Chap.16-3

「ちむどんどんのあった二丁目のビル、あそこのエントランスで雨宿りをしていた一平を初めて見かけた時、すぐに思った。ああ、マサヤに似ていると」

 ゲイデビューをする前、悶々としていた僕はあてもなく二丁目を彷徨さまよって、夕立ちに見舞われた。ずぶ濡れになった僕へタカさんが差し出してくれたタオルに、東京にもこんなに気さくな人がいるのだと、冷えきった自分の内に温かく灯るものを感じた。あの時から、ずっとタカさんに憧れていた。運命的な出会いだったのだと信じていた。

「だけどね、一平のことを知れば知るほど、マサヤではないことも思い知った。もうマサヤがどこにもいないのだと気付かせてくれたのも、一平だった」

「マサヤさんに似ていなかったら、僕は……タカさんと出会っていなかったのでしょうか?」

「どうだろう。俺にもわからない」

 マサヤさんの気配は、確かにタカさんが仕組んだことだったのかもしれない。そうだったとしても、マサヤさんの存在は、ずっと僕らのそばにあった。ずっと感じていたのだ。水槽を漂うクラゲのもつれた足のように、知らぬまに複雑に絡んでしまった、タカさんとマサヤさんと、僕の関係をどうしてもほどく必要があった。マサヤさんのことを知らないままではいられない。

「やっぱり、教えてください。マサヤさんのこと」

 タカさんは観念したように、こめかみの辺りをポリポリと掻いた。

「あいつは……マサヤは強情なヤツだったよ。いつも少し達観しているところがあって、ときどき放っておくとそのまま消えてしまうのではないかと思うことがあった。リビングの椅子に座っている時とかね。差し込む日の光にかすんで消えてしまうような……。お父さんは若いときに亡くなられていた。お母さんひとりに育てられたと言っていたが、このお母さんがまた男勝りな人でね。マサヤが強情になったのは、あのお母さんのせいだろう。俺も何度かお会いしていたが、マサヤの病気がわかってからは、色々カミングアウトしなきゃいけなくなった。病気のこと、ゲイであること。そして俺のことも。マサヤと一緒に、ずっと隠しててごめんなさいと頭を下げに行ったんだよ。お母さんは、いくつか質問をして『死ぬ病気じゃないなら何とかなるわよ』と、俺のことも改めて快く歓迎してくれた。『薄々そうじゃないかとは思っていたのよ。だって距離感が恋人だったものあなた達。母というより、女の勘かしらね。こんな息子だけどよろしくお願いします。あら、息子がもう一人できたと思ったら、ちょっと嬉しいわね』なんて言われたよ」

 品川からずっと並走していた京浜東北線、その水色のラインの入った車体が僕らとは別の方向へと別れて行く。うぐいす谷、日暮里、田端、駒込。東京の中でも比較的静かな市街地を列車は走り続ける。高いビルが少なくなり、街並みが低くくなったように感じる。トレインチャンネルでは共同通信によるソマリア情勢のニュースが流れていた。

「だから、マサヤを死なせてしまったときに、本当に申し訳なかった。葬式にも呼ばれたのだが、どうしても出席できなかった。同じようにパートナーを亡くしても、葬式に出席することもできない人がいる。俺は恵まれていたのにな……マサヤは自分の病気を知り、万が一のことも考えて、お母さんにカミングアウトしたのだろうと今は感じている」

 そこまで一息に話して、タカさんは言葉を切ると、日の差し始めた窓の外へ目を向けた。

「この間、初めて線香を上げに行ったんだ。ご無沙汰して、すみませんと。マサヤのお母さんは相変わらず元気な人だったよ。一緒に泣いてくれる人を残してくれたのだから、先にってしまった親不孝な息子だけれど、まあ許してやるかって……また、マサヤのお母さんと話ができて良かった」

「マサヤさんは……お母さんに似て、優しい人だった。そう思います」

「ああ、ずいぶんと遠回りをしてしまったが、ようやくあいつの仏壇に手を合わせられた」

 遠回りや寄り道なんてせずに、真っ直ぐ歩けたらどんなに楽だろう。いつもそんな風に思っていた。ゲイデビューをすれば、好きな人に好きと伝えられたら、こうであったら、そうでなかったら……いつもそんなことばかり考えていた。

 でも、寄り道をしなかったら出会わなかった人がいる。遠回りをしなければ知らなかった景色がある。寄り道と思った先に、新しい何かが開けていることだってあるだろう。どんな生き方が良かったかなんてそんなの一生わからない。

「僕、タカさんのことが好きです」

 自然とそう言えていた。

 マサヤさんのことを知って、自然とこみ上げた言葉だった。目の端に滲む涙をぬぐう。

 一日の始まりを告げる人々。間もなく動き始める町の息吹。山手線は僕らにそんなことを感じさせながら走り続けていく。初めての告白は、次々と流れ去る東京の景色と共に僕の記憶に刻まれた。

「そうか、でもすぐに遠距離だ……寂しい思いをさせてしまうな」

 そうタカさんが言ったことに気付くまで、ずいぶん時間がっていたと思う。トレインチャンネルに表示された今日の天気予報に目を向けながら、マサヤさんの話をぼんやり反芻はんすうしていた僕は、その意味にハッとなってタカさんを見た。

 タカさんは電車の揺れに合わせて、こくりこくりとうたた寝を始めていた。やはり仕事明けで疲れていたのだろう。

 タカさんの寝息を耳元に感じながら、出会ってから今までのこと、そしてこれからのことを思った。

 電車が高田馬場に到着する。

 乗り降りする乗客はすっかり通勤する人々に変わって、忙しない朝の風景があった。発車の音楽が流れる。山手線内でも有名な高田馬場のご当地メロディ。車内の液晶広告に映し出された天気予報は、今日は曇りのち晴れだと告げている。

 空をこえて、ららら、星のかーなた――。

 僕らの住む町、新宿までもうすぐだ。


第16話 完

第17話(最終話)「虹を見にいこう2」へ続く

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虹を見にいこう 第16話「ウェザーリポート」 なか @nakaba995

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