第91話 料理教室

「あの、面を上げてください。

 先ほど申しましたように、今日は冒険者としての旅の途中で寄っただけです。視察と言っても、特に何か用件がある訳ではありません。

 よろしければ、畑の様子など、見せていただけませんか?」


 ようやく現実に戻って来た村長に、優しく声を掛ける。

 相手の再起動を待って、安心させるような声かけ。……このやり取りもいつも通りだ。



「三の姫様にセイラ様、メルヴィン商会のメアリー様……。

 ぜひ、どうぞ、こちらへ」


 屋敷の裏手には、広大な畑が広がっていた。


「おや、村長さん、可愛いお嬢さんを連れてどうしたんだい?」


「ばかもん! 控えてろ! こちらの方々はなぁ……」


 村長が言葉に詰まる。

 全員が重要人物過ぎて、もはやどのような紹介をしたらいいか分からなくなっている。


「あ、お気遣いなく。皆さん普段通りにお仕事なさってください」


「いや、しかし、リフィーナ様……」


 ……村長、混乱中。

 ルリは、近くにいた農家のおばちゃんに話しかけた。


「この畑は、何を作っているのですか?」


「見ての通り、ポテト芋よ。急に大量の注文がもらえるようになってね」


 ルリとメアリーが目を合わせ、微笑み合う。

 アメイズ領の農産物を広め、領を豊かにする。その目的が、形になっている。


「そうだ奥様、ポテト芋は、ここではどういう食べ方をしているのですか?

 私たち、王都の料理店の者なのですが、教えてくれませんか?」


「奥様なんて、もう。

 料理人の方なの? ぜひ、王都の料理を教えて欲しいわ!」


 交渉成立。

 即席で、料理教室の開催決定だ。


 ポテトフライ。

 ポテトサラダ。

 コロッケ。

 肉じゃがっぽい煮物。

 スイートポテト。

 ポテトチップ。


 手元の素材で、料理を披露する。

 新しい味わいに、奥様方が集まり、「美味しい」の声が上がった。


 王都でもそうであったが、「出汁」を使う事、あるいは油で揚げる調理が、あまり広まっていない。

 オーク肉からラードを作り、揚げ油にする事は、そう難しくはなく、誰でもできるので、喜ばれた。


 卵の入手は現状では難しいが、土地だけは膨大にある農村、鳥を飼えば済む。

 同時に、家畜の排せつ物が畑の肥料になる事やくず野菜の切れ端を発酵させてたい肥にする事などを教える。


 ルリも以前、ペットボトルでの肥料づくりを行った事があった。

 細かい理屈など分からなくても、ツボに詰めた野菜の切れ端を時々かき混ぜれば、それらしきものになる、……はずである。



 さらに、住民の悩みを聞いて、解決策を考えていた。

「畑を広げたいのだけど、水やりが追い付かないのよね」

「水路を引いても、天候によって水が溢れたり、逆に枯れたり……」


 近くの川から水を引き、畑の水やりに使っているのではあるが、雨が増えれば溢れるし、雨が減れば水路も枯れてしまうという事らしい。


(これって、必要なのはダムよね! 公共事業の典型だわ!)


「村長さん、水の管理にひとつ案があるのですが、試してみませんか?

 かなり大掛かりにはなりますが、アメイズ子爵家も協力いたします」


 川の上流に、貯水池を作って水の量を調節するという案を伝える。

 本来のダムであれば、水力発電や飲料水など様々な機能をもたせるのであろうが、作り方など分からない。


 それでも、大きな人工池を作り、水門で川の水の量を調整するくらいであれば、出来そうな気がした。


「マリーナル領にお願いして、水路の管理に長けた技術者を呼びましょう。

 バーモ村の周辺で川を抑えられれば、下流の領都でも恩恵が得られるはずですし」


 一大事業を簡単に計画し、後に大臣のマティアスに怒られるのであるが、今はそんな事、考えてもいない。

 村長や村民たちと夢だけ語り、その場は後にする。



「新しい料理、みんな喜んでくれたわね」

「うん、それに、住民の悩みをひとつ解決できそうだわ。ダムってのはよくわからなかったけど、成功すれば他の都市でも使えるわね」


 住民の味覚を変化させ、農業改革を為し、さらに文明の利器をサラッと紹介したルリ。

 1年前は自分たちが食べる程度のポテト芋を細々と作るだけだった農村が、1年後、どんな変革を遂げるのか……。




 無意識ながらも、色々とやらかしたバーモ村を後にする。

 新しい発見に包まれ、感謝を述べる村民の様子に、ルリは上機嫌だ。


「今日はその辺で野営して、明日は朝からメルダムの街に入りましょう。

 問題解決で、喜んでもらえるように頑張りましょうね」

「まぁ問題が無いに越した事はないのだけどね」

「それにルリ、あなたが誘拐された街なんだから、緊張感もってね」


 能天気なルリに、メアリーとセイラが釘を刺す。

 これから向かう街は、以前盗賊に支配されていた街なのだ。

 盗賊は壊滅させたとは言え、危険が無いとは言い切れない。



 メルダムの街まで2時間ほどの距離まで進み、野営する。

 念の為、警戒を厳重にした。

 護衛騎士が順番に夜間見張ってくれた……だけではあるが。


 特に問題なく朝を迎え、急いでメルダムの街に向かう。

 朝の活気が冷めやらぬうちに、街に到着する予定だ。




 比較的大きな街であり、外壁に囲まれたメルダムの街。

 門には門衛がおり、チェックを行っている。


「門衛さん、おはようございます」

「貴族様でしょうか、恐れ入りますが、念のため身分証のご提示をお願いいたします」


 領都であれば顔パスであるが、ルリ達にとっては初めて訪れた街である。

 身分証の提示を求められた。


「私、従者のアルナと申します。身分証が必要な事は分かりました。

 ただですね、非常に高貴な方々の身分証となりますので、お渡しする事はできません。この場で確認いただくか、もしくは確認場所まで同席させていただきます。よろしいですね」


 衛兵と言えど、王族の身分証を預ける事はできない。

 アルナが慎重に、衛兵に対応する。

 不服そうな衛兵に対して、アルナが一言付け加えた。


「兵士さん、素早いご判断をなさった方がよろしいですよ。

 門前払いしたなどと話が伝わったら、この街の領主もろともどうなる事か……」


 門衛の顔が、徐々に青ざめていく。

「しっ……失礼いたしました。すぐに責任者を連れてまいります!」


 ビシッと敬礼して走り出す兵士。

 また、別の兵士がアルナに声を掛け、門内の広いスペースに馬車を誘導する。


 門衛の詰所は、軽いパニックに陥っていた。

 馬車の中では、外でのやり取りなどつゆ知らず、呑気に街並みを眺めるルリ達が座っている。




「お騒がせし、大変申し訳ございませんでした。

 私、メルダムの街門を守っております、グロイスと申します」


 馬車の外を見ると、恰幅のいい兵士が片膝を曲げて畏まっている。


「アルナ? 何を言ったの? 何かあわただしい事になってるけど」

「いえ、高貴な方々に迷惑がないようにと、お伝えしただけですわ。街に入るのに身分証が必要らしいので、ご協力いただけますでしょうか」

「あぁ、身分証ね。別にいいわよ、あの人が担当者さんね」


 兵士の気も知らず、『ノブレス・エンジェルズ』は平常運転である。


「兵士さん、私たちの身分証よ。今日は旅の途中で立ち寄ったの。街の中に入ってもいいかしら」


 順番に、身分証を見せる。


「アメイズ子爵家……リフィーナ様!?」

「クローム王国……ミリアーヌ様!!!」

「コンウェル公爵家……セイラ様!!?」


 想定を超える肩書が並び、兵士が驚き後退った事は言うまでもない。


(王族2人と領主の娘じゃ、対応に困るわよね……。

 でも、後でバレるよりは最初に言っといた方が、まだ良心的だと思うのだけどなぁ)


 毎度毎度の光景に、身分は言わない方が良いのかと考えるが、立ち振る舞い、オーラがどう見ても貴族なミリア達が、隠し通せる訳がない。


 しかし、身分を明かす……その判断が、新たなトラブルを生んでしまう事を、少女立ちは気付いていなかった。

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