整える。

 そのとき、俺の脳内にが響いた。

『〈スキル:コピー&ペースト〉のレベルが「5」に上がりました』

 ここにきて、久しぶりのレベルアップだ。黒魔法の使用で一気に経験値が入ったのだろう。

 あまり覚えていないが、たしかレベルが5になると出来ることがたくさん増えるんじゃなかったっけ?

『スキルレベルが5に上昇したため、空きスロットの数が「5」に増加しました。また、。特殊スキルの閲覧範囲が増加しました。

 レベル5の解放とともに、これまで「レベル不足で出来ない」と言われていたことの多くが可能になったのだ。

(アイテムの複写について教えてくれ)

『あるアイテムが持っている複製コピーし、別のアイテムに貼り付けるペーストする能力です』

(性質を貼り付ける? アイテムそのものを増やせるわけでないんだな?)

『はい。あくまで性質のみです。たとえば、鉄の持つ〈硬度〉の性質をコピーし、木の棒にペーストすることで、鉄の硬度を持った木の棒を作り出すことが可能です』

(なるほど、便利そうだ。だが、どうせまたレベルによって制限があるんだろう?)

『その通りです。複写された性質が持続するのは、レベル5だと1時間程度です。永続的な性質複写はできません』

(それ以外の制限は?)

『高度すぎる性質はコピーできないことがあります。また、コピー元のアイテムと、ペースト対象のアイテムの両方に触れる必要があります』

(わかった。次は、他者のスキルへの上書きについて教えてくれ。以前、スキルのレアリティによってどうのこうのって話は聞いた気がするが)

『他者にスキルを上書きペーストする場合、まず。また、コピーするスキルは、同じ種類のスキルを複数箇所に貼り付けることはできません。さらに加えて、貼り付けるスキルのレベルとレアリティは、上書き対象のスキルのそれを上回っていなければなりません』

(上書きの効果時間は?)

。ですが、上書きされた人物が解除を望んだ場合、上書きは解除されます』

(OK、だいたい把握した)

 制限が多いが、要するに他人への嫌がらせには使えないってことらしい。

 さて、〈コピー&ペースト〉の新しい効果も把握出来たことだし、まずは落ち着いて戦況把握だ。

 詳しい状況は分からないが、鐘の音が聞こえないってことは、北門はまだ持ちこたえているようだった。

 ザックたちなら魔獣との戦いには慣れているし、マルセリスの神官たちが同伴しているのなら、魔獣に有効な魔法を使える者もいるだろう。門が破られたとしても、そうそう魔獣の突破を許すことはないはずだ。

 俺がそんなことを考えていると、街中の物見櫓に立っていた兵士が突然大声を上げた。

「西の櫓からの信号です! 北西の城壁を乗り越えて、魔獣が壁内に侵入!」

「侵入したのは何体だ!」

 大声で答えたのは、門の近くで指揮をとっていた隊長格の男だ。どこかで見覚えがあると思ったら、スレンの村近くの砦にいた男だった。

「まだ一体だけのようです!」

「ならばうろたえるな! 冒険者たちが始末する! 連中を信じろ!」

 櫓の兵士は「はい!」と叫び、旗を振って別の櫓へと合図を飛ばした。

 そのときだった。

 旗を振っていた兵士がポカンと口を開き、空の彼方を指さした。

「な、なんだあれは……」

「おい、どうした! 何が見えてる! 報告しろ!」

「わ、わかりません! 視界不良! ですが、なにかが飛んでいます! 時折、光を放っています!」

 兵士たちのやりとりを聞き、俺は強烈な不安を覚えた。

 見張りの兵士の報告によれば、豪雨の中でも見えるほど大きな何かが、こちらに飛んできている

「あれはなんだ!?」

「デカいぞ!」

 南門の壁上で戦っていた兵士たちが、口々に叫ぶのが聞こえた。

 彼らの視線は、敵のいる下方ではなく、上方を向いている。

 俺は壁から離れるように通りを引き返し、空のかなたへと視線を走らせた。

「あれは……!」

 遠い空の向こうで、二つの影が飛び回り、戦っていた。

 それらは互いに赤と紫の光線のようなものを吐き出しながら、空中で交錯し合っている。

「竜だ!」

 誰かがそう叫んだ。

 フェルナールの操る竜と、南の山で蘇った屍竜が、戦いながらバロワの街へと近づいてきていたのだ。

「竜だ! 二頭いるぞ! 戦っている!」

「一方はフェルナール様の竜ではないか!?」

 壁上で戦っている兵士たちが口々に叫ぶ。その声には、人知を超えた存在に対する畏怖がにじんでいる。

「浮き足立つな! 目の前の敵に集中しろ!」

 隊長格の兵士が叫ぶが、一度広がった恐怖や混乱が、そんな一言では収まるはずもない。兵士たちが竜に気を取られている間にも、壁外の魔獣たちは次々と押し寄せてくる。

 壁をよじ登ってきた魔獣たちが、次々と兵士をなぎ倒し、壁を乗り越えようとしていた。兵士たちの対処が間に合わなくなってきているのだ。

「〈ここに集え、叡智の光。光の矢となりて敵を撃て〉!」

 やむをえず、俺は〈光の矢〉の魔法で、壁の上まで登ってきた魔獣を次々と撃ち落としていく。

 はっきり言って効率が悪いのだが、大規模な破壊魔法は味方を巻き込んでしまう。一匹ずつ撃ち落としていくしかない……!

 クソッ! 門に光のカーテンを張ったのは早計だったか!

 これなら、俺が門に立って大破壊魔法をぶっ放し続けた方がマシだったかもしれない……!

 その間にも、門に張っていた光のカーテンの隙間から、小型の魔獣が次々と滑り込んでくる。

「魔獣、次々と壁を乗り越えて侵入してきます!」

 物見櫓の兵士が絶叫した。

 バロワの街のあちこちから、武器を打ち合う音や、悲鳴、戦いの叫びがわき上がり始めた。

 まるでゾンビ映画の登場人物にでもなったような気分だった。空からは災害としか呼べない規模の脅威が近づいてきている。パニック映画にしてもタチが悪い。酷いB級映画だ。そういえば、竜巻に巻き込まれたサメの大軍が都市をめちゃくちゃにする映画があったな。いや、そんなこと、いまはどうでもいい。

 いま考えなきゃいけないのは、最悪の最悪なこの状況をどう切り抜けるかってことだ。

 正直なところ、逃げ出したい気分だった。

『もしバロワが落とされそうになったら、エイジとジーヴェン殿は、リリア様を守って脱出しろ。足手まといのいないきみたち三人だけなら、包囲を突破して逃げられるはずだ』

 出撃前にフェルナールが耳打ちした言葉が、頭の中にこだまする。

「ここは通しません!」

 浮き足だって右往左往しかけていた兵士たちを正気に戻したのは、リリアの凜とした声だった。

「せいッ!」

 気合いの声とともに銀の閃光が煌めき、門の隙間を突破してきた魔獣たちを切り裂いていく。

「門はわたしたちが守ります! みなさんは、壁を越えてきた魔獣を押さえてください!」

「お、おう!」「分かった!」「任せろ!」

 やっと兵士たちが冷静さを取り戻した。だが、こんな状況がいつまでも続くとは思えない。

 それに、一番厄介な問題がまだ残っているのだ。

「フェルナール……」

 上空の戦いは、いまだに決着がついていなかった。

 漆黒の影で身を覆った屍竜と、フェルナールが操る真紅の竜は、ブレスを吐き合いながら街へと近づいてくる。さきほどまでは、距離が遠かったせいで、互いにミニチュアサイズに見えたが、いまになって、やっと両者の大きさの違いが分かってきた。

 屍竜の大きさは、フェルナールの竜に比べると、二倍以上あるように見える。

 フェルナールの竜は、屍竜を街に近づけまいとするように、細かく動き回りながら炎を浴びせかけている。しかし、大雨が炎の勢いを削いでいるのもあってか、あまりダメージを与えられていないようだ。

 屍竜の攻撃は鈍重で、フェルナールの竜に攻撃を当てられていない。表面的には両者拮抗という状況だが、バロワを守らなければいけないフェルナールのほうが、不利と言えるだろう。

 フェルナールの竜が地面に向かって火を吐くのが見えた。どうやら、屍竜と戦いながら地上の魔獣を減らしてくれているらしい。

 俺の黒魔法の射程圏内に入ってくれれば、多少の援護は出来るかもしれない。魔力増幅の腕輪で強化した魔法なら、それなりにダメージを与えられそうではある。

 だが、そこまで近づかれてしまえば、竜同士の戦いで街に被害が出るのは必定だ。できれば、それまでに何か手を打ちたいところだが……。

「クソ……っ!」

 考えたところで、妙案は浮かばない。

 いまの俺にできるのは、剣と魔法で手近な魔獣を片付けることぐらいだろう。

 俺は市街地に侵入しようと魔獣に向けて、〈光の矢〉を放つ。矢は四足獣型の魔獣の胴体に命中し、魔獣は黒い霧となって爆散した。

 いまはなんとか魔獣の侵攻を水際で食い止めているが、このままだとジリ貧だ……!

 そのとき、門の周辺にいた兵士たちから、悲鳴に似たざわめきが上がった。

「どうした、何があった!?」

 振り返るとそこには、俺にとっては最悪と言える光景があった。

「リリア……?」

 はじめは自分の目が信じられなかった。

 しかし、目の前で起きていることは幻でも見間違いでもない……!

 リリアが、うつぶせの状態で地面に倒れていた。

 右手に剣を握ったままだが、身体からは力が失われ、ぐったりとしたまま動かない……!

 門の隙間から這い出してきた四足獣型の魔獣が、動かないリリアめがけて走りだそうとしていた。

「リリア様!」

 ジーヴェンさんが異変に気付き、悲鳴に似た叫びを上げた。

「〈ここに集え、叡智の光。光の矢となりて敵を撃て〉!」

 俺の放った〈光の矢〉が魔獣を撃つ。

 魔獣が不快な悲鳴をあげてひるむ。リリアに駆け寄ったジーヴェンさんが続けざまに高速の剣撃を繰り出し、魔獣を塵へと変えた。間一髪だ。

「リリア様、いかがなされました!?」

「おい、リリア! どうした!?」

 俺とジーヴェンさんが駆け寄って声をかけたが、リリアはピクリとも動かない。

「失礼!」

 ジーヴェンさんがリリアの身体を抱え起こし、顔を上に向けさせた。

「これは……!」

 リリアの顔が、真っ赤に上気している。吐く息は荒く、目の焦点が定まっていない。

「おい、しっかりしろ!」

 リリアの額に触れると、異様な熱があった。

 俺は即座に〈コピー&ペースト〉を発動し、リリアのステータスを確認する。


★ ★ ★

対象=リリアーネ・フローネア・ハリア

▽基礎能力値

器用度=19 敏捷度=21

知力=17 筋力=16

HP=4/16 MP=19/19

▽基本スキル

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

隠密=3 罠技術=1 武具鑑定=1 宝物鑑定=1

ハリア王国式儀礼=4 

▽特殊スキル

騎士の誓い=6 神聖竜の血統=5(固定)

淫蕩の呪い=4 不妊の呪い=10

夭折の呪い=9 不運の呪い=2

フローネアの記憶=3 竜の加護=5

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


 これまで伏せられてきた、リリアの特殊スキル。

 そのすべてがついに表示されていた。

 だが、それよりも俺の目を引いたのは、真っ赤に点滅を繰り返す既存のスキルだった。

 数ある呪いの中でも、もっとも危険そうに見えた〈夭折の呪い〉……。知らぬ間にレベルが8から9へと上がっていたこのスキルが、真っ赤に光輝いていたのだ……。

「リリア、しっかりしろ! 聞こえるか!?」

 大声で呼びかけるが、リリアはうんともすんとも言わない。

 唇からはき出される息は絶え絶えで、半開きになった目はどこか遠くを見ているようだった。

「死ぬな、死ぬんじゃない!」

 だが、俺の必死の呼びかけを嘲笑うかのように、ステータス画面に表示されたリリアのHPが4から3に減少した。

「リリア!」

「エイジ殿!」

 急に肩を掴まれた。ジーヴェンさんだった。

「リリア様を安全な場所までお連れください」

 ジーヴェンさんは険しい表情で俺の顔を覗き込みながら、有無を言わせぬ口調で言った。

「この南門は、私が死守してご覧にいれます」

 無茶だ。

 俺が張った光のカーテンの効果は、もうじき切れる。いかにジーヴェンさんの腕が優れているとはいえ、門から押し寄せる魔獣を押しとどめられるとは思えない……!

「見くびっていただいては困りますな」

 しかし、ジーヴェンさんは俺の心を見透かしたかのように笑った。

「このジーヴェン、先王陛下に寄り添って危地を駆け抜けたこと、一度や二度ではございませぬ。この程度の敵など、いかほどでありましょうや。リリア様が守ると誓った南門、この身に代えても守り切ってみせましょうぞ!」

 そう一気に言い切ると、ジーヴェンさんは俺に背を向けた。

「待つんだ!」

 ジーヴェンさんは俺の制止を聞かず、「頼みましたぞ!」と鋭く言い放つと、門から溢れ来る魔獣の群れへと身を躍らせた。

「クッ……! リリアを連れて行ったらすぐ戻るから、それまで死ぬなよ!」

 ジーヴェンさんがここで死ねば、リリアはたとえ生き残ったとしても、心に深い傷を負うだろう。そんなのはごめんだ。

 俺はリリアの身体を背負うと、大通りを全力疾走で引き返した。

 目指すは、この街でもっとも安全な場所の一つ——多くの冒険者たちに守らている、〈満月の微笑亭〉である。

 バリケードを回避し、裏道を抜け、俺は無我夢中で走る。

 市街地にはすでに多くの魔獣が侵入しているようだった。あちこちから争う物音や、怒号が聞こえてきた。

 裏道をひた走る俺の目の前に、人型の魔獣が姿を現した。

「ギャルルルオオオオ!」

「邪魔だ、消えろ!」

 俺と鉢合わせて、威嚇の声を上げようとした魔獣を走りながら剣で斬り裂く。

 こんなやつに構っている暇はない。こうしている間にも、ステータス画面に表示されたリリアのHPは減少していっている。残りは2。

「ハァ、ハァ……! もう少しだ……!」

 やっと〈満月の微笑亭〉が見えてきた。店の前では、複数の冒険者や神官戦士たちがキメラタイプの魔獣と対峙していた。その中には、戦闘槌を構えた満月さんや、短剣を手にしたジールの姿もあった。

 彼らの足下には、黒い塵が飛び散っている。すでにかなりの数の敵を倒しているのだろう。

「グルオオオオ!」

 近づいてくる俺に気付いたキメラが、こちらに向かって吼えた。

「よそ見してんじゃねえぞ、バケモンが!」

 その隙をついて、ジールが短剣を投げた。

 短剣はキメラの頭部に突き刺さったが、魔獣は痛痒を感じた素振りすら見せず、ジールのほうに向き直った。

「ゴルァアア!」

「なんでえ、やんのかコノヤロー!!」

 キメラの後ろ足に力がこもる。

 魔獣がいまにもジールに飛びかかろうとした瞬間——建物の影から大きな影が飛び出してきて、キメラの首に噛みついた。

「あれは……!」

 飛び出してきたのは、小山ほどはありそうな、毛むくじゃらの獣だった。

 突然の闖入劇に、俺は一瞬言葉を失ったが、やがて援軍の正体に気がついた。

「ウォルフか!」

 身体の大きさこそ変わっているが、それは間違いなくバーバラさんの使い魔——ウォルフだった。ただの犬っころじゃないとは思っていたが、これが真の姿だったって分けか。

「グシュルルル!」

 ウォルフは前足でキメラの身体を押さえつけ、顎に力を込めた。バキバキと骨を砕く音が辺りに響き、キメラの身体が黒い霧と化して四散する。

 脅威が去ったことを確認した冒険者たちが、安堵した様子を見せた。

「エイジ! 無事だったのかよ!」

 俺の姿に気がついたジールがこちらに駆け寄ろうとしたが、俺に背負われたリリアの姿を見てギョッとしたように顔を引きつらせる。

「リ、リリアさん! どうしたんだよ! ケガしてんのか!?」

「説明はあとだ! 中に入れてくれ。手当をする」

 〈満月の微笑亭〉の中に足を踏み入れると、一階はさながら野戦病院のようだった。ケガを負った冒険者たちがそこかしこにうずくまったり、横たわったりしている。

 その間を縫うように、店員たちが忙しく駆け回り、手当をして回っていた。

「酷い有様だろう。だが幸い、うちじゃまだ死人は出ていない」

 呆然として立ち尽くしていると、背中から満月さんの声がした。

「リリアちゃんの手当が必要なんだろう。どれ」

 満月さんは俺の背中からリリアを担ぎ上げると、床に下ろした。

「ケガはしていないようだが、熱がすごいな。病気かい……?」

「そんなところだ」

 詳しい説明をしている暇はない。

 俺は満月さんの手を借りて、リリアの身体を床に横たえた。

 リリアの額に手を当て、ステータス画面を呼び出す。〈夭折の呪い〉は未だに禍々しく点滅を続け、リリアのHPは残り1まで減少していた。

 リリアを救うために残された唯一の手段。

 それは〈コピー&ペースト〉で、〈夭折の呪い〉に別のスキルを上書きするほかになかった。

 俺はリリアに触れたまま、心の中で呟く。

(俺の特殊スキル〈女神の加護(アルザード)=10〉をコピーし、リリアの〈夭折の呪い=9〉に上書きしろ)

 しかし、返ってきたのは非情な答えだった。

「なぜだ!」

 思わず声が出てしまい、満月さんとジールが怪訝そうに俺を見た。

『以前にご説明したとおり、スキルの上書きを実行するには、です。

 ウソだろ……! おい!

「リリア! 目を覚ませ、返事をしろ!」

 俺はリリアの身体を揺さぶり、頬を叩き、耳元で声を上げた。

 しかし、リリアが俺の呼び声に答えることはなく——リリアのHPが、ついに1から0へと変化した。

「おい、リリア! 目を覚ませ! 死ぬんじゃない!」

 俺は必死にリリアを揺さぶるが、力の抜けた身体は一切の反応を示さなかった。リリアのうつろな瞳から、次第に最後の生気が失われようとしていた。

 何か、何か打つ手はなにのか……! 一瞬でも時間が稼げれば……!

「そうだ!」

 そのとき、一つの可能性に思い当たった。

 俺はポケットをまさぐると、フェルナールから預かった試験管を取り出す。古代遺跡で見つかった、緑色の培養液。瀕死のザックを救った、万能の回復薬だ。

 こいつを使えば、一時的にリリアのHPを元に戻せるかもしれない……!

 俺は震える手でリリアの頭を抱え上げた。そしてもう一方の手で試験管の封を切り、中身をリリアの口に流し込んだ。

 頼む、飲んでくれ……! 間に合ってくれ……!

 薬を口に含んだ瞬間、リリアのHPが僅かに——2まで回復した。だが……。

「ぐ、がぼっ……!」

 リリアは苦しげにうめき、薬を俺の胸に吐き出してしまう。

「冗談だろ……」

 吐き出された薬が、服に染みを作っていく。俺はその様子を、現実感のないものとしてただ呆然と見守るしかなかった。

 なんとかしないと。どうすればいい? そうだ、神官の白魔法なら、一瞬だけでも体力を元に戻せるかも知れない。いや、そんなケチ臭いことを言わず、白魔法をコピーして、もう一回魔力増幅の腕輪で神の奇跡を行使するか? マルセリスには二度とやるなと厳重に釘を刺されたが、別の神なら話を聞いてくれるかも知れない——。

 頭の中をさまざまな考えが通り過ぎていく。

 背中と額にはじっとりとイヤな汗が滲み、胃の奥から痙攣がわき上がってくるのを感じた。急げ、急げ、急げ。早くしないと、リリアが死んでしまう……!

 そうこうしている間にも、リリアのHPは再び1を指し——。

「……イジさん……?」

 その声を聞いたとき、はじめは幻聴かと思った。

「リリア、目が覚めたのか!?」

 慌ててリリアの口元に耳を近づける。

「あ……た………………し……」

 はぁはぁと荒い息に混じって、か細い声が聞こえる——ような気がする。

 もしいま、僅かな時間だけでも意識が戻ったのなら、この機に賭けるほかはなかった。

「リリア。聞いてくれ。これから俺の身体の刻まれたアルザードの力を使って、きみの呪いを解く。正確には、俺の力をきみの呪いに覆いかぶせ、呪いの効果を消すんだ。そのためには、きみの同意が必要だ」

 俺はリリアの手を取り、強く握った。

「きみを救いたい。頼む、俺を信じて返事をしてくれ」

 そう問いかけたとき、気のせいかもしれない——だが、リリアの指が、弱々しい力で俺の手を握り返してきたような気がした。

 もはや一刻の猶予もない。俺はリリアが同意してくれたことを願いながら、心中で〈コピー&ペースト〉に指示を出す。

(〈女神の加護(アルザード)=10〉をコピー、〈夭折の呪い=9〉に上書きしろ!)

 一瞬、時が止まるような感覚があった。周囲の喧噪が急に途絶え、動き回っている人々が止まっているように感じられた。

 死刑宣告を待つような、短くも重苦しい時間が俺の心を押しつぶそうとする。

 一瞬の沈黙のあと。

 俺の頭の中に住み着いたあの声が、いつもの取りしました調子で答えを返してきた。

了解コピー。〈女神の加護(アルザード)=10〉を、〈夭折の呪い=9〉に上書きします』

 その瞬間、リリアの身体に触れていた俺の手から、激しい光が漏れはじめた。まるで爆発でも起こしそうな、目を眩ませる光。

 周囲にいた冒険者たちが、驚きのあまり悲鳴を上げた。

 この光の波長、どこかで見覚えがある——そう思ったとき、頭の中に、あの溶岩地獄で女神アルザードと出会ったときのことが頭に浮かんだ。

 そうか、これはあのときと同じ……。

「みんな、目を閉じてろ……っ!」

 俺がそのセリフを言い終わらぬうちに、光が爆発した。

 暴徒や立てこもり犯を鎮圧するときに使う、スタングレネードという爆弾がある。

 爆発時の音や光によって、付近の人間に一時的なショックを与えて無力化する武器だ。これを喰らうと、たいていの人間は身体を丸めてうずくまるしかないというが、それに匹敵しそうな激しい光が、〈満月の微笑亭〉の一階で炸裂した。

「あああああ、な、なにが起きたんだ……! エイジくん、リリアちゃん、どこだい……?」

 背中からうろたえる満月さんの声がした。

「……悪かった、満月さん。少々ワケありの緊急事態でね。リリアの命を救うには、これしか方法がなかったんだ。こんなことになって、俺も驚いている」

 俺は満月さんに声をかけながら、リリアのステータスを確認した。

 禍々しく輝いていた〈夭折の呪い=9〉はスキル欄から姿を消し、それがあった場所には、代わりに〈女神の加護(アルザード)=10〉が鎮座していた。

 HPの残量は、わずか1。だが、リリアの身体を抱く俺の腕には、弱々しいが確かな呼吸の律動と、心臓の鼓動が伝わってきた。

 リリアの命は救われたのだ。

 だが、ほっとしたのも束の間。

 店の外から、なにやら悲鳴に似た叫びが聞こえてきた。最初は俺の放った光が外に漏れたのかと思ったが、喧噪はもっと遠くからも聞こえる。

 外でも、何か異常事態が起きているのだ。

「満月さん、ジール! リリアのことを頼む! 俺は外を見てくる!」

 まだ光のショックで動けずにいる彼らにそう言い残すと、俺は店の入り口を蹴り開けるようにして外に出た。



 店の外に出た瞬間、俺はあまりの状況の変化に驚いた。

 まず、周囲がのだ。

 もちろん、さきほどまでも、雨が降っていたせいで暗くはあったのだが、いまの状況はまるで急に夜になったかのようだった。

 それに、

 大雨と形容してもおかしくない雨脚が、このぴたりと止んでいる……!

「まさか……!」

 不吉な予感が、俺の視線を空へと向けさせた。

 バロワの上空に、巨大な絶望を体現したような存在が浮かんでいた。

 天空から降り注ぐ光と雨を遮っていたもの。それは、全長数十メートルほどはありそうな、の巨体だった。

 漆黒の屍竜が、そこにいた。

「ゴルオオオオオオ…………ッ!」

 屍竜が、俺たちを見下ろして吼える。

 その白く濁った目には、殺意があった。憎悪があった。嘲弄があった。

 この世のありとあらゆるものを蹂躙し、破滅させんとする魔獣。

 純粋な害意と圧倒的な暴力の混合物。

 俺の目に映る屍竜の姿は、そういう存在だった。

 屍竜の顔——眼球の横には、どこかで見覚えがある文様がうっすらと浮かんでいた。一瞬の思考ののち、俺はその文様が遺跡で退治したバウバロスのそれと同じであることに気付く。

 やはり、この屍竜を突き動かしているのは、バウバロスが死の間際に吐露した悪意なのかもしれない……。

「ギシャアアアアアアア!!」

 屍竜が鎌首をもたげ、大きな顎を開いた。開いた口の中に、闇色のエネルギーが渦巻くのが見える……! ブレスだ!

「ちくしょう!」

 街中に向けてブレスでも吐かれたら、俺たちは一巻の終わりだ!

「〈腕輪よ、腕輪。我が囁きを聞け。我が欲望を聞け。我が命を力に替えよ〉!」

 俺は即座に魔力増幅の腕輪を装着し、合言葉で効果を起動する。

 身体に激しい疲労感があり、同時に精神が研ぎ澄まされる感触——。

「〈我が内なる力よ、荒れ狂う雷光となれ〉!」

 俺が放ったのは、バーバラさんから預かった呪文書の中でも、最高位に位置する〈雷光〉の魔法だった。

 中空から発生した幾条もの稲妻が、束となって屍竜へと襲いかかる。

「グボロアオアッエオッッオオッッッオッ!」

 屍竜の絶叫——そして電撃で肉が爆ぜる異音が、バロワの空に響き渡った。

 だが、それだけのダメージを受けても、屍竜の口の中に溜まった闇色のブレスは消えていなかった。

 ——いや、やつはより憎悪を強め、力を溜めようとしている……!

 マズいと思ったそのとき。

 屍竜の斜め上の空から、別の巨大な影が高速で飛来するのが見えた。

「——させるかあッ!」

 もう一つの巨大な影——真紅の飛竜に乗った男が吼える。

 フェルナール——ハリア王国最強と言われる竜騎士が、巨大な馬上槍ランスのような武器を構え、騎竜もろとも屍竜へと体当たりを仕掛けてきたのだ。

「ゴガアアアッ!」

 フェルナールのランスが屍竜の首を貫いた。

 それと同時に、口腔内にチャージされていた闇のエネルギーが四散する。

 だが、フェルナールの決死の一撃も、屍竜の息の根を止めるには至らなかった。

 さらなる激怒と憎悪に駆られた屍竜は、翼や尾を闇雲に振り回す。二匹の竜の巨体が上空でもつれ合い、互いの牙や爪が激しく交錯した。

 空中で、フェルナールの飛竜と屍竜がもつれ合い、激しい格闘を繰り広げる。

 両者の体格は倍ほども違うが、動きは飛竜のほうが素早かった。

「グルオオオッ!」

 飛竜のあぎとが、屍竜の長く太い首を捕らえた。

 その瞬間、フェルナールが叫ぶ。

「いまだ!」

 飛竜の口内——牙の隙間から、赤い光が漏れ出した。

「焼き尽くせ!」

 気迫のこもった号令とともに、飛竜の顎から発せられた灼熱の炎が屍竜の首を撃ち抜いた。

「やったか!」

 屍竜の首がちぎれ飛び、憎悪をはらんだ瞳が恨めしそうに俺のほうを見た。

 屍竜の首は胴体から離れてもなお苦悶の叫びをあげ、残された身体はなおも激しく暴れ続ける。

 闇雲に振り回した太い尾が、飛竜の身体を強く打ち据えた。

 空中でバランスを崩した飛竜が、よろめき……。

「おい、落ちてくるぞ!」

「逃げろッ!」

 市中のあちこちから悲鳴が上がった。

「ゴアァァアアッ!」

 はじき飛ばされた飛竜の巨体が、〈満月の微笑亭〉から少し離れた住宅街へと落下していく。

 飛竜は翼を羽ばたかせて体勢を立て直そうとしたが、重力と勢いには抗いきれなかったらしい。巨大な質量の塊が轟音を立てて家々を打ち砕き、地面を震わせた。

「フェルナール!」

 幸い飛竜が落下した地域の住人は、別の場所に避難しているはずだ。

 だが、飛竜やそれに乗っていたフェルナールがまったくの無傷であるとは思えない。

 いまの状況で、彼らが戦線を離脱するか否かは、非常に重要な問題だ。一刻も早く状況を確かめなければいけない——というのは、俺の理性が考えたこと。

 実際は、知り合いが無事かどうかを一秒でも早く確かめたいというのが正直な感情だった。

 俺は裏道を抜け、バリケードを飛び越え、竜が落ちた場所へと全力疾走する。

 生きていてくれよ、フェルナール!

「はぁ、はぁ……っ!」

 思えばさっきから走りっぱなしだ。いい加減体力の限界だった。しかし、ここで走らないでどうする。

 五分ほど走っただろうか。

 ここ一月ほどですっかりなじんだバロワの町並みを抜け、俺は墜落現場へと到着した。

 現場付近は酷い有様だった。

 墜落した飛竜は家を五軒ほどなぎ倒し、地面に仰向けの状態で倒れていた。倒壊した家の瓦礫が、真紅の鱗に覆われた竜の皮膚を傷つけ、流れ出た血が辺りに広がっていた。だが、下位に属するとはいえ、さすがはこの世界パルネリアで最強の存在と謳われる生物だ。重傷を負っているにも関わらず、いまだに生命力が衰えた様子はない。

 緑色の目は爛々らんらんと輝き、気丈にも首をもたげようとしていた。

「フェルナール! どこだ!」

 竜の背中にくくりつけられたくらは空っぽだった。フェルナールの使っていた大型のランスが無造作に地面に転がっているが、持ち主の姿が見えない。

「フェルナール! 返事をしろ! 生きているのか!」

 大声で呼ぶと、ガタンと瓦礫の崩れる音。

「ぐっ……!」

 そして痛々しげなうめき声が聞こえた。音のした方に目をやると、瓦礫の山からフェルナールの上半身が覗いている。頭から血を流しているが、意識はあるようだった。

「待ってろ、いま助けてやるからな!」

 俺はすぐさま駆け寄ると、瓦礫を投げ飛ばし、フェルナールの身体を引き起こした。

「ぐ……っ、すまない……」

「悪いが、もらった薬は使い切った。痛むだろうが、回復役のいる場所まで我慢してもらうぞ。まだ脅威は去っていない。まだ戦わないといけないんだ。お前も、俺も」

「……人使いが、荒い。が、嫌な気分はしないな……」

 フェルナールは痛みに顔をしかめながら笑った。

「リ、リリア様は無事なのか……?」

「おかげさまでな」

 俺がフェルナールに肩を貸して歩き出そうとしたとき、

「ガアアア! オガアアア!」

 突然、フェルナールの竜が吼えた。

「騒ぐなよ。ご主人様を運んだら、お前も手当てしてやる」

「グルアアアアアア!」

「だから、もう少し待って——」

「——いや、エイジ。ちがう。あいつが伝えたいのは、そういうことじゃない……」

 フェルナールの震える声が、俺の耳朶を打った。

「あれを見ろ……!」

 フェルナールの震える指が、空の方向を指した。

「まさか……」

 おそるおそる空を見上げる俺を、大きな影が覆う——まさか——。

「そんな……」

「グルガシャオオオオオオオオオオオ!」

 そこには。

 そこには、絶望の具現化した存在があった。

 ——すなわち、ちぎれた首を再生させ、より強い憎しみをはらんだ咆哮を発する、屍竜の姿。

「グオオオオオ…………!」

 俺たちが見ている前で、漆黒の顎が開き、その中央で闇のエネルギーが渦を巻く……!

 そこには、まさしく絶望があった。

「終わった……」

 そんな呟きが自然に口から漏れ、自然と顔が下を向いた。

 だが、その瞬間。

 それを上回る絶望が、俺の視界の端に映り込んできた。

「——エイジさん!」

 ああ……。

 なぜ、ここに来てしまったんだ……。

 金色の髪をなびかせて、美しい生き物が俺たちのほうへと駆けてくる。

 白銀の剣を片手に携え、一心不乱に、脇目も振らず。

 エメラルドグリーンの瞳は、まっすぐに俺を見ていた。

「リリア、来るんじゃない! 逃げるんだ!」

 俺の制止の声を無視して、リリアはただひたすらに駆ける。

「ゴアアァァァアアアア!!」

 屍竜の顎から、闇の奔流が放たれ——。

 駆け込んできたリリアは、その脅威から俺たちをかばうように、俺たちの前に身を投げ出した。



 人は生命に危機に陥ったとき、時間の流れが緩やかに感じることがあるという。

 いまの俺が、まさしくその状態だった。

 屍竜が放った闇色の力の奔流が、リリアもろとも俺たちを飲み込もうとしていた。

 俺はなんとかリリアを突き飛ばそうと、手を伸ばそうとした。

 ——だが、間に合わない。

 そう思った瞬間、時間の流れが元に戻った。

 全身に強い衝撃を感じ、上下感覚が吹き飛ぶ。

 頭の中が真っ白になり、自分の身体がいまどうなっているかすら分からない。わかるのはまともに地面に立っていないってことだけだ。

 無我夢中で手足を振り回す。手が何かを掴んだような気がした。

 全身の筋肉が軋み、身体のあちこちに痛みを覚る。

「……」

 次に気がついたときには、俺は地面にうつぶせに倒れていた。

 地面は、見慣れたバロワの石畳だった。どうやらあの世ではないらしい。

 ——生きている。

 そう思った瞬間、全身から鈍い痛みが響いてきた。

 そうだ。間違いなく俺は生きている。だが、なぜだ……。

 自分の右手が、何か固い弾力を持ったものを握っているのに気がついた。

 おそるおそる目を向けた先にあったのは……。

「……リリア……」

 それは、リリアの鎧に付いていた肩当てだった。見間違えようもない。いつも見ていたものだから。きっと、肩当ての部分だけ千切れ飛んだのを、俺が無意識に掴んだのだろう……。

 その瞬間、生まれてこの方一度も感じたことのない、どす黒い感情が腹の底からわき上がってくるのを感じた。

「……殺してやる……」

 なにもかも、すべてぶち壊してやろうと思った。

 リリアを酷い目に遭わせたやつ、すべてを。リリアに呪いをかけた顔も知らぬ相手、リリアにブレスを喰らわせやがった屍竜、リリアを守れなかったふがいない俺。そのすべてを破壊し尽くしてやろうと思うと、視界が真っ赤になり、不思議とどこからか力が湧いてきた。もはや身体のどこにも痛みを感じない。

 後ろのほうから、小さな呻き声がした。男の声だ。おそらくフェルナールだろう。お互い生きていたのは幸運だが、いまはもうそんなことはどうでも良かった。

 自分でも驚くほど身体が軽い。さっきまでの疲労はなんだったんだ。

 俺はその場で勢いよく跳ね起きると、視線を前に向け——。

「なんだ、お前は……」

 そして、絶句した。

 そこには見たこともない生き物が立っていた。

 白銀色に輝く、巨大な生き物だった。

 俺が見ているのは磨き抜かれた大理石のような鱗に覆われたそいつの背中で、そこには皮膜に覆われた二枚の大きな羽がある。がっしりとした大きな後ろ足で地面に立ち、長く伸びた首の先には流麗な爬虫類の頭が乗っていた。

 美しい生き物だと思った。

 どうやら、さっきのブレスから俺たちを守ってくれたのはこの生物らしい。

「ピュイイイイイイーーーッ!」

 呆気にとられる俺の目の前で、そいつ——白銀の竜——は天に向かって甲高い叫び声をあげた。

 白銀竜の視線の先には、さきほど俺たちに一撃をお見舞いしてくれた屍竜だ。

 屍竜は再び口腔にエネルギーを溜め、再び俺たちに向かってブレスをはき出そうとしていた。

「ピイヤァァァアアアアッ!」

 それを迎え撃つように、白銀竜の目の前に白いエネルギーの光が発生する。

「グゴオアアァァァア!」

「ピャアァァァアアア!」

 空中で、二匹の竜が吐きだした白と黒のブレスが激突し、対消滅した。

 強大な魔力の衝突により、爆発的な衝撃波が発生し、壊れかけていた周囲の家々の壁がボロボロと崩れていく。

「ピイヤァァァアア!」

 白銀竜は続けざまにブレスを連射し、槍のような白色の閃光が、屍竜の身体を貫いた。

「グオアッ、アッ! アアアアアアッ!」

 漆黒の竜は慌てふためくように翼をはためかせて、上空へと距離を取る。

 その隙に、白銀竜はちらりと俺たちのほうを振り返った。

 優しい光をたたえたエメラルドグリーンの瞳が、俺の顔に向けられる。

「あ……」

 その瞬間、俺はすべてを理解した。

「……もしかして、リリア……なのか……?」

 白銀竜が「そうだ」と答えるように、「プィー!」と可愛らしく鳴いた。

「良かった! 無事だった! リリア!」

 俺は白銀竜——リリアに駆け寄ると、体当たりをするように抱きついた。

『対象と接触しました。ステータスを表示します』

 〈コピー&ペースト〉が起動し、竜の姿になったリリアのステータスを俺の脳内に映し出した。


★ ★ ★

対象=リリアーネ・フローネア・ハリア(竜)

▽基礎能力値

器用度=6(19) 敏捷度=42(21)

知力=17 筋力=160(16)

HP=480/480(16) MP=280/285(19)

▽基本スキル

念話=1 飛行=3 格闘(竜)=3 白銀のブレス=3

武具鑑定=1 宝物鑑定=1 ハリア王国式儀礼=4 

(×ハリア王国式剣術=7) (×パルネリア共通語=5)

(×隠密=3) (×罠技術=1) 

▽特殊スキル

騎士の誓い=6 神聖竜の血統=5(固定)

女神の加護(アルザード)=10(ペースト)

フローネアの記憶=3 竜の加護=5

淫蕩の呪い=4 不妊の呪い=10 不運の呪い=2

※×印が付いているスキルは現在、不活性になっています。コピーは可能です。

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


 基礎能力値が凄まじいことになっている。ルアーユ教徒が神の魂を入れる器にしようと考えたのも頷ける。

 スキルもかなり変わっているようだ。特殊スキルの〈神聖竜の血統〉と〈竜の加護〉、そして〈フローネアの記憶〉が赤く光っている。リリアが人から竜へと姿を変えたのは、これらのスキルの効果なのだろうか。

『エイジさん、聞こえますか? わたしです。リリアです』

 不意に、リリアの声が頭の中に響き、俺は驚きのあまり、「わわっ!」と間の抜けた声を上げてしまった。

『良かった、聞こえているみたいですね』

「あ、ああ! だが、なぜリリアが竜の姿に?」

『すべてはお母様が残してくれた力のおかげです』

 俺の頭に響くリリアの声は、とても暖かで、柔らかかった。

『お母様は死の間際、残された力のほとんどと、ご自身の記憶の一部を、赤ん坊のわたしと、形見の剣に封印されたのです。しかるべきとき——わたしが本当に大切なものを守ろうとしたときに——力が解放されるように、と』

「リリアの母さん——フローネアさんは、竜だったのか。それがどうして人間と——っていうか、竜って人間の姿に化けたりできるのか?」

『その話は少し長くなりそうです。いまはあの屍竜を討たなければなりません。決着を付けてきます。エイジさんはここで待っていてください』

 リリアはそう言うと、翼を優美に広げ、羽ばたこうとした。大きな風が起こり、地面に溜まった雨水に波紋が走る。

「おい! ちょっとだけ待ってくれ、リリア!」

『急がなければ、あの竜はまたすぐに身体を再生させて戻ってきます。無差別に街を攻撃されれば、わたしだけでは防ぎきれないかもしれません』

「俺も戦う。連れて行け」

『エイジさん、何を言ってるんですか! 相手は空にいるんですよ!』

「準備してくるから少しだけ待ってろ! 一人で行ったら絶対に許さないからな!」

 俺はすぐさま身を翻し、倒れているフェルナールに駆け寄った。

 フェルナールはピクリとも動かなかったが、浅く呼吸をしていた。気絶しているようだ。

「悪いが、ちょっと

 まずはフェルナールの身体に触れて、ステータスを表示。


★ ★ ★

対象=フェルナール

▽基礎能力値

器用度=18 敏捷度=19

知力=20 筋力=18

HP=0/21(気絶) MP=16/22

▽基本スキル

ハリア王国式剣術=6 ハリア制式槍術=8

騎乗(馬)=6 騎乗(竜)=8

パルネリア共通語=4 武具鑑定=4 ハリア王国式儀礼=3

白魔法(ディアソート)=2

▽特殊スキル

武芸百般=2 騎士の誓い=4 英雄の資質=3

※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

★ ★ ★


 さすがは王国最強の一角。凄いステータスだ。

「〈騎乗(竜)=8〉をコピー。空きスロットにペースト!」

了解コピー。コピーしたスキルを空きスロットにペーストしました』

「よし、あとはあいつだ!」

 俺は次に瓦礫に半分埋まりかけているフェルナールの飛竜に近寄り、背中の鞍を外した。かなりデカいが、思ったよりも簡単な構造をしてくれていて助かった。

 必要なものを借り終えると、俺は急いでリリアのもとにもどり、身体に触れた。

「待たせたな! ちょっと首と身体を下げて、こいつを着けさせてくれ」

『無茶です! エイジさん、竜に乗ったことなんかないでしょう!』

「無茶だっていうなら、竜になりたてのリリアが一人で戦うのも無茶ってもんだろ。大丈夫、俺はお手本になる人さえいれば、なんでもできるんだ。俺を信じろ」

 リリアは一瞬ためらう様子を見せたが、俺がもう一度「信じてくれ」と言うと、黙って姿勢を低くした。

「さあ、これが最後の戦いだ。俺たちは誰にも負けない!」

 鞍を取り付けながら、俺は半ばリリアに、半ば自分自身に言い聞かせるように語りかける。

「ともに戦おう、リリア。俺たちの未来のために!」

 俺はリリアの首の根元に取り付けた鞍に飛び乗った。

 身体をしっかりとベルトで固定し、手綱を握り、両足でリリアの首を挟む。

「よし、行こう!」

『はい! 落ちないように気を付けてくださいね!』

「任せとけって」

 リリアが白銀の羽を大きく羽ばたかせる。地面に溜まった水が風圧で吹き飛び、しぶきを上げた。

『いきます!』

 リリアはしだいに羽の動きをを早めていく。五回ほど羽ばたいたところで、腰の辺りにふわっとした感覚があった。

 不思議な感覚だった。まるでエスカレーターに乗っているかのように、徐々に自分の身体が空へとせり上がっていくのを感じる。空を飛ぶって、こういう感覚なのか!

 視線を上に向けると、数十メートル上空に、屍竜の忌々しい姿があった。さきほどリリアが与えた傷は、あらかた治ってしまったようだ。

 ヤツはゆっくりと旋回ながら、こちらを警戒している。さきほどまでの暴れっぷりがウソのようだった。屍竜には知性などなさそうだが、きっとヤツの本能がリリアの存在を危険だと察知しているのだろう。

「リリア、ヤツと同じ高さまで上がろう! 下向きにブレスを吐かれたら街に被害が出る」

『了解です!』

 風雨をものともせず、力強く羽を動かしてリリアが飛ぶ。鞍を通して伝わってくる、リリアの筋肉の躍動が心地良かった。

「戦い方は任せる! 魔法攻撃で援護するから、好き勝手にやってくれ!」

『また無茶をしないでくださいよ!』

「安心しろ。無茶をするのにも慣れてきた。今度は、いきなり気絶するようなことにはならないさ。気を付けろ、来るぞ!」

「ゴルオオアァァァア!」

 同じ高さまで上昇してきた俺たちめがけて、屍竜が襲いかかってきた。

「避けろ、リリア!」

 飛来する漆黒の巨大な質量。リリアは身体を傾けて揚力を殺し、高度を落とす。俺の頭上数メートルを、屍竜の巨体とあぎとが通り過ぎていった。凄まじい突風が俺の前髪とマントを跳ね上げた。

 屍竜の攻撃を回避したリリアは、その場で大きく羽ばたいて宙返り。翼を畳みながら錐もみし、身体の上下を入れ替えた。絶叫マシンやジェットコースター顔負けの曲芸飛行だが、竜騎士の騎乗スキルを身につけた俺の三半規管はビクともしない。

『エイジさん、平気ですか!?』

「ああ、余裕だ! 俺のことは気にするな。全力でいけ!」

『はい!』

 俺への信頼がにじみ出てくる返事に、胸が熱くなった。借り物の能力で粋がっているのは、気恥ずかしくはあったけど。

 風雨を切り裂いてリリアが飛ぶ。遠くから大きな雷鳴が聞こえたが、いまの俺たちはそんなものにひるみはしない。

 飛行スピードは屍竜よりもリリアのほうがだいぶ早いようだった。瞬く間に俺たちは屍竜の背後を取った。

『撃ちます!』

 リリアがあぎとを開く、口腔内に白い光が満ちる。

 光に気がついた屍竜が、旋回して射線を逃れようとしたが——。

「逃がすか! 〈我が内なる力よ、荒れ狂う雷光となれ〉!」

 魔力増幅の腕輪で増幅された〈雷光〉の魔法が屍竜の身体を包み込む!

『グギョルアウアアァァアアアア!!』

「いまだリリア! ぶっ放せ!」

「ピイイィィィィイイイイイイ!」

 リリアの口から、甲高い咆哮と白銀のブレスがほとばしる!

 熱線は屍竜の身体の下半分を吹き飛ばしたが、それでもヤツは動くのをやめなかった。ブレスで灼かれた傷跡が、ボコボコと沸騰するように沸き、漆黒の肉が盛り上がっていく。冗談みたいな生命力だ。

『そんな……全力の一撃だったのに……!』

「まだだ! どんどんぶっ放すぞ! 〈我が内なる力よ、氷の乙女の息吹となりて、の者に永劫の静寂を!〉」

 雷撃があまり効かないのなら、別の方法を試すまでだ!

 俺の放った〈氷結〉の魔法は、屍竜の周囲の大気を凍らせ、再生しかけていた肉の蠢動を押しとどめようとする。

 だが——。

「キシャラアアァァアアアア!!」

 屍竜は身をよじり、鋭い爪の生えた前足で、凍りかけた自分の身体を粉砕した。なんてヤツだ! めちゃくちゃ過ぎる。これが〈終末の竜〉の力か!

「ピャアアァァアアアアア!」

 リリアが再び全力のブレスを吐きかけ、屍竜の首を吹き飛ばした。しかし、ヤツの身体は瞬時にして再生を始めてしまう……!

『こんなの……どうすれば……!』

 二度の全力攻撃をもってもトドメを刺しきれなかったのがショックだったのか、リリアの心の声には苦渋と戸惑いがにじんでいた。俺の足から伝わってくるリリアの体温が、かなり上昇しているように感じられた。

「クソ、無尽蔵の生命力か……!」

 あんなもんに付き合っていたら、俺たちのほうが先に力尽きてしまう……!

 何か策はないのか。無尽蔵の体力に対向するための力。あのバカげた再生能力を上回る、強力な破壊の力があれば……。

「!」

 そのとき、俺の頭に一つの疑念が浮かんだ。

「無尽蔵の、生命力……!」

 さっき屍竜のブレスを喰らいかけたとき、俺は身体にかなりのダメージを負ったはずだ。元から疲労でへろへろだったのに、吹っ飛ばされて身体を強く打った。普通なら、気絶しててもおかしくないはずだ。

 なのに、あのあと俺は元気に立ち上がり、いまもこうやってピンピンして戦っている——何かが不自然だと思った。

 リリアを殺されたと思い込んで、火事場の馬鹿力かアドレナリンの力で復活したんだろうと考えようとしたが、そんなご都合主義なことがあるだろうか?

 明らかに不自然だ。

 ——そう、

 なにか原因があるはずだ——そう思った瞬間、

「まさか!」

俺は自分のマントを跳ね上げて、

「こいつが、俺を回復させていたのか……!」

 俺の胸元には、リリアが吐きだしたのだ。

 思えば、ブレスで吹っ飛ばされたとき、俺はうつぶせで倒れていた。あのとき、服に付着したこの薬が胸に押し当てられ、傷を癒やしてくれたのだろう。

 もし、こいつの効果がまだ残っているのだとしたら——!

「〈コピー&ペースト〉! 俺のうちなる謎の声! 聞こえているか!」

 推測が頭の中で中で固まった瞬間、俺は無意識に叫んでいた。

 俺の呼びかけに、謎の声がいつもの調子で応じる。

『お呼びでしょうか?』

「これからアイテムのコピーを行う! 俺の服に付着した緑色の薬品——こいつの持つ〈回復〉の性質をコピーしろ! できるか!?」

『肉体と薬品の接触を確認しました。薬品の持つ〈超回復〉性質をコピーしました。ペーストする対象を選んでください』

 よし、ここまではOKだ。あとは次の命令が通るかどうか。

 ここが勝負の分かれ目だぞ……!

『ペーストする対象には、あなたの肉体と接触しているものを選択してください』

「対象は——  やれるか!? どうだ!」

 俺は気合いの声を張り上げる!

「俺たちを勝たせろ、〈コピー&ペースト〉! お前の力を見せてみろ!」

 その瞬間——返事を待つ一瞬の間に、俺は全身の細胞が沸き立つのを感じた。

 魔力増幅の腕輪で消耗した体力が、みるみるうちに回復していく——!

了解コピー。以後、あなたの身体に流れるすべての雨水に、〈超回復〉の性質をコピーします』

 ハイテンションな俺とは正反対に、憎らしいほど冷静な声色。

『張本エイジ。わたしは、わたしに出来ることをやりました』

「おお、サンキュー! やるじゃねえか! おーい、リリア! いまから俺たちの体力は無尽蔵だ!」

『エイジさん、何をやったんですか!? 急に身体から力がみなぎって……。って、それより誰と話をしているんですか!?』

「俺の友達だよ。心強い味方さ! 詳しいことはあとで説明する! 行くぞ、最後の仕上げだ!」

『はい! わたしはエイジさんを信じます! そのお友達も!』

 リリアの力強い返事に、俺は小さくうなずく。

『わたしに出来るのはここまでです。あとは、あなたたち次第。勝ってください。それがあなたの役目です』

 俺の頭に響いた声は、心なしか弾んでいるようだった。

「いっくぞおおおおおおおおおお!」

「ピイイイィィィイイイヤァァァアァ!」

 俺の気合いの声に、リリアの叫びが唱和する。

「〈我が内なる力よ、荒れ狂う雷光となれ〉! うおおおおおおおおおお!」

「ギャ、ルグオォォ、ァオアオ、アオア、オアオオ、アアアアア!」

 凄まじい閃光とともに、いかづちの奔流が屍竜の全身を包み込む!

 屍竜の肉が沸騰したように弾け、タールのような黒い液体が血のように吹き出す。苦悶の叫びを上げる口は極限まで開かれ、白く濁った目玉が飛び出さんばかりに膨れあがった。

 そんな状態になっても、屍竜は手足をばたつかせ、雷の嵐から逃れようともがく。

 だが、逃しはしない!

「うおおおおおお! ま、だ、まだああぁぁぁああああッ! 〈我が内なる力よ、荒れ狂う雷光となれ〉!」

 魔力増幅の腕輪に嵌められた宝玉が、目を眩ませる光を放ち、凄まじい勢いで俺の生命力を吸い上げ、魔力へと変換していく。

 全身の肉がそげ落ちるような疲労感が俺を襲い、すぐさま〈超回復〉が付与された雨水が疲労感を吹き飛ばしていく。

 疲労と回復、死への加速と生への回帰——相反する感覚が体内で荒れ狂い、脳がパニックに陥りそうになる。

 だが、ここからが正念場だ!

「ピイイィィィイイイ………………!」

 俺が屍竜を押さえ込み、ヤツの生命力を削り取っていく間に、リリアは口腔内に魔力を蓄えていく。

 限界を超えた、最大の一撃を放つために——!

「お、お、おおおおおおお……っ!」

 俺は体内の魔力をコントロールし、〈雷光〉の魔法を維持しながら、別の魔法を放つべく魔力を練り上げていく。

「〈ここに集え、叡智の光。光の矢となりて敵を撃て〉、〈ここに集え、叡智の光。光の矢となりて敵を撃て〉、〈ここに集え、叡智の光。光の矢となりて敵を撃て〉……! おおおおおおおっ!」

 天にかざした俺のてのひらから、光の矢が次々と飛び出し、雷のおりに包まれた屍竜を取り囲んだ。その数は百以上……!

「これで、お前に……逃げ場は、ない……っ!」

「ピイィィィィィィ———————!」

 リリアの魔力が最高潮に高まったのを感じた瞬間——俺は〈雷光〉の効果を解いた。

「いまだ、リリア!」

「———————ヤアアアアァァァァァァアアア!!」

 リリアの口から放たれた白銀の光は、氾濫した濁流のようにうねりながら、屍竜の身体全体を飲み込んだ。

「ギャ……ゴ……オ……オ……!」

 光のブレスは屍竜の悲鳴すら飲み込み、その身体を細かい肉片へと変えていく。

「行け!」

 俺の号令とともに〈光の矢〉が宙を乱舞し、飛び散った肉片をことごとく撃ち抜いた。

 そして、すべての肉片が無に帰した後——。

「あれが、本体——力の核か……!」

 空中に、赤く輝く宝玉が姿を現した。人間の頭ほどもあるそれは、まるで生きている心臓のように強く脈動していた。 

「〈魔法王の名において汝に命じる。天より降りし雷神の裔すえよ。地を灼き鉄を溶かす息吹もて知られる竜よ。灼熱せよ、咆吼せよ、蹂躙せよ——〉」

 俺の詠唱を聞いたリリアが、翼を羽ばたかせて宝玉へと迫る。

「〈汝が力の解放を許す。汝の名は、殲竜バルデモート〉!」

 合言葉の完成とともに、俺の手に握られた魔剣が真の姿を現した。

「——終わりだ」

 すれ違いざまに、炎の剣で宝玉を切り裂く。

「俺たちの——」

 両断された屍竜の核は、赤から薄墨色へと姿を変え——。

「——勝ちだ!」

 灰となって崩れ、降りしきる雨の中へと消えていった。

『終わり……ましたね……』

 心の声とともに、リリアの安堵が身体を通して伝わってくる。

 リリアはゆっくりと翼を動かし、その場で旋回した。

「ああ……」

 俺は息を長く吐きながら、視線を空のかなたへと移した。

 遠くの空で、雨雲の切れ間から光が差しているのが見えた。

 もうじき雨は止むだろう——そう思った。



 バロワの街全体から、歓声のようなどよめきが上がった。

 その響きを耳ではなく身体全体で感じながら、俺たちはしばしバロワ上空をぐるぐると飛び回った。

 下を見れば、屍竜の消失とともに魔獣たちも力を失ったようだった。

 街の外壁に殺到していた魔獣たちが形を失い、崩れてくのが見えた。下の魔獣たちに力を供給し、統率を取っていたのは屍竜だったということなのだろう。

 だとすれば、街中に入り込んだ魔獣たちもいまごろ崩れ散っているはずだ。

 バロワの街を襲う悪意は、ここに終焉を迎えたのだ。

 北門の上空を通り過ぎたとき、大勢の人がこちらに手を振っているのに気がついた。

 暗くて距離があるのでハッキリ見えないが、集団の中心には一際大柄な男が立っているのが分かる。男の傍らには、遠目にも鮮やかな赤髪の人物が立っている。

 北門の門扉は半壊寸前だったが、打ち破られてはいなかった。ザックとイリーナの率いるマルセリス戦士団は、見事に務めを果たしたのだ。

『街の心配はしなくてよさそうですね』

 俺の心に、安堵の色を含んだリリアの声が響く。

「ああ、きみのおかげだ。リリア」

 白銀の鱗に覆われた首筋を撫でると、てのひらからリリアの喜びの感情が伝わってきた。

『いいえ、エイジさん。わたしの力ではありません。すべては、わたしを導いてくれたエイジさん——そしてお母様の愛のおかげです』

 お母様——その言葉を発したときのリリアの声は高揚していて、どこか誇らしげだった。

「お母様って、フローネアさんのことがなんか分かったのか? リリアがこうなったのは、お母さんが助けてくれたってこと?」

『はい。わたしが竜の力を扱えたのは、この身に半分流れるお母様の血。もう半分は、お母様が残した——』

 リリアが最後まで語り終わらないうちに、彼女の身体が淡い光を放ちはじめた。

「これは……!?」

 俺の目の前で、竜と化したリリアの身体が光を放ちながら縮んでいく。

『うふふっ、竜の力が解けかけているんです。でも、急に落ちたりはしないので安心してください』

 俺の目の前で、リリアの身体が竜の形から人の形へと戻っていく。

 リリアから抜け出した光が膜となり、泡のよう俺たちを包み込んだ。泡は俺たちを覆ったまま、ゆっくりと地面に落下していく。

「エイジさん!」

 完全に人間の姿に戻ったリリアが、生まれたままの姿で俺に抱きついてきた。

 服越しでリリアの身体の柔らかさと体温を感じると、次第に勝利の実感が湧きあがってきた。

 俺が両手をリリアの背中に回して強く抱きしめると、リリアも負けじと腕の力を強めてきた。

「……!」

 不意に視界が暗くなり、唇に柔らかいものが触れるのを感じた。

 リリアが俺に口づけをしてきたのだと理解できたのは、それから数秒経ってのことである。

 俺は血流で顔が爆発しそうになるのに耐えながら、リリアのスキル欄で赤く輝いていた〈フローネアの記憶〉をコピーし、役目を終えた〈騎乗(竜)〉の上に貼り付けた。

 他人の記憶と書かれたスキルをコピーするのは、勝手に心の中を覗くようで後ろめたくはあった。しかし、これからリリアといっしょに暮らしていくためには、見ておかねばならない気がした。

 リリアの唇を通して、熱が流れ込んでくる。

 それと同時に、俺の頭の中に、見たこともない風景が浮かび上がってきた。

 その場所がどこかは分からない。

 暗く、深い森の中。こけむした巨木が鬱蒼と立ち並ぶ森の中を、——いや、俺がいま見ている記憶の持ち主が歩いている。朽ち葉に足を取られないようしっかりと、それでいて軽やかな歩調で。森の中を歩き慣れているのだろう。

 しばらく行くと、少し開けた場所に出た。円形の草むらだ。

 そこに木々はなく、代わりにドーム状の小さな建物があった。磨き上げられた大理石のような表面は、ところどころ苔が覆っている。

 俺の意識が取り憑いている人物——きっとフローネアさんだろう——が手をかざすと、ドームの壁の一部がシャッターのように開いた。

 まるでSF映画だ。おそらく魔法で動いているのだろう。

「ただいま」

 リリアにそっくりな声が、真っ暗な建物の中に響く。

 すると、暗闇の奥から低い男の声で「遅かったな」と返事があった。

「また、外の世界を見に行っていたのか」

 不機嫌そうな声だったが、フローネアさんは意に介した様子もなく「ええ」と明るく答えた。

「隠れ里の外には、出なかっただろうな?」

「父さんは心配性ね」

「お前の身を案じているからだ。掟を破れば、お前は二度とこの里には戻れない。里を離れれば、お前の身に——」

「古き邪神たちの呪いが降りかかるだろう、でしょ?」

「そうだ。神話の時代に父祖が受けた呪いは、いまだ我らの血の中でうごめいている。ひとたび呪いが発現すれば、我ら神聖竜の力をもってしても、それを抑えるのは容易ではない。お前は竜としての尊厳を失い、竜の子を成すこともなく、惨たらしく死ぬだろう」

「ああ! 怖い!」

 フローネアさんはおどけたように笑った。

「神様ってしつこいのね!」

「我らは、古き邪神に付き従いし六十六の陪神、そのすべてを焼き殺した。いかに下級の神とは言え、神は神。死の間際に残した呪いの力は強大だ。万代の年月を経ても、その力はいまだ弱まらぬ。我らが生きながらえたのは、竜の身を封じて人の形を取り、創造主たるディアソート様と、その妹君たるアルザード様が与えたもうた結界に住まうがゆえ。それらの一つでも欠けていれば、我らはとうに滅んでおろうよ」

「ディアソート様たちはケチね。こんな隠れ里を作るくらいなら、呪いを消してくれれば良かったのに。偉い神様なんだから、それくらいできそうなものなのに」

「フローネア、我が愛しき娘よ。以前にも言ったはずだが、それはできぬのだ。天上の神々と、このパルネリアの大地が交わした約定によってな」

 フローネアさんは「ふうん」とつまらなそうな声を発した。暗闇の中にいる彼女の父は、深く嘆息する。

「……努々ゆめゆめ、外の世界に出ようと思わぬことだ。この里に残り、子を成し、呪いが解ける日まで血脈を繋ぐ。宿。それがディアソート様ご兄妹が、我ら一族にお与えになった使命である」

「はいはい。ほんと神様たちって勝手ね」

 不満げに言うと、フローネアさんはくるりと身を翻し、建物の外側に目を向けた。

 視界に入ってくるのは、鬱蒼とした森。それはひどく寂しげで、陰鬱な気分にさせられる風景だった。

 フローネアさんは顔を上げ、空を見た。

 寒々とした灰色の空を、鳥たちが群を成してが飛んでゆく。渡り鳥だろうか。

「わたしは……」

 そう呟いた瞬間、鳥の行き先を見送るフローネアさんの視界に、ノイズのようなものが入った。俺が読み取った彼女の記憶の断片が、ここで終わろうとしているのだ。

「……外の……自由に……」

 ひび割れた声とともに、俺の意識は闇に包まれた。

 そして暗闇の中で、俺は声を聞いた。

『リリア、幸せになりなさい』

 それはきっと、さっきの記憶よりずっと後に残された言葉。

『わたしは、わたしの一族のためではなく、あなたのために剣を残します。この剣で、あなたの未来を切り開きなさい。あなたの未来には、多くの苦難が待っていることでしょう。でも、わたしは信じています。あなたはそれを乗り越えられると。わたしとグローデル様のように……』

 それは苦しげだが、優しい響きを持った声だった。

『どうか幸せになって、わたしの可愛いリリア』





[エピローグ1]そして竜は羽ばたく


「なあ、フェルナール。荷物はここに入れれば良いのか?」

「ああ。適当に放り込んでくれれば大丈夫だ。壊れ物は入れるなよ。揺れるからな」

「だとさ、リリア。壊れて困る物は入れてないよな?」

「はい、エイジさん。ジーベン! そっちの袋をとって」

「かしこまりました、リリア様」

 屍竜との戦いから、一週間が経った。

 俺はバロワ近郊の草原にやってきていた。同行しているのはリリアとフェルナール、ジーベンさん、そしてフェルナールの飛竜である。

 俺たちは飛竜の背中に取り付けられた荷台に、荷物を押し込んでいるところだ。

「これで全部だ。積み終わったぞ」

 俺が声をかけると、フェルナールは荷台の様子を一瞥し、「大丈夫だ」というように軽く手を上げてみせた。

「では、参ろうか。かさばる荷物と道中の安全は私に任せてくれ。王都ハリアベルまでは馬車で六日ほど。少々時間がかかるが、我慢してくれよ。竜に乗れば半日もかからないのだが、ここにいる全員を乗せるのは、さすがに危険だからな。姫様にもしものことがあってはいけない」

「もちろんでございます。なに、の護衛はこの老骨めにお任せあれ。フェルナール殿には哨戒をお頼みいたします」

「心得た」

 ルアーユ教団によって蘇った屍竜とその眷属たち。やつらの襲撃は、バロワの街に大きな被害をもたらした。

 屍竜と魔獣たちの消滅が確認されると、バロワの領主——フェルナールの親父さんだ——は、事態の収拾へと動き出した。街中で起きていた戦闘と、それによる被害の把握だ。

 南の城門をはじめ、市街地のいくつかの建物がやつらによって破壊された。

 また城壁の防衛にあたっていた兵士たちには、二十名あまりの死者が出たという。バロワ城外での戦闘も含めると、少なくない数の兵士たちが命を落としたそうだ。死者の中に顔見知りはいなかったが、胸が締め付けられる思いがした。俺の手際が良ければ、数人は死者を減らせたのではないか……。

 不幸中の幸いだったのが、冒険者を含むバロワ市民たちに一人も犠牲者が出なかったことだ。

 怪物に立ち向かった冒険者や市民の中には、戦闘中に重傷を負った者もいたのだが、彼・彼女らは、により、を見せたのだという。

 別に意図してやったわけじゃないが、戦闘後に俺とリリアが上空を飛び回ったことで、何人かの命が救われ、けが人の治療に当たっていた医師や薬師、神官たちの負担は大きく軽減されたようだ。

 ちなみに、バロワ一帯に大雨を降らせていた雨雲は、屍竜が撃破されて間もなく、跡形もなく消え去った。もしかしたら、あの雨も屍竜の魔力が引き起こしたものだったのかもしれない。

 だとしたら、あの竜は間抜けなやつだ。雨さえなければ、俺たちは逆転できていなかったかもしれない。仮に逆転できたとしても、街にはより多くの犠牲が出ていたことだろう。

 まぁ、それはさておき。

 俺たちがいま何をしているのかといえば、ハリアの王都であるハリアベルに出立する準備である。

 ハリアベルに行く目的——それはリリアを、彼女の異母兄である国王に引き合わせることだった。

 屍竜を倒した後、俺とリリアはフェルナールの回復を待ち、南門を無事に守り通したジーベンさんも交えて、今後の身の振り方を議論した。

 その場ではまず、リリアがフェルナールとジーベンさんに、自分の身に起きたこととを語って聞かせた。

 母フローネアが神代の神聖竜の一族であったこと。フローネアさんと前王の出会い。リリアの誕生。そしてフローネアさんの死と、彼女がリリアのために残したもの。

 話を聞いたフェルナールは、信じられないといった顔で俺たちを見た。まぁ妥当な反応だな。

 対照的なのがジーベンさんで、「フローネア様が竜だったとは……。しかし、あのお方であれば不思議ではありませぬ」と呟き、遠くを見るような目をした。

 さて、問題だったのはその後。リリアをこれからどうするかについて。

 多くの市民が、竜に変化へんげした後のリリアの姿を目撃している。

 リリアが変身したところを目撃したのは俺だけだろうが、竜になったリリアの姿はフェルナールの竜とは似ても似つかない。いかに豪雨の中だったとはいえ、市民たちは「あの竜は何者で、どこから来たのだろう?」と不審に思うはずだ。

 真っ先にリリアが疑われることはないだろう。しかし、バウバロスがリリアのことを「竜の娘」と呼ぶのを聞いた人間は複数いる。いずれそれが噂になるかもしれない。

 もしリリアの素性が露見すれば厄介なことになる。

 リリアは半人半竜の存在であるだけではなく、ハリア前王の隠し子なのだ。もしこの二つがセットで発覚すれば、国を揺るがす騒動に発展しかねない。

 ちなみに、俺たちはリリアが人間に戻った後、もう一度竜の姿に戻れるかを試してみた。しかし、リリア自身も自分がどうやって竜に変身したのかを覚えていないようだった。剣に念を込めたりしてみたものの、再び竜に戻ることは出来なかった。

 とはいえ、リリアの身体に流れるフローネアさんの血が消えたわけではない。それは俺の〈コピー&ペースト〉で確認すれば明らかだった。

 それゆえに、今後の対応は慎重に行う必要があった。

 俺たちの持っている情報を総合すると、リリアが前王の隠し子だと知っているのは全部で六人。俺、リリア、ジーベンさん、フェルナール、現ハリア国王、そしていまは亡きリリアの両親だけである。

 ジーベンさんの話によると、前王は亡くなる直前、王太子——現国王にだけは、リリアの存在を伝えていたらしい。ただしフローネアさんの素性は教えず、「手厚く保護し、静かな生活を送らせるべし。いたずらに手を出せば国を巻き込む禍根となろう」と、ジーベンさん以外に口外することを禁じた。

 現国王はその遺訓を踏まえ、リリアの素性を探ろうとはしなかった。リリアが王家の血を引いていると知っているのはジーベンさんだけ。ならば藪をつついて蛇を出す必要はないと考えたのだろう。

 俺たちの話を聞いたフェルナールは、しばし考え込んだ末、リリアに尋ねた。

「リリア様は、今後どうしていきたいとお考えですか? その……漠然とした質問で恐縮ですが……」

「わたしは……。国王陛下——お兄様のご迷惑にならないようにしたいと思います。エイジさんや、ジーベン、フェルナール殿にも、心労をかけたくありません」

 そう答えてはみたものの、具体的なビジョンは浮かばないようだった。

 そりゃそうだ、当たり前の話だ。存在自体が爆弾みたいなものなのだから、リリアがどうしようと、何かしらのリスクは発生する。すぐに身の振り方を考えられるはずはない。

「エイジ、君はどう思う?」

「俺たちだけで対応できる問題じゃない。リリアの身体に流れるハリア王国の血と、竜の血。それらを悪用しようとする者からリリアを隠し、守るには、国王の協力が必要不可欠だ。国王にすべてを話し、協力を求めるべきだと思う」

 いや、「べき」ではなく、方法はそれしかないだろう。ただし、懸念もある。

「ジーベンさんとフェルナールは、国王の人柄をよく知っているんだろう? どういう人なんだ?」

 俺が気にしていたのは、国王の性格だった。果たして信用していい人物なのか。

 猜疑心が強いタイプなら、リリアの秘密を知れば、密かに亡き者にしようとするかもしれない。

 その場合は協力を申し出るにしても、情報の伝え方を熟慮しなければならない。

「ふむ……。陛下の人柄を評するのは不遜でございますが、あえて申し上げるならば英明にして無私。父君によく似ていらっしゃいます」

「それに加えて陛下は、公正と真実の守護者である主神ディアソートの敬虔な信徒であらせられる。神に祈り、奇跡を起こすほどの信心をお持ちだ。これで少しは安心できたかな、エイジ?」

 俺の懸念を見透かしたらしいフェルナールが、微笑みながら言った。

「ああ、十分だ」

 俺はリリアのほうを見た。あとは本人の意思次第だった。

 リリアは俺の視線をまっすぐ見つめ返し、大きく頷いた。

「お兄様にお会いして、すべてお話ししましょう」

 方針が決まると、フェルナールはすぐに対応に移った。

 まずは王都の国王へと伝書鳩を飛ばす。手紙の文面は「バロワの一件にて、内密にご相談したい儀あり。重大事にて、詳細はじかに拝謁して申し上げ候」とシンプルに。

 次にフェルナールは、父である領主に、「援軍として現れた白銀竜とその騎手は、自分の知悉する人物である。竜のことは国家の機密ゆえ、詳細は発表できない」と報告した。嘘ではないが、本当のことでもない。

 それに加えて、俺へのフォローも行われた。

 先の戦いでは、俺もかなり目立ってしまっている。街中でバンバン大魔法をぶっ放しているのだ。のちのち噂になるのは火を見るよりも明らかだ。

 そこで、フェルナールは「エイジは自分が招いた客人、異邦の賢者である。ゆえあって一時的に記憶を失い、リリア殿に保護されていた。このたび無事に記憶を取り戻し、バロワ防衛に協力してくれた。ついては、保護者であるリリア殿とともに王都に招き、労をねぎらいたい」と父に報告した。

 こっちの説明にはだいぶ嘘が混じっているが、うまく俺をダシにしてリリアを王都に連れて行く口実を作った形だ。

 ……という打ち合わせが行われたのが一週間前のこと。

 そしていま、俺たちは王都ハリアベルに向けて旅立とうとしている。

「さて、私は先に行くとしよう。竜がいると、馬が怖がるからな」

 バロワの城門の方角へ目を向けたフェルナールが、飛竜の首を軽く叩いた。竜は「グルル」と喉を鳴らし、主を乗せるために首を下げる。

 フェルナールの視線の先には、こちらに向かって駆けてくる馬車があった。俺たちを王都へと運ぶための馬車だ。

 手配をしてくれた満月さんによれば最高級の馬車だそうだ。四頭立てのそいつは車体が大きく、作りも頑丈そうだった。

 馬車の両脇には、二頭の馬が併走していた。馬上には、大柄な男と赤毛の女が乗っている。

「おおおーーーーい!」

 大柄な男——ザックが、俺たちに手を振りながら、大声で叫んだ。。

「オレたちもついていくぜ! センセ、護衛が必要だろ!」

「あいつ、どういうつもりだ……」

 俺の呟きを聞いて、リリアがクスリと笑った。

「ちょうど王都に行く用事があったんだ! タダで付き合ってやるぜ! センセには世話になったからな!」

「——と言っているが、どうする?」

 俺が一同の顔を見回すと、ジーヴェンさんとフェルナールは苦笑を浮かべ、リリアの顔を見た。

「わたしは構いませんよ。大勢のほうが楽しいですし」

 リリアはそう言って笑った。

「しかし、旅の途中で例の呪いが出たら……」

 俺がこっそり耳打ちすると、リリアは少し顔を赤らめて微笑を浮かべた。

「あの人たちになら、見られても恥ずかしくないですよ」

「いや、そういう問題じゃなくてだな……」

 こそこそ話をする俺たちに、ジーヴェンさんが鋭い眼光を向けてくる。突き刺さるような視線というのは、こういうものを言うのだろう。

「リリア様! 私はお先に参ります」

 俺たちの言い合いを遮ったのは、竜の鞍にまたががったフェルナールだった。

「少々ほこりが舞いますが、どうかご容赦を。ハッ!」

 フェルナールが手綱を操ると、竜は身体を起こし、静かに翼を動かしはじめた。

 ゆったりとした、それでいて力強い風が吹く。竜が羽ばたきを繰り返すと、小山のような巨体が宙に浮く。巻き起こる風は次第に強くなり、俺たちの髪の毛やマントを吹き上げた。

 竜は羽を打ち付けるように振り下ろし、空に向かって急上昇していく。

 俺たちは舞い散る土埃に目を細めながら、竜の姿を見送った。

「竜って、ああやって飛ぶんですね」

 遠ざかり、小さくなっていく竜の影を見ながら、リリアが感嘆の声を漏らした。

「わたしも空を飛んでいたと思うと、不思議な気分です」

「そりゃそうだろうな」

 俺はリリアを見た。つま先から全身まで。

 細く引き締まった、均整の取れた身体。この身体が巨大な竜に変化し、俺を乗せて飛んだんだよな。俺だって、いまだに現実感が湧かない。

「あまりじろじろ見ないでください」

「おっと、すまない」

 俺の不躾な視線に、リリアが顔を赤らめて微笑した。

「あの、エイジさん」

「なんだい?」

 リリアは「なんでもありません」と言って俺から視線を外すと、飛び去っていく竜に目を向けた。それに釣られて、俺も空を見る。

 てのひらほどの大きさになった竜が、暖かな陽光を浴びながら飛んでゆく。

「……また、いっしょに空を飛びたいなって、思ったんです」

 数秒の間を置いて、リリアが呟いた。

「そうだな」

 俺は空に顔を向けたまま返事をする。

「次は晴れていると日だといいな。雨の中でドンパチやるのはもうごめんだ」

 リリアはくすりと笑うと、俺の腕に自分の腕を絡めた。

「ええ」

 暖かい日差しとリリアの体温を感じながら、俺は未来を思い描く。

 俺の想像の中で、竜に変化したリリアが、雲一つない青空を飛んでいく。

 呪いからも、王家の隠し子だというややこしい出自からも解放されたリリアは、俺を背中に乗せ、自由気ままに羽を翻す。

 なにものにも縛られず、俺たちは飛んでいくのだ。

 きっと、どこまでも。





[エピローグ2]その道行きに祝福を


 以上をもって〈廃棄物〉張本エイジと、〈竜の娘〉リリア・フローネア・ハリアの物語は、第一幕を終える。

 これより語るは、次なる幕が開くまでの、須臾しゅゆの寸劇にして、幕間まくあいの余興。主演たる張本エイジも関知せぬ、一葉の挿話である。

 エイジたち一行がバロワをち、王都ハリアベルへと旅立った数日後のこと。

 パリネリア世界の地獄を統べる女神アルザードは、己が住まいである溶岩の島にて、一人哄笑していた。

「ハハハッ! いいぞ、〈廃棄物〉。愉快、愉快! ゆえ、不安に思うておったが、あたしの眼にくるいはなかった! 良いぞ、良いぞ! アハッ! アハハハッ!」

 溶岩が弾け、蒸気が燻るだけの灼熱の空間で、女神は独り声を上げて笑う。心の底から、楽しそうに。

 そのとき、赤く染まった地獄の空に、一条の白い光が差した。

 光は赤黒い暗雲を切り裂き、雲間から何者かが姿を現した。

 それは空を舞う羽根のようにゆるやかに、アルザードの玉座がある小島へと下りてくる。

「お久しゅうございます、叔母上。ご壮健で何より」

 地獄の女神の前に降り立ったのは、金色こんじきの鎧で全身を固めた、若い男であった。

 兜から除く顔は浅黒く、鎧と同じ金色の眉が凜々しい。日を浴びたサファイアのように光る青い瞳と、整いすぎた鼻梁、そして全身から発する淡い聖光は、男が下界の住人ではないことを雄弁に語っていた。

「しかし、いささかおたわむれが過ぎるのではありませぬかな?」

 男はそう言うと、口の端をわずかに上げた。アルザードはそれを見て、皮肉げに頬を歪める。

「わざわざ地獄まで下りてきて、あたしに何の用? マルセリス」

此度こたびのルアーユ再臨の一件です。お尋ねしますが、叔母上はかの不埒ふらちなルアーユ教徒どもが、大それた陰謀を巡らせていたこと、ご存じだったのでしょう?」 

 鎧姿の男——戦神マルセリスの口調は、有無を言わせぬものだった。

「叔母上は、我が父ディアソートも持ちえぬ力——未来を知る〈遠見の神眼〉で、ルアーユの再臨を感知なされたのでしょう? だから、異界より呼び寄せたあの者を差し向けた」

「それが何だというの、可愛い甥よ」

「それが何だ、ではございませぬ。ルアーユ復活は地上のみならず、神々われらにおいても一大事。なぜ教えてくださらなかったのですか」

 マルセリスの物言いに、アルザードは煩わしげに手を振った。

「教えれば、どうしたと?」

「知れたこと。我ら天界に住む七柱の大神。その信徒たちに神託を下ろし、ルアーユめの依り代と、やつを信奉する者どもを殄戮てんりくせしめます。いささか荒療治ではありますが、あれはそれほどの脅威です」

「痴れ者め! かような神託を下せば、地上は混乱のちまたと化す。人間どもは疑心暗鬼を生じ、無辜むこの同朋をも殺すだろう。その結果、大地を覆うは猜疑さいぎと憎悪。それこそルアーユの思う壺。殺戮さつりくで生じた膨大な陰の気はどうなるかしら?」

「それは……」

「——月へと昇り、ルアーユが力を取り戻す糧となる。ねえ、親愛なる我が甥よ。義勇と闘争の守護者たる戦神マルセリスよ。よもや、あの魔法文明が滅びた日のことを忘れたわけではないだろう? 真の一大事とは、あのような事態をいうものだ」

 マルセリスは黙って表情を殺したまま、アルザードの金色に輝く瞳を見据えた。

 アルザードが眼を細める。

「あの日、人間たちが犯した過ち。それを我ら神の声をもって再演するは、愚行の極み。だから、あたしは自分のやり方で世界を守る。お前たちとは違うやり方で、我が友、を——姿義姉上あねうえ


「……前にお会いしたのは五百年前でしたが、まったくお変わりありませんね。叔母上は」

 マルセリスが息を吐き、口の端を上げた。

「我ら世界の周縁たる天上にあって、地上を守護する七柱の大神。そして他の神域に住まう六十六柱の陪神ばいしん。いずれも人の祈りを聞かぬ者はおりませぬ。人が心から祈れば、奇跡の力を貸す。人の世に危機が迫れば、神託をもってこれを導く。それが神のありようです。月に封じられたルアーユでさえも、変わりはありませぬ。しかし、叔母上だけは違う。地上の祈りには一切耳を傾けず、異界の者を導き入れては地に放ち、騒ぎを起こさせる」

 マルセリスの長広舌に、アルザードはいらだたしげな様子を見せた。

「マルセリス、何度も言わせるんじゃない。誰が人間どもの祈りなど聞いてやるものか! それがあたしの復讐。我が親愛なる友にして義姉であるパルネリアの犠牲を知らず、のうのうと生きている、恩知らずな人間どもへのささやかな意趣返し」

「……そして、女神パルネリアが生み出した最後の眷属たる人間に注ぐ、なけなしの憐憫れんびんである、でしたか」

「なんだ、よく覚えているじゃない」

 からかうような口調だった。マルセリスは短く嘆息すると、額に指を当てた。

「話を戻しましょう」

 戦神は峻厳な面持ちで言った。

「叔母上のやり方については、ひとまずきましょう。この不肖ふしょうの甥が気になっているのは、あの男——叔母上のいにならえば〈廃棄物〉——が持つ能力です。危ういと感じました。あの力が増せば、。いま一度申し上げます。あの力は、危うい」

「何を言うかと思えばそんなこと。マルセリス、

「叔母上……! あの男の力、いまは父上も見過ごしておいでです。しかし、お気づきになられれば、必ず——」

兄者ディアソートは慌てるかな、クク……ハハハッ!」

 アルザードは楽しそうに喉を鳴らした。

 唖然とするマルセリスをよそに、アルザードの笑いは次第に大きくなっていく。

「フ、フハハ、アーハッハッハッハ! さぞや見物みものであろう!」

「笑い事ではございませぬ。父上なら天界より手を下し、あの男を誅滅ちゅうめつしようとなさるでしょう。我らは女神パルネリアとの約定やくじょうにより、人の祈りにらず地上に降りることはかないませぬ。されど、父上なら天上より神罰の光を降らせ、人一人あやめるなど造作もないこと。あの男は自分のとがにすら気付かず死ぬ。それは哀れです」

「ハハっ! お前もあの〈廃棄物〉に肩入れするのか? だが、それは要らぬ心配だ。兄者は手出しできない。あの男には、を与えてある。天界から落とす生ぬるい神罰などでは、毛ほどの傷もつけられまいよ」

「なんということを……」

「無論、兄者が自ら地上に出向いて力を振るうなら話は別だが、公正と真実の守護者たる兄者が、自らの伴侶はんりょと交わした約を破るなどありえない」

「自らの信徒に神託を下し、あの男を追い詰めるやもしれませぬ」

 アルザードは深紅の唇を釣り上げ、眼を細めた。

「兄者は堅物だが、愚物ではないよ、マルセリス。だが、もし兄者があの男の力に気付き、変な気を起こそうとしたら、あたしがこう言っていたと伝えるのだ。あの男は、次なる災厄との戦いに必要だと。ルアーユ再臨などとは比較にならぬ大災厄。それを打ち砕く武器の一つが、あの男なのだと」

 マルセリスは眼を大きく開き、叔母の顔を見た。

「叔母上……まさか、ほかにも何かのですか……?」

 戦神の問いかけに、地獄の女神は答えない。アルザードはただ、薄笑いを浮かべるだけだった。

「何を視たのですか!」

「言わぬ」

「なぜですか」

「あたしが視た光景が何なのか、あたしにも分からないからだ。〈遠見の神眼〉は全知にあらず。幾重にも重なりし未来の陽炎かげろう垣間見かいまみるもの」

「それでも、叔母上が視た最悪の光景はなにか、それくらいは言えるでしょう」

「言えぬ。それを言えば時の均衡は崩れ、災厄は大きく姿を変える。そうなれば、あたしの力でも捉えきれなくなる。次なる災厄は、そういう性質のものだ」

 以降、アルザードは固く口を閉ざした。

 二柱の神は、長い間黙ったまま互いを見つめ合っていた。先に根負けしたのはマルセリスだった。

「……仕方ありませぬ。叔母上を信じましょう。あなたは女神アルザード。誰よりも女神パルネリアを愛した者。パルネリアが姿を変えた、かの大地をいつくしむ者なれば。あなたはそうして、何度も世界を救ってきた」

 ため息にも似たその言葉を受けて、アルザードの眉が少し下がった。

 血塗られたような赤い唇が動く。

「その通り。あたしは〈復讐の女神〉。熱情と再起の守護者。つかさどるは過去への哀惜と、未来への希望。追憶の海の水底みなそこうずもれし激情の熾火おきびあおぎ、業火ごうかへと変ずる者——」

 アルザードは歌のような抑揚をつけながら、言葉を紡いでいく。

刺青しせいのごとく魂に刻まれた、昔日せきじつの痛苦を愛し慈しむ者。そして、嚮後きょうこう禍乱からんを砕く力を与える者」

 女神が小さく顎を上げ、金色の瞳が宙の一点を視た。

 いまのアルザードの瞳に、どのような景色が映っているのか。それは彼女以外、誰にも分からない。

「〈廃棄物〉よ、〈竜の娘〉よ。この女神アルザードが、お前たちの道行きを言祝ことほごう。お前たちの未来には、紛擾ふんじょうが待っている。波瀾はらんが構えている。心をえぐ艱難かんなんが。魂を刻む辛苦が。しかし、その先には必ずや栄光と至福があるだろう。歩みを止めるな、〈廃棄物〉。羽ばたきを止めるな、〈竜の娘〉。そして——」

 アルザードはそっとまぶたを閉じる。

 そしてゆっくり息を吸い込み、言葉とともに吐き出した。

「——そして、世界を救え」


                             [了]








[あとがき]


 こんにちは、こんばんは、おはようございます、はじめまして。

 作者の怪奇!殺人猫太郎です。「怪奇」が名字で、「殺人猫太郎」が名前、「!」は「つのだ☆ひろ」の「☆」です。『コピー&ペーストで成り上がる! 底辺講師の異世界英雄譚』、いかがでしたでしょうか。

 ここまでお付き合いいただいた方には感謝を。お楽しみいただけたら幸いです。

 あとがきから読む人たちは、あとがきを見終えたら、ブラウザバックして第一話から読んでいたいただけるとうれしいです。

 以下、あとがきらしく、制作裏話や、今後の展望について少し書いてみます。

 本作は、「小説を書くリハビリ」のつもりで書き始めました。

 昨年の春頃にちょっと病気をして、体力がひどく衰え、長い文章を書くのが億劫になっていたんですね。で、このままじゃまずいと思って、「とりあえず気楽に書ける小説を」と書き始めたのが本作です。

 そんなわけで、本作の基本コンセプトは「気楽に」です。

 作者は気楽に書けて、読者は気楽に読めるものを目指しました。毎日少しずつ気楽に更新し、肩肘張らない内容でいこう、というわけです。

 そこで、気楽に書くために邪魔なものを徹底的に排除していこうと思いました。

 最初に投げ捨てたのは、「良いものを書こう」という気負いです。

 頑張ろうとすると手が止まるので、とにかく頑張らない。無理に面白くしようとしない。淡々と自然体で手を動かす。

 その次に捨てたのがプロットです。

 緻密な構成や伏線なんか考えていたら、すぐに手が止まってしまいます。とにかく手を止めず、その場その場で面白げなことを書いていこう、と思いました。

 とはいうものの、完全に何も考えずに書いていくと、それはそれでたいへんです。

 そこで、いくつかのコスト軽減策を考えました。大きなものとしては、以下二つ。

 一つは、「作中に出てくるデータ(数値)類を、なじみ深いものにする」というもの。

 お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、本作のステータス表記は、某「国産TRPGの金字塔」作品に近いものになっています。

 そうすることで、自分の中でキャラクターのイメージを掴みやすくなり、そのキャラが出来ること・出来ないことを考えやすくなるんですね。

 ちなみにリリアの能力値は、どこぞの亡国の王子のステータスを、やや弱体化させたものです。エイジは灰色の魔女の器と、黒の導師の弟子の間を取ったような能力値ですね(各元ネタキャラの数値はうろ覚えだったのですが、あとで資料を見たら意外と合ってました)。

 もちろん、パクりになってはいけないので、スキルシステムなど、細部はかなり変えていますが。

 余談ですが、ザックやフェルナールが持つ〈英雄の資質〉は、「超英雄ポイント」が元ネタ。だいたいアレと同じ働きをするものと考えてください。

 それはさておき。

 もう一つのコスト軽減策は、「全体の分量をあらかじめ決めておく」です。

 今回はまず、「本一冊分(十万〜十二万文字くらい)くらいの分量を書く」ことを先に決め、作品全体の「波」——分量配分を意識することにしました。

 最初の一万文字でメインキャラの紹介をし、次の二万文字で主人公の目的(物語全体の目的と、最初に目指すべき小目標)を確定させる。次にこまごましたエピソードを経て、中盤の山場になる事件を起こし、九万文字までに解決。最後に大きな事件を起こし、十二万文字くらいに収める。

 これが当初意識していたプランでした。

 実際の文字数を見てみると、中盤までは意外とうまくいっているのが分かります。

 第一章の最終話である18話の時点で、28,829文字。ここでエイジの目標が固まります。

 中盤の山場となるバウバロスとの対決が終わるのが、第四章の最終話である59話。この時点での文字数は98,780でした。冗長な場面がいくつかあったこともあり、軽く一万字ほどオーバーしていますが、おおむね許容範囲です。

 ここまでは順調だったのですが、この先が大変でした。

 三章、四章を執筆していた期間は、ちょうど仕事が忙しかった時期でもあり、本当に先のことは何も考えずに書いていました。

 先のことも考えて新しい設定や、思わせぶりな用語を盛り込んでいかないと、という意識はあるんですが、魅力的な新設定を考える余裕がありませんでした。

 苦し紛れに〈竜の娘〉という言葉を盛り込んでみたのですが、それが何かはまったく考えていません。「星の聖剣」とか「直視の魔眼」のような、なんかぱっと見でカッコよさげな言葉を入れておこう、というノリで入れた言葉です。

 本作には、そういうノリ一発でばらまいた伏線モドキが大量にあるのですが、最終章ではそれらを全回収する作業が始まりました。

 一番の難物であるリリアの正体については、最終章に入る直前で構想はまとまっていたのですが、なにぶん説明しなければ(整合性をつけなければ)いけない事柄が多すぎる。

 それと並行して、最後の事件も進めていかなければいけません。さらに、これまで登場した脇役キャラにも、何か出番を与えなければと思いました(特にジール。当初の目論みほどは活躍させられなかったので、最終章にも何か見せ場が必要だと判断しました)。

 こうなるともう、書いても書いても終わりません。最大で十二万字くらいだと考えていたのに、気がつけば十五万字を突破。「三章、四章をもっとコンパクトにしておけば!」と後悔しながら手を動かし続けるハメになりました。

 この先改稿することがあれば、三章四章はガッツリ削りたいところです。村を経由せず、そのまま遺跡に突入で良いですよね、あそこは。

 そのぶん、リリアとのデートとかを入れた方が作品の完成度は上がりそうです。

 あと改稿するなら、フェルナールは序盤に顔見せさせておきたいです。

 本作、ストーリー展開はアドリブで決めているものの、登場キャラは最初にある程度決めていました。

 フェルナールは「領主の次男坊か三男坊。国の秘密任務を担っており、エイジの秘密を知った上で、なにかと手助けしてくれる」というキャラの予定で、かなり早い段階で登場させるつもりでした。

 しかしズルズルと出番が遅れ、最終章でやっと、竜騎士という後付け設定をひっさげての登場となりました。作者の構想内では最古参の一人なのに、とってつけたような登場になってしまったのが少し残念なんですよね。

 なお、初期構想にいたキャラは本編でほぼ全員使い切っているのですが、一人だけボツになったキャラがいます。「元娼婦の魔法使い。リリアにエロいことを吹き込む」という設定だったのですが、使いどころが難しく、彼女が担っていた役割はバーバラとイリーナに引き継がれていきます。

 最初はもっとエロに寄せた作品にするつもりだったので、リリアを抱けないエイジのために(文字通り)一肌脱いで、「処理係」を買って出るという役どころの予定でした(いろいろ挟んだりしゃぶったりするシーンがあるはずだった)。

 あと、連載中に考えついたものの、うまく本編に入りきらなかったネタの一部は、このあとがきの後のデータ集に入れてあるので、興味がある人は見てみてください。


 さてさて。

 あまり裏話を続けるのもアレなので、ひとまずはこのくらいにしておきます。

 以下は今後の展望。

 本作はこれにて「第一部・完」となりますが、第二部の構想はあまり考えていません。要望があったり、ポイントが伸びたり、なんか賞を取ったりすれば、続きを書くかもしれません。いや、書きたい気持ちはあるのですが、ほかの作品にも着手せねばならないので、優先順位の問題というか。

 もし続きを書くのなら、(なんとなくですが)エピローグの二年後くらいがいいかなあ、と考えています。

 エイジとリリアはいくつかの冒険を経てバロワに戻ってきており、学校を作っているはずです。

 その学校には、ジールやそのきょうだいたち、ロウミィやマリィ、スレンの弟などが通っています。次の物語の中心になるのは、きっとそういった子供たちです。

 美しく成長したジールをはじめとする子供たちは、興味本位で、ある事件に首を突っ込みます。しかし、それが世界を揺るがす大事件の端緒であったことが判明。

 子供たちと世界を救うため、エイジとリリア、そして〈コピー&ペースト〉が再び大いなる力に立ち向かう。女神アルザードが予知した世界の危機とは!?——とか、そういう話かなーと、なんとなく考えています。

 二年後だと、リリアの呪いはいくつか解除(上書き)されてそうですが、まだ全部は消えていないと思うんですよね。中でも最も強烈な〈不妊の呪い〉は確実に残っているはず。

 となると、「子供」をテーマにしたら、エモい内容になるんじゃないかなと。

 二年後はザックとイリーナは結婚してそうですし、赤ん坊が生まれていてもおかしくはありません。育児に追われる二人を見て、リリアがどんな感情を抱くかと考えると、いろんなアイデアが浮かんできそうです。

 ……と、思いつきを並べてみましたが、実際に書いてみたら全然違う話になるかもしれません。

 エイジとリリアの次なる物語がどういう形になるかは、女神アルザードの神眼をもってしても、完全に見通すことはできません。作者にも分かりませんが、たぶん世界を救うのでしょう。

 では、長くなりましたが、今日はこんなところで。

 また次の作品でお会いしましょう。





[付録データ集]


【キャラクターデータ集】


※第一部終了時のデータです。本編第一部のネタバレを含むことがあります。


●キャラクター名:張本エイジ


▽基礎能力値

器用度=12 敏捷度=14

知力=20 筋力=13

最大HP=18 最大MP=22


▽基本スキル

日本語=7 英語=3 中国語=3 パルネリア共通語=2

言語学知識=2 ハリア王国式剣術=2


▽特殊スキル

コピー&ペースト=5 女神の加護(アルザード)=10


▽ペースト用スロット(総スロット数=5)

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

パルネリア古代語=8 黒魔術=7

フローネアの記憶=2


▽主な使用武器:

・木の杖

・炎の剣(殲竜バルデモート)


 エイジは人死にを好まないため、普段は杖や木刀を使い、なるべく人を傷つけないような戦い方をします。

 自分や仲間の身に危機が迫っている場合のみ、バーバラから貸与された炎の剣を使用します。

 炎の剣は、古代魔法文明期に作られた魔道具です。通常時は刃のついていない剣の柄ですが、キーワードを唱えることで、高熱のエネルギー体が刀身の形で出現します。

 この剣には、古の魔法王と友であった炎の竜・バルデモートの力が封じられています。バルデモートは〈殲竜〉の渾名に反して温厚な竜であったと伝承に記されています。彼は自らの寿命を悟ったとき、魔法王に依頼し、自分の力の核を剣に埋め込んでもらいました。


▽備考:

 三十五歳。男性。日本人。本作の主人公。

 現代日本で、私立・天車てんしゃ学院大学の講師を務めていました。専門は日本文学(明治〜昭和初中期の通俗小説)。

 研究者としては平凡で、少子化・不況の中にあって、なんとか研究職にしがみついていられるのは、(本人は認めないものの)幸運であると言えます。

 若干口が悪く衝動的な性格ですが、善良で正義感の強い人間です。



●キャラクター名:リリアーネ・フローネア・ハリア


▽基礎能力値

器用度=19 敏捷度=21

知力=17 筋力=16

最大HP=16 最大MP=19


▽基本スキル

ハリア王国式剣術=7 パルネリア共通語=5

隠密=3 罠技術=1 武具鑑定=1 宝物鑑定=1

ハリア王国式儀礼=4 


▽特殊スキル

騎士の誓い=6 神聖竜の血統=5(固定)

淫蕩の呪い=4 不妊の呪い=10 不運の呪い=2

フローネアの記憶=3 竜の加護=5

女神の加護(アルザード)=10


▽主な使用武器:

・白銀の宝剣(フローネアの剣)


 リリアは、母フローネアの形見である宝剣を常に自身の傍らに置いています。

 宝剣にはフローネアが残した竜の力が封じられており、リリアの身体に流れる竜の血を覚醒するためのトリガーとして機能しますが、現時点のリリアは宝剣の力を自分の意思でコントロールすることができません。


▽備考:

 本作のヒロイン。女性。18歳。愛称は「リリア」。

 正体はハリア王国の前王グローデルと、神話の時代に邪悪な神々と戦った神聖竜の末裔フローネアの間に生まれた隠し子です。あまりにも特殊な生まれであるため、父グローデルにより、王国北部の古城で密かに育てられました。

 彼女が自分のフルネームを知るのは、第一部終盤のこと。それ以前は、自分の本名を知りませんでした。

 親代わりであった執事のジーヴェンに鍛えられ、剣の腕は超一流。ハリア王国でも、彼女に比肩する剣士はほとんどいないでしょう。

 温厚篤実、慈悲深い性格で、大の子供好き。聖人君子を絵に描いたような人物ですが、思い込みが激しいところがあります。



●キャラクター名:バーバラ・グレイ


▽基礎能力値

器用度=17 敏捷度=10

知力=22 筋力=7

最大HP=10 最大MP=20


▽基本スキル

パルネリア共通語=7 パルネリア古代語=8

黒魔術=7 植物知識=8 動物知識=6 罠知識=3 

狩猟弓術=2 南方短剣術=1


▽特殊スキル

魔力感知=5 魔法強化=5 遺失魔法=4

視力低下=9 ???=?? ???=??


▽主な使用武器:

・木の杖

・ナイフ


 高齢で目が不自由なため、自分で戦うことはほとんどありません。

 バーバラには、使い魔の狼犬ウォルフが護衛としてついており、彼女の身に危険が迫ったときはウォルフが戦います。ウォルフの正体は、ハリア王国南方の森で暮らしていた霊獣。数百年の時を生きています。


▽備考:

 六十八歳。女性。ハリア王国南方出身。

 歴史のある魔道士の家に生まれたバーバラは、少女時代から魔法の才能を開花させ、未来を嘱望されていました。ですが、隣国との戦争に巻き込まれて一家は離散。バーバラは生計を立てるべく、冒険者となります。

 その後、信頼できるパートナーを得たバーバラは冒険者として活躍し、ハリア王国に眠る古代遺跡の発掘を行い、巨万の富を築きました。しかし、ある遺跡の探索中に不慮の事故でパートナーを失い、冒険者を引退。その後はバロワの街で隠居暮らしを送っていました。若い頃の無理がたたって、十年ほど前から視力を失っています。

 外見は温厚そのものですが、冷徹な観察力を持っています。信頼した相手はとことん信頼しますが、そうでない相手には素っ気ない態度を取ることも多く、バロワの人々からは気難しい老人だと思われています。

 バーバラがエイジに授けた魔道具の一つ、炎の剣は、かつてバーバラのパートナーが使用していた武器です。

 


●キャラクター名:ジール


▽基礎能力値

器用度=16 敏捷度=17

知力=13 筋力=10

最大HP=12 最大MP=15


▽基本スキル

短剣術=2 盗賊体術=1 パルネリア共通語=2

罠知識=2 隠密=3 宝物知識=1


▽特殊スキル

なし


▽主な使用武器:

・ナイフ

・石、目潰し玉


 主要武器はナイフですが、体格で勝る相手には主に飛び道具を使用します。

 ジールの戦闘能力はまだ半人前です。


▽備考:

 十五歳。女性。ハリア王国西方出身。ふだんは男装をしているため、ジールの知り合いの中にも彼女が少女であることを知らない者もいます。

 ジールの両親は別の街で冒険者をしていましたが、任務の最中に行方不明になりました。身寄りがなかったジールは、やがてバロワに流れ着きます。

 バロワの街で、ジールは自分と同じような境遇の子供たちを束ねて生活しています。

 将来、リリアのような立派な剣士になり、行方不明になった両親を探し出すのがジールの夢です。



●キャラクター名:ザック


▽基礎能力値

器用度=13 敏捷度=16

知力=14 筋力=23

最大HP=22 最大MP=20


▽基本スキル

我流斧術=6 パルネリア共通語=2

我流格闘術=6 罠知識=4 薬草知識=2


▽特殊スキル

武芸百般=2 英雄の資質=4

毒抵抗=3 豪運=5


▽主な使用武器:

・戦斧

・素手


 主に斧を使用します。ザックの斧術は誰に習ったものではありません。数々の戦いの中で、彼自身が練り上げていった実践的な技術です。

 斧がないときは、周りに落ちているものすべてを利用して戦います。ザックの持つ〈武芸百般〉スキルは、あらゆる武器の特性を見抜く能力です。使ったことがない武器でも、一目見ればなんとなくの使い方が分かる、というわけです。


▽備考:

 二十九歳。男性。ハリア王国東部出身。

 ザックは貧しい農家の末っ子として生まれ、幼くして家族を流行病で亡くしました。その後は傭兵団に拾われ、彼らの仲間になります。生まれつき恵まれた体格を持っていた彼は、二十歳になる前に頭角を現しました。しかし、ある戦場で傭兵団は壊滅し、ザックだけが生き残ってしまいます。その後はさまざまな傭兵団を転々としました。

 どんな過酷な戦場にあっても運良く生き延びることから、いつからか〈悪運のザック〉という異名で呼ばれるようになりましたが、彼はその響きを気に入らず、〈豪運のザック〉と名乗るようになります。

 六年ほど前、任務の最中にイリーナと出会い、意気投合したことをきっかけに冒険者へと転身しました。

 粗にして野だが卑にあらずを地でいく性格で、傭兵稼業を長く続けていたにもかかわらず、素朴な善良さを持っています。



●キャラクター名:イリーナ・イスカ


▽基礎能力値

器用度=12 敏捷度=18

知力=15 筋力=17

最大HP=18 最大MP=19


▽基本スキル

マルセリス流戦闘術=5 パルネリア共通語=4

白魔法(マルセリス)=6 薬草知識=5

魔物知識=2 隠密=2


▽特殊スキル

戦神への誓い=4 英雄の随伴者(ザック)=3


▽主な使用武器:

・剣

・短槍

・戦槌


 イリーナが用いる〈マルセリス流戦闘術〉は徒手から剣、槍はおろか、弓などの飛び道具までをカバーした戦闘技術です。イリーナは主に剣と槍を用いて戦いますが、マルセリス神官専用魔法〈光の槌〉で生み出せる、魔力の戦槌(ハンマー)を使用することもあります。


▽備考:

 二十六歳。女性。ハリア王国南東部の少数民族出身。

 十代前半から出身地の村で自警団に参加し、武術の腕を磨いたイリーナは、十五歳のときにマルセリスの信仰に目覚めます。その後イリーナは王都ハリアベルの神殿に迎え入れられ、勉学と武術に励みました。一通りの訓練を終えた後は、国境付近の街に赴任し、駐留軍付きの神官として活動します。

 六年ほど前、当時傭兵だったザックと知り合ったイリーナは、ザックの中に英雄の資質を見いだします。やがて意気投合した二人は冒険者に転身。冒険者にとって「稼げる」場所であるバロワに拠点を定めました。バロワのマルセリス神殿に、正規の神官ではない客分として在籍しています。

 気っ風が良く、腕も立ち、面倒見が良い性格のため、若い神官たちには彼女を慕う者が多いのですが、性的に奔放なため、年長者の間での評判はあまり良くないようです。



●キャラクター名:フェルナール・ゼフ・ルード


▽基礎能力値

器用度=18 敏捷度=19

知力=20 筋力=18

最大HP=21 最大MP=22


▽基本スキル

ハリア王国式剣術=6 ハリア制式槍術=8

騎乗(馬)=6 騎乗(竜)=8

パルネリア共通語=4 武具鑑定=4 ハリア王国式儀礼=3

白魔法(ディアソート)=2


▽特殊スキル

武芸百般=2 騎士の誓い=4 英雄の資質=3


▽主な使用武器:

・短槍

・剣

・馬上槍

・竜


 地上で戦うときは主に槍を使用しますが、屋内の狭い空間では剣を使うこともあります。

 竜に乗って戦うときは、巨大な馬上槍(ランス)を使った突撃がメインになりますが、竜の操作に集中する(竜を戦わせた)ほうが効率が良いので、強敵以外に武器を使用することは稀です。


▽備考:

 二十八歳。男性。ハリア王国バロワ出身。ハリア王国に五人しかいない竜騎士の一人で、五人の中では最年少。

 フェルナールは、バロワ一帯を治める領主の次男として生まれました。少年時代から才気煥発だった彼は、自身が跡目争いの火種になることを恐れて、十五歳のときに実家を離れ、バロワのディアソート神殿に身を寄せました。俗世の栄達に興味がないことを示すためです。

 十八歳のとき、ディアソート神殿から下された魔物討伐の任務に就きます。ある地で、魔物が異常繁殖している原因を調査するのがフェルナールの仕事でした。

 任地に赴いたフェルナールは、そこで一頭の竜と出会います。竜は異常繁殖した魔物たちと住処を巡って争っていました。フェルナールは、魔物の近隣の古代遺跡の中に異常繁殖の原因があるのを突き止め、これを取り除きました。以降、竜はフェルナールはを友と認め、彼のパートナーになります。

 これに驚いた当時の国王(リリアの父・グローデル)は、フェルナールを国王直属として召し抱えることを決定します。以降、フェルナールは王家のために、さまざまな重要任務に就いています。



●キャラクター名:ジーヴェン


▽基礎能力値

器用度=22 敏捷度=21

知力=16 筋力=14

最大HP=15 最大MP=18


▽基本スキル

ハリア王国式剣術=8 ハリア王国制式槍術=6 短剣術=4

パルネリア共通語=5 パルネリア古代語=1 パルネリア東方語=3

隠密=6 罠技術=6 武具鑑定=5 宝物鑑定=3

植物知識=4 動物知識=4 ハリア王国式儀礼=6 


▽特殊スキル

なし


▽主な使用武器:

・剣


 主に剣を使用しますが、槍や長棒の腕前にも優れています。


▽備考:

 六十五歳。男性。ハリア王国の王都ハリアベル出身。

 ジーヴェンは、ハリア王国前王グローデルの乳兄弟です。幼いころから臣下として、また莫逆の友として、グローデルを影から支えました。歴史の表舞台には立たず、グローデルの密命を受けて数々の重要任務をこなしてきた人物です。

 二十数年前、フローネアがハリア北方の古城で暮らしはじめたのをきっかけに現役を退き、フローネアの執事になりました(護衛を兼ねる)。リリアが生まれ、フローネアが世を去った後は、親代わりとしてリリアに剣と学問を教えます。

 年老いたいまも剣の腕は衰えず、ハリア王国最強の一人と言えますが、彼の実力を知る者は現国王やフェルナール、リリアなどの数名にとどまります。



●キャラクター名:ロウミィ


▽基礎能力値

器用度=12 敏捷度=11

知力=16 筋力=9

最大HP=9 最大MP=16


▽基本スキル

パルネリア共通語=3 植物知識=1


▽特殊スキル

英雄の資質=1


▽主な使用武器:

なし


▽備考:

 十二歳。女性。ハリア王国バロワ出身。

 ロウミィは、織物を扱う小さな商店に生まれました。裕福ではありませんが、優しく思慮深い両親と、年の離れた兄に愛されて育ちました。

 利発で真面目な、優等生タイプの少女です。両親は勉学の道に進んでほしいと思っていますが、ちゃんとした学校に通わせる余裕がないため、リリアの開いた青空学級に通わせることになりました。青空学級では、ほかの子供たちの面倒をよく見ています。

 エイジに対して、淡い憧れのような感情を抱いていますが、エイジがそれに気付くことはないでしょう。


 第二部(第一部の二、三年後の話)をやるとしたら、重要キャラの一人になると思います。知識と書物の守護者、〈知神ロゼルス〉の信仰に目覚め、見習い神官をやっている……という設定になりそう。性格が正反対のジールとは、良いコンビになると思います。



●キャラクター名:バウバロス・デッカ


▽基礎能力値

器用度=10 敏捷度=11

知力=18 筋力=19

最大HP=22 最大MP=22


▽基本スキル

パルネリア共通語=3 パルネリア古代語=2

闇魔法(ルアーユ)=7 デッカ族剣術=5 南方短剣術=1

植物知識=5 動物知識=4 罠知識=5 隠密=5 


▽特殊スキル

暗殺=3 邪神の加護(ルアーユ)=3 精神支配=1


▽主な使用武器:

・剣


 出身部族に伝わる剣技を用いて、大振りの剣を振るいます。


▽備考:

 五十六歳。男性。ハリア王国南方の山岳系民族、デッカ族の出身。

 若い頃は気の良い青年でしたが、一族を襲った大災害で家族や恋人を亡くしたことをきっかけに、〈蛇神ルアーユ〉の教えに傾倒していきます。ハリア王国の支配を不当と唱える彼は、「災害の黒幕はハリア貴族である」と言って一族の生き残りを指嗾し、ハリア国内で無差別の破壊活動を行うようになります(第一部開始の三十年以上前の話です)。

 やがて数年後、彼の悪名はハリア王家の知るところとなりました。

 あるとき、当時のハリア王国第二王子グローデル(リリアの父)と腹心のジーヴェンは、バウバロスがアジトにしていた古代遺跡を突き止めました。二人は手勢を率いて急襲しますが、バウバロスはすんでのところで逃亡、姿をくらませた後でした。

 そのときグローデルがバウバロスのアジトで目にしたのは、黒魔法(古代魔法)を用いたおぞましい実験施設と、囚われた一人の少女でした。グローデルはジーヴェンにすら何も告げぬまま、自らの手で実験施設を破壊し、密かに少女を連れて帰りました。

 その後、バウバロスは隣国へと落ち延び、現地のルアーユ教徒と協力し、力を蓄えていきました。



【世界設定データ集01】神々について

(※第一部のネタバレを含みます)


 パルネリアには数多くの神が存在します。

 中でも有名で、多くの人々の信仰を集めているのが、パルネリア世界が生まれる以前から存在する〈天界の大神〉です。パルネリアの人々は、神々がどこから生まれ、どのように世界を創造したのかを知りません。


 現在、〈天界の大神〉の地位にあるのは〈主神ディアソート〉、〈戦神マルセリス〉、〈商神トルトパック〉、〈海神シーボルク〉、〈智神ロゼルス〉、〈風神ファーラルティ〉、〈火神ルードラ〉の七柱です。ディアソート、マルセリス、トルトパックは男神、シーボルク、ファーラルティ、ルードラは女神、ロゼルスは両性具有の存在だと言われています。

 大神たちは〈天界〉と呼ばれる異界から、パルネリアを見守っていますが、自らを信仰する人間から乞われない限りは、自分から力を行使することはありません。


 そのほかにも、〈陪神〉と呼ばれる力の弱い神が六十六柱存在します。〈陪神〉はパルネリア世界の〈周縁〉にある、さまざま異界に住んでいます。中には、人によこしまな神託を下す神も存在し、パルネアリアの人々からはそういった神を〈邪神〉と呼ぶこともあります。


 エイジをパルネリアに召喚した〈復讐の女神アルザード〉は、〈主神ディアソート〉の妹ですが、〈天界の大神〉にも〈陪神〉にも属さない特殊な神です。パルネリア世界の地獄に住み、独自の思惑で動いています。大神たちすら持ちえぬ、特別な力を有しているとされます。

 アルザードがほかと違い、絶対に地上の人間に力を貸しません。そのため、パルネリアの神学者の間でも謎に包まれた存在とされ、実在を疑う者や、邪神だと見なす者も少なくありません。


 神話の時代には、もっと多くの神が存在していました。しかし、〈蛇神ルアーユ〉が起こした反乱で、多くの神が封印、もしくは力を失って悠久の眠りに就くことになりました。


 以下は、主要な神々が司る概念の一覧です。


主神ディアソート(男神):公正、真実、正義

戦神マルセリス(男神):義勇、闘争、戦争

商神トルトパック(男神):幸運、蓄財、陸運

海神シーボルク(女神):慈愛、変化、海運

智神ロゼルス(両性具有の神):知識、学問、対話

風神ファーラルティ(女神):天候、農業、恋愛

火神ルードラ(女神):技術、発展、破壊

蛇神ルアーユ(男神):混沌、狂気、破滅

復讐の女神アルザード:追憶、惜別、時間

創世の女神パルネリア:創造、希望、空想



【世界設定データ集02】竜について

※第一部のネタバレを含みます。


 パルネリア世界において、神の次に強大な存在とされるのが竜です。

 現在パルネリアに生息している竜は、次の三種類に大別されます。


●神代竜

 パルネリアの大地が生まれる前に、神々によって創造された竜です。

 中でも〈神聖竜〉と呼ばれる、〈天界の大神〉によって造られた竜は飛び抜けて強い力を持ち、下位の〈陪神〉にも匹敵する力を持っています。

 〈神代竜〉の多くは、〈蛇神ルアーユ〉の反乱によって引き起こされた神々の大戦で命を落としました。生き残ったわずかな者は、世界の〈周縁〉や、地上の隠れ里に移り住み、身を隠して暮らしているといわれています。


※作中に登場した竜:フローネア


●古代竜

 パルネリア世界が創造されたあとから、古代魔法文明期にかけて、大地から自然発生的に生まれたのが古代竜です。〈神代竜〉には及びませんが、高い知性と戦闘力を持っています。

 魔法文明時代には数多くの古代竜が生息していましたが、文明の崩壊とともに多くの竜が死滅したといわれています。

 わずかな数ですが、現在でも〈古代竜〉は生き残っています。〈古代竜〉は人間の国一国をも滅ぼす力を持っていますが、基本的に自分から人間社会に関わってくることはありません。


※作中に登場した竜:イゾーム、バルデモート


●下位竜

 魔法文明期が崩壊したあとに生まれた、〈古代竜〉の子孫です。年齢によって能力の差が大きく、年を経たものは人語を話し、高位の白魔法や黒魔法を操ります。いずれも〈古代竜〉ほどの力はもっていませんが、人間にとっては国の存亡に関わるレベルの脅威です。

 〈古代竜〉同様、自分から人間社会に関わってくることはありません。


※作中に登場した竜:フェルムント(フェルナールの飛竜)





     ※※※※ 以上で本書の内容は終了です ※※※※

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コピー&ペーストで成り上がる! 底辺講師の異世界英雄譚 1[電子版] 怪奇!殺人猫太郎 @tateki_m

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