第173話 女神の姉妹

 公聖教会に掴まり……潜り込み、司祭との会談を終えたルリ。

 総本山である教会の案内をしてくれるというので、廊下で担当者を待っていた。


「ルリ様ですね。この度案内役を仰せつかりました、インリーと申します」


 一人の修道女が声を掛けてくる。

 如何にもシスターと言った感じの女性。頭までフードを被っているので、表情は読みにくいが、嫌らしさは感じない女性だった。


「ルリです。よろしくお願いします。それにしても、美しい教会ですね」


「はい。女神様の慈愛に満ち溢れてますので。ではまずは、大聖堂へ参りましょう」


 軽く社交辞令も混ぜつつ挨拶を終えると、インリーは歩き出した。ルリも後ろに続く。


 大聖堂は、公聖教会総本山の中心となる礼拝堂だ。

 1000人を超える神官が祈祷できる、巨大なホールになっている。


 間もなく日も暮れようという時間帯。

 今日の祈祷は終わったのか、人は誰もいない。

 ただ、正面には、大きな女神の像が祀られていた。



「あちらは?」

「女神デザイア様ですわ。あぁなんとお美しい……」


 インリーが女神に見惚れている間に、大聖堂の様子を探る。

 魔力を封じられているので見た目ではあるが、変わった様子はない。

 むしろ、女神アイリスと出会った森の泉や、ユニコーンの里の方が、余程神聖な場所に感じられた。


(本当に女神デザイアなんているのかしら?)


 罰当たりな事を考えながら、核心を突いて聞いてみる。

 そもそも、女神デザイアとは何者なのだろうかと……。


「この世界には、何人の女神様がいらっしゃるのですか?」

「何を言ってますの? 女神様は、デザイア様お一人です」

「以前、アイリス様という女神様の像を見た事があるのですが……?」

「何も知りませんのね。教えて差し上げますわ」


 事実、クローム王国の一部の教会では、今も女神アイリスを讃えている。

 他の国にも、それぞれ女神がいる可能性だってある。


 しかし、インリーは、女神は一人だと断言した。

 少なくとも、彼女はそう信じて疑わない様子である。


「約1000年前、この世界は生まれました。

 それ以前から魔物は蔓延っていたようですので、生まれ変わったというのが正解ですわ」


(そう言えば、1000年前に希望の溢れる世界を創ったとか何とか言ってたような……)


「世界を創ったのが、アイリスとデザイア様、女神の姉妹です。

 しかし、怠慢なアイリスは、早々に世界を放棄しました。今の、豊かな、慈愛に満ちた世界をお創りになったのは、妹のデザイア様なのです」


(妹と一緒に世界を創ったの? それは初耳……)


「まったく、怠惰の象徴のようなアイリスを祀る教会があるというのは、本当に信じられませんわ」


 女神アイリスに恨みでもあるのか、憤りを隠せないインリー。

 全ての仕事を妹に押し付けて消えてしまった女神と信じるのであれば、敬う気持ちにならないのは分かる。


(ユニコーンの話からしても、アイリス様が世界を放棄しているとは思えないけどなぁ……)


 女神姉妹の心中など計りようもないが、いまいち信用できないルリ。

 自分勝手で抜けている所もあるが、心から世界の平和を願っている女神、それが、ルリにとっての、アイリスの印象だ。


 もちろん、ここで、どの女神が正しいかという議論をするつもりはない。

 真実がどうあれ、宗教は人の自由だし、何より、今の目的は王女の行方を捜す事なのだ。

 女神デザイアが何者であれ、今は関係ない。



「祈祷していきますか?」

「いえ、まだ作法も何もわかっておりませんし、これからいくらでも機会はあるでしょうから……」


 インリーから祈祷の誘いを受けるが、ルリは断った。

 下手に祈りを捧げ、何かが起こったら、たまったものではない。

 祈った瞬間に女神が降りてくる様子を、アニメや小説で何度も見ている。……今は勘弁してほしい。



「では、私たちの生活場所となる修道院をご案内しますわ。こちらへどうぞ」


 祈祷もせずに大聖堂を出る事に後ろ髪を引かれる様子のインリーであるが、今度は修道院を案内すると言って、歩き出した。


 修道院は、大聖堂とは少し離れた場所にある、シスター達の生活スペースである。

 食堂や、寝室、畑などがあり、シスターは、その中で暮らしている。



「他のシスター、治癒師の方も、ここにいるのですか?」

「はい。貴方もここで暮らす事になるわ。道をしっかり覚えてくださいね?」


 ルリが治癒師として公聖教会に所属する事は、やはりインリーの中では確定事項のようだ。

 ここは否定せず、適度に聞き流す。


(王女様はここにいる可能性が高いわね。魔法が使えればもう少し探せるのだけど……)



 修道院につくと、まずはロビーのようなエントランスに案内された。

 そこには、多くのシスター姿の女性が集まっていた。


「男性は別の建物ですの。ここには、女性しかいないわ」

「それは安心ですね……」


(恋愛禁止なのかな? まぁどっちでもいいか……)


 修道院は、男女別らしい。どうりで、この建物には、女性しか見えない。

 宗教は往々にして貞節を重んじるが、ここもそうなのだろう。

 いろいろと想像してしまうが、……今はどうでもいい。実際に永住するつもりは無い。


 ルリの修道服は目立つようで、こちらを見ながらひそひそと話している様子が見える。

 不本意に連れてこられた者の中には、同じように魔封じの修道服を着せられた者もいるのかも知れない。

 いずれにせよ、新人だとバレバレの光景のようだ。



「今日はもう遅いので、この位にしましょう」

 食堂の場所など教わり、すぐに修道院を出る。


「あの、お部屋は、中ではないのですか?」

「貴方はまだ、基本が出来ていませんのでね。修道院に入るのは、聖書の勉強を終えてからよ」


 言われてみれば当然だ。教会で暮らすというのなら、聖典の一つや二つ、覚える必要があるだろう。


「食事と聖典は部屋に運んでもらいますわ。明日までに目を通しておきなさいね」



 結局、鉄格子の部屋に戻されたルリ。

 野菜スープとパン、そして、辞書のような聖典が渡された。


 まだ印刷技術など発展していない世界。

 書物は、全て手書きで出来ている。

 分厚い書物は、貴重な品物だ。それを預けられているのであるから、教会の本気度も伺われる。


(これを暗記とか、絶対無理でしょ……。って、何で覚える気になってるのよ、私……)


 点灯ライトの魔道具の灯りで薄暗い室内。脱出は不可能そうである。

 他にやる事も無いので、聖典を眺めながら、食事をいただく事にした。



(毒とかは入ってなさそうね。見た感じは普通のスープとパンだけど……)


 教会にとってルリは、最高レベルの治癒を提供できる、大事な商品の筈だ。

 いう事さえ聞かせられれば、殺す必要はない。


(念には念を入れておこうね。またセイラに怒られちゃうもの……。

 解呪かいじゅ解毒キュア……)


 口の中に魔法を掛けながら、ゆっくりと食事を口にする。

 幸い、魔力を外に出すことは出来ないが、体の内側ならば魔法も使える。

 自分を対象とした回復系の魔法であれば、ある程度は使えるようだった。


(体内の魔法かぁ……。身体強化も少しは使えるかな……?)


 体表まで魔力を纏わせる事が出来ないが、骨や筋力などを強くする事は出来そうだ。

 あまりやり過ぎると皮膚に負担がありそうなので止めておくが、いざとなったら少しは役に立つだろう。


(さて、どうしたものかしら。このままじゃ、この部屋に監禁されたまま聖典のお勉強よね……)


 厄介な修道服を脱がないと、まともに動けず、王女を探せない。

 何より、聖典を覚えないと、外に出られなそうな気がする……。

 分厚い聖典を前に、途方に暮れるルリであった。





 その頃、公聖教会総本山の裏手でキャンプを張ったミリア、セイラ、そしてメアリーも、同様に途方に暮れていた。


「セイラ、まだルリの反応は見つからないの?」

「うん。消えてからもう5時間も経つわ。ルリの魔力が一切感じられないの……」

「どこかに移されたとか?」

「それはないわね。移動したときに分かるはず……」


 セイラが探知できない理由。考えられる理由は、いくつかしかない。

 ルリが、魔法を封じられた、あるいは遮断されば場所にいる場合。

 もしくは、考えたくはないが、既にこの世にいない場合……。


「どうする? 突入する? ルリに万が一の事があるのなら、わたくし、教会ごと吹き飛ばしても構いませんわ!」

「気持ちは分かるけど、もう少し様子をみましょう!」

「そうよ、あのルリだよ。女神様の愛し子が、そう簡単に……」


 全力の探知をかけ続けて頑張るセイラ。

 今にも教会に突撃しそうなミリア。

 そして、何とか平静を保つメアリー。


 何の手がかりも得られないまま、静かな夜を、迎えるのであった。

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